とある教師の恋愛革命
バレンタイン・デー。
製菓会社の陰謀とは言え、それは男にとっても女にとっても重大な日である。
いかにして、本命の相手からチョコを貰うか。いかにして、本命の相手にチョコを渡すか。
男も女も盛り上がり、製菓会社の思惑に踊り狂わされる。
傍から見れば滑稽なのかもしれないが、当人たちはいたく真剣なのである。
と言うか、一年で最も世の中にチョコが溢れかえるこの日。義理チョコすら貰えずに終わってしまうのは、いくらなんでも哀しすぎる。
と、銀八は思うわけなのだが。
それ以前の問題が、目の前に突きつけられているのである。
「よりによって、どうして今週から自由登校なんだよコノヤロー……」
高校3年生ともなれば、この時期は受験に忙しい。
授業も終わり、今は希望者だけが登校して補講を受けるという自由登校期間。
もちろんそれは3年生だけであって、1、2年生は通常通りに登校して授業を受けてはいる。
だが、銀八の担当は3年のみ。他の学年の生徒とは一切の面識は無い。
せめて通常の登校期間ならば、お恵み程度でも、クラスの女子たちからチョコレートを貰えたかもしれない。義理中の義理なのだとしても。本命の男に渡すチョコを没収されないための賄賂なのだとしても。
しかし今は、自由登校期間。勉強嫌いのZ組の生徒が、わざわざ補講を受けに来るはずもなく。
他のクラスの生徒たちは、補講と受験に一杯一杯で、今日がバレンタインだということも忘れているのかもしれない。
故に銀八は、もしかしたら人生初・誰からもチョコを貰えない虚しきバレンタイン・デーを過ごしてしまうかもしれない予感に恐れおののいていた。
普通の会社ならば、同僚からのお義理のチョコを期待もできただろう。
しかしここは学校。
生徒間のチョコのやり取りを禁止しているくらいなのだから(実際には隠して持ってくる女子が多数なのだが)、教師はその見本にならねばならないということで、教師間でもチョコのやり取りは厳禁とされている。
「どうせチョコ貰えねェテメーの僻みだろ、あのハゲェェェ……」
毎年毎年この時期になると、にやにやと笑いながら「バレンタインだと浮かれている暇は、教師には無いのだよ」とさも尤もらしいことを説教垂れる校長が、銀八には憎くてたまらない。
おまけに最近では、職員室内での煙草も禁止されてしまった。
ニコチンも糖分も取り上げられては、本気で転職を考えるしかない。
何のやる気も無く、火のついていない煙草を銜えたまま机に突っ伏す。
今は授業中。職員室内の教師はほとんどが出払っていて、銀八が何をしようと咎める人間はさほどいない。
その事実に気がつくと、銀八はがばと身を起こし、白衣のポケットに手を突っ込んだ。
取り出されたのは、ライター。
室内に何人か残っている教師たちが、こちらに注意を向けていないのを目聡く確認して、銀八は煙草に火をつけた。
燻る煙をぼんやりと眺めながら、五臓六腑に染み渡るような煙草の味に、やや気分が向上したのも束の間。
「職員室内は禁煙ですよ、坂田先生」
銜えていたはずの煙草は、いつの間にかほっそりとした二本の指に挟まれていた。
指先から視線を辿っていくと、その先には笑みを浮かべた同僚の姿。
「それ俺の生命線なんですけど。存在意義の一つなんですけど」
「あら。先生には天パーがあるじゃないですか。存在意義」
「イヤ。それはむしろ抹消意義ですから」
そんな会話を交わしたところで、目の前の同僚が煙草を返してくれるはずもなく。
このままでは、煙草の灰が彼女の白い指の上に落ちかねない。
降参した銀八が大人しく携帯灰皿を差し出すと、「よくできました」と言わんばかりの笑みと共に、煙草の先が押し潰された。
だが、長さの残る煙草が灰皿行きというのは、見ていて何やら物悲しい気分になるものである。
「んで、用件はこれだけですかね。先生?」
携帯灰皿をポケットに突っ込みながら、銀八は隣に立つ同僚―――を見上げる。
のその顔には、いつものように笑みが浮かんでいる。
いついかなる時でも笑みを絶やさない彼女には、好意を寄せる生徒や教職員も少なくない。
が、銀八に言わせれば、「いつも同じ表情で、何を考えているのかわからない」。ただそれだけである。
銀八自身、周囲から似たようなことを思われているということは、この際、棚の上だ。
「いえ。今のはついでの用件で。本当は、これを渡しに」
言いながらが机の上に置いたのは、手の平に乗る程度の大きさの紙袋。
