緋色の世界
一体どれだけ斬れば、この戦は終わるのだろう。
どれだけの人間が傷つけば、仲間を失わずに済むのだろう。
そんな疑問が、銀時の脳裏をちらりと過ぎる。
今のこの状況で、それが瑣末な疑問でしかない事は重々承知している。
戦闘の真っ只中。耳に届く咆哮と剣戟の音は、然程遠くからではないだろう。向こうではまだ仲間が戦っている。ならば加勢に行かねばならない。
だが、やけに重たい身体はなかなか動こうとはしない。それを咎める者も遮る者も、ここには存在しないが。
目の前に広がるのは死の世界。生きているのは銀時ただ一人。色褪せモノクロに映る世界で、遠くから聞こえる戦いの音はどこか別世界のもののようにすら思えてくる。
そんなはずがないとわかっていながらも、現状に虚しさを感じずにはいられない。
終わりの見えないこの戦いに、一体どんな意味があると言うのか。
もちろん、意味はあるのだろう。はっきりと目的を見据え戦う者もいるのだから。だがそれは、これだけの仲間を失うよりも価値あるものなのだろうか。
疑問を抱いている暇など無い。だが身体が動かない。
それでも思考を止めて無理に身体を動かそうとしたところで、不意に視界に赤が入ってきた。
モノクロの世界に、一点の赤。
血の色よりも鮮やかな、緋色。
「銀時! 大丈夫?」
張りのある、澄んだ声。
戦場には相応しくない涼やかな声が響くと同時、世界が色を取り戻す。
屍骸を避けながら歩み寄ってくるその緋色は、よく見ればところどころどす黒くなっている。返り血なのか、当の本人は気にも留めずケロリとしている。
返り血が目立たないからと彼女―――が好んで緋色の着物を身につけるようになったのはいつからだったろうか。実際には黒の方が目立たないのだろうが、それを指摘してやったところ、「辛気臭いからイヤ」との明瞭簡潔な答えが返ってきただけだった。
確かにそうかもしれないが、戦場でこの緋色は目立って仕方が無い。おかげで狙われやすくなったというのに、負け知らずの彼女は、その緋色からいつしか『鮮血の舞姫』との二つ名をつけられ怖れられるようになっていた。
そして今も、返り血を浴びて尚、のほほんと笑っている。一瞬、ここが戦場だということを忘れそうになるほどだ。
「って大丈夫じゃないし! 頭から血垂れ流して、何ぼけっとしてるのよ!」
言うや、座れと命じられ、大人しく座ればそのまま頭を押さえつけられる。
着物の袖で乱雑に血を拭われれば、その方が傷口に障るような気さえするが、は血を拭う事の方が重要だと思っているらしい。確かにそれは重要ではあるのだろうが。
傷口は然程大きなものではなかったらしい。頭部の傷というのは出血が派手な割に、傷自体は大したものでないということがままある。
今回もその例に漏れなかったようで、「とりあえず血が止まれば大丈夫かな」とも安堵の息を吐いている。
目の前一杯に広がる緋色。血も染み薄汚れた緋色。けれども妙に落ち着くのは、その緋色の下、確かに生命が息づいているからだろうか。それがだから、だろうか。
血が止まるまで押さえてるね、と。押さえるというよりも頭を押さえつけられた格好で、手持ち無沙汰になった銀時は。
「……なァ。なんで俺ら、戦ってるんだろうな」
「は?」
ぽつりと漏らしたのは、先程までの疑問。
こんなもの、に問うたところで困らせるだけだろう。実際、も間の抜けた声をあげている。
だが聞いてみたかった。他人が出す答えを。
未だ仲間が戦っている中、手持ち無沙汰というありえない状況に、どこか感覚がおかしくなっているのかもしれない。
「なんでって……まぁ人それぞれじゃない? 国のためとか、仲間のためとか、ノリで戦争参加したとか」
銀時だって前にそう言ってたじゃない、と言われれば、苦笑を返すしかない。
確かにそう口にした事はある。多分、何か色々な感情を誤魔化すために、敢えて軽く言ったものだ。まさかとて本気で信じているはずもないだろう。
は、どうなのだろうか。
目の前の緋色に染み付いた赤黒い血痕。日々死と隣り合わせの戦場は、には似合わない。こんな戦争になど参加しなければ、もっと華やかで相応しい場所が、にはあったはずだ。
どんな理由があって、こんな場所に至るのか。
「私は……銀時が、いるから?」
「は?」
今度は銀時が間の抜けた声をあげる番だった。
紡がれた言葉はあまりにも予想外のもので、言われた事を理解するまでに時間を要した。理解できたところで、意味はまるでわからなかったが。
だが、その意味を問い質すことは銀時にはできなかった。否、問い質す余裕など無かった。
ぽとり、と脚に落ちてきた赤い雫。それが自身のものでない事は明白。血の滲む傷口はが押さえているのだから。
服に滲む血痕。それが広がりきるよりも先に、二滴、三滴と滴り落ちてくる。誰の血か。この場に二人しかいない以上、そして自分でない以上、その答えは明白だ。
