雑記帳 2004
7月2日(金) 「善悪」について
食物の量が制限されない限り、生物に「共食い」はない。カマキリのオスが交尾後メスに食べられるのは生殖の一つのカタチであって「共食い」ではない。
そう考えると、「悪」とは「共食い」することだということが分かる。
実に単純なことである。生物の「自然」に反する行為が「悪」なのだ。
生物はそれぞれ自分たちの種の「いのち」を育むために生きている。そのために別の種の「いのち」を食べる。これは「悪」ではない。食物連鎖の一部分を担当する自然な状態なのである。
ここで、人類という種が他の生物と異なる「優れた」点を一つだけ挙げることができることに気づいた。人類だけが、他の「いのち」を食べることで自身が生きていることに気づいて、「感謝」することが出来る生物なのだ。
これが「善」の本質ではないだろうか。
私は、人類というのは本能が壊れた異常な「生物」だと思っているが、この「感謝」の念を持つことが出来る唯一の生物だという点では、自然界の中で突出した存在であると考えていいように思い出した。
人類とは「感謝」できる唯一の「生物」。
当たり前だと笑われるかもしれないが、これは、私にとって貴重な発見だった。
この観点を土台にして、これから「倫理」ということを考えていきたいと思う。
6月29日(火) 懐かしいビデオの数々
30年近くかけて収集してきたビデオ録画作品をDVDに焼き付ける作業を続けている。
はじめてテレビ放映された「七人の侍」を、勤務していた名古屋のS高校に泊り込んで学校にあったオープンリールのビデオテープに録画したのが皮切りだった。そのころはまだカセットのビデオデッキがなかった頃で、30年ほど前である。その少し後に2時間もののカセットデッキが発売された。ものすごく高かったが、NHKで正月に放映されると予告された日本映画の名作中の名作「浮雲」「夫婦善哉」「晩春」の三本を何としても録画したかったので購入した。以来、テレビで放映された名作映画、ドラマ、をとりまくって今日にいたる。
レンタルビデオなんてものが現われて、テレビからの録画は主に特集番組に変わった。テープの保管場所に困ってそうとう処分してしまったが、厳選した作品は現在も残してある。
DVDに焼き付けるのは、その中からさらに厳選した作品である。
現在、行なっているのは次の作品群。
「或る小倉日記伝」
「キング牧師を生んだ男」
「笑いの大学」
「シャツの店」
「教員室」
「瀬戸内寂聴が語る源氏物語」
「切腹」
「キュリー夫人」
「宗教対談。司馬遼太郎と山折哲雄」
「女系家族」
「総長賭博」
「チャタレイ裁判」
「男子の本懐」
「私は貝になりたい」
その他、歴史の特集もの、知ってるつもり、NHKスペシャルなど多数。
中には(私にとって)とても貴重なものもある。
焼き付けながら見直すことが多く、楽しい作業である。
6月23日(水) 孟子(2) 「大丈夫」と「独善」
孟子が残した数々の言葉の中で、好きな言葉の一つが「大丈夫」という言葉である。
成人の男子を「丈夫」というのに対して、より気力が充実し、義の自覚をもち続ける男の中の男を「大丈夫」と言った。日本語の「だいじょうぶ」という言葉は、この孟子のことばから発して、最初は「大丈夫でいられるか」と言っていたのが詰まって「大丈夫か」となったものらしい。
孟子の文章は、歯切れのいい、たたみかけるような文章で、読んでいると気持ちが大きくなってくる。特にこの「大丈夫」について書かれている「勝文公」下篇の一節は、読む人を「大丈夫」にいざなうような力強さがある。
「天下の広居に居り、天下の正位に立ち、天下の大道を行なう。志を得れば民と之に由り、志を得ざれば、独り其の道を行なう。富貴も淫する能わず、貧賎も移す能わず、威武も屈する能わず、之を之れ、大丈夫と謂う」
「富貴」も心をとろかすことはできない、「貧賎」に陥っても心を変えさせることはできない、「威武」もその志を屈従させることはできない。・・・孟子の文章の魅力は、こういう見事なリズムにある。読んでいると、何だか大空に向かって胸を張りたくなるような気持ちになる。幕末の「志士」たちは、おそらくこういう言葉によって気力を充実させられたのであろう。
(前記の)鈴木氏の本で教えられたのは、この一節中の「志を得ざれば、独り其の道を行なう」というくだりが、「尽心」上篇にある「窮すればすなわち独り其の身を善くし」と同じ内容の言葉であり、ここから出た「独善」という言葉が、中国社会の知識人に愛用されたということであった。この生き方は、孔子の有名な「自ら省みて直くんば、千万人と雖も吾往かん」から受けつがれたもので、この文脈から見ると「独善」はいい言葉だったのである。それが日本に入ると、集団主義の風土の中で悪い意味に用いられるようになった。これは、言葉の本来の意味が日本人の感性によって歪められて使われるようになった例の一つである。
しかし考えてみると、「大丈夫」という言葉も気宇壮大な本来の意味が歪められて、ただ「安全である」というようなチッポケナ意味に変えられて用いられているわけである。いかにも日本的と言える。
6月21日(月) 孟子(1)
吉田松陰について調べてみて、孟子の偉大さを改めて知った。
松陰は松下村塾で孟子を講義し、その教えを受けた若い志士たちが明治維新を成し遂げたと言っていい。その大きな水脈が影響していたのか、近代教育の用語には孟子の残した言葉が圧倒的に多い。
そもそも「教育」という言葉自体が孟子から出ている。孟子の「君子に三楽あり」の章の第三の楽に「天下の英才を得て、これを教育する」とある。ここから「教育」が出て、さらには奨学金制度に使われる「育英」という言葉も誕生した。
「学校」も孟子である。「ショウ、序、学、校、を設為して、以って之を教う」とあり、孟子は「学」(官吏養成所)と「校」(子弟を教える場所)を別の施設としていたが、日本ではこれを合体して「学校」を生み出した。
「学問」もそうである。「学問の道は他無し。其の放心を求むのみ」
その他、「良心」「人倫」「智慧」「交際」「行事」「先覚者」「私淑」「利口」「会計」など、
昨日読んだ「中国の人と思想ー孟子」(鈴木修次)には、一々出典個所を明記して羅列してあった。中には「自暴自棄」などという言葉まである。
このことについて、鈴木修次氏は、こう書いている。
「(なぜこんなに孟子の言葉が多いのか)それはおそらく、維新の志士が『孟子』を好んだり、明治初期の教育指導者の愛読書が『孟子』であったということに、ひとつの原因が求められるのであろう。幕末から明治にかけては『孟子』は人々の必読書であった。名士政府の行政も、『孟子』から少なからざる知恵を得たものなのである」
6月20日(日) 「何も無い」ということ。
昨日、橋本さんと宇宙の話をしていて、自分が「無」という状態を本当はイメージできないことに気が付いた。
今まで頭でわかっていたつもりだったが、私には「何かが在る」というイメージの土台の中でしか「何も無い」という状態は想像できないのだ。だから、ビッグ・バンという、今では誰も疑うことがないという<宇宙の成立時点>が、どうもまだイメージできない。
最初、宇宙は「点」だった、と橋本さんは言う。しかし「点」というのも、私には、鉛筆の芯の先で紙につけたシルシとしての「点」しかイメージできない。しかし、本来「点」というのは目に見えるものではない。「線」だってそうなのだが・・・私は、目に見えるものに転換してしかイメージできない。
しかし、おそらくほとんどの人が私と同じような質の想像力しかもっていないのだろう。だから仏教も偶像崇拝となって初めて広まった。本来「空」なんてものは、存在を土台とした想像力では太刀打ちできないものだろう。
宇宙の原初形態としての「点」。時間も空間もそこから始まるという「点」。
それが大爆発して、現在もその破片が飛びつづけているのでその角度や速度を測定したり、爆発時の音がまだ漂っていて高感度のアンテナでは感知できるので・・・それらから、原初形態は「点」だったと解明されたという、いわゆるビッグ・バン説。
しかしまあ、何も無い「点」が爆発して現在我々が体験するあらゆる「存在」が生まれて、四方八方に飛び散ったなんてトテツモナイ想像を、よくまあできたものだと感嘆する。
具体的な事象をつなげた結果としても、宇宙の始まりが、それ以外「何も無い」「点」であったということを<想像>できた人というのは、釈迦に匹敵するほどのモノスゴイ人だと思う。そういう、とてつもない想像力を持った天才たちが、様々な分野でこの世界の謎を少しずつ解明してきてくれたのだろう。
私には、いまだに(頭ではわかるが)、「時間も空間も何も無い」という状態をイメージすることができない。
6月19日(土) 教育実習生の研究授業
昨日、教育実習生の研究授業があった。
私が担当する実習生は、予定していた内容を実にうまくこなしたが、指名した生徒があまりにも早く答えることが続いために時間配分の予定が大幅に狂い、10分近く早く終わってしまった。最後は見ていられなかったので助け舟を出した。研究授業としては失敗かもしれないが、真面目さがとてもよく出ていたミスで、私は満足だった。
もうついぞ板書計画を立てたこともなく、時間配分など考えもせず、行き当たりばったりで授業をしているので、丁寧に計画をたて、きれいに板書して教える姿を見ると、こちらの気持ちが引き締まる。こちらが教えられた感じがした実習の指導だった。。
6時間目は日本史の実習生の研究授業を見た。大化の改新のところであった。
実習生は他校の出身者で、色の白い綺麗な女子大学生である。ほとんど1時間中板書し続けるという講義形式の授業だったが、生徒は驚くほど真面目に聴いていて、その姿は本校の生徒とは思えないほどだった。とても整理された授業展開で、わかり易く、これは見学者から高い評価をうけるだろうなと思った。
そこで私は、あえて注文したいことを強く出して批評することにした。
こんなことを言った。
「入鹿を殺害する場面で、手紙を読み上げる手がブルブルふるえたとか、物語のようにドラマチックに場面を話していて面白かったけれど、その記述の出典を言わなかったですね。日本書紀あたりでしょうが、歴史の授業では必ず出典を言うべきだと思いますよ」
