第二次厠革命を決起せよ!
真選組一番隊隊士である隈無清蔵が提言した「厠革命」が呆気なく潰えてから早一ヶ月。
結局、何をしたところで厠が綺麗になることはなく、収穫と言えば、諦めの境地への到達と、タマ菌との共存への慣れくらいのものである。
収穫とも呼べない収穫。それが「厠革命」の結果。センサー式の手洗いを設置した程度では如何ともならない。
人間というものは適応性のある生物で、慣れてしまえばタマ菌もどうということはない。あまり慣れたくもなかったのだが。
かくして一時の厠革命は最早過去の歴史。相変わらず汚い厠を当たり前と思うようになった今日この頃―――ではあったのだが。
「―――あの。副長さん。ちょっと、いいですか……?」
背後から遠慮がちに声をかけられ、土方は何気なく振り向く。
可愛らしくも儚げなその声の持ち主は、声同様に可愛らしく儚げで、けれども真っ直ぐ一本の芯を持った女。
。現在の肩書きは、真選組女中。
華奢だの可憐だの、世の男が聞いたら庇護欲をそそられること間違いなしという単語をすべて並べつくしても足りないくらいに可愛らしい、としか表現できないこの女が、何をトチ狂ったのか真選組屯所で女中として働き出したのは今から一週間ほど前。
誰かの代理で来たという話だったが、細かいところは覚えていない。
どうせすぐに音を上げるだろうという予想は見事に外れ、は今日もせっせと屯所内の清掃や炊事洗濯に勤しんでいる。そんな姿に普段女っ気のない隊士たちが黙っていられるわけがなく、ファンクラブなんてものが結成されたのが今から三日前。
確かに土方ものことは気に入っている。だが、外見がどうのという話ではない。
たおやかな身体に、絶対に曲げようとしない芯が一本。何より真っ直ぐに見つめてくる瞳のその奥に宿る強い意思。
くらり、と眩暈を感じると同時、不味いとも思った。この瞳は不味い。深入りしてしまったが最後、取り返しのつかないことになってしまう。
その瞳に、今日も真っ直ぐに見つめられて。射竦められたように土方は動けなくなった。
「? 副長さん? どうかされましたか?」
「……あ? あァ、イヤ。何か用か?」
呆けてでもいたのだろうか。
に怪訝な顔をされ、慌てて土方は問い返す。そんな瞳で見る方が悪いのだと、逆恨みにも近い心境を抱きながら。
そんな土方の態度をさして不審には思わなかったのだろう。「あ、そうでした」と手を打ち、はにこりと微笑む。
この笑顔を指して「この世の春を体現したよう」と評したのは山崎あたりだったか。何を大袈裟な、と思わないでもないが、確かに可愛らしくはある。
―――などと思ってしまうあたり、やはり深みに嵌まりつつあるようだ。
自覚しながらも白旗を揚げるまではいかず、できる限り平静を装い土方はの言葉の先を促した。
「あのですね。先程、お手洗いを掃除したんですけど―――」
「なっ……!?」
途端、全身から血の気が引くような思いがした。
お手洗い。つまり厠。タマ菌の宝庫。
そんなところを掃除してきたというのか、が。
思わず凝視してしまったものの、どうやらタマ菌はテイクアウトしてきていないらしい。当たり前だ。そんな事をさせてたまるものか。仮にさせるのならばせめて自分のタマ菌を―――とか何とか考えている場合ではない。
脳裏を過ぎったバカげた考えを振り払い、の言葉の続きを待つ。待たずとも、何となく想像はつくのだが。
しかし、その続きをの口から聞くことはなかった。
「お、トシにちゃん! 何やってんだ、二人して」
前方、つまりの後方からやってくるのは、タマ菌の塊―――ではなく、近藤。
こちらも相も変わらずタマ菌に塗れたまま。近藤がタマ菌なのかタマ菌が近藤なのか、判別がつきかねるほどに侵食されてしまっている。もちろん当の本人はまるで自覚していないのだろうが、その事が余計に痛い。
それはそれで、見慣れてしまえば何ということも無い。
自覚の無い当人は、当然のように二人の方へと歩み寄ってくる。別段そのこと自体についても異を唱えるつもりはない。
のだが。
何の気なしに、近藤がの肩に手を置こうとした瞬間。
「触ってんじゃねェェェ!!!」
タマ菌がの肩に乗らんとする寸前、土方は遠慮も何も無くタマ菌もとい近藤を蹴り飛ばしていた。
「ぬぉぉおおっ!!?」と叫び声をあげて庭に転がり落ちるタマ菌のような近藤はさておいて、へと向き直れば、流石に事の展開に目を瞬かせている。
これでひとまずは、タマ菌の侵食を防げたものの。
しかしこのままでは、いつまでタマ菌に侵されてしまうかわかったものではない。何せ屯所は菌にまみれた魔窟なのだ。
それだけは、断じて避けねばならない。
の身を守るために、土方ができること。それは―――
『厠を汚すべからず これを犯した者 切腹』
「何ですかィ、これは」
「局中法度追加条項だ。文句あっかコラ」
