痛いほどに煩い雨音が鼓膜を打ち続ける。
べちゃり、と。踏み出した足が水音をたてる。
けれどもそれは決して、止まる気配を見せないこの雨によるものばかりではないことを知っている。
暗闇の中、それでも否応なく目に映る赤は、流れ出た血の色。
どれほどの血が流れたのか考えたくもないほど、足下に拡がるのは、真紅。
べちゃり、べちゃり。
足を進めるたびに響く不快な音は、雨音で掻き消される事もなく。雨音と重なり不協和音を奏で、ますます不快度を強める。
降り続ける雨にも、足元で跳ね返る血にも頓着せず、ただ前を見据えて歩き続ける。
べちゃり、べちゃり。
あちらこちらに倒れ伏しているのは仲間なのか、敵なのか。闇の中でそれは確認できるはずもないが、どちらにせよ生きていないのは確かだ。ならば誰であろうとも最早関係の無い事だ。
べちゃりっ。
一際大きな音を立てたのを最後に、血を跳ね上げるばかりの音が止む。それはつまり、足を止めた事と同義。
止まない雨が地を叩きつける音ばかりが耳につく。不快な事に変わりは無かった。
足を止めたのは、目的とする場所に辿り着いたからに他ならない。
本当にこれを目指していたのか自身でも定かではないが、しかしここが終着点だという事は知れた。
止めた足のすぐ先に、仰臥する人物が一人―――いや。一つ、と言うべきなのだろうか。
物言わぬ屍と化したそれは、最早ヒトではなくモノだと。冷酷な考えではあるが、薄っぺらな倫理感や情など切り捨てなければ自身が危険に晒されるのだ。これまでも、そしてこれからも。
ざくりとその身に刻まれた刀傷。それが致命傷であった事は明らかだ。
闇の中だと言うのに、やけにはっきりと判別できるその屍は。見覚えのある愛刀を握り締め。瞬きすることを忘れた目は見開かれたまま、虚ろな瞳を晒している。
その身体の至るところに乾きはり付いた血液は、自身のものか、返り血か。考えるだけ無駄だと、思考を止める。
生気を失い濁ったその瞳は、当然の事ながら何も映しはしない。覗き込んでも、何も。
唐突に襲われた焦燥感は、何に由来するのか。
無駄な事だと知りつつ、その名を呼ぼうとする。だが声が出ない。喉の奥に張り付いたまま、音となる事を拒んでいる。
ますます募る焦燥感。まるで、名を呼びさえすれば、目の前の人物が起き上がるのではないかと。そんな幻想にとりつかれてしまったかのように、ただその名を呼びたくて仕方が無い。
けれどもその名はやはり音にはならず。次第に息苦しささえ覚えてくる。焦れば焦るほど、もがけばもがくほど、言葉も呼吸も絡めとられていく。
そしてようやく悟った。
否定したいのだと。
切り捨てる事などできはしない。死なせてなどなるものか。
息苦しさで遠のく意識の中、今更ながらに気付かされた。決して失いたくなかった唯一人の存在を―――
Replicant Night
「あ。生きてた」
「……何してやがんだ、てめーは」
どうやら息苦しかったのは、鼻を抓まれていたためらしい。
目を開けた土方はその手を払いのけて声のした方を睨みつけたものの、この暗がりでは何の効果も無いだろう。実際、声の主の顔すらまともに判別できやしないのだ。
だが見えずとも、聞き覚えのある声の主が誰であるかを判断する事はできる。夜中に図々しく他人の部屋に入り込んだ挙句に、寝ている部屋主の鼻を抓むような非常識な女など、この世に二人といないに違いない。
外で地面を煩く叩きつける雨音、そして遠い雷鳴に、夢見が悪かったのはこれのせいもあるのかもしれないと土方は思う。耳を塞いで尚届くであろうその音は、土砂降りなどという生易しいものではない。
暗闇の中、徐々に慣れてきた目がその姿をおぼろげながらに捉える。存外に近くにいたらしいその表情までは、読み取ることが叶わなかったが。
「や。夢見が良すぎて」
「あァ?」
「土方さんが死ぬ夢なんですけどね」
「一回切腹させるぞコラ」
どこが夢見が良いものか。不吉な事この上ない。が、にとっては夢見が良かったのかもしれない。何せ沖田と一緒になって面と向かって「死ね」と言ってくるような女だ。小憎らしい存在ではある。事実、今夜はおかげで目が冴えてしまった。翌朝を寝不足で迎える羽目になる事は間違いないだろう。
