お見合いブギウギ
油断をしていた。高を括っていた。
だから何も言わなかった。
何も言わず、それでも隣にいる関係。
それが当たり前のことだと、俺は無意識のうちに思い込んでいたんだろう。
甘ったれんじゃねェ。
できるなら、数日前までの呑気な自分に、そう怒鳴りつけてやりてェところだ。
突如として降って沸いた、の見合い話。
聞けば相手の男は、幕府の大物官僚の息子。そして何故だか、に惚れに惚れ込んでいるらしい。
そんな酔狂で趣味の悪い男が存在するとは、まさか思うはずもねェ。
だから最初に聞いた時は耳を疑ったもんだ。
更にはが見合いを承諾したと聞いた時には、腕のいい耳鼻科を探さなきゃなんねェとまで思ったもんだ。
にしてみれば、松平のとっつァんの頼みだから、断るに断れなかったんだろう。
何より嬉々として「高級料理食べ放題らしいですよ! 食べ放題! 高級料理が!!」と報告してきたところからするに、アレは色気より食い気だ。男よりも食い気だ。
だからその時までは、まだ何も考えてなんかなかったんだ。
ようやく考えさせられたのは、今日になってからだ。
とっつァんに恥をかかせるわけにはいかないと、着飾って化粧もしたは、普段の様子からは考えられねェほどに女らしく。
「馬子にも衣装ってのはこのことだな」と悔し紛れに言ってやれば、「すごい! 副長が私のこと褒めた! うわ! 今の私、そんなにカワイイですか!!?」「誰も褒めてねェ!!」との軽口の応酬。
はきっと、俺の気持ちになんか気付いてねェんだろう。
へらへら笑いやがって、「高級料理! 高級料理!」なんて妙な節をつけながら、とっつァんと一緒に行っちまいやがった。
苛立たしくそれを見送った俺は、そのまま不機嫌だろうとも仕事をするはずだった。
が。
何故か今、俺は有休を取り、がいるはずの高級料亭とやらの前で所在無く煙草を吸っている。
自分のバカさ加減を呪いたくてたまらねェ。
酔狂で悪趣味なのは、俺の方じゃねーか。
ここにバカみてェに突っ立っていようとも、何が変わるわけでも無ェってのに。
苛立ちながら、この場所へ来てもう何本目になるかわからねェ煙草を踏み潰す。
足元に、潰れた煙草がまた一本増える。
通行人に不審な目を向けられるのも、もうどうでもよくなってきた。
確かに今の俺は不審だろう。刀を二本もぶら下げた男が、何をするでもなく長時間同じ場所に佇んでりゃな。
そんな野郎がいれば、俺なら迷わず職務質問するところだ。一体何を企んでやがんだ、と。
実際、俺は何がしてェんだ?
の見合いが気に食わねェってんなら、その場に乗り込めばいいだろうが。
それができねェのは、の反応が怖いからか。
呆れられるか、バカにされるか。
ありえねェとは思うが、万が一、が見合い相手と上手くいこうものなら、俺は道化にしかならねェ。
俺の自尊心が、それだけは御免だと叫ぶ。
かと言って、ここで手持ち無沙汰に突っ立ってる事に意味なんざカケラも無ェんだが。
やっぱり、何がしてーのかわからねェ。
わかるのは、とてもじゃねェが仕事なんかしてられる心境じゃねェってことと。
万が一なんざ起きねェことを、が呑気に笑いながら俺の隣に戻ってくることを、願ってるってことだけだ。
新しい煙草を銜えると、箱の中身は空になる。
いつも以上に減りが早い。潰した空き箱を、さすがに吸殻のように足元に捨てるわけにもいかねェ。さて、どうするか。
煙草に火をつける前に思案したのは、しかし一瞬だった。
突如としてあがった悲鳴に、反射的に身体が動いた。
悲鳴があがったのは、料亭内―――がいるはずのそこからは、悲鳴に続いて喧騒が起こる。
只事じゃねェ。何かあったな。
料亭内の様子を窺えば、中から客や従業員が駆け出してくる。
その一人をとっ捕まえて問い質せば、攘夷だテロだと切れ切れに話す。
途端、の見合い相手のことを思い出す。
幕府の大物官僚の息子―――そんなのがこんな無防備なところに来るとなれば、格好のテロの標的じゃねーか!
「っ!!」
相手なんざどうなろうと知ったことじゃねェ。
気がかりは、一緒にいるであろう。見合いだからと着飾り、丸腰でこの場に居合わせているはずの。
そのの愛刀は今、俺の手の中にある。
何とはなしに持ってきてしまったの刀。着飾るよりもこれを振り回している方がてめェらしいんだよと、突きつけてやりたかったのかもしれねェ。
の刀を握り締め、料亭の敷地内へと駆け込む。
騒ぎが起きている方向に、間違いなくはいるはずだ。けど、どう行けば最短だ?
