高校教師 〜そうだ、修学旅行行こう〜



修学旅行先の宿において為される三大行事と言えば。
枕投げ、男女の密会、そして覗き。
旅先でテンションが上がってハメを外す生徒たちを抑制するのは教師の役目ではある。一応。
だから銀八がふらふらとホテルの敷地内を歩いているのは、そういった生徒たちを取り締まるためであり、決して不埒な目的は無いのだ。たとえ決して仕事熱心とは言えない銀八なのだとしても。たとえこの場が女性用露天風呂のすぐ外なのだとしても。
 
「だってよ。いい年した大人が女子高生の裸見て興奮するワケねーだろ。ガキに興味は無ェよ、俺は」
 
誰が聞いているわけでもないのに言い訳がましく呟いている銀八が進む先は、決して事前調査済みのピーピングポイントなどではない、とこれもまた誰が聞いているわけでもないのに呟き。
そして。
 
―――何やってんの、お前ら」
 
目的地に辿りついたならば、近藤、長谷川、東城といったZ組の男子生徒三人が木の枝から仲良く並んで逆さ吊りになっていた。
どうやらこれが先客もといハメを外した生徒の哀れな末路らしい。
 
「先生〜、助けてください〜……」
 
情けない声で助けを求められるものの、さてどうするか。
流石に可哀想だとは思うものの、自業自得と言ってしまえばそれまでの話。何より迂濶に助けてしまえば、バレた際、これをやったのであろう女子たちの反感を買うことになってしまう。
いかな銀八と言えども、女子高生の集団を敵に回したくはない。あれはある意味最強の軍団だ。
これは見なかったフリをして、さっさと逃げた方が身のためかもしれない。でなければ銀八もまた三人の隣に吊されかねない。
が、世の中というものはそれほど甘くはできていないもので。
 
「あら先生。こんなところに何の御用ですか?」
 
その声に振り向けば、お妙が竹垣の上から顔だけのぞかせていた。
笑顔でこそあるものの、それが表面上のことに過ぎないということは、「お妙さぁぁぁんっ!!!」と逆さ吊りにも関わらず嬉しそうな声をあげた近藤に対し笑顔のまま何の前ぶれも無く掌大の石を顔面めがけて投げつけたことからもわかる。
完全に沈黙した近藤を横目に背中を冷たい汗が伝うのを感じながら、銀八はこの場をどう切り抜けるか考える。
 
「ほら、アレだよアレ。こういうヤツらを取り締まるための見回り中ってヤツだよ」
「どうだか。イヤらしい顔して」
「イヤ、生まれつきの顔にケチつけられてもさ……」
 
真っ当な理由のはずなのだが、どうやらお妙は納得しないらしい。
このままでは問答無用で逆さ吊りの運命へと導かれかねない。ここは逃げるが勝ちかと銀八が一歩後ろに下がりかけた時だった。
 
「あ、ほんとだ。先生だ」
 
捨てる神あれば拾う神ありとはよく言ったものだ。この場合、拾ってくれたのは神というより天使だと関係無いことを銀八は思う。
お妙の隣にひょこっと顔を出したのは、銀八の恋人たるで。こちらは何の邪気も無くにこにこと笑って手まで振ってくる。
それに応えて手を振り返してやりながら、銀八は思わずその光景に見入ってしまった。
濡れた髪に濡れた肌。上気した頬に、背後には夜空へと立ち上る湯煙。
いつものだというのに、纏う雰囲気はどこか異なっている。
もう少しで胸まで見えそうで見えないところがまたそそられる。
温泉万歳、露天風呂万歳。思わず胸中で万歳三唱拍手喝采をあげた銀八だったが。
 
「おー。ちゃんが色っぽぶぎゃぁぁあ!!!」
 
だからと言って他の男に見せるつもりは毛頭無い。
長谷川の感嘆の声が止むのを待たず、銀八は即座にその顔面に蹴りを入れた。
近藤はすでにお妙によって撃沈されているから問題ない。残る東城は若こと九兵衛以外には興味がなさそうだが、それでも男であることに違いはない。
 
。もういいから風呂入ってろ。湯冷めすっぞ」
「あ、ちょっと待って先生!」
 
眺めていられないのは勿体無いが、他の男に今のを見せるよりはマシだと。
そう思ったからこそ、銀八は戻るよう促したのだが。
当の本人はまるで頓着していないのか。戻るどころか更に身を乗り出すような格好で銀八を呼び止めてきた。
これに慌てたのは銀八との隣にいたお妙である。
ちゃん!」とお妙はを押さえ、銀八に至っては残っていた東城の顔面に即座に蹴りを入れて気絶させた。
 
