私の断食体験記


(これは、もう25年以上も前の体験記である。従って、断食のやり方や理論的なものは変わっているかも知れない)



なぜ断食などをしたのか。
25歳ころの私は、まさに最悪の状態にあったからだ。
教員としての自信をなくし、劣等感の塊となり、そういう自信のない自分の弱い性格に絶望して、このままでは教職を続けていくこともできないのではないか、と真剣に悩んでいた。
しかし、高校国語の教員は、自分の天職だと信じてもいた。
会社勤めをしていた父親の惨めな姿を見て育った私には、サラリーマンになるなんてことは夢にも考えられないことであった。かといって会社勤め以外に金をもらえる特殊な技能なんてない。そんな私にとって、好きな文学の話をして金がもらえる国語教師という職業は、もったいないくらい自分に適した職業だったのである。
職を辞めるわけにはいかない。これが、まず確定した大前提だった。
ならば、自分の性格を改造するしかない。逞しく生きられるような強い性格を身につけるしかない。これが結論だった。
性格を改造するためにはどういう方法があるか。
昔から興味を持っていたインドの「ヨガ」が最高の方法だと私は考えた。
そして、ヨガの本を読みあさり、その中から、断食療法についての知識を得ることになったのである。

      2

断食をしてみよう、と心に決めた。
それから約半年かけて、慎重な私は、さまざまな準備をしたのである。
まず、断食道場を決めなければならない。そのために、全国の施設を調査した。宗教に関係する所はすべて除外し、純粋な療養断食の施設3つほどに候補地をしぼり、パンフレット送れの葉書を出した。
しばらくするとパンフレットが送られてきたので、それを検討した結果、生駒山の中腹にある静養院という断食療養所に決めることにした。
断食中にすることも、いろいろ準備した。
調べたところ、どうも断食で一番苦しいのは「退屈」ということらしかった。
断食は25日間の入院が必要なのだ。25日間の有り余る時間をどう過ごすか、それは確かに、大きな問題に違いない。
まず考えたのは当然読書だったが、空腹の苦しさに耐えながら、はたして読書が出来るのかどうか不安だった。
そこで、読書以外に、ギターの練習(通信教育でクラシックギターを習っていた)、新聞切り抜きの整理、日記を書く、クラスの生徒全員へ手書きの暑中見舞いを書く、ラジオを聴く・・・などを考えて、準備を整えた。

1学期の終業式が終わり、いよいよ生駒山へと向かった。
ケーブルカーで指定の駅まで行く。駅を降りてしばらく歩くと、周囲に何もない山の中腹に細長い建物が現れた。目指す静養院である。
玄関に入ろうとすると、女性が一人、ふらふらと歩いてきた。ひどく痩せている。一目で入院者であることが分かったのは、若いのに、歩き方が実にゆっくりだったからだ。倒れないように、慎重に一歩一歩進んでいるのだ。
静養院では、入院時に所持金をすべて預けなければならなかった(買い食い防止のためだと説明された。後で分かったが、実際はそう厳密に行われているわけではなかった)。金を預けて、手続きすると、箸と般若心経の冊子とグラフ用紙が渡された。
予約した部屋は、上から二番目ランクの四畳半。テーブルと小物入れだけの殺風景な部屋である。
断食第1日目が、いよいよ開始した。
断食は25日間で完了する。
最初の3日間が「予備断食」と言って、徐々に食事を減らしていく期間。
次の10日間が「本断食」で、固形物は一切食べない期間。
残りの12日間が「回復食」で、徐々に食事を増やしていく期間、となっている。
入院した日の夕食は、野菜中心の普通食だった。これから1食ごとに、全粥、七分粥、五分粥、三分粥、重湯、という形で、徐々に食事が減らされていくのである。

   3

断食中は、いい水を出来るだけ多く飲むことが必要という。
院長さん(当時70幾つかの人だった)は、自分が静養院を生駒山に作ったのは、全国60カ所くらいの場所を調べて、その中で、一番水のいい場所だったからだと言っていた。ここの湧き水は、お酒も醸造できるほどいい水だそうだ。静養院は、それをポンプで汲み上げて水道から出るようになっている。
なるほど、蛇口をひねると出る水は、とてもおいしかった。

