がぽーっとしているのは、確かにいつもの事である。
本人は否定するが、彼女を知る者は十人中十人ともが彼女の反論を受け付けない。
だが、ぼんやりとしていてもの場合は何故だか絵になる上に、やるべき仕事もいつの間にか片付けてしまっているのだから、誰も何も文句は言わないのだ。
それはともかくとして、普段からどこかほけっとしているのことである。
今朝に限っては、更に輪をかけてぽーっとしていたのだ。
共に暮らしている沖田ですら気のせいかと思いかけたほど、些細な違和感でしかなかったのだが。
念のためにと熱を計らせたならば、案の定。
 
「あら。すごいですよ、総悟さん」
「何度だったんですかィ?」
「39度7分」
「頼むから今すぐ布団の中に戻ってくだせェ!!!」
 
大丈夫だとにこにこと呑気に笑うを、なんとか拝み倒して布団へと戻す。
の「大丈夫」がまるでアテにならないことは、沖田はよく知っているのだ。
何せ子供が生まれる時ですら、本当に寸前まで気付かなかったほどの鈍さ。その時以来、沖田はの「大丈夫」という言葉がまるで信用できないのだ。
心配する身にもなってほしいと、沖田はつくづく思う。
特にに落ち度があるのではないのだから、まさか責めるわけにもいかない。しかも今は病人である。本人に自覚が足りなさそうではあるが。
おかげで沖田は、柄にも無く溜息をつく羽目になってしまった。
 
 
 
 
女神たちの伝説 〜子育て奮闘記・沖田家の場合〜
 
 
 
 
―――というワケでさァ。今日は一日、コイツ屯所に置いときますんで。よろしく頼みますぜィ」
 
屯所の一室。
赤ん坊を抱きかかえた沖田を、近藤と土方は呆然とした面持ちで見ていた。
沖田の言葉が理解できなかったわけではない。
が熱を出して寝込んでいるから、休ませるために赤ん坊を連れてきた。その判断自体は理に適っていると言ってもいい。
問題はそこではない。
自分の子供とは言え、沖田が赤ん坊を抱いているという光景に、二人は呆然としてしまっていたのだ。
もちろん、子供がいるということは知っていた。見たこともある。
が、この光景には違和感を覚えざるをえない。
というよりも、自分たちよりも年下の沖田が、さっさと結婚してさっさと子供まで作ってしまったという現実を改めて突きつけられ、衝撃を受けているだけなのかもしれない。
たっぷり数十秒。
ようやく目の前の現実に折り合いをつけた近藤が口を開く。それでも流れ落ちる冷や汗を止めることはできなかったが。
 
「そ、そういう理由ならな―――だが、別に仕事休んでも良かったんだぞ、総悟?」
「だからって赤ん坊が家で泣いてたんじゃあ、がおちおち休んでられませんぜィ」
 
それは正しい。
沖田の言葉が今日に限っては正当なものであると、誰しも認めざるをえない。
だが、何か違う。何かが間違っている。腑に落ちない。それは何か。
 
「だったら託児所にでも預けりゃいいだろ」
 
その分、金はかかるかもしれない。
が、真選組屯所という、いつ何があるかわからない場所に赤ん坊を連れてくるよりは、よほど理に適った選択だろう。
第一、職場に赤ん坊同伴で来るという事自体、非常識にも程がある。
しかし土方の言葉も、沖田の考えを改めさせるには到らなかった。
 
「俺との愛の結晶たるを、そんなどこの馬の骨ともしれねェヤツに預けられるはずありませんぜィ」
 
挙句の果てには、「が聞いたら、土方さんの冷血漢、人でなし、と言いかねませんねィ」と鼻で笑う始末。
がそんなことを言うような性格をしていないことは、土方とてよく知っている。
だが、万が一の可能性であったとしてもそんなことをから言われてしまおうものなら。何やら立ち直れなくなりそうな予感がするわけで。
反論すべき点も突っ込むべき点もあるのだが、土方も黙り込む羽目になる。
近藤と土方に止められなければ、他に沖田を止められる者など屯所には存在しない。
かくして屯所の滞在権を獲得したは、沖田の腕の中ですやすやと眠っている。
赤ん坊は寝るのが仕事だというが、このまま一日中寝ているならば問題はないかもしれない。
 
「まァいいじゃないか、トシ。総悟の言う事ももっともだし、自分で世話できるんだろ? な?」
「なに言ってんですかィ。俺に赤ん坊の世話ができるわけ無ェじゃねェですかィ」
「だったら余計に託児所行きだろテメェはァァァ!!!」
 
堂々と言い放つ沖田に、とうとう土方がキレた。
確かにそれはもっともな怒りであり、とりなしかけた近藤にしてみたところで、これでは沖田の分は悪いと思うしかない。
赤ん坊の世話など、真選組隊士の誰ができると言うのか。
近藤と土方。二人ともがそんな不安を抱いた、まさにその瞬間。
大声のせいか、そもそも目を覚ます頃合でもあったのか。
今しがたまで寝ていたはずのが声を上げる。かと思えば、それはたちまち泣き声へと変わってしまった。
だが唐突な展開に、その場にいる誰も反応ができない。
その間にも、泣き声は大きくなる一方。放っておいても泣き止む気配はまるで無い。
大の男が三人、赤ん坊一人に為すすべも無く呆然としていた、その時だった。
 
「あら。やっぱり泣いちゃってましたね」
!!?」
 
救世主の如くに聞こえる声が、突如として三人の耳に届く。
が、素直に喜べる状況ではないのだ。
熱で寝ているはずのが、何故屯所になど現れるのか。
寝ていてくれと言ったのに、何故大人しく寝ていてくれないのか。
問い質しかけた沖田ではあったが、それよりも先に動いたが、沖田の腕からを抱き上げていた。
そして言われずとも疑問を悟ったのか、「病院で点滴うってもらいましたから。熱は下がったんですよ」とにこやかに言う。
その笑みに安堵して引き下がりそうになるものの、いくら点滴をうったとは言え、今日ばかりは休ませた方が良いだろう。
確かに赤ん坊の世話などできはしないが、それでものためを思えば、できない事もないだろう。
と沖田も思いはしたのだが。
 
「だって総悟さんに任せてたんじゃ、心配ですもの」
 
ねぇ、とに同意を求めるの顔に浮かんでいるのは、邪気の無い笑み。
だからこそ、その言葉には裏も何も無い、の本音だということが痛いほどにわかってしまう。
もちろんに悪意は無いのだろう。無いのだろうが。
「任せるのが心配」とはつまり、「信頼されていない」ということで。
言外に「アテにしてません」と通告されたようで、反論したくはあったのだが、しかしの腕の中であっさりと泣き止んだを見ると、反論できる材料などどこにも無い。
 
できることはと言えば結局のところ、せめてが無理をしないように見張る事くらいで。
沖田は柄にもなく、己の無力さというものを痛感する事となったのだった。
 
 
 
<終>