高校教師 〜ハナマル☆センセイション〜



「ああ、うん。まァ、何となく予想はしてたけどな、コレ」
 
放課後の3年Z組の教室。
先日の期末試験、一科目でも赤点があれば放課後居残り補習。帰りのショートでそう命じていたにも関わらず、教室内は蛻の殻―――ただ一人を除いて。
そのただ一人は自分の席に腰を下ろして、居た堪れなさそうに顔を俯けていた。
実際、居た堪れないだろう。どうやら自分一人だけが残ってしまった上に、補習対象の科目が国語。これで他にも生徒がいれば紛れることもできただろうが、一人では逃げる事も隠れる事もできはしない。
下手に突けば泣き出しかねないという事は承知なのだが、それでも一言チクリと言ってやりたくなるのは、よりによって自分が教えている国語で赤点を取られた事に対する八つ当たり以外の何物でもない。
 
「で? は何のテストで赤点とったんだ?」
「…………こくご」
 
知ってて何を聞いているのかと、自分の事ながらその意地の悪さに呆れたくもなる。
そんな銀八の胸中を知ることもなく、は震える声で、それでもどうにか自己弁護を試みようとしたらしい。
 
「で、でも……頑張ったんだよ、これでも……」
「そうだな。頑張ったよな。英語をな」
 
だがの弱気な自己弁護を銀八は一刀両断。
頑張ったら赤点は無いだろ、とは銀八の言い分。頑張ったのは実際、英語の試験だろう。何せ満点だ。何をどう頑張ればそんな点数が叩き出せるのか。そして、何故その点数の四分の一でもいいから国語に回せないのか。銀八はそこを問い質したくて仕方が無い。
ゆっくりとの席へと向かえば、目に入るのは震える肩。そして耳に入るのは小さな嗚咽。
どれだけ腹立たしくとも、に泣かれればそんな感情は露と消え、後に残るのは泣かせてしまった事への罪悪感と後悔。昔からそれはずっと変わらない。

「ハイハイ。先生が悪かったよ。言い過ぎました。スミマセン。ほら、は笑ってる方が可愛いんだって。イヤ、泣いてても可愛いけどさ」
 
顔を上げさせて涙を拭いてやれば、何が可笑しいのかくすりとが笑う。
確かに可笑しくはあるだろう。ハンカチを取り出して手慣れた手つきで涙を拭ってやる様は、恋人というよりも保護者と呼ぶのが相応しいのかもしれないのだから。
とは言え、幼い頃からよく泣いていたを宥めてやるのは何故かいつも銀八の役割で、慣れた手つきもハンカチを持ち歩く習慣もそのせいなのだから、そもそもの原因はにあるのだろう。
我ながら柄ではないと自覚しつつ、涙が止まったのを確かめて銀八はハンカチをしまうと、の前の席の椅子を勝手に拝借して腰を下ろした。

「じゃ、とりあえず試験の答案出そうな。見直し、やったか?」
「…………」

沈黙が答えと言うことは、見直しなどしていないということか。
自分が学生の時にも、終わった試験の答案の見直しなど真面目にやった記憶が無いのだから、ここでを責めるわけにもいかない。
第一、やらないだろうからこそ、こうしてわざわざ補習の時間を設けているのだ。
無言のまま、は小さく折り畳まれた答案用紙を2枚、鞄の中から出す。その小ささが、赤点という事実から少しでも目を逸らしたいというささやかな抵抗にも思えて、銀八はつい苦笑を漏らす。
開いてみれば、点数欄に書かれた数字が嫌でも現実を突きつけてくる。現代文も、古文も。見事なまでの低数字。これで英語が満点だというのだから、一体の頭の中身はどんな構造になっているのか不思議でならない。