朝、8時から、娯楽室でちょっとした行事がある。
建物に入った時から感じていたことだが、娯楽室には特に、異様な匂いが充満していた。
断食療養者は、特有な匂いを発するのだ。
特に口臭がひどい。かなり離れて話しても、相手の口の匂いが漂ってくる。
後に詳しく書くが、断食すると舌に「舌苔(ぜったい)」というものが出て、それで匂うということだった(お腹をこわすと舌が白くなるのが舌苔の一種)。汗も臭くなる。そういう人々が集合する場所なので、最初は吐き気を催すような異様なな匂いを感じたのだ。
朝(夕方にもある)の行事というのは、静座の辞という言葉と、変な区切りで読む般若心経を朗誦するのである。30分ほどで終わる。
全く宗教とは関係ない、ただ心を静めるための行事で、参加は自由だった。
娯楽室へ行くと、70名くらい集まっていた。
3分の2は女性。そんなに太った人がいるわけではなく、むしろ痩せすぎの人が多いように思った。後にいろいろな人と話をしたが、入院の動機となったものとしては、太りすぎ、痩せすぎ、皮膚病、胃下垂、胃拡張、腸炎、ノイローゼ、精神修養などが多かったように思う。夏休みの時期ということで、高校生や大学生もかなりいた。

断食をすると大きく3段階で、身体にある特別なことが起こる。
その第1段階が、「断食反応」という症状である。
身体がだるくなる。気持ちが悪くなる。肩が凝る。頭が痛くなったり、吐いたりすることもある。忘れていたような古傷がうずきだしたり、治りかけていた病気が再発したようにもなる、という。
断食による「反応」が身体に出るのである。
断食すると、体内の毒素、老廃物が血液の中に入り込み、酸性(アチドージス)となった血液が体中を巡るので、一時的に、持病が悪化したりするらしいのだ。
本断食に入るとすぐ起こってくるが、とにかく、辛いことこの上ない。
私は、この症状の時、ほとんど一日横になっていた。
身体のだるさがたまらなかったが、胃が悪かったわけではないのでまだましだったようだ。隣の部屋のサラリーマン男性は胃が悪くて、養命酒を何本も飲んだけれどダメだったから入院したと言っていたが、吐きどうしに吐いていた。吐く物がないので水と胃液が出る。見ていて気の毒なくらい苦しそうだった。
この時期に小便をすると(大便はもう出ない)、真っ黄色である。
スポーツをして疲れると出るような黄色い尿の、もっとひどい状態のものが出る。匂いもきつい。
これも、毒素、老廃物が尿に混じって排出されているということなのだ。
やがて、徐々に尿の色が薄まっていく。
飲み続けているいい水によって、濁った尿が追い出されていくのだ。
ついには、みごとに無色透明となる。
まるで山の湧き水のようで、つい手ですくって飲んでみたくなるような綺麗なオシッコになるのである(あんな綺麗なオシッコはそれ以後出したことがない。皆さんのも、黄色っぽいでしょう?)。
オシッコがそういう状態になると、「断食反応」もおさまり、第1段階は終了するのである。

   4

断食中は、風呂に入れないので、身体を頻繁にふく。
男性は、ひげ剃りを禁止される。ひげを剃ってもし傷がつくと、断食中は血がとまらなくなることがあるというのだ。だからみんなひげぼうぼうで、むさ苦しい。
断食中は、立ちくらみがしょっちゅう起こる。
廊下を誰かが歩いているな、と思うと、パタンと倒れる。みんな知らん顔でそばを通り過ぎる。倒れた人は、しばらく倒れたままでいて、それからゆっくりと立ち上がり、何もなかったかのように歩き出す。壁には「倒れたらそのまましばらく動かず、ゆっくり立ち上がってください」と張り紙がある。ほんとに笑えてくるくらい、人々がパタパタと倒れるのである。
廊下の隅に、何台も体重計が置いてある。
体重の変化を入院時にもらったグラフ用紙に書きこむのであるが、これが毎日の楽しみなのである。予備断食中から、見事に1日1キロずつ痩せていく。
私は、当時相当痩せていたので減り方が少なかったが、5日で5キロ、きっちりと減量した。それから減り方は横這いになったが、太っている人は10キロくらいすぐに減ったと話していた。

