CRAZY LOVE
前日から屯所内に漂う甘ったるい香り。それが何の匂いであるかは、どれ程甘味に疎い人間でも察する事ができる。況してや翌日に迫った最早国民的とも言える行事を思えば尚更だ。
その香りの発生地である台所では、真選組紅一点であるところのが、忙しなく立ち動いていた。
「今年は皆に手作りチョコあげるね」とが言い放ったのはどんな風の吹き回しだったのか。
理由はどうあれ実際に作っているのだから、それはそれで楽しみになるのが男心というもの。たとえこっそりと様子を覗きに行った隊士数名がの手によって漏れなく叩きのめされていたとしても。
誰も立ち入らせず、前日から台所に篭って作っていたというチョコレート。
一体どんなものかと思いきや。
「じゃあ、この箱の中から好きなもの選んで取ってってね」
隊士たちを集めたかと思えば、その中央に段ボール箱を置く。
その中には、可愛らしくラッピングされたいくつもの小袋が適当に詰め込まれている。袋詰めまでは頑張った感があるのだから、褒めてやるべきなのかもしれない。小袋をダンボール箱に適当に山積みしているそのいい加減さの方が、むしろらしいのだから。
あまつさえ、配って回るのも面倒になったのか、好きなものを勝手に取っていけという。
要は「バレンタインのためにチョコレートを手作りする」という世間一般の娘らしい行為をしてみたかっただけなのかもしれない。
それだけでも進歩だと何やら感慨深い思いに駆られながら、土方は目の前の箱から小袋を一つ、適当に取り上げた。
真っ赤な紙袋の口は、金色のハート型のシールできちんと留められている。大きさからして、一口大のチョコが1,2個入っている程度だろう。流石に隊士全員分を手作りしようとすれば、一人当たりこの程度になっても仕方無い。
これで味が良ければいいのだが。いや、せめて胃薬を用意せずに済む程度の物であれば十分なのかもしれない。何せ相手はなのだから。
当人が聞いたら問答無用で回し蹴りとエルボー、アッパーの連続技を食らわせてきそうな事を思いつつ、土方は袋を手にその場を去ろうとしたのだが。
しかし、待ちきれずに袋を開けた隊士たちが次々と妙な呻き声をあげるのを見ては、気にならないわけがない。
「てめェ。一体なに入れやがった」
「え? 開けてみればわかりますよ?」
半眼で問い質しても、は平然と受け流す。その間にも隊士たちは呻き、ある者は悄然として立ち去っていく。
本当に何が入っているというのか。見た目からして衝撃的なのか。強力な胃薬が必要なのだろうか。
ある種の恐怖感さえ覚えながら、どこか期待に満ちた目を向けてくるの前で、土方もまた仕方なしに紙袋を開ける。
中から転がり出てきたのは案の定、一口サイズのチョコが二つ。見た目だけならば、胃薬を用意する代物ではない。
だが隊士たちがこぞって落胆し、打ちひしがれていた理由はよくわかった。
四角いチョコのその一面にはそれぞれ、ホワイトチョコでご丁寧にもこう書かれていたのだ。
『義理』『慈悲』と。
げんなりとした面持ちでを見やれば、にやにやと笑っているばかり。
確かにその通りだろう。これだけ大勢の、しかも女には縁遠い男たちに配るのだから、それはもちろん『義理チョコ』であり『慈悲チョコ』に決まっている。
それはわかるのだが。
だからと言って、わざわざそれを強調しなくてもいいだろうに。こんなものを突きつけられては、お情けでしかチョコを貰えない自分に落ち込むしかない。
だがそれをに言ったとしても、きっと聞き流すのだろう。もしくはそれとわかっていてやったのかもしれない。さぞや楽しかったことだろう、チョコ作りは。
最早褒める気はとっくに失せている。チョコの事はさっさと忘れて仕事に戻るのが一番だ。
チョコを片手に溜息をつき、部屋を出ようとしたその時だった。
「……ありゃ。当たった人、いなかったんだ」
背後で呟くの声が、確かに土方の耳に届いた。
一瞬歩調を緩めた土方の横を、ダンボール箱を抱えたが早足で追い抜いて部屋を出て行く。
ダンボール箱の中には、3つの真っ赤な紙袋。
「え、いいんですか!?」
「うん。屯所で配った余り物なんだけどね。義理チョコで悪いと思うんだけど、いつもうちの局長や副長が迷惑かけてるし、お詫びも兼ねて」
「ほー。できた娘じゃねーか。どっかのニコチン星人マヨラ13とは違ってよォ」
「てめェは何が言いてェんだ」
「って言うか何で副長がここにいるんですか」
3つのチョコレートを手にがやってきたのは、かぶき町の『万事屋銀ちゃん』。
屯所でと同じく、「じゃあ好きなの選んで取ってね」と紙袋を万事屋の三人に対して差し出している。
