「沖田さん。花火やりましょうよ、花火」
 
花火セットを手にした人物の台詞としては、それは、それなりにありきたりなものであろう。
ただし、今の季節を考えれば、まるでありきたりではない。
その台詞が似合う季節には、少なくともまだ数ヶ月は早い。
指摘してやるものの、それでめげる彼女でもない。
 
「何を言ってるんですか。季節外れだからこそ、趣ってものがあるんですよ」
 
真冬に食べるアイス然り、真夏に食べるおでん然り、と。
さも当然のように列挙されるものの、それらと花火とは何か違うのではないかと沖田は思う。
 
思うのだが。
 
どういうわけだか沖田は、この寒い3月の夜更け、川岸に座り込む羽目になっていたのだった。
 
 
 
 
時にはそんな一夜を



 
暦の上では春になっていても、まだまだ寒い3月の夜。
しかも場所は河川敷。川から吹く冷たい風に、沖田は身を震わせた。
だが、そんな冷たい風もなんのその。
そもそも誘ってきたは、両手に花火を持って、何が嬉しいのだかバカみたいにくるくると回っている。
それでも花火の燃えさしはきちんと水を張ったバケツに入れているのだから、その理性的な行為と今の馬鹿げた行為のギャップには、眩暈さえ覚えるほどだ。
 
「沖田さ〜んっ、やらないんですかぁっ!?」
「寒ィだけじゃねーかィ」
 
最初のうちこそは素直に付き合ってやっていたものの、あまりの寒さに沖田はとっくにリタイアしてしまっている。
微かなろうそくの火で暖を取りながら、沖田はぼそりと冷たく言い放った。
が、にはその言葉が届いたのか、それとも最初からどうでもよかったのか。相変わらずくるくると回りながらはしゃいでいる。まるで子供のように。
普段からテンションが高めのではあるのだが、どうやら今夜はそれに輪をかけて高いらしい。
だが、そんなことはどうでもいい。
沖田が思うのは、この馬鹿げた行為をさっさと終わらせ、屯所へと戻る事である。
ならばを放って一人戻ってしまう、という手もあるのだが、も女である。女を一人、こんな夜にこんな場所へ残しておくわけにはいくまい。
どうすればいいか。
話は簡単。
は、ここへ花火をしに来ているのだ。
その花火が全部無くなってしまえば、大人しく屯所へと戻るであろう。
思考は一瞬。
袋の中に入っていた花火を全て取り出すと、その先をろうそくにかざす。
もちろん花火なのだから、あっさりと火は燃え移り。
 
「あー、やっぱりやるんじゃないですか、沖田さ…ぁぁああんっ!!?」
「お。こりゃすげェや」
 
悲鳴をあげて逃げ出すの姿に、沖田は思わずにやにやと笑みを浮かべた。
何本もの花火に一度に火がついたのだから、その勢いは尋常ではない。
しかもそれをへと向けたのだ。逃げ出されるのも当然と言えば当然。
だが、それも束の間。
自分に向けられた花火から距離を取ると、は今度は指差して笑いだしたのだ。
すでに火の消えた花火をバケツに入れて。
何がおかしいのか、腹を抱えてけらけらと笑っている。
これには、さすがの沖田も呆然とするしかない。
 
「……なに笑ってんでィ」
「だ、だって…だって……っ!!」
 
けれどもその続きがの口から紡がれることは無く。
ようやく笑いが止まったのは、沖田が手にしていた花火が、すべて燃え尽きてバケツ行きとなってからだった。
笑いすぎで引き攣っているのか、頬をさすりながら、はバケツの中身と、花火の入っていた袋の中身が空になっていることを確認する。
 
「よっし! 花火大会終了!」
「終わってから言うのもアレだが、別に夏まで待ってりゃよかっただろィ」
 
空袋を畳んで懐に仕舞うに、沖田は何気なく声をかける。
特に大した返答を期待していたわけではない。
単なる気紛れだとか。
彼女にしかわからない趣とやらを求めてだとか。
その程度のものだろうと、何となく考えていただけだ。
そして、この寒い夜更けに外へと連れ出されたことに対する愚痴をぶつけ、何かしらの見返りを要求しようと。
けれども、は何も言わない。
月明かりの下、曖昧に笑ったまま、バケツを持ち上げる。
たぷん、とバケツの中の水が揺れる。
そんな音すら耳に届くほどの、静けさ。
先程までの騒がしさが嘘のような、静謐。
沖田の言葉に何を言うでもなく、その近くまでやってくると、屈みこんでろうそくの火を吹き消す。
そのろうそくもバケツの中に放り込むと、は再びバケツを手に立ち上がり、一人歩き出した。
 
