文化祭の国のアリス 〜上演〜



それは、とても長閑な昼下がり。
庭の片隅、芝の上にころんと横になって寝息を立てている少女の名はアリス。
心地よい陽だまりの中、気持ち良さそうに眠っているアリスに落ちる、一つの影。

「おーい。お嬢さーん? ウサギですよー?
 ウサギが来たら起きて追いかけるのがアリスの義務ですよー? アリス―?
 ……ダメだ。全然起きねェ。可愛いけど。寝顔超可愛いけど。
 ま、事後承諾っつーコトで」

にやりと笑う影は、アリスをそっとを抱き上げます。
少女はすやすやと眠ったまま。

「さて。ワンダーランドへご招待といきますか」

後に残ったのは、陽のあたる芝生と、吹き抜ける風。



 ◆ ◇ ◆



「……ぅん」
「お。やっと起きたか?」
「ぇ…………だれ?」
「俺? 俺は白ウサギの銀さんだよ。
 なんなら、親しみ込めて『銀ちゃん(はぁと)』って呼んでもいいからな?」
「……頭からウサギの耳」
「ん? あァ、ウサギだからな」
「キモい」
「キモ……っ!?」

アリスの言葉に硬直する白ウサギを放って、アリスは立ち上がります。
周囲を見まわしても、まったく見知らぬ場所。
首を傾げながら、白ウサギを放って、アリスはてくてくと歩き始めました。

「ここ、どこだろ……こんな森、うちの近くにあったっけ。
 それより私、いつの間にこんな場所に来ちゃったんだろう……」
「お嬢さん、誰アルか? 他所者アルか?」
「きゃぁっ! だれ!? って言うか、ネコ耳!?」
「チェシャ猫だから耳くらいついてるアルヨ。
 それよりも、お嬢さんは何者アルか」
「アリスって言うの。気付いたらこの森の中にいて、帰り道がわからなくなっちゃって」
「そうだったアルか。
 ワンダーランドの女王神楽とは私のことネ。何でも私に任せるヨロシ」
「え、ええと……じゃあ、神楽ちゃん。最初に一つ、お願いしてもいい?」
「なにアルか?」
「その耳と尻尾、触らせて! お願い!!」

てくてくと、森の中を歩く影が二つ。
一つはアリス。一つはチェシャ猫。
仲良く連れ立った二人が向かう先は、ハートの城。

「ここって、どこなの?」
「ワンダーランドの森アル」
「ワンダーランド?」
「銃弾が飛び交う物騒な世界ネ。
 アリスは他所者アル。危険だから早く元の世界に戻った方がいいヨ。
 ハートの女王は、この世界で一番偉いヤツアル。帰る方法を知ってるはずネ」
「そうなんだ。
 これきっと、夢なんだ。
 夢だから、いきなり知らない森にいたり、人の頭にウサギ耳とかネコ耳が生えてたりするんだね」

てくてく、てくてく。
話しながら歩く二人が到着したのは、ハートの城の庭。
そこにいたのは、ワンダーランドの絶対君主、ハートの女王。それから。

「先生ーっ! 私だけの白ウサギになって!!
 いえっ、むしろ私が先生だけのメスブタにっ!!」
「うるせェ! 俺はアリスだけの白ウサギ―――って、アリスっ!! 好きだっ、愛してる!! 俺とけっこぐはっ!!」
「アリスに気安く近付いてんじゃねーヨ、このケダモノが」
「か、神楽ちゃん……いきなり殴らなくても」

ハートの城の庭には、女王の他に、城の宰相である白ウサギもいました。
女王に追いかけられていた白ウサギでしたが、アリスを見かけた途端に飛びついてくるのです。
びっくりしたアリスですが、その前にチェシャ猫がきちんと守ってくれました。

「ちょっと! 先生に何するのよ!!」
「っ!!? お前こそ何するアルか! こんなもの投げて、アリスに当たったらどうするネ!!」
「って言うかさー。お前ら二人とも邪魔なんだよ、オイ。アリスに近付いていいのは、アリスを愛してるこの銀さんだけだよ」

ハートの女王の手にはクナイ。
チェシャ猫の手には、和傘の形をしたマシンガン。
白ウサギの手には木刀。
それぞれに睨み合ったまま、動きません。
困ってしまったのはアリスです。

「……夢なら、放っておいてもいいよね?」

一人で頷くと、元来た道を歩きだしました。
今度は一人。
薄暗い森の中は怖いですが、ハートの城の庭に留まっていても怖そうです。
てくてく、てくてく。

「……あれ? ここ、どこ?
 戻ってきたつもりだけど……間違えちゃった?」

アリスの目の前には、大きなお屋敷がありました。
ハートの城に向かう時には見かけなかったお屋敷です。
けれども、どのみち目的地のなかったアリス。
お屋敷の人に、帰り道を教えてもらおうと思いました。
近付くと、お屋敷の前には立派な門。そして。

