高校教師 〜恋のヘキサゴン〜
「ちゃん、どうかしたの?」
「元気ないネ。食べ過ぎでお腹でも壊したアルか?」
「うん……」
お妙と神楽の心配の声に、は上の空で頷く。
二人の声が聞こえていない訳ではない。ただ、頭の中がそれに答えているどころではないのだ。
天気の良いお昼休み。屋上で三人揃ってお弁当を広げ、いつもは楽しくお喋りに興じているというのに。
今ばかりは、楽しむ気にはなれない。と言うよりも、一つのことで思考が占められていて、楽しむ余裕がないと言う方が正確か。
の思考を占めているのは、ついさっき目にしてしまった光景。
貸し出し期限が迫っていた本を返さなければと、はお昼休みに入ってすぐに図書館へと走り。無事に本を返して、そのまま二人が先に行っている屋上へと足を向け。
その途中で、見てしまったのだ。女教師と楽しそうに話している、銀八の姿を。
普段ならば気に留めなかったかもしれない。けれども今日話していた相手は、若くて綺麗で、生徒の間でも人気のある先生で。
不安にならずにはいられなかったのだ。
好きだと言ってくれる。大切にしてもらってるとも思える。
それでも、どうしようもなく不安になってしまうのだ。
高校生の自分はまだ子供なんだと、自身思っている。そんな子供相手に本気で好きになってくれるのか。本当はもっと大人の女の人がいいのではないだろうか。
そんな不安と同時に、銀八の言葉を信じきれずにいる自分にも気付いてしまい、そのたびには落ち込まずにはいられない。
もっと、自分に自信が持てたらいいのに。
そう思うものの、ならばどうすれば自信が持てるのか。にはさっぱりわからない。
わからなくて、不安で、そんな自分が嫌になって。
「ちゃん!?」
「どうしたアル!? 泣くほど痛いアルか!?」
知らず零れ出した涙は、拭っても拭っても止まらない。
二人に心配させて、せっかくのお昼休みを台無しにして。ますます自己嫌悪に陥るものだから、余計に涙が止まらない。
差し出されたハンカチを素直に受け取ってはみたものの、申し訳なくて使うこともできずに握り締めたまま。
心配させたくなくて首を横に振ってはみたが、それが何の意味も持たないことを自身もわかっていた。
「ねぇ。私たちじゃ、相談相手には不足だと言うの?」
「任せるネ! 困ってる時こそ助け合うのが親友というものヨ!!」
「お妙ちゃん……神楽ちゃん……」
握り締めていたハンカチをそっと手に取り涙を拭ってくれるお妙と、その隣でフォークを握り締めながら力強く請け負う神楽。
そんな二人に甘えてもいいのだろうか。
悪いと思いながらも、それでも堪えきれずにはぽつりぽつりと、目にしたばかりの出来事を二人に話し始めた。
そして、抱えている不安も。
泣きながらだから、聞き取りにくい部分も幾らかはあっただろう。それでも二人とも、真剣な顔をして黙って閊え閊え話すをじっと見ていた。
「―――…アネゴ」
「なぁに、神楽ちゃん」
「銀八のヤロー、ブッ殺してもいいアルか?」
「その時には私も誘ってちょうだい。女の恐ろしさをたっぷり教えてあげなくちゃ」
最後まで話を聞いた二人の最初の反応は、それだった。
が銀八と付き合いだした当初から、この二人はその事実を快く思っていない。何せ相手はダメ人間。やる時はやるのだとわかっていても、普段が普段だけにどうにも印象が良くない。
もしが別れたがっているのならば、諸手を挙げて賛成していただろう。
だが勿論、はそんな事を思ってはいない。それなのにが蔑ろにされるというのは、の親友を自負するお妙と神楽にとっては許しがたい事態である。銀八如きがを振るなどとは、極刑モノだと二人共に固く信じて疑わない。
いきり立つ二人に普段であれば思わずツッコむも、今ばかりはそれどころではない。未だ止まらない涙を拭うだけで一杯一杯なのだ。
からの制止が無いのをいいことに、普段からの鬱憤や不満をここぞとばかりに垂れ流すことしばし。
ようやく気が済んだのか、「それじゃあ本題に戻りましょうか」とお妙が手を打った。どうやら話が本筋から逸れていたことは承知の上だったらしい。
「要は、先生を振り回せたらいいのよね。ちゃんは」
「そ、そうなのかなぁ……」
「その通りネ! 男は女に振り回されてナンボアル!」
「逆に言えば、男を振り回すことが女の自信に繋がるのよ」
「あ! だからお妙ちゃんも近藤くんを」
「ちゃん? それ以上言ったらどうなるかわかってるわよね……?」
納得しかけただったが、納得の仕方がお妙には気に入らなかったようだ。
鬼気迫る表情で迫られ、は思わず口を押さえてコクコクと頷く。
実はこっそりと「近藤くんもいい人だと思うんだけどなぁ」と思ってはいるのだが、流石にこの状況でそれを口に出す度胸はには無い。
お妙がストーカー行為を毛嫌いしているのは事実であるし、確かに近藤の行為はやりすぎと思う面もある。でもこれはこれで二人お似合いだよね、とは神楽とこっそり話し合った結論だったりする。
それはそれとして。
