今日の天気は雨。
だから体育は、体育館内で男女合同授業。種目はバスケ。
それを聞いた瞬間から、嫌な予感はしていたのだ。
そもそも体育は苦手で。その中でも特に球技が苦手で。
だから、こうなるのではないかという予感があったのだ。
けれども、予感だけで体育を休めるほど、世の中は甘くない。
そして予感が幸運にも外れてくれるほどにも、世の中は甘くは無いわけで。
 
 
 
 
クラスメートにご用心




更に世の中甘くないことに、保健室には保健医がいなかった。
急用か会議か出張か。
いずれにしても、しばらく待っても戻ってくる気配がない以上、更に待ったところで無駄なのだろう。
その事実に、スツールに腰を下ろしていたは思わず溜息をついた。
つまり、突き指の手当てを自分でしなければならないということだ。
突き指をしたのが左手の指だったのは、まだ幸運だったのだろうか。
だが、そんな些細な幸運を喜ぶよりも今は、球技をすれば必ずと言っていいほど突き指をするという、自分の運動神経の無さぶりをは呪いたかった。
高校に入ってから、何度突き指をしたことか。
終いには保健医にも顔を覚えられて、保健室に来るたびに「また突き指?」と言われる始末。
 
「私だって、したくて突き指してるわけじゃないんだけど……」
 
珍しく、休んでいる生徒すらいない保健室。
まるで貸切状態だと思うものの、保健室を貸しきったところで、何の特典があるのか。
それどころか、手当てを自分一人でしなければならないという難業が待ち受けているだけである。
 
「やっぱり、さっちゃんに一緒に来てもらえばよかったかなぁ」
 
保健委員の彼女がいてくれれば、かなり心強かっただろう。
けれど、「付き添った方がいいかしら?」と聞いてくれたのを、丁寧に断ってしまったのだ。
授業中なのだし、何よりその時は、保健医が不在だとは思ってもいなかったのだから。
しかし今更呼びに行くのも躊躇われる話。
結局、一人でどうにかするしかないのだ。
諦めると、は立ち上がって怪我をしていない右手で棚の中を探り始めた。
何度も突き指をしているのだから、応急処置の仕方は大体はわかっている。見様見真似ではあるけれども。
包帯と、湿布と。
 
「……あれ? 湿布って、どこにあるんだろう」
 
いつもは保健医がどこからともなく出してくれるものだから、いざどこにあるのかと探してみても、皆目見当がつかない。
手当たり次第に引き出しや棚を開けてみながら、意味も無く「湿布さ〜ん、どこですか〜? 湿布さ〜ん」などと呼びかけてみる。
それで返事があるはずもない。もちろんとて、まさか湿布が返事をするなどと本気で思っているわけではない。
のだが。
 
「ここにあるぜィ」
「きゃぅっ!!?」
 
まさか返ってくるとは思わなかった返答に、は思わず悲鳴をあげた。
声のした方向を反射的に見やると、そこにいたのはもちろん湿布。などではなく。
 
「お、沖田くん……びっくりしたぁ」
「そこまで驚く事でもねェだろィ」
 
動悸の治まらない胸に手を当てて息を吐くに、沖田はやや呆れたような視線を向ける。
しかし、それは束の間。
「そこに座ってろィ」とスツールを指すと、棚の中をかき回して、あっさりと添え木らしきものまで取り出してしまった。
それどころか、言われるままに腰を下ろしているの左手を取ると、慣れたように処置を始める。
その手際のよさに、は素直に感心した。
 
「すごいね、沖田くん。こういうの、慣れてるの?」
「慣れてんのは、処置よりもその原因を作る事でさァ」
 
にやり、と笑う沖田の顔にどこか黒いものを感じ取ってしまったが、は何も見なかったことにした。
ついでに、言葉の中のどこか不穏当な部分も、聞かなかったことにする。
追求などすれば、とんでもない事実が沖田の口から軽く漏れてくるような気がしたのだ。
まさかいきなり指を変な方向に曲げられたりしないよね、などと思わず浮かんでしまった考えに、の背中をつ…と冷たい汗が伝う。
だが冷静に考えてみれば、普段、同じクラスにいる沖田は、そんな物騒な人間ではないはずだ。
 
