映画

           洗練された「笑い」の結晶
        或る夜の出来事

 これは1934年(昭和9年)に作られたアメリカ映画です。監督はフランク・キャプラ、脚本はロバ−ト・リスキン。この素晴らしいコンビが30年代に生み出した名作は3本ありますが、この作品はその最初の傑作です。後の2本は「オペラ・ハット」(36年)と「我が家の楽園」(38年)という作品で、3本ともアカデミ−の監督賞を受けていますが、この「或る夜の出来事」はそれ以外に作品、脚本、主演男優、主演女優の計5つの主要なアカデミー賞を独占したことで有名です。主演はクラ−ク・ゲ−ブルとクロ−デット・コルベ−ル。
 この映画は、ソフィスティケイティッド(世間なれした、洗練された、気の利いた、すれっからした、などの意味)コメディの中の、飛び抜けた傑作と言われています。
 ある富豪のわがまま娘エリ−(クロ−デット・コルベ−ル)が父親の反対を押し切ってプレ−ボ−イの飛行士と結婚しようとし、家を飛び出してニュ−ヨ−ク行きの夜行バスに乗ります。そこで型破りの新聞記者ピ−タ−(クラ−ク・ゲ−ブル)と出会って、二人が最初いがみあい、それから助けあって旅するうちに、やがて恋が芽生えます。こう書くと今ではありきたりとなった筋書きと見えますが、私の見るところこの筋書きは戦後の名作である「ロ−マの休日」の状況設定に影響を与えたに違いないと思われるほどアイディアに富んだもので、実はこの映画が最初なのです。(ラストシ−ンは多分「卒業」に影響を与えています)そして、その中にちりばめられた都会的センスの会話やしぐさの見事さは、確かに他に例がないほど飛び抜けていると言えます。
 ところで、私はこの映画に一つの印象的な思い出を持っています。
 もう15年以上前のことです。名古屋にミリオン座という映画館があって、そこにこの映画がかかった時、これはめったに見られない映画だから是非見ておけという友人の勧めで(その頃はまだビデオがなくて)見に行ったのです。映画が始まり主演の二人が出揃ったころ、外人男性2人が入ってきて隣にすわりました。そして会話のたびごとに、ほとんどひっきりなしといってよいほど、声を上げて笑い始めたのです。私は驚きました。確かに見事に洗練された会話の面白さは私にも字幕で伝わらないわけではないのですが、字幕で見る限り特におかしいわけではないと思われる会話で、彼等はいかにもおかしそうに、声をあげて笑い転げているのです。私は初め驚き、やがてうらやましくなってしまいました。おそらく字幕では表現できない微妙な言い回しのおかしさ、アメリカ人にしか分からない生活感覚に基づくおかしさとでもいうようなものがあって、それによって多分、この映画はアメリカ人にとってとてつもなく面白い映画に成り得ているに違いないのです。
 原語で映画が楽しめたらなあと、その時ほど思ったことはありません。
 さて、この映画でもっとも有名なのはヒッチハイクの場面です。
 新聞記者のピ−タ−は、道路で車を止めようとします。ヒッチハイクの名人と自称して、いろいろなしぐさを富豪娘のエリ−に教え、さて実際にやってみると全く車は止まってくれません。あきらめたピ−タ−にかわって、エリ−が、じゃあ今度は私のやり方でやってみるわと言って、いきなりスカ−トをまくり上げて脚を見せます。すると車は急ブレーキを掛けて止ります。コルベ−ルの美しい脚線の強烈な印象!以来、このしぐさは映画やドラマでヒッチハイクの「奥の手」として数かぎりなく使われることになりました。
 他にも、モ−テルで二人が泊まる時、ベッドの間に毛布を掛けて「ジェリコの壁」とする場面、バスの中でみんなが「ブランコに乗った男」を合唱する場面、ピ−タ−とエリ−が夫婦喧嘩を演じて捜査員をだます場面、ラストの結婚式直前に父親の説得でエリ−が逃げ出す場面など、数多くの名場面が、まさにキラ星の如くちりばめられています。
 この映画は、いわば主人公二人の飛びきり上質な掛け合い漫才といってもいいようなものなのですが、何と言ってもクラ−ク・ゲ−ブル演じるピ−タ−が魅力的です。彼は夢を持ち、自由を謳歌しながら、逞しく生きる都会的センスに満ちた男です。人におごってもらったり、過剰な報酬を手にいれようとは決して思わず、ただ働いた分だけはきちんともらおうというけじめを持って生きています。ユ−モアのセンスにあふれ、機知に富み、楽天的で、合理主義者です。本当は非常に真面目できちんとした男らしい生き方をしているのですが、それがユーモラスで洗練された挙動の中にカムフラ−ジュされ、鼻につかないところに、この主人公の最大の魅力があると私は思います。クラ−ク・ゲ−ブルはこのピ−タ−役でアカデミー主演男優賞を受け、一躍注目を集めて、戦後「風と共に去りぬ」のレット・バトラ−役に抜擢されることになります。
 とにかく、この映画は洗練された「笑い」の結晶ともいえる名作です。

         「息子」

 岩手県の農村で煙草栽培をいとなむ父親には三人の子供がいます。長男は大学を出て東京の大きな会社に勤め、長女は嫁いでいますが、次男の哲夫は定職のない、いわゆるフリ−アルバイタ−です。そんな一家が、亡き母の一周忌で岩手の家に集まる「その一、母の一周忌」という小見出しから、映画は始まります。
 年老いて病気持ちの父親を田舎の家で一人暮らしさせておくわけにはいかない、──長男は引き取る覚悟でマンションを買っていますが、狭いマンションに父親と同居できるかどうか、不安です。将来を案じる親類たちの言葉に耳を貸そうとしない父親は、自分のことより、せっかく長男が世話した勤め先を勝手にやめてしまうような次男のことを心配しています。つい説教がちになる父親に反発する哲夫。二人の間はしっくりいきません。
 そして、物語は「その二、息子の恋」に移ります  。
 静かな映画です。派手なアクションも、劇的な展開もありません。あるのは、どこにでも居そうな人々の生活ぶりと、生活感あふれる会話と、素晴らしい映像と音楽だけです。しかし、例えば
 「日本で働くんだから日本語ぐらい勉強してこいよな」
とバングラデシュの青年をなじる食堂の店主、
 「あ−あ、長男の嫁になんかなるんじゃなかったな−」
とつぶやく誠実な長男の嫁、
 「遊ぶんなら、日曜日に、電車で行ってくれよな−」
と交通渋滞の中でサ−フボードを積んだ若者の車にぼやく初老の工場運転手などの姿に、何と鋭く、今の日本の社会が抱えている問題が描かれていることでしょうか。
 しかし、若い君たちには、おそらく、「その二」の哲夫のひたむきで純粋な恋の物語がもっとも印象に残ることでしょう。金属の棒を扱う小さな会社にアルバイトで入った哲夫は、納品先の町工場で一人の可憐な事務員の女の子と出会います。暗く、陰気な工場の隅で働くその子に、ある日哲夫は、岩手弁のなまりを気にしながら、思い切って声をかけるのです   。
 監督の山田洋次は東大を出て、54年に松竹に入り、61年に「2階の他人」でデビュ−しました。69年から、「寅さん」シリーズをスタートさせ、松竹の方針に愛想づかしをした大島渚らが出ていった後も松竹に残り、「寅さん」で会社をもうけさせながら、時々、本当に自分が作りたい映画(興行的にはパットしなくても、とにかく質の高い映画)を作り続けています。「息子」はその種類の作品で、「家族」(70年)、「故郷」(72年)、「同胞」(75年)、「幸福の黄色いハンカチ」(77年)の流れの中に位置づけられる傑作です。主人公の三国連太郎の演技が素晴らしい!山田洋次はパンフレットの中で「思春期から青年期にかけての親父に対する反発とか、憎しみのようなものは、ぼくの場合随分続きましたねえ。親父を人間として愛さなければならないとわかっていながら、顔を見るとつい反発してしまう。もっと優しい言葉をかけてやるべきだったと、死んでから悔やんでます」と書いていました。山田監督の「悔やみ」の気持ちがしっかり込められているからこそ、こんなに素晴らしい映画が出来たのだと思います。実は私自身も全く同じような気持ちを親父には持っていました。この映画を見た後、私は、まだ生きている親父に対して、こころから孝行したいという気にさせられたものです。
 「誠実」に生きることの「美しさ」が、この映画には見事に描かれています。直面する様々な問題に真剣に向き合い、悩みながら、本当に「誠実」に生きているこの映画のありふれた人物たちの「美しさ」を、はたして若い君達はどれくらい感じ取れるでしょうか。        〔全校映画鑑賞会、紹介パンフレットに書いた文章)



