夜も幾度と重ねれば
さわさわと、木々の葉が風に揺れる。
同時にふわりと鼻腔を擽るのは、酒の匂いに混じって、かすかに甘い香り。
どこから漂ってきたかなど、考える間でもない。
背中で熟睡している幼馴染を背負い直すと、「んん…」と声をあげたものの、すぐにまた穏やかな寝息をたて始めた。
さらりとした髪が風に揺れ、首筋に触れる。
むず痒いと思いながらも、どこか心地よいその感触。
そう感じてしまう自身に苦笑しながら、銀時は夜の街をゆっくりと歩く。
気持ちよさそうに寝ている幼馴染―――を、起こさないように。
丑三つ時にさしかかろうとしているこの時間。
歓楽街であるかぶき町こそは未だ賑やかだったものの、一歩その外に出てしまえば、暗く静まり返った街並みが続くだけである。
を家に送り届けるためとは言え、誰もいない街並みというのは、歩いていてあまり楽しいものではない。
ならば万事屋にを泊めさせてしまえば楽なのだが、幼馴染とはいえ年頃の女。男の家に泊まりこんで朝帰りとなれば、ご近所の評判はたちまち下がるだろう。
当の本人は、そんなものはまるで気にしないのだろうが。
仮にも幼馴染。その程度のことがわかるくらいには、互いの事を知り尽くしている。
ならば、泊めてしまっても問題は無いのかもしれない。
問題があるとすればそれはきっと、この楽しくは無いはずの夜の散歩を、銀時が厭っていないということなのだろう。
一体、いつからだったのだろう。
もはや腐れ縁としか呼べないような付き合いの中、失恋するたびにが銀時に泣きつくようになったのは。
泣き疲れて、酔い潰れて。
そんなの姿を見るたびにいつも、銀時は複雑な思いに駆られていた。
にとって銀時は、いつでも話を聞いてくれる都合のいい幼馴染でしかないのだということを思い知らされるようで。
そして何の心配もなく、その背中に揺られて眠ることのできる、幼馴染。
こうして無条件に信頼されるというのは、はっきり言って物足りない。
それでも決して悪い気はしないのだ。
今この時だけは、は銀時に身を委ねきっているのだから。
穏やかな寝息も。
柔らかな髪も。
背中に伝わる心音も。
小さくも温かな身体も。
そのすべてが、今この時だけは銀時だけのものになる。
あまりにもささやかな独占欲。
それを満たすために、銀時はこうしてを背負い、夜の静かな街を歩くのだ。
まるでこの世界に自分との二人だけしかいないような、そんな錯覚を覚えながら。
「…ん……銀ちゃ……」
不意にの口から漏れた呼び名に、思わず銀時は足を止める。
だが次の言葉を待てども、耳に届くのは寝息のみ。
どうやら、ただの寝言だったらしい。
それなのに、何やら嬉しさがこみ上げてくる。
今のが夢に見ているのは、振られた男でも他の誰でもない、銀時なのだ。
だが嬉しい反面、いつものように複雑な思いにも駆られる。
「なァ……もう、俺にしとけよ」
再び足を進めながら、ぼそりと呟く。
恋人ができたとわざわざ報告に来たかと思えば、しばらく経てば振られたと泣きついてくる。
そうして何度、は銀時の元に戻ってきたことか。
どうせ自分のところに戻ってくるのならば、最初から隣にいてほしい。泣かせなどしないから、笑っていてほしい。
もう何年、そう思い続けてきたのだろう。
それでも何も伝えずにいたのは、たとえ「腐れ縁の幼馴染」という不満足な肩書きでも、失いたくはなかったからだ。
だから銀時の口から出たのは、が眠っているからこその言葉。
伝えるつもりはない、けれども言わずにはいられなかった言葉。
―――そのはず、だった。
「……それ…同情とかじゃ、ない……?」
まさか返ってくるとは思わなかった声に、銀時は再び足を止める。
まるで人気のない夜道。この場にいるのは、銀時以外にはもちろん背中にいるもう一人しかいない。
何より、の声を聞き間違うわけもないのだ。
これもまた寝言ではないかと一瞬期待はしたものの、そんなはずはもちろん無く。
「ねぇ、銀ちゃん…それ、本気で言ってる……?」
はっきりと聞き返してくる声は、多少かすれてはいるものの、のものに間違いなく。
瞬間、銀時の背中を冷たい汗が伝う。
「……なに起きちゃってんの。なに起きちゃってんのお前」
「それよりさっきの」
「……聞いてたわけ?」
「だから聞いてるんだけど」
「マジでか」
「マジです」
伝えるつもりのまるでなかった言葉。
背中でが頷く気配を感じ取った銀時は、血の気が引くような思いに駆られる。
ついでに腕の力が抜け、思わずを背中から落としてしまう。
「ぎゃんっ!!」と悲鳴をあげられても、今の銀時には気にする余裕も無い。
それよりも、いかにして動揺を抑え、この場を乗り切るか。誤魔化すか。その事で思考が占められる。
だが。
「ねぇ…さっきの……本当に、本気?」
強張ったの声。
そして何より、嘘を許さないかのような、強い瞳に見据えられ。
これで平然と誤魔化せる人間など、どこにもいないだろう。
そんなを前にして降参した銀時は、白旗を揚げる代わりに溜息をついた。
「……あー。そーだよ。本気だよ。俺は昔っから惚れてたの。お前にな」
