高校教師 〜安心のなか〜



「先生ー。さっきの授業のプリント持ってきましたー」
「お、悪ィな」
 
クラスのみんなから回収した国語のプリント。
日直でも国語係でもない私がお昼休みにわざわざ先生のところまで持ってきたのは、実のところ理由なんて特に無い。
単に先生が私を指名したっていうのと。あと、私が先生に会いたかったから。
そして先生に会いたかったのは、私が先生―――銀ちゃんのことを好きだから。ただそれだけ。
先生の机の上にプリントを置くと、よくできましたと言うみたいに銀ちゃんは頭を撫でてくれる。小さい頃、よくしてくれたみたいに。
なんだか恥ずかしいけど、でもちょっと嬉しい。
 
「先生。今からお昼?」
「まァな。はもう食べたんだろ?」
 
頷くと、「じゃあそこ座ってろ」と隣の椅子を指される。
違う先生の席なのにいいのかな、とは思ったけど。先生が戻ってきたらどけばいいよね、って思って。言われるままに椅子に座る。
 
「んじゃ、これ。小テスト。答えこれだから、採点やってくんね?」
 
……ええと。
 
「これ、私がやっていいの?」
「いーの。だから。と俺は一心同体だもんな」
 
……よくないと思う。プライバシーの侵害とか。よくないと思うんだけど。
銀ちゃんも大変なんだよね。先生のお仕事。
赤ペン握って、渡された答えを眺めて。
あ。これ、さっきやった小テストだ。あー。間違えてるとこあるよ、私。
みんなの小テストに丸つけたりバツつけたりする隣で、銀ちゃんは私が持ってきたプリントに目を通してる。片手に購買のパンを持ちながら。
 
「先生のお昼ご飯って、もしかしてそれだけ?」
「ん? あァ、弁当作んの面倒くせェし」
 
銀ちゃんは笑って言うけど。
でもそれって、少なくないのかなぁ。私のお弁当よりも少ないと思うのに。
そう思って聞いたら、「いつものことだから慣れた」って。
……慣れちゃうことの方が問題だと思うけどなぁ。
お昼ご飯にしては絶対に少ないし、栄養だって偏っちゃうと思うし。
 
「ま、誰かさんが嫁に来てくれたら、毎日愛妻弁当とか作ってくれるのかもしんねェけどな?」
 
にやにや笑って顔を覗きこんでくる銀ちゃんのことは知らないフリ。見ないフリ。無視ったら無視。
学校、しかも職員室でそんなこと言わないでよ。色々とバレちゃったらどうするの。
でも普通は、私と銀ちゃんが付き合ってるだなんて、思いもしないよね。
だって私はまだ高校生で。銀ちゃんは先生で。
私はコドモで。銀ちゃんはオトナで。
誰だって、私たちが恋人同士だなんて思うわけない……よね。
もちろんその方がいいのかもしれないけど。バレちゃったら何だか大変なことになりそうだし。
だけど……だけど。何だかもやもやする。何だろう、この気持ち。
 
―――どうかしたか、?」
「え? あ、ううん。なんでもないよ! もうすぐ授業だから、教室に戻るね」
 
半分くらい採点の終わった小テストの束を銀ちゃんに渡して、急いで立ち上がる。
時計を見れば、予鈴が鳴るまであと2分。授業が始まるまであと7分。
だけど行きかけた私の手を銀ちゃんは引き止める。
「忘れ物。お駄賃な、コレ」って手に乗せられたのは、飴一つ。
おまけに頭もくしゃくしゃと撫でられて。
―――同じことをされても、さっきは確かに嬉しいと思えたのに。
やっぱり感じるもやもや感。拭えない微妙な気持ち。
 
