泣くだろう、とは思っていた。
思っていたというよりも、沖田の中でそれは純然たる事実であった。たとえそれが未来の話であったとしても。
実際、よく泣く幼馴染なのだ。
幼い頃から、転んでは泣き、苛められては泣き、初めての料理に失敗しては泣き、失恋しては泣き―――泣いて泣いて、泣きつく先はいつだってミツバだった。
泣いている幼い姿を脳裏に描けば懐かしい記憶が蘇るが、同時にその光景が最早「過去」にしか存在しえないものだという現実に酷く気分が落ち込む。
今。これから。は一体誰に泣きつくのだろうか―――
涙の後には
案の定、という展開だった。
埋葬は故郷の地に、と誰が言ったわけでもない。けれどもそれが当然の事のように思えて。何より姉には騒がしい江戸の地よりも静かな武州の田舎の方が相応しい気がして、沖田は一人、故郷へと戻ってきた。その胸に姉の遺骨を抱いて。
話はすでに聞いていたのだろう。沖田が故郷の家に着くと、程なくしてが息せき切ってやってきた。
しばらく振りに顔を合わせる幼馴染は、記憶の中の少女よりも少しだけ大人びたその顔に、まるでありえないものを目にしているかのような表情を浮かべていた。
「ミツバ、ちゃん……?」
沖田に対する挨拶も何もない。
ただ呆けたように、視線の先にある骨壷だけをじっと見ている。
いつまでも続くかのように思えたその沈黙は、長く思えたが実際には数秒ほどのものだったろう。
あとは、予想通り。
大人びた顔が歪んだかと思うと、わっとは泣き出した。幼い頃のように。どうやら外見は大人びても、中身までは簡単には変わらなかったらしい。その変わらない部分に、沖田はこんな時だというのに心なしか安堵を覚えた。
ただ一つだけ、予想外の出来事もあった。
幼い頃はいつもミツバに泣きついていた。しかし今、ミツバはいない。一人で泣き崩れるのだろうかと、そんな予想は呆気なく裏切られることとなった。
わんわんと泣きじゃくるに縋りつかれ、予想外の出来事にどうしたものかと沖田は戸惑う。まさか自分に泣きついてくるとは思わなかったのだ。
姉はいつもどうしていただろうか。幼い日のに泣きつかれた時、どうやって慰めていただろうか。遠い昔、横目で見ていただけの記憶を沖田はどうにか引きずり出す。
あの頃は、沖田自身も幼かった。決して素直とは言いがたかった幼少時代、泣くたびに縋りついて姉を独占するの存在が憎らしくもあったが、同時に、に頼ってもらえるミツバが羨ましかったのも確かだ。
そんな複雑な感情が沖田の胸の内に蘇る。けれども今は、感傷に浸っている時ではない。泣いているをどうしたらいいか―――どうすれば、が泣きやんでくれるのか。
考えて、考えて―――だがかつてミツバがしていたように、に優しい言葉をかけてやることなど、沖田にはできるはずもない。どんな言葉をかけてやればいいのか、まるでわからないのだ。
結局、何もできないことがわかっただけで。してやれることと言えば精々、の気が済むまで泣かせてやることくらいだ。
縋りついてくる身体に腕を回し、その背中をあやすようにして軽く叩きながら、一体どれほどの時間が経ったろうか。
「―――ごめんね、そーちゃん……」
掠れた声で紡がれたその言葉は、決して大きなものではなかったが。それでも沖田の耳にはしっかりと届いた。
未だに沖田の着物を握り顔を押し付けているの頭を撫でながら、替えの着物はあったろうかと沖田は思案する。今着ているものはの涙でぐちゃぐちゃになっているに違いない。仕方が無いことではあるし、別にを怒るつもりはない。
「ごめんね。ほんとはそーちゃんの方が泣きたいよね。ごめんね……」
そう言ってまた嗚咽を漏らし始めたの背中を、沖田は再び優しく叩いてやる。
が謝る事など、何もない。
姉のためにこれだけ泣いてくれたのだ。まるで沖田の分まで涙を流してくれたような気がして、胸の内にぽつりと暖かいものが灯る。
悲しんでくれてありがとう、と。流石にこの状況で礼を述べるのはおかしな話で、言葉の代わりにの背中を撫でる。
ようやく落ち着いてきたのだろうか。止んだ嗚咽と鼻をすする音。けれどもは顔を上げようとはせず、一層強く着物を握り締める。まるで二度と離すまいとするかのように。
その意図を汲み取ることができず、沖田は迷う。泣き止んだのだから身体を離してやるべきか、それともまだしばらく、の気が済むまでこのままでいるべきか。しかしこのまま放っておいては日が暮れてしまいそうだ。
の背を叩きながらどうするか判断しかねていると、再びか細い声が耳に届いてきた。
「―――……よね」
「え?」
「そーちゃんは……そーちゃんは、いきなりいなくなったりしない、よね……?」
また泣きそうだ。
微かに震える声と、身体。それでも離すまいとしがみつく手は、力を込めすぎて真っ白になってしまっている。
これほどまでに必死な様相で他人から求められたことなど、一度も無い。
それは、くすぐったくもあり、同時に嬉しくもある感覚。
だがもし沖田に何かあった場合、は誰に泣きつくのだろうか。
今度こそ一人で泣き崩れるのか。それとも沖田の知らない誰か別の男の胸に縋って泣くのだろうか―――
そんな未来だけは、御免被る。
ようやく手に入れたのだ。たとえミツバの代わりでしかないのだとしても。それでもこうして、に縋ってもらえるだけの存在になれたのだから。
みすみす失うつもりなど、毛頭無い。
それに。
「それは、俺の台詞でィ」
背に回していた腕に力を込め、沖田はを抱きしめる。
こうして姉の死を嘆き悲しんでくれる。故郷で待っていてくれる。そんながいてくれることに安堵してやまない。
仮にを失うようなことになれば―――考えたくもない。それこそ世界の終わりだろう。
沖田の言葉にゆっくりと上げられたの顔は、涙でぐちゃぐちゃになってしまっている。まるで幼い頃に戻ったよう。このの泣き顔を、ミツバはいつも笑顔に変えていた。
そんなことが、自分にもできるのだろうか。
「……私は、いなくなったりしないよ?」
「俺だって―――」
皆まで言うのは気恥ずかしく、抱きしめる腕に力を込めることで言葉に変える。
にも通じたのだろうか。ずっと着物を握り締めていた手がほっとしたかのように緩められる。
今はまだ、の思いがどこにあるのかわからない。沖田のことは単なる幼馴染でしかなく、今日のこともただミツバの身代わりでしかないのかもしれない。
それでもこうして、に必要とされるのならば。必要とできるのならば。
姉がいなくなっても、何とかやっていけるだろう。
「ありがとう、そーちゃん」
腕の中、涙に濡れた顔で微笑んだに、漸く姉の死に対する踏ん切りがつきそうだった。
<終>
もうちょいコンパクトにまとまるかと思ったんですが……
「ネタが降ってきた!」と喜んだのも束の間、ネタがあっても文才が無いと転げ回る羽目になる現実を再認識しただけでした。
('07.11.12 up)
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