「あははー。彼女いない歴更新だね、これで」
「うっせー」
 
呑気に笑う女を恨めしく思いながら、銀時は酒を飲み干す。
隣で笑っているのは、自棄酒に付き合ってくれる気のいい人間などではない。銀時の不名誉極まりない記録を笑いに来ただけの、実に性格の悪い女。どれだけ暇なのかと、いっそ呆れたくなる。
まったく、「彼女いない歴」を更新するだけの誕生日などやって来なければ良いものを。
どうしようもないと知りつつも胸中で嘆き、銀時は同時に誓いを新たにする。
 
「くっそ。今年こそ絶対に可愛い彼女作ってやる!」
「もう諦めたら?」
「諦めたらそこで試合終了だろうが!」
「え、まだ終わってなかったの?」
「まだだ! まだ終わってねェ!!」
 
からかうような言葉に、半ばむきになって銀時は言い返す。
それは、毎年二人の間で繰り返される応酬。
互いに飽きもせず毎年同じ言葉を口にしているが、しかし流石にそろそろマンネリ化は否めなかったらしい。
返された言葉は、去年までは無かったものだった。
 
「じゃあさ。賭ける?」
 
注文したリキュールを口に含んで、隣の彼女が艶やかな笑みをその顔に浮かべる。
黙っていれば美人の類に入るだろう。事実、今も店内にいる男たちがちらちらと彼女に視線を送り続けている。
しかし全てはその性格で台無しだ。そしてそれを知らずに色を送る男たちの姿は、銀時からしてみれば滑稽極まりない。
ともあれ、外見と中身に落差を持つ目の前の女は、アルコールでほんのりと頬を染めて微笑む。
その表情はろくでもない事を企んでいる時のものだと知っているのは、この場には銀時ただ一人。
 
「次の誕生日までに彼女ができたら、銀ちゃんの勝ち。彼女ができなかったら、私の勝ち」
 
まるで自分の勝ちを確信しているかのように、自信たっぷりに微笑まれて。
思うツボだとわかっていても、受けて立つ以外の選択肢を銀時は持たなかった。ここで逃げては男が廃るというもの。モテないなりにも、男としての自尊心はあるのだ。
 
「だったら、俺が勝ったら俺の言うこと何でも聞いてもらうからな!」
 
忘れんじゃねーぞ、と釘を刺せば、「逆もまた然りだよね、それ」とそれはもう楽しそうに笑うものだから。
銀時は胸の内で誓いを新たにする。
次の誕生日までには絶対に彼女を作ってみせると。
そして、隣で笑っているの鼻を明かしてやるのだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
―――と、意気込んだのは最早一年前の話。
気付けば誕生日まであと30分。
年をとるほどに時の経過を早く感じると言うが、早いどころの話ではない。この早さは、ただのベン・ジョンソンではない。倍速再生のベン・ジョンソンだ。途中で転んでくれれば良かったものを。
颯爽とかっ飛ばしてくれたおかげで、あっという間に一年が経過してしまった。
目の前ではが、何を言うでもなく、ただにやにやと笑っている。人を小馬鹿にしたようなその笑いが、腹立たしいことこの上ない。
日が暮れた頃合いに万事屋へとやって来てから、ずっとこの調子である。これはもう、日付が変わった瞬間に笑い者にしてやろうと押し掛けてきたに決まっている。
いや、笑い者にされるだけならばまだマシだ。一体どんな無理難題を押し付けてくる気なのか、わかったものではない。
一年前。誕生日の夜に始めた、くだらなくも真剣な賭け。
それに乗ったのは、男の意地とアルコールのせいだ。と、今にして思う。
しかし「男に二言はないでしょ?」と言われてしまえば、酔いは醒めても男の意地は残る銀時としては、反論する余地もない。
それでも、一年前はまだ余裕だった。いくら自他共に認めるモテない男であろうとも、本気になれば彼女の一人や二人、一年の猶予があれば作ることは容易いと、そう思っていた。と言うよりも信じていた。
が、現実は実に非情だ。
モテない人間はどう足掻いたところでモテない運命らしい。誰しも人生一度はあるという「モテ期」がいい加減に来てもいいとは思うのだが、そんな気配は微塵たりとも感じられなかった。
人間関係には恵まれず、周囲にいる妙齢の女と言えばまったくもってろくでもない―――
胡乱な思考を銀時ははたと止める。
まったくもってろくでもない。それはその通りだ。他人を笑うためだけに、日も暮れてから男の家にわざわざ押し掛けてくる女など、真っ当であるはずがない。
けれども、それでも女なのだ。目の前でにやにや笑っているも、これでもれっきとした女だ。一応。多分。
それに黙っていれば顔は悪くない。黙っていなかったところで、それなりに気も合っている。こんな夜更けに男の家に転がり込むくらいだから、に彼氏がいないであろうことも容易く思い至る。
アレ、これ意外といけるんじゃね? と思って時計にちらりと目をやれば、タイムリミットまで残り10分。
 