「中大兄皇子は、皇極天皇の前で事件を起こしたので天皇になれなかったという説明をされたけれど、中大兄は天皇になるより皇子となっていた方が実質的に動けたからあえて天皇にならなかったという面が多かったのではないでしょうか」
「ここではじめて『大化』という元号が使われ、それが元号の最初だという説明をするなら、私だったら現在の『元号法制化』のことを少し話したいと思いました。歴史をまなぶことは事実をただ知ることではなく、その事実を現在につなげることが必要だと思いますから、元号のことなどはそういう説明ができる事項だと思います。私だったら、そういう話も少しはします」
参考になったかどうか。
6月18日(金) 『夏の庭』
東京在住のネット友人であるペコちゃんから、時々若者向けの本の推薦がある。とてもありがたい。今回は『夏の庭』湯本香樹実著(新潮文庫)を推薦して戴いた。(掲示板に書き込みがあります。参照して下さい)
取り急ぎ、以下のような返信を出した。
「夏の庭」読みましたよ。いい小説ですね。
実は、この小説は数年前に愛知県の高校入試の国語の問題になっていて、私はその時初めて知ったのです。そこでとられていたのが、主人公が(死ぬ姿を見ようと思って接している)おじいさんの家の庭でホースで水をまいている場面でした。
ホースの水によって虹が現われる。その時、主人公は、おそらくまだもっとたくさんの美しいものが世の中には存在しているのだろう。でも自分たちには見えないのだろう。この虹のようにいつか何かをきっかけに現われるだろうか(というような表現だったと曖昧な記憶をたどっています)と考えます。・・・実に素晴らしい場面でした。
その場面は「図書館探訪」にも紹介したことがあります。
いい小説の推薦、ありがとうございます。
また、お願いしますね。
<ペコちゃんは子どもを育て上げてから、大学へ入って勉強したり、何でも見てやろうの精神で、以前、私が推薦する大阪の遊郭跡散策(女性はちょっと行ける場所ではない)にまで付き合ってくれたりもした、とても素敵な女性です。>
6月17日(木) ミステリーが好きな新任校長
今年赴任した新しい校長さんは今までに接したことがないほど気さくな人だ。
英米のミステリーが好きなのだ。先日もダン・ブラウンの新作「ダビンチ・コード」の話を嬉々としてしてくれた。翻訳が出る前に原書で読んだらしいが、キリストの聖杯にまつわる話らしくて、ダビンチの「最後の晩餐」に描かれた人物の中に女が1人いるとか・・・ほんとに楽しそうに話していた。
私が、ダン・ブラウンの小説はハリウッド映画のようだという話をして、聖杯なんていうとインディー・ジョーンズの第3作を連想するというと、何と校長さんもインディー・ジョーンズを観ているのだ。ああいうハリウッドの娯楽映画を観ている校長さんは初めてだ。
私が日本のミステリーで最高傑作だと思っている谷崎潤一郎の「途上」を紹介すると、早速読んで「面白かった」と言ってくれた。
大学ではシェイクスピアを専攻していたらしい。今度はその話を聴いてみたい。
6月15日(火) 忙しいから「読書」
自分自身でいうことではないが、現在八面六臂の大活躍という感じがする。
統一テストのための考査問題を2つ作り上げ、毎日教育実習生の指導をし、学校図書館教育研究会地区事務局として1週間後の総会の準備を進め、総会後の研究発表者としてレジュメの作成をしている。その間に週1回の「図書館探訪」は絶対出すと自分にノルマを課し、補習を行い、考査明けすぐに2学年で行われる「総合」の「読書」時間のために「探索ノート」や鑑賞文を整備する。
毎日、しなければならない仕事の項目を書いたメモ用紙を何回も見ている。
でも、このクソ忙しい毎日の事務仕事を口実に読書しないなんていう「怠けた」態度だけはとりたくない。
司馬遼太郎の「空海の風景」を何が何でも毎日読んでいる。
こういう形而下の雑務に追いまくられている時こそ、精神が日常性の中に埋没しないために、形而上想念の時間を持つことは大切だと思うからである。
6月7日(月) 「幼さ」による犯罪
インターネットを使う小学6年生の少女が同級生の少女を刺殺した。
面会した加害者少女の弁護士が発した最初の言葉は、6年生とは思えない4年生くらいの幼さを感じた、というものだった。
私はそれを聞いて、ああまた、これまでの犯罪でよく指摘されていた加害者と同じ「印象」が語られているな、と思った。以前日本中を震撼させた長崎における12歳の少年による殺人事件の時も、その成績優秀な少年の「精神的な幼さ」が特徴としてあがっていたのである。
私は、この「幼稚さ」というものが、これらの犯罪のキーワードになると思った。
以前引用したことがあるが、港湾労働者で哲学者のエリック・ホッファーが、「現代という時代の気質」の中の「未成年の時代」において、次のように語っている。
<・・・社会全体が少年のような考え方や行動をしはじめることもあるのだ。とくに20世紀にはほとんど全世界的な規模で少年化の現象がみられる。共産主義、ファシズム・人種的偏見、その他世界の低開発地域で現在勃発している大衆運動の少年的性格は誰にでもすぐわかるだろう。新興国あるいは復興国の指導者はほとんどすべてがその性格にきわだって少年的な要素をもっている。・・・重要な点は、少年化は必然的にある程度の原始化という結果をもたらす、ということである。われわれは20世紀の重大なパラドックスに直面している、すなわち技術の進歩が部族主義への回帰、カリスマ的指導者、呪術師、軽信、部族間の戦争をともなってきたというパラドックスに。これまでは機械を非難するのが一般的傾向だった。機械が人間を野蛮にし、非人間化する効果、つまりいかにそれがわれわれをロボットや奴隷にし、われわれの個性を圧殺し、生を矮小にするか、などについてはかなりの文献がある。・・・・いや、こうした社会の原始性を生み出すのは機械それ自体ではなく、ドラスティックな変化なのである。土地から切り離された無数の人間の急速な都会化は、現代の中心的な経験であり、新しいアイデンティティを求めて根をうしなったこれらの人々の要求が現代の気質を生み、形成したのである。・・・新しいアイデンティティの探求に刺激されて人々がたえざる行動や精力的活動に没入することによって永遠に進行中の状態にとどまるときも、原始化がともなう。成熟するには閑暇が必要なのだ。急いでいる人々は成長することも衰微することもできない、彼らは永遠の幼年期の状態にとどめられているのである>
指摘されているような現代日本社会の「少年化」「原始化」ということが、このような恐ろしい犯罪を犯す少年少女の<個別的要因>の背後に、間違いなく存在していると思う。
急激な社会の変化についていくために、子ども達はメールやインターネットに習熟していく。(テレビの報道番組で紹介されていたが)現在、6歳から12歳までで、インターネットを使用している子供達は、何と62%に及ぶという。子供達は、そのような電脳社会の急速な「変化」の中で、流され、追い立てられ、自然に成熟していくために必要な「閑暇」を奪われている。それは、マクルーハンが言った「思春期が奪われる」という状態と言ってもいいかもしれないが、とにかく「少年化」「幼稚化」が蔓延しているのだ。
「急いでいる人々は成長することも衰微することもできない、彼らは永遠の幼年期の状態にとどめられている」
というホッファーの言葉は恐ろしい。
6月6日(日) 息子の結婚式(2)
橋本さん書き込みありがとうございました。
息子の結婚式は無事終わりました。
とってもいい結婚式でした。予想していたよりもはるかに愉快な、気持ちのいい宴でした。
覚王山にあるルプラ王山という教職員の会館で行いました。
27年前に私たちが結婚した会館です。
当時は王山会館という名で、かなり粗末な建物でしたが、今はホテル並の美しい建物に変わっていました。
親族紹介と最後のお礼の言葉が、新郎の父親としての役割です。
ラストの言葉は誰でも言うありきたりの形式的な謝礼だけではつまらないので、謝礼を述べた後で、27年前に自分もここで結婚し、翌年伸介が生まれた時、1週間考えて命名した名前の由来を話しました。
「介」という字は、「人」が両手を横に延ばしている絵から出来た文字で、人と手をつなぐという意味があります。だから「仲介」とか「介入」とか、人と人とをつないでいくという意味で用いられます。私はこの字が大好きだったので、何とかこれを息子の名前にしたいと思いました。そこで「介」の上につく漢字を探し、最終的に、伸びて欲しいという気持ちで「伸」を選びました。つまり「伸介」は「人と手をつないで伸びていってほしい」という気持ちをこめた名前なのです・・・
伸介の友人たちも、職場の上司さんたちも、相手側の兄弟親族の方も、本当に気さくな純朴な感じの善意あふれる人たちでした。
いい人たちに囲まれて、いいパートナーを手に入れて、伸介は本当に幸せだと思いました。
6月5日(土) 息子の結婚式
今日、息子が結婚する。
26歳である。
自分のやりたい事をかなりやってきた息子である。今までは自分だけの楽しみを求めていればよかったが、これからは妻子に対する責任をもたなければならない。
私自身を振り返ってみて、結婚して子どもができてから本当の「人間」としての学習が始まったような気がする。
反抗する子ども達によって、私自身が学んだことは、本当に多かった。
これから息子がどのように「成長」していくのか。
見守りたい。
6月4日(金) 憲法と教育基本法 (5)
小森陽一氏は講演の最後に、教育基本法改悪阻止、憲法改悪阻止のためのアッと驚くような運動を近々提議する、と言っていた。
私は、憲法については変えたほうがいい個所が何箇所かあると思っている。明治の民権運動家たちがやったようにこちら側からも憲法私案を作るほうがいいと思っている。しかし、現在の状況からするとそういう形で「改正論議」の土俵に乗ることは、向こう側に都合のいい案を「数の論理」で成立させてしまうことになるだろう。信じられないような杜撰な内容の年金法案が押し切られていく今の国会を見れば、それは明らかである。だから、現在の状況下では、とても土俵に乗ることはできない。
第9条2項の非武装規定がどんなに非現実的であったとしても、それによって<歯止め>はかかっていたのだ。国家権力の暴走を食い止めるという憲法の趣旨から言えば、実情と乖離したカラ規定としても、今はまだそれを守っていくしか方法はないだろう。
