赤い月
今夜は満月。
夜空に架かるは赤い月。それは、柔らかく夜道を照らしてくれる常の月とはまるで様相を異にする。
毒々しささえ孕むような。見る者に恐怖や嫌悪を与えかねない、そんな色に染め上げられている、今夜の月。
窓の縁に腰を下ろし、その月をぼんやりと眺めている女が一人。
漆黒の衣裳に、白い肌が映える。
だが、その白さを更に際立たせているのは、虚ろな表情を浮かべる顔の中でやけに目立つ一滴の深紅。血。
頬についたそれを拭うことも無く、女はただひたすらに夜空を見上げる。赤き月と声なき言葉を交わす。まるで月に捕われたかのように。
「―――」
その声に、まるで呪縛から解けたかのように、名を呼ばれた女―――は、室内へと視線を戻す。
虚ろな瞳に焦点が戻り、室内の様子が誤魔化しようもなくその眼に映る。
畳敷きのやや広い部屋。しかしまるで広く見えないのは、倒れ伏す幾人もの人間のせいか。畳を赤く染め上げる、おびただしい量の血のせいか。
目の前に広がる、嘘偽りなき死。彼女が作り上げた世界。
普通であれば目を背けたくなるようなその光景に、しかし声の主は眉を顰めたのみ。平然と敷居を跨ぎ、血溜まりを踏み付ける。
「相変わらず手加減ってのを知らねェヤツだな」
「……加減なんかできませんよ……命張ってる時に」
だがその言葉が決して真実というわけではないことを、この場にいる二人ともがわかっていた。
もっと単純に、はわからないだけなのだ―――手加減の仕方というものが。
一度その刀を抜けば、は躊躇いなく相手の急所を斬りつける。
正確無比なその動きに、まるで妖刀にとりつかれたかのようだと、目にした隊士たちは揃って口にする。
真実そうであったならば、いっそどれほど楽だったことか。
しかし、これは他の何によるものでもない、の実力。
そしてそれをに教え込んだのが、他でも無いこの男―――土方なのである。
真選組にいる以上、命に関わる危険に晒されることになる。
殺される前に、相手を斬る。それは、の身を守るがために教えた術だった。
そしては、その教えを忠実に実行しているだけなのだ。
故にこの現状は、土方に責があると言っても過言ではない。他の斬り方など、は教えられてはいないのだから。
目を見開き絶命している男の中に、今回の捕縛対象である攘夷一派のリーダーの人相を見つけ、土方は舌打ちをしたい気持ちに駆られる。
できればこの男から色々と尋問したかったのだが、今となってはそれは地獄の閻魔でもなければできない話だ。
それでも土方はを責めることはない。
責めることなど、できるわけがない。今のようなの様子を見せられては。
「顔くらい拭いたらどうだ」
言われても、は動こうとしない。
どこかすっきりと働かない思考。頬についた返り血のことを言われたのだとがようやく気付いた時には、焦れた土方に解いたスカーフで拭われていた。
その行為に素直に「ありがとうございます」と会釈して、は再び夜空へと視線を戻す。
「でも、あれは拭けませんよね」
「あァ?」
の視線を辿れば、その先には妖しく光を照らす月。
赤い、月が。
「血の色ですよね。今日の月は。血の……私が、斬って、殺した、血の」
「!!」
語気を荒げて、土方はの言葉を遮る。
遮られ、言葉こそ止めたものの、は月から視線を外そうとはしない。赤い月に魅入られたかのように。己の罪から目を逸らせないかのように。
―――こんなつもりではなかったのだ。
生気が失せたかのような表情をさせたかったわけでもない。
自虐的な言葉を吐かせたかったわけでもない。
ただ、死なせたくなかった。
どのような形であれ、生きてほしかった。
真選組隊士としての在り方など、二の次だった。隊士としてではない、自身を失わずに済むように。
ただそのためだけに、土方はに剣を教えたのだ。
に罪があるのならば、それは土方にも言えることではないか。
「後悔、してるか?」
「……して、ないです。後悔は」
何に対する後悔を聞いたつもりだったのか。
問うた土方自身にもそれはわからなかったが、はきっぱりと否定した。後悔は。
ならば他の何かが、を責め苛むのか。
何かが。
赤い、月が。
「」
名を呼ぶと、先程と同じく顔を向ける。
―――赤い月がを責め苛むとすれば、のこの虚ろな表情が土方を責め苛む。
手前勝手な望みと行為の結果が、今のなのである。たとえ、これを望んでいたわけではなかったのだとしても。
のためを思うならば、今すぐにでも暇を出してやって二度と関わらせないのが一番なのであろう。
だが土方は、たとえ何があったところで、を手放す気にはなれないのだ。
自嘲するほどに、どこまでも身勝手な思い。
せめてのためにと土方がしてやれることは、精々が一つ。
「てめーが何しようと、俺は責めねェよ」
「…………」
「辿り着く先が地獄だろうと何処だろうと、てめーと俺の行き先は同じだ」
同罪だからな、と。
その土方の言葉を理解するまでに、時間を要したためか。
ややあって、はくすりと笑みを零す。
切なく儚いその微笑みに、身を屈めると土方は口唇を重ねる。
たった今の言葉を誓うかのように。
いつまでも離れることのない二つの影を、赤い月だけが無言で見下ろしていた。
<終>
無性にシリアス書きたくなって、勢いで書いてしまいました。
それだけです。下手なコメディ書くより恥ずかしい。
……まぁ、たまのことですので、見逃してやってくださいまし。
|