「まさか、俺と二人きりで補習したいから、こんな点数取ってるとかないよな?」
「違うもん」

即答されてしまった。
銀八とて冗談で口にしただけであって、何も本気だったわけではない。が、即答されてしまうと何やら淋しい気分になってしまう。
嘘でもいいから頷いてくれればいいものを。
しかし、バカ正直なところがの良いところでもあるのだ。だから。

「……でも、二人になれて、ちょっと嬉しい…かな?」

訂正。良いどころではない。最高だ。
はにかみながら口にされたその言葉は、バカ正直なの本音なのだろう。
それがわかるからこそ、銀八は素直に喜ぶ。いや、喜ぶどころの話ではない。踊り出したい気分だ。外に出て、目についた人間を片端から捕まえて語り尽くしたいほどの可愛さだ。
勿論、実際にそんなことができるはずもなく。ならば代替案として。

「なァ。このままここで補習すんのと、これから俺の部屋で個人授業すんのと、どっちがいい?」
「補習。絶対ここで補習」

再び即答されてしまった。
予測済みの回答だったとは言え、冷たくきっぱり言われてしまうと、盛り上がりかけていた気持ちが萎んでしまう。
あくまでそれは銀八の勝手な都合であり、の返事は決して間違ってはいない。ただ、面白くないだけで。
しかし、それで感情を表に出してを責めるのは筋違い。我慢のきかないガキでもあるまいしと、銀八はぐっと堪える。
素直に居残り補習に残っただけでも上出来、むしろ二人きりになれたことを喜ぶべきか。も喜んでいるのだから。
俺も大概大人になったよな、などと自己満足を胸に、銀八は補習へと思考を切り替えることにした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
最終下校時刻も間近に迫った刻限。
太陽が地平線に沈み始めると同時、は手にしていたシャーペンを机の上に放り出した。
 
「終わったぁ……」
「ハイ、お疲れさん」
 
元々、は飲み込みの悪い生徒ではない。国語以外の試験ではそれなりの点数をとれるのだから、それは間違いない。
それでも補習にこれだけの時間がかかったのは、それだけ間違えた箇所が多かったからに過ぎない。
だが、今この場では理解した問題も、どうせ次の試験の時には綺麗さっぱり忘れている事だろう。そう思うとこの居残り補習に何の意味があるのか疑問が湧いてくるが、それでも、今日の補習で教えた事の一つでもいいから次の試験に生かしてくれれば十分だと銀八は思う。
わざわざ場を設けて教えてやった事を蔑ろにするようなではないはずだが、さてどうなる事やら。

「遅くなっちゃった……ごめんね」
 
机の上を片付けながら、窓の外を見てが謝る。
謝るくらいならば、最初から赤点を取らなければ良いものを。
だが、おかげでこうしてと二人きりになれたのだから、それほど悪い気はしない。
学校では他の生徒達の邪魔が入るおかげで、なかなか二人きりになる機会は無い。邪魔を気にせずと二人きりの時間を堪能できるなど、平日ではなかなか無いことだ。
そういう意味では、まったくもって迷惑などではない。前向きに考えることにして、しゅんと項垂れるの頭を銀八はくしゃりと撫でた。

「生徒はそんなこと気にしなくていーの。これも仕事だよ、仕事」
「……そうだよね。お仕事だもんね」

が気に病まないように仕事という建前を口に出したが、何が気に入らないのかは項垂れたまま。
仕事という建前が不満なのか。この我が侭娘が、人がせっかく気を遣わないように建前を口に出したというのに。
そんな文句は、しかし一瞬にして消え去る。
要するには、『仕事』という言葉で二人の事を片付けてほしくないのだろう。具体的に言葉にはせずとも、が校内でそんな不満を漏らすのは初めてで。
恋人同士ではあっても、校内ではあくまで教師と生徒―――そんな関係につい不満を漏らしてしまう程度には、自分のことを好きでいてくれるのだと。そう思ってしまえば、銀八は込み上げる笑いを押さえることができない。

