朝、鏡を見るたびに溜め息。
昔から悩みの種ではあったけれども、ここ最近、その悩みは洒落にならないくらいに増大中。しかも現在進行形。
自分だけで済むものなら諦めもつくし、今までは確かにそうだったのに。
鏡の前で、生産性も何もない溜め息を盛大につく。
同時に脳裏をよぎるのは、悩み増大の最大の原因。銀さんのいつもながらにやる気の無さそうな顔―――
101回目のプロポーズ
「なァ、」
「なぁに?」
「そろそろ観念しねーか?」
「何を?」
「結婚してくれ」
「……ぐぅぐぅ」
「わっかりやすい狸寝入りしてんじゃねーよ」
ちっ、バレたか。
確かに、我ながらバレない方がおかしいような狸寝入りだったとは思うけれども。
空気読んで気付かないフリくらいしてくれたっていいのに。
気だるくも甘ったるい空気は、一瞬にして地平線の彼方。
ぬくぬくと心地良さを提供してくれる布団に包まって、私は狸寝入りを決め込む。
背後からは銀さんの溜息。
敢えてそれを聞かなかったことにして、ひたすら狸寝入り、狸寝入り……
いつもなら、呆れられつつも有耶無耶にしてくれるはずの、この状況。
だけど今日に限っては、珍しくも違ってて。
最後に干したのはいつなの? なんて問い質したくなるような薄っぺらなお布団は、私を最後まで庇ってくれる気はさらさら無かったらしい。
あっさりと引き剥がされたお布団。取り戻す暇もあらばこそ。腕を掴まれ身体を回され、あっという間に目の前には銀さんの顔。
「やっ、銀さんのエッチ!」
「イヤ。エッチって、ついさっきまでエッチな事してたのはどこの誰ですか」
それとこれとは話が違うから! そういう問題じゃないから!!
オトメ心のわからないヤツめ。
なんて思ってたら、何か通じるものでもあったのか、引き剥がしたお布団をかけてくれた。
腕は変わらず掴まれたままだったけれども。
「言っとっけどなァ、今のでプロポーズ100回目だったんだぞ!? なんかもう最近じゃ、カウントすんの切なくなってきてんだぞコノヤロー!!」
「え、そうなの? 記念すべき100回目おめでとう。次で星野サンに並べるよ?」
「超せってか!? 記録超せってか!!? 僕は死にましぇんってか!!!?」
「がんばれ!」
「んなてっぺん誰も目指してねェんだよ!!」
茶化してみても、私の腕を掴む力は弱まりそうにもなくて。
相変わらずの、死んだ魚のような目をしてるのにも関わらず、掴まれた腕は簡単には振りほどけそうにもなくて。
さすがに100回目ともなれば、簡単に逃がすつもりは銀さんには無いのかもしれない。
いつになく銀さんが真剣なんだろうってことはわかる。わかる、けど……
「せめて理由くらい聞かせろよ。言わねェと、もう一回襲うぞコラ」
「じゃあ襲わせてあげたら、理由言わなくてもいい?」
「……そう来ますか」
そう行くんですよ。
いつまでも有耶無耶にしておけることじゃないのは、よくわかってる。
でも、まだ私の中では答えが出てないから。
銀さんが100回もプロポーズしてくれたなら、私は100回悩んでる。
悩んで迷って。迷って悩んで。
本当は、すぐにだって頷きたい。「いいよ」って、笑って言いたい。
―――理由はきっと、他人が聞いたらものすごく馬鹿げたことなんだとは思う。
くだらなくて、些細で。話したら呆れられそうな、その程度の悩み。
そう、自分でも言い聞かせてみるけれど。それでもやっぱり、踏ん切りがつかないでいる。
理由を説明したとしても、呆れられたり笑われたりしたらどうしよう、って。だけど私にとっては至極真剣なことだから。
結局それでいつも、だんまりを決め込んで。聞かなかったフリをする。
今日もまた、いつも通りに逃げようとする私。
だけど、今日は―――100回目の今日だけは、いつも通りには事が進んでくれなかった。
痛いくらいに腕を掴んでいた銀さんの手が、すっと離れていく。
どうしたんだろう、なんて呑気に思えたのは、ほんの一瞬。
