五月晴れと呼ぶに相応しい一日を予感させる、そんな朝。
鳥の鳴く声。雲一つない空。部屋に差し込む朝日。
これ以上ないほどに、目覚めのよい朝―――であるはずが。
ここは真選組屯所の一室。
そこで寝起きしている真選組副長こと土方十四郎は、布団の中で硬直していた。
指先すら動かせず、ただ一点を見つめるしかできない。
まるで幻覚を見ているのではといった驚愕が、その表情には表れている。
視線の先では、一人の女がすやすやと眠り込んでいた。
知らない女ではない。
だが、むしろ知らない女であった方が、いっそ現実味があったであろう。
それほどに、目の前の現実はありえないものだったのだ。
目の前で眠りこけているのは、。真選組一番隊隊士。
土方にとっては、天敵と呼んでも差し支えないような女―――
サイケデリック・バースデー
「おはよーございます。副長」
目を開けたは、驚いた様子も無く挨拶を口にする。
にやりと笑うその口元は、明らかに何かろくでもないことを企んでいるという証。
爽やかな朝には似つかわしくない頭痛が、土方を襲う。
だが、それこそが常のの姿。
ありえない現実から引き戻されたおかげで硬直も解け、土方はゆっくりと身を起こした。
つられるようにしても身を起こし、居住まいを正す。
普段、周囲を、特に土方をなめきったかのような態度しか見せないのその姿に、しかし訝しんだのは束の間のこと。
「今日、副長の誕生日ですよね」と前置きすると、は床に指をつき、深々と頭を下げた。
「これで副長も三十路目前ですね。おめでとうございます」
「ちっともめでたくねェ言い方だな」
「じゃあ、老境にまた一歩近付き、このたびはご愁傷様です」
「なんで誕生日に哀れまれなきゃならねェんだ!!?」
土方が怒鳴りつけると、はへらへらと笑いながら顔を上げる。
そこにいるのは、いつも通りの。
随分な誕生日の祝い言葉に、よりいっそう頭痛が酷くなるのを感じる。
なぜ朝からこんな目に遭わなければならないのか。
これまで生きてきた中で、最悪な朝である。誕生日の朝としては。
しかしこの最悪は、決して最悪ではなかったのだ。
「ところで副長。誕生日ですのでプレゼントあるんですよ」
「てめーからのプレゼントなんざいらねーよ」
「今日は一日、つきっきりで私が副長のお世話してあげますよ。喜んでくださいご主人様」
「喜べるかァァァ!! いらねェっつってんだろォがァァァ!!!!」
―――こうして、土方十四郎、最悪の上に最悪を塗り重ねた悪夢のような一日が幕を開けたのだった。
− 朝の一幕 −
「副長。はい、あ〜ん」
「…………」
「あ、副長じゃマズかったですか? じゃあご主人様、お口をお開けくださいまし」
「誰がてめーのご主人様だァァァ!!!?」
「土方さん。食事中にうるさいですぜィ」
「そうですよ、ご主人様。食事は静かにとるものですよ?」
「うるさくさせてんのは誰だと思ってやがる!?」
「人のせいにしたがるのは、年をとった証拠でさァ」
「まさに老境に近付いてるんですね。やっぱり今から慣れておきましょうよ。介護される事に」
「俺を年寄り扱いすんじゃねェェェ!!!」
「カルシウムが足りないですぜィ、土方さん」
「ご主人様。小魚をお食べくださいまし。はい、あ〜ん」
「ふざけんじゃねェェェ!!!!」
朝食の席での一騒動。
沖田までにやにやと笑っているところを見ると、どうやらグルらしい。
他の隊士たちは、とばっちりを食わないように静観してはいるが、笑いを堪えているのが丸わかりだ。
おかげで、朝食を食べるどころではない。
苛立ちを隠そうともせずに、土方は邪魔しかしてこないを押しのけた。
しかし、一日はまだ始まったばかりなのである。
− 昼の一幕 −
「ご主人様、お煙草を吸われるのでしたら、火をどうぞ」
「…………」
「あら? 箱に戻して。吸わないんですか?」
「吸う気になれねーよ」
「何かお気に障りましたでしょうか、ご主人様」
「その呼び方が気に障ってんだよ!!!」
「じゃあ、どうしましょう」
「『パパ』って呼んだらどうでさァ」
「ああ、なるほど。――ねぇパパぁ、見廻り疲れちゃったぁ。あそこで休憩しよー?」
「……てめーらァァァ!! 大概にしやがれコラァァァ!!!!」
「パパ、怒っちゃイヤv」
「そんなに怒鳴っちゃ、周囲の注目を浴びますぜィ?」
「え? 衆人環視プレイが好きなんですか? マジで?」
「俺は構いませんぜィ」
「そりゃあ沖田隊長だから―――あ、ふくちょ、じゃない、ご主人様、先に行かないでくださいよ!!」
鬱陶しさしか感じない、の行動。
試しに「本気で俺の誕生日を祝う気があるなら、俺の目の届かないところで大人しくしていろ」と言ったのだが、あっさりと却下された。
当然ながら、市中見廻りの最中であろうとも、は付きまとってくる。
どこの水商売の女かと思うような言動に、土方はますます頭が痛くなる。
その隣でにやにやと笑っている沖田を、いっそ斬り捨てたい衝動に駆られるほどだ。
相手が去らないのならば、自分が去るしかない。
一体なぜ自分がこんな目に、と本日何度目になるかわからない思いを土方はまたも抱いたのだった。
− 夜の一幕 −
「ご主人様ー! お背中流しに来ましたー!」
「オイィィィ!!? 何してんだてめーはァァァ!!!!!」