教育基本法は、憲法の「国家権力暴走禁止」という本質的性格を、教育に関する規定として最も純粋に体現した法律である。何度読んでも、変える必要のある文言はない。
これは、何としても守りたいと思う。
小森陽一氏の提議する運動に注目したい。(終)
6月3日(木) 憲法と教育基本法 (4)
「新・教育基本法私案」第一条(教育の目的)の文言は、あまりにも見え見えで、まさかこれだけ「右翼的」な目的がかかげられるとは思えない。
しかし、現行の素晴らしい表現(中曽根康弘はアメリカからもらった「蒸留水」のような理念なんていう実にうまい言い方をしていたのをどこかで読んだが)を、遠山敦子文部科学大臣の意図を最大限汲み取って改変するとなると、こういう表現になるのかもしれない。
しかしこの「私案」には、単純に理念の問題ではなく、政治的利害が入り込んでいるとしか思えないような個所がある。これは知人のK教授が指摘したことだが、第七条(政治教育)が、こうなっているのだ。
第七条(政治教育)
(1) 良識ある国民たるに必要な政治教養は、教育上これを尊重することとする。
(2) 国及び地方公共団体の設置する学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対す るための政治教育その他政治的活動をしてはならない。
(1)の文言は、現行の教育基本法と全く同じである。問題は(2)。現行の文言はこうなっている。
(2) 法律に定める学校は、特定の政党を支持し・・・<以下上記と同文>
つまり、主語だけが変えられているのだ。現行の基本法では私学も含めたすべての学校が該当する「法律に定め」られた学校において、「特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育」は禁止されているのだが、「私案」では、それが公立学校だけに限定されることになる。私学ははずされるのだ。
即座に連想されるのは、非常に大きな宗教的組織を背景にした政党の存在であろう。
私学はそういう政党を支持する教育をどんどんすすめることが出来ることになるわけである。
6月2日(水) 憲法と教育基本法 (3)
教育基本法の改正案について小森陽一氏は具体的な紹介をしなかったが、すでに2001年2月19日に、PHP総合研究所は、新・教育基本法私案 (新・教育基本法検討プロジェクト、主 査/加藤 寛、メンバー 石井威望/渡部昇一/屋内太郎/和田秀樹/八木秀次/江口克彦 事務局長/秋山憲雄 )を発表している。
その「私案」は中教審の中間報告で示された「国を愛する心」や「公共心」を理念に盛り込めという方向にそって作られたもののようだ。これだけはっきりとした文言になるとは思えないが、名だたる知識人たちが集まって作り上げているものだから、たたき台として参考にされるのは間違いないと思うので、紹介してみよう。
第一条(教育の目的)
日本の教育の目的は、人間が潜在的に有する道徳的・知的能力を発揮させ、わが国の 歴史・伝統・文化を正しく伝えることによって立派な日本人をつくることにある。
第二条(教育目的の実現)
(1) 教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場において実現されなければならない。 とりわけ、基礎的なしつけ・人間としての教育の実践は主として家庭に委ねられる。
(2) 教育の目的を達成するためには、学問に対する興味を養い、実生活における自立の 精神を伸ばし、互いの敬愛と協力によって、文化の継承と創造に貢献するように努めな ければならない
(今日は時間不足で、ここまで)
6月1日(火) 憲法と教育基本法 (2)
日本国憲法については、本則全99条中に、改訂あるいは補足した方がいいような個所は多少ある。例えば、首相公選するためには、第67条の「内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決でこれを指名する」という文言は変えなければならない。
しかし教育基本法を読み返すと、これは実に見事な規定となっていて、何ら変更する必要があるとは思えない。
愛国心とか日本の伝統、文化とかを盛り込みたいということがしきりに言われるが、「平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成」という表現が、第1条の「教育の目的」に掲げられているのだ。愛国者でなければ「平和的な国家及び社会の形成者」になれるわけがないということを考えれば、この規定は、支配者に都合のいい「愛国心」の概念が入り込まない実に見事な表現なのである。
伝統や文化という言葉、概念(実はこの言葉が私は大好きなのだが)は、梅原猛が指摘しているように、かつて「教育勅語」というものによって日本の伝統、文化が破壊された経過があるので(このすぐれた分析は支配層には絶対受け入れられないだろうが、実は国家権力こそが、日本の真の文化である神道も仏教も歪めて、伝統を破壊してきたというのが真実なのだ)入れるべきではないように思う。
つまり、愛国心とか日本の伝統、文化、という表現を盛り込みたがっている連中には、はっきりと別の、イヤラシイ意図があるのだ。
とても率直で、その点では爽快感すら覚える民主党の西村慎吾は、「教育基本法改正促進委員会」の設立総会で、はっきりとこう発言している。
「お国のために命を投げ出す日本人を生み出す。お国のために命をささげた人があって、今ここに祖国があるということを子どもたちに教える。これに尽きる」「お国のために命を投げ出す機構、つまり国民の軍隊が明確に意識されなければならない、この中で国民教育が復活していく」
これだけはっきり言ってくれていると分かり易い。
5月31日(月) 憲法と教育基本法 (1)
「教育基本法の改悪をとめよう!5・30あいち大集会」に参加した。
東大教授の小森陽一が講演した。この人の話をじかに聴くのは初めてだったが、今まで聴いた共産系インテリ運動家の話の中で、もっとも過激だったように思う。
彼は前半で、「憲法というものは、国家権力に対して、これをしてはいけない、ということが決められているもの」ということを強調していた。これは、かつて橋本さんがHPで繰り返し書いていたことで、実は私もそれを読むまでは(恥ずかしながら)認識していなかったことだ。しかし小森さんがくどいほどそれを強調したのは、おそらく大部分の人が認識していないという意識があったからだろう。
国家権力は暴走しかねない。それをくいとめるのが憲法である。特に39条までは、国家権力が<何をしてはいけないか>が具体的に規定してある。このことを本当にしっかり認識することから、憲法問題を考えなければならない。
自民党は、そういう憲法の<歯止め>を取り除きたいのだ。はっきりと、アメリカのシリについて戦争が出来る国にしたいのだ。これは日本の宗主国アメリカからの「要請」でもある。今まではそれをはっきりと言わなかったが、文芸春秋でアーミテージが9条は邪魔だという趣旨のことを書いている。しかし、憲法を変えるためには国民投票にかける必要がある。そこで教育基本法の「改正」によって、国民を洗脳しておかなくてはならない。
現在、そういう状況にある。
教育基本法をもう一度読み返してみた。
わずか10条、全文を読むのに2分ほどしかかからない。しかし、これは確かに憲法が国家権力の暴走を規制する規定であることと見事に呼応して、教育行政に対しての規定になっている。第3条には「すべての国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を<与えられなければならない>・・・」第10条には「教育は、不当な支配に屈することなく、国民全体に対して直接に責任を負って行われるべきものである」とある。これは教育行政機関に対する規定である。
そういう教育基本法をどう「改正」するのか。 (続く)
5月30日(日) 共産主義的発想
S塾で、日本共産党の問題点が話し合われた。
県立大教授のKさんが提出した日本共産党の問題点は、共産党のエリート主義、「えらそうな」「無知蒙昧な人民を教え導く」ような姿勢だった。
ブルジョア民主主義が発達している国において、すでに共産主義的な形での社会改造は不可能だという。共産党のエリート主義は、人民が無知で圧政に苦しんでいるという昔のイメージそのままで人々をとらえているという。共産党のそういう「えらそうな」(この言葉が大好きだとK氏は言っていた)態度が間違っているという。
そこから、K氏は、日本共産党の「民主集中制」とか「秘密主義」のいわば愚民政策を批判する。
そこで、質問してみた。
「私はほとんど同感です。私も人々は愚かでないと思いますから首相公選すべきだと思っていますが、共産党は反対のようです。Kさん、その点は?」
すると、Kさんはこんな言い方をしたのだ。
「うーん・・・独裁者をえらんでしまうこがあるからなあ・・・」
私は思わず言ってしまった。
「人々は愚かではないと信じる最後のシステムとしては首相公選になるんじゃないですか?それをダメというのは、共産党の愚民政策を批判する論理と矛盾するのではないですか?」
「あ、・・・・そうか・・・」
Kさんはそれ以上何も言わなかった。他の人たちからも発言はなかった。
私は、少々失望した。
結局Kさんも人々は愚かだと思うエリートの一員なのだ。東大出の大学教授なんだから、やっぱり人々をバカにしていないと言っても、自分と同等だとは思っていないのだろう。自分がエリートだからこそ、自分を「えらそうに」導くような態度の共産党に我慢がならないのだ。
私はどうも感覚的に違うなあ・・・・と、S塾に集まっている知識人たちと少し違和感を覚えた勉強会だった。
5月29日(土) 眼科検診
毎年この時期に行われる眼科検診は、私の勤務する学校の一大イベントになっている。「御殿医様」と呼ばれているトッテモエライ地元眼科の校医さんが生徒を診察にくるのである。