「ん? もう諦めた?」
「俺と付き合ってくれ」
 
瞬間、勝手知ったる我が家であるかのごとくに寛ぎ、テレビをつけて茶まで啜っていたの動きが凍りついた。
ポカンと口を開け、信じられないものでも見ているかのように目を見開いている。あまりお目にかからないような間抜け顔に、記念にとっておきたいほどだと銀時がこっそり考えたのはまた別の話。
今はそれどころではないのだ。残り10分でを正気に戻し、ついでに頷くまで持っていかねばならないのだから。それができなければ、からどんな無理難題を押し付けられることやら。
しかし、黙っていてもは相変わらず呆けたまま。刻一刻と迫るタイムリミット。このままでは埒があかない。
 
「オイ。返事くんねーの?」
「…………」
 
促してみても、は無言のまま。
信じられないものを見るかのように、目を瞠っている。それほどまでに予想外の展開だったのだろうか。そもそもから男として見られていたかどうかも怪しかったのかもしれないと、今更ながらに銀時は思う。
だがここまで来たら後には引けない。残りわずかな時間で、何としてでもを口説き落とさなければならない。
と、そこで銀時は気付く。
口説き落とすと意気込んだところで、一体どうすればよいのか皆目見当がつかないという現実に。
自慢ではないが、女を口説き落としたことなど一度たりとて無い。そんなことができれば、彼女いない歴を更新し続ける羽目になるはずもない。
肝心なところで固まってしまった銀時を他所に、時計の針は無情にも時を刻んでいく。
そして。
 
―――あ」
 
の口から、空気が漏れたように音が零れ落ちる。
ちらりと視線を投げたその先では、点けっ放しだったテレビに表示されている時計が0時を示していた。
つまり、日付が変わったということで。
変わった「今日」は10月10日。銀時の誕生日。
更に言えば、これで銀時は賭けに負けてしまったことになる。
見事に「彼女いない歴」を更新してしまった、最悪な誕生日。
どちらからともなく息が漏れ、同時に張りつめていた緊張の糸も切れる。
 
「お誕生日おめでとう、銀ちゃん。それと記録更新もおめでとう」
「めでたくねーよ」
 
笑顔でパチパチと手を叩かれても、後半部分の台詞を聞けばそれは嫌がらせ以外の何物でもない。
ガックリと肩を落としているところへ、流石に哀れと思ったのか「お祝いのケーキ、後で持ってきてあげるよ」と言われたが、ちっとも嬉しくなかった。の場合、何を祝うためのケーキなのかわかったものではない。本来であれば誕生日を祝うメッセージが書かれるはずのチョコプレートに「彼女いない歴更新!」とでも書かれていても何ら不思議ではない。
そんなケーキをにこやかに掲げるの姿が容易く想像できて、追い打ちをかけられたかのように銀時は溜息を量産する。
しかしそんな銀時の様子に構うことなく、「で、私の言うこと何でも聞いてくれるんだよね?」と、やはりにこやかにが聞いてくる。
少しは空気を読んでみろと言いたいが、の辞書に「空気を読む」という言葉など無いに違いない。あったとしても、虫眼鏡で見なければ読めない程の小ささか。
 
「今、そんなん聞いてる気分じゃねェんだけど」
「大丈夫大丈夫。銀ちゃんに手間はかけないから」
 
顔を上げてみれば、がこの上なく輝いた笑顔を浮かべている。
これはもう間違いなく、ろくでもないことを考えている時の顔だ。
案の定、「一度、他人の顔に落書きしてみたかったんだよねぇ」などと言ってのけながら、どこからか取りだしたマジックペンの蓋を外している。賭けに負けるなど考えてもいなかったのであろう用意周到ぶりに、更に溜息が洩れそうだった。
とは言え、のお願いが「顔に落書きさせろ」程度で済んだことについては、安堵するほかない。一体どんな無茶振りをされるのかと戦々恐々としていたのだから、拍子抜けと言えばそうなのだが。
しかし逆に言えば何も期待されていなかったということも言えそうで、それはそれで悲しくはある。
銀時の隣に座り直し、満面の笑みを浮かべながら手を伸ばしてくる姿は、悪戯をしている子供のよう。最初から何を書くか考えていたのか、躊躇うことなくマジックのペン先を銀時の頬へと落としてくる。
 
