夏のお嬢さん
障子が開け放たれた一室。
中へと入ろうとせず、その部屋の前に群がる隊士たち。
こんな光景を屯所内で目にし、土方は思わず足を止めた。
仕事をサボっている隊士たちへ一言言わねばということもあったのだが、一体その部屋の中に何があるのか、あるいは何が起こっているのか。気になったからでもある。
「オイ、どうした」
話し掛けながらも、視線はすでに室内へと向けている。
が、中の状況を把握した瞬間、土方は口にしていた煙草を落としそうになった。
落とさずに済んだのは、実のところ奇跡にも近い。
それだけの状況が、目の前にあるのだから。
うだるような暑さ。
隊服はもとより、普段着ですら着ていることに苛立ちを覚えずにはいられない、そんな一日。
だから気持ちはわからないでもない。
わからないでも、ないのだが。
「てめーら、仕事しろ仕事!!」
怒鳴りつけ、目の前の障子を音をたてて閉める。
一瞬は不満そうな表情を見せた隊士たちも、土方の形相を見るや、蜘蛛の子を散らすかのように逃げ出してしまった。
部屋の前に残ったのは土方ただ一人。
そして。
「―――副長、うるさい」
すっと再び開かれた障子。
部屋の中から顔を見せたのは、。この真選組における紅一点。ついでながら本日は非番。
寝ていたところを起こされたためか、不機嫌そうに目を据わらせている。
しかし、機嫌がよろしくないのは土方とて同じこと。
「てめー、その格好はどういうつもりだ、コラ」
障子を開け放し、扇風機の風を受け。更に片手に団扇を握りしめ。
ここまでは構わない。非番なのだから、私生活にまで口を出すつもりはない。
しかし、スリップ一枚で寝転がるとは、どういったつもりなのか。障子を開け放したままで。
隊士たちに目の毒だとかそれ以前に、本人に恥じらいだの分別だのといったものが欠けているとしか思えない。
だが土方が睨みつけても、は不機嫌な表情を崩さない。それどころか、無言で睨み返してくるのだ。
その間、十数秒。
不意にが視線を逸らすと、ふらふらと扇風機の前へと戻り。
ばたん、と音をたてて倒れ伏した。
さすがにこれには土方も驚く。慌てて寄ってみれば、目を閉じたが荒い呼吸を繰り返している。
それに加え、いつにも増して赤らんだ頬。
思い立って額に手を当てても、特に熱を帯びているわけでもない。
風邪とは違う症状。
「暑気あたりか……」
食中毒や熱中症に対する注意が散々に促される、夏。
しかしいくら呼びかけられようとも、食中毒も熱中症も後を絶たない。
どうやらも例に漏れずあたってしまったらしい。
だからといって、こんな格好が許されるというわけではないのだが。
下着にスリップ一枚。なんとも煽情的な姿だが、当の本人は苦しそうな呼吸を繰り返すばかり。
さすがに気の毒に思えてきた土方は、障子を閉めると、そばに落ちていた団扇でを扇いでやる。これで少しはマシになるだろうと。そう思っての行為だったが。
「……副長」
「なんだ」
とろん、とした瞳は、焦点が合っていないのだろう。状況が違えば、誘われているのではないかと思いたくもなるの今の姿。
けれどもの口から漏れたのは、当然誘い文句でもなければ、扇いでやっていることに対する感謝の言葉でもなかった。
「部屋の人口密度あがって暑いんですけど。二酸化炭素濃度上昇で温暖化なんですけど。ヤニ臭いんですけど」
「……他に言うことは無ェのかよ、てめーには」
呆れ半分、苛立ち半分。
しかし軽口めいたものが叩けるうちは、まだ大丈夫なのだろう。
できる事ならばこのまま扇いでやりたいところだが、土方にも仕事がある。
キリをつけて立ち上がったところで、またもやが「副長ぉ……」と呼びかけてきた。
とろんとした眼差しはそのままに。けれどもその瞳に一抹の淋しさを垣間見た気がして、土方は思わず足を止めた。
なかなか可愛いげがあるじゃないかと思ったのは束の間。
「団扇と腕は置いていってください……」
「置いていけるワケねェだろーがァァァ!!」