「だからお背中流しに来たんですよ、ご主人様」
「来てんじゃねェよ!! 今すぐ恥じらいってもんをどこかで買って来い!!!」
「探したんですけど、品数豊富な100均ショップでも売ってないんですよね」
「あー、そーかよ。わかったから今すぐ出てけ、今すぐ」
「ダメですよ。何のために私が来たと思ってるんですか」
「来なくていい! 場所を弁えろ! 風呂場にまで来るんじゃねェ!!」
「遠慮しなくていいんですよ、ご主人様v」
「その呼び方はやめろっつったろーが!!」
「でも胸使って洗うのは無しですからね。ソープ嬢じゃあるまいし」
「誰も頼んでねェェェ!!!」
これほどまでに悪質な嫌がらせを、土方は他に知らない。
風呂にまで付きまとってくる女がどこにいるというのか。
ここまで来ると、常軌を逸しているとしか思えない。
浴衣姿とは言え、へらへらと緊張感のない顔で風呂に入ってきたに、土方の方が恥ずかしさを覚えてしまう。
しかし怒鳴りつけたところで、にとっては馬耳東風。
「洗わせろ」「出て行け」との問答は延々と続き。
一日の疲れを落とす入浴時間のはずが、今日の土方にとっては疲労が更に蓄積された時間となってしまった。
* * *
「え。ご主人様、まだ仕事残ってるんですか」
「誰のせいだと思ってやがる」
「それはもちろん、ご主人様自身のせいでしょう。要領悪いんじゃないですか?」
「そうか。今すぐてめーの腹切ってこい。それで仕事の能率が上がる」
夜も更けた頃合。
それでも尚、の付きまといは止まらない。
本人曰く「誕生日はまだ終わっていないから」らしいのだが、どう見てもまだからかい足りないのだとしか思えない。
ちっとも片付かなかった仕事の山にようやく手をつけ、土方は諸々の思いが詰まった溜息をついた。
どうやら今夜の布団は、遥かに遠くにあるようだ。
唯一の救いと言えば、最初こそはうるさかったが、いつの間にか大人しくなっていたことくらいか。
仕事に集中するために、の馬鹿にしたような言葉を尽く無視し通したのだ。も面白くなくなったに違いない。
とは言え、こうなったそもそもの原因がにあるのだから、感謝するつもりは毛頭ないのだが。
書類に目を通し、筆を走らせ。
ようやく半分を終わらせたところでふと時計に目をやると、すでに針は12時を回っていた。
それはつまり、誕生日は過ぎたということで。
更に言えば、の付きまといはもう終わったと。そういうことになる。
「オイ。俺の誕生日はもう終わったぞ。さっさと部屋に戻りやがれ」
清々とした気分で振り向くと、そこに座っていたはずのの姿がどこにも無い。
土方が指摘する前に部屋に戻ったのか。
それにしても、一言も無かったというのがらしくない。ふざけきった態度しか見せなくとも、その程度の礼節は弁えているはずなのだ。
むしろ、そこを弁えているからこそ、他の常識を完全に無視した行動に余計に腹が立つというものだ。
しかし疑問に思ったのは一瞬。
静まり返った室内に響く、穏やかな寝息。
その音につられるようにして視線を下方へと移動させれば、そこにはすやすやと眠り込んでしまっているがいた。
そして、脇に置かれた盆の上には茶と茶請け、「副長、お疲れ様でした」と書かれたメモが乗せられている。
にしては珍しい気遣い。毒でも盛ってあるのではと思いかけたが、それは無いと瞬時に否定する。の性格からして、仮に毒だか何だかを盛ろうものなら、眠気を押してでも結果を確認するに違いないからだ。
湯呑みに手を伸ばし、一口啜る。
冷めて温くなってはいたものの、それでもの気遣いを嬉しいと思ってしまう自分がいることに土方は気付いた。
普段はその言動からまるで意識させられないが、珍しい気遣いとその寝顔に、やはりは女なのだということを感じずにはいられない。
さらりと畳に流れる髪、閉じられた目を縁取る長い睫、うっすらと開いた紅い口唇、着崩れた着物に包まれた細い身体に、寝息に合わせてゆっくりと上下する胸。
朝は衝撃のあまり気にも留めなかったそれらは、男を惹きつけるには十分すぎる要素である。
「……調子狂わせんじゃねーよ」
茶請けの菓子を口に放り込み、冷めた茶を飲み干して。
苦笑交じりに土方は呟く。
しかし、こういう狂い方ならば悪くないかもしれない。
湯飲みを盆に戻すと、頭を掻きながら土方は残る書類へと向き直った。
一時間後。
仕事を片付け、まさか同じ部屋で寝かせるわけにはいくまいとを起こしにかかったものの、目を覚ます気配がまるで無く。
仕方なくそのまま寝かせた翌日。
何故か屯所中に広まった「副長があのとデキた」などという噂話と、にやにや笑うと沖田の姿に、少しでも見直した自分がバカだったと土方が頭を抱え込んだのは、また別の話。
<終>
土方さん、お誕生日おめでとーございます!!!
って、本気で祝う気があるのか謎な話をアップしてしまいました。
いえ。祝ってますよ? マジで祝ってますから。
単に副長苛めるのが好きってだけで(ヲイ)
スミマセンごめんなさい。
そして、土方さんに二十代後半であってほしいのは、私の願望です。
いやほら、「燃えよ剣」だと、二十代後半から三十代ですし。ね? ね?
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