目が覚めた。
頭が痛い。
そして寒い。
頭が痛いのは、きっと二日酔いのせい。
寒いのは、きっと真っ裸のせい。
そして目が覚めたのは、きっと隣に他人が寝ている違和感のせい。
さて。
男と女が同じ布団で、しかも裸で寝ていたのならば。
その答えは、ただ一つ。
いつだって枕元に置いてる愛刀を、鞘からさらりと抜き取る。
朝の光を受けて煌く刃は、日頃の手入れの賜物。
などと、普段なら自画自賛するところでも、流石に今はそんな余裕も無く。
「死にさらせぇぇぇっ、晋助ぇぇぇぇぇっ!!!!」
そして隣で寝ている男に向かって愛刀を振り下ろすことへの躊躇も、今は微塵も無かった。
そんな彼らの恋愛衝動
「朝っぱらから襲撃たァ、穏やかじゃねェなァ?」
いつの間に起きていたのか。
間一髪で振り下ろされた刀を避けると、驚いた様子も無く高杉は口の端を上げる。
余裕綽々のその態度が、ますますを苛立たせるとわかっていながら。
事実、愛刀を握り直したの目には、明らかな殺意が宿っている。
本気で斬りかかってこられては、如何な高杉とは言え、無傷で済む可能性は限りなく低い。
表向きは余裕の笑みを浮かべながらも、着崩れた着物を整えつつ、空いた手を油断無く自身の刀に伸ばす。
手に馴染んだ感触。しかし味わう間も無く、続く第二撃が振り下ろされた。
それをすんでの所で防げたのは、身についた反射神経のおかげだろう。
だが、全力でもって押しかかってくるの刀を、仕込み刀で受け続けるには限度というものがある。
ぎりぎりと。押してくるの鬼気迫る表情には、冗談事など微塵も感じられない。
「てめェ……本気か?」
「乙女の純情踏み躙っておいて何その態度。死んでくれない? お願いだから死んでくれない?」
「いい年して『乙女』だァ?」
「女は純情忘れなきゃ死ぬまで乙女だ悪いか!!」
「乙女を自称するなら、少なくともその格好は無ェだろう」
俺は楽しいがな、と笑う高杉に、ようやくの力が弱まる。
と言うよりも、我に返ったといった方が正しいか。
怒りに我を忘れて斬りかかったものの、今のは一糸纏わぬ姿なのだ。
「ぎゃっ!!」と色気も何もあったものではない悲鳴をあげると、慌てて高杉から離れて、布団の横に投げ出されていた着物を手に取った。
「ちょっと晋助! あっち向いててよ!!」
「あァ? なに今更恥ずかしがってんだ―――」
「ベタな台詞は要らないからあっち向きやがれ!!!」
手元にあった枕を投げつけるも、高杉はそれを軽くかわし、そ知らぬ顔でくつくつと笑っている。
それを睨みつけ、は高杉に背を向けた。
しかし頭に上っていた血が引くと、今更ながらに周囲の状況にも目が届くようになる。そして、昨夜の自分の行動もおぼろげながら蘇る。
どう見ても自室ではない、この部屋。指名手配されている高杉が呑気に住居を構えているはずもないだろうから、ここはどこかの宿だろうかと推測する。
ここに到るまでの経緯は、まったくと言っていいほどに思い出せない。
ついでに、胸元に散らばる紅い痕をつけられた経緯も。こちらはあまり思い出したくないが。
覚えていることといえば、昨日が知人の結婚式で、アテられた女達数人で夜の街に繰り出して飲んだという程度のこと。
「男がなんだー!」などと喚きながら、いつもならばしない無茶な飲み方をして。
挙句の果てに、友人らと別れた帰り道で吐き。
そこで記憶の糸はぷつりと途切れ、気付けば今朝である。
「……それでなんで晋助が出てくんの?」
着物の帯をキュッと締めながら、は首を傾げる。
少なくとも記憶に残っている限りでは、高杉が出てくる要素など一つもありはしない。
独り言ちただったが、意外にも答えが返ってきた。
それはもちろん、この部屋にいるのが二人でしかない以上、答えを返してきたのは当然ながら残る一人である高杉だということになるのだが。
