もってけ! セーラーふく −狙っちゃうのは?−



存外自分は人の好いタチだったらしい。
国語辞典を手に、土方は溜め息を吐いた。
それは先日の休みに、から投げ付けられた辞書。躊躇なく顔面に向けて投げ付けられた事と、何千円分もの飲食代を強制的に払わされた事を考えれば、投げ付けられた辞書をわざわざ返しに来るなど、お人好しにも程がある。
しかし辞書云々はさておき、を怒らせるだけの事を口にした自覚のある土方としては、やはり知らぬ振りを決め込むのは後ろめたい。怒らせるどころか、下手をすれば泣かせていたのかもしれないのだから尚更だ。
そんな訳で不本意ながらも、休み時間に土方は隣のクラスへとやってきたわけだが。
 
さん? えっと…あれ? さんってどこ行っちゃった?」
「さっきのプリント職員室に持って行ってるよ」
「あ、そうか。日直だっけ」
 
教室の扉の前でのやりとりで、どうやらは不在らしいと知る。
あんな別れ方だ。一体どんな反応を返されるか内心では戦々恐々としていたため、拍子抜けする一方で土方は安堵した。
辞書を返すくらい、人づてでも構わないだろう。
 
「なら悪ィがこれ―――
「あ、さん帰ってきたよ」
 
しかしタイミングがいいのか悪いのか。
その言葉についうっかり振り向いてしまったのが運の尽き。身の安全の確保を第一に考えるならば、何があってもそこで振り向いてはならなかったのだ。目の前の女子生徒に辞書を押し付けて、Z組の教室へと逃げ込むべきだった。
だがこの時、生憎と土方の防衛本能は働かなかったようだ。
反射的に振り向いた先、十メートルほど離れた場所にが立っていた。
休み時間。廊下には他の生徒もいるというのに、しか目に入らなかったのは何故だろうか。遠目にもがぽかんとしていることがわかるが、土方も似たような表情をしているのだろう。一瞬、この場には自分たち二人しか存在していないかのような、そんな錯覚にすら陥る。
だが我に返るのは、が一歩早かったらしい。いや、我に返ったかどうかは怪しいが、少なくとも何かしらの行動を先に起こしたのはの方だった。
 
「っきゃぁぁあああっ!!」
 
つんざくような悲鳴に、周囲がしん、と静まり返る。
土方が我に返った時はもう遅かった。
 
「このっ、変態ぃぃっ!!」
 
何でそうなるんだ。
ツッコミを入れる間も無く、気付いた時にははもう目の前。そして避けるまもなく、脇腹へと膝蹴りが走ってきた勢いそのままに叩き込まれた。
ここまで来ると、最早呪われているとしか思えない。膝蹴りの挙句に変態呼ばわりとは。
だが蹴りはいつもの事としても、変態呼ばわりだけは解せない。の理不尽な行動にはそろそろ諦めがついてきたが、それにしたところで許せる範囲というものがある。
 
「っ!! 待ちやがれっ、このアマッ!!」
「いやぁぁあっ!!」
 
悲鳴をあげて走り去るを、土方は反射的に追い掛ける。廊下は走らない、という決まりは今だけは意識の外に置いて。風紀委員の肩書きも、今は棚の上だ。
普通ならば男女の脚力の差からしてもすぐに追い付きそうなものだが、走りにくい廊下、そして教室の外に出てきている生徒らが邪魔で、思うようには走れない。対しては上手く人の間をすり抜けていくものだから、その後ろ姿が何やらまた腹立たしい。
追い付きそうで追い付かない、そんな鬼ごっこを一体どれほど続けたか。それは存外あっさりと終わりを告げた。
 
「せっ、せんせ〜っ! 助けて〜っ!!」
「何やってんの、お前ら」
 
これから授業に向かうのか。こちらに向かってダルそうに歩いてくる銀八の姿を認めるや否や、はすがるようにその背後へと回り込んだ。
キリのない鬼ごっこは一先ず終わったようだが、しかしそれで何が解決したわけでもない。
「で、何やってんの?」と再度問い質してきた銀八に、は真顔で答えた。
 
「副委員長が変態でストーカーになっちゃったんです」
「勝手言ってんじゃねェェェ!!」
 
追いついた土方が即座に否定するも、しかし銀八は耳を貸さず「そーか。そりゃ怖かったよな」などと言っての頭を撫でている。またが嬉しそうにしているものだから、土方には何やら腹立たしくてならない。脈がないとわかっていながらも諦めることができず、些細な触れ合いに幸せを感じてしまう―――まるで自分自身を見ているようで。その馬鹿さ加減、滑稽さを見せつけられているような気になってしまうのだ。
八つ当たりじみた感情を今度はぐっとこらえ、土方はどうにか落ち着きを取り戻す。
 