赤地の袋の口は、ハート型の金色のシールで留められている。
今日の日付と、この如何にもな包装。
「チョコレートですよ。今日はバレンタインですから」
銀八が口に出す間も無く、が疑問に答えてしまう。
どうやら目の前の袋は、予想通りの物らしい。
だが。
「ウチの学校、チョコ禁止じゃなかったですか?」
「大丈夫です。最初に校長先生と教頭先生に渡したら、許可が下りましたから」
さらりと言ってのけるの顔には、やはり笑みが浮かんだまま。
どうやら彼女も、校長がチョコを貰えない腹いせに禁止令を出したのだと踏んでいたようだ。
だからこそ、真っ先に校長にチョコを渡したのだろう。そして、難なくチョコを持ち込む許可を得た、と。
まったく、笑顔の下で何をしたたかな策を巡らせているのか。
食えない女だと、銀八は実に思うわけで。
思うからこそ、腑に落ちないこともある。
そこまでして同僚にチョコを配らねばならない理由が、なぜにあるのか。
「全員に配れば、本命の相手にも、さりげなく渡せるんですよね」
まるで銀八の思考を読み取ったかのように、が言葉を続ける。
ほんの少しではあるが、頬を染めて。
ただそれだけのことだと言うのに、一瞬とは言え惹きつけられたのは、どういう訳なのか。
だが、その答えなど出す間も考える暇すらも無く、「それじゃあ、私はこれで」とは行ってしまった。
後に残されたのは、目を瞬かせる銀八と、赤い紙袋に入れられたチョコレート。
足早に去っていくその姿を見送って、銀八は机の上に視線を戻した。
紙袋を手に取ると、見た目通り軽い。一口サイズのチョコが2、3個といったところか。
それでも、バレンタインチョコということに、変わりはない。
たとえ本命の相手に渡すためのカモフラージュなのだとしても。
今日という日に半ば絶望していた銀八にしてみれば、少々の虚しさは感じるものの、チョコを貰えないという惨めさに比べれば余程マシというものである。
「んじゃ、ま、ありがたくいただきますわ。先生?」
彼女の本命の相手というのが気にはなるが、それは単なる好奇心であって、それ以上のものではない。
それに余計な詮索をせずとも、そのうち知れるに決まっているのだ。
に告白されて、靡かない男はそうそういないだろう。付き合い出せば自然と噂が流れるのが、男と女の仲というものだ。
とりあえずは、チョコの恩恵に与れたことに対して、その『本命』とやらに感謝してやろう。
そんなことを考えながら、銀八は紙袋を開ける。
中には、手作りと思しき一口サイズのチョコが、予想通り3個。個別に包装してあり、義理チョコによくぞここまで手間暇かけたものだと、感心したくなるほどだ。
それと、もう一つ。
見落としそうになったが、袋の奥に、紙切れが一枚。
深く考えもせず、銀八はただ気になってその紙切れを袋の中から取り出した。
二つに折りたたまれた白い紙の、その内側。何気なく開いたそこに書かれていたのは、小さくも丁寧な文字の羅列。
『坂田先生へ
この返事は、3/14にお願いしますね。
』
「…………マジでか」
数秒間の思考停止。
それから何度読み直しても、文面が変わるわけではない。
3/14は、すなわちホワイトデー。つまり、バレンタインの告白の返事をする日。
そこで返事を要求されるということは、逆に言えば、今のこのチョコが告白だという訳で。
告白。つまり、好きだと。
一瞬、人違いではないかとも考えたが、しっかりと銀八の名前が書かれている以上、それはありえない。
「……い、イヤ。冗談だろ? 何かの間違いじゃねーの?」
思わず口をついて出た言葉に、しかし答える人間は周囲にはいない。
これは絶対に間違いだろう。むしろドッキリ企画か何かかもしれない。校内中がグルになって自分を陥れようとしているのではないか。
自身でも疑問に思うほど、必死になって否定はしてみるものの。
それでも、が去り際に見せた、少女のように頬を染めた表情は、銀八の頭からついぞ離れることがなかった。
<続>
遅れましたが! バレンタイン話!
おまけに続きます! 続くんです!!
こうやって無理に続けないと、ホワイトデーも華麗にスルーするんです、私は!!
……えーと。書くと思います。
続き、書くと思いますので。多分。
音沙汰無かったら、どなたか催促してやってくださいまし……
タイトルは、あー……某曲名と某本のタイトルを掛け合わせてみました(笑)
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