「偶然見かけたと思えば、いきなり絡んできたのはてめェだろ? 終いには『今すぐ孕ませろ』だの何だの、色気の無ェ誘い方しやがって」
「……はぁぁっ!!?」
一体どんな冗談なのか。
顔を顰めながら振り向くと、相変わらず高杉は口の端を上げたまま、壁に背を預けてを見ていた。
どうやら一部始終を見られていたようだが、はすでに諦めている。
それに今は、そんなことよりも聞き逃せないことを言われたのだ。
「アンタ、冗談も大概にして―――」
「それで俺と別れて一人で子供産む決意したところで、いい男と出会って何もかも受け入れてもらって結婚するのが理想の恋愛だとか抜かしてたんだぜ?」
「どこの月9ドラマよ、その展開は!!?」
確かにそのドラマ好きだったけどね、とは口の中でもごもごと呟く。
ふざけた冗談を言うなと叫び出したい衝動に駆られたが、高杉がこのドラマを見ていたとは到底思えない。そして見ていなければ、こんな設定はまず浮かばないだろう。
つまり、どうも酔っ払って記憶の無い間に、そんな馬鹿げた事を口走ってしまっていたということになる。
そんな結婚願望があったとは、自分でも驚きだが。
はぁ、と溜息を一つ。その間にも、右手は自慢の愛刀へと伸び。
次の瞬間、ガキィン、と甲高い音が室内に響き、溜息の余韻などというものはあっさりとかき消された。
「……てめェ」
「いくら誘われたからって、酔って判断力の無い女に手を出すなんて、随分と落ちたもんじゃない?」
正確無比なまでに胴を薙ぎ払うために振るわれたの刀は、やはりと言うべきか、寸前で防がれている。
右腕一本での力勝負など、負けが見えている。
はあっさりと刀を引くと左手に持った鞘へと収めた。
一応、自分にも非があったと認めたのだ。ならば、自慢の愛刀をいつまでもこの程度の事に煩わせたくはない。
の様子に安堵し、高杉も仕込み刀を収めると、気を抜くように息を吐く。
女を抱いた翌朝に当の相手から斬りかかられるなど、相手がでなければ到底ありえない事態だ。
とは言え、それを楽しんでいる節が高杉にはあったりするのだが。
それを知ったら、はますます腹を立てるのであろう。知らぬが仏とは、このことか。
余裕の表情を浮かべている高杉に恨めしげな視線を向けると、乱れた髪をおざなりに束ね、は再びその口から溜息を漏らした。
「もういい。帰る」
「今度は素面の時に抱かせろよ。なァ?」
「誰がやらせるか!!」
捨て台詞と共に気の強い瞳で睨みつけると、は足音も荒く部屋を出て行ってしまった。
バタンッ、と力の限りに閉められた襖をしばらく黙って見ていた高杉だったが、やがて我慢しきれなくなったかのようにくつくつと笑い出す。
の言うとおり、酔い潰れる寸前の女に手を出すなどということは、普段ならばやらなかっただろう。
だが、相手がで。
色気も何も無い誘い方とは言え、自らの身体を惜しげもなく差し出され。
極めつけに、甘ったるい声で「好きよ。愛してる」などと言われれば、止められるものも止められなくなる。
たとえそれが、情事の最中の浮ついた睦言でしかないのだとしても。
壁から身を起こすと、高杉は布団の傍へと寄る。
枕元には、簪が一本。昨夜、が挿していたものだ。
普段挿し慣れないものだから、忘れてしまったのだろう。
それを手に取って翳すと、窓の外から差し込む光を受けて鈍く反射する。
少なくとも、二束三文で買える代物ではない。
ならばこれを持っていれば、再びは自分の前に現れるだろうか。この簪を取り返すために。
柄ではないと思いつつも、衝動に駆られるようにして簪に口付ける。
耳の奥、のあの甘ったるい睦言が聞こえたかのような気がした。
<終>
お久しぶりの高杉さんです。
相変わらず偽者なのはさておいて、話は案外すんなりと出来上がってしまいました。
リハビリにちょうど良かったかも。
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