江戸の中心部からやや離れた地区。
店や民家が立ち並ぶその中、細い路地裏に面した長屋。並ぶ引き戸の一つを迷うことなく選ぶと、その前で足を止める。
呼び鈴などという洒落た物はない。しかし中の住人に呼びかけることはしない。代わりに、一言。
「赤壽庵のチョコレートの金平糖」
「マジでか!!」
まるで戸のすぐ向こうで待ち構えていたかのような早さで、外と室内を隔てる引き戸がガラリと開けられる。
中から目をキラキラと輝かせて現れたのは、一人の女。
。
江戸随一の情報屋との評判も高い、人物である。
彼氏の事情、彼女の事情
「で、土方さん。今日はどうしたんですか?」
小袋に詰められた金平糖を一粒一粒、愛おしそうに頬張りながら。はひどく上機嫌に歩を進める。
それもそのはず。赤壽庵の金平糖と言えば、それだけでも入手が難しい。中でも限定品となる今回の金平糖などは、予約をしても受取は2年後になるという超人気商品にして稀少品。これで機嫌を悪くされようものなら、苦労して手に入れた甲斐が無い。
江戸随一の情報屋。利用料は現金に非ず。世に名だたる老舗、隠れ名店問わず、頬が蕩け落ちそうなまでの甘味を用意すること。
最初に聞いた時は耳を疑ったものだが、しかしその情報に嘘は微塵たりとも存在しなかった。
確かにすぐ隣を歩くは、評判の菓子一つで、一体どこから仕入れたかも知れぬような情報をあっさりと提供してくれる。
ただし問題は現物支給であるその一点で、いくら現金を積もうともは頑として口を開かないのだから、変わり者と言えば相当の変わり者に違いない。
小首を傾げて上目遣いに尋ねるその仕種は、実に男心を擽る。実際、街行く男たちの大半は呆けたようにに見惚れている。
そんな自身の影響力をよくわかった上で、敢えてそんな仕種をしているのだと。いつだったかが笑いながら話していた。実にタチが悪い。
おまけに、下手をすれば江戸を揺るがしかねないような情報を繁華街のど真ん中で話すような女だから、ますますもってタチが悪い。
本人に悪気が無いのは、それなりに付き合いを重ねればよくわかる。悪気は無いのだ。ただ単に何も考えていないだけだ。自分が持つ情報の価値というものを。
が認識しているのは、情報の価値ではない。自身の価値のみ―――だからこそ、惜しげもなく自身の持つ情報を差し出すのだ。自身の価値を評価した相手にのみ。
扱いやすいのか、扱いにくいのか。
何にせよ、の持つ情報が有益であることに違いは無い。だからこそこうして、わざわざ菓子包みを持って訪れるのだ。
「最近、街中で攘夷浪士どもを見つけても、すぐに姿をくらましやがる。どこぞで匿ってやがるはずなんだが、わかるか?」
「んー。お侍さんの溜まり場、ってことですか?」
「アイツらが侍なんて上等なタマかよ。でもまぁ、テメェらから見たら似たようなモンかもな」
「じゃあ……藤陽さんとこ、かなぁ」
あそこの水羊羹は絶品だったんですよ、とどうでもいい情報までは付け加えてくる。そして、でも代替わりしてから質が落ちて固定客が減ってるんですよね、とも。
要するに、現在の店主が怪しいと言うことか。
「月曜定休なんですけどね。でも噂があって。定休日のはずの月曜日に裏口に回って合言葉を唱えると、先代の絶品水羊羹が貰えるらしいんですよ」
でもその合言葉がどうしてもわからないんですよねー。
金平糖を頬張りながら、は不満そうに頬を膨らませる。余程悔しいらしいが、仮にその合言葉がわかったところで、水羊羹は出てこないだろう。出てくるのは攘夷浪士の集団に違いない。
しかし膨れたその顔も可愛らしく、やはり街行く男たちが束の間足を止め見惚れている。
とは言え土方にとっては、情報屋の行動や仕種など興味の範疇外。それより重要なのは攘夷浪士の検挙。出来る事ならば合言葉とやらも知りたいところだったが、場所がわかっただけでも良しとすべきか。
明らかに見られていることを意識した笑みを可愛らしく浮かべているに、他にも幾つか聞けば、すんなりと欲しい情報が手に入る。
誰も、可愛らしく微笑んで喋るが江戸随一の情報屋だとは思わないだろう。まるでそぐわない。姿だけ見れば、とりとめのないお喋りに興じる年頃の娘にしか見えないだろう。
すらすらと情報を口にするに呆れとも感心ともつかない思いを頭の片隅にとはいえ抱かずにはいられない。
だがそれはそれだけの話。
赤壽庵の金平糖を苦労して手に入れただけの甲斐があった収穫に満足すると、に別れを告げて土方はその場を去ろうとしたのだが。
しかし去るよりも先にに呼び止められた。何事かと思い振り返れば、は先程までと変わらない笑みを浮かべて。
「土方さん。私のところに来るのは、もうこれきりにしてくださいね」
「……はァ!?」