「お嬢さん? ウチに何か用で?」
「きゃっ! ……あ、ウサギ耳」
「誰がウサギでィ」
「あ、その……ごめんなさい」

門の横にいた人物の頭にも、ウサギ耳。
けれども相手が嫌そうに顔を顰めたので、アリスは素直に謝りました。
それに、相手が腰に差している刀も怖かったので、少しだけ後ろに下がりました。

「で? お嬢さんはウチに何の用で?」
「あ、あの、その……」
「ウチに殴り込みってんなら、俺が相手しますぜィ?」
「きゃあっ!!」
―――やめろ、総悟」

舌なめずりしながら腰の刀を抜いた相手にアリスが悲鳴をあげます。
それを止めに入ったのは、真っ黒なシルクハットをかぶった男でした。

「悪かったな、お嬢さん。怖い思いさせて。
 俺はこの屋敷に住む帽子屋の土方。コイツは部下の三月ウサギだ」
「誰がウサギでィ。沖田総悟って名前があらァ」
「えと、その……私は、アリス。家への帰り方がわからなくなっちゃって……」
「なんでィ、迷子かィ」
「迷子って言うか、その」
「なるほど。アリス、アンタ他所者か」
「へェ。道理で、無防備にこの屋敷に近付いてると思えば」
「このお屋敷、何かあるの?」
「別に何もねェよ」
「マフィアの屋敷ってこと以外は、普通の屋敷ですぜィ」
「……えぇっ! マフィア!? え、誰が!?」
「俺だよ」
「まァそのうち土方さんはぶっ殺して、俺がファミリーのボスになるつもりでさァ」
「そうか。総悟、腹切れ」

びっくりしたアリスは、もう一歩だけ後ろに下がりました。
マフィアなんて、怖いと思ったからです。
それでも、目の前で会話している二人はそれほど悪い人には見えません。
あんまり悪いマフィアじゃないのかな、とアリスは思い直すことにしました。

「あの。それで、帰る道って言うか、夢から覚める方法がわかれば、教えてほしいなと思って……」
「俺もよくは知らないが……『ドアの森』にある、ドアを潜ればいいんじゃないか?
 己が最も望む場所に繋がるドアだとの話だからな」
「ドアの森?」
「そうか。他所者だから知らなくて当然だな。悪かった。
 この世界は少々物騒だ。ドアのところまで俺が送っていこう」
「ありがとう!」
「ちょっと待ってくだせェ、土方さん。それなら俺が行きますぜィ」
「ダメだ。テメェは今までサボった分の仕事をさっさと片付けてろ」
「そういう土方さんは、送りオオカミになるつもりなんじゃねェですかィ?」
「んなワケねェだろ!」
「ファミリーのボスたるアンタが自ら動こうとしてるってのが、何よりの証拠でさァ」
「テメェ! 今すぐ腹を切りやがれ!!」

言うや、すらりと腰の刀を抜く帽子屋。
対する三月ウサギも同様。
間に挟まれてしまったアリスは困ってしまいました。
どうにもこの夢の中では困ってばかり。
この場を離れようかと思っても、夢から覚める手掛かりを見つけた以上、離れるわけにはいきません。
困った困った、どうしよう。

「何も困る必要なんてねーよ。
 アリスを愛してるのは銀さんだけだから。俺だけがアリスを幸せにできるから。だから俺のところに来いよ」
「きゃあっ!!?」
「アリスに抱きつくんじゃないネ、この年中発情ウサギがァァァ!!!」

背後から突然抱きしめられ、思わず悲鳴をあげてしまったアリス。
けれども、鈍い音とともに、アリスを閉じ込めていた腕は離れていきました。
振り向けばそこには、尻尾の毛を逆立てて紫色の和傘を構えるチェシャ猫。
そして、倒れこんでいるのは白ウサギ。

「ほぅ。誰かと思えば、城の宰相閣下様じゃねーか。
 まさかアンタが、わざわざこんなところまで足を運ぶとはな……ケンカ売りに来たと思って、いいんだな?」
「誰がてめーのツラなんか拝みに来るかよ。
 俺はアリスを助けに来ただけだっつーの。てめーみてェなムッツリからな」
「誰がムッツリだコラァ!!」
「そこのチェシャ猫ー。今すぐアリスから離れろィ。そいつァ俺が先に目をつけたんでィ」
「ふんっ、バカガキ。アリスが私と一緒になるってことは、一億と二千年前から決まってることネ!!」

それぞれが自分の得物を手に一斉に躍りかかるのを、アリスは茫然と眺めるしかできません。
白ウサギとチェシャ猫がやってきたことだけでもびっくりしているのに、帽子屋と三月ウサギと顔を合わせるや、ケンカと呼ぶにはあまりにも物騒な争いを始めたのですから。
困った困った、どうしよう。
危ないので後ずさってアリスは悩みます。