         「ロミオとジュリエット」
      実に大胆な演出で大ヒットした、フランコ・ゼフレリ監督版

 シエイクスピアの「ロミオとジュリエット」は、何度も映画化されています。しかし、1968年にイタリアのオペラ演出家であったフランコ・ゼフレリが監督した「ロミオとジュリエット」は、それまでの物とははっきり異なる、画期的で、大胆な作品でした。
 どこが、どう、違っているというのでしょうか?
 フランコ・ゼフレリ監督はもともと演劇人で、1960年に舞台で「ロミオとジュリエット」を演出し、野心的な新解釈でセンセーションを巻き起こした人でした。映画監督としても、シエイクスピアの「じゃじゃ馬ならし」で名声を高め、「ロミオとジュリエット」の映画化が企画されたとき、彼は、特に舞台ではできない映画の機能を最大限生かした、大胆な演出を心がけたのです。
 まず、主役のロミオとジュリエットに、16歳のレナ−ド・ホワイテングと15歳のオリビア・ハッセイという、映画史上最年少の新人カップルを起用しました。そしてその二人に、現代の若者そのままの、率直で生き生きした演技をさせました。シエイクスピアの舞台は台詞を主とするいわば「静」の傾向が強いのですが、ゼフレリ監督はあえて「動き」を強調したのです。
 チャンバラシーンではアップを多用して迫力を高めたり、スピード感を増すため、わざと毎秒18コマで撮影(こうすると映写したとき33%スピードが増す──普通は毎秒24コマ)したりすることを工夫しています。
 有名なバルコニーでのラブ・シ−ンも、今までは上と下とで「おお!ロミオさま」「ああ!ジュリエット」と呼び交わすだけでしたが、ゼフレリ監督はロミオに木を伝わせてバルコニーの上まで移動させます(それも2回も!)。この十数分間にわたる場面は、数ある映画のラブ・シーンの中でも傑出したものだと思います。
 しかし、最も大胆だと思われるのは、一夜を共にした翌朝の、二人の若々しく美しい裸体を写し出したことでしょう。今までシエイクスピア映画にヌードが(ましてジュリエットのバストまで!)出てきたことなど、全くなかったからです。
 主役の二人は、この映画でヤングのアイドルになりました。
 ニ−ノ・ロ−タの、この映画の主題歌も大ヒットしました。
 ところで、この有名な「ロミオとジュリエット」の悲劇は、シエイクスピアの原作で何日間の物語か知っていますか?ロミオがキャビレット家の仮装舞踏会へもぐりこみ、ジュリエットと出会い、バルコニーで愛を確かめ合い、結婚し、その帰り道でジュリエットの従兄弟テボルトを刺し殺し、追放となり、神父の計らいで決死の芝居をうち、それが行き違いから悲劇の結末に終わるまで、なんとわずかに4日間ほどなのです。あまりにも激し過ぎる愛の物語といえます。
 なお、この原作を映画化したものには、フランコ・ゼフレリ監督版以外にあと1本、とても有名なものがあります。これは、君達も知っているでしょう。ロバ−ト・ワイズ監督の大傑作ミュウジカル「ウエスト・サイド物語」です

     
──恋をして大人になる王女の物語                                          「ロ−マの休日」


 次に、ウイリアム・ワイラ−監督の「ロ−マの休日」を取り上げてみましょう。1953年(昭和23年)のアメリカ映画で、アカデミ−の主演女優、脚本、衣装デザイン賞を取った作品です。最近、衛星放送の百万人映画投票で第一位になったことでも分かるように、日本では洋画の中で最も愛されている作品の一つです。
 この映画は、ロ−マを訪れた某国の王女アン(オ−ドリ・ヘプバ−ン)が大使館を抜け出して町を歩き回り、特ダネをねらって同行する新聞記者ジョ−(グレゴリ−・ペック)と切ない恋をするという、おとぎ話のような物語です。ヘプバ−ンの清純な美しさと愛らしさが実に魅力的な上、ロ−マの名所を背景に上品な笑いがちりばめられていて、本当に「面白い」作品ですが、その面白さの本質は、ドタバタ喜劇のような「おかしさ」にあるのではなく、二人の主人公の「したたかさ」が見事に絡み合う所から出てくるものと、私は思うのです。
 新聞記者ジョ−の「したたかさ」とは、言うまでもなく、特ダネを手に入れるため自分の職業を知られずにアン王女と行動を共にしようと工夫する所にあります。
 しかし、重要なのはアン王女のほうの「したたかさ」だと思います。
 アン王女の行動は、最初世間知らずな無邪気さからくる「わがまま」にすぎないのですが、それが王女であることを隠して自由を楽しむ中で、「子供っぽいしたたかさ」とでも云えるものとなり、やがて恋を体験して「大人のしたたかさ」となっていくように描かれているのです。
 アンは、スケジュールに縛り付けられている王女としての毎日に耐えられず、大使館を抜け出します。それは単なる子供っぽいわがままな衝動による行動にすぎません。そして偶然知り合った新聞記者ジョ−の下宿で一泊した後、彼と別れると、彼女は自分の意志で未知なるローマでの今まで味わったことのない自由を楽しむことを求めます。まず髪を短く切り、それからジョ−に借りた金で買い物を楽しむのですが、このあたりはまだ、自分のしてみたかったことをためらうことなく実行してしまう、王女としての無邪気さとわがままの表れと言えるでしょう。
 しかし、その意志を、特ダネを取ろうという秘密の動機からジョ−が助けることになって、少しずつ変化が起こってきます。アンの中に、この男性を使って自分の秘密の楽しみを実現させようとする「したたかさ」とも云える面が芽生えてくるのです。二人の仕草や言葉の「面白さ」が、アンの、王女であることを知られず楽しもうとする工夫と、ジョ−の、王女であることを知っていることを知られず取材しようとする工夫の絡みあいによって、生み出されるようになります。
 やがて、二人の間に「愛」の感情が芽生え始めると、二人の「したたかさ」の中に、自分の感情を殺し嘘を貫くことが互いのためなのだという、理性による厳しい自己コントロールの要素が加わり始めます。衝動的なキスを交わした後、この自己コントロールがぎりぎりまで要求される二人の別れの場(部屋から車でアンを送る場面)は、締めつけられるような切なさを覚えます。(私は最初この場面を見た後、眠ることができませんでした) アン王女は、大使館に帰った後しっかりした大人に成長した態度を示します。大使が「王女様、あなたにはお務めが  」とたしなめ始めると、彼女は「それを説く必要はありません」とさえぎり、しっかりした口調で次のように続けるのです。
 「務めを自覚しているから戻ってきたのです。でなければ戻りません  永久に」
 そして、ラストの記者会見の場では、その時初めてジョ−が新聞記者であることを知って、最後の愛情の表現を工夫するのです。彼女は、ジョ−と別れの握手をするために、予定にない記者団一人一人との握手を強行します。それは、「愛」(やさしさ、思いやり)の感情を通して厳しい自己コントロールを体験した王女が、かつての無邪気でわがままな子供っぽさを脱皮して「大人のしたたかさ」を身につけた女性に成長した姿であると言えるでしょう。
 この、「やさしさ、思いやり」を含んだ見事な「したたかさ」の描き方の中にこそ、この映画の「心に残る面白さ」があると、私は思うのです。  (続く)

 「ローマの休日」余談
*、この映画の原題名は「Roman Holiday」です。普通なら
  「Holiday in Roma」とでもなるはず。実はこの題名には「ロ−
  マ人の休暇」という意味が重ね合わされていて、退廃的な酒池肉林のイヤラシイ 
  イメージがあるのです。わざとこういうイメ−ジの題名にして、中身はセックス  
  の匂いのかけらもない清純な内容にしているなんて驚きです!ウイリアム・ワイ  
  ラ−のお遊びでしょうか?このことを知ってから私は映画の原題名を常に注意す  
  るようになりました。