舌打ちしながら身を起こし、枕元にある煙草とライターを手探りで探す。明かりをつければ早いのかもしれないが、ようやく闇に慣れた目には眩しすぎるであろうし、何よりますます目を冴えさせる事になりかねない。煙草など吸えば同じ事かもしれないが、それはそれ、これはこれなのだ。
程なくして手に取った煙草を銜え火をつけると、話の先を促されたと感じたのか。話し始めたの口調は、こんな時間でも普段とまるで変わらなかった。
「血ぃダバダバ流して死んでたもんですから、びっくりして目が覚めちゃって。これもし正夢だったら、沖田さんが副長に昇格して空いた一番隊隊長の席は私のもの!? って急いで確認しに来たら生きてたから、なんだつまんないって」
「つまらなくて結構だよ」
素っ気無く言い放った土方だが、胸中の動揺を悟られていまいかと内心では気が気ではなかった。
の言葉に脳裏に蘇るのは、今し方の夢の中で見たもの。溢れる血は足元を濡らし、見開かれた瞳は虚無に満ちている。夢の中、物言わぬ無機物と化していたのは他でもない、。
この女が―――が死ぬなど、ありえないとすら思うのに。
憎まれっ子世に憚る。常に死と隣り合わせというこの職業柄、それでも小憎らしいばかりのが死ぬとは到底思えないのは、そんな戯言のせいなのかもしれないが。
それが過信にすぎないとでも言いたいのだろうか、今の夢は。
その通りではあろう。いつ何があるかわかったものではないこの仕事。確実な明日の保証など誰の上にもあるはずがないのだ。
肯定するかのように、雨音に混じり雷鳴が一際大きく鳴り響く。己が甘い見通しを嘲笑うかのように。
そんな外の音に混じって聞こえた気がしたの言葉は、きっと気のせいなのだろう。雷鳴に消し去られるほど微かな声で「結構でしたよ、本当」と聞こえたのは。況してやその声が震えていたなどとは。
事実、直後のの声音は常と変わらぬ物だったのだから。
「部屋に戻るの面倒だから、ここで寝直してもいいですか?」
「って勝手に布団入ってくんじゃねェ! いいわけねェだろーが!!」
その傍若無人ぶりも常の事。
既にして寝息をたて始めたに、やはり今のは気のせいだったのだと土方は確信する。
こうなってしまえば、をどうにかするのは至難の業だ。元々他人の話を聞かず、その動向にも頓着せず、ひたすらに我が道を突き進むのことだ。無理に叩き起こしたところで動こうとはしないだろう。
結局土方に出来る事は諦めるという事のみ。溜息をつき、無意味と知りつつ恨めしい目をへと向ける。
瞬間、闇を裂いた雷光は、何の悪戯だったのだろうか。
たった一瞬。すぐにまた室内は闇に包まれたものの、その一瞬だけで十分だった。の寝顔、そしてその濡れた頬を目にするには。
今のもまた気のせいなのかもしれない。雷鳴に掻き消された声と同様、雷光が見せた幻覚なのかもしれない。
そう思い込むのは簡単な事だ。の性格を考えれば、むしろその方が妥当であろう。
「……俺は死んだりしねェよ」
だがそんな考えとは裏腹の言葉を、土方は眠っているへと投げかける。
錯覚なのかもしれない。が口にした言葉はそのまま本音なのかもしれない。
そうなのだとしても構わないと思えたのだ。ただの自己満足に過ぎないのだとしても。それでも夢から覚めての存在を確認した瞬間に密かに感じた安堵感は、確かな感情だ。
だから。
「だから、てめーも死ぬんじゃねェぞ」
願わくば、互いに見たものが逆夢であればいい。
らしくもなく願ってしまうのは、らしくもない夢と、らしくもないのせいだろうか。
灰皿に煙草を押し付け、土方もまた寝直すことにした。
止まない嵐を、今し方の夢を、全て否定するために。
<終>
命日なので、何となく死ネタっぽいのを書いてみたかったのです。
ただそれだけの話。
タイトルは語感だけで決めました。色々おかしいですか気にしたら負けです(何
('08.05.11 up)
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