ざっと周囲を見渡しかけたところで、聞き覚えのある声が聞こえたのは偶然か必然か。
「よォ。やっぱり来たか、トシ」
「とっつァん! は」
「奥座敷だ。庭回って行った方が早ェな、多分」
おそらくテロリストどもの一人であろう野郎を縛り上げるとっつァんに、礼もそこそこに俺は駆け出す。
後ろから投げつけられた「近藤には俺が連絡しておいてやるよ」との声を、ひとまずは聞き流し。
庭を回りこみ、途中襲い掛かってきた野郎どもを適当に斬り捨て。
ようやく辿り着いたところで目に入ったのは、背中を向けたと、そこに斬りかかろうとする男―――
考える前に、身体が動いた。
思考が現状分析に到達した時には、に斬りかかっていた男は、すでに俺の足元に倒れ伏し。
振り返っていたが、驚いたように目を瞠っていた。
「副長!!?」
髪はほつれ、着物の端々は切れ、おまけに返り血もついて。更には血に濡れた刀を手に提げ。
せっかく着飾っていたのが台無しだが、やっぱりこの方がらしい。
敢えて難癖をつけるなら、手入れもろくにされてなさそうなその刀か。
握り締めていた左手の力を抜くと、手の中にあった刀をへと放り投げる。
「忘れてんじゃねーよ。てめーの魂だろ」
「人間、誰だって忘れ物くらいするんですー!」
「それで殺されかけてりゃ、世話無ェな」
それでもが殺されるなんざ、考えたこともねェが。
「だって。鈍ら刀にこの格好ですよ? 殺されかけますって」
「それくらい、こいつら程度を相手にするなら丁度いいハンデだろ」
途端、がへらりと笑う。
すらりと鞘から抜いた刀に、その表情はまるで似合わねェ。
けど、それがという女だ。
どれほど不利な状況だろうとも、どれほど凄惨な場面だろうとも。それでも笑って切り抜けるのが、俺の知ってるだ。
「副長。こいつらって何人いるかわかります?」
「あァ? 片っ端から斬ってけ」
「うわ、横暴ー! 副長の鬼ー! 悪魔ー!!」
文句を言いながらも、向かってくる攘夷志士どもへ振るう剣先には微塵の躊躇いも無い。
当然だ。この程度で恐怖心を感じるようなヤツが、真選組にいるワケがねェんだ。
の様子を視界の端で確かめながら、俺もまた刀を振るう。
別にが心配だとか、そういったワケじゃねェ。がこの程度の相手に遅れを取るとは思わねェ。
ただ単に、確認する作業だ―――が確かに、俺のすぐ傍にいると。隣で刀を振るっていると。
我ながら女々しい事この上ねーな、と呆れる頃には、周囲にいた攘夷志士はすべて倒れていた。
「おーお。こりゃまた派手にやりやがって」
「とっつぁん! 遅すぎ!!」
今頃になって現れた松平のとっつァんに、は膨れ面を向ける。
別にとっつァんだって、サボってたワケじゃねーだろ。
そう言ってやりかけたが、指摘したところで理不尽なことをまくし立てるのがだ。
の相手は一先ずとっつァんに任せることにして、銜えたままの煙草にようやく火をつけると、周囲に転がっている野郎どもの検分を始める。
とっつァんが呼んだであろう近藤さんたちが来る前に、ある程度は把握してなきゃなんねーだろうしな。
「そういえば副長、どうしてここにすぐ現れたんですか? っていうか、私服? え、今日って非番でしたっけ?」
検分に集中しかけた俺にとって、のその質問は唐突だった。
イヤ、にしてみれば、至極当然の疑問だ。
第一、俺自身だって疑問だ。結局俺は何をしたかったのかと。
どう説明しろってんだ、これを。
「あー……それよりお前、近藤さん誘導してこい。そろそろ着く頃だ」
「え。あ、はーい」
言いよどんだ挙句、話を無理矢理違う方向へ差し向けた。
存外素直にが頷いたってことは、そこまで気に留めちゃいねーって思ってもいいのか?
希望的観測だが、できればそれに縋りてェ気分だ。
説明なんかしたら、に対する気持ちを全部晒さなきゃなんねェだろうが。
ぱたぱたと駆け出していったの後姿に、とりあえずこの場を凌げた安堵の溜息をつく。
が、この場にいたのはだけじゃねェ。
「―――オイ。絶好の告白チャンスを逃してどうすんだ、お前ってヤツはよォ」
「……うるせーよ」
全部バレてんのかよ。このオッさんには。
他人事だからだろう。にやにやと実に面白そうに笑うその姿がイラついて、とっつァんから視線を逸らす。
大体、周囲に血まみれの人間が何人も倒れてる状況の、どこが告白チャンスだってんだ。頭がおかしくなったと思われるのがオチじゃねーか。
チャンスなんてのは、これから先いくらでもあるだろ。が俺の隣にいる限りは。
「は手強いぞ。色気よりも食い気と剣のことしか頭に無ェからな」
「んなこたァ知ってんだよ」
確かに先は思いやられるがな。
どうやらが近藤さんたちを誘導してきたらしい。
近付く喧騒に、吸いかけの煙草を踏み潰して思考を切り替える。
を想うただの男から、真選組副長として―――
<終>
書きかけて途中で放置プレイしてましたよ、これ……あっはっは(笑い事じゃない)
なんとなく土方さんとは、「周囲公認、当人達無自覚」的な関係が好きです。私は。
自覚あっても、当人達は一方通行片思いだと思い込んでたりする、ってのもアリだなぁ。
蛇足ながら、ヒロイン視点を一人称で書いてしまったことを激しく後悔した一品。
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