闇に想う
目を覚ましたのは肌寒さ故か、隣で眠っている男の気配の微かな変化のせいか。
そっと起き出して襦袢を羽織ると、月明かりを頼りに元いた場所へと視線を向ける。
一人分、ぽっかりと空いた布団の隙間。その隣では、男が一人眠っていた。
けれどもその寝顔は、頼りない月明かりを通してすら決して穏やかとは言い難い。
寝苦しい悪夢を見ているかのような。そんな、寝顔。見慣れてしまった、寝顔。
「また、見てるの……」
ふと口をついて出た言葉は、同情か哀れみか。それともその悪夢から救ってやれないもどかしさなのか。自分自身ですらわからない。
男が見る悪夢は決まっている。その内容を問うた事はないけれども、魘されながら時折呟くのは、いつも同じ名前。その名を聞くたび私は、心の臓が締め付けられるかのような、そんな思いに駆られてしまう。
ぶるりと身体に震えが走り、襦袢の前をかき合わせる。今晩は少し冷え込んでいるのだろうか。
薄着のままでは風邪をひくかもしれない。そんな現実的思考とは裏腹に襦袢姿のまま窓辺に腰を下ろし見上げれば、見事な満月に雲がかかろうとするところだった。
「―――」
いつの間に目を覚ましたのだろうか。
突然の声に驚く事はなかった。それはいつもの事で、そろそろ頃合だろうと何となく考えていたのだから。
悪夢から目覚めると、必ず最初にその名を呼ぶのだ。
目を閉じ、気持ちを落ち着ける。目を開けた時には、月が雲に翳るところだった。
ちょうど良かったと、そんな事を思う。
「どうしたの、晋助」
殊更何でもない風を装い、振り返る。
月明かりすらない今ならば、表情までを取り繕う必要は無い。その事に少しだけ安堵する。
声をかけたものの、返答は無い。私も返答など最初から期待していなかった。そんなもの無くても私のすべきことは決まっている。腰を上げ、いつものように男の傍へと向かう。
同じ室内。たかだか数歩の距離。それがやけに長く感じられるのは何故だろうか。
一刻も早く辿りつきたいような、それでいて辿りつきたくないような。抱える複雑な思いを押し隠し、私は男の隣へと腰を下ろした。
途端、引き倒される身体。されるがまま布団の上へと倒される私を次に襲ったのは、貪るような口吻け。同時にまさぐられる胸。
性急な求めに応じて、私は男の身体に腕を回す。
「晋助……」
解放された口唇でその名を紡げば、更に求めるかのように肌蹴られた胸元に落とされる口吻け。
求められる悦びと快感に喘ぎながら、泣き出したい衝動にも襲われる。
悦びも快感も、欺瞞でしかないのだから。
何もかも気付かない振りをして快楽に耽る私を、冷めた目で見つめる私もまた存在しているのだ。
求められているのは私ではない。私と良く似た、別の―――
「……」
繰り返し呼ばれる名。私ではない、別の誰かの名前。
死んでしまった、もう何処にも存在していない女性の名前。
その名で呼んでも構わないと。そう言ったのは私自身。それでこの人を繋ぎとめられると言うのならば。私を見てもらえるのならば。構わないと、本気で思ったのに。
人間というのは欲の深い生き物なのだろう。今は私の名を呼んでほしくて堪らない。
私を見てほしい。私を通して他の誰かを見ないで。私なのに。今ここに居てあなたに抱かれているのは私なのに……
けれどもそんな事を口に出しては、私の元から去っていってしまうかもしれない。失う事が怖くて、悲痛な思いは今日も胸の内に押し殺したまま。
切なげな響きで呼ぶ名も。その口が紡ぐ愛の言葉も。全て、私に対するものではないけれども。
「愛してる…晋助…」
欺瞞でも錯覚でも構わない。
今、この瞬間だけは。
確かにあなたは私のものだから―――
頬を伝う涙は、快楽によるものなのか。それともこの悲しすぎる現実に対するものなのか。
自分でもわからないまま、私は今日も闇に溺れていく―――
<終>
とりあえず、何が書きたかったのかがわかりません(馬鹿)
なんでもいいからこういう雰囲気の物を書きたかっただけなんだと思います。まる。
('07.12.02 up)
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