高校教師 〜正しい仲直りの仕方〜
「松平先生、Z組全員揃いました」
「おー、ご苦労さん」
修学旅行最後の夜。9時を回ったところで、は松平のいる部屋へとやってきた。
クラス全員がホテルの部屋に戻っていることを報告するためである。
本来ならば引率の教師が一部屋一部屋確認に回らねばならないのだが、今年は生徒たちの自主性自律性を高めるために、敢えて各クラスの学級委員に確認をとらせて報告させることにした―――というのは建前で、本当のところは単に見回りが面倒だから生徒に押し付けただけなのだろう。
だが、生徒と言うか学級委員にしてみれば面倒なことこの上ないこの確認方法も、今日ばかりはありがたい。
何せ今、Z組生徒たちが入っている部屋は、実際には尽くもぬけの空になっているのだから。今頃は全員して、売られた喧嘩を高額買取りしていることだろう。
「ん? でもZ組の学級委員って、じゃなかったんじゃねェか?」
「あ、それは、その……学級委員の子が疲れたって寝ちゃったから、代わりに私が来たんですけど……」
ダメですか? とに上目使いで尋ねられて、駄目だと突っぱねられる人間がいるものか。
部屋の奥で二人のやりとりを聞きながら、銀八は思う。それを見越して、だけはホテルに残したのだ。
それに見回りしたくないだけの松平にしてみれば、報告する人間など誰でもいいに違いない。
案の定、松平は「いいよいいよ」と気楽に頷いている。
「オジサンも可愛い女の子に来てもらう方が嬉しいのよ。そうだ、どうせなら部屋上がってくか? おやつもあるぞ。ジュース買ってやるから、な?」
「え、でも……」
「いいからいいから。オジサンもたまには若い子とお喋りしてェんだよ」
よくない。ちっともよくない。
確かには若いし可愛いが、それでも酔いの回っている教師の部屋に連れこむのは問題だろう。何よりは銀八の恋人なのであって、他の誰にも渡すつもりはないのだ。
「とっつぁん。教師がルール破っちゃいかんでしょーが。生徒の自由行動は9時までだっての」
「お前がそんな常識説くタマかよ」
「俺だってたまには真っ当なこと言いますよ。じゃ、。先生が送ってやっから部屋に戻ろうな」
そう言うと、誰の許可を得るでもなくの腕を引き、銀八は部屋の外へと出た。
後ろで松平が不満げな声をあげたものの、それを気に留める銀八ではない。肝心なのはの身であり、そのは始めこそ大人しく腕を引かれていたものの、しばらく歩いたところでその手を振り払ってきた。
「?」
「……一人で戻れるからいいよ」
怒っている。まだ一昨日の夜のことを引きずっているらしい。
昨日は丸一日口を利いてもらえなかった。ついでに事情を聞いたのか悟ったのか知らないが、神楽やお妙といったを囲む面々からは軽蔑の眼差し的なものを感じた。
そして今日も昼間はまともに口を利いてもらえず、せいぜい喧嘩を買う計画を立てるためにクラス全員を集めた際、辛うじて計画の内容に頷いてもらったくらいである。
いくら何でもこのまま修学旅行を終えてしまうのは哀しすぎる。
せめての機嫌を直せないかと、その意味もあってだけはホテルに残したのだ。他の生徒たちが居てはともすれば邪魔をしてくるものだから、こうして一人を残すというやや強引な手段をとったわけだが。
しかしこのままでは取り付く島もない。さてどうするか。考え付く方策としては、謝る、泣き付く、媚びる、誤魔化す……
だが思い悩んでいる暇など無い。その間にもは拗ねたまま歩いていってしまう。
迷ったのは一瞬。
振り払われた手で再びの腕を掴むと、今度はの歩調などお構い無しに銀八は歩を進める。
「やっ……離してよ、先生っ!!」
「いい子だから大人しくついてきなさい」
それにしても『先生』と呼ばれるのは時と場合によっては非常に燃えるものがあるが、今この状況下では他人行儀にしか聞こえない。
その事に少しだけ苛立ちを覚えつつも、銀八はの腕を離さない。嫌がるを強引に連れて、そして向かった先は。
「え……」
ホテルの裏口から出て脇に続く小路を辿れば、ライトアップされているという庭園の散策路に出た。
細い小路の両脇に植えられた花木が一定の間隔で淡く光を当てられ、どこか幻想的な雰囲気を醸し出し、少し離れた場所には休憩できるように東屋も設置されている。
修学旅行の宿泊先としては、なかなか小洒落たホテルを選んだものだ。
銀八が珍しくも感嘆する側で、が怪訝そうな面持ちで銀八を見上げる。どうしてわざわざここに連れてきてくれたのかと、そう言いたげに。
その疑問を正確に読み取った銀八は、苦笑しながらの頭をくしゃりと撫でる。
「約束しただろ。一緒に行こうって」
約束した当人が約束破ったらダメだろ?