       非人間的近代化、合理化の徹底した揶揄!
       「モダン・タイムス」
 極貧の少年時代を送ったチャップリンは、いつも貧しい人々、しいたげられた人々のために映画を作ってきました。本当にそういう人々の味方だったからこそ、彼はこの世にそういう人々を作り出している「社会体制」の敵ともなることが出来たと言えます。
 そしてそのような「社会体制」──競争原理の中で、人間を機械の一部のように扱う企業社会──をはっきりと敵にすえて作った映画が、1936年の「モダン・タイムス」でした。
 戦う武器は?   もちろん「笑い」です。
 この映画の冒頭を見て、これが64年も前に作られた映画かと驚かない人はいないと思います。
 巨大な工場の中に、スクリ−ンがあって、ワンマン社長が労働者を監視しています。ベルトコンベヤ−のボルト締めをしているチャ−リ−は、目の前の蝿を手で払う暇もありません。トイレで一休みしようとしても、そこにもスクリーンがあって、すぐ仕事に追い立てられます。社長はコンベアのスピードアップを命じます。チャ−リ−たちは、必死になって流れ作業を続けます。
 この場面は、非人間的な工場労働者の実態を「笑い」という手法で描いた映画史上最高の名場面だと思います。チャ−リ−はボルト締めに追いまくられる哀れな小男ですが、どんな時にも、頑固に人間的な態度であろうとすることを忘れません(例えば、ボルト締めを交替する直前に悠々と爪を磨いて見せる)。哀れな状態を哀れに描くだけでは「笑い」は出てきません。チャップリンの「笑い」の多くは、非人間的な状況の中であくまでも人間的に行動しようとする(それは時として、したたかで、ちゃっかりした態度にもなる)チャ−リ−の仕草によって生み出されるのです。
 このような「笑い」のセンスを含んで、全く同じような過酷な労働者の状況を描いた日本文学の傑作があります。知っていますか?
 葉山嘉樹(はやまよしき)という小説家が大正15年(1926年、「モダン・タイムス」の10年前)に書いた「セメント樽の中の手紙」という作品です。冒頭の一節を紹介しましょう。
 「松戸与三はセメントあけをやっていた。ほかの部分はたいして目立たなかったけれど、頭の毛と、鼻の下は、セメントで灰色に覆われていた。彼は鼻の穴に指を突っ込んで、鉄筋コンクリートのように、鼻毛をしゃちこばらせている、コンクリートをとりたかったのだが、一分間に十才(石材の単位)ずつ吐き出す、コンクリートミキサ−に、間に合わせるためには、とても指を鼻の穴にもっていく間はなかった。」
 この描写は、なんと「モダン・タイムス」冒頭の場面と似ていることでしょう。目の前の蝿を手で払おうとするチャ−リ−の姿と、鼻の穴に指を突っ込もうとする(なんと人間的な仕草!)松戸与三の姿が重なり合うようではありませんか?
 さて、昼食時にセールスマンがやってきます。彼はテ−プレコ−ダ−のスイッチを押し、そこから流れる声に従って、最初の挨拶から売り込もうとしている新発明の自動給食機の説明まで、すべて無言で行います(ここにもすべてを機械で行おうとする非人間的な時代の風刺があります)。自動給食機というのは、食事中も手を動かせるようにしてボルトを締めさせようとする馬鹿馬鹿しい機械ですが、その実地試験にチャ−リ−が使われます。椅子に固定されたチャ−リ−は、無理やりス−プを飲まされ、自動ナプキンで口をこすられ、回転するトウモロコシを口に押し込まれます。その後、機械が故障するという設定で、大爆笑の展開になるのですが、ここには、非人間的近代化、合理化の徹底した揶揄がうかがえます。
 「モダン・タイムス」が公開されてしばらく後に、チャップリンは盗作で訴えられました。訴えた黒幕は、ヒトラ−の右腕といわれたナチの宣伝大臣ヨゼフ・ゲッペルス博士です。この映画の冒頭の工場のシーンが、1932年にルネ・クレ−ル監督で作られた映画「自由を我等に」からの無断盗用だというのです。しかしその訴訟は最終的には却下されます。かんじんの当事者ルネ・クレ−ル監督がチャップリンの盗作を否定し、そればかりか、自分が長い間尊敬しているチャップリンの創造にたいして万が一にも自作が参考になったとしたら、それは幸福の至りだ、と言明したからでした。チャップリンという存在を敵視し始めたナチスの攻撃は、失敗に終わったのです。
 
    チャ−リ−・チャップリンの偉大さについて 
   ヒトラ−に対する一人戦争!  独裁者


 まだアメリカがドイツと戦争をしていなかった1940年、チャップリンはヒトラ−に対し、一人で戦争を始めることを決意しました。
 ヒトラ−を徹底的に馬鹿にし、批判した「独裁者」の製作を始めたのです。
 「あの恐るべき醜怪な化け物、アドルフ・ヒトラ−がせっせと狂気をかき立てているとき、どうして呑気に女の気紛れに心をつかったり、甘いロマンスや愛の問題を考えたりしていることが出来るものか!」(チャップリン自伝)
 と、その時の決意を彼は語っています。
 当時、ル−ズベルト大統領は熱烈な反ファシストで国際的反ナチ十字軍のためにアメリカのできるあらゆる努力はしていましたが、アメリカ国内には、まだドイツ系市民を中核とするヒトラ−支持勢力が相当の力をもって活動していた時期でしたから、製作企画発表と同時に、彼の家には脅迫状、中止勧告、暗殺通告などが毎日のように配達されました。ヒトラ−からももちろん直接的な圧力がかかり、チャップリンがこの映画を中止しなければ、ドイツはアメリカ映画全体をボイコットし、国内市場はもちろん、中央ヨ−ロッパからもアメリカ映画を駆逐してしまう、とハリウッド資本にむけて通告してきました。
 が、チャップリンは逆にますますヒトラ−と対決する闘志をかき立てられ、文字通り命掛けの戦いを展開することになります。
 その姿勢が、「独裁者」のラストを、従来のチャップリン映画とは全く異なるものにしました。
 映画のラストが、はっきりとした英語による、演説の形態になったのです。
 主人公であるユダヤ人の床屋は、ヒトラ−(映画ではヒンケル)そっくりのため間違えられて演説するはめになります。その時、彼は次のように語りかけるのです。
 「   貪欲が人々の魂を汚し、世界に憎悪の砦を築きました。それは軍隊式の歩調をとって私を悲惨と流血に追い込みました。   私は機械よりも人間性を必要としています。知恵よりも、親切や柔和を必要としています。   何百万という絶望している男たち、女たち、子供たち、無実の人間を拷問し投獄する体制の犠牲者たちにも、私は言いたい、希望を失うなと。いま、私たちが味わっている苦しみは、欲ぼけどもの気紛れの結果なのだ。人類の進歩に恐怖を抱く人たちが苦々しく思ってしたことなのだ。   」
 このラストは、世に「世紀の六分間」として有名なものです。
 しかし正直な話、私は「独裁者」を最初に見たとき、このラストによって失望し、以来この映画は私のなかでは余り高い評価を持たないものとして、長い間あったのです。それは「こんなふうに作者の言いたいことを演説という形で直接表現する映画は、失敗作だ」と、決めつけたからでした。
 しかし、こういう批判は私だけの特別なものではなく、この映画が発表された時かなりの人が抱いたものだったようです。評判はとても悪く「耳障りで、常套的」と批評した人もいました。特に親ナチ派は、ここぞとばかり噛みつき、このラストは芸術ではなく、チャップリンにふさわしくないという言い方で、この映画を否定しようとしたのです。
 確かに、前作「モダン・タイムス」のラストは、主人公が恋人の手をとって約束の土地をめざして消えていくという、叙情的で美しいものでした。ですから、チャップリンはそういう批判を十分予想していたのです。
 彼は、批判する人々に向かって、こう書きました。
 「私がより良き世界のために演説することを人は許してくれないのであろうか   それはとても難しいことだったのである。床屋とハナ(恋人)とが地平線の彼方に、夕焼け空に向かって、約束の土地をめざして遠く消えていく、ということにすればずっと楽だったのである。けれども世界の抑圧された民衆にとっては約束の土地なんてないのだ。かれらが安住を求めて地平線の彼方に行くべき場所はない。彼等は立ちあがらなければならないし、我々もたちあがらなければならないのだ。」
 たとえ映画としての完成度が損なわれたとしても、チャップリンは世界中の民衆に直接訴えかけなければならなかったのです。彼は人々が殺されている時、美の世界にこもっているような芸術家には、どうしてもなれなかったのです。
 チャップリンの偉大さは、まさにそういう所にあるのではないでしょうか。
(チャ−リ−・チャップリンの偉大さについて 完)                      *参考文献  岩崎あきら「チャーリー・チャップリン」


