その子は、私が働いている甘味処の常連さん。
いつも懐っこい笑みで話しかけてくるその子のことを、私は弟のように思っていた。そして向こうも私のことを姉のように思ってくれているのだろう、と。
けれどもそれは、私の勝手な思い込みに過ぎなかった。
「俺はアンタのことが好きなんでさァ。さん」
目の前にいたのは、弟みたいに可愛く思っていた子じゃなかった。
掴まれた手首が、真剣な眼差しが、痛くて。心臓が、痛くて、たまらなくて。
その手を振り払って、私は思わずその場から逃げ出してしまった。
LOVEさんぶる
突然告白されたのは、数日前。
それ以来、沖田君はお店に顔を出してこない。面と向かい合ったのはそれきり、すれ違ったのはその後に一度きり。仕事の最中だったみたいで、私にはまるで気付いていなかったようだけども。
今度会った時、一体どう接したらいいのだろう。ずっとそればかり考えてる。
脳裏に浮かぶのは、いつも目にしていた年相応の笑顔。飄然としたそれが逆に背伸びしている子供みたいで可愛いと思ってた。けれども告白の時に見せたのは、不相応に大人びた真摯な瞳。それを思い出しただけで、私の心臓はドキドキと煩いまでに鳴り出す。
どうして私なんかに告白してきたんだろう。もしかして、ただの冗談なのかもしれない。それなら、また元のような関係に戻れるのかもしれない―――
そう考えた途端、ズキリと胸が痛んだ。
理由なんてわからない。どうしてわからないのかも、わからない。
ああもう、どうして私がこんなに悩まなくちゃならないんだろう。こんなことなら、冗談でも何でも告白なんてしないでほしかった。
店内にいた最後のお客さんを店先まで送り出して、小休止の束の間。次のお客さんがいつ来るかわからないけれども、耐え切れなかった。お盆を抱えたまま目を閉じて、私は息を大きく吐き出す。要は溜息、なのだけれども。
「どうしたんですかィ。そんなデカい溜息ついて」
「ひゃあっ!?」
背後から突然降ってきた声に、思わず悲鳴をあげてしまった。
それはあまりにも唐突で。だからこそ、考えるよりも先に、咄嗟に振り向いてしまった。
振り向いた先。私のすぐ後ろに立っていたせいで、真っ先に目に入ったのは真っ黒な制服。ふと視線を上げたところで、今一番会いたくなかった人―――沖田君と目が合ってしまった。
跳ね上がる、私の心臓。それは驚いたせいなのか、それとも他の理由からなのか。
その顔にあるのは、飄然としたいつもの笑み。だけど違う顔も持ってることを、私は知ってる。もう可愛い弟みたいな存在ではなくなってしまったことを、よくわかってる。
どう接したらいいのだろう。その結論はまだ出てないまま。無意識の内に一歩、後ずさってしまった。
本当に無意識の行為。だったのだけれども、やってしまった瞬間、してはいけない事をしてしまったと自分でも感じた。私が後ずさったことで、目の前の沖田君の顔が曇ったような気がした―――傷ついた、ように。
途端、胸を締め付けられるような気がした。違う、こんな顔をさせたかったわけじゃないのに。
「そんなにイヤだったんですかィ、俺に告白されたのが」
「そ、それは…っ」
「イヤだと言われても、受け付ける気は無ェんですが」
言われた言葉の内容を理解する間もなかった。
あっという間に腕を掴まれて。目の前には真剣な表情の沖田君。数日前と、同じ。
真剣な顔をするとどこか大人びて見えるのは、この子が真選組の一番隊隊長なんて肩書きを持っているせいなのかもしれない。なんて、関係のない思考がちらりと過ぎる。
「俺は本気で、さんのことが好きなんでさァ」
ドキン、と高鳴る胸。
告白されて嬉しくない女の子なんていないだろう。私だって。嬉しい。嬉しいけれども。
だけど私にとって沖田君は、弟みたいな存在。のはず、で……
「……いや、って言ったら?」
拒否は受け付けないって、一体どういうこと? 私に拒否権は無いの?