「あなた何やってるの! 自分から裸見せるつもり!!?」
「そうだぞ! 俺はともかく他の男がいる前でそんな刺激的な格好するんじゃねーよ!!」
「お前も同じじゃボケェェ!!」
 
途端、お妙が投げつけてきた石が銀八の脳天に直撃したのはさておいて。
双方から言われたにも関わらず、はそれでもにこにこと顔を覗かせている。
 
「あのね、すぐお風呂から上がるから、脱衣所の前で待っててくれる?」
 
……それはどういうお誘いですか、オイ。
言うやはさっと頭を引っ込めてしまい、お妙も舌打ちしながらそれに続き。
それでも銀八はしばしその場から動けなかった。
の方から、しかも人前で、待ち合わせの約束を取り付けてくるなど。
普段のからは考えられない積極性と大胆さ。
これが修学旅行効果というものなのだろうか。だとすればなんと素晴らしいことか。来て良かった修学旅行。
しかし感慨に耽るのは旅行後にでもゆっくりできる。今は一秒でも早くとの待ち合わせ場所へと向かうべきだ。
生徒ら以上に浮かれた銀八は、逆さ吊りの状態で気絶している三人を放ったまま、いそいそと足を運んだのだった。
 
 
 
 *  *  *
 
 
 
―――銀ちゃん、ごめんね。待った?」
 
パタパタと脱衣所から出てきたのは、当然ながら。吸っていた煙草を灰皿に押し付け、銀八はに向き直った。
そこにいたのは、体操着姿―――ではなく、ホテル備え付けの浴衣に丹前を羽織っただった。
濡れ髪のまま頬をほんのりと赤らめている姿は、そこはかとない色気を醸し出している。
そうだ京都行こう。このキャッチフレーズは実に正しい。何故なら恋人の意外な顔が拝めたりしてしまうのだから。
元国鉄が生み出した文句に銀八はしみじみと賛同する。
 
「あのね。このホテル、夜の庭がライトアップされてて綺麗なんだって。だから一緒に見に行きたいなぁって……」
 
だめ? と小首を傾げて尋ねられてしまえば、誰がダメだと突っぱねることができるだろうか。反語。それでなくとも銀八は、の可愛いおねだりには一も二も無く頷く傾向にあるのだ。
ただ一つ、問題があるとすれば。
 
「それはいいけど、髪濡れたままじゃ風邪ひくぞ」
「でも……ドライヤーみんなが順番に使ってるし……それに早く銀ちゃんのとこに来たかったから」
 
―――何この宇宙最強に可愛いイキモノ。
はにかんだ笑みを浮かべるに、銀八は一瞬くらりと目眩を感じた。
確かに普段からは可愛い。惚れた欲目と言われようともとにかく可愛い。
だが今目の前にいるは、それとは別次元の可愛さだ。これも修学旅行効果なのかと、銀八は三年にもなって修学旅行を企画する馬鹿げた校風を神に感謝したくなった。神など毛の先ほども信じてはいないが。
それはともかく。
いくらがそんないじらしい思いを抱いていたとしても、それで風邪をひかれては困ってしまう。
 
「じゃ、俺の部屋で乾かしてから行くか?」
「え? 先生の部屋ってドライヤーついてるの?」
「あるある。何でもあるぞ。引率教師は優遇されてんだよ」
「そうなんだー。いいなー」
 
とりとめのない話をしながらと二人、銀八が泊まっている部屋へと向かう。
普段であれば人目を気にしてばかりのが、今日に限っては他所のクラスの生徒らとすれ違っても何の頓着もしない。にこにこと嬉しそうに銀八の隣を歩いている。
修学旅行万歳。
本日何度目になるかわからない喝采を胸中で放ちながら、到着した部屋の襖を開ける。
 
「へぇ、ここが銀ちゃんの部屋かぁ。銀ちゃん一人で泊まれるの?」
「イヤ、一応は松平のとっつぁんと同室なんだけどよォ……」
 
いくら何でも教師一人に一部屋与えられるほどには優遇されてはいない。
だがその同室の松平はと言えば、何故か風紀指導担当として今夜はボイラー室で寝ることになったと、先程風紀委員の一人から連絡があったのだ。
何がどうなればボイラー室で夜を明かすことになるのか銀八にはさっぱり理解できないが、ひとまずそれはどうでもいい。
肝心なのは、どうやら今夜一晩、この部屋は銀八が好きに使えるらしい事実と。
そんな部屋にと二人きりという、今の状況である。
本当ならば一もニもなく「今夜はここに泊まってっか?」などと言いたいところなのだ。
しかしそれをしてしまうと教師としての最低ラインを踏み越えてしまうのではないか。一抹の良心と教師としてのなけなしの誇りが、今にも口から出そうな誘い文句を辛うじて押し止める。
もちろんは銀八のそんな葛藤には気付かないようで。
探険気分で部屋のあちこちを見て回ると、見つけたドライヤーを手に銀八のところへと戻ってきた。
 
