読まない彼女 −3月14日の彼女−
相変わらず空気を読まない人間は、目の前で上機嫌に腰を落ち着けている。対するは男四人。
一ヶ月前と何も変わらず、三人がけのソファーに大の男が四人。賑わうファミレスの中で、この一角だけが一種異様な雰囲気に覆われていた。
そんな中で、一人にこにこと笑うは、やはり空気を読んでいないのだろう。
読めないのか、読む気がないのか。後者であればタチが悪いが、どちらにせよ結果は同じだ。
それに今の問題はそこには無い―――自分以外の人間が何故ここにいるのか。それこそが問題なのだ。
バレンタインデーにから手作りのチョコを貰ったのは自分だ、故にの本命は自分であり、他三人はお呼びではない。はずなのだが……
空気を読まない事にかけては半端ないのことだ。何かあるのではと勘繰ったところで、そのにこやかな笑顔からは腹の内など読めそうにない。
ならばと、最初に動いたのは桂だった。
「。先日のチョコレートは美味かったぞ」
「そう?」
「これが、その礼なんだが……」
テーブルに置かれた紙袋は、某有名菓子店のもの。一抱えはあるそれは、普通のホワイトデーのお返しとしては些か大袈裟に過ぎるものだろう。
しかしは礼を述べることなく、袋から出した中身を開封していく。にこやかに。だがその笑顔に恐怖を覚えるのは何故だろうか。
「まきしむ・ど・大江戸のクッキー詰め合わせ6780円」
「よく知ってるな」
「つまり私の手作りチョコの価値は2290円以下なんだ」
ドゴッ
桂が何かを言うよりも早く、その頭がテーブルにめり込んだ。
残る男三人の視線の先では、が相変わらずにこやかに天使の笑みを浮かべている。だが三人ともその背後に般若の姿を確かに見ていた。男の頭をテーブルに顔面から叩きつける天使がいてたまるものか。
テーブルの上に乗せていた片膝を下ろして元の位置に落ち着くと、はクッキーの詰め合わせを袋に戻して自分の隣に置く。不満を見せたくせに持って帰る気ではいるようだ。
「ホワイトデーが3倍返しなんて、常識じゃない」
ねぇ? と同意を求める体裁ではあるが、残る男三人にとってそれは最早脅迫以外の何物でもなかった。
これは、迂闊な物を差し出せば間違いなく殺られる。
送られてきたチョコレートに本命も義理もなかったのだ。要は3倍返しが目当てだったのだ。
しかしその事実に衝撃を受ける暇があれば、目の前に迫る命の危機への対処を考えるべきだ。
ホワイトデーの約束を取り付けただけで安堵し、指定されるままにノコノコとこの場にやってきてしまった己が恨めしくて仕方がない。だが来なければ来なければで、手酷い制裁を後日に下されていたであろうことは想像に難くない。
浮かれてチョコレートを受け取ってしまったのが運の尽き。こうなればが気に入る物を今この場で考え出さなければ命が無い。
「大江戸プリンスホテル最上階スイート」
高杉が口にした言葉に、の形の良い眉がピクリと上がる。
大江戸プリンスホテルと言えば、上流階級御用達の超一流ホテル。普通に宿泊するだけでも馬鹿みたいに金がかかるのだ。そこの最上階スイートルームとなれば、一体どれだけの金が飛ぶのか。
「何泊?」
「…………2…いや、5泊でどうだ?」
「……うん、ま、それならいっか」
スイートルームを独り占めかぁ、などと嬉しそうに思いを馳せているとは対照的に、口にした当の本人は心なしか青ざめている。
それも当然で、ただでさえ高い最高級のスイートルーム、5泊などしたら一体どれだけ金を出せばいいのか。
だがそれ以上に高杉が衝撃を受けたのは、完全にが一人で泊まる気だということだ。
あわよくば……と抱いていた下心を完膚なきまでに叩き潰され、暫くは浮上できそうにない。
ただひたすらに金の算段に頭を抱える羽目になった高杉を尻目に、今度は坂本が口を開く。
「じゃあ、わしの今度の取引に一緒に行くっちゅーのはどうじゃ?」
「取引って、宇宙?」
「そうじゃ! 宇宙は広いぜよ。見るものはそれこそ星の数だけあるきに」
「要するに、タダで宇宙旅行ってこと!?」
子供のように瞳を輝かせるは、どうやら坂本の案にいたく満足したらしい。
今や宇宙に気軽に行けるようになった時代とは言え、かかる費用は決して安いものではない。誰もが一度は憧れる宇宙旅行。それがタダで行けるとなれば、これで喜ばない人間はいない。
上機嫌のあまり鼻唄まで歌い出しそうなを前に、焦ったのは銀時だ。超一流ホテルの高級スイートに、宇宙旅行。それらに太刀打ちできるだけの金など、当然ながら銀時には無い。そんな金があったら瞬く間に滞納している家賃として搾り取られることだろう。
だがこのままでは確実にはこの二人に取られてしまう。
咄嗟に銀時が口走ったのは、ただの興味をこちらに引くためでしかなかった。
「だったら俺はこれから一生、毎日オメーのために菓子作ってやるよ!」
どうだ!? と言わんばかりの銀時の勢いに、沈黙がその場に落ちた。
金が無ければ体を張るしかない。そして自分が他人より優れていると自他共に認められているのは菓子作りくらいだ。ついでながら「一生」というのは言葉の勢い以外の何物でもない。
だからこの沈黙は予想外で、しくじったろうかと銀時は背中に冷や汗が伝うのを感じた。よくよく考えてみれば、菓子程度で釣られるような女ではない。
この場における決定権をその手に握っているは、ポカンと少しばかり間の抜けた表情で銀時を見ている。
「……一生?」
「……何なら、夕飯もつけっか?」
的の外れた返答だと口にした銀時ですら思う。
だがその言葉には何を思ったのか。
「…………か…」
「?」
「……ば、ばっかじゃないの!!?」
ガンッ
瞬間、側頭部に衝撃を受け、銀時はよろける羽目になった。
一体何かと確認するよりも先に、バタバタと足音高くが駆けていってしまった。
後に残されたのは、銀時と、その横に落ちているクッキーの入った袋。が桂から受け取った物のはずだが、どうやら今の衝撃はこれを投げつけられたものらしい。
だが、のんびりとそれを認識している暇は銀時には無かった。この場に残された者は、勿論他にもいるのだ。
「銀時、てめェ……」
「アッハッハッハッ、抜け駆けはいかんぜよ」
「見損なったぞ、銀時」
高杉、坂本、そして桂が、ゆらりと立ち上がる。
滲み出ているのは、間違いようもないまでの殺気。
「は? お前ら、何言って―――」
『問答無用!!!』
意図せずして声を揃えた三人によって銀時が袋叩きに遭ったのは、言うまでもない。
後日、マイ茶碗とマイ箸を手に、が頬を染めながらも万事屋を訪れたのは、また別の話。
<終>
最終的に私は銀さんが好きすぎると思った話。
('09.03.13 up)
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