「そういえば沖田くん、なんでここにいるの?」
「今日は保健医が休みって知ってたんでィ。で、が難儀してるんじゃないかと思っただけでさァ」
 
事も無げに口にされた沖田の言葉に、は先程浮かんでしまった考えをあっさりと改める。
心配して来てくれたとは、随分と親切ではないか。
くるくると丁寧に指に巻かれていく包帯を見つめながら、「沖田くんって優しいんだね」と何気なくが口にする。
が、包帯を巻き終えた沖田は、その端を結びながらにやりと笑う。
その表情は、賛辞に喜んでいるようでも、照れているようでもない。
何故だか嫌な予感しかしない。それは、そんな笑み。
沖田といつも喧嘩している神楽がよく口にしている、「アイツと関わるとロクなことが無いネ」という言葉が、不意にの脳裏を過ぎる。
そんなことはないだろうと、そのたびに取り成していたものだったが。
沸き起こる不吉な予感に、神楽の言葉はあながち間違いではないのかも、とは思わずにはいられない。
 
「あ、ありがとう、沖田くん。体育、戻ろっか」
 
礼を言いつつも、不安を誤魔化すように慌てて立ち上がろうとした
けれども沖田の手によって、その行動はあっさりと阻まれてしまった。
腕を引かれて、とすん、とスツールの上に戻されて。
しかしその行為の意味を問い質す間もなく、沖田の顔がのすぐ目の前へと迫ってきていた。
 
。どうせならこのまま二人でフケちまおうぜィ?」
「お、沖田くんっ!!?」
 
押しのけたくとも、両の手首を掴まれていては、それも叶わない。
何より、にやにや笑う口元に対し、冗談事など一切含まれていない、真剣そのものの沖田の眼が、を捉えて離さないのだ。
その眼に気付いてしまったが最後。慌てる事も忘れ。視線を逸らすこともできず。
ただ呆然と為されるがままのに、今にも口唇が触れ合わんばかりに沖田が近付き、そして。
  
「ほわちゃァァアアアっ!!!」
 
突如として降って沸いた声。
それが神楽のものだとが気付いた時には、目の前から沖田は消えていて、代わりに何かがぶつかる派手な音が耳に入った。
何事かと、悩む間も無い。
仁王立ちになった神楽と、戸棚の下で頭を擦っている沖田と。
これだけで、何が起こったのかは大体把握できてしまう。
 
「何すんでィ、チャイナ。せっかくこれからいいところ―――
「お前こそ、に何するつもりだったネ!!? そんなの私が許さないアル!!!」
「沖田く〜ん? それは先生の役目だから。に大人の世界を教えんのは先生の役目だから。な?」
 
今度降って沸いたのは、どこかだるそうな声。
声のした方を向けば、声と同じくどこかだるそうな眼をした銀八が、煙草を銜えながら銀髪を掻いていた。
どうして先生がここに? とは思ったものの、体育の先生か誰かが連絡したのだろうとは見当をつける。
今までに突き指をした時も、他に授業が入っていなければ銀八が様子を見にきてくれていたのだから。
そのたびに、生徒を心配するいい先生なんだなぁ、とは呑気に思っていたわけなのだが。
 
「あ〜あ。また突き指ですか、この子は。痛々しいね、オイ。
 今日はもう休め。保健医いねェけど、心配すんな。先生が添い寝して見守ってやっから」
「寝惚けたこと言ってんじゃねェよ、このセクハラ教師」
 
どうやら担任たる銀八先生は、いい先生ではなく、セクハラ教師だったらしい。
すかさずツッコミを入れたのは、ではなく、どうしてここにいるのかと、むしろその事にツッコミを入れたくなるような人物、土方であった。
心配してくれるのは嬉しいが、ぞろぞろと揃いも揃って授業をサボっているのはどうかとは思うのだ。
けれども、この場にいる誰も、のその思いを汲み取ってはいない。
 
