気持ち悪い。
 
気持ち悪い気持ち悪いキモチ悪いキモチワルイキモチワルイ。
 
こみ上げてくる嘔吐感。堪えきれず、路地裏に吐き出してしまう。
こうなることはわかっていたから、胃の中には何も入れていなかった。
出てくるのは、胃液だけ。
それでも消えることの無い嘔吐感。
胃は締め付けられるよう。そのうち血まで吐きかねない。
咳き込みながら、ぼんやりとそんなことを考える。
 
それは、一瞬のこと。
 
呆けている暇などない。
いつ何時、追っ手が来るか知れないのだ。
疑われてはいないだろう。細心の注意を払ったのだ。
それでも、用心には用心を。
いつまでも一ヶ所に留まるような愚行を冒しはしない。
 
武装警察真選組監察方・
 
それが私の唯一無二の、誇るべき肩書き。
こんなところで汚してしまうわけには、絶対にいかない。
 
止むことのない嘔吐感。
吐き尽くしてしまった今、そんなものは気のせいに決まっている。
萎えそうになる足は、気力で奮い立たせればいい。
口元を袖口でおざなりに拭い。それでも不快感を訴える身体を宥めすかして。
 
まだ暗い夜空を見上げると、欠けた月が私を見下ろしていた。
まるで、私のことを嘲笑っているかのように。
 
 
 
 
闇夜光華




「副長。報告にあがりました」
「入れ」
 
低い声で簡潔にただ一言。促されるままに、私は目の前の障子を静かに開ける。
部屋の中では男が一人、煙草を燻らせている。
 
武装警察真選組副長・土方十四郎。
 
今更確認する間でもない、その肩書き。
整った顔立ちに、座っているだけだというのにこの威圧感。
これで病的なまでのマヨラーでさえなければ、女に不自由することもなかったろうに。
今でも十分に、何も知らない市井の女性たちの憧れの的だと言えばそうなのかもしれないが。
たっぷり数秒。
思わずその顔を見つめてしまってから、私は慌てて室内に入る。
 
「それで、首尾は」
「はい。例の、過激派の攘夷浪士の一派ですが―――
 
問われるまま、私は自分の務めを果たす。
私の肩書きは監察。つまり密偵。
手に入れるべき情報を、いかに早く、正確に手に入れるか。それが問われる。
そして私は、その務めを間違いなく果たすために、ここにいる。
 
淀みなく報告を終えると、副長は短くなった煙草を灰皿へと押し潰した。
眉間に皺が寄っているのは、私の報告にあった、攘夷浪士の動きの早さのせいだろう。
この人の頭の中では今、どうすれば最も効率よく彼らを検挙できるか。その方法が目まぐるしく駆け巡っているに違いない。
ここまで来れば、ひとまずは私に用は無いだろう。
再び指令を受けるまで、小休止といったところか。
少しだけ、安堵する。
 
「では私は、失礼させていただきま―――
「また抱かれてきたのか」
 
辞去するための言葉を言い終えぬうちに、そんな言葉が突き刺さってきた。
下げかけた頭が、反射的に止まる。
いつまでもそのままでいるわけにもいかず、のろのろと顔を上げると、射抜くような視線とぶつかる。
ぞくり、と背中を寒気が走る。
感じるのは、恐怖心。
視線だけで人を殺せそうなその態は、さすが真選組副長。
けれども、今更その程度で泣き出すような女々しさを、私は持ち合わせてはいない。
そんなものは、とうの昔に捨ててしまった。
 
「これが一番効率がいいものですから」
 
笑って、そう言ってのける。
本当は、笑えるようなことではないけれども、内心とは裏腹の笑みを浮かべるのは私には容易いことだ。
途端、胃が引き攣るような痛みに襲われる。
そんなことは、おくびにも出すつもりはない。
代わりに出すのは、男心を擽るような、艶やかな笑み。
それで騙されるような副長だとは、露ほども思っていないくせに。
案の定、眉一つ動かさない。
少しだけ女としての自尊心が傷ついた気もするが、気には留めない。
 
「俺はそこまでやれとは言ってねェ」
「ですが、副長が仰ったんですよ。手段は問わない、と」
 
だから監察方に就いた時点で、決めたのだ。
どんな手段を使ってでも、この人の役に立つと。
監察方に求められるものは、情報収集能力。
私にとって、その最も手っ取り早く、且つ確実な手段は、遊女になりすまして男たちから情報を引き出すことだった。
相手が見ず知らずの男であろうとも。嫌悪しか抱けない男であろうとも。
遊女として媚び、身体を開き、代わりに有益な情報を馬鹿な男たちから引き出す。
それが、私が選んだ道。
 
「やめるつもりは……無ェようだな」
「はい」
 
笑みを浮かべたまま、私は言い切る。
副長もそれ以上は何も言わず、無言で退室を促した。
頭を下げると、今度こそ私は部屋を出る。
途端に襲われる吐き気。
わかっている。
他の男に抱かれることを、この身体が全身でもって拒絶しているなんてことは。
それでも私は選んでしまった。
愛し愛される、そんな平凡な未来を捨ててでも。
 
どのような生き様だろうとも。
どのような死に様を晒そうとも。
たとえ、他人に誇れるようなものでなくとも。
あの人のためになるのならば、役に立てるのならば。それだけで十分だ。
 
よろける足に力を込める。
自然と視線は中空に舞い―――目が、合った。
真昼の欠けた月は、なぜか私を哀れむかのように、見えた。



<終>



タイトル意味不明。なんかシリアスっぽくしてみたかっただけです……
このままだと救いが無いような気もするので、続編書いてみたいなー。と思ってると、大抵書かないまま終わるのが私です。