大江戸夜曲
べべん、と三味線が鳴り響く。
その音にかぶさるように、張りのある声が唄を紡ぐ。
音が低めなのは、周囲の部屋に気を遣ってか。
それでもなお、揺ぎ無く透明な声が、室内に溢れかえる。
満ち満ちた、心地よさ。
畳の上に寝転がったまま、沖田はその空気に身を委ねる。
職務はすでに記憶の彼方。今はただ、澄んだ唄声に酔いしれていたい。
目を閉じ、神経を耳へと集中させる。
耳に届くのは、優しい声。目蓋の裏に映るのは、記憶の中にある幼馴染。
思えば、昔から三味線も唄も上手かったのだ。
家で練習している姿を見ては、ヘタクソだとからかい、そのたびに泣かせていた。
捻くれていたのだろう。
もしくは、三味線を手に歌う姿が普段よりも大人びて見えて。知らない誰かに思えて。それが嫌で、からかう事でいつもの幼馴染を取り戻そうとしていたのかもしれない。
実に子供だったと、今更ながらに沖田は思う。
ひとしきり幼い頃へと思いを馳せている間に、唄声も三味線の音も止む。
それでも柔らかな余韻に満ち足りて。
沖田は殊更ゆっくりと身を起こした。
「―――上手くなったじゃねェかィ。」
「ありがとう―――そーちゃんに褒めてもらったの、初めてだね」
嬉しそうに微笑むその顔に大人びたとは言え昔の面影を見つけ、沖田は笑みを漏らす。
昔と変わらないに、安堵する。
と再会したのは、数日前。
御用改めで乗り込んだ料亭で芸妓として働いていたのがだったのだ。
武州にいるはずのが何故、と思ったものだが、まさか御用改めの最中に問い質すわけにもいかず。
積もる話はまた今度、と日を改めた本日。
仕事を途中で放り出してまで料亭に来てを独占しているというのに、未だ何の話もしていない。
―――何を話してよいのかわからない、と言ったら笑われそうだ。
昔は一体、どんな話を二人でしていたのか。今となってはろくに思い出せない。
つまり、その程度のとりとめのない話しかしていなかったということだろう。
その「とりとめのない話」というのは、どういったものなのか。
わからないまま話題を探しあぐねていると、の方から会話の口火を切ってくれた。
「でもそーちゃん。お仕事の途中じゃないの? その服だと」
しかし振られた話題は、沖田にしてみればあまりありがたくはないもの。
適当にかわすかと思った矢先、更に続けて「それじゃあ土方さん、困っちゃってるんじゃないの?」と窘めるようなの口調。
わかっては、いた事だった。
の視線の先に、誰がいるのか。の想いが、誰に在るのか。
どうやら今もそれは変わらないらしい。
そして沖田は痛感する。に対し、それこそ今も変わらず「幼馴染」以上の感情を抱いている自身を。
お互いに、一体どれだけの間、一方通行の想いを抱えているつもりなのだろうか。
嘲笑すら浮かべ、「俺一人抜けたくらいでどうこうなる組織じゃないからねィ、真選組は」と、答えになっているのかいないのか、そんな言葉をへと返す。
「……そうだよね。土方さんも近藤さんもいるんだもんね」
また。またその名前だ。
に悪気が無いのはわかっている。だが、悪気が無いからこそタチが悪い。
請われようとも、土方の話題は口にすまい。それが沖田のせめてもの腹いせ。
しかし、がそれ以上の話を促すことはなく。
好都合とばかりに、沖田は別の方向へと話を逸らすことにした。
「それでは? どうして江戸にいるんで?」
話を逸らすと同時に、それは再会して以来の疑問だった。
武州の田舎で、それなりに幸せに暮らしていると思っていたのに。
再会できて嬉しくないわけではない。
だがに、江戸の町は似合わない。
ゆったりとした時の流れる田舎の片隅で、穏やかな幸せの中にいることこそ、には相応しいと沖田は思うのだ。
少なくとも、料亭などで芸妓として働くなど、らしくない。
とは思うものの、単にに芸妓の真似事などしてほしくないというのが沖田の本音だ。
「芸は売っても体は売らぬ」というのが芸妓の矜持だと聞くものの、それがすんなり通るほどに江戸は甘い場所ではない。
このままでは、いつかが傷ついてしまうのではないか―――否、そうではない。目と鼻の先でが他の男に奪われるのが我慢ならないだけだ。
幸せになってほしいと願うそばから、他の男には渡したくないとも思う。何とも勝手なものだと沖田は自嘲する。
そんな物思いに耽りかけた沖田を引き戻すかのように、三味線の音が響く。
ゆったりとした旋律。
穏やかな、らしい音。
「―――私、これしかできないでしょう?」
再び室内に響き渡る、三味線の音。
奏でるの声は、先程の唄声とは異なり、か細く、張りも無い。
「向こうだとね。これだけで生活することが難しいから」
それでも、一言一句、聞き逃すつもりはない。
対照的に響く三味線の音にかき消されかねない声を、沖田は耳を澄まして拾い上げる。
「それに―――江戸なら、みんなが近くにいるから」
撥を握る白い手。弦を押さえる細い指。伏せがちの瞳。艶やかな口唇。
いつの間に、これほど女らしくなったのだろうか。
