「ふくちょー。明日から有休貰ってもいいですかー?」
「あ?」
「ちょっと駈け落ちすることになっちゃって。ハイ、書類」
にこにこと笑いながら休暇の申請用紙を差し出してきたは、いつも通りで。だから一瞬、不審にも思わず土方は書類を受け取ってしまった。
申請された期間は一週間。無理とは言わないが、出来ることならばもっと早く申請してほしかったものだ。
だが今更言ったところでどうしようもない。まぁどうにでもなるだろうと承認しかけたところで、ようやくの言葉の奇異に気付いた。
「……駈け落ち?」
「うん」
「誰が」
「私が」
「…………」
余りにもあっさりと告げられた答えに、土方が思わず呻いたのは言う間でもない。
言葉は建前 本音は隠せ
が有休をとって駈け落ちしてから、今日で一週間。
だが駈け落ちと言っても、本気で駈け落ちする訳ではないらしい。よくよく考えてみれば当たり前の話で、駈け落ちというものは周囲から交際を反対された男女がとる手段であって、反対どころか交際相手もいないが駈け落ちなどできるはずもない。
確かに、にそんな相手がいたのかと一瞬焦りはしたのだが。
話を聞けば今回の駈け落ちは偽装に過ぎないらしい。
講談などでありそうな話だ。親が勝手に結婚相手を決めたものの、本人には好いた相手がいる。だが親は何を言っても聞き入れてくれない。このままでは無理矢理結婚させられてしまう。さてどうしよう。
そんな相談を知り合いから受けたが提案したのが、駈け落ちだったらしい。
しかし思い人と言っても片想い、まさか告白も何もすっ飛ばして駈け落ちを願い出るなどできようはずもない。
とりあえず親を諦めさせればいい。そんな訳で今回の偽装駈け落ちへと話を進めたのだそうだ。
言い出したが、旅行がてらその偽装駈け落ちに付き合うことになったのだと言う。旅行代金その他諸々は全て負担してもらえるらしく、上機嫌では出ていった。
それはいい。むしろ一週間の期限付きとは言え少しは屯所が静かになると、清々したものだ。
初日から、景色だの食べ物だのどうでもいいような写真が添付された、まともな本文も無いメールが日に何通も届いたりしたのだが、普段の喧しさに比べたら余程大人しい。
これなら今回限りと言わず毎月でも駈け落ちしてもらいたいとさえ思っていた、その矢先だった。
いつもと同じく携帯に送られてきた写真に写っていたのは、と、見知らぬ若い男。海を背景に親しげに顔を寄せ合って写る二人の姿は、知らない人間が見たら恋人同士だと思うかもしれない。
事情を知る土方でさえ、疑わざるをえなかった。
どんな意図でこんな写真を送ってきたのか、それとも意図などまったく無いのか。
人物写真はこれ一枚。その後も相変わらずどうでもいいような写真が何回も送られてきたが、二人写った写真がその中に紛れてしまうことはなかった。
そして今日が有休の期限。はまだ帰ってこない。
本当に帰ってくるのか、もしかしたらこのまま本当に駈け落ちしてしまうのではないか。
そんな、愚にもつかない考えが頭を過ってしまう。
に限ってそんなこと、と思いはするものの、そのたび写真の男が脳裏をちらついて仕方がない。
写真の男が偽装駈け落ちの相手なのだろうか。一週間も男女が共に旅行していて、本当に何もないのか。たとえ片思いの相手がいたところで、ここまで付き合うに気持ちが揺らいだりしないのか。或いは既に―――
「何やってんですか、副長。間抜け面晒しちゃって」
「っ!?」
一体いつの間に帰ってきたのか。
珍しいものを見たとでも言いたげに目を瞬かせるの姿に、今ばかりは土方も怒る気にはならなかった。
それでも胸中の安堵を悟られぬよう押し隠す土方に、「ハイ」とが一枚の紙を差し出してきた。
受け取ってみればそれは休暇申請用紙。期間は明日から一週間。
「や、向こうの親がなかなか諦めてくれないもんで。局長に聞いたら今は大きな事件もないし、もう一週間くらいならいいって言うから」
だから駈け落ち延長です、とは笑いながら言う。まるで何でもないことであるかのように。
実際、自身にとっては何でもないことなのだろう。だが土方にとっては違う。ろくでもないことまで考えずにはいられなかったここ数日。それがまた更に一週間延びると言うのか。