校医さんは、少しでも生徒の態度が悪かったり、服装が不潔だったり、職員の応対がまずかったりすると機嫌を害して、突然中断して帰ってしまったり(もちろん後で大変な苦労をして再検診を頼まなければならない)、ものすごい注意指導を行って養護教諭を苦しめるらしいのだ。昨年まで勤務していた養護教諭に一度我慢ができずに反抗した時の体験を聴いたが、それは想像を絶する内容だった。
とにかく、その医者が来校する時は、職員の配置や仕事分担の専用プリントが用意され、分刻みの対応が計画されるという、全く異常といえる状態になる。診察場所の視聴覚室周辺はピカピカに磨き上げられ、受診者として選び抜かれた「いい生徒」たちに何回もみだしなみ指導をし、授業開始のチャイムを止め、校内放送も禁止するといった、いわば「厳戒態勢」がとられるのである。時には、検診中に一般生徒がうるさくしないように授業内容を一部変更したりもする。今年はちょうどLTの時間だったので、診察場所近くの3年生を静かにすることは難しいと判断して急遽、全員を体育館へカンズメにする(ビデをを見せる)なんて事もした。たかが(といっては失礼だが)眼科の検診のために、なんでこんなに大層な対応をしなければならないのかと、管理職も含めて全員がぶつぶつ言いながら、仕方なしに動く。直接担当する保健部の苦労は並大抵ではない。
何度も校医を変更してもらうように請願したらしが、医者は地元の名士で医師会のえらい様で、無理だという。
しかし、10年見てきて、このイベントは職員が仲良くなる一つのきっかけという役割を果たしているのではないかと思うようになった。
つまり、バカバカしいという感情で、管理職も含めた全職員の気持ちが一体となることができる貴重なイベントなのだ。眼科検診と言うだけで、みんなの顔がほころぶ。検診日が近づくと苦笑いしながらの打ち合わせが始まる。無事検診が終わると職員朝礼でもクスクス笑いが起こるようなお礼の報告がされる。
和気藹々と眼科医の悪口をいい、バカバカしさという感情で職員の気持ちが一丸となる・・・・考えてみれば、これほど素晴らしい「組織活性化」のイベントはないのではないか。
そう考えて、これも私の「喜びノート」に記録することにした。
5月28日(金) 「喜びノート」
今年初めてのホタルを見た。5匹。例年より早く発見した。
これからまた、毎日、夜の<ホタル狩り>がはじまりそうだ。
カミサンの周辺に<うつ>の人が多く出ている。創価学会に入っている友人までがどうもそうらしいという。
創価学会員なら法華経を読んでいるだろうし、「南妙法蓮華経」という題目を唱えることによって、いつも精神を高揚させ、元気をみなぎらせているはずだ。あの題目が人間を元気にする最高のリズムであることは多くの人(美輪明宏など)が指摘している。それによって日蓮宗の不屈さも保たれているといえるほど効果のあるものらしいのに、それを行っている人でも<うつ>になるのか、と少し不思議な気がした。
更年期障害ということかもしれない。ホルモンのバランス異常で、精神の訓練ではどうしようもないかもしれない。
しかし、五木寛之が紹介していた「喜びノート」というのは、<うつ>治療の最高の方法だと確信している。
それは、彼自身の<うつ>克服体験を書いたものであるが、毎日必ず一つ、嬉しかったことを見つけ出してノートに書くという方法である。どんな些細なことでもいい、とにかく嬉しかったこと、楽しかったこと、を探し出して書き留めるということらしい。
それを数ヶ月やりつづけたら、<うつ>が治ったという。
これは、素晴らしい方法だと思った。
ラッセルの幸福論の趣旨「幸福の秘訣は目を外界に注ぐこと」に通じると思う。
カミサンには、その創価学会員の友人に、五木寛之の本をプレゼントしたらと言った。
五木寛之は「他力」の信者で浄土真宗系だから、日蓮宗の信者にはダメかもしれないが・・・
昨日の私の「喜びノート」は、ホタルを発見したことである。
5月24日(月) 木曽川学
一昨日は「木曽川学」2回目に参加できなかった。出発が遅れたのと、交通渋滞に遭ったために開始時間に間に合わなかったのだ。
途中であきらめて、鵜沼手前の「木曽川ロマンチック街道」というところで休憩した。うぐいすが鳴き、川と山の景色が素晴らしいのでお気に入りの場所なのだ。講義を聴くのではなく、その日は実地観察と洒落込んだ。
司馬遼太郎の「世に棲む日日」の中で、吉田松陰が最初の弟子である金子重之助から「どのような方法を用いれば、学を為せるのでしょうか」と質問されて、
「地を離れて人なく、人を離れて事なし。故に人事を論ぜんと欲せば、先ず地理を観よ」
と答えるくだりが印象に残っている。
松陰は人文地理的発想が得意で、人は地理的環境に制約されている。まず地理的環境をくわしくみれば、そこに住む人間集団の大体がわかる。その人間集団ー社会の解明をはなれて、事柄というものは出てこない。ゆえに、社会と社会現象を見ようとすればまず地理からはじめねばならない、という。
そこで、まず「木曽川学」。
これから特に、人文地理的発想でものごとを観ていくことを重視しようと思う。
濃尾平野は私が生まれ育った所ではないけれども、生涯この地で生きることになるので、私の子供達や教えている生徒達のためにも、木曽川流域の地理的環境については学習していきたい。
5月22日(土) 天国のような学校?
昨日愛知県図書館で開催された「学校図書館研究会高校部会総会」の仕事は、参加する予定の尾西北地区図書館関係職員40名に対する膨大な資料の配布と受け付けだった。
以前私の勤務する学校にいて今K校の図書主任をしているSさんがたまたま早く来ていたので、泣きついて受け付け業務を手伝ってもらった。助かった。彼がいなかったら1人でテンテコマイだった。
青森県から来た講演者の話はスゴイものだった。
青森県では、高校の「図書委員」の「研究会」というものを組織して、もう10数年来活動しているというのだ。
何?!学校の「図書委員」を全県からあつめて交流させる?
作家の講演を聴いたり分科会で討論したり「図書館だより」のコンテストをしたり・・・?そんなことは、発想したこともなかった。
Sさんに手伝ってもらって、欠席した8校分の(1人では運びきれない)資料を車で持ち帰った。車内でSさんからいろいろな話を聞いた。
Sさんが勤務するK校は私が14年間いた学校だが、現在は全く別の学校のように様変わりしているようだ。校長が変わって若手の教員を集め、年配の組合員を追い出したところで、すごい管理体制を敷いて、いい生徒を集めたらしい。
現在生徒は格段によくなって、授業は天国のように楽だという。
生徒はどのクラスでもチャイムが鳴れば着席していて、授業の最初に起立、礼して「お願いします」と言い、終わりには「ありがとうございました」と言うらしい。
評定のいい生徒もどんどん入っているので、今までのような易しい数学の考査問題では100点もかなり出るという。
私がいたころには信じられないことだ。
どんどん従順ないい生徒が集まっていて、どんなに管理を厳しくしても素直に従うようである。遅刻も特別指導も少ないらしい。
ああ、そんな生徒を教えてみたいなあ。
今日は各務ヶ原まで、「木曽川学」2回目の講義を聴きに行く。
5月21日(金) 雑用の日日
今調べたいこと。
欧州連合のど真ん中にポツンと孤立して存在しているスイスのこと。
教育基本法の改正問題について、「親米保守派」と「反米保守派」に主張の違いがあるのかどうか。
雑用が一挙に入ってきて、なかなか調べる時間がない。
今日も出張で、愛知県図書館に行く。
暇を見つけて本を捜してみよう。
5月20日(木) パス
昨日出張で甚目寺まで行って、帰宅して寝てしまった。
朝も寝坊。
毎日、出来るだけまとまったことを書こうと思うのだが、体力とキャパシティの限界で、今朝は書けない。
今日、帰宅してから書けるかな・・・
5月19日(水) ヨーロッパ諸国のナショナリズム
先日のNHK「視点論点」にサーラ・スベン(ドイツ日本研究所、人文科学研究部長)という人が登場して、EUとアジアについての話をしていた。以前、私が橋本さんの掲示板に書いたことのある「ナショナリズム」にも言及した内容で、共感できる指摘だった。
彼はこういう表現で語っていた。
「ヨーロッパの経験から東アジアの地域統合の将来を考える時、一番支障を与えるのは、東アジア各国における国家観ではないかという気がします。欧州において国家という概念が戦後ますます相対的になっているのに対して、東アジアにおいて国家というものはいまだに絶対的な存在であるように思います。ヨーロッパでナショナリズム、とりわけ国への忠誠心の強化をねらうナショナリズムに対する疑問が強くなりつつあるのに対して東アジア諸国において近年逆に国への忠誠心、いわゆる愛国心を強化する動きが強まっています。日本でも 教育基本法の改正と憲法改正問題をめぐる論争において 愛国心の人工的な育成を目的とする論者がたくさんいるようです。ヨーロッパでは第二次世界大戦以来、歴史の教訓として、国、ナショナリズム、愛国主義などという思想に対して強い警戒心が浮上し、もはや健康的なナショナリズムというものはあり得ないというのが欧州における一般的な考え方です。このようなナショナリズムに対する疑問こそが現在のヨーロッパのアイデンティティの中核にあると言えます。もちろんサッカーなどの試合に対して国旗を振る人も多いのですが、政治とつながりかねないようなナショナリズム、国家への忠誠心を強化する動きは欧州において疑問視されています。ここに欧州の地域統合が成立した大きな要因があります。」
私が、以前書いた文章を以下にコピー。
<欧州連合についての漠然とした想い>
欧州連合の動きを見ていると、ヨーロッパ各国というのは、ローマ時代以来様々な民族交流を経て国という単位を構築してきた歴史があり、その間に練り上げられ形成された「国家意識」というものは、どうも日本や中国、それから歴史のないアメリカなどとは質の違うものかもしれない、という漠然とした思いがしています。
10カ国があらたに加盟して25ヶ国となった欧州連合。共通の通貨を作り、国境をなくし、やがては憲法をつくって(EUスタンダードというのはそのことか?)、大統領まで選ぼうとしているらしいけれど・・・そうしてヨーロッパが一つの「国」というような形になった時、それぞれの国のアイデンティティとはどのような折り合いがつけられるのでしょうか?