どうして今まで気付かなかったのだろう。よく見れば緋色の着物に染み付いた赤黒い染みは、今も尚じわじわと広がりつつある。返り血が今になって広がるはずもない。
咄嗟に目の前の着物を肌蹴る。が小さく悲鳴をあげたが、それに頓着している場合ではない。
曝け出される白い肌。いっそ艶やかですらある陶磁のような肌。戦場に身を置いていることが信じられないほどのそれを台無しにするかのように、深々と抉られた傷口が胸の下に刻まれ、血を溢れさせている。
少なくとも、放っておいていいような傷ではない。どころか、傷の深さによっては致命傷の可能性さえある。
「バレちゃった」との言葉にはっとして顔を上げれば、が小さく笑っていた。悪戯が露見してしまった気恥ずかしさと、切なさの入り混じった笑みで。
「お前、これ……」
「最後にね、どうしても……どうしても、会いたかったの。銀時に」
耐え切れず震えだした脚の力が抜けたのか、ガクリとの身体が倒れこむ。銀時の身体を抱きしめるように。
の怪我も、言葉も、今の状況も。そのどれにも対応できず、銀時は呆然とするしかない。
どろりと手についた血が、どうしても現実のものとして認識できない。遠い喧騒と同じく、別世界のものであるかのように。
ただ単に、信じたくないだけなのかもしれない。これが現実なのだと。が、が―――
「っ!!?」
「…たかったのになぁ……ずっと、ずっと……銀時と、一緒、に……」
きゅっと、がしがみついてくる。離れまいと言外にも伝えてくるその力は、だが徐々に弱まりつつあった。
浅い呼吸を繰り返すは今、笑っているのか。泣いているのか。
しかしその顔を見てしまえば、それが最後になる。そんな気がして、銀時はの顔を見ることができない。
これが最後になるなど、誰が認められよう。
次第にその力が弱くなるを信じたくなくて、銀時はその身体を抱きしめる。
溢れ手を濡らす血を見ないように―――
「―――ってさぁ。久々に大怪我したもんだから、命張ってエイプリルフールみたいな? 死んだと見せかけて実は元気ですよー騙されてやんのー、的にいこうと思ったのに、意外と傷は深かったみたいでマジ死にそうになったんだよね。三途の川の対岸で死んだバアちゃんが手ぇ振ってたし。それなのにあのバカは呆けて何もしてくれないし? ヅラが来てくれなかったら私死んでたよマジで。あれ以来誓ったわけよ、二度とエイプリルフールなんかやるもんか、って」
あっはっは、と能天気な笑い声が万事屋内に響き渡る。
涼やかな声で語られる凄惨な話は、その声のためかちっとも深刻には聞こえず。だからなのか、話を聞いていた新八も神楽もそれほど真に受けている様子はない。
呑気な笑い声が響く中、少し離れた椅子に座って銀時は当時の事を何とはなしに思い出す。
あの後の事は、実のところよく覚えてはいない。
ただ、の身体から流れ出る血の感触だけは、未だに忘れられずにいる。
失うという、恐怖。
慣れるほどに体験していたはずのそれは、対象がであるというだけで耐え切れないほどのものになっていた。
結果的には死なずに済んだものの、だからと言って恐怖が消え去るわけでもない。
いつ失うかもしれないとの恐怖が、常に付き纏う。
だから。
強くありたいと願った。刀を振るう事を厭わなかった。
もう何も失わないため。仲間を、を守り抜くため。それがあの戦場における、銀時の存在理由。
全てを守る事など叶うはずもないと、わかっていながら。
それでも、守れなかったものもあれば、守れたものもある。そう、信じたい。
「で、アレだよね。エイプリルフール。四月バカ。もう銀時の存在自体が四月バカってコトでいいじゃん、ってコトにしたワケですよ」
「よくねーよ! 何いきなり人を影薄い年中行事にしちゃってんの!!?」
反論するも、受け付けませんと言わんばかりの笑い声と共にが背後から抱きついてくる。頭を抱え込むように。
結局これには勝てないのだ。自身、それをわかってやっている節があるからタチが悪いが、それでも観念せざるをえない。
昔と変わらず、呑気に能天気に。
叶うならばこれからも、のこの笑顔を自分が守っていければと。
照れと気恥ずかしさで決して口に出せそうにない願いを胸中に、銀時は抱きついてきたの顔を寄せたのだった。
<終>
新OP見てたら何か書きたくなりました。で、勢いで。
エイプリルフールなんかとっくに過ぎてるよ、ってツッコミはやめましょう。
そして話の中身についてのツッコミもやめていただけると……ええ。なんか脳内が沸いてたんです、ハイ。
どうでもよいですが、「戦場」は「いくさば」とフリガナふるのが好きです。個人的に。ホント、どうでもいい話ですね。
('08.04.06 up)
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