「で、なんで変態だって?」
「え? 何となく」
 
しかしそんな土方の努力を水泡に帰すかのように、がやはり真顔で爆弾を落としてくれた。
何か具体的な根拠があるならばともかく――あったとしても理不尽なものだろうが、よりによって理由が『何となく』。そんな曖昧且つ無根拠に等しい理由で変態呼ばわりされた挙句に蹴られたのかと思うと、泣くに泣けない。
 
「てめェ……」
「何怒ってるの、副委員長? 図星刺されたから? 本当のこと言われると人って怒るものだしね」
「『何となく』で変態扱いされたら、誰だって怒るだろうが!!」
 
それが普通だ。
流石に銀八も呆れたような目差しをに向けたが、当の本人はそれが不服らしい。銀八の背後に隠れたまま否定する。
 
「怒るのは図星だからでしょう! それにベツレヘムの星的な何かの天啓を受けた東方の三賢者が降臨したんだってば!」
「イエス・キリストか、お前は」
 
相変わらず意味不明なの言葉に、銀八がすかさずツッコミを入れる。どうやらそれなりに意味は通っていたらしいが、土方にはわからない。別にわからなくても構いはしないのだが。
ただ、の嬉しそうな顔が、何故だか癪に障る。
 
「先生のためなら奇跡も起こしてみせますよ?」
「……俺のコト諦めるって話はどこ行ったわけ?」
 
の言葉に、銀八が盛大な溜息をつく。
そして土方に顔を向けて一言。
 
「苦労してんのな、お前も」
 
しみじみ言われてしまい、土方もしみじみ頷いてしまう。
苦労をわかりあったところで何が変わるわけでもないが、理解者がいることで多少なりとも慰められる。
しかしそれで状況が変わったわけではない。相変わらずは目の敵とばかりに土方を睨み付けてくる。
ここまで理不尽な扱いをされて、やはり自分は底無しのお人好しなのか。最早諦めの面持ちで、土方はずっと手にしたままだった辞書を差し出した。
 
「何それ」
「テメェが俺に投げつけてきたヤツだろうが!!」
「……ああ!」
 
どうやら本気で忘れていたらしい。
思い出したといったばかりにポンと手を打ったに、土方は頭が痛くなるようだった。こんなことならばわざわざ返しに来ずとも良かったかもしれない。むしろその方が平和だった。後悔先に立たずとはよく言ったものだ。
ともあれ、辞書さえ返してしまえば用は無い。変態呼ばわりに対する怒りよりも今は、精神的な疲労感の方が上回っている。早くこの場を立ち去りたい。
差し出された辞書へとが手を伸ばし。受け取る拍子に、その指先が土方のそれをほんの一瞬、掠めた。
それはただそれだけのこと。意図的なものでなければ、日常ではよくあることだ。
だと言うのに。
途端、の身体がびくりと跳ね、受け取りかけた辞書を落としてしまう。慌てて拾い上げたのその顔は、やけに赤く染まっていた。
その反応には一体どんな意味があると言うのか。
辞書を胸に抱え俯くはいつになくしおらしく見え、何かしらの予感を土方は抱いてしまう。よりによって相手は、あり得ないと思いながらも、もしかしたら、という思いも捨てきれない。それを望んでいるのかいないのかは、土方自身にもわからなかった。
 
「……決めた!」
 
ややあって顔をあげたは、しかし予感とは裏腹に晴れやかなもので。
一体何事かと思う間にも、は口を開く。
 
「副委員長があの子のこと諦めるまで、私も先生のこと諦めない!」
 
はやはりだった。
だって何かズルいじゃない、と土方を指差し鮮やかなまでに宣言すると、用は済んだとばかりには教室へと戻っていく。
残された男二人は呆然とその後ろ姿を見送るばかり。何がどうなってがそんな結論を出したのか、まるでわからないまま。
 
「……そういうワケだよ。さっさと諦めろ」
「何で赤の他人に指図されなきゃなんねェんだよ」
「俺の幸せのために」
「知るか、んなモン!!」
 
何故恋愛沙汰を他人に指図されなければならないのか。そしては何故自身の恋愛と他人の恋愛を連動させようとするのか。意味がわからない。の行動の意味など、わかる方が珍しい気もするが。
どうやらまだまだに振り回されそうな予感がする。
嵌まりたくもないドツボに嵌まり込んでしまった自分自身に気付いてしまい、土方は盛大な溜息を吐いたのだった。



<終>



副委員長は溜息吐いてばかりだから、幸せが逃げていくんだと思うのですw
これは……立てられたフラグを引っこ抜いて持ち逃げした感じなんでしょうか。よくわかりません。

('08.10.05 up)