    心に残る面白さ」の構造 
       ────メロドラマの傑作「カサブランカ」の場合─────

 「感動」する作品でかつ「面白い」作品、それが「心に残る面白さ」を持つ作品です。そして、そのような作品の主人公は「やさしさ、思いやり」を内に秘めた「したたかな強さ」を必ず持っているのではないでしょうか?
 一例として、もっとも典型的にそのような主人公を描いた作品である、マイクル・カ−ティズ監督の「カサブランカ」を取り上げてみましょう。1942年(昭和17年)のアメリカ映画で、その年のアカデミ−作品賞、監督賞、脚色賞を受けました。テレビでも何度も放映され、メロドラマの傑作として人々に愛されている作品です。
 この映画の主人公、ハンフリ−・ボガ−ド扮する酒場の主人リックは、ドイツに占領されたフランスの植民地であるカサブランカで、政治的に中立を貫く「したたか」な男として登場します。彼は理想的とも云える男の魅力を持った男で、まといつく美女に冷たく、ニヒルですが、かつてレジスタンス活動に参加した情熱を内に秘めてもいる男です。
 そんな彼の酒場に、反ナチ抵抗運動の指導者ラズロが、その妻───かつてリックが愛し、結婚まで約束したのに理由も告げず彼の前から姿を消した女、イルザ(イングリッド・バ−グマン)──を連れてやって来ます。イルザを見て彼は動揺し、余りにも有名な台詞「星の数ほどバ−があるのに、どうして俺の店にやってきた」をつぶやきながら、忘れようとしていた失恋の苦しみで酔い潰れます。
 彼は、その夜理由を説明しようとやってきたイルザの話を聞こうともしません。
 数日後、ラズロをどうしてもアメリカへ脱出させなければならないイルザは、リックの部屋を訪れます。リックの持つ特別ビザ(旅行許可証)を譲ってくれと言うのです。
 イルザを恨んでいる彼は拒否します。イルザは拳銃を出し、最後の懇願をします。
 しかし、リックは動じません。イルザの目から涙が流れ、拳銃を離します。イルザにはリックは撃てないのです。その時、イルザは彼を愛していることを確認し、運命的な再会のままに、ラズロを捨て、リックとの愛に身を任せようと決意します。
 イルザはすべてを語り、リックも初めて耳を傾けます。パリでリックとめぐり合った時イルザは既にラズロの妻だったのです。ラズロがナチスに捕まり、収容所で死亡したと聞かされて絶望していた時のめぐり合いだったのです。彼が傷付きながら生きていたと知った時、イルザはリックを愛するが為に、何も告げずに去ったのでした。
 リックは、そんなイルザを愛しますが、ナチスと闘うラズロの生き方のほうに心を揺さぶられます。ラズロが活動を続けるためにはイルザが必要なのだと、彼は悟ります。そして、ナチスが世界を征服しようとしている今、ラズロからイルザを奪ってはならないと決意するのです。
 リックの「やさしさ、思いやり」を秘めた「したたかな」行動が始まります。
 イルザには、ビザを使って二人で脱出しようと約束します。その実、ラズロとイルザを脱出させてやろうと画策するのです。
 ラスト、共に脱出すると信じていたイルザに問い詰められ、「俺は君なしでもやっていけるが、ラズロには君が必要だ。さあ、泣くなよ。俺たちにはパリの思い出がある。君の瞳に乾杯だ」と答えるリックは、惚れ惚れする程のかっこよさです。
 この「やさしさ、思いやり」を内に含んだリックの「したたかな強さ」こそが、まさに心にしっかりと残る「面白さ」を我々に感じさせるのです。   (続く)

 「カサブランカ」余談。
 *、主役のハンフリ−・ボガ−ド。この映画で男らしさの理想的な姿を演じ「ボギ−」と呼ばれて世界中の映画ファンから永遠に愛されることになった。しかし、企画の段    階での配役は、なんとあのロナルド・レ−ガンだったとのこと。
 *、私の新任時代、尊敬していた年配の国語の先生がポツリと言われた。「カサブランカでボガ−ドが最初に登場する時たばこを吸っていて、それが余りにかっこ良かった  ので自分も真似をしたくて吸い始めた」と。なるほど、まず灰皿のたばこが写り、そ    れに手を伸ばす動作で登場するボガ−ドは、何度見てもシビレル。
 *、リックとイルザが再会する場面で黒人のサムが弾く二人の思いでの曲「歳月は流れ  ても」は、本当にいい曲です。愛し合ったことを思い出す曲があるなんていいな。
 *、「カサブランカ」は第二次大戦中に作られたアメリカの戦意高揚映画。しかし、メロドラマとしても反戦映画としても優れた出来となっています。日本の戦時中の見ら    れたものでない陳腐な戦意高揚映画と何と違うことか!

               スミス都へ行

 ジェームス・スチュアートが主演した映画「スミス都へ行く」は、フランク・キャプラ監督屈指の名作である。私は二十代の時この作品を見たが、ラスト三十分近くの、たった一人で闘い続けるスチュアートの姿は、今でも鮮やかに目に浮かんでくる。
 巨悪に刃向かった正義感の強い単純、素朴な青年議員スミス(スチュアート)は、巧妙に仕組まれた組織の罠にはまって汚職の嫌疑をかけられ、議員資格を剥奪されそうになる。恋人の秘書に助けられ、起死回生の一手として、議会に出席して発言権を手にいれ、不正を訴えようとする。うまく発言権を手にいれた彼は、用意してきた食糧や飲み物を机上に並べ、倒れるまで、何と二十四時間近くも延々と(当時、発言時間の制限がなかった)しゃべり続けるのだ。
 草の根民主々義の力を信じる、古き良きアメリカの一面が、これほど見事に描かれている映画は他になかった。清潔で純粋で、正義の力を信じ続ける主人公スミスを熱演したスチュアートは、私生活も清潔そのものだったと聞く。日本の政官財界の腐敗が目立ち、最近少しずつ民主々義が信じられなくなってきている私は、スチュアートの死を悼みながら、もう一度この映画を見直そうと思っている


     練りに練られた脚本に脱帽!
            「12人の優しい日本人


 私はシドニールメット監督の「12人の怒れる男」を生涯で最高の映画として心に留めている男なので、この映画が完成したと聞いたときは期待に胸をときめかせたものでした。なにしろ、監督が「桜の園」で見事な演出をした中原俊。三谷幸喜と東京サンシャインボーイズが東京で上演していた並みでないパロデイーだと聞いていたからです。なかなか名古屋での上映がなく、そうとう後になってやっと上映されましたが、宣伝も余りなく、一週間ほどで打ち切られたようです。私はもちろん、初日に見に行きました。
 朝日新聞の評は次のようでした。
 「ただし、パロデイ−といって、なまなかの仕立て直しではない。筋立てのおもしろさなら、おそらく本家をしのぐ。実際、三谷とその仲間の脚本は嘆賞に値する」
 本家と同じで、映像を楽しむ映画ではありません。徹底して会話と話の展開の面白さで勝負している演劇的映画です。子供のいる若く美しい女性が、復縁を迫るぐうたら亭主と国道脇でもみあい、男を走ってくるトラックの前に突き出して死亡させたという事件を、女性3人を含む12人の陪審員が審議します。冒頭、いきなり全員一致で無罪となるという本家を意識した意外な展開から始まり、論議は二転、三転、後半は実に意外な展開を見せて見事な結末にまとまります。その間、くすくす笑いと爆笑と溜め息の連続で堪能します。期待していた以上によくできたシナリオで、おそらくは上演過程で練りに練り上げたと思われます。
 この映画が本家と異なる一番大きな点は、本家ではヘンリ−・フォンダ扮する主人公が人間愛をしっかり身につけた実に立派な人物として登場し、見事に言葉を駆使し、理詰めでみんなを説得していくのに対して、こちらは日本人の特徴である「口べた」をきちんとおさえて、説得する力はないけれど「フィ−リング」で判断したことを曲げない人物が重要な位置付けになっていることです。「フィ−リング」がまずあって、論理はそれを理屈づける役割として使われていきます。
 無罪の根拠として、本家では主人公が次のように言います。
 「これは一種の賭けです。まちがっているかも知れない。殺人犯を無罪にしてしまうかも知れない。でも、疑問がある限り、現在の法律では、少年を有罪にはできないのです」 それに対してこの映画の重要人物はこう語ります。
 「どうしても悪いことをする人には見えない」
 「怒れる男」のほうは徹底して「主張する」人々のドラマでした。それに対して「優しい日本人」のほうは、うまく主張することができない「口べた」な人が多く登場します。しかし、彼等は自分の「優しい」気持ちに忠実であろうと頑張ります。
それは、まさに「怒れる(アメリカ人)」と「優しい日本人」の違いと言えるでしょう。 朝日新聞の評は、「良くできているだけに、欲も出る」としていくつかの不満をあげた後に、「登場人物の一部にでも人間と社会の厚みが出せなかったものか」と記しています。なるほど、「怒れる」の方と比べてもっとも大きく異なる点だと思いました。「怒れる」の方は、「民主々義」ということ自体をテーマにしたものでしたが、「優しい」は「日本人」の特徴を描くことに主眼が行っているのです。


     世界で最も評価の高い映画!
               「戦艦ポチョムキ 
   (10年ほど前に高校生への映画案内として書いた文章)