諭すように言えば、ようやくがはにかんだような笑みを浮かべた。
昨日今日と見ていなかっただけだというのに、随分と久しぶりにその笑顔を見るようにも思えるのは何故だろうか。
どうやらの機嫌は直りつつあるらしい。その事に胸中安堵すると、銀八はの手を引いて歩き出した。
普段であれば宿泊客でそれなりに賑わうのかもしれない小路は、しかし今晩に限っては誰の姿も見られない。ホテルの宿泊客の大部分を修学旅行の生徒が占めている上、その生徒たちは生真面目な風紀委員によってホテルの建物外へとは出してもらえないのだから、当然と言えば当然の状況なのかもしれない。
二人して物も言わず、ただ手を繋いで小路を歩く。
建物内からかすかに漏れ聞こえる喧騒や、外の道路を走る車の音だけが耳に届くものの、それもどこか遠い世界に思えるから不思議なものだ。
修学旅行の締め括りとしてはなかなか上出来かもしれない。そう銀八が満足しているところへ、「銀ちゃん」と不意に呼び掛けられた。
声の主はもちろんで。黙ったまま斜め下に視線を動かすと、はうつ向き加減のままで言葉を続けた。
「あ、あのね……ああいうテレビ、好き、なの……?」
「は?」
「わ、私だけじゃ、ダメ、なの……?」
その言葉に、思わず銀八は足を止める。
つられるように足を止めたは、相変わらず顔をうつ向けたまま。繋いだ先の手が微かに震えているのをみると、今の言葉を口にするだけで精一杯だったのだろう。
それでも無理に顔を上げさせると、木々を照らすだけの頼りない灯りの中、その頬がやや赤らんでいるのがわかった。そして、目に浮かぶ雫も。
「ったく……可愛い我が儘だね、オイ」
要するに、自分だけ見てほしいと。突き詰めればそんな本音が隠れているのだろう。今のの言葉には。
正直に言えばそれには重さを感じずにはいられない。
だが考えてみれば銀八にしてみたところで、には他の男など見てほしくない。それこそ自分だけ見ていればいいと思っているのだ。
それに、その重さは決して不快ではない。むしろ心地好さすらどこか感じられる。
結局のところ、それほどまでにに参ってしまっているのだろう。
重症ぶりを自覚して苦笑すると、銀八は返事の代わりにへと口吻ける。始めはただ口唇を重ねるだけ。が抵抗しないのを確認すると、薄く開いていた口唇からするりと舌を差し込む。
今まで幾度こうして口吻けたか知れない。それでもは慣れないのか、ついてくるのに必死になって痛いほどにしがみついてくる。
「―――心配しなくても、俺はしか見てねーよ」
長い口吻けの後。そう言って銀八は、今度は逆に痛いほどにを抱き締める。
しかしは嫌がる素振りも見せず、大人しく銀八の腕の中に収まって頷いている。
それから幾許した頃だろうか。
なんとなしに顔を上げたの目が銀八のそれと合い、互いに無言のまま、再び顔を寄せ合い―――
「なににセクハラしてるアルか、この変態ィィィ!!!」
突如として辺りに響きわたった怒声。誰のものかなど、考える間でもない。
一体どこにいるのか。反射的に首を巡らせた銀八の隙をついたかのように、暗がりから神楽が踊り出てきた。
銀八がそれに気付いたのと神楽の芸術的なまでの回し蹴りが銀八の脇腹に炸裂したのはほぼ同時か。
「ちょっ、待て! 待てって!!」
「うるさい! 問答無用ネ!!」
制止の声など神楽が聞くわけがない。
神楽が宣言通り問答無用で銀八に殴りかかっている様を、側では沖田が止めるどころか楽しげに携帯の動画に収めている。
唐突な展開にが動けずにいると、その肩をぽんと叩かれ、は思わずびくりと肩を跳ねさせた。
「あ……なんだ、土方くん」
「なんだじゃねーよ。何で外にいるんだ?」
この時間の外出は禁止だろーが、という土方の言葉は、今し方まで売られた喧嘩を買いに外に出ていた人間には言われたくないようなものなのだが、はそんなことには思い至らないのか「え、えと……」と言葉に詰まっている。
そこへ続いて現れたのはお妙。にっこりと笑うと「部屋へ戻りましょう、ちゃん」と促してくる。
しかし突然の出来事についていけていないとは言え、神楽に殴られている銀八を放っておくのは悪いだろう。そう思ったがお妙の言葉に頷けずにいると、お妙が再び同じ言葉を繰り返した。
「戻りましょう、ちゃん?」
「…………うん」
同じ言葉、同じ笑顔とはいえ。お妙に何やら鬼気迫る雰囲気を感じ取ったは、気圧されるように頷いてしまった。
何より、頷かない限り、肩を掴んでいるお妙の手に、徐々に力が込められそうな気がしたのだ。
銀八には申し訳ないと思いつつも、目の前の恐怖にも抗うことはできず。
「ご、ごめんね、先生……」
「え、マジ!? っ、ーーっ!!?」
「諦めるがヨロシ。ここからは虐殺ショーの開幕ネ」
「って、なに不吉なこと言っちゃってんのお前はァァァ!!?」
悲鳴のような叫びに後ろ髪を引かれても、お妙に背中を押されては逆らう事もできない。
は胸中で十字を切ったが、考えてみれば、一昨日の夜の報復だと思えば納得できないでもない。
そう自身を納得させ、お妙と土方に促されるままはその場を後にし。
そして銀八の絶叫が、辺りにこだましたのだった。
<終>
や、最後の最後までは美味しい目にあえないのが銀八先生と言いますか。
まぁ私が書く話って、大概そういう傾向にあるんですよね……ハイ。
というわけで、だらだら続いた修学旅行篇もこれで一区切りということで。
読んで下さった皆様、ありがとうございました。
('07.09.09 up)
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