高校教師 〜新婚ごっこ〜



「先生って、どうしてネクタイちゃんと締めないの?」
「あ?」
 
それは、唐突と言えばあまりにも唐突な、問いかけ。
次の授業の準備にと職員室までやってきたが、クラスに配布するプリントを受け取りながら、不意に俺に尋ねてきた。
にしたところで、特に深い意味は無いんだろうけどな。
単に気になった。それだけのことだろ。
 
「あー……首が絞まるのがイヤだから?」
「なんで疑問形なの?」
 
それもそうだよな。
呆れたようなに、もう少し気の利いた返答をしてやろうと、俺は考える。
 
「アレだ。窮屈なのがイヤなんだよ、俺は。
 服が窮屈だと、心も人間も窮屈になっだろ?
 俺は広い心でもってお前ら生徒を包み込める教師になろうと、あえてネクタイを」
「先生。どう聞いても言い訳にしか聞こえません」
 
の冷静なツッコミが、ぐさりと突き刺さる。
おかしい。昔のなら「銀ちゃんってすごいんだね!」くらい言ってくれたんだけどな。
世間の荒波に揉まれた結果がこれか?
大人になるのは結構だけど、大事な「銀ちゃん」の言葉を鵜呑みにする素直さは忘れないでほしかったよ、俺は。
 
「もしかしたら、ネクタイちゃんと締めたら、先生の授業態度もしゃきっとするのかな」
「俺はいつだって体当たりの真剣勝負で授業やってんじゃん」
「体当たりの真剣勝負で、違う方向に話進めようとしてるのは確かだよね」
 
……うん。アレだな。
これはもう、世間の荒波が悪い。
俺の素直で可愛くてちょっと恥ずかしがり屋なを、たった数年で黒く染め上げやがって。
おかげで俺の繊細な心がちょっとばかり傷ついたじゃねェかコノヤロー。
イヤ、は悪くないからな。悪いのは世間の荒波だ。荒波。
 
「先生。ちょっとこっち向いて?」
 
いつの間にかぼんやりしていたらしい。
の声に我に返って振り向くと、抱えていたプリントを机の上に置いたが、手を伸ばしてきた。
 
「え、なに、。ちょっ、待っ!」
 
制止をかけるよりも先に、の手が俺のネクタイをシュッと解く。
いきなり何を大胆になっちゃってんの、この娘はァァ!!?
ここ職員室! わかってんの、!? 職員室だよ!!?
それともアレか、衆人環視の中でのプレイがご希望ですか!!?
こういう黒さならむしろオッケーだよ、銀サン的には!!
 
―――なんて甘い現実は、ありえるわけねェんだよなァ。
 
シャツにまで伸びたの手は、ボタンを外していくどころか、むしろ喉もとまできっちり止められて。
普段は止めていない分、それだけでも息苦しさを感じるってのに、「ちょっと上向いててね」と強引に顔を上向かせられて。
 
「ぐ……ぐぇぇぁっ、っ、苦しっ……!!」
「あれ? 確かここをこうして…えと……」
「ギブ! ギブギブ! 先生、死んじゃうから……っ!!」
「もうちょっと我慢しててよ。あとちょっとだから」
 
何コレ。なんてプレイ? 首絞めって、SMプレイに目覚めちゃってんの、ってば!!?
あとちょっとで三途の川にダイビングしそうなのは俺だから!
あとちょっとで「イキそう」じゃなくて「逝きそう」だから!!
 
おかげで、「はい、終わり〜!」と能天気な声と共にから解放された時には、ちょっと涙目になっちゃったぞ、銀サン。
 
「あ、やっぱり! ちゃんとネクタイしてるだけでも、ちょっと真面目に見えるよ!」
「……かなり苦しいんですけど。ちゃん?」
 
あー。そりゃ本気でに色気のあることを期待してた訳じゃねェけど。
首元が苦しいのはいただけねェよ。
大体、緩んだネクタイが、銀八先生の持ち味であって―――
 
―――新婚夫婦みたいですね」
「へ?」
 
思いがけない方向からの、思いがけない単語。
苦しい首を巡らすと、笑っている隣の席のヤツと目が合う。
 
「だから、新婚夫婦みたいだって。さっきの二人は」
 
……さっきの首絞めプレイがか? 何言っちゃってんの、コイツ。
イヤ、ちょっと待て。ここはひとつ冷静に考えてみよう。
確かに俺にとっては首絞めプレイ以外の何物でもなかった。
が、第三者から見た場合はどうだ?
首絞めプレイは、実はネクタイを締めてたって事で、女が男のネクタイを締めるって図式は確かにどう見ても――
 
「せっ、先生! 私、失礼しま―――
「いっやぁ。わかります? これ、俺の大事な新妻」
 
がプリント抱えて逃げ出すよりも先に、その腕を掴んで引き寄せる。
あっけなく俺の膝の上に転がり込んできたは、耳まで真っ赤で。
やっぱ可愛いよなァ、なんてしみじみと思う。
世間の荒波に揉まれようとも、黒くなろうとも。
根本的なところは、昔みたいに素直で可愛くて恥ずかしがり屋のなんだな。
抱えたプリントで顔を隠そうとしてるところなんか、つくづくそう思うね。
惚れた欲目かもしんねェけど。
 
「ま、今日はこれで授業やってやっか」
 
せっかく、可愛い新妻がネクタイ締めてくれたことだし?
耳元で囁くと、その耳がますます赤くなる。
可愛い。可愛すぎだって、オイ。
マジで新妻にしたくなるじゃん。今すぐにでも。
だから。
 
「そんなつもりじゃなかったもん…」
 
そんなの反論は、黙殺決定。



<終>



妄想してた時には、普通に急接近にドキドキで髪の香りにときめきのシチュエーションだったのに……何をどうしたら首絞めプレイになっているのでしょうか?
はっ! きっとこれはインフルエンザウイルスのせいだ! そうだ! そうに違いない!!
 
……まぁ、あれです。
初めてのことで、加減がわからなかったから、ということでもいいですよ。
 
時期的には、付き合い出してちょっと経った頃、ぐらいで。