性別。女。
年齢。大学を出たばかり。
職業。保健医。
特徴。白衣。ゴキブリ嫌い。子供っぽい。
人気。男子生徒が原因不明の腹痛や頭痛に襲われる頻度が高くなる程度。
 
 
 
 
保健室の天使 2



 
―――結局、高杉が新任保健医について知りえた情報など、その程度しかない。
誰もが知っているような、当たり障りの無い情報。
別にそんな情報が欲しい訳ではない。
ならばどんな情報が欲しいのかと問われれば、言葉に詰まる他無い。
そもそも、どうして彼女についてそんなに知りたがるのか、自分自身でもよくわからないのだから。
よくわからないまま、初めて出会って以来、高杉は何となく保健室へと足を向ける事が多くなった。
他の生徒のように仮病を使うことすらなく。堂々とサボリ宣言をしては保健室のベッドを使用しているのだが、は何も言わない。
ただ笑って、「病気の子が来たら代わってあげてね?」と言うだけ。サボリに対する咎めは一切無い。それどころか他に誰もいない時には、こっそり茶菓子を出してくれることさえあるのだ。
変わっている、と思う。
まだまだ大学生気分が抜けきっていないだけなのかもしれないが、だからなのかもしれない。妙な居心地の良さを感じてしまうのは。
大人ほどには遠い存在ではなく、かと言って自分達と同等な存在でもない。
少しだけ年の離れた姉のような―――と言うのにも語弊がある。憧れ、とでも言うべきか。
もちろんそれはあくまで他の男子生徒たちにとっての話で、高杉にとってはまるで関係の無い話、単にサボリ場所として便利だから保健室を利用しているだけだ―――などと、誰に対するでもない言い訳を胸中で募りながら、今日も保健室の入口を開ける。
いつもならば授業中であろうとも最低2、3人の生徒が何かしら理由をつけて居座っている保健室に、今日はたった二人。
 
「高杉くん。今日もサボリ?」
「あ、テメー。俺の授業をサボってんじゃねーよ」
 
保健室の主たると、担任である坂田銀八。
事務椅子に腰を下ろしたと、その前に据えられたスツールに気だるそうに座る銀八と。二人の前には、茶と菓子。
どうやら茶菓子を出してもらえるのは高杉だけの特権という訳でもなかったらしい。気が向けば誰にでも出すのだろうか。
何やら面白くない。どうしてそう思ってしまうのかはわからないが、とにかく面白くない事だけは確かだ。
だが二人はそんな高杉の心境に気付いていないのか。
銀八はあからさまに嫌そうな顔をしてみせ、は歓迎するように手招いている。
一瞬、どうするかと迷う。この二人の空気に立ち入っても疎外感を味わうだけのような気もする。だが銀八の思い通りに事を運ばせるのも癪に障る。
迷っているうちにが高杉の分の茶を用意しだしたものだから、これはもう入るしかないだろう。
 
「あァ? 授業自習にしてここでサボってるてめェに言われたくねーよ」
 
反論しながら、手近にあったパイプ椅子を手に取ると、と銀八の間に割って入るように乱暴な手つきで椅子を置く。
ますますもって銀八が嫌そうな顔をしたが、そんなことを気にかける高杉でもない。
さも当然のようにパイプ椅子に腰を下ろせば、がくすくす笑いながらカップを差し出してきた。「熱いから気をつけてね」と言葉を添えて。菓子については何も口にしなかったが、それはつまり、普段と同様、好きに食べていいとの意味合いだろう。
カップの中身はコーヒー。おそらく砂糖は一つ。口に含むと、案の定。
初めて出されたのは紅茶だった。どうやらはコーヒーよりも紅茶党らしい。コーヒーの方が好きだと何の気なしに口にしたら、次からはしっかりコーヒーが出てきたのだ。砂糖をどうするか聞かれ、見栄を張って不要だと言ったのだが、見透かされたのだろうか。次からは何も言わず、砂糖を落とされたコーヒーを出されるようになった。
こう見えてなかなか、洞察力はあるようだ。
 
