何故か。
本当にどうしてなのだか。
寒さに震えていた『ソレ』は、『あの人』を思い起こさずにはいられなくて―――
リトル・ダーリン
「―――土方さん。猫、拾ってきちゃいました」
「捨てて来い」
まさに一刀両断。取り付く島も無し。
振り向きもせずに言われ、はカチンとくる。
腕の中には、まだ小さな黒猫。
隊服の黒と同化したその中で、金色に輝く二つの瞳が、じっとの顔を見つめている。
「うわ。さすが鬼副長! 人でなし! 悪魔! 鬼ですよ、鬼そのもの!!」
「うるせェよ。いいから黙って捨てて来い」
情け容赦の無い土方の言葉。
外は夕暮れ時。
寒さも厳しいこの季節、沈みかけた太陽は、暖を取る役には立たない。
そんな季節、そんな時間に、猫を捨てることなどできるはずがない。
真っ当な神経の持ち主ならば。
「もしかして土方さん、最後の良心の一欠けらすら捨てちゃったんですか?」
「大きなお世話だコノヤロー。とっとと捨てて来いよ。目障りだ」
「……さっきからこっち見てもいないくせに、何が目障りですか、コノヤロー」
ぼそりと呟いた言葉ではあったが。
静まり返った、決して広くはない室内。土方の耳に届くには十分な大きさだったらしい。
ギロリと睨まれ、一瞬は身を竦ませた。
しかし、この程度で怯むでもない。でなければ、女だてらに真選組隊士など、やっていられるわけがない。
腕の中の猫を抱き直すと、土方を睨み返した。
「何ですか、その反抗的な目は。減点1ですよ」
「意味不明なこと言ってんじゃねェよ。
大体テメー、猫なんか拾ってきて何する気だ」
「飼うに決まってます。食べるつもりで拾ったわけじゃないです」
「誰が食うか、んなモン」
「でもマヨネーズかけたら食べかねませんよね。土方さんなら」
「……俺をどういう目で見てやがるんだ」
半眼で睨みつけてくる土方にもめげず、「世の中、知らない方が幸せなことって多々あるんですよ」と、は切り返す。
だが、このままでは平行線。それどころか、話が脱線しかねない。
早々にその空気を読み取ったは、「とにかく」と話を戻した。
「飼います。絶対」
「捨てろ」
「飼いたいです」
「捨てろっつってんだろ」
「飼いたいっつってんですよ」
「……オイ。いい加減にしねェと」
「斬りますか? いいですよ、むしろ斬ってやりますよ。勝負しますか」
「って、マジ抜いてんじゃねェェ!!」
左腕に猫を抱えたまま右手で腰の剣を抜きかけたを、土方は慌てて止める。
斬り合いの原因が猫一匹などということでは、天下の真選組の名が廃るというものである。
止められたは、軽く舌打ちしながら剣を収めた。
しかしこの分では、いつが強硬手段に出るか知れない。
結局、土方が折れることになる。
とはいえ、今更「飼ってもいい」と口にするのは癪に障り、土方は溜息をつくことで肯定の意を伝えた。
そして、その意を的確に受け取ったは、嬉しそうに顔をほころばせる。
断りもせずに腰を下ろすと、腕の中の猫を目線の高さまで抱き上げた。
「よかったねぇ、トシ坊」
「テメェ、なんて名前つけてやがるんだァァ!!!?」
思わず傍にあった机を力の限りに叩いた土方だが、は動じない。
平然とした表情で「だって」と口を開く。
「だって、黒いところとか、この目つきの悪さとか。土方さんにそっくりですよ」
だから放っておけなかったんです―――
顔を少し背けたの、その耳がほんのりと赤く染まっていて。
そのことに、土方は少なからず動揺する。
自分に似ているから、だから見捨てられなかった。
顔を赤らめてそのようなことを言われてしまえば、何かを期待するなと言う方が無理であろう。
「それに、見捨てたりしたら、マヨネーズの呪いとかかけられそうな気がして」
「……むしろ今すぐかけてやりてェ。俺は」
どうやら、期待は外れたらしい。
勘違いが恥ずかしく、土方もまたから目を逸らし、元通りに背を向ける。
悔し紛れに呟いた言葉は、しかし、猫を構うの耳には届かなかったらしい。
「でもトシ坊はそんなことしないよね」とか「可愛げがあるところは、土方さんとは違うかも」とか、好き放題に言っている。
いつまでもそんなことを聞いているのは馬鹿らしい。