  名前を聞いたこともない人、是非覚えておいて下さい。世界の映画史上でベスト・1の評価を何度も得ているソビエトの無声映画です。1925年(大正14年)の製作ですから、今から65年も前の作品となります。
 現在、ソ連はペレストロイカ(改革)によって、スターリン型の社会主義を見直していますが、この映画はソ連が帝政(帝王による政治)から社会主義体制に移る過程で起こった革命事件の一つを描いたものです。
 「戦艦ポチョムキン・タブリチエスキ−公爵号の水兵による反乱事件」は第1次ロシア革命の中で起こりました。蛆虫のわいている肉を、蛆ではないと言い張って食べさせようとする戦艦ポチョムキンの艦長に反抗し、水兵たちが立ち上がります。艦を占領した水兵たちは赤旗を掲げ、ゼネストが進行しているオデッサ港へ向かいます。オデッサの市民は海岸にあるリシュリュ−階段に集まって迎えようとします。その時、帝政側の凄まじい反撃が始まり、階段の市民にたいしコサック隊の一斉射撃が行われます。足のない男が飛ぶように階段をかけおり、子供を抱いた母が殺され、赤ん坊の乗った乳母車が階段をくだっていく    バタバタと倒れて行く人々の姿がモンタージュ理論(AショットとBショットが衝突し、新しい観念が生まれる)によって描かれます。このオデッサの虐殺シ−ンは「映画史上、最も有名な6分間」(ポール・ロサ)とされています。
 さて、海からは帝政側の艦隊が鎮圧にやってきます。民衆の側についたポチョムキン号は、それを迎え撃ちます。それに対し、鎮圧側の水兵たちがはたして発砲するか?   映画は緊迫したラストを迎えます。
 結果は、鎮圧側の艦隊の水兵もポチョムキン号に同調し、発砲を拒否します。そして、水兵たちは大合唱します。 「みんなは、一人のために!一人は、みんなのために!」
 映画は、勝利の瞬間で終わります。
 この映画は、革命の勝利、人民の解放を高らかにうたいあげた、セルゲイ・エイゼンシュテイン監督の、実に感動的な傑作でした。そして、紛れもなくレーニン政権下で作られた共産主義革命の宣伝映画でもありました。ところが、この映画に最も注目した人物が、あの悪名高いヒトラーのもとでドイツの国民啓蒙宣伝大臣を勤めていたゲッペルスだったのです。
 ヒトラーが人種法(ユダヤ人を弾圧することを正当化した法律)を制定した後、ゲッペルスは全ドイツ映画の重要人物を集め、その会場で演説します。
 「ドイツ映画は今日大きな危機にあり、その危機の原因は物質的なものではなく、もっぱら精神的な物であり、これを克服するためには根本的な改革と、方向転換が必要だ」
 その後、彼はドイツ映画の将来を暗示するものとして五本の映画の名をあげました。その第一が、なんとこの「戦艦ポチョムキン」だったのです。会場はざわめきました。聞き違えだろうと思った人もいました。なぜなら、この映画はナチスの憎悪する共産主義の宣伝映画だし、何よりも監督したエイゼンシュテインはユダヤ人なのですから。
 しかし、ゲッペルスは次のように言ったといわれています。「この映画は、その政治的傾向はともあれ、たぐいない芸術作品であり、世界政治的観点を近代的技術の総力をあげていかに効果的に表現すべきかの模範である。」と。(岩崎あきら「ヒトラーと映画」) この映画の人々に与える感動の力強さから、ナチスも学ぼうとしたのです。
 さて、ついでに最近作られたアクション映画のなかに、この映画の場面をモデルとしたものがありますから、紹介しておきましょう。それは「アンタッチャブル」という作品です。この映画のハイライトシーン、駅の階段での銃撃戦に、オデッサの階段で描かれた乳母車の落ちていく場面が使われていました。赤ん坊の乗った乳母車を中央にして、すご腕のアンタッチャブルのメンバーが見事なガンプレーを見せてくれています。


      映画「切腹」における
          竹光切腹場面の価値について

                ────石浜浪人の女々しさ万歳!─────


 一つの作品が、その内容の勝れていることは当然の前提として、もう一つ強烈に私達の印象に残るためには、決定的に勝れてかつ印象的な場面というものが必要なものです。。この15年以上も前に見た小林正樹監督の「切腹」が今なお私の脳裏に鮮明なイメージとなって結晶しているのも、あまりに強烈だった冒頭の竹光による切腹場面の印象からなのですが(正直な所、卒倒する者まで出したというこの場面の前評判につられて映画館に出かけたわけなのです)、今改めて感動していることは、その強烈な場面が決して作品全体から浮き上がったものではなく(往々にしてこういった場面は浮き上がってしまうものであり、また故意にそういう強烈な場面のみを売り物にする映画も多いのですが)、映画のテーマである「外面を絶対視する武士道の非情さ」の集約的象徴として、見事な効果をあげていたということなのです。

 とにかく面白い映画です。私はたくさんの映画を観てきましたが、この映画ほどわれを忘れ、画面にくぎづけとなった例は他にありません。とにかく、いったん観だしたら最後まで止められないほど面白いことを保証できる、数少ない映画の一つです。
 ところは江戸。幕府の大名削減政策によって、巷には浪人があふれています。ある日、井伊家江戸藩邸の玄関先に、津雲半四郎と名乗る一人の浪人(仲代達矢)が現れます。
 生活に窮し、将来の見込みもない浪人暮らしで生き長らえるより、武士らしく切腹して果てたいので、庭先を拝借できまいか   と浪人は語ります。
 応対に出た家老(三国連太郎)が話し始めます。「以前、やはり貴公と同じ目的で、若い浪人が訪ねて参ったことがござったが   」
 話の内容は、実に恐ろしいものでした。
 近頃、浪人の中に、切腹したいから玄関先を貸せといって訪れるものが多くなった。どの屋敷も玄関先を血で汚されるのは困るのでことわり、その代わりに幾らかの金を与えるものだから、この頃は、腹を切る気などないくせに、金目当てで訪れるやからが増えている。切腹を盾にしたたかりが流行っているのだ。当井伊家では、そのようなたかりを断じて許しはしない。切腹を申し出たからには、必ず切腹させる。訪れた若侍の脇差を調べたところ、なんと竹光ではないか。武士の魂である脇差を売り払って何が切腹か。よし、見せしめに自分の脇差で切腹させてやろう     
 そうして、恐るべき竹光による切腹が強要されたというのです。
 この切腹シーンは、本当に鬼気迫るものがありました。
 沢瀉彦九郎(丹波哲郎)を初めとする井伊家の男らしい武士たち三人が、切腹の儀あい許すと言い渡されて途端に狼狽し始めた若侍(石浜明)を、徹底的に追い詰めます。不格好にも一日の猶予をと懇願する若侍を、中庭に用意した畳の上に座らせ、「この度は、古式に則り、十文字に腹を切るまで介錯しない」と述べます。そして、彼の前に「ご自分の脇差をお使い下さい」と竹光をおきます。最後まで若侍は懇願し続けますが、武士たちは決して許しません。
 衆人監視の中でとうとう観念した若侍は、やにわに上半身裸になって、竹光を腹に突き立てます。二度三度と突きますが、腹は突き破れません。若侍はついに地面に竹光の背を押しつけて、自分の体重をかけて腹に突き刺します。おびただしい流血。しかし、介錯人(沢瀉彦九郎)は「いや、まだ。もそっとお切りなされい。」といって剣をおろしません。ついに若侍は苦痛のあまり舌を噛み切ります。
 「いかがでごさる?」
 これだけ話せば、どうせ同じ目的で来た貴公も気が変わっただろうとばかり、家老が尋ねます。ところが、津雲半四郎はまったく動ぜず、やはり切腹をすると言うのです。
 回想シーンとまったく同じ中庭に畳が敷かれ、津雲半四郎が座ります。
 介錯人が来るまでの間、半四郎は話を始めます。
 実は、家老が語った若侍は、半四郎の娘婿だと言うのです。貧しいながらも幸福だった彼の家庭生活が、やがて妻子の病気によって困窮の度を増していく過程が、再び回想形式で映し出されます。その中で、切腹する気などないくせに切腹するといい、本当に切腹させられそうになると女々しく狼狽し、一日の命乞いをし、無理やり竹光で切腹させられたあのカッコワルイ若侍が、実は、妻子を愛するがゆえに武士道徳に立ち向かって脇差まで売り払う勇気を持ち、切腹の芝居までうって病気の妻子を救おうとした、本当に男らしい人間であったことが分かってきます。        
 やむにやまれぬ事情で井伊家を訪れるに至った娘婿に対する井伊家のなされようは、余りにも非情ではなかったか。武士道を盾に切腹を強要した三人の侍を津雲半四郎は介錯人として指名します。だが、三人の侍はいずれも出仕していません。じつは、三人とも数日前に半四郎と決闘し、いずれも髷を切られていたのです。
 「武士たるものが髷を切り落とされるは、首を打ち落とされたも同然。不面目、不始末。にもかかわらず病気と称して出仕を休み、ひたすら髷の伸びるのを待つとは、武士道とは単にうわべだけを飾るもの   」
 ラストは鉄砲隊まで登場する壮絶な死闘か展開します。