始めから義理チョコと割り切っている故か、何の迷いも無く適当に紙袋を手にする三人。
その様子をにこにこと眺めていただったが、不意に怪訝な顔を土方へと向けた。
「で、何でいるんですか?」
「……てめェがロクでもないことしでかさねェか見張るためだよ」
にはそう言ったものの、本当の理由は他にある。
もちろん、その理由も無きにしもあらずなのだが。一番の理由は、が呟いた「当たり」の意味である。
義理チョコに当たりも何もあるものか。だがが口にした以上、何かがあるのだろう。それはきっと、あの山ほどあったチョコの中のたった一つに。
一体なにが「当たり」なのか。そのチョコはどんなものなのか。そして誰の手に渡るのか。
だがそれを直接問い質すことなどできるはずもない。詮索すれば、何を言われるかわかったものではない。
だからこうして、無理矢理な理由をつけてを追ってきたのだが。
どうやらは疑問には思わなかったらしい。ただ「そんなことしませんー!」と膨れただけである。
そのことに安堵し、土方はさりげなく最大の疑問を口にした。
「で、当たりのチョコってのは何なんだよ」
「え? なんで知ってるんですか?」
「さっきてめェで言ってただろうが」
「そうでしたっけ?」
首を傾げたということは、どうやらは無意識で呟いていたらしい。
それはともかく、「当たり」という言葉に、早速紙袋を開けかけていた万事屋三人の手がピタリと止まる。
何のことだかわからずとも、「当たり」という言葉を聞いてしまえば、何やら期待感を抱いてしまうのが世の摂理というもの。
三人の様子など気にも留めていないかのように、はにこにこと笑ったまま土方に説明を始めた。
「一つだけ当たりのチョコ混ぜてみたんですけどね。隊の皆、誰も当たってなかったみたいだから、この三つの内のどれかなのは確かなんですけど」
「だから何なんだよ、当たりの内容ってのは」
「私を一日好きに扱える権利をあげ―――」
「神楽ァァァ!! そのチョコ寄越しやがれェェェ!!!」
の言葉が終わるか終わらないかのうちに、絶叫にも近い声が室内に響き渡る。
それが誰のものかは詮索する必要すら無い。何せ、言われた神楽すら反応できずにいるうちに、銀時がその手からチョコの入った紙袋を奪い上げていたのだから。
「何するアルか! それは私が貰ったものアルヨ!!」
「うるせー! オチは読めてんだよ! どうせ当たりチョコはお前が持ってんだよ! そういうオチなんだよ間違いねーよ!!」
だから俺のと交換しろ、と銀時は自分が持っていた紙袋を神楽へと押し付ける。
それでどうやら神楽は満足したようだが、逆に殺気立ったのが土方である。
「なに当たりチョコ狙ってやがんだてめェェェ!!!」
「うるせェ! 俺だって人生一度くらい当たりが欲しいんだよ!!」
「だったら他で見つけやがれ!!」
「俺はちゃんがいいんだよ! 朝から晩まで隈無く好きに扱いてェ―――」
「させるかァァァ!!!」
「って言うか何で副長が騒ぐんですか」
「あ、これ当たりアル」
銀時と掴み合う土方を不思議そうに見ているの横で、さっさと紙袋を開けた神楽が声をあげる。
その場にいる全員が見守る中、神楽が手にしているチョコはハート型。すでに開けた新八が半笑いで手にしている『義理』と『慈悲』のチョコと比べ、その違いは歴然。
更に添えられたカードには、「ちゃんを一日好きに扱える券」と可愛らしい文字で書かれている。
間違いなく当たりチョコである。
動きを止めた二人の前で、「何でも言うこと聞いてくれるアルか!? 酢昆布買占めツアーやりたいアル!!」「ん。いいよ。じゃあ、いつがいい?」などと計画を立てる神楽と。
それを呆然と見ていた銀時だったが、不意にわなわなと震え出した。
「ちょっと待て! それ俺のチョコだろ! 俺が選んだチョコだろ!! 当たり引いてたの俺じゃん! 権利は俺にあるんじゃねーの!!?」
「いや、銀さん、神楽ちゃんのと交換した時点で権利も放棄してるじゃないですか」
「諦めるんだな、大人しく」
「こんなオチ認められっかァァァ!!!」
だがいくら銀時が叫んでも、後の祭り。
新八はさめた目を銀時へと向け、土方は安堵の息を吐く。少なくとも最悪の事態は避けられたらしい。
そして。そんな男たちを他所に、『酢昆布買占めツアー』とやらの計画を嬉々として立てていると神楽だった。
<終>
遅刻どころの話じゃない、バレンタインネタでした。スミマセン。
やっぱり神楽オチで。
('08.02.17 up)
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