「……あんまり拒否られっと、別れなきゃなんねーかと思うじゃん」
「っ!? やだっ! それだけはやだっ!!」
銀さんの言葉に、思わず手を伸ばす。
離れていく手を、しがみつくようにして掴んで。
そんな私の咄嗟の行動に、にやりと笑う銀さん。引っ掛けられたとわかっても後の祭り。
睨んでも、へらへらと軽く受け流されてしまう。
ここまで来たら、逃げ場は無い。何事も無かったみたいに有耶無耶にしたくても、また同じ手を使われるだろうし。
わかってるなら引っ掛からないだろうとは思っても、それでも、いつか本当に別れを切り出されたらどうしようって。
そんなことになるくらいなら……今、恥を忍んで何もかも話してしまった方がいいのかもしれない。
覚悟、決めるしかないのかな。
「……聞いても笑わない?」
「なに? そんなに愉快な理由なのか? だったら無理だな」
「……やっぱり言わない」
「スミマセン、ゴメンナサイ。笑いませんから教えてくださいお願いします」
……笑う。絶対にコイツ笑う。
確信すると、ますます話したくなくなるんだけど。
でも……それでも、いつか本当に別れを切り出されるんじゃないか、なんて怯え続けるよりは、笑われてしまう方がマシなのかもしれない。
覚悟を決めて。
思い切って口を開いたものの―――だからって、私の悩みを一体どこからどう説明していいのか、ちっともわからなくて。
「あ、あのね。その……かみが、ね」
「は? かみ? かみってアレか、ケツ拭く紙? イヤ、確かに我が家のトイレットペーパーは安モンで拭き心地はあんまりよろしくねェんだけどさ」
「そっちの紙じゃなくて! こっち! こっちの髪!!」
「イデッ! イデデッ!! わかった! わかったから引っ張んな! 抜ける! 抜けちゃうから!! 天パのハゲなんて救いようねェじゃん!!」
ハゲたら天パなんて関係ないじゃない。むしろスキンヘッド好きだけど、私。
って言うか、真面目に私の話を聞く気があるんだろうか、銀さんは。無いだろ。100円賭けてもいい。やっぱり話すのやめようかな。
そう思いかけたところで、いつまでも銀さんの髪を引っ張っていた私の手が払いのけられて、代わりに銀さんが私の髪を弄ぶ。
くるくると指に巻いたり、解いたり。何をするでもなく弄りながら「で? 髪がどうしたって?」なんて促してくる。
こういうタイミングだけは外さないんだから、私の心でも読めるんだろうか。銀さんは。
実のところ、こうして髪を弄られるのは結構好きで。
なんだか心地良くて、つい口元が緩みそう。
本当にもう、こうなったら観念するしかないのかな。
「だから……銀さん、天パでしょう?」
「オイ。まさか今更、俺の天パがイヤだとか言うんじゃねェだろうな?」
「イヤじゃないけどイヤなの」
「どっちですかこの娘はァァァ!!?」
掴みかからんばかりの勢いの銀さんに、思わず顔を顰めてしまう。
確かに今のは私の言い方も悪かったかもしれないけど、だからと言って唾を飛ばすのはやめてほしい。汚いから。
でも、ちゃんと説明しない事には、銀さんのこの勢いは止まりそうにもない。
「イヤじゃないけどイヤ」だなんて、自分で言っておいてなんだけど、意味不明だし。
前者の「イヤ」と後者の「イヤ」は別物なんだから。
「だからね。銀さんの天パが嫌いなんじゃなくて。その……私、くせっ毛でしょう?」
「俺の天パに比べたら、よっぽど可愛いモンだけどな」
相変わらず私の髪を弄りながら、銀さん。
くすぐったくて、だけど気持ちいい。
この時だけは何も気にせずにいられるんだけど。
それは一時だけの事。普段は憎らしいばかりの、このくせっ毛。
「可愛くても何でも、銀さんと私じゃ、確実に子供に遺伝しちゃうじゃない。くせっ毛」
「……オイ。まさか悩みって、それだけとか言うんじゃねェだろうな……?」
「言う」
頷いて言い切ると、沈黙が落ちる。
まるで嵐の前の静けさ。
私は至極真剣だって言うのに、銀さんは引き攣ったような笑いを浮かべて。