 仲代達矢演じるこの映画の主人公、津雲半四郎は、<頼もしく><男らしい>イメージを持っていました。しかし見終わった時、私の中に強烈に残ったイメージは、不思議なことに彼のイメージではなく、切腹を許すと言われて狼狽し、「どうか一両日の猶予を」と懇願する石浜朗演じる若浪人の<女々しく><不格好な>イメージなのでした。
 その時、私は、それまで自分の中にあった<男らしさ>のイメージが完全に修正されていることを感じました。実は、若侍が切腹させてくれと格好つけて申し出て、本当に切腹しなければならなくなった時にオロオロし出したときは、なんと女々しく、不格好な男かと腹立たしく感じ、沢瀉彦九郎ら非情の武士たちの<男らしさ>にある種の爽快感を抱いていたのです。それが後半、根底から崩れたことに、私はショックでした。私は<男らしさ>についてじっくり考えてみました。

 日本の武士道なるものが美徳として形成した<男らしさ>の形式面を代表するのは、明らかに丹波哲郎演じる沢瀉彦九郎であったと思います。彼は丹波の得意とする「腕に覚えのある」武士の典型といえますが、その<男らしさ>とは人間としての情愛を冷たく切り捨て、形式、外面の美にすべてを集中させたものでした(それは、三人の武士のうち、彼だけが自決するという描き方によってはっきり示されています)。その対極に設定されたのが、若浪人の<男らしさ>です。最初見せた彼のいかにも<不格好な><女々しい>態度が、実は誰よりも強く妻子を愛したが故のものであったことを知るに及んで、私達は彼こそ体面を絶対視する武士道徳に一人で<勇敢にも>たち向かい、その束縛を打ち破って人間的に生きようとした真に、内面的に<男らしい>人間であったことに気づかされるのです。では、半四郎はどうでしょうか?半四郎は、いわばこの両者の中間に位置していたと言えるでしょう。なぜなら彼は武士道徳にたち向かっては行きますが、最期まで剣は捨てないからです。しかし、中間に?  いや、監督小林正樹の眼差しは、どうも半四郎の中に両者を止揚した次元の<男らしさ>のイメージを求めていたように私には思えました。しかし───私の中に強く残ったイメージは半四郎のほうではなく、若浪人の方なのでした。

 小林正樹の作品がいつもある種の<甘さ>を感じさせる原因は、主人公のイメージに常につきまとう<カッコ良さ>によるのではなかろうかと、私は常々思っています。例えば彼の代表作である「人間の条件」における主人公梶(仲代達矢)のイメージは、戦争という非人間的状況の中であくまで人間性を求めて生きる人物として設定されているのですが、その出来上がった人間像はあまりに<格好良すぎた>と言えないでしょうか。あの作品は、それゆえ全体のイメージとして厳しい戦争状況をえぐり出す方向での<甘さ>を漂わせてしまったと思うのです。それゆえ「切腹」において、もし梶と同様にかなり<格好良すぎ>る津雲半四郎のイメージのみが前面に出すぎていたならば、おそらく全体のイメージとして娯楽的雰囲気、甘さと云ったものが強く出てしまって、評価はぐんと低くなったのではないだろうかと私は想像するのです。しかし、丹波哲郎の演じた沢瀉彦九郎のある種の<男らしさ>のイメージと対照させられた石浜浪人の<不格好>で<女々しい>イメージが、この作品では半四郎にこめられた小林正樹の理想とする<男らしさ>のイメージを凌駕していたと私には感じられました。それは、私の片寄った感じ方だったかも知れません。しかし、少なくとも最初は好奇の目でのみ見つめられたはずのあの冒頭の竹光による切腹という凄惨な映像が、物語が進展し、石浜浪人の<女々しい>イメージが修正される過程で再生され、その苦痛に歪んだ表情のアップの中に、井伊家を越えて、武士道徳やそれを生んだ<時代>というものに対する鋭い問いかけのイメージを持つに至ったのは、おそらく私だけではないと思うのです。「切腹」に感動した多くの人たちは、おそらくそのような映像体験を経て、非情な状況を脳裏にくっきりと刻み付けられた人たちではなかったでしょうか。そうであってこそ初めて、誠実に精一杯生きようとしていた石浜浪人やその妻(岩下志麻)、そして彼等を支えた津雲半四郎の<人間らしい>イメージを確認することができたはずだと思うのです。

 映画「切腹」における竹光切腹の凄惨きわまる残酷な場面───それは、この作品が内包していた<格好良さ>に流れそうな全体のイメージ傾向を防止し、その凄惨さを通して石浜浪人の<不格好な><女々しい>イメージの「意味」を強く出すことに成功したという点で、大きな価値を持っているのです。


   
ア−サ−・ペン監督「奇跡の人

 この映画は、視覚、聴覚がなく、発音できない三重苦の少女ヘレン・ケラ−が、7才にして初めて言葉の意味を理解し、人間としての生き方を身につける物語として知られています。そして、ヘレン・ケラ−が「奇跡の人」だと誰でも思っています。
 しかし、原題の「The Miracle Worker」からしても、映画の中身から考えても、この映画の主人公は明らかにアニ−・サリバンなのです。サリバン先生こそが「奇跡の人」(奇跡をおこした人)だと、私は思っています。
 ア−サ−・ペンという監督の名前を覚えていますか?
 そう、コモン・センスの第2回で取り上げたアメリカン・ニュ−シネマの元祖的作品「俺たちに明日はない」の監督です。あれは1967年の作品でした。この「奇跡の人」はその5年前、1962年に作られています。
 この映画は、ア−サ−・ペン演出で、ブロードウエイで上演され、1年半の大ヒットとなった舞台劇を映画化したものです。メンバ−は全く同じ。サリバン役のアン・バンクロフト(「卒業」で素晴らしい演技をみせた!)も、ヘレン役のパテイ−・デユ−クも映画界ではほとんど無名でしたから、二人の起用は当時としてはかなりの冒険だったと思われます。(ちなみに、「マイ・フェア・レディ」映画化の時は、舞台でのジュリ−・アンドリュ−スが映画界では無名だったため、唄は歌えないが有名だったオ−ドリ・ヘプバ−ンに替えられています。)
 さて、この映画の第一の見所は、昼食時に行われるヘレンとサリバンの大格闘です。
 自分自身失明していて手術で視力を回復し、盲人の気持ちをよく理解しているサリバンは、昼食時、家族たちがヘレンの手掴み、食べ歩きを放任している様子を見たとき、はっきりと、へレンが家族の甘やかしによって人間となる機会を奪われていることに気付きます。彼女は、徹底的なしつけでヘレンを人間にしようと決意するのです。
 「我慢できません!同情より教えることのほうが大切です!みんな出てください」
 食事をとめられ、野獣のように荒れ狂うヘレンを押さえ付けながら、サリバンは家族を追い出し、ドアにカギを掛けます。
 それからの数分間は、見ているだけで疲れ切ってしまうような迫力です。食堂中を逃げ回るヘレンをつかまえ、ナイフとフォ−クで食事をさせようとするサリバン。物をなげつけ、暴れ回るヘレン。それが、延々と続くのです。
 衣服は破れ、髪を振り乱したサリバンが、夕方になってやっと食堂から出てきます。
 「食堂は悲惨ですが、ヘレンは、ナプキンを畳みました。」
 「ヘレンが、ナプキンを?」
 母親はヘレンを抱きながら、信じられないというふうにつぶやきます。実に感動的なシーンです。
 もう一つの見所は、言うまでもなく、ラストシ−ンです。
 視覚も聴覚もないヘレンを甘やかさず、指文字をつかって「言葉」を教えこむため、サリバンは、二週間ヘレンと二人きりの隔離生活を送ります。しかしどうしてもヘレンには「物」と「言葉」が結び付きません。二週間が終わり、家に帰ったヘレンは、再び両親に甘えようとし、わざとナプキンを落とし、水をこぼします。サリバンはヘレンを外に引きずりだし、井戸で水を汲ませます。その時、ヘレンに奇跡がおとずれるのです。
 この場面は、ヘレン・ケラ−の自伝「私の生涯」では、次のように書かれています。実際は、しつけの過程の出来事ではなかったようです。
 「先生は樋口の下へ私の手をおいて、冷たい水が私の片手の上を勢いよく流れている間に、別の手に初めはゆっくりと、次には迅速にウオ−タ−という語を綴られました。私は身動きもせず立ったままで、全身の注意を先生の指の運動に注いでいました。所が突然、私はなにかしら忘れていたものを思い出すような、あるいはよみがえってこようとする思想のおののきといった一種の神秘な自覚を感じました。この時初めて私はウオ−タ−はいま自分の片手の上を流れている不思議な冷たい物の名であることを知りました。この生きた一言が、私の魂を目覚まし、それに光と希望と喜びを与え、私の魂を解放することになったのです。」
 この映画は二人の女優の火花を散らすような、それでいて計算しつくされた見事な演技が中心となります。しかしもう一つ、北部の労働者階級であるサリバンと、南部の(奴隷そのままの黒人使用人を使う)農場所有者ケラ−一家の、物の考え方の違いがくっきりと描かれていると云う、見落とせない特徴があることをいい添えておきます。 

