あ。万事屋さんがここに来たってことは、メガネ少年にチャイナ娘、姐さんがここにいるってことじゃない。
そうだそうだ。バカ二人よりも、そっちの三人と遊ぶ方が面白いかもしれない。
あのバカ二人といるよりは一人の年越しの方がマシだけど、一人よりもその三人との年越しの方が楽しいだろう。多分。
残り15分。この人ゴミの中からたった三人の人間を探し出せるかどうかは甚だしく謎だけど、何もやらないよりはいい。
境内をうろうろしていたらバカ二人にぶつかる可能性もあるけど、この人ゴミ。可能性は低いはず。
それはつまり、私が三人を探し出せる可能性も低いってことだけど。
自分で弾き出してしまった事実に、乾いた笑いが浮かびそうになる。
だけど可能性はゼロじゃないしね。いっちょやってみますか。
思い立つと、アテも無く境内を人ゴミに紛れて歩き出す。
参拝客目当ての露店も多くて、おもちゃだったり干支の置物だったり―――あ、年越し蕎麦!
 
「おじさん、一つちょうだい」
「まいど!」
 
お金を払って、発泡スチロールのお椀と割り箸を受け取る。
日本人なら大晦日には蕎麦でしょ、蕎麦。何は無くとも年越し蕎麦。
蕎麦を啜りながら器用に人ゴミの間をすり抜けてみるものの、やっぱりというか、三人の姿は見当たらない。
まぁこの人出だから無理なんだろうな。
何となく淋しい気分になりながらも、たまにはこんな年もあるさと割り切ってみる。
せっかくここまで来たんだし、年が明けたらお参りだけでもして帰ろうかな。
お賽銭は5円にするかな。20円にするかな。って言うか小銭あったっけ。
あ、あそこで綿菓子売ってる。隣のあれはお餅かな。まだ年明けてないけど。でも安倍川餅おいしそ〜。このお蕎麦食べたら買いに行こうかな。
なんて、色々考え事しながら歩いてたのが悪かったんだろうと思う。
前方不注意。
ドスンと何かにぶつかった衝撃で、お椀の中のそばつゆがちょっとこぼれてしまった。ああ、勿体無い。
 
「あ、ごめんなさーい」
「どこに目ェつけて歩いとんじゃボケェ!」
 
……やば。ヤクザ屋さんだ、コレ。
一年の最後に面倒にぶつかったなぁ。
呑気に考えている間にも、ヤクザ屋さんは大仰に痛がってみせた上に、着物にちょっとそばつゆの染みが付いたということで、治療費とクリーニング代、慰謝料なんて要求してくる。
文句があるなら最初から人が集まる場所に来るな、バカ。って言うか、最初からこうやって法外なお金を請求するのが目的で来てるんだろうに。
ああもう、本当に面倒。
相手は強面の男二人。こっちは帯刀してるけど一人。手にお蕎麦。あ、喧嘩するつもりならお蕎麦捨てる羽目になっちゃうのかな。それも勿体無い。どうしよう。
 
「ちょっと待って」
「あァ?」
「お蕎麦食べ終わったら相手してあげるから」
「ナメとんのかこのアマァァァ!!」
 
火に油を注いでしまったらしい。
蕎麦をちゅるんっと啜って、一思案。お蕎麦を諦めるか否か。って、どうしたところで厄介事になるのは目に見えてるし。
仕方無いなぁ。
 
「私は待ってって言ったんだからね」
 
せっかくの年越しに面倒事に関わるのと、お蕎麦を無駄にするのと。
どちらがマシかなんて、深く考えた訳ではなかったけど。
それでも、蕎麦は半分以上食べてた。そして年越しはこれから。
天秤にかけた上で私が咄嗟に出した結論は、お椀を中身ごとヤクザの片割れに投げつけることだった。
 
「ぶっ!?」
「なっ、このアマっ!!」
 
ヤクザのもう片割れが伸ばしてきた腕をひょいと避けると、そのまま私は人ゴミの中に紛れ込む。
どうせ私は幼児体型ですよ。おかげでこういう時に逃げやすいんですよ。幼児体型万歳。あ、なんか虚しくなってきた。
だけどムキになってるのか、ヤクザ二人はしつこく追いかけてくる。やっぱりお蕎麦ぶっかけたのが悪かったかな。
それにしても、この人ゴミでさっさと諦めるかと思いきや、まったくもって諦める様子が無い。そのしつこさは別の所で発揮すればいいのに。
仕方ないから喧嘩買うしかないかな。負けるつもりはないし。こっちが女だと思ってナメてるうちに片付ければ、そこまで手間じゃないかもしれないし。
覚悟決めて立ち止まりかけたところへ、聞こえてきたのは大の男二人の呻き声。
何事かと思って振り向くよりも先に、腕が引っ張られる。アレ? 何これ? 私どこに連れてかれるの? まさか人気の無いところで集団リンチ?
 