「でも相手がでなきゃ、ここまでは付き合わなかったけどな」

笑いながらくしゃくしゃとの頭を撫でまわすと、ようやくが笑顔を見せた。気恥ずかしそうにではあったが、満足はしたようだ。
こんな些細な言葉一つで喜ぶのならば、いくらでも伝えてやるし、喜ばせてやるのに。いっそこれから毎日言ってやろうかと思うほどだ。
が満足したことで銀八も満足し、さて職員室に戻ろうかと考える。片付けなければならない仕事はまだ山のように残っている。面倒極まりないが、自身の意志で教職に就いた以上は諦める他無い。
だが現実とは時に想像の斜め上を行くもの。
帰り支度を終えたと、せめて途中までは一緒に行こうと立ち上がったところを引き止められ。
 
…………
 
―――あ、あのね! 嬉しかったから、その…ちょっとしてみたかっただけ、なの。誰も見てないし……」
 
慌てたように言い訳するのその顔が赤いのは、教室内に差し込む夕陽のせいばかりではないだろう。
だが銀八にも、その様子をからかうだけの余裕は無かった。呆然と硬直したまま、つい今し方起こったばかりの出来事を脳内で整理する。
要は、銀八を引き止めたが、キスを仕掛けてきたと。ただそれだけの話なのだ。
たかがキス、されどキス。
大体、からキスをしてくること自体が滅多に無いというのに、それが校内限定となれば、一体どれほど貴重な体験か。
夢ではないかと疑いかけたが、そんなはずもない。現実だ。仮にこれが夢ならば、事態はもっと銀八の都合の良い方向に動いているはずだ。が自分から制服を脱ぎ出すとか。
いっそこれが夢で、更に事が進んでくれれば良かったものを、などと不埒な事を銀八はちらりと考える。だが現実のが、そんなことをしてくれるはずがない。
しかし夢とは追うことに意味がある。夢を追うことで人は成長していくのだ。
などと言うのは、詭弁にも言い訳にすらもならない誤魔化しだ。それでも自身の行為を正当化するには十分に事足りる。
というわけで。
 
「じゃ、帰っか」
「え、ちょっ、先生っ!?」
 
さも当然のように銀八はを小脇に抱えると、すたすたと教室を出る。
職員室に残っている仕事は、明日やれば良い。明日できる事は今日するな。なんと素晴らしい言葉か。
それよりも、今日でなければできない事をすべきだ。それは即ち、何だかもう可愛くて仕方が無いの誘惑に乗ること。
 
「アレか? 国語の時間、俺を誘惑するコトばっか考えてるから、テストの点が悪いんじゃね?」
「そんなことしてないもん〜〜!!!」
 
それなら満点に花丸もつけてやるよ、と言ってやるが、は懸命に否定する。
確かにそれは冗談で、まさかこのが授業中にそんなことを考えていると、本気で思っている訳ではない。のだが。
そう考えれば、がどれほど悪い点数を国語で取ろうとも、不満はどこにも生じない。
 
「うわ〜んっ、銀ちゃんのばかぁぁっ!!」
「抵抗しないもバカだと思うけどな?」
 
これから自分の身に起こることを悟った上で抵抗しないのならば、それは了承したと言っているようなものだ。
口では何を言おうとも、も嫌がってはいないのだ。
自分勝手な解釈を胸に、銀八はさっさと昇降口へと向かったのだった。



<終>



そして職員室に自分の荷物を取りに行った先生を、不貞腐れながらも大人しく昇降口で待ってるヒロインちゃんの図(笑)
何か可愛いなー。(自分で言うな)
サブタイトルは某アニメのEDです。2番のサビ聞いて思いついた今回の話。なので意味はほとんど無いです。
ところで、1番のサビの「細かいコトありでも先制がイイ」の部分、「先制」が「先生」に勝手に脳内変換されて萌えます(笑) うん、色々あっても先生が良いです。好きです(何

('08.11.30 up)