おしゃれ革命



「土方さん、彼女と別れたみたいですぜィ?」
 
それは、実に唐突な言葉。
けれども、その場には他に人はいないのだ。
洗濯物を干していた女は、自分が話しかけられたのだろうと判断し、くるりと声のした方へと顔を向ける。
果たしてそこには、声の持ち主であり、真選組の隊長でもある沖田総悟が笑って立っていた。
怪訝な顔を向ける女に、沖田は笑って言葉を続ける。
 
「ですから、さんもチャンスだと言ってるんでさァ」
 
その言葉に、ますます困惑した表情を浮かべる女。
彼女の名前は。ここ真選組屯所内にて働く女中の一人である。
そして、彼女が真選組の副長である土方十四郎に想いを寄せているのは確かに事実ではある。
だが、そのことを誰かに洩らしたことはない。
あまりにも立場が違いすぎるのだ。決して伝えるつもりのない想いのはずだった。
それが、どういうわけか。沖田はのその想いをあっさりと看破してしまい、事あるごとに構ってくる。
沖田にしてみれば、二人をどうにかくっつけて、土方をからかうネタを作ろうという魂胆。
しかしにしてみれば、沖田にからかわれているとしか思えない。
事実、そんなところもあるにはあるのだが。
それでも沖田は、のことだけは9割方素直に応援しているつもりなのだ。
 
「だからさん。後でちょいと、俺の部屋に来てくだせェ」
 
言うだけ言うと、沖田は笑いながらその場を離れていった。
その背中をは無言で見送る。
これまで、何度こうやって絡まれたかわからない。
どうせ叶わぬ想いなのだから、放っておいてほしいというのが正直なところ。
そう、理性は考えているというのに。
それでも、冗談半分であっても沖田が応援してくれるのが嬉しくて。
何より、一縷の望みが欲しくて。
今日もまた、は言われるままに沖田の部屋へと赴くのだった。
 
 
 
 *  *  *
 
 
 
「沖田さん。いらっしゃいますか?」
―――あァ、さん。いらっしゃいますぜィ、俺は」
 
笑う沖田に手招かれて、は室内へと入る。
が、すぐに足を止めることになった。
沖田の部屋の床に広げられていたのは、一枚の着物。
明るい紫地に、蝶や花の柄がうるさくない程度に織り込んである。
一目見ただけでも、それなりの値段がすることがわかる、上等な着物。
更にその横には、帯やら簪まで無造作に置いてある。
呆気に取られるの姿に、沖田はにやにやと笑みを浮かべた。
 
「土方さんを落とすのにさんに何が足りないか、俺なりに考えた結果がコレでさァ」
「これって言われても」
「つまりさんは、身なりに気を遣わなすぎなんでさァ」
 
確かには、身なりにはあまり気を遣わない。
それは女中という立場柄、仕方が無いことだ。
おしゃれな着物を着ていては動き回りづらく、化粧をしたところで水仕事をしていればあっさりと崩れてしまう。
だからは、動きやすく、けれども色の褪せた着物を着て。化粧とて、ほとんどしていないに等しい。
それで何か困るわけでもない。むしろ仕事中は、その方が都合がいいのだから。
かと言って、おしゃれにまったく無関心というわけでもない。
とて女。一度くらい、おしゃれをしてみたいという気持ちはある。
そんなに、目の前の着物一式は、甘い誘惑となる。
それを見計らったかのように、沖田は言葉を続ける。
 
「一度だけでいいんでさァ。それ着て、土方さんの前に立ってみてくだせェ」
 
一度だけ。
その言葉が、ますますを甘く誘い込む。
一度だけ。
一度だけなら。
 
「……一度だけ、ですよ?」
 
そっと着物を手に取るに、沖田はにやりと笑みを浮かべる。
ここまで来たら、目的は達成されたようなもの。
が着替えられるようにと、部屋の外へと出た。
着替え終わるのを待ちながら、これから起こるであろうことを想像して沖田はひそかに笑う。
地味な着物と化粧っ気の無い顔のせいで、とかく目立たない印象のではあるが、顔立ちは悪くないどころか、整っているのだ。
少し手間をかけるだけで、見違えるようになるだろう。
化けたを見たとき、土方はどんな反応を見せるのか。
たとえ気が無くとも、多少は慌てるであろう。
それを考えただけで、沖田はおかしくてたまらない。
 