―――アリス、アリス。ここは危ないから、さっさと引き揚げた方がいいですよ」
「っ!? あなた、だれ?」
「俺は、眠りネズミの山崎退。そんなことより、ドアの森には俺が案内するか、らぁぁっ!!?」
「山崎くん!?」
「オイオーイ? てめーんトコの部下は、随分と躾が行き届いてんじゃねーか。アリスは俺のだよ」
「山崎ィ! 抜け駆けするたァ、いい度胸でさァ」
「テメェ、切腹させっぞ、コラァ!!」
「生温いネ。私が今すぐハチの巣にしてやるネ」

途端に響く銃の音。それからバズーカの音。
悲鳴をあげながら逃げ惑う眠りネズミ。
一方のアリスは、その音に怯えて身を竦ませたまま動けません。
このままでは、銃弾が当たってしまうかもしれません。
きゅっと目を閉じて、早く夢から覚めたいと願うアリスを、庇うようにして立つ影が一つ。

「てめーらァァァ!! アリスに当たったらどうしてくれんだ、コノヤロー!!!」
「っ! 銀ちゃん!!」
「アリス、怪我してねーか? どこも痛いトコねーか? あのバカどもは俺がすぐ殺してやるから、ちょっと待ってろな?」
「え、ちょっ、殺すって!?」
「だって俺の愛するアリスを怖がらせたんだから、そりゃ殺すしかねーよ」
「そんな大袈裟な!」
「大袈裟じゃねーよ。ちっとも大袈裟じゃねー。
 アリス。お前はもっと、自分の価値ってモンを知った方がいいんじゃね?
 少なくとも俺にとっては、誰より大切で護りたい、愛する存在なんだからな」
―――やっぱコイツ、ウチにケンカ売りに来てんじゃねーか。人の家の前でイチャついてんじゃねェよ」
「そこの白ウサギー。いい加減、アリスから離れろィ。ムカつくんでさァ」
「アリス! 早く離れるネ!! ソイツ殺れないアル!!」

帽子屋に三月ウサギ、チェシャ猫はすでに臨戦態勢。
白ウサギも、すぐに動けるよう身構えています。
おろおろしているのはアリス一人。

「ねぇ。みんな、どうしてそんなにすぐ、殺すとか言っちゃうの? 危ないよ!」
「危ないって……ああ、アリスは優しいんだな。でも、俺とお前の愛を邪魔するヤツは、早めに殺しておかなきゃ面倒だろ?」
「そうネ! そこの発情ウサギを殺らなきゃ、危ないのはアリスアルヨ!?」
「どうしてって言われてもな。マフィアってのは、そういうモンだろうが」
「ちなみに俺は、土方さん殺れれば、あとはどうでもいいんですけどねィ」
「総悟。テメェ、後で絶対に腹切らせるからな」

誰も彼も、自分の得物を下ろすつもりはないようです。
人を殺すことを、平然と口にする4人。
変だと思っているのは、アリス一人。
普通じゃないと思っているのは、アリス一人。

「や、やめてよ! ダメだよ、そんなの! 殺したりしたら、ダメだよ!!」
「アリス?」

止めても、誰もが不思議そうな顔でアリスを見返すのです。
どうしてアリスがそんなことを言うのかわからない、といったように。
わからないのはアリスの方。
どうしてアリスの考えが通じないのか。
どうしてアリスにとっての『普通』が通用しないのか。
この世界が『普通』とこんなにもかけ離れていると言うのならば。


「こんな世界、大っ嫌い!!」


アリスが叫んだ途端、凍りついたように動きを止める世界。
けれどもアリスはそれすら気付かないのです。
駄々っ子のように、「嫌い! 大っ嫌い!!」と繰り返して―――



 ◆ ◇ ◆



―――あら。アリス。目が覚めたの?」
「……おねぇ…ちゃん……?」
「随分とぐっすり寝てたのね。このねぼすけさん」
「…………え?」

アリスはゆっくりと身を起こしました。
周囲を見回すと、そこは見慣れた庭の片隅。
目の前には、聡明で美しい姉のロリーナ。
白ウサギもチェシャ猫も、帽子屋も三月ウサギもハートの女王も眠りネズミも、他には誰もいません。

「ゆめ……」
「どうかしたの、アリス?」
「……ううん。なんでもないの」

あんなに夢から覚めたがっていたアリス。
元の世界に帰ろうとしていたアリス。
庭の片隅。陽だまり。芝の匂いと心地よい風。これがアリスの世界。
それなのに今、胸に小さな穴が開いてしまったかのように、寂しいな、とアリスは思うのでした。



<幕>



書いた本人だけが楽しい話でした。スミマセン。
「ハートの国のアリス」シリーズの設定を中途半端に借りた、中途半端な演劇ネタです。本当に中途半端。
ゲームをプレイしていない人間が設定だけに萌えるとこうなるという見本です。
絵的に、ケモノ耳つけていいのは神楽と沖田かな、と思ったら、無理矢理な配役となってしまいました。
でも後悔はしてないんだぜ。心残りはあるけど。
個人的には、ハートの城メンバーが万事屋で、帽子屋ファミリーが真選組、遊園地オーナーは桂、って設定でも楽しいような気がします。この場合の高杉の役をどこにおけばいいかわかりませんが(笑)

('10.05.09 up)