高校教師 〜星に願いを〜



「坂田先生。申し訳ないですけど、図書室の笹、処分しておいてもらえませんか?」
 
指名されてそう頼まれたのは、たまたま今の時間に授業が入っておらず、たまたま職員室内の男手が銀八一人しかおらず、更に言えばたまたま非常に暇そうに見えたからであろうか。
正直、面倒なことこの上ない。
しかし頼まれ事は極力聞いてやるのが銀八のポリシーでもある。別に一日一善だとか善行を積むだとかはまるで考えていない。単に周囲との間に軋轢が生じることの方が面倒なだけで、そんなことになれば些細な問題でもって職員会議で槍玉に上げられかねない。
一応問題児ならぬ問題教師としての自覚のある銀八としては、多少面倒でも雑用をこなしてやるのが賢明な判断なのだ。
そういったわけで銀八は今、図書室にいた。
授業中のため、室内には銀八の他に誰もいない。
無人で静まり返った図書室というのはなかなかに不気味なもので、長居したい場所ではない。
煙草を咥えたまま溜息一つ落として、銀八は作業に取り掛かることにした。
作業と言っても、貸出カウンターの横に立てられた笹を校舎裏の焼却場に運ぶだけの、まさに雑用以外の何物でもない。
七夕ということで、誰が考え誰が許可したのやら。図書室に設置された笹には、枝が折れんばかりに色とりどりの短冊が鈴なりにぶら下がっている。子供騙しの行事かと思いきや、生徒たちはもちろん教師の一部も願い事を笹にぶら下げていたらしい。職員室内でも話題にしていた教師がちらほらいた。
星に願いを。実にロマンチックにして他力本願。仮に織姫と彦星が実在していたとしても、当の本人たちは自分たちの逢瀬に夢中で、他人の願いなど知ったことではないだろう。
しかし願い事の結果がどうであれ、こういうものは気分の問題なのだろうか。何かと祭好きな日本人の血が、何かせずにはいられないと騒ぐのに違いない。
何にせよ、こういった行事に特に興味の無い銀八には関係のないことだ。
さっさと終わらせようと思ったものの、それでもつい眺めてしまうもので、短冊に書かれた願い事を銀八は目で追ってしまう。ゲーム機が欲しいだの成績あがれだの土方死ねだのストーカーゴリラ滅殺だの(後ろ二つは誰が書いたのか無記名でもよくわかる)
真剣なのだかふざけているのだか。まぁ大真面目に願いが叶うと信じている人間などいないだろう。
手の届きやすい高さの枝にはこれでもかと言うほどにぶら下げられた短冊は、しかし流石に上の方の枝には脚立を使わなければ届かないというのもあって数が少ない。
下から上へとざっと視線を流し。
笹の先端にも近い部分、それも他の短冊の陰に半分隠れている桜色の短冊に銀八の目が止まった。
その短冊に何が書かれているかまでは読み取れない。が、その字体が誰のものであるかはわかる。わかってしまったのだ―――それが、生徒であり恋人でもある少女の書いた短冊であると。
我ながら何を目聡く見付けているのかと呆れるほどだ。
けれどもそうとわかれば何が書いてあるのか気になるというもので。
カウンター横の机に笹を固定していたビニール紐を切ると、見易いように笹を横に倒す。
さて、わざわざ人目につかない場所に下げられた恋人の願い事とは一体どんなものなのか。
がさがさと笹の葉や他の短冊を避けて目指す短冊を見付けた銀八は、桜色の短冊に書かれた小振りの文字を目で追い―――
 
―――煙草を落とさずにいられたのは奇跡だった。
 
しばらく座り込んだままその短冊をまじまじと見つめていたものの、不意にその短冊を笹から外し、白衣のポケットへと入れる。
もちろん無人の図書室内にその行為を咎めるものなど何も無い。
それをいいことに銀八は何食わぬ顔でビニール紐だの机だのを適当に片付けていく。
手早く作業を終えると、「よっ」と声をかけ笹を肩に担いだ。
短冊やら七夕飾りやらで重みを増した笹は、正直一人で運ぶには無理のある代物ではある。
けれども、だからと言って誰か人手を呼ぼうというつもりにはならなかった。
たまたま他に人手が無く指名されたのが自分一人だったからこそ、短冊を見付けることができたのだろうし、こっそりと無断拝借することもできたのだ。思わぬ僥倖に気分が良いところを他人に邪魔されるのは、御免被りたい。
図書室を出て施錠を確認すると、銀八は鼻唄混じりに歩き出す。
途中すれちがった同僚から訝しそうな目を向けられても、何を構うこともない。
銀八の脳裏を占めるのはただ一人。年の離れた恋人と、短冊に書かれた彼女の願い事。
 
だよ。こういうのは銀サンに頼めばいいんだよ。そしたら今すぐ叶えてやんのに」
 
イヤでもやっぱ今すぐは無理か、と呟いて首を傾げるものの、上機嫌はそのままに。
足取りも軽く、銀八は焼却場へと向かったのだった。
 
 
 
可愛い可愛い彼女の願い事。それは―――
 
 
 
 ―――「銀ちゃんのお嫁さんになりたいです」



<終>



七夕。最近願い事も何もしてないですが。
大人には夢見てる暇などありゃしないのですよ。けっ。(何を荒んでるんだか)

(07/07/10 UP)