「あ、そうそう。さん。そこに化粧道具もありますから。ばっちり化粧してくだせェよ?」
「なんでこんなものまで用意してるんですか……」
 
思い出したように話しかけると、部屋の中から呆れたような返事が返ってくる。
が、拒否はされなかったのだから、言われた通りに化粧もするのだろう。
出来を楽しみに待つことしばし。
不意に、部屋の障子が中から開かれた。
 
「沖田さん。終わりましたけど―――どうかしましたか?」
 
軽く目を見開いたまま言葉を失う沖田に、は小首を傾げて問いかける。
我に返った沖田は「何でもありやせんよ」と慌てて間の抜けた表情を取り繕ったが、実際は何でもないどころではなかった。
目の前にいるは、用意された着物を着こなし、言われた通りに化粧もしている。
が、その出来が予想以上だったのだ。
上品な明るい紫の着物は、落ち着いた物腰のには良く似合っている。
いつもよく働いているに臨時ボーナスで、と近藤を言いくるめて金を出させたのだが、我ながらこの見立てを褒め称えたいほどだ。
そして化粧。薄化粧ではあるが、もともと化粧っ気のないのこと。少し化粧しただけでも見栄えがする。
特に、口唇にさした紅は、男を誘うかのように艶やかだというのに、それでも上品さは損なわれていない。
上品で落ち着きがあり、それでいて意志の強い瞳を輝かせている美女―――まるで武家の女はかくあるべし、というような。
そしてそれこそが、土方の好みのタイプなのだと。長い付き合いで沖田は知っているのだ。
まさかここまで、どんぴしゃりに化けるとは。
だが。
土方を動揺させるためには、あと一押し。
 
「せっかくですから髪、上げてしまったらどうですかィ?」
 
いつも無造作に束ねられているだけの長い髪は、今はおろしてある。
おろした姿も確かにいいのだが、やはり思うところが沖田にはあるのだ。
も今の姿に物足りなく思っていたところで、差し出された髪紐で、手早く髪を上に纏めてしまう。
そして簪を挿した姿を鏡で確認し、は初めて笑みを浮かべた。
 
「やっぱりこうした方が、いい感じがしますよね」
「……そうですねィ」
 
しかし沖田は、晒されたうなじに目が釘付けになる。
普段は髪に隠れているその部分は白く、清楚さを漂わせながらも男心を引き付ける。
目立たない女が、一転して、男なら振り返らずにはいられないほどの美女へと変貌を遂げたのだ。
しかも、そうさせたのは他ならぬ沖田自身。
これでもしが土方のことを想い続けていることを知らなければ、即座に手に入れてしまっていたかもしれない。
だが現実は、そうはならない。
苦笑しながら、どうせならと沖田は悪戯心を起こす。
 
さん。提案ですけど」
「はい?」
「ついでにこうしてみたら、どうですかィ?」
「きゃあっ!?」
 
言うや否や、沖田が着物の後ろ衿を引く。
普段よりも衿を大きく開けたおかげで、より広く露わになる首筋。
それがまた色気を醸し出しているのだ。
振り向いたに睨みつけられるものの、そんな顔をされては余計に調子に乗るのが沖田というもの。
 
「あとは胸元とか出してみたら、いいんじゃないですかィ?」
「沖田さんっ! や、やめてくださいっ!!」
「この方が、土方さんも落としやすいでさァ」
「お、落とさなくていいですっ! 落とさなくていいですってば!!」
 
が必死になればなるほど、沖田は面白がる。
胸元を広げさせようとするその行動は、第三者から見れば明らかにセクハラ行為。
だが、幸か不幸か。
その場に第三者が現れた。
 