目を見張るほどに綺麗になったを、あの男はどう思うのだろうか。
の言う「みんな」の筆頭であろう土方は、今のを見たらどんな反応をするのだろうか。
隅に押し遣っていたはずの思考が、脳裏を占拠する。
ぎり、と奥歯を噛みしめる音が、やけに耳の奥に響く。
衝動に駆られそうな自身を抑えるため、知らず拳に力が入る。
そんな沖田に異変を感じたのか。
不意に手を止めたが、不安げな表情を見せた。
「そーちゃん? なんか、怒ってる……?」
感情を隠しきれなかった自身に舌打ちをしたい気分だったが、そんなことをしたところでの表情が晴れるわけではない。
だが、どこかしら怯えたような表情を見せながらも、三味線を置いて近付いてくるに、沖田の胸に別の感情が湧き起こる。
感情と言うよりも、衝動。
衝動と言うよりも、焦燥。
誰にも渡したくない。を、他の誰にも。
何かに突き動かされるように、寄ってきたの手首を掴む。
細い手首。何の抵抗も無く引き倒されるの身体。ふわりと立ち上った甘い香り。何が起こったのかわからないのか、不思議そうに目を瞬かせる。
そのすべてに、沖田は眩暈を覚えそうになる。
覆いかぶさるように畳に手をつけば、の視線が沖田に突き刺さる。
このまま抱いてしまえば、との関係は変わってしまうだろう。
「幼馴染」から、他の何かへと。
「―――普通、こういう時は抵抗するモンだろィ?」
だが、変わってしまうというのに、は未だに目を瞬かせるばかりで抵抗一つ見せない。
これには沖田の方が焦れてくる。
せめて反応の一つでも返ってこなければ、先に進みようがない。
そしてこのままの体勢で膠着状態が続くのは、あまりにも間が抜けているではないか。
見つめてくるの視線が、痛い。
は知らないはずの、沖田の想い。それを見透かされそうな瞳に、沖田は目を逸らしたくなる。
しかし、目を逸らすよりも先に、がゆっくりと口を開いた。
「そーちゃんなら……いいよ?」
真っ直ぐに見つめられたまま。
その言葉が、沖田の心臓を鷲掴みにする。
息を飲み込んだそのまま、呼吸をすることすら忘れてしまったかのように。時間さえが止まってしまったかのように。
身動き一つできぬまま、沖田はから目を逸らすことができなかった。
柔らかくも強い光を湛える瞳には、嘘や冗談事は一切含まれていない。
第一、そんな冗談を言うような女ではないのだ。は。
「冗談、だろィ……?」
「冗談なんかじゃ、ないよ」
それでも俄かには信じられない。
が好きな相手は土方なのだと、ずっと思っていたのだ。
今更、簡単に思考を切り替えられるはずがない。
もしかしたら何か意図がにはあるのかもしれないとすら思えてくるほどだ。
どんな意図があれば、こんなことになるのか。理解しがたいが。
期待と不安が綯い交ぜになる胸の内。
一体どういうつもりかと問い質しかけた沖田を遮って、が再び口を開く。
「私は、そーちゃんのことが好き、なんだもん……」
―――今度こそ。息どころか、心臓が止まりそうだというのはこういう事を言うのだろう。
告げられた言葉は、沖田の期待を満たすもの。
だというのに、言葉が出ない。
を喜ばせるための、柄でもない言葉が。喉に閊えたかのように。
何も言わない沖田に、何を思ったのか。
それまで揺らぐことのなかったの瞳が、不安げに揺れる。
「……迷惑だった、よね……」
迷惑だなど、そんなはずもない。
ただ、何を伝えればよいのか。どんな言葉をかければが喜ぶのか。
ありきたりな言葉が喉まで出かかっては、やはり違うと腹の底へと押し戻してしまう。
そんな言葉ではないのだ。
に伝えるべき想いは、ありふれた言葉程度に込められるものではないのだから。
考えれば考えるほどに、迷い込む思考。
だが、そんな思考は露ほどの役にも立たない。
伏せられた、の瞳。
その端に光るものが目に入った瞬間、考えるよりも先に手が伸びていた。
の瞳の端に溜まっていた雫を指先でそっと拭い取ると、はっと息を呑む音が聞こえたが、が嫌がる素振りを見せることは無い。
そのまま抱きしめても、微かな抵抗すら無い。
大人しく身を委ねきっているに、沖田は思わず苦笑する。
「今更ウソだって言っても、知らねーぜ?」
「ウソなんかじゃ、ないもん……」
少しだけ意地の悪い声を出せば、拗ねたような声と共に、がぎゅっとしがみ付いてくる。
言葉になど、今はならなくとも構わない。
それでもいつかは、告げよう。が告げてくれたように、この想いの丈を。
未だ見つからない、伝えるべき言葉。
せめて代わりにこの想いを伝えられるように、沖田はの細い身体を思いきり抱きしめた。
<終>
「10万HIT記念リク」透染白亜様さまのリクで「幼馴染の総悟」でした。
幼馴染萌え〜!!
で、また無意味に長くなってるんですよぅ……
沖田さんの言葉遣いがわからなくて、台詞削ったり強引に書き換えて、その余波で半分くらい書き直して……
……だから沖田さんは嫌いだ。好きだけど(どっちだよ)
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