どう対応していいのかわからなくて、さしあたっての疑問を口にしてみた。どんな答えが返ってくるか、考える余裕も無い。それよりも、どうにかすべきはこの状況。本当、どうしたらいいの、私は。
私の問いかけに、沖田君は目を瞬かせる。きょとんとしたその表情は子供じみていて、何となく安堵した―――のは、けれども一瞬に過ぎなくて。
「さん、監禁して調教されたいんですかィ?」
「…………はい?」
「俺はそれでも構わねェんですが」
にやりと浮かべられた意地の悪い笑みに、背中を冷や汗が伝い落ちていくような気がした。
冗談でしょう? なんていつもなら笑ってかわせるはずなのに、今日ばかりはそれも叶わない。
まるきり冗談としか思えない内容と、その表情。それなのに掴まれた腕の痛みが、冗談なんかじゃないと伝えてきてるようで。
そんなの御免被りたい。そう思っても、この前みたいに手を振り解くことができないのはどうしてなのだろう。真剣な眼差しから目を逸らすことができないのはどうしてなのだろう。
「そうすると、私の選択肢は」
「今すぐ俺と付き合うか、調教されて付き合うか、どっちかですねィ」
「……それ、最終的にどっちも同じなんだけど」
「過程がまったく違いまさァ」
茶目っ気たっぷりに、冗談だと。今からでもいいから言ってほしい。
その行動も、この状況も。
口調だけは冗談めかして聞こえるけれども、まったくもって冗談には見えないその目。
ずるい、と思った。一つしか無い選択肢よりも何よりも、その瞳が。逸らすことを許されないような視線に射抜かれたように、私は動けずにいる。
随分と長い時間にも感じられたけれど、実際はそうでもなかったのだろう。でなければ、店先の通りに二人、何をやっているのかとお店の人や通行人に怪訝に思われかねない。もう、思われていたのかもしれないけれども。
不意に逸らされた沖田君の視線。怪訝に思う間もなくすぐに戻ったそれは、逸らされる前のものとはまったく異なっていた。自信たっぷりの強気な光は消えて、困ったような、辛そうな―――
「―――今の話、全部冗談ってことにしてくだせェ。俺は別に、さんに迷惑かけたかったワケでも、そんな顔させたかったワケでもないんで」
それは、私の台詞。私だって、沖田君にそんな顔させたい訳じゃない。
離された腕は自由になったけれども、それが心なしか淋しい。そう思ってしまった私はきっと、もう後戻りできないのだろう。
本当に、ずるいと思う。
あっさりと手離されて。そんな事を言われて。そんな顔をされて。
胸の中でズキリと痛んで膨らむのは、安っぽい罪悪感なんかじゃない。もっと別の感情。
「め、迷惑なんかじゃないから!!」
離れていく手を縋るようにして掴んだ拍子に、腕の中に抱えたままだったお盆が落ちてカン、と音を立てる。その音に何事かと通行人の何人かがこちらを見たけれども、それに構っていられる余裕は私には無かった。
さっきとは真逆。けれども沖田君の腕を掴んで、一体私は何を言うつもりなのだろう。自分のことなのにまるでわからない。
ただわかるのは、告白が迷惑なんかじゃなかったことくらい。驚いたけれども。戸惑ったけれども。散々悩まされもしたけれども。それでも、迷惑なんかじゃなかった。それだけは、確か。
「迷惑じゃないの! ただちょっとビックリして、その、だって私、沖田君のことそういう風に考えた事なくて、だから」
「へェ。じゃあ俺と付き合うって事でいいんですねィ?」
…………はい?
どうしてそんな結論になるの?
頭上に疑問符を浮かべて目を瞬かせている間にも、沖田君の表情がにやりと笑ったそれへと変わる。
さっきまでのしおらしい表情はどこへ行ったのか。あまりの豹変振りに、まさか今の表情は演技だったんじゃ、なんて疑念さえ湧き起こってくる。
でも今は、そんなことを追及してる場合でもなくて。
「えっと、私が言いたかったのは、考える時間を頂戴ってことで」
「そんなもの、付き合ってから十分にあげまさァ」
「……一応聞くけど、やっぱりいやだって言ったら」
「監禁場所探さなきゃなんねェですねィ」
あっさりと言ってのけた沖田君の言葉に、私は身体中の力が抜けたみたいにへなへなとその場にしゃがみ込んでしまった。
当事者であるはずなのに、まるで事の展開についていけない。
ええと、その、これは、つまり…………問答無用?
思わず頭を抱えてしまった私の前で、沖田君もまたしゃがみ込んで私と目線の高さを合わせてくれる。
「……やっぱり、迷惑ですかィ?」
―――だから、ずるい。本当に、その困り顔はずるい。
そんな顔されたら、無碍に断る事なんかできやしない。
もしかしたら、わかっててやってるんじゃないのか。まさかと思いつつ、もしそれが本当ならば、私は掌の上で踊らされてることになってしまう。それは我ながら情けない。
ああでも、無自覚なのだとしても、十分に振り回されてる。だったら掌の上で踊らされていたところで、五十歩百歩、今更なのかもしれない。
「さん?」
私の顔を覗きこんでくるその顔は、不安に思いながらもおねだりしてくる子供のよう。不覚にも可愛いなんて思ってしまった。
年下って、こういう時に得してる気がする。
そんなことを意識的に利用してるのかどうかはわからない。それでも沖田君ってば、ずるい。本当に。かっこいいかと思えば、そんな可愛い顔して。
でも、ずるいとは思っても、不思議と嫌な感じはしない。どちらかと言うと―――……これは、観念するしかないのかなぁ。
足元に転がったままだったお盆を拾い上げ、顔を隠すように抱える。今の私の顔は見られたくない。絶対に赤くなってるだろうから。そんなことしても無駄だとはわかっていたけれども。
案の定、そんな私のささやかな抵抗は無意味で。
お盆を押し退けて顔を覗き込んでくる沖田君に、私は白旗を揚げるほかなかった。
<終>
最近の私が書く話にしては珍しくも、ヒロインが振り回されてました。
たまには新鮮で良いかもw
BGMは「あっせんぶる☆LOVEさんぶる」という……知らない方も検索していただければわかりますが、エロゲーの主題歌です。でも結構お気に入りの曲です。なんか可愛いんだ、コレ。
('08.09.02 up)
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