お見合いブギウギ
カコーン…と、どこかから鹿威しの音が聞こえる。
聞こえる程度に静かな建物内。
それはそうだろう。
一生縁が無いと思っていたここは、私ですらその名前を知っている高級料亭。
予約は一年待ちだとか、それ以前に、一食で一か月分以上の給料が飛ぶだとか。とにかく高級で、騒がしさとは無縁の料亭。
まさかそんなところに、私が足を踏み入れることになるなんて。
御用改めとかで踏み込んだことくらいはあるけれど。それとこれとは、まるで別問題。
何せ今の私は、上等かつ窮屈な着物に身を包み、あまつさえ猫でも被ったかのように大人しく座っているのだから。
こんなことになった原因は、隣で偉そうに煙草をふかしている。
恨みがましい目で隣を見ても、そこに座っている松平のとっつぁんはそ知らぬ顔。
それはもちろん、最終的に承諾しちゃったのは私ではあるのだけど。
事の発端は三日前。
突然屯所にやってきて、更に突然私の前に現れたとっつぁんは、重ねて突然に言い出したのだ。「見合いをしてくれ」と。
もちろん最初は即行で断ったのだけど。
とっつぁんに手を合わせられた挙句、「高級料理が食べ放題」の言葉にノせられて、ついでに高級な着物ももらえると言われて。
結局、物欲に負けただけだ。
見合いなんてつまらないし。おまけに料理「食べ放題」と言えるほどに運んできてくれないし。
ああ腹が立つ。とっつぁんにも目の前の男にも、物欲に負けた自分自身にも。
「あ、あの。さん。ご趣味は?」
「え? 副長をおちょくること―――いだっ! い、いえ、本を読むことですわ。おほほ」
誰が本なんか読むか。
「死なない程度に毒を盛る方法」なんて本なら読みたいけど。
とりあえず今は、仮にも女である私のお尻を抓ったとっつぁんに毒を盛ってやりたい。セクハラで訴えて勝つぞ。勝訴ストリップするぞ。脱がないけど。
けれど私がこんなこと考えてるなんて、目の前の男は気付いてもないらしい。「そうですか。さんは文武両道の方なのですね」とか感心してるし。おめでたい男だな。
そういえばこの男、私がどこだかで攘夷浪士と斬り合ってるところを偶然見て、それで見初めたらしい。ますますおめでたい男だと思う。
幕府官僚の苦労知らずの息子らしいから、余計におめでたいんだろう。どこの世界に、他人を平気で斬る女を見初める男がいるんだか。
諸々の思いを愛想笑いで誤魔化してみるけど、そろそろ化けの皮が剥がれそう。
もういっそ、剥がして素に戻って目の前の男ぶちのめして帰ろうかな。
でもそんなことしたら、とっつぁんに迷惑かけるしなぁ。
相手は幕府官僚の息子。しかも一年待ちのこの料亭をあっさりと用意できるほどの家柄。
いくらお尻を抓られた報復にしたって、さすがにこれを敵に回させるのはとっつぁんに悪い。
ああもう。臨時ボーナスくれないかな。こんな我慢してるくらいなら、攘夷浪士の群れに特攻しかける方が気分的に楽だ。
つくづく私って、女らしくないと思う。別に誰に期待されてるわけでもないから、どうだっていいんだけど。
せめて、こんな窮屈な思いをさせられている元は取らねばと、目の前の料理に手をつけてみる。