諦めて、問い質されるままに肯定する。
何年も幼馴染をやってきた上での、今更ながらの告白。
路上に座り込んだまま、それでも見据えてくるその視線に耐えかね、銀時は視線を逸らす。
の口から紡がれるであろう拒絶の言葉を、真正面から受けたくなかったのかもしれない。
表を歩く人間などいない夜道に、ただ二人。
沈黙に支配された場は、時の経過がやけに鈍いように感じられる。
実際には、数十秒ほどの静寂だったのだろう。
ようやく開いたの口から出た言葉は、拒絶ではなく、かと言って受諾の言葉でもなかった。
「―――ばっ、バカバカっ! 銀ちゃんの大バカ!! もう、バカっ!!!」
突如として投げつけられた言葉に、思わず銀時はへと視線を戻す。
告白の返事が罵倒とは、随分ではないか。
呆れて見下ろすその先には、膨れた顔で睨みつけてくるの姿。
その瞳からは、先程までの強い光は感じられない。
むしろ、どこか可愛げすら見受けられるのは、惚れた欲目なのだろうか。
未だ「バカバカ」と繰り返すに、今度は呆れの、そして少しだけ安堵の混じった溜息をつく。
「オイオイ。俺は一体どんだけバカなんだよコノヤロー」
「無限大にバカっ!!!!」
「……イヤ、無限大って、お前さァ」
思わず苦笑してしまってから、銀時はの前にしゃがみ込む。
静まり返った夜の街。いつまでもに騒がれては、近所迷惑になりかねない。
とりあえずを宥めようと差し出した手が、しかし不意に止まる。
先程とは明らかに違う。けれども熱を帯びた瞳。
目が合ったのは、ほんの一瞬。
その瞳に浮かぶ感情に銀時が気付く間もなく、は飛び掛るようにして銀時に抱きついてきた。
「だったら最初から言ってよ! バカ! もう、ほんっとバカっ!! ……す、好きだったのに…もう、ずっと、好きだったのに、なんで……」
肩口に顔を押し付けられて、くぐもった声だったが。それでもの言葉は、はっきりと銀時の耳に届いた。
好きだと。
確かにその言葉が、の口から発せられたのだ。
だが驚くと同時に、続く言葉に銀時はカチンと来る。
―――なんで気付いてくれなかったの、と。そう続いた、の言葉に。
思わずここが深夜の街中だということも忘れ、銀時は声を荒げた。
「気付くワケねェだろ! お前、自分がどんだけ男取っ替えてたと思ってんの!?」
「だって! 銀ちゃん、ちっともヤキモチ焼いてくれないんだもん! 私のことなんて、何とも思ってないって思って……」
「掻っ攫えばよかったのか? 『卒業』気取って掻っ攫えって言いたかったのかテメェは!!?」
そんな無茶を言う前に、お前こそ最初から告白してこいよ、と思わないでもなかったが。
しかしそれは自分も同じことだと思い直し、銀時は言葉を飲み込んだ。
銀時の方こそ、さっさと想いを告げて横から掻っ攫ってしまえばよかったのだ。それこそが最初に「彼氏ができた」と報告に来た時にでも。
それをしなかった銀時に、を責める資格は無い。
とは言え、無駄な時間を費やしてしまったという後悔を消し去ることもできない。
気持ちが通じ合ったと喜ぶよりも先に持て余してしまう苛立ちを、一体どう解消すればよいのか。
「あークソ。こうなったら行き先変更すっぞ」
「へ?」
苛立ちを隠しきれずに頭を掻くと、間の抜けた声をあげるの腕を引きながら立ち上がる。
そのまま銀時が足を向けたのは、今まで向いていたのとは逆の方向―――元いた歓楽街へと向かう方向。
有無を言わせず腕を引く銀時に、は慌ててついていく。
「ちょっと待って! どこ行くの!?」
「どこって、ラブホ」
「なんでそうなるのっ!!!??」
「今まで我慢してたツケを払ってもらわねェとな。何年分だ? 20年分?」
が思わず叫んでも、どこ吹く風。
ただにやりと笑ったまま、銀時はの腕を強引に引くばかり。
今まで散々振り回されたのだ。この程度はバチも当たらないだろう。
その証拠に、も口では文句を言いながら、腕を振り払おうとはしない。
無条件に信頼される「幼馴染」も、それはそれで悪くは無かった。
けれどもやはり、文句を言われながらも並んで歩ける「恋人」という立ち位置は、何ものにも替えがたい。
何年も燻らされていたこの想い。そのツケをどう払わせようか。
そんなことを考えながら銀時は、と二人、並んで歩く。
背中に感じていた温もりを、今はすぐ隣に感じながら―――
<終>
蒼井ナナさまから、50000hitリクでございました〜!
銀さんで幼馴染設定! ビバ・幼馴染!!
何だか一人で盛り上がりながら、書いてしまいました。
ご期待に少しでも沿えていると嬉しいのですが……
キリ番申告、ありがとうございました〜!
で、気付けばもう55000hit寸前なのですが。
何を私はトロトロと書いていたのでしょうか……すみません。
と言いますか。
何気なくネタにしましたけど、「卒業」って映画、皆様ご存知なのでしょうか。
いや、私も見たことはないんですけど。でもラストシーンは有名だからなぁ……
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