団扇はともかく、腕をどう置いていけと言うつもりなのか。
手に持っていた団扇を腹立ち紛れに叩きつけると、土方は不機嫌もあらわに部屋を出る。
そのままこの場から立ち去ってしまえば、本当は良かったのだ。そして仕事に戻れば。
しかし実際はと言えば、の容体が気になってならない。
離れるに離れられず、かと言って部屋の中に入るのも気まずく。
どれほど経った頃か。
「何やってんですかィ、土方さん。こんなところで」
ふらりと現れた沖田と。
「……水ぅぅ」
障子を開けただけで気力を使い果たしたのか、相変わらず煽情的な姿で足元にへたり込んでいると。
そして元からその場に立ち尽くしていた土方と。
三者三様三竦み。
真っ先に動いたのは沖田だった。
「大丈夫ですかィ、。顔色が悪いですぜィ」
「沖田隊長ぉ…お水ぅ…」
「水ですかィ。なんなら口移しで飲ませてやっても―――」
「てめーはさっさと仕事に戻ってろ!!」
沖田の不穏当な言葉に、ようやく土方は我に返る。
そして次の瞬間には、沖田の反論を待たずにを抱え上げて歩き出した。
向かう場所は、台所。
「……副長ぉ」
「なんだよ」
「体温気持ち悪い。離してください……」
「…………」
言いたいことはいくらでもあるのだが、それらは一先ず飲み込むことにして。
台所に着くや、をその辺に放り出し、土方はグラスに水を汲む。
しかし振り向けど、何故か放り出した先にはいない。
どこに行ったかなど、考えるまでもなかった。
この暑い夏。冷気が流れてきたならば、すぐにわかる。
「……何やってんだ、てめーは」
台所にある冷気と言えば、冷蔵庫。
開け放たれた冷蔵庫の扉。惜しげもなく流れ出る冷気。そしてそこに頭を突っ込むようにして座り込み、死んだように動かない女が一人。
いくら熱中症とは言え、この行為は無いだろう。
頭が痛くなるような光景に、土方はそれ以上何を言っていいのやらわからなかった。
「……副長ぉ」
「なんだよ」
「私、冷蔵庫の国の住人になります……」
「……勝手にしろ」
呆れたように一言だけを投げかける。
しかしはそれで満足したらしい。億劫そうながらも顔を土方へと向けると、ふにゃりと気の抜けたような笑みをこぼした。
なんとも幸せそうな、笑みを。
そんな表情を見せられてしまっては、土方とて白旗を揚げるしかない。
言わなければならないことは、山のようにある。
せめて着物くらい着ろ、だとか。
汲んでやったのだから水を飲め、だとか。
いつまでも冷蔵庫を開けたままでいるな、だとか。
他、細かい事まで挙げたならばキリが無いほどだ。
それでも、それらの文句がすべて吹き飛ぶ程度の威力が、のこの笑顔にはあるのだ。
一度惹きつけられたが最後、目を逸らすことすらできない。
きっと何も考えていないのであろう。開け放った冷蔵庫から流れ出る冷気をただひたすら浴び、世にも幸せそうに笑う女と。
それがわかっていても尚、幸せそうなその笑みから目を離せなくなってしまった男と。
何かしらをすれ違わせたまま見つめ合う二人のその行為は、その光景に唖然とする第三者が現れるまで続いたのであった。
<終>
遅くなりましたが!
72927hitの翡翠さまリク「甘くない土方さんとヒロインの図」で書かせていただきました。
……まぁ、イチャコラはしてないと思います。ラブくもないですが。
土方さんはやっぱり、こういう中途半端な関係が書いてて一番楽しいです。あと副長イジメとか(ヲイ)
翡翠さま、遅くなりましてスミマセンでした! そしてリクエストありがとうございました!!
蛇足ながら。
今後はミラーでキリ番はとりませんので、皆様ご了承くださいませ……
す、すみません。ミラーなんて、恐ろしくキリが無い気が……
というかワタクシ、今までそんなキリ番があるなんて知りませんでしたよ(おバカ)
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