きっとこの先一生、食べることなんてないであろう料理。
正直、普段食べてる屋台のラーメンの方が私の舌には合ってるんだけど。でも勿体無いから食べる。食べきってやる。
そう、誓ったのに。
「……とっつぁん」
「ああ」
一瞬にして走る緊張。
目の前でぽかんとしている馬鹿息子は放っておいて、私の意識は部屋の外に向かう。
慣れているからこそわかる、この空気。緊張感。部屋の外、遠くから聞こえる足音は、料亭の従業員のものでも客のものでもない。
ここは高級料亭。自然、幕府官僚も集まりやすい。てか、目の前に実際いるし。馬鹿息子の父親が。
理屈も何もない。ただ私の経験による勘が、この場は危険だと訴えてくる。
「とっつぁん、武器は?」
「無ェよ」
「はぁ!? マジで!!? 使えないオッさんだな!!」
「オイ。オジさんだって人間だぞ? 忘れ物くらいするんだよ。傷つくじゃねェか」
小声でやり取りしながら、私は部屋の奥側へと回りこむ。
屈みこんで、テーブルに手をかけると、とっつぁんは私が何をするつもりか悟ったらしく、離れた場所へと移動する。
ああ、勿体無い。特に美味しくもなかったけど、それでも高級料理なのに。高級なのに。
馬鹿息子とその官僚親父は、何が起ころうとしているのか、未だ理解に至っていないらしい。「どうしたんですか?」なんて呑気に聞いてくる。空気読めよ、馬鹿。
二人の事は軽やかに無視して、私は部屋の外へと意識を集中させる。
「二人……三人?」
「イヤ、二人だな。一人は足止めやがった」
うわ。嫌な感じ。どうせなら三人まとめて来てよ。
とっつぁんの言葉に顔を顰めながら、それでもテーブルにかけた手に力を込める。
あとは、呼吸を整えて、タイミングを合わせて―――
「天人に迎合する官僚どもォォォ!! ここは我ら―――ぅぐわぁっっっ!!!??」
「どぉりゃぁぁぁあああっ!!!」
どうしてだか、攘夷浪士ってのは前口上が長いイキモノらしい。
これも侍気取りだからだろうか。まぁうちの局長も前口上長かったりするけど。
でもそれが命取りだって、いつになったら悟るんだろう。無理か。馬鹿だから。
障子が開け放たれると同時、相手を確認もせずに上に乗った料理ごとテーブルを跳ね上げ、おまけにそこに飛び蹴りをかましたら、案の定、相手は攘夷浪士。
裏返ったテーブルの上に見事に着地すると、下敷きになっている浪士は二人。どっちも泡吹いて倒れている。そりゃ不意打ちだったろうしね。
けれど、呑気に構えている暇は無い。
浪士のうちの一人が取り落としたのだろう刀。これをすかさず手に取ると、立ち上がり振り向きざまに横に薙ぐ。
手応えは、無い。
「貴様、何者だ!?」
「真選組よ。神妙になさい」
言うが早いか、足を踏み出して相手の懐に潜り込むと、一撃をくれてやる。
女と男じゃ、どう鍛えたところで力に差は出てくる。ならば私が相手を確実に仕留めるには、速さが勝負。
これで三人目も撃沈。
けれど、攘夷浪士がたった三人で料亭に乗り込むなんて事はありえない。
ヤツらの人数は? 目的は? リーダーは?
って、そんなの私一人で調べ上げられるわけないじゃない! 片っ端から斬れって? しかもこの慣れない重い刀で!!?
