天国にある桃源郷、その一角にある漢方薬局『うさぎ漢方 極楽満月』。
この店に勤める従業員たちの朝は早い。
店の掃除から畑の手入れ、場合によっては依頼の入っている薬の調合も簡単なものであればこなしてしまう。
それというもの、肝心の店主の朝が遅いからだ。その理由が、夜遅くまで薬の研究をしているとかであればまだ良いが、大抵は女性と夜遊びしているというものだから、いくら従業員といえども呆れざるをえない。
けれども薬学に関する知識は本物であり尊敬しているし、何故だか憎めない性格をしているため、呆れながらも従業員たちは朝から黙って働いているのだ――全員、ウサギではあったが。
この日もまた、店主である白澤の朝は遅いだろう、と全員が予想していた。何せべろべろに酔っぱらった上での午前様だったのだ。帰ってきだけマシだ、という共通認識の元、いつもと同じように働く。
やがて、そろそろ来客があってもおかしくない時間になる。
案の定と言うべきか、白澤が起きてくる気配はない。帰ってきた時の様子からするに、起きたとしても、そのまま厠の住人となる可能性は非常に高い。
これもまたよくあること、とばかりに従業員たちは諦めている。
が、いくら優秀なウサギたちとはいえ、そのままでは流石に接客までは難しい――筈なのだが。

「――うぅん。やっぱり上手くいかないなぁ」

先程までウサギしかいなかった店内に、突如として現れた少女は、鏡を見て唸る。
透けるような、という表現がまさに似つかわしい、白い肌。ふわりと顔回りを覆う髪は漆黒。ほんのりと色付く頬に、小さな口。
それだけならばどこにでもいそうな少女は、しかし紅玉のように真っ赤な瞳を持ち、その頭上には真っ白な長い耳を二つ揺らしている。更には腰の下にちょんとついている真白な毛玉、のような尻尾。異形の少女は、正体を明かせばこの店の従業員であるウサギの一匹だ。もともと現世にいたウサギだったが、長生きをしていたらいつの間にか妖怪となり、こうして変化できるようになっていたのだ。とはいえその姿は完全な人の形とは異なるため、本人としては至って不満のようで、今日も今日とて鏡の前で愛らしい顔を不満気に歪めている。

「絶対変だよねぇ、これ……どうしたら完璧に変化できるのかなぁ」
「そのままで十分愛らしいですよ、さんは」
「ぅひゃあっ!?」

頭上でぴくぴく動く耳をつまんで口を尖らせていたところに不意に声を掛けられ、少女――は思わず悲鳴をあげる。
慌てて振り向けば、見慣れた姿。この『極楽満月』の常連客にして上客、鬼灯だった。
その姿を認めた瞬間、はそれまでの不満気な表情を一転させ、満面の笑みを浮かべる。

「鬼灯様! いらっしゃいませ!」
「今日は白澤さんは留守ですか?」
「あ、寝てます」
「…………いるんですか」

チッ、と舌打ちする鬼灯を、は不思議そうに見つめる。が、二人の仲が険悪であることは承知しているため、同じ空間にいるのも嫌なのだろうと勝手に結論づけ、特には追及しない。
が、の考えは半分当たりで、半分外れ。
バタン、と勢いよく開かれる扉。何事かと店の奥へと目をやれば、まだ寝ていたはずの白澤がそこには立っていた。だが寝起きのせいか酔いのせいか、顔色は頗る悪い。

「白澤様、大丈夫ですか……?」
「ああ、ちゃん、おはよう。今日も可愛いね。心配してくれてありがとうね。そしてそこの鬼は今すぐちゃんの耳から手を離せ、そして帰れ。二度と来るな」
「朝一でやってきた客にどんな言い草ですか。あとウサギをモフって何が悪い」
「今のちゃんを撫で回すとか変態以外の何物でもないだろ!?」

そう叫んで、自身の声が二日酔いの頭に響いたのか、白澤は頭を押さえて顔を顰める。
慣れたもので、ウサギたちが速やかに水を用意し、二日酔いに効く薬を用意する。
普段であれば真っ先に動くだったが、今は鬼灯にひたすら耳を撫でられているので、動くに動きづらい。

「あ、あの。鬼灯様? そろそろ手を離していただいてもいいですか?」
「…………」
「いえ! 鬼灯様が嫌とかそういうのじゃなくて! ずっと触られてると擽ったくて、その……」
「……仕方がありませんね」