断食による身体の変化の第2段階は、「舌苔(ぜったい)」である。
前に書いたとおり、ものすごく口が臭くなる。
断食月のあるイスラム教では「神をよろこばせる芳しい匂い」なんて言うらしいけれど、出来れば嗅ぎたくない匂いだ。最初は口臭止めなどを使って気にしていたが、みんな臭いのだから、すぐにやめてしまった。
「舌苔」は、固形物を体内に入れてはいけないという信号だと説明される。毎日1時間ほど、テープによる院長さんの「断食講話」が流れるのだが、その中に「舌苔」が出た後で買い食いをした女子大生の話があった。静養院は山の中で周囲に店はないのだが、ケーブル・カーの駅には売店があるので、そこまで行って買い食いした女子大が、腸捻転を起こした。救急車で病院に運ばれ、手術して、一命を取り留めたという。淡々とした話しぶりだったが、かなり強烈な警告だったので、よく覚えている。
「舌苔」が出ると、肉体的には断食に慣れた状態となって、飢餓感が薄れていく。
もちろん肉体が慣れても、心は食べ物を求め続けるから「空腹感」は続くが、当初よりはずっと楽になる。それでも腹は一日中鳴りどうしで、空腹で眠れないから睡眠時間は4時間。夢の中に食べ物が出てくる毎日なのである。
(読者のみなさんは、食べ物の夢なんか見たことはないでしょう?この飽食の時代に、夢の中に食べ物なんかまず出てこない。ところが断食中の夢は、食べ物が圧倒的に多かったのです。若い頃は、あなたもよく見たはずのイヤラシーイ夢なんかゼンゼン見ないのですよ。生き物は、まず何といっても食欲!食欲です!食欲が基礎であって、それが満たされてから性欲も起こる。フロイトさんがリビドーなんて言って人間の深層心理の中心に性欲をおいたけれど、それは食欲を前提としての話で、性欲なんかより圧倒的に強くて重要なのが食欲であることは、私みたいなスケベな男でも断食中はセックスのことなんか考えなかったことで明かなのです。生きるっていうことは、まず食べることなんです!確かに、人はパンのみにて生きるにあらず・・・だけれど、でも、まずパンなんだな、これが。・・・・この、バカバカシイほどアッタリ前すぎる真理を体得したことが、実は、私にとってはとても重要なことになるのです)

   5

断食をすると、「節目」というものの大切さをしみじみと感じるようになる。
普通は朝昼晩の3回の食事が1日の節目になって、毎日の時間が過ぎていく。他に多少の行事があっても、我々の生活の最大の節目が食事であることに間違いはないだろう。その断食中は、その節目がないのである。
朝起きてから、のっぺりとした時間が流れる。
しかも、断食中は睡眠時間が極端に短くなり、せいぜい4時間くらいしか眠れない。起きている時間が20時間なのである。
のっぺりと流れる20時間!
この感覚の体験は、私に節目というものの意味を教え込むことになった。
考えてみれば、四季の区切りなどの自然現象とは別に作られた「1週間」などという区切りは、人間が勝手に作ったものである。その単位である7日という日数は、別に何か根拠があるわけではないだろう。人間という<異常な>動物が、のっぺりと流れる時間の中で生きるのは辛いから、意識的に節目を設けるために作ったものなのだ。6日ごとに(今は5日になったが)休日という節目があることで、生活にメリハリが出来るということなのだ。年間行事なども、例えば、勝手に作った正月なんていう節目で1年という単位を区切り、それで人生にリズムを作っているのであって・・・

閑話休題(それはさておき)。
とにかく、節目のない、のっぺりと流れる時間をどう過ごすか・・・。
読書は、やはり長くはできなかった。腹がグーグー鳴る中で、集中力が持続できない。
私は、特にラジオをよく聴いた。
教育番組で、国語の教材を解説しているものがあり、それなどをよく聴いた。
講演の録音なども時々流れていて、それは実に中身の濃いものもあった(後にNHKの「文化講演会」という番組の愛聴者となるきっかけがここにあったかも知れない)。
毎朝流れる、院長の断食講話は、一言も聞き漏らさずノートに書き留めた。
それから、担任していたクラスの生徒全員に、暑中見舞いの葉書を出した。時間は有り余っているのだから、一人一人文面を違えて、手書きしたのである。
すると、生徒から激励の手紙が来た。
「先生、今ぼくはビフテキを食べています。デザートにスイカを食べます」
「スキヤキ、思い出すでしょう。昨日食べたんです。おいしかったー」
なんていう、絵や写真入りの葉書ばっかり。
ちきしょうめ、と思いながら、それも激励のカタチだと解釈したものだ。
その他には、ギターの練習、新聞の切り抜き整理、他の入院者との会話、日記の作成、散歩、トランプの一人遊び・・・20時間の使い方は、そんなものだったと思う。