用件はこれで済んだのであろうから、さっさとを部屋から追い出そうと、土方が再び振り向いた、その時。
に撫でられ、気持ちよさそうに喉を鳴らしていた猫が、何を思ったのか、の腕の中で伸び上がり。
ペロッ、との口元を舐めたのだ。
「ひゃっ! やだっ、トシ坊ってば!!」
くすぐったい、と笑うに構わず、猫はペロペロとその口元を舐め続ける。
その光景に、土方は思わず固まった。
単に、猫の親愛の表現であろうし、にしたところで、本気で嫌がる素振りは見せていない。
普通であれば、他愛の無い光景なのだ。
―――だからこそ、タチが悪い。
たかが猫、と思ってしまうことができればよかったのだ。
だが、その『たかが猫』にの唇を先に奪われたかと思うと―――
「……オイ。」
「ひゃっ、はい―――っ!!?」
身体を捻り、の腕を引く。
なんの身構えもしていなかったの身体は、あっさりと転ぶように土方の腕に支えられ。
何が起こったのかわかっていないようなの、その無防備な唇に、土方は己の唇を重ね合わせた。
それは、ほんの一瞬の出来事ではあった。
土方はすぐに唇を離し。
そしては、猫を抱いたまま、目をぱちくりと瞬かせ。
どちらも言葉を発さず、奇妙な沈黙が室内を支配する。
その沈黙に先に耐えられなくなったのは、土方だった。
「……なんか言えよ」
一瞬とはいえ、突然口付けられたのだから、何か反応があってもいいはずだ。
それなのに、は何の反応も見せない。
が何を考えているのか、土方にはまったくわからなくなる。
元からそんなもの、わかってはいないのだから、ますますわからなくなった、と言うべきか。
土方に促され、は首を傾げる。
そして、ぽつりと。
「私に欲情するほどに、欲求不満だったんですね」
「誰が欲求不満だァァァ!!!??」
確かに反応が無いのは困るが、こういう言葉を待っていたわけではない。
キレる土方に、は大袈裟に身を竦ませる。
「『ちゃんは見た! 鬼の土方副長欲求不満24時!!』 ちゃん、ピーーンチっ!!」
「いい加減にしやがれ! とっとと出てけこのバカ!!」
おどけるを突き放し、三度背中を向ける土方。
その後姿に向かって舌を出すと、は何も言わずに土方の部屋を出ていった。
残された土方は、不機嫌な顔を隠しもしない。誰も居ない室内なのだから、当然のことではあるが。
気晴らしに吸おうかと煙草に手を伸ばしかけ、しかし逡巡して、逆に煙草を押しやった。
その手で頭を掻き毟りながら、「クソっ」と悪態をつく。
「……気付けよ、あのヤロー」
唇に残る、柔らかい感触。
どうやら今夜は、寝付けない夜になりそうである。
* * *
「あぁ、もう。びっくりした」
土方の部屋出てしばらく歩いたところで、は声に出して呟く。
その腕の中には、黒猫。「にゃあ」と同意するように鳴けば、「ねぇ?」とは頷き返す。
突然の口付け。
一体、どんな意味が込められていたのか。には知るすべも無い。
ただわかるのは、少しかさついた、冷たい感触。それと、煙草の味。
最後のものに関しては、思い込みなのかもしれないが。
どちらにしろ、起こった事実に変わりは無い。
「なんだかねぇ。はっきり言ってくれたなら、私だってそれ相応に反応できるのに」
結局、茶化して怒られてしまったが。
茶化させた方が悪いのだと、は開き直る。
その胸中を読んだかのように、「にゃあ」と一声鳴いて、猫が伸び上がる。
どうやらじゃれつくのが好きらしい、この猫。するに任せようとしたは、思い直して猫を抱き上げる。
「ごめんね。今はちょっと、我慢して、ね?」
少しでも、唇に残された感触を思い返していたいから、と。
私だってなかなか乙女チックじゃない、などと、自分で自分を茶化してみたりして。
すでに日が暮れていてよかったと、は思う。
頬の火照りは、なかなか引いてくれそうにない。
<終>
タイトルの「リトル・ダーリン」ってのは、一応、トシ坊ということでw
関係ないですが、少年アシベの主題歌だったこの曲が、かなり好きです。
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