「私と別れてほしいの。他に好きな人ができたから」
 
覚悟を決めて口にしたその言葉。
相手はうろたえるでもなく。
頷くその姿にどこか安堵の表情が見えたのは―――きっと、気のせいなどではない。
 
 
 
 
世界で一番優しい男と、世界で一番残酷な女と



 
は、どうしようもなく優しくて、同時に、どうしようもなく残酷な女だと。
今この瞬間に意見を求められたならば、銀時は彼女を迷わずそう評価するだろう。
その当の本人であるはと言えば、完全に酔い潰れて寝息をたてていた。銀時の膝の上で。
肩に寄りかかってくるだけならまだ対処のしようがあったのだが、膝である。膝の上に器用に頭を落として、すやすやと。「どーすんの、コレ」と思わずぼやいてみても、それに対する答えは当然の事ながら返ってこない。
このままでは精神衛生上、非常によろしくない。それを自覚しているからこそ、この状況をどうにかしたいのだが。
叩き起こして、泊めてやるからせめて別のところで寝てくれと、そう言ってしまえば話は早いのだ。
しかし未だ涙の跡が残るその寝顔を見てしまうと、無理に叩き起こすことにどうしても躊躇いが生じてしまう。
結局は諦めて、このままが目を覚ますまで待つ以外に道はないようだ。それが一時間後のことになるか、それとも夜が明ける頃のことになるのか、はたまたその数時間後のことになるのか。まったくもって見当がつきはしないのだが。
 
「あー……俺ってほんと、優しいヤツだよなー」
 
そう思わね? と問いかけたところで、が目を覚まして返事をするはずもない。
自身の無意味な行為に苦笑しながら、銀時はの寝顔を見下ろす。
そういうも、優しすぎる人間なのだ。でなければ、浮気した自分の恋人に別れを切り出す際、その浮気自体に一言も触れずにいることなどできはしまい。それどころか相手に罪悪感を感じさせまいと、他に好きな男ができたなどと嘘を吐くなど、誰がしようか。
本心では未だ相手の男のことが好きなのだろう。それでも相手が自分と別れたがっていることを感じ取って、敢えて自分から別れを切り出して。
泣くぐらいなら、別れなければ良かったろうに。掴んで離さず奪い返せば良かったろうに。それができないからこその優しさなのだろうか。いや、優しさというよりも弱さなのかもしれない。弱いから、一人で泣けずにこうして他人に縋っているのかもしれない。
今となってはどちらであろうとも関係ない。問題は、が目を覚ますまでの時間、黙って耐えられるかどうかだ。
確率は半々。博打ならば決して分がいいとは言えない確率。
いっそ理性の声など無視して抱いてしまったら、どんなことになるだろうか。そんな考えがちらりと銀時の脳裏を過ぎる。
失恋したての女はオトしやすい。優しい言葉の一つもかければ一発だ。
その一般論は、にも当て嵌まるのだろうか。
酒の勢いを借りてこのまま抱いて朝を迎えても、は笑って許してくれるのだろうか。
だが現実が漫画のように簡単にいくはずもない。甘い妄想がそう簡単に叶う訳がなく、大概は軽蔑されて見限られて、下手すれば犯罪者扱いで人生そのものが終焉へと導かれかねない。そもそも無防備に男の膝で寝る女が悪いと言い張ったところで、最終的に悪者にされるのは男なのだ。男とは何とも分が悪い生物だ。
そんな銀時の密かな葛藤など知る由もないのだろう。第一は、銀時が自分に対して友人に対する以上の好意を抱いているなど気付いてもいない。気付いていたら流石にこんな状況にはならないだろう。
人の想いに気付きもせず、他の男のことを想って泣いて寝るなど。銀時のことを男と見なしていないのではないか。だとしたらなんて残酷な女だろうと思わずにはいられない。それが身勝手な憤りなのだとわかっていても。
 
「……でもまァ、アレだ。寝てる隙に美味しく頂くってのは、あんま趣味じゃねーしな」
 
況してや他の男に惚れたままの女が相手では、尚更だ。
それが本音なのか、感情を押さえ込むための自身に対する言い訳なのかは、銀時自身にもわからない。
だが少なくとも、を傷つけかねない行為は、銀時の本意とするところではない。
だから。まだそう思っていられるうちに。
 
「早ェとこ起きてくれよ、頼むからさぁ……」
 
が目を覚ましたら、笑わせてやろう。
失恋した男のことなど記憶の彼方に飛んでしまうくらい、目一杯楽しい『今』をに見せてやろう。
いつかそんな銀時に振り向いてくれる事を願いながら。ついでにの目が覚めるまで自分の理性がもつことを祈りながら。
 
 
 
夜は静かに続く―――



<終>



短いです。ハイ。すみません。
書きたいところだけ書いたらこんな感じに。
……となると、なんだ。普段は余計な事だらだら書いてるから長くなるのか……

('07.11.04 up)