!」
「……自己満足なんです。もう、引きずりたくなかっただけ」
 
鋭い声で呼ばれても、は足を止めようとはしない。
ただ、ぽつりと。か細い声がその唇から漏れただけで。
あとはの歩調に合わせて、たぷん、たぷんとバケツの中の水が揺れるばかり。
呆けたのは一瞬。
我に返った沖田は、早足でに追いつくと、その隣に並ぶ。
とは言え、それ以上なにかを問い質すつもりもなかった。
そんなことを許さない雰囲気が、の周囲に漂っていたからだ。
それを無視するほど、沖田は無遠慮でもない。
結局、二人黙り込んだまま、水が揺れる音だけが響く。
 
――私、彼氏いたんですよ。これでも」
「………」
 
静寂を破るかのように、唐突に紡がれた言葉。
その内容も内容で、あまりに唐突すぎるものではあったのだが、沖田は黙って聞くことにする。
 
「今の花火だって、一緒にやろうねって夏に入る頃に買ってもらって……
 でも私、仕事仕事で、なかなか一緒にいられなくて……
 気付いたら二股かけられた挙句……捨てられちゃったんですよ」
 
ぽつり、ぽつりと話すの言葉は、小声ではあったが、はっきりと沖田の耳に届いた。
相手がどんな男なのかは、知る由も無い。そもそも、に恋人がいたことすら、今初めて知ったのだ。
ただわかるのは、相手が誰であれ、はその男のことを忘れられずにいたということくらいだ。
もしかすると、今でも好きだったのかもしれない。
だからこそ、捨てられても尚、買ってもらった花火を処分することができなかったのだろう。
途端、ツキン、と理由のわからない痛みが胸を襲う。
けれども、やはり黙ったまま。沖田はの独白に静かに耳を傾ける。
 
「……さすがにもう、思い切ろうと思って……思い立ったら吉日じゃないですけど……
 でも、そしたら……沖田さん、あんな一度に火をつけるんですもん。
 ああ、こんなあっという間に消えてしまうものに、私はいつまでもしがみ付いてたんだ、って……
 そう思ったら、無性に可笑しくて……」
 
くすり、と笑うの横顔が、月明かりに照らされている。
震えてもいない声。しっかりと前を見据えている瞳。
完全に思い切ったというわけではないのかもしれないが、それでもこうして他人に話せる程度には、失恋から立ち直っているのだろう。
そのための儀式だったのだろうから。今の花火は。
 
「沖田さんのおかげ…ですね。ありがとうございます、付き合ってくれて」
 
晴れ晴れとした、とまではいかないものの、それでも笑顔を向けてくる
押し殺していた失恋の痛みは、まだ完全には癒えないのだろうが。
それもきっと、もうしばらくの辛抱なのだろう。
無駄に高いと思っていた普段のテンションは、決して無駄などではなく、他人の前では何事も無いかのように振舞うための、感情を押し殺すための、彼女の処世術だったのか。
強くあろうとするのその笑顔は、世辞抜きで見惚れるほどで。
そんな彼女を捨てた男はバカなのだろうと、沖田は胸中で毒づく。
が、そのおかげで、の意外な一面を知ることができたのも、また事実。
 
「……ま、悪いモンじゃねーや。この季節に花火ってのも」
 
の手から、ひったくるようにしてバケツを取り上げると、驚いたような表情を見せたものの、すぐに笑顔へと変わる。
 
「じゃ、明日からまたテンション上げて頑張りますかっ!!」
「それ以上テンション上げられたら、こっちが迷惑でさァ」
 
決して本心ではないその言葉。
も見透かしているのか、「沖田さんの都合なんか関係ないですよぉっ、だ!」などと言い返してくる。
先程までのしおらしい姿はどこへやら。
けれどもこの方が、らしいと言えばらしい。
憎まれ口にすら可愛げを覚えてしまうのは、きっとその「らしさ」が彼女自身の強さに由来していることを知ったからだろう。
 
に対する感情が以前とは変わり始めていることを、沖田はまだ自覚できていない。
そんな二人の帰り道を、中空の月だけが静かに見守っていた。



<終>



3日にいきなり雪が降ったので、驚いてネタ作ってみたら。
雪なんかまるで関係の無い話になりました。
私が書くと、大抵はそんなものです……