「あ、あのね。銀ちゃん」
「どうした? コンセントの場所わかんねェか?」
「ううん、そうじゃなくて、その……小さい時みたいに、銀ちゃんに髪乾かしてもらいたいなぁって」
 
だめ? と甘えるようなの再びのおねだりを拒否できる人間が、一体この世にどれほどいるというのか。
しかしながら現在教師として葛藤中である銀八にとって、その行為は拷問以外の何物でもない。
とはいえ数分後には、結局甘えられるまま、敷いてあった布団の上に腰を下ろしての髪を乾かす羽目になっているのだ。
何せからこうして甘えてくることなど滅多にないのだ。ここで跳ね退けてしまうのは非常に勿体無い話であり、断りきれるものでもなかったのだが。
後ろからドライヤーの風を当てながらわしゃわしゃとの髪を掻くと、が擽ったそうに身体を捩らせる。
おまけに。
 
「やっぱり銀ちゃんの手って気持ちいいね〜」
 
そんな可愛いことを言われては、銀八の理性がもつわけがない。
部屋には二人きりで。濡れ髪に浴衣姿のがいて。目の前には日に焼けていない白いうなじが晒されていて。
据え膳食わぬは男の恥。
そんな言葉が脳裏を過ぎったかどうか。
 
「ぅひゃんっ!?」
 
悲鳴をあげて身を竦ませるには構わず、銀八は白いうなじへと唇を落とす。
髪はほとんど乾いている。ドライヤーを切って横に置くと、の身体を抱き寄せていくつもの口吻けをうなじに首筋にと落としていく。
 
「やっ…銀ちゃん!!?」
「もう無理。無理だから。理性試しはもう終わり。全面降伏でいいわ、もう」
 
言うや、抱き寄せていたの身体をくるりと自分へと向かせ、そのまま有無を言わさず口吻ける。
始めは抵抗する素振りをみせたも、すぐに大人しくなる。
 
―――後で、ちゃんと一緒にお散歩行ってくれる?」
「仰せのままに」
 
拗ねたような甘えたようなに、笑いながら今度はその額に口吻ける。の言葉に対する承諾の意を込めて。
どうやらには拒絶するつもりはないらしい。
その事に気を良くした銀八は、そのまま布団の上へと押し倒したのだが。その拍子にの肩が、放り出してあったテレビのリモコンに当たってしまう。
プツン、とテレビの電源が入る音。そして―――
 
『っあんっ、ぁあんっ!!』
 
瞬間、マズイ、と銀八の顔を冷や汗が伝う。
部屋を出る前に見ていたのは有料チャンネル。同じフロアの男子生徒があまりにも騒がしくておちおちテレビも見ていられず、おまけに部屋の前には妙な自称鹿がいたものだからそのままテレビの電源を切って部屋を出てきてしまったのだが。
テレビと言うものは電源が入ると、最後に見ていたチャンネルが映るわけで。
要するにこの場合、有料チャンネルが映るわけだ。しかも間の悪いことに、まさに今が本番真っ只中、女優がわざとらしい嬌声をあげている最中で。
凍りついたように動かない空気の中、テレビの中の女優だけが悩ましげな嬌声をあげている。
その沈黙を先に破ったのは、の方だった。
 
―――銀ちゃんのバカっ!!!」
 
堪りかねたように罵声を浴びせると、未だ動くことも言い訳することもできずにいる銀八の下から抜け出して、はそのまま部屋を出ていってしまった。
取り残されたのは銀八一人。
完全に想定外の事態に呆然としていたものの、我に返ると慌てての後を追う。
 
「ちょっ、!! 待てって! 今のには深い事情がっ!!!」
「そんなの知らないもん! 銀ちゃんのバカバカ! もう知らないんだから!!!」
 
ホテルの廊下を走りながら叫ぶ二人は注目の的となるのだが、当の本人たちはまるで気付かず必死に追いつ追われつやっている。
誰の視線を気にしている余裕など無いのだろう。
そのままホテル内を二人して走り回ることしばし。
 
 
 
一時間後。
やっぱり修学旅行なんてろくでもないと、部屋で独り言つ銀八の姿があった。



<終>



修学旅行篇は書いててものっそい楽しいです。どうしようってくらい楽しいです。
せっかくだから仲直り話書こうかなー、と思わないでもないデス。

('07.08.26 up)