煙草の煙と共に事も無げに吐き出した言葉に、広間に集められた隊士たちが一斉にどよめく。
それはそうだろう。厠を汚しただけで切腹しなければならないのならば、この世の男は全員一度は切腹しなければならないことになる。そんな馬鹿げた話があっていいものか。
ただ一人満足そうに頷く隈無清蔵を除く、ほぼ全員の隊士がこの唐突かつ横暴な局中法度に非難を浴びせる。
が、もちろん土方がそれに気圧されるはずもなく。ひとしきり隊士たちが口々に文句を言うのを聞き流すと、再び口を開いた。
「てめーら、誰が厠掃除してるのかわかってんのか?」
「は? 俺たちじゃないですか」
「だよ。あいつが、お前らが汚すだけ汚した厠を掃除してんだよ」
途端、静まり返る広間。隊士全員が集まっているというのに、しわぶきの音一つしない。
一週間前に突如として男だらけで汗臭いこの屯所に舞い降りた天使―――と一部の隊士は半ば本気で思っていたりするのだが、他の隊士にしたところでそれに近い思いは抱いている、そんなが、あの惨状としか呼べない厠を掃除しているという。
瞬時にそれぞれの脳裏に浮かんだのは、着物姿だったり割烹着姿だったりメイド姿だったり、そのあたりは各個人の嗜好によって異なってはいたが、が糞尿に塗れた厠を懸命に磨いている姿。
満開の桜ですらその笑顔の前では霞むだろうと思われるが、よりにもよって、厠掃除。
「すげぇプレイだなオイ」と誰やらが呟いたのは、敢えて気にしない方向でいくことにする。
確かに自分のものだけならば、それをに掃除してもらうというのはある意味で燃える状況ではあるのかもしれない。だがそれが他人の排泄物だとなると話は180度変わる。何故、あのにそんなモノを掃除させなければならないのか。
そんな隊士たちの心境の変化を正確に見抜いたかのように、更に土方は言葉を続けた。
「ま、このままなら確実に最低なヤロー共だと思われるんだろうな」
その言葉と共に、隊士たちの脳裏に浮かんだのは、やはり着物姿だったりメイド姿だったりナースだったりスッチーだったり、そのあたりはもう完全に個人の趣味に拠るところにはなるのだが。
とにかくそれぞれの想像の中で、彼らにとっては春の女神そのものとも呼べるが顔を顰め、こう言うのだ。
『お手洗いを綺麗に使えない男の人だなんて、見損ないました! 最低です! 軽蔑します!』
とまぁ、あくまで想像でしかないのだが。
たかが想像。されど想像。
から軽蔑の眼差しを向けられ、「ここにはいられません。さようなら」と立ち去られる姿まで鮮明に想像してしまった隊士たちは、一様に表情を曇らせる。
が、衝撃を受けたのは一瞬。即座に行動に移った一同は、駆け足で広間を出て行った。
向かう先など誰も口にはしなかったが、心は一つ。やるべき事も一つ。
何とも単純な連中だと嘆きたくもなったが、今回ばかりはそれが功を奏している。
ともあれこれで、がタマ菌に汚染される心配はなくなった訳だと、土方は安堵の息を吐いた。
広間にただ一人。煙草を燻らせながら土方が思うのは、ただそれだけで周囲をも幸せにしてしまうような、の嬉しそうな笑顔―――
最近、いつ様子を窺ってもお手洗いが綺麗なんです。
数日後、たまたま顔を合わせたがそんなことを言う。
けれどもその顔には思い描いていたような笑みは無く、代わりに心底不思議だとでも言いたげに疑問符を浮かべていた。
「でもお手洗いはあんなに綺麗なのに、どうして他のお部屋はそれほど綺麗ではないんでしょうか」
「……さぁな」
の表現がかなり控えめなものであることは土方にもわかっている。
確かに厠はいつ行っても綺麗だ。綺麗という表現では追いつかないほどに、便器は磨き上げられ、タイル張りの床も塵一つ落ちていないのではと思うほどだ。
だがそれは、あくまで厠のみの話。
他の部屋、特に隊士たちの私室には、目を覆いたくなるような惨状が広がっているらしい。それこそタマ菌ではない別の何かが発生しているかもしれない程に。
単純な連中は、どこまでも単純なようだ。厠を綺麗にしろと言えば厠だけを徹底的に綺麗にするだけで、他まで頭が回らないらしい。なんと応用の利かないことか。
それでも、タマ菌の害をに被らせなかっただけでも良しとすべきなのだろうか。
首を傾げてはいるものの、が女中としての仕事を辞めたがっているような素振りは今のところは見られない。
一先ずの妥協点を見出した土方の次の課題は、次なる害虫になりかねない隊士たちを如何にしてに近づけないようにするか。そんなような事だった。
<終>
厠革命も、ヒロインちゃんの一言であっさり成功するに違いない、と。
そんなことを思ったら降ってきたネタでした。
絶対に他のサイト様でも書いてると思う……ネタかぶってましたらスミマセン。
('07.11.16 up)
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