「って言うか先生、授業サボってたんですか? ダメじゃないですか」
「イヤイヤ、サボりじゃないからね、コレ。敢えて自習にする事で生徒達の自主性を高めるっつー高等授業って言うかコイツのサボリは容認してんのに俺のサボリはダメ出し?」
「教師は授業サボったらダメですよ。教師なんですから」
「そうだそうだ」
「高杉くんも坂田先生のこと言えた義理じゃないからね?」
 
の言葉を後押しするように頷いてやったら、逆にやんわりと釘を刺されてしまった。
確かに授業をサボっている人間が、同じくサボっている人間を非難するなど、どんな理由があったところで所詮は五十歩百歩。説得力に欠けることこの上ない。
返す言葉も無く、高杉は黙ってコーヒーを啜る。銀八は未だぶつぶつと文句を口にしてはいたが、面と向かって反論するつもりは無いようだ。そして、そんな銀八の様子をおかしそうに眺めている
ふと、思う。
はこの銀八のことをどう思っているのだろうか。
一緒に茶を飲むくらいだから、嫌ってはいないに違いない。もし好ましく思っているのだとしたら、それは同僚としての範疇内の感情なのか、それ以上のものが含まれているのか。
何故そんなことが気になるのかと自問しながらも、それでもの銀八を見る目に何か特別な感情が映し出されていないかと、つい探るような目を向けてしまう。
視線に気付いたに「どうしたの?」と笑顔で問われ、慌てて高杉は視線を逸らす。言える訳もない。銀八のことが好きなのか、などとは。
尚不思議そうな目を向けてくるにどう答えたものか。だがの気を逸らすように、カチャと陶器の鳴る音が響く。
 
「言われたし、俺、授業に戻るわ。コイツ連れて」
「って俺もかよ!?」
 
手に持っていたカップを机の上に戻し、銀八が立ち上がる。高杉の襟首を掴んで。
抗おうとしたものの、だがここで授業に戻るのは嫌だとゴネるのも情けない。駄々を捏ねる餓鬼でもないのだから。
何より、銀八がサボリを返上すると言うのに自分は居座ると言うのでは、格好がつかない。
渋々、飲みかけのカップを同じように机の上に戻す。
 
「もう授業サボったらダメですよ、坂田先生?」
「おう」
「高杉くんもね?」
「…………あァ」
 
それぞれの返答に、どれだけの信憑性があるものか。
頷いた当人達にしてもそれはわからない事ではあったのだが、はそれで満足したらしい。にこにこと笑っている。
手をひらひらと振るに見送られ、二人は連れ立って教室へと戻る。高杉にしてみれば銀八と連れ立つなど御免被りたかったのだが、に見送られてしまった以上、教室へと戻らなければならないような義務感を抱いてしまう。
授業中の、誰もいない廊下。二人分の足音だけが響く沈黙を不意に破ったのは銀八だった。ポケットから煙草を出しながら「お前さァ」と言葉をかける。
 
「授業サボんのはどうでもいいけどよ」
「どうでもいいのかよ」
「サボって保健室行くのは、これから禁止な」
 
銜えた煙草に火をつけながら、器用に銀八が言葉を続ける。
サボリを容認するわ、生徒の前で平然と煙草を吸うわ。およそ教師らしくない銀八のその言葉は、に対する牽制のようでいて、確かにそれもあるのかもしれないがしかし、それ以上の意味を孕んでいるようでもある。そぐわないほど真剣な声音に、そう感じざるを得ない。
 
「どうしてテメーにそんなこと指図されなきゃなんねェんだよ」
先生クビにされたくなきゃ、大人しく従っとけって―――今朝の職員会議で指摘されたんだよ。授業をサボって保健室に居座ってる生徒が多いって」
 