      世界1長いシリーズ物
   「男はつらいよ」の第1作


 日本映画には、同じ俳優による同じ人物を主人公とする作品のシリーズがいろいろありました。しかし、40作にものぼるシリーズの2作を除いた全ての脚本と監督を同じ人物が担当したという例は、山田洋次の「男はつらいよ」シリーズ以外にはありません。
 そういう意味で、「男はつらいよ」は全く他に例のない映画と言えます。
 この映画は、みごとなまでにワンパターンです。
 東京、葛飾の柴又に「とらや」という団子屋があり、そこの主人夫婦の甥の車寅次郎はいい年をしてまだ独身で、いわゆるテキ屋です。彼は日本中を放浪していますが、時々ふらっと柴又に帰ってきます。「とらや」とその近隣には堅実で善良な人達が住んでいて、毎度バカな事(それには、ほとんど美女がからんでいます)をして迷惑をかける寅と大喧嘩になり、寅は恥をかいてまた旅に出ます。
 そういうパタ−ンが繰り返されるのです。
 寅を演じる渥美清と山田洋次の合作によって、主人公のキャラクターは作られました。 渥美清の主演物ということでテレビの連続ドラマが企画されたとき、脚本を担当した山田洋次が渥美清と会い、その時、渥美清は自分が青年時代に身近に見聞したテキ屋たちの世界を、おもしろおかしくしゃべったということです。山田洋次はその話にヒントを得て、フーテンの寅の脚本を書き上げたのです。
 テレビで人気が出て映画化第一作が完成した時、山田洋次は宣伝用プレスに「喜劇の意味について」と題する次のような文章を寄せています。
 「悲しい出来事を涙ながらに訴えるのはやさしい。また、悲しいことを生真面目な顔で物語るのもそう難しいことではない。しかし、悲しいことを笑いながら語るのはとても困難なことである。だが、この住み辛い世の中にあっては、笑い話の形を借りてしか伝えられない真実というものがある。
 この作品は、男の辛さを、男が男らしく人間が人間らしく生きることがこの世にあってはいかに悲劇的な結末をたどらざるを得ないかということを、笑いながら物語ろうとするものである。」
 このテーマを、山田洋次はずっと守り続け、一つのパターンで描き続けていると言えるでしょう。
 さて、シリーズ中最も評価の高い作品はと言うと、第17作の「男はつらいよ、寅次郎夕焼け小焼け」(キネ旬2位にはいりました)ですが、私はそれよりも第1作を評価しています。中身が濃いからです。エピソードの数が多いのです。それは、このシリーズの登場人物それぞれのキャラクターを、エピソードで浮き上がらせようと工夫したからでしょうが、それぞれのエピソードがよく決まっていると思うのです。
 寅が妹さくらの見合いの席をぶちこわす場面、隣の印刷工場に住み込んでいる職工の博とさくらが結ばれる場面、結婚式での博と両親の和解の場面、帝釈天のお嬢さんに寅が失恋する場面と、いずれも良くできています。しかし、一番いいなと思ったのは、博がさくらに想いを打ち明ける場面です。さくらに恋している博が、寅のいい加減な「脈はないよ、あきらめな」という言葉を信じて絶望し、工場を出ていこうとします。しかし、最後に一言別れの言葉をと、彼はさくらの談笑して居るところに飛び込み、思い詰めて語ります。                                        「ぼくの部屋から、さくらさんの部屋の窓が見えるんだ。朝目をさますとね、あなたがカーテンを開けてあくびをしたり、布団を片付けたり、日曜日なんか楽しそうに歌を歌ったり、冬の夜本を読みながら泣いていたり   工場に来てから3年間、毎朝あなたに会えるのが楽しみで、考えてみればそれだけが楽しみでこの3年間を   ぼくは出ていきますけれど、さくらさんは幸せになってください!」
 博を演じた前田吟(以後シリーズの欠かせない一員としてレギュラー出演します)の素晴らしい演技によって、これは私にとって忘れられない名場面となっています。
 実際、わずかこれだけの台詞のなかに、純粋な青年の気持ちが、これ程見事に表現された例はあまりないと思うのです。
 


    比類無く美しく、悲しい夫婦愛 ! 松山善三監督の処女作にして最高傑作。
「名もなく、貧しく、美しく」

 映画館の中で、私はよく泣きます。「火垂るの墓」のときは、涙が吹き出すような状態でふくのが間に合わず、首筋まで流れ落ちたのを覚えています。最近の映画では「ドライビング・ミス・デイジィ」のラストが素晴らしくて、泣きながら映画館を出て、恥ずかしい思いをしました。
 しかし、これまで見た映画のなかで最も泣けた映画と言えば、聾唖者夫婦のひたむきな生き方を描いた 松山善三監督の「名もなく、貧しく、美しく」です。
 この映画は、戦後の混乱期に聾唖者どうしで結婚した道夫(小林桂樹)と秋子(高峰秀子)の、苦しみの連続とも言える生活の物語です。聾唖者が主人公ですから、当然手話による会話が展開され、その内容は字幕によって表現されます。
 二人の結婚生活の苦難は、まず耳が聞こえないために最初の赤ん坊が死んでしまう事から始まります。その後、姉の信子は家を飛び出して中国人の妾になり、弟の弘一はグレて家を売り飛ばしてしまいます。そんな中でも、道夫はくつみがきをし、秋子はミシンを買って内職に励みます。二人目の子供一郎は耳も正常で健康に育ちますが、やがて身体障害者である両親をうとんじる気持ちを持ったりし、反抗するようになります。
 無理をして貸した金をふみ倒されたり、身障者であるため内職の金をごまかされたり、苦難の日々が続くのですが、そんなとき、駄目押しをするかのように、刑務所から出てきた弟の弘一が内職には欠かせないミシンを奪って行くという事件が起こります。
 絶望した秋子は弟と一緒に死ぬ覚悟で、手紙を書き、家出をします。
 この時の場面が素晴らしいのです。
 手紙を見た道夫は、秋子を追いかけます。逃げるように秋子が乗った電車の、一両先の車両に道夫が飛び乗ります。道夫は秋子の所へ行こうとしますが、連結の扉が開かないのです。道夫は必死になって秋子に合図を送ります。やっと気付いた秋子が窓ガラスの所へきます。普通なら話のできない連結をはさんだ窓ガラス越しに、手話による二人の会話が始まります。道夫は懸命に語りかけます。
 「ミシンは一生懸命働けば、また買えます。」
 「弘一さんには困りますが、あなたの弟だから仕方ないと思います。もし弘一さんが僕の弟だったら、今の苦しみは僕の苦しみです。僕にはあなたの苦しみが良く分かります。僕たちは夫婦です。どうしてあなた一人だけが苦しまなければならないのですか?」
 「私たちのようなものは一人では生きていけません。二人で、お互いに助け合って、普通の人に負けないように生きて行きましょう。」
 道夫の心が通じ、秋子は思い留まります。道夫は手紙を破り、車窓から捨てます。
 悲しく美しい音楽を背景に、表情と手の動きだけでかわされる二人の緊迫したこの会話は、まさに圧巻といえます。
 二人にとっての最大の危機がここで乗り越えられたかのように、場面は一転し、年月がたって成長した一郎が、耳の不自由な両親を助けるようになります。
 貧しい生活の中にも幸せを感ずる二人は、ある日、しみじみとした会話をします。
 「僕たち二人は、十年かかってやっと一人前の夫婦になれました。世の中のことや、政治のことには目をつぶって、二人だけの平和な世界を作ろうと努力してきました。でも、これだけで私たちの努力が終わったわけではありません。これからは、一郎の為にも、僕たちのためにも、もっともっといろいろのことを知らなければならないと思います。」
 「そんな事が出来るでしょうか?」
 「出来ます。自分が幸せになれたら、こんどは人の幸せを考えなければならないと思います。健康な人でも僕たちより不幸な人が世の中には沢山います。よく考えてみると僕たちは耳が聞こえないから、神様が幸せにしてくれたのかも知れません。   」
 しかし、幸福な日々は長続きしません。耳が聞こえないために秋子が車にはねられて死ぬという最大の悲劇が、ラストにやってきます。
 この映画の夫婦は、余りにも無欲で純粋です。特に道夫は、優しく、美しい性格だけ持っていて、まるで天使のようです。
 それを不自然だと感じさせず感動できるのは、白黒の落ち着いた画面と、高峰、小林の見事な演技力と、画面にマッチした素晴らしい音楽とによるのでしょう。
 とにかく、この映画は素直に涙を流して見れば、心が洗われるような感動を味わえること間違いない映画なのです。(泣かなきゃ駄目!)
 