日本人や中国人、アメリカ人のもつナショナリズムとは異質なナショナリズムが、ヨーロッパの国々にはあるのだろうか。
ピーター・フランクルが日本へ来た時、日本には「日本史」と「世界史」の二つの教科があることに驚いた、と書いていたのが忘れられないのです。ヨーロッパの人々にとっては、自国の歴史というのは世界史の中でのみとらえられるものなのでしょう。
EUについて詳しい人、教えてくれませんか。 (コピー終わり)
今度の志談塾では、教育基本法改訂の問題が出されるようだ。
愛国心教育をねらう教育基本法問題を論じる時、こういう欧州諸国のナショナリズムについての考え方と対比することは重要な観点ではないかと思っているので、大いに質問し、学びたいと思っている。
この観点で、具体的な事例など、ご存知の方は教えて下さい。
5月18日(火) クタクタ
図書館研究会地区事務局の仕事について、昨年の担当者から電話で話を聞いた。
地区の研究会は3回やらなければならないという。
今年の1回目の場所抑えと講師依頼を早急にしなければならない。
犬山で行うことを決めた。
すぐ動かなければならない。
今年は教育実習生の指導を引き受けた。
昨日はその打ち合わせがあった。
実習生は4年前の教え子なので、仕方なく引き受けたのだ。
家に帰って、クタクタ。
もう、自分の能力の限界を感じる。
5月17日(月) 図書館研究会の仕事
金曜日に図書館の仕事で愛知県図書館へ出張。今年は私の学校が「図書館研究会」の地区事務局になったというので、校長も一緒だった。
大変な仕事のようだ。
地区の研究会を2回開催しなければならない。40校の図書館関係職員を集めて、講演か鑑賞会か研究発表を計画しなければならない。
まず6月中に1回やらなければならないということを、初めて知った。
そういえば、毎年行事があったが、今年はそれを主催しなければならないのだ。
昨年の事務局であるG校の教員とまだ引継ぎをしていない。
おそらく今年度の計画はしていないと思われるので、場所抑えと内容の決定を早急にしなければならない。
校長が「講師は私が探します」と言った。
それから、10月に行われる愛知県の小中高全部が集まる「学校図書館研究会」を、今年は高校部会が担当するらしいので、受け付けと講師の接待を、私の地区から18名選んで担当しなければならない。
これは大きな大会なので、準備に何度も会合が開かれる。
まず18名に依頼をしなければならない。
地区の研究大会でいきなり切り出して、引き受けてくれるはずもないので、根回しが大変。
校長さんが3年前に係りで動いていた人の名簿の中から2人ほど知っている人がいるというので、まずその人たちに依頼をお願いした。
大きな仕事がどうもその二つらしい。
とにかく、水曜日にG校に出かけて、事務引継ぎをして来なければ、具体的なことがわからない。
先のことを考えると不安になってくるが・・・まず当面やらなければならないことを、ひとつずつ片付けていこう。ちくしょう!やってやるぞ!
5月16日(日) 更新工事中です。
掲示板のリンクがうまく行きません。
メニュー画面で出てくる掲示板に、自分で書き込んでも掲示されない状態です。
でも、こちらが新しい掲示板になるので、前の掲示板に直接リンクされている人は、新しくリンクし直してください。
よろしくお願いします。
4月8日(木) 吉田松陰と語学
佐久間象山(余談・・・サクマショウザンと打ち込んだら象山と出たが、ゾウザンだと造山と出た。私のパソコンではサクマショウザンと読ませたいらしい)を師と仰いで象山塾へ入った吉田松陰は、語学(オランダ語)が不得意だった。
<象山塾は語学塾でもある。せっかく通学しているのに、ことばをおぼえねばならぬと自分を叱りつけてはいるのだが、どうも気が乗らない。・・・頭では重要であると思いながら、気持ちのなかでは、魚河岸の隠語や符牒をおぼえているようで無意味のようにおもわれ、自分が志向している方角に対して直線的にはむすびつかないように思える>
「世に棲む日日」のこの個所を読んで、バケモノみたいな印象の吉田松陰が身近な人間になった。
当時は、外国の進んだ思想、技術を吸収するためには、まず、オランダ語を習得しなければならなかった。語学は学問の土台である。しかし語学が苦手な者だっている。そして、苦手であってもちゃんとシゴトをやり遂げた人間もいる。
吉田松陰は、その典型例として私の頭にインプットされた。
<これ(注・・・オランダ語)をおぼえねば、西洋兵術に達することができないのかと、ときに絶望的な思いになる。これが、松陰の終生の強迫観念になった。のち松陰はオランダ語勉強を自責しつつ放棄し、ようやくこの観念から強引に自分を解放した>
吉田松陰、素晴らしい!
現代の英語コンプレックスに苦しむ私のような人間に、これほど力強い言葉はなかった。
ところで、日曜日の朝日新聞に、刈谷剛彦という人の「英語を子どもに教えるな」(市川力・中公新書ラクレ)という本の紹介があった。私が昔から思っていることが書いてあるようだった。(でも、同じ事を私が言っても、自分が英語をが出来ないからといってそれを正当化するなと言われそうで、言えない)
紹介文にはこうある。
<文部科学省は「英語が使える日本人」の育成をめざし、小学校への英語教育導入の検討を始めた。だが、本書を読むと、それがどんなに危険な政策か、にもかかわらず、英語熱に浮かれた社会の心理がいかなるものかが見えてくる。著者は、アメリカで長年にわたり日本人の子どもを塾で教えてきた経験を持つ。英語に取り囲まれた、一見恵まれた環境のなかでも、子どもをバイリンガルに育てるには、親にも子にも相当の覚悟がいる。少数の例外を除いて、多くの場合は、発音だけはネイティブ並でも、話の中身や考える力は、日本語も英語も中途半端な「セミリンガル」になってしまう。話を組み立てる語彙や思考力が育たないからだ。
日本人の英語によるコミュニケーションの難点は、日本語での論理的な思考力の欠如にあるとの診断も合点がいく。大人たちの英語コンプレックスの裏返しで性急な判断を下す前に、一読すべき一冊である。>
今の日本の英語熱に浮かされた教育体制は、結局「少数の例外」を育てるためにしかならないだろう。そのために「話の中身や考える力は、日本語も英語も中途半端」な日本人を無数に排出することになる。
実際、私が今までに会った「英語のよくできる」人たちにも、考える力とか感性においてはたいした事のない人がたくさんいた。
吉田松陰が、もし語学コンプレックスに負けてオランダ語ばかりやっていたら、明治維新はなかったかもしれない!・・・ああ、何という壮大な仮説だろう。
4月6日(火) 吉田松陰の恋
「世に棲む日日」で、吉田松陰が刑死した。
そこまで読んで、この人物に対して、正直なところ「気持ちが悪い」という感想を持った。
長州という徳川幕府に対する怨念の塊のような藩が密かに作り上げた「純粋培養」の「人造人間」。彼は、「私」というものを完全になくす武士道教育の極致のようなものを肉体的苦痛の恐怖とともに叩き込まれた。ふつうなら潰れてしまいそうなそういう幼少期を通過して成人したこの純粋性のバケモノは、実行動においては全く実効性など考えないような幼稚な面を見せる。
友人との旅行の約束を守るためだけの脱藩。
世界を見たいという情熱にかられた密出国の企て。
獄卒の巧みな誘導にのり、反幕の密議をやすやすと語ってしまっての刑死。
この人物によって明治維新が始まったと言っていいほどの大物なのだが、司馬遼太郎の小説を読む限りでは、「偉い」という印象はなく、「気持ち悪い」という印象が強いのだ。
こんなバケモノのような男には恋愛はないだろう・・・と思い込んでいたが、試しに「吉田松陰の恋」と書き込んで検索してみたら、何と、次のような松陰唯一の恋のエピソードが見つかった。
ヤツも、一応ニンゲンだったか、と思った。
以下、引用させてもらう。
(吉田松陰は)1854年、日本の将来を憂え、来日したアメリカ船に乗り込み、海外雄飛を依頼するも拒否され、囚われの身となります。そして故郷の獄「野山獄」に入れられるのです。高須久子との出会いはそのときのものです。
彼は獄の中で学校を開き、多くの囚人たちや獄卒、はては獄の責任者の侍なども弟子とします。
一時出獄が許されて杉家お預けの身のとき、敷地内に「松下村塾」という学校を開き、萩藩の若者達の多くが学びにきます。わずか1年半ほどの松下村塾ですが、そこからは高杉晋作、久坂玄随、木戸孝允、山県有朋、伊藤博文‥‥と明治維新で活躍するそうそうたるメンバーが巣立ちます。
その後わずか29歳にして吉田松陰は幕府の安政の大獄で処刑されるわけですが、もし松陰なければ明治維新はなかったと言えるくらいその育てた人材の豊富さは目を見張るものがあります。
「維新前夜、一瞬の光芒のごとく時代を駆け抜けた吉田松陰」とよく言われますが、その松陰の唯一の恋人が高須久子だったのです。
秘められた史料、高須久子投獄の真相とは?