「ところでさー…………さっきの、本気だったの?」
「は?」
「あ、あんまり口開けないでよ。書きにくい。だから、さっきの…………付き合ってくれ、って」
「あァ……時間無かったし目の前にお前しかいなかったからな。勢いで、ってヤツ?」
「ふーん」
 
それでもあの瞬間は本気だった、という言葉を銀時は飲み込んだ。口にして何がどうなるわけでもない。
ならば今はどうなのかと問われようものならば、答えに詰まるしかないのはわかりきっている。
しかし、他人の顔に嬉々として落書きしたがるような女を恋人にしたいかどうかとなれば、即答で肯定できる人間はいないだろう。
今となってはが頷いてくれなくて良かったのかもしれないと、銀時はしみじみ思う。切羽詰まっていたとは言え、やはり相手はそれなりに選ぶべきだ。
頬をなぞるペン先がくすぐったい。一体何を書いているのか知らないが、後で鏡を見たら情けなくなるようなものが書かれているに違いない。せめて額に「肉」ならば笑いようがあるものを。
悪ふざけに何をそんなに真剣になっているのか、眉間に皺まで寄せながらは手を動かしている。いや、バカバカしいことほど真剣に取り組むのがなのだということは、銀時も重々承知しているのだから、これはこれで当たり前の姿なのかもしれない。
そんなことを考えているうちに書き終わったのか、息を吐いての手が止まる。
この後には指をさして爆笑してくるのかと思いきや、しかしそんな様子は見られない。変わらず眉間に皺を寄せたままで、上機嫌とは程遠い。
 
?」
「ん。賭けの結果も確認できたし、もう帰るね」
「夜中だぞ。送って―――
「その顔で?」
 
言って、ようやくがにやりと笑う。
反射的に口を開いたは良かったが、確かに今し方、顔に落書きされたばかりだ。
夜中だから誰に見られる心配もない―――訳もない。何せここはかぶき町。夜であろうとも通りを歩く人は絶えない。街灯もネオンも煌々と点いている中、このままで外を歩けるはずもない。それこそ、指をさされて笑われるのがオチだ。
 
「大丈夫だって。ここじゃ、まだまだ宵の口でしょ?」
 
呑気にひらひらと手を振ると、「じゃあね」とは玄関を出て行ってしまった。
確かに深夜12時は、かぶき町では宵の口。だがそれにしたところで、女一人で出歩くような時間帯ではないのだから、もう少し危機感というものを持った方が良いのではないだろうか。
忠告したいところではあるが、すでに帰路についてしまったには何を言っても聞こえるはずがない。
まぁ大丈夫だろうと思い、銀時は洗面所へと立つ。何を書かれたかは知らないが、さっさと落書きを落として寝るに限る。最悪な誕生日の幕開けは、寝てやり過ごしてしまおう。
何の生産性もない行動に溜息を吐きながら、洗面所で鏡を覗きこむ。一体は何の益体もないことを書いたのか。それは好奇心以外の何物でもなかったが。
しかし鏡の中に映ったものに、銀時は目を瞠った。
目に入った瞬間に感じたのは、よくも器用に鏡文字を書いたものだという妙な感心だった。
鏡の中に現れたのは、両頬に書かれた鏡文字。鏡に映った文字が正常に読めるということは、実際にはは反転させてこれを書いたのだろう。そういう努力だけは惜しまないところに一種の感心を覚えずにはいられない。
だが、書かれている単語を読み、そして理解すると同時、そんな感心など吹き飛んでしまった。
脳裏を過ったのは、妙に不機嫌そうなの表情。へらへら笑っていたが突然不機嫌そうになったのは、一体いつからだったか。
鏡に映った文字。そしてが不機嫌になった理由。
鏡の中から突きつけられた真相に、銀時はそのまま外へと飛び出した。
恥も外聞も無い。それよりもを捕まえることの方が余程重要だ。
飛び出した先に、勿論すでにその姿はない。だが一瞬考え、の家の方角へと駆けだす。
 
好き バカ!!』
 
鏡の中に映った文字は、網膜に焼き付いて離れない。
 
 
 
 
 
jabberwocky −鏡の中の恋文−
 
 
 
 
 
「オイ。これ落ちねェんだけど」
「そりゃ油性ペンで書いたんだもん」
「ちょっ、お前、何してくれてんの!? マジで俺のこと好きなワケ!?」
「さぁ?」
「なんで疑問形? なんで疑問形なの、この娘は!!」
 
 
 
<終>
 


('10.12.3 up)