「回答次第では抜刀しますんで、正直に答えてください。バカ二人の片割れ万事屋さん」
「お前さ、助けてやった恩人に斬りかかるなんざ、どういう教育受けてきてんだよ」
 
バカはお前だバカ。
そんな悪態を吐きながら、それでも万事屋さんは掴んだ私の腕を離そうとはしない。ぐいぐいと引っ張って、人ゴミの間をすり抜けていく。
別に助けてもらわなくてもどうにかなったんだけどなぁ。
それを口にしたら万事屋さんの機嫌が悪くなるどころの話じゃないとは流石の私にもわかったので、一先ず口を噤んでおくことにした。
確かに、ヤクザな男二人と喧嘩するくらいなら、三十六計逃げるに如かず。って言うか楽なのは間違いない。
除夜の鐘が鳴り続ける中、走り続ける男と女。それを追いかけるヤクザ二人。傍から見たら何て奇妙な光景なんだろう。当事者のくせにそんな呑気なことを考えながら、どれだけ走ったのか。
走ることは特段苦にならない。こんなことで音を上げてたら真選組隊士は務まらない。
連れてこられたのは本殿だか何だかの建物の脇。どうやら人ゴミの中で撒けたのか、ヤクザ屋さんたちは追ってこないよう。
弾む息を整えながらちらりと隣を窺うと、万事屋さんは既に平然とした面持ち。何だか負けた気がして悔しい。
こんなところで見栄を張っても意味が無いのかもしれないけど。精一杯急いで呼吸を整えると、さっきからずっと抱いてる疑問を万事屋さんにぶつけてみることにした。
 
「それで、どうして私を助けてくれたんですか?」
「どうしてって、そりゃあまァ……困ってるヤツがいたら助けるのは当然だろ」
「万事屋さんはそういうキャラに見えないんですけど。こんなところに引き込んで集団リンチですか。あ、でも一人だから集団じゃないか。何でもいいや、受けて立ちますよ。手加減抜きで」
「イヤ、女が暗がりに連れてこられたら、普通はリンチじゃなくて強姦の心配すんじゃね? イヤイヤ、違うよ? 俺は無理矢理ってのは趣味じゃねーから」
「……どうせ私は普通じゃない上に幼児体型だから、そんな心配は要らないんです!!」
 
普通の感覚をしてないってことは、私自身よくわかってる。
わかってるからこそ、それを他人から指摘されると腹が立つ。
このままじゃ、このバカと二人きりで年明けの瞬間を迎える羽目になっちゃう。それは何だかなぁ。
 
「面白くないので帰ります。じゃ、ありがとうございました」
「オイオイ。話はまだ終わってねーよ」
 
歩きかけた私の腕が、またもやぐいと引かれた。
私の話は終わりました、なんて言う間もあらばこそ。
ひんやりと冷たい手が頬に触れた感触にびくりと肩が跳ねた次の瞬間には、口唇に何だか生温かい感触が。
…………え、ええと。
なんか今、ものっそい目の前に万事屋さんの顔が。って言うかって言うか、これってつまり、その。何だ。アレだ。
キス、されてる……?
 
―――あのさ。キスの最中に目ェ見開かれても、間の抜けたツラに見えんだけど」
「え、ちょっ、あ、そっ、なっ、い、う、あっ」
「なに言語崩壊してんの」
 
解放されても、万事屋さんの顔は目と鼻の先。
何をどう反応していいのかわからない。
言語中枢どころか、脳そのものが活動停止したみたい。
 
「大体、お前が先に言い出したんだろ。俺のあんまんの代金、体で払うって」
 
い、言ったけど! 確かに言ったけど!!
でもそれはその場のノリって言うか、冗談って言うか!!
ナニコレ。何この状況。
ああそうか。納得。つまりこういうコトか。
 
「お、女なら誰でもいいんですねこの変態! 痴漢! 死ね!!」
「何でそんな結論になるんだよ……」
 
ボヤく万事屋さんの真意が私にはわからない。
どうしたってそんな結論しか出せないと思うから。
万事屋さんだって「鏡見ろ」とか失礼なこと言ったじゃない!
それなのにキスされたって、意味がわからない。
 
「だって! 万事屋さんだって言ったじゃないですか! 可愛くない幼児体型だって!! 鏡見てみろって言ったくせに!!」
「あー。言ったけどさ。それはそういう意味じゃなくて」
 
大体「幼児体型」は俺のセリフじゃねーよと前置きして、頭を掻きながら万事屋さんは続ける。
暗がりとは言え、賑やかな境内に灯る明かりのおかげで完全に真っ暗というわけじゃなくて。
だから、目と鼻の先に迫ってきた万事屋さんの表情もわかってしまう。冗談なんか微塵も感じられない真顔。
ドクンと脈打つ心臓。何かを予感して。でもまさかと言う思いと綯い交ぜになって、混乱。
 
「気軽にんなコト言ってっと、バカな男がホイホイ引っ掛かるからやめとけって意味だよ」
 
俺みてェによ。
言葉と同時、再び重ねられた口唇。
意味はわかるようなわからないような。曖昧で有耶無耶なまま、そしてされるがまま。でもイヤじゃない。どうしてだろう。
答えが見つからないまま。
鳴り続けていた除夜の鐘が止んで、境内が一層賑わうのがわかった。おめでとう、と口々に挨拶しているのが聞こえて、年が明けたことを知る。
 
「今年もよろしくな、ちゃん?」
「…………ヨロシクオネガイシマス」
 
で、何をよろしくすればいいんだろう。
わからないまま機械的にお決まりの文句を返した視線の先、万事屋さんがにやりと笑うのが何だか悔しいと思った。



<終>



そして「今年の目標は万事屋さんをギャフンと言わせること」と言うんですね、この娘は。
私の目標は……とりあえず頑張ります。何を頑張るのかよくわかりませんが。

('09.01.01 up)