見るからに不満そうな鬼灯を何とか説得して、は解放される。実際、撫でられることは嫌いではない。が、じっと立っていることが辛いのだ。

「それで鬼灯様、今日は何をお求め――もごっ」
「で? 用件は何だよ。さっさと済ませて帰れ」
「貴方に命令される筋合いはありませんね」

いきなり口を塞がれたかと思えば、後ろから白澤に抱え込まれる。
一体何事かと思う間もなく、頭上で散る火花。いや、実際にはそんなもの散ってはいないのだが、敵意だとか殺気だとか、そういったものが飛び交っているような気がする。
こうなることは最初からわかっているのだから、鬼灯もこの店に来なければいいようなものだし、来なければならないのだとしても、白澤も対応を従業員に任せてしまえば良いと思うのだが。それをしないのは何故だろうかと、は不思議でならない。
まぁでも種族は何であれオスって理解できないものだよね、と一人納得して考えることをやめるのがだ。そこで更に追及したのであれば、二人が諍いをするその間には、大概自分自身が挟まれているという事実に気付いたかもしれない。知らぬは当人ばかりなり。

「あの、白澤様?」
「ああ、ごめん。苦しかった?」

口を塞ぐ手をどけたならば、すんなりと白澤はそれを受け入れる。が、後ろから抱き着く体勢は変わらない。
結局これも動きづらいので離してほしいところだが、もぞもぞと体を動かしたならば余計に抱きしめられただけだった。何故だろう、と首を捻っても答えは出ない。視線で訴えてみても、白澤は知らぬ素振りだ。

さん、そこの変態上司、セクハラで訴えた方がいいですよ」
「セクハラじゃない。可愛い従業員を変態鬼神から守ってるだけだ」
「貴方には話してません。セクハラは受け手の認識に依るものですからね。だからさんは今すぐこれをセクハラと認識すべきです」
「そうなんですか?」
「違うからね! セクハラじゃないからね、これは!!」

断固とした口調で白澤が訴えるものの、またすぐ頭を押さえる。二日酔いに効く薬も、流石に即効性まではないのだ。
ああもう、これじゃ話が進まない。
そう判断したは、とりあえず、と強引に白澤から離れる。

「白澤様はまだ本調子じゃないんですから、大人しく座ってるか寝てるか厠の住人となるか、どれかにしてください!」
「厠……」

の言葉に呆ける白澤を他所に、は次に鬼灯へと向き直る。

「鬼灯様は早く用件お願いします。白澤様と喧嘩しても時間と空気の無駄なだけでなく騒音被害で訴えられるレベルですよ!」
「無駄……まぁ、それもそうですね」

鬼灯もまた呆気にとられていたが、こちらの方が立ち直りは早かった。
の言葉に頷くと、そもそもの用件を伝える。そしてを含めた従業員たちがてきぱきと動き、ものの数分で要望通りの薬を取り揃えた。

「流石、仕事が早いですね。では代金はこれで」
「――はい。確かに。早いというか、鬼灯様と白澤様が言い争ってる時間が長すぎるだけだと思います」
「だから私はさんに話しかけるんですが」
ちゃん! その鬼と喋っちゃ駄目! そいつも十分セクハラだ!!」
「いちいち絡んでくるのは向こうですよ。あと『そいつも』と言うことは、自分の言動がセクハラだという認識があるようですよ、貴女の上司は。気を付けてくださいね」
「揚げ足とるな!!」

確かに絡んでいるのは白澤かもしれないが、煽っているのは鬼灯なのだから、どっちもどっちだ。
流石にその言葉は飲み込んで、はにっこりと笑う。

「このままだと白澤様の血圧が上がって血管が破裂しかねないので、申し訳ないですけどお帰りいただいてもいいですか?」
「むしろ破裂した方が世の女性たちのためではないですか?」
「お前の血は氷でできてるんじゃないのか、この冷血漢!!」
「アレでも一応上司なので、破裂するとちょっと困るんですが」
「『一応』なんて酷いよ、ちゃん!」

喚いたり嘆いたりと騒がしい白澤を無視しては何とか鬼灯を店の外へと送り出す。
鬼灯は不満そうだが、このままでは店主自らが営業妨害となりかねない。それは流石に困る。本人たちはともかく、他の客の迷惑になってしまう。

「あの、本当にごめんなさい。白澤様、二日酔いでいつも以上に機嫌悪いんです」
「自業自得の八つ当たりですか。まったく、迷惑な……」

のフォローになっていないフォローは、やはりと言うか鬼灯によってあっさりとはね除けられた。
言わなければ良かったかな、とは思うものの、これ以上に関係が悪化するわけでもなし、別にいいかと思い直す。