この高須久子さんについては長い間詳細がわからなかったようなのです。さきの古川さんの小説でも入獄原因は「姦淫のためでございます」と言わせたりしています。
ところが戦後も昭和60年代になって、当時の裁判資料など新しい史料があきらかになってきました。NHKブックス619「松陰と女囚と明治維新」(田中彰)でそのあたりの詳細が述べられています。またさきのNHK「そのとき歴史は動いた」でも報道されました。
実は高須久子さんは、300石の高須(高洲)家のあととり娘でした。養子に迎えた夫が早くなくなり、寂しさを紛らすために三味線などに興味を覚え、町の三味線弾きなどを度々呼んで家で演奏させていたというのです。
ところがこれが今で言う「被差別部落民」だったわけで、身分制度が明文化されていた封建時代のこと、「武士が被差別部落民と交際するとはけしからん」ということで、元夫の実家などから訴えられて、獄に入れられる身になったというのです。
その裁判史料では、高須久子さんは町の三味線弾きなどについて「すべて平人同様の取り扱い」をしたとたびたび述べておられます。彼女の中に封建時代でも「人はみな人」という平等思想の萌芽のようなものがあったことは疑いはありません。今で言えば人間の平等感、ヒューマニズムに満ちた人であったようです。
松陰の思想に高須久子の影響が!
その高須久子さんの存在が封建時代を打ち破る英雄、吉田松陰にどんな影響を与えたのでしょうか?田中彰氏は書の後書きの中で次のように述べておられます。
「国禁を犯して下田渡海を試み、「自由」を求めて海外へ雄飛しようとした松陰。
封建社会の呪縛がいかに人間の「平等」を奪っているかを痛感する女囚久子。
野山獄で相見えた二人は、獄中と言う閉ざされた世界にあればあるほど、彼らは人間の「自由」と「平等」とをいっそう実感し、共鳴しあう存在であったのではないか。」
たしかにふたりとも、時代より早く生まれすぎたと言えるかもしれません。でもこういう人たちの尊い犠牲の上に、私たちの今生きている時代があると思えば、「高須久子さん、吉田松陰さん、ありがとう」とすなおに言えそうですね。
吉田松陰が幕府の命で再び江戸へ(処刑のため)呼び戻される直前に、その吉田松蔭と高須久子が交わした歌を紹介しておきます。
手のとわぬ 雲に樗(おうち)の 咲く日かな 久子
箱根山越すとき汗のい出やせん 君を思ひて ふき清めてん 松蔭
一声を いかで忘れん 郭公(ほととぎす) 松蔭
(引用終わり)
3月29日(月)
「世に棲む日日」に描かれた吉田松陰
司馬遼太郎の「世に棲む日日」を読み進んでいる。
今、吉田松陰が下田でアメリカ船に乗り込もうとして失敗し、自首して、江戸伝馬町の獄に入れられ、その後、長州萩城下の野山にある獄に移されたところ。
伊豆下田でのあきれ返るほど無計画な密出国のエピソードは、去年、娘の下宿に泊まって下田に遊びに行ってきたこともあって、とても面白く読んだ。
ここまで読んだ中で、司馬遼太郎が描いた吉田松陰の生き方、思想、性格、感性の質について、私にとって興味深かった個所をいくつか引用してみる。
<松陰にはときに少年にすらある処世の知恵とか処世の損得感覚というものがまるで欠けていた。ふしぎな性格というより、そういうことを人間思うべきでないという断乎とした精神が、幼少のころから恐怖をもって作られてきている。叔父であり、師匠でもある玉木文之進が、文之進の講義中松陰が無意識に顔の痒みをかいたというので死ぬほどになぐった。痒みをかくというのは私情の満足であり、諸悪のもとである、と叔父はいったが、松陰は肉体の恐怖をもってそれを知らされている。いかなる場合でもおのれ一個のことを考えないということが、ほとんど習慣のようになっていた>
<松陰は、狂がすきであった。人間の価値の基準を、狂であるか狂でないか、そういうところに置くくせが松陰にはあった>
<かれは攘夷家であった。しかしながら他の攘夷家のように、日本国土に宗教的神聖さがあるとし、かれら墨夷の靴によってその神聖国土が汚されるといったふうの情念のようなものはあまりもっていなかった。かれの攘夷は、奇妙なほどに男性的であった。
おおかたの攘夷は、日本人の対外感情の通性がそうであるように、女性的であった。松陰は、ちがっている。海をこえてやってきた豪傑どもと、日本武士が武士の誇りのもとに立ち上がり、刃をかざして大決闘を演ずるというふうの攘夷であった。このため敵を豪傑として尊敬するところが松陰にはある>
<松陰は少年のころから、論語がもっているあの老人くささ、分別くささがどうもおのれの肌にそぐわないと思ってきた。・・・孔子などよりも、その百年後の後継者と自称する孟子のほうがはるかに好きであった。乱世のなかを孤客としてゆく孟子の劇的な行動性、雄弁、論理性、そして「千万人トイヘドモワレユカン」というあの気概を松陰は愛した。「孟子」は革命の書になりうる。しかし「論語」は、読みようによっては世渡りの安全をねがう書に堕しがちではないか>
<(学問の方法を訊ねられて)「地を離れて人なく、人を離れて事なし。故に人事を論ぜんと欲せば、先ず地理を観よ」
人は地理的環境に制約されている。まず地理的環境をくわしくみれば、そこに住む人間集団の大体がわかる。その人間集団、社会の解明をはなれて、事柄というものは出てこない。ゆえに、社会と社会現象を見ようとすればまず地理からはじめねばならない>
<「人生において大事をなさんとする者は、和気がなければなりませぬ。温然たること、婦人、好女のごとし」
松陰の好きな言葉である。婦人、好女のようにおだやかな人柄をもつことにおいてはじめて気魄を養うことができる。
言葉つき丁寧にして声低からざれば、大気魄は出ずるものにあらず。
と、松陰は言った。>
<(伝馬町の牢内で)この連中を前に、この種の硬質な内容のはなしを一時間にわたって説き、しかも咳ひとつさえさせずに傾聴させたというから、松陰のその才能は、まず「はなし」にあるらしい。さらには囚人をして講説にひき入れしめたこの若者の人柄そのものの魅力もあったであろう>
3月27日(土) 吉田松陰の脱藩
司馬遼太郎の長編小説「世に棲む日日」の書き出しは
「長州の人間のことを書きたいと思う」
となっている。
常に作者が文中に登場して講釈をしていくという、人物エッセイのような、伝記のような小説で、主人公は吉田松陰。後、高杉晋作が登場してくるらしい。
長州藩という、関が原で敗れて250年間、徳川幕府打倒の精神を持ちつづけていた藩が組織を上げて作り上げた「純粋培養」のような人物が吉田松陰。
そして、彼の精神を受け継いで、実際の行動で長州藩を動かしたのが高杉晋作。
明治維新の原動力となった彼らを生んだ長州という藩の特徴を書いているところに、興味深い記述があった。
9月6日(月) 浅間山の噴火とヤクザ
8月の最後に長野の友達夫婦と一緒に草津温泉、志賀高原、湯布院をめぐる旅行をした。途中、浅間山のすぐ近くの国道沿いで、取れたてのレタスやトウモロコシを安く買った。その旅行の3日後に、浅間山が噴火したというニュースが流れた。
私たちがドライブした道路が封鎖されていて、レタスやトウモロコシを買った農家あたりの畑が火山灰で全滅している映像が流れた。噴火の時期が少し早まっていたら私たちも現場にいた可能性があったと知って本当に驚いた。
浅間山噴火と聞いた時、即座に思い出したのは、愛読している歴史コミック「風雲児たち」の一節だった。それは、上州(群馬)一帯にヤクザ者が多数群がり出た原因の一つとして関八州の地形と浅間山噴火が関係しているという次のような説明の箇所であった。
<上州は、信州(長野)と武州(埼玉)に接し、さらにすぐ南に甲州(山梨)が位置している。国境がつながっているので、おたずね者は役人に追いかけられても隣の藩に逃げ込めばそれ以上追及されない(もっとも徳川幕府はその対策として関八州見回りというアメリカの連邦警察FBIのようなものを作り出したが)。そこで、もともと多くのヤクザ者が集まっていたのがこの一帯であった。
そこに、天明の頃、浅間山の大噴火が起こった。その結果、関東一円、特に上州一帯の作物は全滅し、以後、米のとれない火山灰地となってしまった。
そこで、百姓は米づくりをやめ、やせた土地でも育つ桑を植え始めた。上州は桑畑に変貌し、当然養蚕が始まる。上州は絹の産地となって機織りが仕事となり、それは女の仕事なので、男はヒマが増える。しかも絹を売って生活するようになると金が生活の中心となり、絹相場の変動で思いがけなく儲けたりする農家も出てくる。
不安定な生活におかれたヒマのある男が小銭を手に入れると・・・バクチに手を出すことになる。そこで、そういうカモになる男を目当てに賭場が栄え、そのためにますます博打打ちが集まるようになった。>
というわけで、江戸末期から明治にいたるまで、この上州をはじめとする関八州から大前田英五郎、国定忠治、笹川繁蔵、清水次郎長などのおびただしい侠客、博徒が群がり出た原因の一つが、浅間山の噴火だったというのだ。
「風雲児たち」の記述は史実に基づいたしっかりしたものであると信じているし、これは実に面白い話なので、9月の授業の導入に使った。
9月5日(日) 日本人の倫理観 (3)
黒沢明はその時代劇作品において、「信」という、武士道にあってはあくまでも傍系の徳目であったものを全面に押しだした。「忠義」を核とする封建社会のものであった武士道の中の「信」の美学を、民主主義社会における倫理としてリニューアルした。