このころ、空腹で眠られない夜に、いつも思いだしていた映画があった。
それは、スティーブ・マックイーン主演の脱獄映画「パピヨン」である。
中に、刑務所からの脱獄を企てて独房に入れられたマックイーンが、食べ物を減らされる残酷な仕打ちを受けるのだが、どうしても体力を落としたくないので、床をはい回っているゲジゲジや蛾のような虫をスプーンで切り刻み、食べるシーンがあったのだ。
マックイーンは、いつも「くそ!負けるものか」とつぶやきながら、懸命に飢餓と闘う。
その時のマックイーンの表情が、毎晩のように浮かんできたのである。
もう一つ、断食中に読んだ小説で憶えているものがある。
檀一雄の「火宅の人」である。
主人公の小説家は、障害を持った子供や窃盗する子どもがいる「火宅」の父親なのに、旅ばかりして愛人と遊び回る。
そんなカッコイイ無頼派作家の物語で、とんでもない不道徳な、しかし面白い小説であったが、憶えている理由は、この小説が、食べたり飲んだりする場面のやけに多い小説だったからだ。
海外のホテルでのシーンで、確か、両手に酒と牛乳をそれぞれ持って交互に飲むことを自慢するような場面があった。断食中に読んだ他の本は忘れてしまったが、この本のことだけ今でも憶えているのは、その場面の印象が特に鮮明だったからである。

   6

本断食8日目くらいになると、少し不思議なことが起こった。
目がよく見えるようになったのである。
近視だったが、あたりの景色がメガネなしで、くっきり見えるのだ。
やった!近視が治った、と思ったが、一時的なものだった。
よく本には、断食によって体験した超能力的なことが書いてあったりするが、誇張はあっても、一概にすべてウソではないと思う。確かに、肉体が普通の状態ではないので、人間の感覚器官も多少普通でなくなることはあるようだ。でも、それは一時的であって、断食を終えると元に戻ってしまう。
体重の減り方は横這いとなり、気分爽快。
あれこれ悩んでいたことも、不思議なくらい考えなくなっている。
空腹感も、忘れている時間が長くなっていたように思う。
「人間とはどんなことにも慣れる動物だ」とドストエフスキーが書いていたが、本当にそうだと思う。飢餓状態にもなれて、この時期が最高の精神状態だったようだ。

入院している人々との交流もよくした。
胃下垂だという女子高生。精神修養のためという大学生。
皮膚病の中年女性。小学生の女の子をつれた老人。
毎年ここに来ているという初老の男性。
特に印象に残っているのは、100キロ以上の体重をもつ、ニキビだらけの高校生である。
大阪の工業高校2年生だと言っていたが、断食中なのにタバコを吸っている(断食中はタバコなんか吸いたくないはずなのだが)。
体重は10日で10キロ痩せたと言っていたが、実に元気で、療養所の小さな娘を肩車して、蝉取りなどに走り回っていた。あれだけ体重があると、自分の身体を食って、10日くらいの断食は何ともないのだろう。私などは、走ろうものならすぐ倒れてしまいそうで、ゆっくりとしか動けなかったので、とても羨ましかった。

女性というものの強さをしみじみ感じた出来事があった。。
娯楽室には、唯一、テレビがある。
9時消灯なので、それまでは、娯楽室で団欒することが多いのだが、ある時間になると多くの、特に女性が、テレビの前に集まる。
みんなが集まる番組とは、何と料理番組なのである。
テレビの横には、番組の時間を書いた紙まで貼ってあるのだ。
私は1回だけその時間に見たが、少し見て空腹感を呼び覚まされ、辛くて、辛くて、見続けることは出来なかった。
それなのに、多くの特に女性たちは、ジュウジュウ焼ける肉料理などを、それこそ食い入るように見つめているのだ。
その時、あの画面を見ていられる女性という生き物を<強い!>と思った。
女性の図太さというか、生命力の強さというか・・・そういうようなものを、つくづく感じた。女性には、とてもかなわない。
後に、その時テレビの前にいた若い太った女性と話をしたが、彼女が見せてくれたメモ帳が面白かった。そこには、断食が終わった後に食べようと思っているものの名前が、ずらっと書き並べてあったのだ。