これで爆笑されたら殴ってやる。心行くまで。
なんて思ってたけど。
実際に静寂を破ったのは笑い声なんかじゃなかった。
「ちょっ、マジでか!!? その程度の悩みで俺は100回もフラれ続けてきたってェのか!!!??」
「『その程度』じゃないよ! 重要なことじゃない!! 子供にこんな重荷背負わせたくないでしょ!!!」
「うっせェェェ!! 重荷背負ってこそ人はデカい人間になれるんだよ!!!」
「鏡見てからその台詞言ってみろ!!!」
「それより俺が悶々と悩んだ日々と時間をきっちり耳を揃えて返しやがれ!!!」
「勝手にタイムマシンでも探してきやがれ!!!!」
ゼェゼェと息を切らして、互いに一呼吸。
まさかキレられるとは思ってなかった。
だけど「その程度」の悩みなんかじゃない。少なくとも私には。
短くしてもダメ。伸ばしてみてもダメ。梅雨時になったらもう最悪。毎朝鏡の前で奮闘しても、しばらくしたら元の木阿弥。努力は水の泡。
これまでの人生、このくせっ毛のせいでどれだけ私が苦労してきたか。
まだ文句があるなら、苦労を一から十まで特番ドキュメンタリー並に語ってやる。ウザがられても語りつくしてやる。
そう意気込んでたものだから、銀さんがついた溜息に、思わず拍子抜けしてしまう。
「確かに重荷かもしんねェけどよ。重荷背負って生きてきた分、俺は最高の女捕まえられた訳だし、お前だって最高の男捕まえたじゃん」
「え? 私が捕まえたのは、まるでダメなオトコ略してマダオな最低人間だけど」
「……お前さ。せっかく俺がいいこと言って決めようって時に、その言い方は無いんじゃね?」
「でもこれが事実だから」
自分で自分のこと、最高だって言う人間が本当に最高だったりするんだろうか。
甚だ疑問ではある。疑問どころか、絶対にそれは違う。
って言うか突っ込ませて。お願いだから。
でないと、サラリと言われたものすごい台詞に、顔が赤くなりそうだから。
なんで? なんでチャランポランなくせに、サラリとそんな台詞口走っちゃうわけ?
モテないとか言いながら、なんで照れもなくそんなこと言えちゃうわけ?
聞いてる私の方が恥ずかしいんだけど! 「最高の女」って誰ですかそれは!?
気を抜いたら、一瞬にして真っ赤になってしまいそう。
何だか恥ずかしくて、懸命に堪えてみたけれど。
それが銀さんには、無反応にでも見えたのか。イラついたように自分の頭を掻き毟る。
「あークソ。こうなったら、遺伝子捻じ曲げてサラッサラヘアーのガキ作ってやるよ! これで満足か!? これで満足なのかコノヤロー!!!」
「そんな器用なことができるの? それなら確かに満足だけど」
「だったらもう大人しく銀サンと結婚しなさいお願いだから!!!」
…………まぁ、なんと言うか。
「今までで一番、色気も誠意も雰囲気も無いプロポーズだね」
「……誰がそうさせたと思ってんだよ」
でも、今までで一番、必死さは伝わってきたけど。
もう本当、観念するしかないかな。
ここまで言われちゃ、ね。
私の我が侭に100回も付き合ってくれた、最低人間でも私にとっては最高の人だから。
だったらもう、悩んでる場合じゃない。
目の前には私の返事を待っている、落ち着きの無い銀さんの顔。
第一声は、なんて言ってあげようか。
重荷背負った分だけ、最高の相手にめぐり会えるって言うのなら。
天パもくせっ毛も悪いもんじゃないって。
生まれてくる子には、そう教えてあげよう。
<終>
や、やっと書けました。お待たせして申し訳ないです。
もう待たれてない可能性も高いですが。
10万HIT記念リクで「くせっ毛ヒロインと銀ちゃん夢」でした。
会話文ばかりが先にできてしまって、地の文を書くのに大変苦労してしまったという話。
掛け合い書くの好きなんです……
そして名前変換がほとんど無いのは気にしてはいけません。一人称の宿命ですとも。ええ。
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