「また今度、ごゆっくりしていってください」
「是非そうしたいところですね。白澤さんのいない時に」

もっとも、と言葉を続け、鬼灯はの頬に触れる。

「貴女がここを辞めて私のところに来てくれるのであれば、こんな苦労もないんですが」
「お言葉は嬉しいんですが、私はまだ半人前ですからお役に立てないですよ?」
「……相変わらず鈍いですね、貴女は」

はぁ、と鬼灯が溜息を吐きながら口にした言葉には反論したかったが、頬に添えられた手で頭を撫でられ、まぁいっかと思う。撫でられるのは好きだ。我ながら単純だ。
もしかしたら、このあたりを指して「鈍い」と言われたのだろうか。そんなことを考えながら鬼灯を見送ったが店へと戻れば、酷く不機嫌な白澤に出迎えられてしまった。
手招きされるまま近付けば、正面から抱き締められる。

「白澤様?」
「……アイツのところなんか、行かなくていいからね」

どうやら鬼灯との会話を聞いていたらしい。
大人しく座るか寝るか厠に籠るかしろと言ったのに、ちっとも言うことを聞いてくれない。
すべてを識る神獣で、確かにその知識は尊敬に値するのに。中身は案外子供じみてて、更には少しばかり寂しがりなのかもしれない。まったく、これではおちおちと置いていくことなどできる筈もない。

「大丈夫ですよ。白澤様の面倒をちゃんと見てくれるお嫁さんが来るまでは、どこにも行きませんよ」
「だったら、もうちゃんがお嫁さんになってくれたらいいよ」
「それ、相手が私じゃなかったら冗談で流されませんよ?」
「……やっぱり鈍いよね、君」

どうしてこの流れでそんな言葉が出るのかがわからない。
首を傾げていると、溜息とともに解放された。鬼灯といい、今日はよく溜息を吐かれる日らしい。

「まぁいいや。時間はあるんだし、いざとなったら既成事実作るって手も――冗談だよ!」

他のウサギたちに蹴り飛ばされている白澤を見て、上司の威厳とは一体どこにあるのだろう、とは疑問に思う。
だが、それでも従業員たちが愛想を尽かさないのは、尊敬もあるが、人柄によるのかもしれない。にとっても、白澤は恩人だ。妖怪となってしまい途方に暮れていたを桃源郷まで連れてきて、住処を、生きる術を与えてくれたのは他の誰でもない白澤なのだ。

「はいはい、みんな白澤様を蹴飛ばしたら埃が立つからやめようよ。白澤様は大人しく厠の住人になっててください」
「え、座ったり寝てたりする選択肢はどこいったの!?」

ウサギたちはそれぞれの仕事にとりかかる。白澤は薬が効いて元気になったようだが、それでもまだ本調子ではないのか、溜息を吐きながら厠ではなく寝室へと戻っていった。
そして、しんと静まり返る店内。ウサギたちがたてる物音だけが響くそれは、先程までの喧騒が嘘のようで、少しだけ寂しい気がしてしまう。そう思う程度には、白澤と鬼灯による騒々しいやり取りも嫌いではないのだ。
独りぼっちで途方に暮れていたあの頃。だからこそ、賑やかなのは楽しい。独りではないと、わかるから。
願わくば、いつまでもこのままでいたい。白澤から色々教わり、逆に面倒をみたり、仲間たちと働いたり、時には鬼灯に撫でてもらったり。
不変のものなど、この天国においてすら存在しないのだけれども。それでも、今の日々が変わらず続くことを願わずにはいられない。

「私って、単純で鈍くて、そのうえ我儘なんだ……」

ぽつりと思わず口をついて出た言葉に、すぐ近くにいたウサギがを見上げる。それに「何でもないよ」と笑って首を振り、叶うはずのない願いを胸の奥底にしまう。
そしてはひっそりと祈る。今日と同じ日が、明日も繰り返されますように、と。




しあわせうさぎ




変わることを望まないウサギを変えていくのは、一体誰になることか――


<終>



夢コン連動WEB企画「Nobody Loves, but I!」さまに提出させていただいた作品です。
もふもふはせいぎ!
ということが言いたかっただけのような気もします。
あとは、白澤様と鬼灯様に愛でられたい願望の発露ですね(笑)

('14.12.28 up)