さて、明日はいよいよ、回復食1日目の、貴重な体験を語ろう。

   7

本断食最終日となると、それまでおさまっていた腹の虫が、再び猛烈に鳴き始める。
明日から食べられるという想いが、空腹感を呼び覚ますのである。
10日目の夜は、辛かった。
明日が楽しみで眠れないのだ。
うとうとしただけで、腹の虫に起こされた。
朝食は7時。テーブルに箸を置き、座って、朝食が来るのを待った。
廊下に足音がすると、ドキドキした。通り過ぎると、ガッカリする。
そして、いよいよ私の部屋の戸が開いて、朝食が運ばれてきた。

お茶碗一杯の重湯と梅干しが一個。
ねっとりとした重湯を、私は、ゆっくりと唇に当て、一滴ずつ流し込むように口の中に入れた。
味わって、味わって、ゆっくり、ゆっくり、飲む。
梅干しのうまかったことと言ったらない。唾液が噴き出した。
30分くらいかけて、一杯の重湯を飲んだ。
茶碗の内側をなめ回すようにして、味わった。
あの至福の30分は、今でも忘れることができない。

近年、テレビでグルメ番組が多くなった時、腹が立って、この時の体験を踏まえて中日新聞に投書して採用された。
その文章を、ここに引用しておこう。

<グルメ番組が食欲を肥大化>
いつごろからか、テレビにグルメ番組というものが多くなった。それらを見ていて、時々、若いころの断食体験を思い出す。
胃腸の調子を崩した当時の私は、一大決心をして、断食療養所に入った。期間は10日間。やり通した私は、胃腸も回復し、自信を取り戻して、人生観も変わった。
貴重な体験だったが、その中で特に忘れられないことは、断食が終了し、回復食の最初に与えられた一杯の重湯と、一個の梅干しのおいしかったことだ。
私はあの時、それを30分かけて味わった。以来、どんな豪華な料理を見ても、自分に取って最高のおいしい食事は、あの時の重湯と梅干しだという思いは変わらない。
おいしさというのは、食べる人間との関係の内に存在するものだ。グルメ番組は、あたかもそれが食材の中にのみ絶対的に存在するかのように宣伝し、われわれの食欲を肥大化させている。
振り回されないようにしたいものだ。

回復食は12日間。
2日ずつ、重湯、三分粥、五分粥、七分粥、全粥、普通食、という6段階で回復させていく。最初の2日は、ご飯粒のない重湯。
信じられないことだが、1日3回の茶碗一杯の重湯と梅干しによって、体重が見事に1キロずつ増えていったのである。
どうして?体内に入るのは茶碗三杯の重湯だけ(水はいつも通り)なのに、1キロなんて!
人間の身体というものは、不思議である。
とにかく、毎日毎日、グラフ用紙は横這いだった線が、ググッと持ち上がったのだ。
そして、言語を絶する空腹感が襲ってきた。
今まで止まっていた消化器系器官がフル回転しはじめたのだ。
ものすごい食欲である。
食べたい!食べたい!食べたい!そればかりであった。
断食で一番危険なのは、この期間なのだ。
下手すれば死ぬ。
この期間の我慢が、断食成否のカギとなるのである。

   8

さて、断食による身体の変化の最終段階である第3段階を語る時がきた。
有名な「宿便」が出るのである。
宿便とは、文字通り「宿っている便」。腸内にへばりついている便である。
通常の排便では出せない、腸の内側にべっとりとへばりついている便が、断食によって出てくるのである。
(断食療養所では、たまりにたまった古便という説明だったが、検索で調べてみると、比較的新しい便だという医者の文章があった。どちらが正しいか分からない)
本断食の最後あたりに出る場合もあり、回復食に入ってから、新しい食物によって押し出される場合もあるという。
とにかく、この便は、並みの便ではないのである。
チョコレートのように真っ黒で濃密で、猛烈に臭い、という。
それが、かなりの量、出るらしい。
ここで、「という」とか「らしい」なんて書いたのは、実は、私はこの宝物のようなウンコを自分の目で見ていないからなのだ。
静養院は、ボットン便所だったのである。
10数日ぶりにやっと便意をもよおした私は、何とか実物を見たいと思っていたが、あ、出るな、出るな・・・と思っているうちに、懐かしいあの快感に耐えきれず、観察する前に出してしまったのだ!
私が体内にずっと大切に保持し続けていた宿便は、はるか闇の彼方に消えてしまった。
一生の不覚!
しかしこれで、断食による体内の大掃除が完了したのである。