? マジでどうかしたか?」
「だ、大丈夫! それじゃ、教室戻るから!」
 
否定したところで、怪訝そうな銀ちゃんの表情はちっとも納得した風じゃなかったけれど。
それには構わないで、私は急いで職員室を出る。
早足で教室に向かうのは、とうとう予鈴が鳴り出しちゃったから。
だけど、胸の中のもやもやしたイヤな気持ちも吹き飛ばしたかった。
結局、教室に着くまでに消えることはなかったけれど。
代わりに、もやもやした気持ちの正体だけはわかった。
クラスのみんな以外は知らない、私と銀ちゃんの関係。
知られたらいけない、そんな関係。
だけど。
それでも。
知られたくないのに、認めてもらいたい。
子供だけど子供じゃない。私は銀ちゃんの恋人なんだって。
誰にも認めてもらえない事が。子供と大人の差が。どうしようもなく不安で。怖くて。
いつか銀ちゃんが、大人な誰かのところへ行っちゃうんじゃないかって。
もやもやの正体がわかったところで、消えるどころか募る一方の不安。
5時間目の授業が始まっても、その内容はちっとも頭の中に入ってこない。
どうしたらいいんだろう。
誰か教えてよ―――教えてよ、銀ちゃん。
 
 
 
 *  *  *
 
 
 
いつもよりちょっと早い時間。
登校してくる生徒はまだ少ないけど、先生たちはほとんど出勤してきてる、そんな時間。
こんな時間に、銀ちゃんはいつも学校に出勤してくる。
職員用の玄関で、私は銀ちゃんが来るのを待っていた。
手には、お弁当。
銀ちゃんのお昼ご飯事情を話したら、「銀ちゃんも大変ねぇ」って笑いながらお母さんが作ってくれたお弁当。
もやもやはちっとも晴れないけど。
それでもやっぱり、銀ちゃんのお昼ご飯は今のままじゃいけないと思うわけで。
 
「あれ? じゃん。どうしたの、朝から」
「銀ちゃん!」
 
もうすぐみんなも登校してくるかな、という頃合になってようやく出勤してきた銀ちゃん。
もやもやはするけど、朝から会えるとやっぱり嬉しくて。
ほんと、複雑な気持ち。
だけど今はそんな気持ちに構ってる場合じゃないから。
そんなものは一旦横に置いておいて、私は手に持っていたお弁当を銀ちゃんに差し出した。
 
「あのね。お母さんが銀ちゃんの分のお弁当も作ってくれたの。だから、これ」
「…………マジでか」
 
お弁当の包みを手に、まじまじとそれを眺める銀ちゃん。
……もしかしたら、余計なお世話、だったのかな。
てっきり喜んでくれると思ったから、銀ちゃんが何の反応もしてくれないことに不安になってくる。
昨日から私、不安になってばかり。
何だか居た堪れなくなって、この場から離れたくて。くるりと振り向きかけた私の腕を、だけどいきなり掴まれる。
 
「オイオイ。まだ行くんじゃねーよ。が行っちゃったら、この感動を誰に伝えたらいいんだよ俺は」
「え…………感動?」
「ムチャクチャ感動してんですよ、銀サンは」
 
そ、そうなんだ……よかったぁ。
安心して銀ちゃんに向き直ると、つい今まで私の腕を掴んでいた銀ちゃんの腕が私の頭の上へと伸ばされる。
……また頭撫でられるのかな。また、子供扱いされるのかな。
嬉しかった気持ちが、途端に萎んじゃう。
銀ちゃんが悪いわけじゃない。わかってる。それはわかってる。
頭の上に乗せられた、銀ちゃんの大きな手。心地いいのに、嬉しくない。複雑でどうしようもない、この気持ち。
その大きな手は、だけどなかなか動かなかった。
なんでだろう。そう思ってる間に、「違うよなー。コレじゃなくて、もっとこう―――」とか何とか、ぶつぶつ呟いてたかと思うと。
 
不意に近付いてきた、銀ちゃんの顔。
口唇に感じた、掠めるような感触。
 
今までに何度も経験してる、この感覚。
何をされたかなんて、考えるまでもないし、いつもだったら何てことのない行為なのかもしれないけど。
ここは学校で。いつ誰が来るかわからない場所で。
そ、それなのに……
 