そんな土方の胸中など知らず、はこれで休みが確定したとばかりに部屋を出ていこうとする。
「でもこれで諦めてもらえなかったら、本当に駈け落ちしちゃうしかないですねー」
あはは、と呑気に笑いながら行こうとするのその言葉に、土方の中で何かが弾けた。
たとえ冗談だったのだとしても、それは不安を煽るには十分に過ぎた。
愚にもつかない思考が現実になる瞬間。まるでがこのまま本当に見知らぬ男と駈け落ちしてしまうのではないか。
理由のわからない焦燥感に駆られ、考えるよりも先に身体が動いていた。
「行くんじゃねーよ」
「へ?」
「行くんじゃねェっつってんだよ」
「え、ふ、ふ、ふふふくちょおぉぉっ!!?」
わたわたともがくに構うことなく、土方は背後からの身体を抱きすくめる。
このまま行かせてなるものか、他の男に渡してなるものか―――ここへ来てようやく、土方は燻っていた感情の正体を知る。酷く単純なそれは、あまりにも単純すぎた故に気付かなかったのか。何故よりにもよってに……という疑問は無いわけではないが。
「ふくちょおぉ、お気を確かにぃぃ〜」
「これ以上ねェくれーに確かだよ」
「じゃあ変なもの拾い食いしたんですね!」
「食うか!」
「あ、マヨネーズ摂取し過ぎで脳ミソマヨネーズなホラー展開に」
「なってねーよ!!」
「じゃあ何ですか? 実は私の余命が一ヶ月で、最後にいい思いさせてやろうとか!?」
「……テメーは確実に俺より長生きするだろうよ」
「だったら何なんですかこの状況! あり得なさすぎてヘソで茶が沸きそう……そうか! 副長のヘソで茶が沸いたんですね! だからこんな奇行に」
「沸いてんのはテメーの脳ミソだろうがァァァ!!」
「あ、あの……お取り込み中、ごめんね、ちゃん」
状況にはあまりにも不釣り合いなやり取り。しかしやり取りは普段と何ら変わりはないのだから、似つかわしくないのは土方がを背後から抱き締めているという、この状況なのだろう。
そうなると、がこの状況を指して「あり得ない」とするのは至極当然のことなのかもしれない。しかし土方にしてみれば、たとえあり得ない行動なのだとしても奇行だと笑われようとも、それでを引き留められるならば何だってするつもりだった。
だがそこへ、突然の闖入者。と同年代ほどの少女が困ったように目の前に立っていた。その後ろでは、彼女を連れてきたのだろうか、近藤が居心地悪そうに不自然に顔を背けていた。
闖入者に先に反応したのはだった。土方の力が緩んだのを見逃さず、腕の中から抜け出す―――前に、アッパーカットを見舞ってきたが。
「う、ううん、大丈夫。大丈夫だからっ! 取り込み中っていうか取り込まれ中なだけだったから! それより、もう時間だった? ごめんね、遅くなって。それもこれも副長が」
「俺のせいなのかよ……」
力の限りに殴られ痛む顎を擦りつつ呻いたが、はそんな土方のぼやきなど聞いてはいないようだ。いつものことだ。
「違うの! あの、今、お母さんから連絡があって。その、相手の意向もあるからすぐに破談にはできないけど、一先ず話し合おうって。その……駈け落ち相手も一緒に」
「え。でも駈け落ち相手って……」
「さすがにちゃんじゃ、駈け落ちが嘘だったってわかっちゃうでしょ? そしたら、その、近藤さんが一緒に行ってくれるって……」
「困ってる市民を助けるのも、真選組の役目だからな」
豪快に笑う近藤は、事の次第を把握しているのか。土方はまるで把握できていない。わかるのは、頬を赤らめて近藤を見つめている少女の様子から、彼女が近藤のことを好いているのだろうということくらいだ。
「そういうわけだから、ちゃん。一週間ありがとう。また今度、お礼するね」
「いいっていいって。まだ終わった訳じゃないんでしょ? 上手くいくといいね」
「うん。ありがとう! 私、頑張る!」
笑顔で近藤と連れ立って去っていく少女に、は手を振っている。
二人の会話からすると、どうやら今の少女がの駈け落ち相手だったのか。だとすれば、写真の男は誰なのか。
軽い混乱に陥る土方を他所に、は何事もなかったかのように歩き出す。
「オイ」
声をかけると、ビクッと身体を震わせては足を止める。しかしそれは一瞬。
次の瞬間にはは脱兎の如くに走り去ろうとした。
「待たねェと切腹させっぞ」
