もってけ! セーラーふく −Look up! Sensation!−



夏ともなれば、日の暮れる時間は遅くなる。
最終下校時刻は変わらないのだが、まだ明るい時間帯であるせいか、下校時刻となってもまだ校内に多数の生徒が残っているのが、この時期の常だ。
そんな生徒たちに下校を促すのもまた、風紀委員の仕事である。はっきり言って雑用以外の何物でもないが、何故かそうなっているのだから仕方がない。おまけに沖田を筆頭に仕事をサボる委員もいるのだから、ますますもって土方の仕事の割り当て分が増える結果となる。ちなみに委員長である近藤は「風紀委員としてお妙さんの安全を確認する義務がある!」とか何とか言って、毎度のストーカー行為に精を出している。これについては土方も諦めの境地だ。
土方が向かうのは特別教室の棟。人気のないこちらはひっそりと静まりかえり、未だ賑やかな一般の教室棟やグラウンドの歓声が遠くから聞こえてくる。それが尚一層の侘しさを引き起こす。
広い校舎にたった一人。そう思うと何やら孤独感に襲われるが、逆に言えば声をかける対象がいないのだから、戸締りだけ確認すればさっさと見回りが終わるということでもある。
そうは言っても特別教室棟で活動している部活動もあるのだから、人が皆無だというわけでもない。時折見かける生徒に帰宅を促しながら、開けた扉は美術室。放課後は美術部が使用している部屋だ。
そこに土方は、ありえないものを見た。
普通の教室と比べやや広めの部屋。棚に置かれた胸像や立てかけられたカンバス、そして独特の絵の具の匂い。その中に一人立ち竦んでいるのは女子生徒。それだけならば別段、ありえない話ではない。だが土方が「ありえない」と思ったのは、立ち竦んでいた女子生徒がだったからだ。
この時間帯、この教室にいるのは美術部員だろう。となれば必然的に、が美術部員だということになる。
ありえない、と土方は再度思う。
美術と言うのはつまり絵画だの彫刻だの、土方にはよくわからないがとりあえず繊細な芸術だというイメージがある。それに対してのどこに繊細さがあると言うのか。確かに蹴りは芸術的なものがあるかもしれないが、あの性格で美術を語るとかおかしいだろう、と土方は思うわけだ。
しかしいくら土方が否定したがったところで、目の前の現実は変わらない。変わることなく、放課後の美術室にいるのはに他ならない。入口の扉がガラリと開けられたその音に振り向いたその顔は、凶暴凶悪な遅刻魔と同じそれだ。
だがいつもと違う点と言えば、その表情が珍しくも引き攣っていることだろうか。高笑いしていたり怒っていたりは常のことだが、引き攣った表情というのは初めて見るかもしれない。顔を引き攣らせるほどに自分の顔を見るのが嫌なのかと一瞬腹立たしく思ったが、それにしては様子がおかしい。そもそも振り向いた時にはすでに引き攣っていたように思う。
 
「何かあったのか?」
 
とはできる限り関わり合いになりたくない、というのが土方の本音だ。
けれども、風紀委員としての仕事に私情を挟み込んでいいわけもない。胸中でこっそりと溜息をつきながら土方は美術室内へと入る。問答無用で物を投げつけられたり蹴りを入れられたりという心配はどうやら無いようで、は立ち竦んだ場所から一歩も動こうとしない。一体何があるのか。
隣に立つと、変わらず顔を引き攣らせたまま、「あ、あれ……」とが指をさす。示されたのは窓際。開け放たれた窓からは、生温い風がそよそよと申し訳程度に入り込んでくる。この時期の校内ならば仕方の無いこととは言え、各教室にエアコンを入れてほしいものだと切実に思う。見ればの首筋にも汗が浮かんでいる。
だがそれは後からでも考えられることだ。窓に何かあるのかと思ったが、正確にはが指さしていたのは窓の下あたりだった。ああ、と納得する。白い壁に一点の異物。あまりにも特徴的な体と鮮やかな色。
体長10cmほどのムカデが、壁に張り付いていたのだ。
 
「あんなの、殺せばいいだけだろ」
「む、むむむ、む、ムリムリ! 襲いかかってきたらどうすんの!?」
「こねーよ」
「来るもん! だってヤツら、地球外生命体なんだよ!? 侵略者でインベーダー!! あんな足がいっぱいあるとか毒があるとか、絶対に宇宙人だもん!! 地球征服に来たに決まってる!!!」
「決まってねーよ」
 