「ぎ、銀ちゃん!!?」
「学校では『先生』だろ?」
「そ、そうだけど! そうじゃなくって!!」
「憧れのシチュエーションだったんだよなぁ。玄関先で嫁さんに手作りの弁当渡されて、行ってきます行ってらっしゃいのチューとかさ」
 
ここ玄関だけど玄関じゃないし私お嫁さんじゃないし作ったのはお母さんだし行ってきますも行ってらっしゃいも無いし!
色々と言いたいことはあったけど、それよりも何よりも。
 
「誰かに見られたらどうするの!?」
「見られて問題あるか? 惚れた女にキスしただけで、何も悪ィことしてねーじゃん」
 
さらりと言ってくれちゃう銀ちゃんの台詞は、聞いてる私の方が恥ずかしくなってくる。
だけど、恥ずかしいのに嬉しい。こそばゆいけど、なんだか幸せ。
複雑だけど、今まで感じてたものとは違う。もやもやが晴れたような感覚。
私って単純なのかなぁ。銀ちゃんの何気ない言葉で、こんなに嬉しくなれちゃうんだから。
 
「お。元気になったか?」
「え?」
「昨日から元気なかっただろ、なんか」
 
元気が無かったって言うよりも、もやもやしてたってだけなんだけど。
おまけにそれは、解決したわけじゃないんだけど。
解決はしてないはずなんだけど、もやもやは晴れちゃった。なんだろう、これ。
我ながら不思議だけど……まぁ、いいよね。
一人で納得して、一人で頷いて。
そしたら銀ちゃんもどういうわけだか一緒に頷いて、「じゃあ元気になったお祝いな」って。
また、キス。
 
「〜〜っ! 先生っ!!」
「いいじゃん。むしろ誰かに見られねェと困るんだよ、悪い虫除けには。多串君とかサディスティック星の王子とか」
「え? それどんな虫?」
は知らなくていーの」
 
そんなこと言われると、余計に気になっちゃうんだけどな。
でも聞いても銀ちゃんは教えてくれそうにないから、気になるけど我慢しよう。
 
「ほんとダメだよ。こういうのって、下手したら新聞沙汰になっちゃうんだよ?」
「ソレって俺との愛が全国区になるってコトじゃね? いいねソレ」
「よくないよ!!」
 
なに考えてるの、銀ちゃん……
呆れちゃうけど、嬉しくて。恥ずかしいけど楽しくて。
色々とない交ぜになって、そんな銀ちゃんが私は好きなんだと思える瞬間。
恋ってこういうもの、なのかなぁ。
 
「げ、やべ。今朝は会議やるんだった!」
「ほんと? 先生、行ってらっしゃい」
 
笑いながら手を振ると、銀ちゃんはどういうわけだか目を瞬かせて。
そしてやっぱりどういうわけだか、今日三度目の、キス。
 
「んじゃ、行ってきますよ。俺の可愛い嫁さん?」
 
にやりと笑った銀ちゃんは、「弁当、ありがとな」と言って職員室へと向かってしまった。
私はと言えば、何故だかその場から動けなくなってた。
顔が熱いのはどうしてなんだろう。
今のキスのせい? 銀ちゃんの台詞のせい? それとも、今までのこと全部ひっくるめて?
そのあたりのことは、ちっともわからないけど。
思うことは、とりあえず一つ。
 
「……お弁当、作れるようにしようかな」
 
なんとなく、思っただけなんだけど。
本当に作るかどうか、結構怪しかったりするかもしれないけど。
 
もうみんなが登校してきてる時間。
朝の予鈴が鳴るまでには、この熱は引いてくれるのかなぁ……



<終>



予定の倍近い長さになってしまったですよ。
もっとお気楽で軽い話にする予定だったのに。