「総悟てめェっ、騒いでる暇あったら仕事しやが―――
 
にとって『幸』だったのは、おかげで沖田の手が止まったこと。
しかし『不幸』だったのは―――現れた第三者というのが、他ならぬ土方であったことである。
着慣れない上等な着物と、そして沖田に迫られているともとられかねないこの状況。恥ずかしさのあまり、は真っ赤になる。
一方で土方も、目の前の状況に軽く混乱していた。
あまりにも沖田の部屋が騒がしいものだから、仕事をしろと怒鳴りつけに来たのだが。
部屋の中には、当然ながら沖田がいた。
当然でなかったのは、その状況―――何故か沖田が、女の着物を脱がしにかかっているかのような状況。
だが、昼間からそのような行為に及んでいることを怒るよりも先に、土方の視線が釘付けになったのは相手の女。
一言で言ってしまえば、美人なのだ。
白い肌に映える、紅く染まった頬と紫地の着物。露わになったうなじと、沖田の手がかけられている胸元。
驚いて目を見開いているものの、整った顔立ちは隠れようがない。
思わず唾を飲み込んだところで、その顔立ちにどこか見覚えがあることに土方はようやく気付いた。
 
「てめー……、か……?」
「当たり前じゃないですかィ。なに言ってんですか、土方さんは」
 
何故か沖田が答えるものの、そんなことは問題ではない。
目の前で脱がされかけている美女が、普段は目立たない女中のだというのだ。
受ける印象はまるで異なるというのに、よく見てみれば確かに同一人物である。
思わず見入ってしまう土方であったが、その視線に耐えかねたように、は慌てて沖田を押しのけると、着物の乱れを直す。
そして立ち上がると、「し、失礼します」と小声で呟き、そそくさと部屋を出て行ってしまった。
横をすり抜けていったその瞬間、土方は、匂い立つような色香にくらりと目眩を覚えたものの、それは一瞬のこと。
気付けば沖田が、隣に立ってにやにやと笑っている。
 
「女は化けるってのは、本当のことですねィ。
 特に今のさんなんか、もろに土方さんの好みのタイプだったんじゃないんですかィ?」
「ば…っ、何言ってやがる!!?」
「こう、三つ指ついて出迎えられたりしたら、グッと来るものがありそうでさァ」
 
言われて、土方もつい考えてしまう。
普段は大人しく、これといった印象も残らないだが、仕事をてきぱきとこなすことは知っている。
家の内のことには文句なし、そんなが、もし今の姿で三つ指をついて男を迎えてくれるのであれば。
これで感銘を受けない男など、いるはずがない。
おまけに、あの美貌と、さりげなく漂う色香。
思い出すだけで喉の渇きを覚えそうになる。
だが、先程の様子を見る限り、は沖田と―――
 
「言っときやすが、俺とさんは何の関係もできちゃいやせんぜィ?」
「な…っ!?」
「ま、今のさんを見ちゃあ、俺も口説きたくなりやしたがねィ」
 
そんな思考を読み取ったかのように、沖田はにやりと笑う。
慌てる土方に、首尾は上々。
だが、沖田は更につつく。
 
「俺だけじゃねーや。今のさんを見た他の隊士たちも、これからは口説きだすに決まってまさァ」
「…………ちっ。馬鹿馬鹿しい」
「いいんですかィ、土方さん?」
「俺には関係ねーよ」
 
土方は吐き捨てるように言うが、それが本心からの言葉でないことに沖田は勘付いていた。
落ち着こうと煙草を取り出しているのが、そのいい証拠である。
笑いを堪えて、「じゃあ俺は昼寝でもしやすか」とわざわざ聞こえるように言っても、土方は何も言わない。
先程は、仕事をしろと喚いたというのに。
どうやら、心ここにあらずといった状態か。
ますます笑いたくなる衝動を堪えて、沖田は部屋に入り障子を閉める。
薄く開けて様子を窺えば、土方はすでに歩を進めていた―――が消えていった方へと。
土方がを追いかけていったのは、明らかである。
してやったり、と笑みを浮かべる沖田。
を大人しく譲ってしまうのは、少しばかり残念な気もしたが。
さしあたって考えるべきは、明日以降、どのように土方をからかってやるか。そのことだけである。



<終>



書きながら、このヒロイン、沖田さんとくっついた方がいいんじゃないかと思ってしまった(笑)
土方さん、出番無いなぁ。