相変わらずは無茶苦茶な事を平然と言う。
足が多くて毒を持っている生物が地球外生命体だと言うのならば、この地球上に一体どれだけ存在していると思うのか。とっくの昔に地球は征服されていることだろう。
だがそれを今のに説いたところで、無意味なのはわかりきっている。ならばさっさとムカデを殺して窓を閉めてを校舎から追い出すに限る。それが最低限の仕事だ。
善は急げ。箒と塵取を取りに行こうと動きかけたところで、ガシッと腕を掴まれてしまった。
 
「オイ」
「いやっ、一人にしないでっ!!」
「箒と塵取をそこまで取りに行くだけだろうが」
「副委員長の人でなし! 私も行くっ!!」
 
わざわざムカデを退治してやろうと言うのに、まさか人でなし扱いされるとは思わなかった。ムッと来た土方ではあったが、腕をしっかりと掴んで離さないの手はガタガタと震えている。おまけにその瞳は涙ぐんで、今にも零れ落ちそうだ。
これはどうやら本気で怖がっているらしい。確かにムカデなど見ていて楽しいものではない。が言う通り毒もある。校内で見かければ女子は大騒ぎだ。しかし、騒ぐのを通り越して泣きそうになる人間などそうはいない。おまけに、よりによってそれがだなどとは、土方には思いもよらないことだった。涙ぐみながら、それでも決して離すまいと土方の腕を掴む姿からは、普段の暴力性など想像もつかない。もしや顔が同じだけでまったくの別人なのではないかと、半ば本気で考えてしまうほどだ。
可愛い、などと一瞬思ってしまった自身を、土方は慌てて否定する。いくらなんでもそれは無い。誰が何と言おうとも、ムカデを尋常でないほどに怖がろうとも、それでも。遅刻しては風紀委員に向かって飛び蹴りを食らわせるような女なのだ。
信じがたい思考に自分自身でも驚愕しながら、それでもうろたえることだけはしなかった。それについては自分で自分を褒め称えたいところだ。それでも左腕を掴むその存在が気になって、どこかぎこちない動きになってしまったが。怯えるにはどうやら気付かれなかったようだ。気付かれたら後々、どれだけ大笑いされるかわかったものではない。
掃除用具入れから箒と塵取を出し、窓際へと寄る。と、流石に近寄るのは嫌なのか、2mほど手前でパッとが手を離した。土方にしてみればありがたい。ずっと掴まれたままでは思うように動けない。の手が離れたことを少し残念に思ったのは絶対に気のせいだ。
気を取り直し、壁に張り付いたままのムカデと向き合う。と言っても眺めていて楽しいものでもない。さっさと退治してしまうに限る。箒で壁から床に叩き落とすと、更にそこへ箒を叩きつける。動かなくなったところで塵取に入れ、窓の外に誰もいないことを確認してから放り投げる。たったそれだけの、どうということのない作業。ならば笑いながらやれそうだと言うのに。
窓を閉め鍵をかけ「終わったぞ」と振り向いた先には、へなへなと座り込んだがいた。
 
「……何してんだよ」
「こ、腰、抜けた……」
 
何を馬鹿な、と思う傍から、今度はぽろぽろと涙を零しだす。
もうこれはではない。むしろ目の前の生物こそが、地球外生命体で侵略者なのではないかと土方は思えてきた。ありえないではないか。がムカデに怯えて腰を抜かして泣きだすなど、絶対にありえない。だからこれは何かの間違いだ。の姿をした別の何かだ。
そんな非現実的な思考が駆け巡るが、そもそもが泣きだすこと自体が非現実的なのだから、この際何だってありだ。少なくとも土方にとっては。
ムカデぐらいでこの反応は大袈裟だ。普通ならここまで過剰反応されれば呆れる他ない。実際、今だとて呆れている。馬鹿じゃないかと思っている。
だが、それ以上に馬鹿なのは自分なのだろう―――何の躊躇いもなく他人に、と言うよりも主に土方に対して容赦なく暴力を振るうが、虫一匹に怯えて泣いている、そのことに「可愛いところもあるじゃないか」などと思ってしまうとは。
 
 
 
蒸し暑い夏の夕暮れ。何かが変わった、そんな放課後―――



<終>



ギャップ萌えっていいよね。ってそれだけの話、
ムカデにしてもゴキにしても、見た瞬間に硬直して動けなくなるのは私です。まぁそのまま見なかったフリして逃げ出しますが。

('09.07.19 up)