RAINY TRICK



午後からの降水確率は80%との予報。
珍しくも当たった天気予報。けれども朝の憂鬱なまでの曇天を目にすれば、天気予報を見ていなかったにしても折りたたみ傘くらいは持ってくるに違いない。
外は、ドシャ降りの雨。
すっかり薄暗くなった校舎の中を、土方は足速に歩いていた。
最終下校時刻はとっくに過ぎた時間。他に生徒は誰もいない。
いつものようにサボった沖田と、お妙を追い掛けていってしまった近藤の分まで委員会の仕事を片付けていたら、すっかり遅くなってしまったのだ。
右肩に鞄を引っ掛け、左手に傘を持ち。
誰もいないはずの昇降口まで来たところで、土方は話し声を耳にした。
 
―――いんだって、俺は」
「ダメですよ、先生。あんまりサボると、教育委員会から目つけられちゃいますよ?」
「お前はそんなコト気にしなくていいって言ってんじゃん」
「先生が気にしなさすぎなんです」
 
昇降口に近づくにつれ、次第にはっきりと聞こえてくる会話。
どちらの声も、聞き覚えがあり過ぎるほどにある。
クラスの下駄箱の前までやって来たならば、そこで立って話していたのは、予想通りの二人。
 
「あ? なに、お前まだいたの?」
 
眉をひそめる担任の銀八と。
 
「あ、土方くん!」
 
にこにこと笑うクラスメート、
銀八はともかくとして、なぜがまだ学校に残っているのか。
夏とはいえ、こんな天気だ。普段ならまだ明るい時間だが、今日に限ってはすでに暗くなりつつある。
だからこそ今日は、生徒たちはこぞってさっさと帰ってしまったのだろう。
 
「って言うか、コイツ傘忘れたんだと。今日に限って。バカじゃね?」
「ひどっ! 生徒に向かってバカはないじゃないですか、バカは!」
 
は膨れて言うが、悪いが銀八の言うとおりバカではないかと土方も思う。
その冷めた視線に気付いたのか、はきまり悪そうに「それは私だって、バカだとは思うけど…」と口篭った。
 
「で、でも! しばらく待ってたら雨弱くならないかなぁって思って!」
「さっきより明らかに強くなってんぞ?」
「弱くならなかったらどうするつもりだよ」
 
銀八と土方にほぼ同時に指摘され、は困ったように笑う。
だが困ったところで、何かが解決するわけでもない。
雨足は強まる一方。弱くなるまで待っていたら、一夜を学校で過ごす羽目にもなりかねない。
 
「だから言ってんじゃん。大人しく先生に送られなさい」
「うぅ……」
 
どうやら先程からの押し問答の原因はこれだったらしい。
素直に送ってもらえばよいだろうに、何故かは頷こうとしない。
 
「さっきからこれだよ。お前も何とか言ってやってくれよ、多串くん」
「誰が多串だコラ」
「って言うか本当は、先生がセクハラしてきそうだからイヤなんです!」
「う! クリティカルヒット!! 先生に100のダメージ!!」
「マジでセクハラするつもりだったのかよ!?」
 
大袈裟にのけぞる銀八が否定しなかったことに、土方は思わず怒鳴り付ける。
隣ではが「やっぱり」と言いたげに冷めた視線を銀八へと向けていた。
それでも教師かと言いたいところだが、銀八が教師らしい面を見せることなど、それこそ数えるほどしかない。
呆れたところで、それは今更なのかもしれない。
溜息一つを吐き出すと、土方はヘと向き直った。
 
「駅まででいいか?」
「え?」
「送ってやるよ。駅まではな」
「ほんと!? ありがとう!!」
 
土方が申し出ると、銀八に対する態度とは正反対には素直に礼を言う。
銀八の時のように即座に却下されたりしたら、と思わないでもなかったのだが、杞憂だったらしい。それだけ土方には信用があるということか。
しかしそれが銀八にとって面白いわけがなく。
にこにこと嬉しそうに笑うの額を軽く小突く。
 