「私は都合のいい女なんかじゃないんです」
あまりにも唐突すぎる内容を笑顔で告げられ、一瞬思考が止まる。
何を言われたのか、わかりはしても理解まで到達しない。
余程間抜けな顔でも晒していたのだろうか。が一つ、溜息をついた。のそんな姿はもしかしたら初めて見るかもしれない。
「他の人もそうなんですけど、私のこと一体なんだと思ってるんですか?」
「何って、情報屋だろ」
それは土方にとって至極当然な答えだった。
のことを知ったのも、そもそもは情報屋としてである。についての認識などそれが唯一であり、それ以外には特に必要無いと思っていた。
土方にとってはは情報屋であり、それ以上でもそれ以下でも無い。
それを生業としている以上、その肩書きを認識されるのに何を不満に思うのか、は。
だがの答えは、そんな土方の疑問を根底から覆すようなものだった。
「あの。何ですか、それ?」
「は?」
「私、そんな物になったつもり一度も無いんですけど」
沈黙。
困惑した声音にも、何の冗談かと思わずにいられない。
しかし土方を真っ直ぐに見据えてくるの表情はいつになく真剣で、その言葉が嘘偽りないものなのだと知れる。
「だったらなんでそんだけ色々知ってんだよ!?」
「だって皆、聞いてもないのに色々話してくれますし。記憶力いいから覚えてるだけですよ、どうでもいい話を」
「どうでもいいってな、お前……」
が持つ情報の中には、使い方次第では国を揺るがしかねないような物もある。一介の町人が知りうるようなものではない。
だからこそ、江戸随一の情報屋という肩書きは伊達ではないと思ったのだ。
それを「どうでもいい」と言った挙句に、「そんな物になったつもりは無い」と来たものだ。
確かに、情報屋にしては自身の持つ情報を軽々しく扱っている印象はあったのだ。そのつもりがなかったのだと言われれば、その点については納得が行く。
「報酬要求してるじゃねーか」
「お菓子のことですか? 私とデートしたいならお菓子の一つや二つ持ってくるの、当たり前ですよ」
「デート!? これデートだったのか!!?」
あまりにもあっさりとしたの答えに、土方は思わず頭を抱えてしまった。
言われてみれば、若い男女が二人並んで歩いていれば、傍から見ればデートに見えるかもしれない。しかもが笑顔を向けてくるのだから、尚更だ。土方自身はそんなことを考えた事もなかったが。
道理でいつもいつも外に連れ出されると思ったのだ。不思議には思ったが、一人暮らしの女の部屋に男を入れたくないだけだろうと、勝手に納得していたのだ。
全てを否定された気分で、今度が土方が溜息をつく番だった。
「で、結局、何がお望みなんだよ、テメーは」
本人の自覚はどうあれ、が持つ情報が有益であることに違いは無い。
この情報源を失うのは非常に痛い。
結局のところ、は何を望んでいるのか。頭を掻きながら聞けば、は拗ねたように口を尖らせた。
「何って……ちゃんと私のこと、見てくださいよ」
「……オイ、それは」
「こんなに可愛い私が隣にいるっていうのに、土方さんはいっつも難しい顔してるし! つまんない話しかしないし! 男ならもっと私のこと愛でて崇めて尽くしてくれてもいいじゃないですか!!」
「テメーで言ってんじゃねェェェ!!」
一瞬でも色恋めいた言葉を期待してしまった自分が憎い。
自身の容姿について自覚しているのこと。要は、それを蔑ろにされるのが気に入らないだけか。
外見とは裏腹に、その中身はまったくもって可愛げが無い。それは間違いない。
それなのに、強気にそんなことを口にしておきながら、土方の顔色を窺うように不安げな目を向けてくる様には、可愛げを感じてしまう。
可愛いんだか、可愛くないんだか。
再度、溜息をついてしまう。
「顔は生まれつきだし、つまらねェ話もそれしか知らねェんだからどうしようもねェだろ」
「…………」
「あとは愛でて崇めて尽くして欲しい、だったな。これで勘弁しろよ」
よく見れば、の目にはうっすらと涙が溜まっている。それほど土方から返される反応が不安だったのか。不安になるほどに、土方のことを。
―――可愛いじゃねーか、チクショー。
胸中でだけ呟くと、そっと口唇を重ねた。
その場が街の往来だという事に二人が気付くのは、その数秒後である。
<終>
延々と「ガチャガチャきゅ〜と・ふぃぎゅ@メイト」聞いてたら、何だか書きたくなった一品です。
でも歌詞と内容はあまり関係ございません。いつものことですが。
勢いだけで書いてしまいました。スミマセン。でもこれもいつものことですね。
('08.07.07 up)
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