もちろん、それは言い訳にすぎないとわかっている。
けど、騒ぎを聞きつけてきたらしい他の浪士たちを庭に降りて斬りながら、焦りが生じてくる。
あの馬鹿親子は、どうやらとっつぁんが無事に逃がしたらしい。これで心配の種は一つ減ったのだけれど。
慣れない刀。動きにくい着物。一人対多数。
不安要素は、あまりにも多すぎる。
長すぎる前口上も命取り。けれど、戦闘中の無駄な思考は、もっと命取り。
わかりきっている、ことなのに。
斬り損ねたのだろう。倒れたと思っていた浪士が一人、背後から斬りかかってきていた。
それに気付いた時には、防ぐには遅すぎた。
自覚はしていなかったけれど、このとき私は、左腕一本斬りおとされることを本気で覚悟していたのだと思う。
それでも、少なくとも死ぬつもりは無かった。でなければ、一瞬でも相手の隙を見逃すまいと目を開き続ける事なんて、できなかっただろう。
身を庇うように掲げた私の左腕。
だけど、それが斬りおとされることは無くて。
斬りかかってきていた男が、不意に倒れる。呆気に取られる間もなく、その後ろから現れたのは―――
「副長!!?」
「忘れてんじゃねーよ。てめーの魂だろ」
そう言って放り投げられたのは、見間違えようも無い。これ以上無いほどに手に馴染んだ、私の愛刀。
「人間、誰だって忘れ物くらいするんですー!」
「それで殺されかけてりゃ、世話無ェな」
なんだってここに副長がいるのか。
理由を問い質すなんて暇は、今は無い。
それでも、手の中の愛刀と。そして副長がいるなら。
今まで抱いていた焦りも不安も、一瞬で消え去る。
「だって。鈍ら刀にこの格好ですよ? 殺されかけますって」
「それくらい、こいつら程度を相手にするなら丁度いいハンデだろ」
私はノせられやすい性格でもしてるのだろうか。
不利だと思っていた要素が、たちまちどうでもよくなる。
背中を副長に預けられるという安堵感もあるのかもしれない。
浪士から拝借していた鈍ら刀を捨てると、すらりと自分の刀を抜く。
手にしっくりと馴染む感覚。負けることなんか微塵も感じられない、いつもの感覚が戻ってくる。
「副長。こいつらって何人いるかわかります?」
「あァ? 片っ端から斬ってけ」
「うわ、横暴ー! 副長の鬼ー! 悪魔ー!!」
軽口を叩きながら、私は向かってくる浪士たちへと足を踏み出す。
副長がいるからと言って、それでも二人対多数。不利な状況に変わりはないと言うのに。
どうしてだか、身体が軽くなった気分。副長の無茶な言葉も、平気でやり遂げられそう。
思考は、そこで終わり。
あとはただひたすら、向かってくる攘夷浪士たちに対して剣を振るうのみ。
そうして気付けば。いつの間にか周囲で立っているのは、私と副長だけという状況になっていた。
「おーお。こりゃまた派手にやりやがって」
「とっつぁん! 遅すぎ!!」
のんびりと屋根の下で煙草をふかしているとっつぁんをビシッと指差して、一言。
もちろん、とっつぁんだって何もしてないわけじゃないというのはわかってる。わかった上で言ってしまう。これは私の性格。
その辺は向こうもわかってるのか、特に怒った風も無く、ただ「オジさんも頑張ったんだよ、コレ」と返してくるだけ。
「そーいや見合い、返事はどうする?」
「え? この惨状を見ても、まだ結婚したいとか言うの? あの人?」
きちんと結い上げてあった髪は解けてるし、着物だって斬られてるわ返り血を浴びてるわ。
この姿を見ても「好きだ」と言われたら、とりあえず私は精神科へ行く事を勧めたい。
まぁでも。とりあえずは。
「じゃあ、もし何か言ってきたら、『私はもう少し、剣の道に生きたいですから』とか何とか、かっこいいこと言って断ってくださいよ」
今の私には、それが似合ってる。
高級料亭で食事をするよりも、刀を振るっていたい。副長の隣で、軽口を叩きながら。
あ、そうだ。
「そういえば副長、どうしてここにすぐ現れたんですか? っていうか、私服? え、今日って非番でしたっけ?」
「あー……それよりお前、近藤さん誘導してこい。そろそろ着く頃だ」
「え。あ、はーい」
副長がここに現れた理由。
聞きたかったけど、今はそれよりも攘夷浪士たちの後始末。局長を呼んでくることの方が先決だ。
理由なんか、後でも聞けるし。
それに、どんな理由だろうと、副長が来てくれたことに変わりはない。そして、それが嬉しかったことも。
「では、、局長を迎えに行ってまいりま〜す!!」
私の居場所は、やっぱりここが一番心地いい。
笑って敬礼すると、私は皆が到着して騒がしくなっているのであろう料亭の入口に向かって、駆け出した。
<終>
局長の見合い話と、個人的に来てる副長フィーバーの結果、こんなネタが生まれました。
え〜。土方さん視点で書いて、補完させたいです。
いつになるかわからないですけどね……
|