考えてみれば「信」は本来対等な人間関係(つまり横の人間関係)において重んじられるものであって、封建時代の主従関係(縦の人間関係)において二次的なものにすぎないのは自然なことであった。戦後は横の人間関係が重視される社会となったのだ。その社会の倫理観として、「信」の徳目が強調されたのも当然だったのである。
ハリウッド映画「ラスト・サムライ」がきっかけとなって武士道ブームが起こったというが、私はこの映画を黒沢明の「七人の侍」と比較し、そのありきたりな「忠義」重視のお話作りの姿勢に幻滅した。この映画からは封建社会の美学を懐古することしかできないのに、多くの日本人はそれを賛美していた。武士道ブームというのなら、どうして「七人の侍」が再認識されないのかと思った。日本人の倫理観を武士道の美学を継承して再構成するために「七人の侍」ほど適した作品は他にないのだが・・・私は悲しい気持ちでブームを眺めていた。
人類の普遍的な思想を確立したギリシャ人は、「生」の要素として「真善美」というものを説いた。文芸作品においてもこの3要素は調和されていることが理想であろう。
しかし、現実に存在する作品には、「美」と「真」に偏ったものが多く見受けられ、「善」が重視される作品には高く評価されるものが少ないように思われる(特に「善」を意識して教訓の押しつけとなるような作品が多かった)。そのような中で、この3要素が十全なバランスで描かれていて、しかもこの中の「善」を特に重視し、偉大な作品を残した日本の作家がいたのだ。
私は、特に3人の文芸、映画作家をあげたいと思う。
その3人とは、宮沢賢治と黒沢明と宮崎駿(山本周五郎、夏目漱石、山田洋次をその次に入れたい)。そして、その中の第一に挙げたい人物は、宮沢賢治である。
宮沢賢治は、創作の動機自体が文芸作品によって人々に「法華経」の教えを広めることであった。農業指導者でもあった彼の科学的見識と、詩人としての才能が、その誠実な創作動機のために娯楽的要素もしっかり加味されて、類い希な「善」の文芸作品を生むこととなった。彼の作品がどれだけ人々の心をとらえていたかは、宮沢賢治の生誕100年記念の催しを思い出してもわかるだろう。それは、他の有名な文豪の記念行事をはるかに圧倒するようなものであった。
ところで、なぜこの3人なのか・・・
それは、この3人(次席の3人を入れれば6人)に共通する特徴を考えれば分かるだろう。それは、大衆性、娯楽性があるということ、何よりも、分かりやすいという要素が入っているということである。そして現実的に、圧倒的多数の日本人が彼らの作品に魅せられて、「善」(誠実さ)の感覚において影響を受けているということである。私は、日本人の倫理観を強化する方法としては、エンターテインメントの作品に「善」(誠実さ)の感覚を含ませ、その「楽しさ」で広く人々に影響を与えることが最も効果的ではないかと思っているのである。
<ここで余談。ギリシャ人の考えた「真善美」の3要素は見事なものであり、私もそのとおりだと思う。しかし、現実的具体的な世界でのこの要素の機能面を考えたとき、私には一つ付け加えたい要素がある。それは「楽」という要素である。だが、もちろんこれを3要素に並列的に加えようというのではない。私の感覚では「真」というのは、まさに「真理」ということばで使われるように、原理の根元に位置するものであって、他とはやや次元を異にするものではないかと思うのだ。つまり、「真」が根元にあって、その下に「善美楽」が位置すると考えたいのだ。「真と結びついた善美楽」の満たされたものこそ、真に人々に受け入れられるものとなるのではないだろうか。「真善美」が満たされていたものであっても、それが「楽しい」ものでなければ多くの人々に受け入れられるものではないと思うのである。宮沢賢治、黒沢明、宮崎駿の3人は、「楽」の要素がこもっていた面で、他を圧倒する影響力を持ち得たと思うのである>
9月4日(土) 日本人の倫理観 (2)
まだ映画が娯楽の王様として日本人に親しまれていた時、娯楽映画の中に教育的要素をしっかり含ませることに成功した偉大な映画作家がいた。黒沢明である。
彼の映画にすべて<教育的>なものが含まれているという指摘は一般的である。
しかし、その<教育的>要素が、<面白さ>の中にこれほどうまく含み込まれた例は(唯一、宮崎駿を除いて)ないと私は思っている。
司馬遼太郎が指摘したように、日本人が持ち続けていた美意識としての「かっこよさ」は、武士道精神として生き続けていた。黒沢明は、そういう日本人の美意識を見定めた上で、それを元とする「倫理観」を、戦後の時代に合わせたような形でいわばリニューアルしたと私は思っている。なぜなら、黒沢明の描く武士、あるいは武士道なるものは、本来の日本の武士あるいは武士道なるものとかなり違うからである。
用心棒にしても椿三十郎にしても七人の侍にしても、そこに描かれている武士は、非常に個人主義的で、忠義というようなものに縛られているような人物ではない(七人の侍の七郎次は例外的だが)のだ。
これは、かつて「武士道のリニューアル」で細かく分析したことだが、日本の武士道なるものの中心徳目は「忠義」であって、「信」ではないのである(新渡戸稲造の「武士道」に「信」の徳目が取りあげられていない)。これは大きな特色だと私は思っている。だから、ハリウッドが映画化した「ラスト・サムライ」は、主人公の「かっこよさ」を明治天皇に対する忠義の姿を中心に据えて描いていた。政府軍に反旗を翻した勝元(渡辺謙)は天皇を操る悪い側近に対抗するのであって、それこそが天皇に忠義を尽くす行為だと信じている。勝元軍に参加するアメリカ人のネイサン(トム・クルーズ)も、ラストで戦死した勝元の剣を明治天皇に献上し、もし我らを逆賊とするなら自分にも死罪をと申し出る。
そこには確かに勝元とネイサンの友情、信頼の関係が描かれてはいるが、映画全体が強く訴えている<最後の武士>の「かっこよさ」とは、勝元の(そして笑ってしまうが、アメリカ人のネイサンにも伝染している)天皇への忠義を貫くという姿なのだ。
しかし、黒沢明の描く武士、武士道の世界は、そういうものでは全くなかった。
「忠義」心などはまったくなく、組織に属することを嫌い、自分の強さだけを頼りに個として生きている素浪人が用心棒、椿三十郎の主人公であった。七人の侍の主人公勘兵衛にしても、かつては殿様に仕えた忠義者であったかもしれないが、登場した時はそういう世界から脱している個としての武士であった。彼らの「かっこよさ」は忠義によって行動するところにはなく、弱い者を助け、悪を憎むというところから出ている。そして、そこで描かれている最大の徳目といえるものは、虐げられている者、弱き者、を仲間とする、信頼関係、つまり「信」なのである。 (つづく)
9月3日(金) 日本人の倫理観 (1)
司馬遼太郎とドナルド・キーンの対談をまとめた「日本人と日本文化」(中公新書)を再読してみると、全8章のうち2章が正・続の「日本人のモラル」という小見出しだった。
2人はそこで、日本人の倫理観についてなかなか鋭い指摘をしている。
日本にどうして犯罪が少ないかについて、2人は次のような見解を述べていた。
(司馬)「カッコいいということは鎌倉の武士からすでにあった。戦場に出て敵にうしろを見せたらカッコ悪い、だから逃げるなとか、それは要するにモラルではなくて、美意識でしょう。美意識という言葉はあたるかどうか知りませんけれど、ことばがないので、美意識といいます。その美意識みたいなものだけで社会がずっと保っていた国というのは、日本だけしかないんじゃないか。いまでも犯罪率が比較的少なくて、ひじょうに後進国的ですよ。犯罪が少ないというのは、犯罪はカッコ悪いからです」
(キーン)「外国の場合は、犯人はまず否定する。自白しないですね。しまいに自白するにしても、くやしそうにムッとした顔をして、申し訳ないとは絶対に言わないでしょう。日本では、どんなに凶悪な殺人、強盗、誘拐をやったような人非人みたいな存在でも、新聞によると、まったく儒教的なことばで自分の犯罪を認めて、悪かったというようなことを言うらしい。それは神にたいする罪悪感じゃない。社会にたいする罪悪感ですね」
(司馬)「社会というより世間ですね」
(キーン)「そう、世間です。世間の哲学はどういう哲学かというと、儒学でしょう。私だって、日本人がみんなまじめに孔子さまか孟子さまを勉強して、そのためにみんな儒者になったとは思ってないのですが、しかし、たとえば歌舞伎を見ながら、なんとなくその思想を吸い込んだ、ということはあったと思うのです。たとえば近松の人形浄瑠璃を見て、主として心中物のことですけれども、なんとなく自分の思想として吸収したのではないでしょうか」
(司馬)「そういう世間の基準みたいなものがあって、それに対して恥ずかしいと、その基準というのは儒学的なものだと、これはわかりました」
(キーン)「義理人情ということばがありますけれど、これは仏教のことばでもないし、神道のことばでもない。べつに美学的なことばでもないですが、言ってみれば儒学的なことばでしょう。そしてもし近松の悲劇が義理人情の悲劇だとすれば、その芝居を見た人たちは、なんとなくそういう倫理的な思想を自分のものとして信じたんじゃないかとぼくは思います」
日本の犯罪の少なさの原因を、日本人の美意識と芝居などで刷り込まれた儒学的な世間の基準というところに見ている2人の意見は面白い。