「オイ。コイツだって送り狼になるかもしんねーぞ? それより先生といいコトしに行こ―――
「土方くんは先生と違いますもん! ねぇ?」
 
しかし無条件に信用されるというのも、一抹の淋しさを感じないでもない。
不意に過ぎったそんな考えを振り払うと、土方は靴を履き替える。
つられるようにもまた、慌てて靴を履き替えて土方を追った。
そんな二人の後姿に、何かを心得たのか、納得したような表情を浮かべる銀八。
頭を掻くと、「!」と呼びかける。
振り返ったに、にやりと笑いかけて一言。
 
「ま、頑張れや」
「え……うん! ありがと、先生!」
 
何を言われたのかわからなかったのは一瞬。理解するや、恥ずかしそうな笑みを浮かべては銀八の言葉に答える。
一人わからないのは土方。
だが「何かあったのか?」と聞いても、は「うん、ちょっとね」と曖昧な返事をするのみ。
気にはなったものの、それはの問題であり、自分が聞いていない会話の中で何かあったのかもしれない。
追及することでもないと感じ、土方は黙って傘を差す。
促すと、恥ずかしそうにしながらもがその下へと入ってくる。
それを確認すると、土方は雨の下へと足を踏み出した。
 
「お前、俺がいなかったらどうするつもりだったんだ?」
「え? でもいるのわかってたから。下駄箱に靴が残ってたし」
「……俺が傘持ってるかはわからねェだろーが」
「朝、持ってるの見てたし。それに土方くんは、バカじゃないでしょう?」
「……送ってやるって保証も」
「だって土方くん、優しいもん。絶対に送ってくれるって思ってたから」
 
歩きながら、土方はどことなくむず痒い思いに駆られる。
正面きって「優しい」などと言われることには慣れていないのだ。
それでも、それが嬉しくないわけではない。
には悟られないように、少しだけ傘をの方へと傾ける。
自分の肩に雨粒が落ちるが、遠慮がちに少し離れているが濡れてしまうのを防ぐためには仕方が無い。
しかし離れていると言っても、所詮は一つ傘の下の話。教室内で言葉を交わす時以上の至近距離には違いない。
間近に見る、の姿。向けられる瞳も、言葉を紡ぐ口唇も、細い身体も。何より、その顔に浮かべられた笑顔が。
見慣れているはずのそれらが間近にある。ただそれだけのことに、土方は何故か動揺せずにはいられなかった。
けれども平静を装い、他愛も無い級友や先生の話、授業の話を適当に交わす。
その努力実ってか。
駅に着いて尚、が浮かべる笑顔が曇ることはなかった。
 
「本当にありがとう、土方くん」
 
いつも何気なく見ているはずの笑顔が、今に限っては何故か正面から見られない。
どことなく気恥ずかしい思いに、土方はさりげなくから顔を背けた。
しかし視線を逸らすことはできても、気を逸らすことまではできない。
「ごめんね。濡れちゃったよね」とハンカチで肩を拭いてこられては、の存在を感じないわけにはいかない。
傘を畳みながら、極力から気を逸らそうとする土方ではあったが、果たしてそれが成功していたか否か。
 
「……もう一つ、謝らなくちゃいけないことがあるんだけど」
 
その言葉に思わず振り向くと、は困ったような笑みを浮かべていた。
一体、何を謝る必要があると言うのか。
無言で促すと、は自分の鞄を開け、中から何かを取り出した。
何かを―――折りたたみ傘を。
 
「私、そんなにバカじゃないから。本当は」
 
うっすらと頬を染めて、そう一言。
告げるだけ告げると、土方の反応も待たずに「じゃあね」とは改札を通り抜けていってしまった。
理由も釈明も無く。
駆けていってしまったの後姿を呆然と見送りながら、土方の脳裏を過ぎるものは。
 
一つ傘の下、間近に感じた小さな肩。
向けられた、屈託の無い瞳。
本当は持っていた、傘。
去り際に見せられた、恥ずかしげな笑顔。
そこに見え隠れする、の本音。
 
果たしてその答えに、間違いは無いのか。
正解を知る当の本人は、すでにその背中も見えなくなっている―――だが、まだホームにはいるだろう。
思い立つや、土方もまた改札内へと駆け込む。

遠回しに示された本音を、の気持ちを、直接問い質すために―――



<終>



好きな相手と相合傘をするための常套手段ですね(笑)
この話書いてて、雨の日に先生にお持ち帰りされるの図もいいなぁ、とか何とか思ってしまいました。