熱体験
銀さんが風邪をひいた。
バカは風邪ひかないって、あれ嘘だったんだ。とか。
鬼の霍乱ってこういうこと? とか。
わざわざ報告に来てくれた神楽ちゃんと一緒に、銀さんに対する結構な暴言を吐いたところで。
それでも、心配なものは心配で。
ほら。普段風邪ひかない人がひくと、酷いことになるって言うし。
銀さんバカだから、普段は風邪ひいたりしないだろうし。
となると、今ひいてる風邪は、酷いものだという結論になるわけで。
そう。酷い風邪だろうから少しだけ心配になっただけで。
何が何でも心配だとか、そういうわけじゃなくて。
もう、誰に対して言い訳してるのだか、自分でもわからないけど。
そんなわけで私は今、万事屋の玄関の前に立っている。
いつもなら無遠慮に開けて堂々と上がりこんで勝手知ったる我が家の如くに冷蔵庫の中を漁ったりテレビを見たりするくせに。
何故だか今日ばかりは、そんな気分になれやしない。
それもこれも、銀さんが風邪なんかひいたりするからだ。
おかげでいらない気遣いをする羽目になるんだ。私が。
呼び鈴を押すかどうかまで悩んだけれど、そうするとますます私らしくなくなる。
なんだか癪に障って、これくらいはいいだろうと玄関を思い切り開け放つ。
「……おじゃましまーす」
玄関を開け放った勢いはどこへ行ったのか。
我ながら情けなくなるような、か細い声。
いつも賑やかなはずの万事屋内は、今日に限っては静まり返っていて。
大きな声を出すのは、いくら私だって憚られる。
何もかも、調子を狂わされてる気分。それもこれも銀さんが風邪なんかひくから。
すべての原因はそこなの、そこ。
開けた時とは逆に静かに玄関を閉めると、足音を忍ばせて部屋へと上がりこむ。
あまりにも静かな万事屋内。
誰もいないんじゃないかと思うほどだけど、玄関の鍵が開いてたんだからそれは無いだろう。
銀さんは寝てるとして、神楽ちゃんは薬を買いに行くとか言ってたし。じゃあ残るは新八くん―――
「あ。いた」
「うわぁぁあああぁっ!!!??」
……イヤ。そこまで驚かなくても。
台所にて新八くんを発見。思わず声を漏らすと、過剰なまでに反応されてしまった。
なんか失礼だな。
「あ…、さん……いつの間に」
「今さっき。声かけたんだけど、気付かなかった?」
「どんな声だったんですか。少なくともいつもみたいなけたたましい声じゃなかったですよね?」
前言撤回。ものすごく失礼だ。
誰がいつけたたましい声を……あげてた、かなぁ。
「い、イヤ! なんて言うか、普段なら高らかに笑いながらずかずかと上がりこんだ挙句に銀さんを踏みつけにして寛いでるイメージしか無いものだから音も無く現れられると不気味と言うか驚くに決まってるじゃないですか!!」
「何その歪んだ人物像。どこの誰」
「自覚無いんですか、アンタ」
前言更に撤回。破壊的なまでに失礼だ。
睨みつけると、新八くんが怯えたように後ずさる。
それはそれとして。この子をこれ以上苛めても、何の益も無いし。
視線を外すと、まず目に入ったのは火にかけられたお鍋。
目の前にお鍋があれば、まず中身を確認。まるで条件反射のような行動だけど、それでもやっぱり中身を見てしまう。食い意地でも張ってるんだろうか、私。
「お粥? 銀さんの?」
「食欲無いらしいんですけどね。でも食べないと治るものも治らないですし」
「確かに、何か食べないと薬も飲めないしね」
薬は飲んだの? と聞けば、新八くんは首を横に振る。
飲む気力も無いほどに酷い病状なのか、と本気で心配したのも束の間。
深々と溜息をついた新八くんが口にしたのは、呆れ果てるしかない銀さんの言動だった。
「甘いシロップか糖衣じゃなきゃ飲まないって言い張るんですよ」
「風邪こじらせて死ね、って言えば?」
どこのガキだ、あのバカは。
そんな甘ったれたことが許されるのは3歳児までだ。
腐った性根を叩き直してやろうかと思案していると、新八くんに「乱暴なことしないでくださいよ。家を破壊されたら困るんですから」と釘を刺されてしまった。
読心術でも心得てるの、アナタ?
って言うか、破壊活動に勤しむような人間に見えるの、私?