「ん〜? 嫉妬? なに、いっちょ前に嫉妬してんの? ガキのくせに? 悔しかったらとりあえずのこと名前で呼んでみろよ」
「上等だコラァ! 今すぐ通報してやるよ、この変態教師!!」
「先生もアルか!? 先生も狙いかコノヤロー!! は私のものネ!!!」
「勝手にを私物化してんじゃねェよ、チャイナ」
 
言い合いを始められるも、その話題の中心であるはずのは、それを外から眺めるしかない。
どうしようかと考え込んでいると、やはり授業を抜け出してきたのだろうか。お妙が「ちゃん。この人たちは放っておいて、授業に戻りましょう?」と腕を引く。どうやらお妙は迎えに来てくれただけらしい。
が、安堵して素直に従いかけたところで、「お妙さ〜ん!! 探しましたよ〜〜!!!」と近藤が走り寄ってきたかと思えば、お妙が振り向きざまにラリアットを決める。
そして流れるようにエルボードロップやら膝蹴りやらを次々に決めていくものだから、結局は取り残される羽目になってしまった。
さして広くはない保健室。
そこに7人もの人間がいて、一人だけ取り残されているというのは、何やら淋しいものがある。
だからと言って、よくわからない言い合いにも、一方的暴力にも混ざりたいとは到底思えないわけで。
 
「……じゃあ私、授業に戻るね?」
 
誰も聞いていないだろうが、律儀にもは声をかける。
案の定、誰も反応を見せはしない。
少しだけ落胆したように溜息をついて、は立ち上がった。
特に誰かの気を引きたかったわけでもないのだが、それでも一抹の淋しさがあるのだ。
しかし、足を踏み出しかけたの腕が、唐突に引かれる。

―――それは、反射的に振り向いた一瞬の出来事。
 
「忘れ物でさァ」
 
目の前で、にやりと沖田が笑う。
だが、それに対してが何の反応も返せずにいる間に、なだれ込むように三人が沖田に襲い掛かる。
 
「てめェェェっ、何してんだコラァァァ!!!?」
を汚すんじゃないネェェェ!!!!」
「抜け駆け禁止って言ったばっかじゃねーかァァァ!!!!!」
 
再び目の前で繰り広げられる、よくわからない争い。
結局のところ、またもは取り残される形となってしまったのだが。
だが今度は、授業に戻ろうという気にはなれない。
なれないと言うよりも、授業のことなど完全に頭の中から消えてしまったと言った方が正しいのか。
今のの頭を占有するのは、ほんの一瞬の出来事。
 
振り向いた一瞬、口唇に感じた温もり。
 
ほんの一瞬でしかなかったものの、それでも確かに感じた温もり。
そろそろと、指先で口唇に触れてみるものの、それとは明らかに違う感触。
 
「うそぉ……」
 
思わず口をついて出た呟き。
今度こそ、それを聞いていた人間は誰もいないようだったが、それを気にする余裕は無い。
そもそも自身、誰に聞かせるという意図もなかったのだから。
騒がしい保健室。
周囲から取り残されるものの、今はそんなことはまるで気にならない。

赤く染まる頬をただただ押さえるしか、今のにはできなかった。



<終>



茨姫さまの45500hitリクで、3Zで逆ハーの沖田オチでございました。
……これ、そうなんですかね?(聞くな)
ネタを考えている途中で、展開が二転三転した結果、むしろ沖田で逆ハーオチとかいう、わけわからない感じに。
いや、ちゃんと沖田さんで落としましたよ! ええ! 頑張りましたとも!!(笑)
思えば、3Zネタを銀八先生以外で書くのは初めて……ちょっと新鮮でした。
 
それでは。茨姫さま。キリ番申告ありがとうございました〜!