25日の断食期間に、1回は院長の講話がある。
私が聴いたのは、回復食にはいってからであった。
実に面白い話だった。まさに、断食に生涯を賭けた人生と言える話だった。
彼は、病気の巣のような身体を7回の長期断食で治したらしい。
断食で、結核と癌以外のほとんどの病気は治ると言うが、肺結核と癌は無理だとも言った。
水虫が治る、蓄膿が治る、というのには首を傾げたが、その原理(次回に書く)を聴いて納得した。
とにかく、断食に対する信念の強さは並みではなかった。
麻薬中毒も断食で治せると言って、自分の身体で試した、という話には驚いた。
疑り深い私は、とても信じられず、講演の後で院長に直接質問した。すると、真顔になって、「何本もヒロポンの注射をしました。断食でちゃんと直しましたよ」と言う。
つくづく感心した。

彼が語ってくれた断食の科学的な内容については、明日書こう。


    9  最終回

本断食が10日なのはなぜか。それには科学的な根拠があるのだ。
院長さんは、若い頃、大学の研究室でウサギの開腹手術をしていた。
いつも実験でウサギの腹を切ると、ウサギは全部死んでしまっていた。
ある時、ウサギの抵抗力をつけるために、エサをとめてみることを思いついた。
2日ほどエサをとめて、いつも通りの開腹手術をしたら、やはり全部死んでしまった。
ところが、断食を4日に伸ばして同じ実験手術をしたところ、半分生き残った。
それで、さらに断食日数を伸ばした。すると、また全部死んでしまった、という。
そこから、ウサギには4日程度の断食が、抵抗力をつける効果があることが分かった。
次に、人間で実験をしてみることにした。
人間の腹を切るわけではない。生命の元は血液である。断食した人の血液中の変化を調べることにしたのである。
7日まで断食した人の血液には変化がなかった。
ところが、8日目ごろから、白血球の増加が始まった。
10日から14日頃には、1.5倍になった。
14日以後、断食を伸ばしても、それ以上に増えることはなかった、という。
この実験から、10日程度の断食が、白血球の量がもっとも増えて、身体に抵抗力がつき、細菌性の病気治療にも効果的だということが分かった。白血球は、細菌を殺す。だから、水虫菌にも効くのだという。
(しかし、私の水虫には効果がなかった。これも院長に直接言ってみたところ、水虫に効果が出るためにはもう少し長めの断食を何回かしないとなー、ということだった。)

断食は、病気治療に非常に効果がある。
消化器系の疾患には100%効く。
現に、胃腸が弱かった私は、見違えるように丈夫になった。
太りすぎには、ほぼ間違いなく、効果がない。
極端なダイエットといえる断食は、強力なリバウンドによって、もっと太るのである。
現に、私はほぼ5キロほど減量し、回復食に入ってどんどん太り、10キロ増えた。
差し引き5キロの体重増であった。
だから、痩せていてどうしても太れない人には、非常に効果があると思われる。

25日間の断食体験をして、私が学んだものは何だったろう。
まず、食べられるということの素晴らしさだったと思う。
それまでも私は食べ物の好き嫌いはほとんどなかったが、断食をして、食べられないものは全くなくなった(嫌いなものはあるが、食べられないことはない)。
食べられるということがどんなに素晴らしいことかが骨身にしみた。
そして、他の悩みというものが、何とちっぽけなものかということを感じた。
食べて生きていられるということで充分じゃないか、というような感覚をもつことになって、図太く生きようという気持ちが生まれたのである。
それから、「退屈」を恐れて右往左往することが少なくなった。
それまでの私は、単調で退屈な毎日に耐えられずに「陶酔」を求めることが多かった。
しかし断食後は、共鳴していた深沢七郎の「醒めた目」を土台にして、以前より、世の中の現象に距離をおくことが出来るようになったように思う。 

だが、そんな「悟り」がずっと続いたわけでは、実は、なかった。
3年後、私はまた、今度は失恋の悩みをかかえて、再びこの静養院に来ることになったのだ。 
まあ、人間というものは、そう簡単に、劇的に変化するものではないのである。
人間は、徐々に変化するのだ。
ゆっくり、ゆっくり変化するものなのだ。 
「君子」にしか「豹変」することは出来ないのだ。    

私が断食で学んだ最大のことは、ひょっとしたらそういうことだったかもしれない。(了)