お願いだから、そんな間違った認識を持たないでほしい。
私はいたって普通の人間だ。単に、相手によって対応の仕方が変わるってだけで。
「さん、すみません。鍋、見ててもらえますか?」
「へ?」
「仕方ないんで、薬買ってきます」
「神楽ちゃんが買いに行ったんじゃなかったの?」
「普通のを頼んだんですよ」
まさか薬にまで甘さを要求するとは思わなかったですし、と溜息をつきながら、新八くんは行ってしまった。
私、鍋見てるだなんて返事してないのに。まぁいいけど。暇だし。
ぐつぐつと音をたてる鍋をぼんやりと見ていることしばし。
見ているということはつまり、当たり前だけど目の前にあるわけで。
目の前にあるということはつまり、当たり前だけど匂いが鼻に届くわけで。
……美味しそう。
途端、ぐぅ、と鳴る私のお腹。
ああもう。罪だね、このお鍋。と言うかお粥。
食べてくれと言わんばかりの匂い。
そう。罪があるのはお粥であって私じゃない。
ついうっかり手が伸びて、左手にお鍋の蓋を、右手にれんげを持ってしまったとしても、それは私が悪いわけじゃない。
更にはお粥を一匙すくって口の中に入れてしまったとしても、それはだからお粥に罪があって私は冤罪というか。
「ん。美味しー……」
「勝手に人ん家の飯食ってんじゃねーよ」
……イヤイヤ。これはアレだから、アレ。
「すべてはお粥に責任があるんであって、どうして銀さん寝てないの? 寝てなよ、いっそ永遠に」
「お前は俺を殺したいんですかコノヤロー」
「殺したいほど愛してる、とか言ったら満足ですかコノヤロー」
「棒読みで言われると余計に恐怖感煽るってわかって言ってんのか?」
それはあくまで聞き手の問題であって、別に私にそういう意図は無いし。
でも、なんだ。銀さん、思ったより元気そうじゃない。
いつもみたいにくだらない応酬できるし。立って歩けるし。顔は赤いけど、許容範囲?
心配して損した。
これは、無駄な心配をさせた慰謝料としてお粥を食べても何ら問題ないと。そういうことに違いない。
「って言うか、いきなり私がいて、驚いたりしないわけ?」
「驚いてんだよ。驚いてんだよ、これでも」
ちっとも驚いてるように見えないんだけど。
それとも、風邪をひいてるからそう見えないだけなんだろうか。理屈はわからないけれど。
ふらつくその足元を見ると、思ったより元気だったとは言え、やっぱり病人なんだと思う。寝かせた方がいいな、これは。
お粥はひとまず後回し。銀さんを布団の中へ戻すことが先決。
いつまでも持ったままだったお鍋の蓋をして、火を止めて。
瞬間、背中にぼすん、と重みが増した。
首に回された腕。何より、視界の端に入る銀髪。重みの原因なんか、わかりきっている。
「えーと。重いんですけど?」
「アレだ。俺の愛の重みだ。受け止めろ」
「熱計った? 38度? ダメだそりゃ」
天パーの愛なんか、誰もいらないっての。なんか歪んでそうじゃない。天パーっぽく。
熱に浮かされてるよ、この人。
ああもう。これは本当に布団の中へ押し込んでおかないと。
だけど、後ろから圧し掛かられてるようなこの状態。銀さんが動くつもりになってくれなければ、私も動けそうに無い。
私の自由意志は現在進行形で剥奪されてるわけですか。なんて理不尽な。
「銀さん、重いんだけど。今すぐ布団に帰ってくれない?」
「なんでよォ、おめェがここにいんだよ……」
「イヤ、私の話聞いてる? 直球で表現するなら『どけ』って言ってるんだけど」
「気持ちいいじゃねーか、チクショー……」
は? 何が? 私の罵詈雑言が? 銀さん、Mに目覚めちゃってるの?
熱って、人の性癖まで変える力があるのか。そりゃすごいな。
―――なんて、バカらしいことを考えてる場合でもなくて。
さすがに罵詈雑言が気持ちいいとかなんとか言ってるわけじゃないだろう。
「えーと、銀さん? 布団に戻った方がよくない?」
「イヤだね。俺はここがいいんだよ」
子供のような我侭と口にするや、甘えるように頭を私の肩に擦り付けてくる。
完全に熱で意識ぶっ飛んでるよ、これ。
でなきゃ、銀さんがこんなことするわけない。しかも私に対してだなんて。
熱くなった体温が、背中から直に伝わってきて。
耳に届くのは、熱い呼吸音。
もう喋るのも億劫なのか、何も言おうとしない銀さんに、私の調子が狂わされる。
頬が熱いのは、銀さんの熱が移ったからかもしれない。
でも、それなら胸がドキドキするのは? この動悸の原因は?
この状況を持て余して、私は何となく目の前のお鍋の蓋に手を伸ばす。
左手に蓋を、右手にれんげを。
「他にどうしろって言うの、私に」
背中に肩に。感じる重みや体温を、気にしたくなくて。
お鍋の中のお粥を、気を紛らわせるためだけに私はただひたすら口へと運ぶ。
味なんか、ちっともわからなくなっていたけれど。
その後、神楽ちゃんと一緒に帰ってきた新八くんに、私はお粥を食べつくしてしまったことを、銀さんは布団の中で大人しく寝ていないことを、こっぴどく叱られてしまったのだけれど。
その方が私達らしくて。何となく安心してしまったのは、ここだけの話。
<終>
実は、
「甘いシロップか糖衣じゃなきゃ飲まないって言い張るんですよ」
「それどこのアホ道士?」
なんて受け答えを書きかけたのですが、一体どれだけの人がこのネタわかるのかと思って、やめました。
ついでに、賑やかしく万事屋内に侵入するであろう普段のヒロインの姿を想像すると、何故か榎さんとダブってしまい、一人笑ってしまったのは私です。
道士と榎さんと、どっちも通じる方がいらっしゃったら、是非ともお友達になってください(何
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