経緯はともあれ納得したの顔からは、すっかり涙が消えている。親友である二人が相談に乗ってくれた、それだけで安心できたのかもしれない。
「でも、どうすればいいの?」
「あら。簡単なことよ?」
「男は単純な生物アル。ここは私たちに任せるネ!」
「う、うん……」
涙は消えたものの、不安は別の意味で消せない。
けれども、二人の親友が力になってくれるのは、嬉しくてならない。
自信たっぷりに笑う二人につられるように、もまた笑みを浮かべ。ようやく、弁当箱の蓋を開けた。
好都合なことに、今日の6時間目は国語。つまり銀八の授業だった。
5時間目が終わったそばから、お妙と神楽はの机に集まり、画策する。
と言っても、の携帯を借りて二人で何やら打ち込んでいるだけなのだが。
首を傾げながらも、二人とも自分のために親身になって考えやってくれているのだと思えば、咎める気にもならないし、何より、これで本当に銀八を振り回せるのなら、と少し楽しみですらある。
授業開始のチャイムがなる頃になって、「これでよし!」と携帯を閉じ、差し出してくる。
返された携帯を手に、「何をしたの?」と期待の眼差しを向けるに、二人はにこやかな笑みを返した。
「簡単なことよ? 先生に送ったメールに、ハートマークをたくさんつけただけ」
「男は単純だから、ハートの数だけ好きになってイチコロネ! これ常識ヨ!!」
「……それって」
常識じゃなくて、某クイズ番組の歌の歌詞じゃないの?
そうが口にしかけた瞬間だった。
教室の外、廊下で、バタン! と何やら盛大な音が響いた。
音の大きさ、響き具合からして、Z組の教室から少し離れた場所だろうか。
あまりにも大きな音だったために、賑やかだった教室内が一瞬静まり返る。
一体何事が起こったのか。それを確かめに行くでもなく、誰もが凍りついたように動かなかったのは、実際のところ然程長い時間ではなかっただろう。
ややあって、聞き覚えのある足音。そしてガラリと開かれた扉から現れたのは、鼻の頭を擦っている銀八だった。そのトレードマークの一つである眼鏡も、心なしか歪んでいるように見える。何があったかは明白だった。
だが銀八は、生徒らの好奇心に満ちた眼差しに答える気は微塵も無いようで。
脇に抱えていた教科書を教壇の上に置くと、そのままスタスタと生徒の机の間を歩く。
足を止めたのは、の机の前。携帯を握り締めたまま見下ろしてくる銀八に、もまた携帯を手にしたまま不安になる。タイミングからして、お妙と神楽が送ったメールが原因なのか。だがメールの送り主はになっているはずで、ならば責任追及されてしまうのかと、身を竦めただったが。
その身が不意に、ふわりと宙に浮いた。
「へっ!? ぎっ、銀ちゃんっ!!?」
怒られるものとばかり思っていたものだから、予想外の出来事に思わずは普段の呼び方で銀八を呼んでしまう。
しかしその事に対する咎めは無い。その代わり、「イヤイヤ、反則だって。今のは反則だろ絶対」などとぶつぶつ呟いている。
何が反則なのかにはさっぱりわからない。わかるのは、いきなり抱き上げる方が反則だということくらいだ。これでは下手に身動きもとれない。
「と言うワケで今日は自習な。文句はに言うように。以上」
「先生っ!?」
「ああ、ハイハイ。愛の言葉なら二人きりになってからいくらでも聞いてやっから。な?」
何が「と言うワケ」なのか。
まったくもって理由になっていない理由だけを残し、を抱えたまま銀八はざわめく教室を後にした。
残された生徒たちはと言えば、そんな銀八の唐突な行動にも慣れたもので、6時間目が自習になった事実を喜んでいる。
そして、今回の原因とも言える神楽とお妙は。
「……男って、本当に単純アルな」
まさかここまで上手く事が運ぶとは思っていなかったため、銀八が去っていた教室のドアを半ば呆れた面持ちで見つめながら、神楽がお妙の席へと寄ってくる。
「それもあるわよね。でもあんなの、ちゃんが一人で勝手に不安がってただけの話よ」
「それもそうネ。銀八はいつだってしか眼中に無ェアル」
「ちゃんが自覚してないだけなのよね」
傍から見れば、銀八がのことしか見ていないことは明らかだ。
だがこういうことは得てして当事者にはわからないのだろう。特には元々年の差に不安を抱いているのだから尚更だ。
のことを思えば、今回のことでもう少しくらいは自信を持ってほしいとは思うものの。
「でもこのままヤツに渡すのは癪ネ」
「当たり前じゃない。今日だけよ、サービスは」
ちゃんは私たちのちゃんなんですもの。
微笑んでそう言い切ったお妙に同意するように神楽も力強く頷くと、手にしていた弁当箱(本日3箱目)の蓋を開けたのだった。
<終>
純情じゃなくて単純になっちゃってますが。
Paboの「恋のヘキサゴン」より。ヒロインちゃんとお妙さん、神楽の三人娘が揃えば、ある意味無敵なんじゃないかと思うデス。
('08.07.05 up)
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