まぁちゃんにも問題はあんだけどよ、と苦笑する銀八の言葉には、高杉も頷いてしまう。
明らかに仮病によるサボリとわかる生徒を、叱りもせずに保健室に置いているのだ。教員としてそれは間違った行為だろう。とは言え、保健室に居座っている筆頭たる自覚のある高杉自身がとやかく言える立場ではないのかもしれないが。
 
「要はセンセは、お前ら生徒から嫌われたくねェだけなんだよな。そりゃそーだ。ちゃんに限らず、普通は他人から嫌われたくねェって思うよな?」
 
にやにやと何かを言いたげに投げかけられる銀八の視線を、敢えて高杉は気付かない振りをする。
どうせ俺は普通じゃねーよ、と胸中でのみ自棄気味に言い返して。
だが奇人変人揃いの3年Z組においてその程度、特に際立った異端でもない。
 
「他人から嫌われないようにする一番簡単な方法ってのは何だと思う?」
「知るかよ」
「他人を甘やかすことだよ―――ま、教育者としては間違った方針だけどな」
 
煙を吐きながら口にしたその言葉は、随分と真面目ぶったものだ。こうして見ると、いっぱしの教育者に見えるのだから不思議なものだ。
だが普段が普段だけに、どうにも胡散臭い。
そう思われていることを知ってか知らずか。いや、知っていたとしても銀八ならばそ知らぬ振りをするだろう。
ぺたぺたとスリッパの音を一定のリズムで響かせながら、淡々と言葉を連ねてゆく。
 
「だからおめーらはただ単に甘やかされてただけなんだよ」
「…………」
「歓迎されるとかコーヒーの好みを覚えられてるとか、その程度のコトで自惚れてんじゃねーよ、ガキが」
「なっ!?」
 
それは図星か否か。
いきり立ちかけたものの、今が授業中だということを思い出した高杉は何とか言葉を飲み込む。
締め切られた他所の教室から漏れ聞こえる教師や生徒の声。板書の音まで。それらの音を聞き流しながら、目的地である3年Z組はもう目の前。別段、戻りたい訳でもなかったのだが。
―――別に、自惚れてなどない。そんなつもりは無かった。
だが、自分が特別扱いをされているのでは、という思いならばあったかもしれない。
授業をサボっても怒られることなく。他に誰もいない時には「他の子には内緒だよ?」とこっそり菓子とコーヒーを用意してくれ。
それが決して自分だけに対する特別待遇ではないとわかった瞬間、確かに面白くない思いに駆られはしたが。
だがそんな待遇を銀八が知っていたはずもない。が話したのか、それとも態度で悟られてしまったか。何れにせよ面白くない事実が輪をかけて面白くなくなっただけだ。
やはり、自惚れていたのかもしれない。自惚れる理由などありはしないというのに。得意気になる必要性など、どこにも―――
突き詰めれば、何か答えが出そうな疑問。
それに答えが出るよりも先に、二人は教室の前へと着く。
入口の扉に手をかけ、すぐに開けるのかと思いきや。ついでのように「ああ、それから」と銀八が言葉を足した。
 
ちゃんは俺が貰うから。ガキが大人の色恋に首つっこむんじゃねーぞ」
 
煙草を銜えたまま口角を上げたその表情は、余裕綽々の笑みにしか見えない。
事実、余裕なのだろう。何せ、当の本人すらまだはっきりと気付いていなかった感情を見透かしていたのだから。
その上での、牽制か。
だが、だからと言って大人しく引き下がる高杉ではない。
自覚させられたのだから、その責任はしっかりとってもらおう。
余裕の笑みを睨みつければ、宣戦布告は成立。
それをどう受け取ったか。銀八がスッと目を細めたのは一瞬。鋭い眼光は気のせいだったかのように気だるい表情に戻ると、教室の入口をガラリと開けた。



<終>



当人の与り知らぬところで争奪戦繰り広げられてる、ってのは逆ハーの醍醐味だと思うのです。
まぁこれは逆ハーって程のものでもないですし、そう大した展開にもならないのですが(笑)

('08.06.29 up)