     いまだにこの映画は越えられていない!
         「キング・コング」
           ─────特撮怪獣映画の古典───────

 こんな凄い映画を1933年(昭和8年)に作り出していたアメリカという国と、よくまあ日本は戦争なんか始めたものだと、つくづく思います。コング人形を一コマずつ撮影して、実物のゴリラ以上の豊かな表情を作ったり、様々な恐竜と格闘させたり、ニューヨークで暴れさせたり、どれだけの資金と技術が投入されたことでしょうか。アメリカという国の恐ろしいほどの国力が感じられます。
 特に、コングの表情が見事です。あまり見事すぎて、一時この映画はぬいぐるみではないかという噂が流布されたということですが、コマドリだからこそ出来た細かな筋肉の動きが、良く見ればはっきり分かります。
 私はこの映画をテレビでなんども見ていますが、どうしても忘れられないことが一つあります。ある時、民放で深夜放映されたこの映画を偶然見る機会があったのですが、その時、以前見たときはなかった場面が映し出されたのです。
 その場面とは、テイラノサウルス(ゴジラみたいな恐竜)と壮絶な格闘をし、プレシオサウルス(蛇みたいな恐竜)をやっつけて、アン(いけにえとしてコングに捧げられたこの映画のヒヒロインである美女。ほとんど叫ぶだけの演技で終始!)を取り戻したコングが、自分の住み家である断崖上の岩屋にたどり着き、そこで右手にアンをもち、左手で彼女のドレスを破り、身体を撫でては指の匂いを嗅ぐといった、実にリアルで、ややエロチックでもあるけれど、コングの表情などがなんともユーモラスな場面なのでした。
 私は感動して、この映画がますます好きになり、再び昼間放映されたときは、もう一度あの場面が見られるのを楽しみにしていました。ところがそのときは、あの場面はカットされていたのです。
 その後、もう一度ほど放映がありましたが、やはりあの場面はありませんでした。
 調べてみると、この映画は公開当時相当多くのカットがされていて、71年までは復元版が公開されていなかったそうです。私が最初に見たのは中学生ぐらいの頃でしたから、その時は、おそらくカットされたフイルムで放映されていたのでしょうが、復元版らしいのが一度だけ深夜に放映された以後もまた、あの場面のないフイルムで放映したのは、明らかにテレビ局の配慮だと思われます。
 テレビ局はなぜあの場面をカットするのでしょうか?子供も楽しむ怪獣映画としては、余りにリアルでエロテイックな場面だからでしょうか?
 しかし私は、あの場面はゴリラであるコングがアンという女性(メス)を愛し始めたことがはっきり観客に伝わる、実に重要な場面だと思っています。だってそうでしょう、動物が異性を求めるときは、必ず嗅覚で求めるのですから、その行為をエロテイックと感じるのは人間だけで、動物であるコングの愛情表現としては実に自然なものなのですから。あの場面は、子供にだって見せるべきすぐれた場面なのです。
 ビデオが普及しはじめ、この映画もビデオで見られるようになったので、もう一度あの場面をみたいばかりに借りてみました。ところが、なんと、やはりあの場面はカットされているのです!
 じつにけしからんことだと、私は心から思っています。
 芸術作品をくだらない配慮で台無しにする検閲、カットほど恐ろしいものはありません。外国のすぐれた映画が、セックス場面をずたずたにカットされてしか見ることの出来ない今の日本の状況は、実に遅れていると思います。
 


      チャ−リ−・チャップリンの偉大さについて 
    ト−キ−化の流れに対抗して作った無声映画  「街の灯」

 「街の灯」の冒頭に、チャップリンは「コメディ・ロマンス・イン・パントマイム」というタイトル掲げています。1926年に最初のト−キ−が上映されて以来、アメリカ映画はすでにト−キ−の時代に入っていたのですが、チャップリンはあくまでもせりふのないパントマイムに固執していたのです。
 なぜでしょうか?
 「街の灯」の封切りに際して書いた「パントマイムと喜劇」と題する文章で、チャップリンは次のような「信念」を語っています。
 「私はどうしてダイアログなしの映画を作り続けるのか?第一に無声映画は全世界に通ずる表現形式である。ト−キ−は、どうしても領域が限られる。私は、将来、無声映画への関心が復活するだろうと確信している。世界的な使用に適するメディアは永久に要求されるからである。」
 「言葉」を使えば、それを解する国の人々にしか映画は伝わらない。「パントマイム」であればどの国の人にも伝わる。チャップリンの信念はそういうことでした。そして、「街の灯」はそれを見事に実証しました。
 「街の灯」は浮浪者の、盲目の花売り娘に対する献身的な愛を描いた美しい映画です。そしてその中に、次のような重要なエピソードがあります。
 浮浪者チャ−リ−が、あるとき自殺しようとしている泥酔男を救います。男は大金持ちで、チャ−リ−を屋敷に連れていき親しくもてなします。しかし、翌日になって正気に戻った男は、チャ−リ−の事を全く覚えておらず、屋敷から叩き出すのです。数日後、町で男と再会しますが、男はまた泥酔しており、チャ−リ−を親友として扱います。しかし、酔いが覚めると再び別人のようになって、泥棒扱いするのです─────
 私はこの映画を、十年ほど前に担任した定時制の卒業生と見にいったのですが、映画が終わった後で、彼がまず指摘したのはこの場面でした。
 「先生、あの場面は恐いですよ。ほんとに恐いです。!」
 ただチャップリンの面白おかしい仕草に笑わせられていた私は、彼のその実感のこもった言葉にドキリとしました。定時制時代から町工場で働いていて、恐らく、気紛れで親切にされたり、馬鹿にされたりした体験があったのでしょう。
 確かに、これは本当に恐ろしい「笑い」なのです。チャップリンはここで、大金持ちの気紛れで、偽善的な「人間性」を「笑い」で風刺したのではないでしょうか。
 さて、この映画のラスト・シ−ンには、とても深い意味がこもっています。
 大金持ちの冷酷さによって泥棒扱いされたチャップリンが、刑期を務めて出てきます。職もなく街をさまよい、花屋(そこにはかつて盲目だった彼女が働いている)の前にやってきます。彼女はチャ−リ−の与えた金で手術を受けて今は目が見えるようになっていて、幸福そうに働いています。チャ−リ−はそんな彼女を見つけて、ガラス越しにじっと見つめます。彼女のほうは、おかしなみすぼらしい浮浪者がじっと自分を見つめるのに気付いて、思わず吹きだし、その後すぐ悪くなって、おわびのしるしに一輪の花となにがしかのお金を差し出します。二人の手が触れ合ったとき、盲目だった頃からまだ残っている第六感のようなものが、彼女に、この人こそ自分に大金を恵み、目を治してくれた大恩人に他ならないことを教えます。
 ここで、チャップリンの使った最も悲しい字幕として有名な三枚のタイトルが出ます。 「あなたでしたの?」
 この最初のタイトルが出たとき、彼女の顔が悲しく曇ります。それは、明らかに失望の表情なのです。
 自分の目を見えるようにしてくれた人は大金持ちの立派な紳士だと思い込んでいた彼女にとって、目の前の浮浪者がその人だったという現実は、余りに残酷なものです。一瞬にして彼女の夢をはぎとったチャ−リ−は、困ったような表情で
 「見えるんだね?」
と聞きます。それに対して彼女が答えた
 「ええ、見えるようになりましたの」
という答え。
 はたして、なにが「見えるように」なったのでしょうか?
 残酷な現実の向こうに、チャ−リ−の至純な愛をこそ「見た」はずだと私たちは信じたいと思います。しかし、その後の展開は謎です。そこでいきなりタイトルが出るのです。 ──END。