さほど大声を出した訳ではない。が、どうやら声は届いたらしい。再びその身をビクッと震わせると、観念したようには戻ってきた。後ろ向きで。何とも器用なことだ。
「な、なんでございましょうか、副長」
「どういう事か説明してもらおうか」
「え、別に。今の子が偽装駈け落ちの相手で。あ、でも、もう解決しそうなので、さっきの有休申請は無かったことにしてもらってもいいですよ。じゃっ、私はこれで」
「ならあの写真の男は誰なんだよ!?」
背を向けたまま、またも走り去ろうとするに、土方は思わず声を荒げた。
の回答はほぼ予想通りのものだった。だが肝心な部分が抜け落ちている。
驚いてようやく振り向いたは、目を瞬かせている。まるで奇異な事でも聞いたかのように。
「……何ですか、ソレ?」
「惚けてんじゃねーぞ。メールで送ってきやがったろうが」
だがそこまで言ってもは首を傾げている。傾げながら訝しそうに自分の携帯電話を確認する姿は、真実心当たりがないようにも見える。第一は、その場しのぎの嘘は吐けても、それを惚け続けていられるほど器用ではないはずだ。
けれども写真は確かに存在するのだ。だからが知らない訳がなく、ならばこれは一体どういうことなのかと土方は再度混乱する。
視線の先、首を傾げていたが、しかし突然「あ!」と声をあげた。
「間違えた! 私が送るつもりだったのはこっちですよ!!」
が差し出した携帯の画面一杯に写っていたのは、夥しい数のタコだった。タコは確かに美味いが、この量は流石に見ているだけで気持ちが悪くなりそうだ。
どういうことなのかと視線を移して無言で問い掛ければ、けらけらと笑いながらが説明を始めた。
「イカ釣り漁船に乗ったんですよ。話のタネに。そしたらイカ釣り漁船だってのに、その漁師の兄ちゃん、今日はタコが獲りたいとか言って、で、ホントにタコ大漁で。あんまり笑えたから兄ちゃんと記念撮影したんですよ」
間違ってそっち送っちゃったんですねー、とまたけらけらとは笑い出す。
確かに笑い話かもしれない。ただ単に送る写真を間違えただけのこと。それだけなのだから。
しかし土方にとっては最早笑い話では済まされない。
自覚する羽目になった感情。何より、を抱き締めてまで止めようとしたのだ。何の誤魔化しも出来ようはずがない。
血の気が引く思いに駆られながらも、どうにかこの場をしのげはしないかと土方は懸命に考える。今しがた自覚させられたばかりの感情を、こんな形でに知られるのは甚だ情けない。
「で、何でイカ釣り漁船の兄ちゃんが気になるんですか?」
「……てめーには関係ねェよ」
しかし巧い理由付けなどできず、突っぱねるしかない。
流石にも訝しく思うらしく、「何ですか、それ」と呆れたように言う。が、だからと言って正直に嫉妬したからなどとは言えるはずもない。
それ以上は何も言わない土方に、これ以上問い質しても無駄だと悟ったのだろう。諦めたようにが溜息を吐く。そして。
「ところで副長。有休の理由、旅行って言えば一言で済むのを、何でわざわざ『駈け落ち』って説明したか、わかります?」
まぁ副長には関係ないですけどね。
そう言い捨てて、今度こそは早足で行ってしまった。
残された土方は一人呆然としていたが、すぐにの言葉の意味を考える。
普段の行動を考えれば、特に何も考えず、単に驚かせようとしての言葉だったのではと思う。
だがこの現状。もしが土方の本音を見抜いていたとしたら。土方と同じように「関係ない」と返した、その裏に含む意図が同じなのだとしたら。
随分と勝手の良い解釈なのかもしれない。そんな御都合主義が罷り通る世の中であるはずがない。
だからそれについては、考える事をやめることにした。ついでに今日の醜態も記憶野から追い出すことにした。
忘れた上で。
改めて、これから先どう動けば、を確実に手に出来るのか。そんなような事を考えることにした、土方だった。
<終>
書き始めた経緯がまったく思い出せないのですが、何やら携帯のメール機能を使って途中まで打ち込んであったのを、書き上げてみました。
多分、駈け落ちごっこがしたかっただけなんだと思います。
('08.08.18 up)
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