私もこの2つの要素は間違いなくあると思う。しかし、戦後アメリカに支配されて以後の日本にこれらが徐々になくなってきていることをひしひしと感じるのだ。「犯罪がカッコ悪い」という感覚が、ハリウッド映画や暴力礼賛コミックによるカッコいい犯罪者たちの活躍によって、特に若い世代には薄れているように感じてならない。日本人の美意識自体がアメリカによって変えられているように思う。
「世間」というよく指摘されるものも、日本人のモラルを支える力を失っているように思う。「世間」に対する過剰な意識は、日本人の自立性を損わせている要素として否定的に論じられることが多かったが、「恥じらい」の感覚を持たせてそれが犯罪行為を抑止していた面は確かにあった。この日本人の「世間」意識が薄れていったのも、アメリカのライフスタイルの影響である。「アメリカの悪い面だけを選びに選んで真似ている」(私が好んで使っていることば)日本人は、「世間」意識をなくすことで必ずしも自立してきたわけではなく、ただ「恥じらい」の感覚だけを失ってきているように思う。
ドナルド・キーン氏の指摘している、歌舞伎などによって「何となくその思想を吸い込んだ」ということばも重要だと思った。
私は、メディアリテラシーの最も重要な面は、そういう「感性」が、とくに娯楽作品によって人々に刷り込まれることだと思っている。江戸時代には歌舞伎や読本であったものが、今は映画やドラマやコミックとなって、学校教育でのすり込みなどほとんど効果がないほど大きな影響を与え続けているのである。
9月1日(水) 純粋を善とする日本人
「蛇にピアス」評価の背景
SM変態性欲者の三角関係を直接的な描写で綴った金原ひとみの芥川賞受賞小説「蛇にピアス」が評価される背景に、純愛を善とするような日本人の倫理観があるのではないか、と思う。
この小説を女子高校生などがかなり読んでいる理由は、単にグロテスクでポルノチックなおぞましい変態性欲世界を覗いてみたいという興味だけでなく、その中にうまくはめこまれた純愛のドラマに素直に感動しているという面があるからのように思う。
そのことを少し考えてみたい。
私もこの小説については、以前、次のような観点で、その内容の一部分を評価した文章を書いた。
≪この小説は、病的な特殊性を描いただけのものではない。<マゾの体質>を持つ「私」と<サドの体質>を持つシバが、純愛の世界に踏み出すことによって、(わずかではあっても)そのマゾやサドの体質と格闘し始めていく姿が描かれているのである。この作品が抽象化した<哀しみ>は、そのような「生」の動きの中に漂っているものである。私は、この作品が単なるSM風俗を描いたポルノ小説を超えるものとなっているのは、そのためだろうと思っている。≫
この小説には確かに純愛が描かれている。それは哀しく、美しい描き方だ。
しかしラストは、その純愛が、明らかに殺人者であるサド体質の恋人をひたすら信じてついていこうとするようなかたちで描かれていくのだ。そして読者は、その哀しく、美しい描き方によって感動し、主人公を許してしまう。
日本人の民族的体質ともいえる「清らかさ」志向が、ここにも色濃く漂っているといえるのではないか。原始的な神道思想というのは、要するに汚れを清めるということだけである。清らかなものが善いもので、汚れたものが悪いものだといいうことである。だから、祓い清めれば、悪も善となる。汚職した政治家が「みそぎ」をすれば許されるという感覚は、原始神道から続いている日本人の体質である。「悪い奴」は単に「汚い奴」なのだ。
この清らかさは「真心」ということにもなる。そして「真心」こそが至上のものであったことは、例えば吉田松陰の同士を批判した有名な言葉「その分かれる所は僕は忠義をする積もり、諸友は功業をなす積もり」にもうかがえるように、自己の主観的「誠意」だけを最大の問題とする武士道の伝統の中に受け継がれていく。そしてそれは、近代になっても、例えば226事件を起こした青年将校たちの「純粋」さ(真心)が語り継がれるように、日本人の「倫理観」の背景に漂い続けてきたのである。(三島由紀夫は、無私無欲な者がかくも反乱を起こす国は、日本をおいて他にない、と言っている)
つまり、清らかさ、真心、純粋さ、が善なのである。
だから、どんなに汚れた、おぞましい行為であっても、その人物の心が清らかで真心からでたものでありさえすれば(純粋でありさえすれば)、それは善い行為というように「感じ」られるのだ。
優れた芸術作品というものは「真善美」の要素がそろっているものであるはずだ。
「蛇にピアス」というおぞましい純愛小説には、確かに人間の「真」と「美」は描かれていた。だが、普通のとらえ方ではとても「善」の要素が含まれているとは思えない。しかし、「純粋さ」が善であるとする日本人の感覚からすれば、そこには「善」の要素も入ってしまうのである。あまりにも異常なアイテムについていけない「健康的」な人には読了できない作品ではあっても(事実私の周辺の年輩教員には読めない人が多かった)、もし読み通すことさえできれば、マゾヒスト主人公の異常な体質と行動の中に、「純粋」という「善」なる要素が浮かび上がってくる仕組みとなっているのだ。そして、そうなればそれまでの目をそむけたくなるようなSM変態性欲のグロテスクな描写は浄化され、それらが美しい純愛のイメージを強化するものとのみとらえられるようになる。
「蛇にピアス」が評価され、広く読者にも受け入れられた背景には、そのような理由があるように思う。
8月27日(金) 「空海」 (4)
<救済>の宗教と<癒し>の宗教
「空海の風景」上巻に、筆者が四国八十八カ所の内の二十三番札所を訪れる場面がある。その時、彼は次のような感想を持つ。
「日和佐に入ると、医王山薬師寺はちょうど縁日であった。石段を厄年の男女が織るように上下しており、登る者は一段のぼるごとに一枚ずつ一円アルミ硬貨をおとしてゆく。歳の数だけ落とすのだというが、異様な光景であった。・・・空海という、日本史上もっとも形而上的な思考を持ち、それを一分のくるいもなく論理化する構成力に長けた観念主義者が、そのどういう部分でこのようなひとびとの俗願とむすびついているのであろう。しかも空海没後千二百年を経てなおこれらの人の群を石段の上へひきあげつづけているのは空海の何がそうさせるのか・・・」
「空海の風景」は、司馬遼太郎という人物がこの素朴な疑問に答えようとした作品であった。しかし私は、作品本文を精読して空海の事績や密教についての知識は得たが、その中に答えを読みとることはできなかった。ただ最後に、異例とも言えるほど長い筆者の「あとがき」を読んで、その中にヒントがあることに気づいた。
「空海は私には遠い存在であったし、その遠さは、彼がかつて地球上の住人だったということすら時に感じがたいほどの距離感である」
「日本の思想史上、密教的なものをもっともきらい、純粋に非密教的な場をつくりあげた親鸞の平明さのほうがもっと好きになっていた」
「私は空海全集を読んでいる同時期に<坂の上の雲>という作品の下調べに熱中していた。この日本の明治期の事象をあつかった作品はどうにもならぬほどに具体的世界のもので、具体的な事物や日時、具体的な状況、あるいは条件を一つでも外しては積木そのものが崩れてしまうといったような作業で、調べてゆくとおもしろくはあったが、しかし具体的事象や事実との鼻のつきあわせというのはときに索然としてきて、形而上的なもの、あるいは真実という本来大ウソであるかもしれないきわどいものへのあこがれや渇きがこうじてきて、やりきれなくなった。そのことは、空海全集を読むことで癒された。むしろ右の心理的事情があるがために、空海は私にとって、かつてなかったほどに近くなった。なんとなく空海が皮膚で感じられたような錯覚があり、この錯覚を私なりに追っかけてみたいような衝動に駆られた」
私は、特に最後に引用した箇所の「空海全集を読むことで癒された」という表現に注目した。
ひょっとしたら空海は<癒し>系の宗教家といえるのではないかと思った。
これと対照的な形で人々を<救済>した最大の宗教家が親鸞だったのではないか。
浄土真宗は<救済>系の宗教、真言宗は<癒し>系の宗教といえるのではないか。
<救済>系の宗教は、悩みに対して直接的な救いの手をさしのべる。阿弥陀仏というかなり具体的存在感のある仏にすべてまかせよと説く浄土(真)宗や、空という人生の実相を自力で体得せよと説く禅宗など、救済の方法は逆であっても直接的であるということでは共通している。それに対して、<癒し>系の宗教は深刻な悩みに対して直接的な形で答えるものではない。ただ、その大きな存在のそばにいる、あるいは包まれているという感覚を与えることによって、救いをもたらす。したがって、救いをもたらす存在は、とてつもなく大きく、抽象的で、遠いかなたの存在である。しかし、その宇宙的な世界に身をまかせさえすれば、その存在は一挙に身近になる。空海の世界はそのような<癒し>の世界ではないだろうか、遠大な存在である反面そこに飛び込んでくる人たちを親しく「同行二人」として包み込む世界なのではないだろうか。
さらに、この<癒し>系の宗教は、日本の神道にもあてはまるように私は感じた。
神道には<救済>の面がいっさいない。私はかねがね神道という、一応宗教であるものの徹底した<救済のなさ>にあきれはてるような感想をもっていたが、この<癒し>系という観点でとらえると、この宗教の特質が理解できるように思うようになった。
神道は、汚れを<清める>ということがすべてのような宗教である。考えてみれば、この<清める>ということは、様々な苦しみに直接こたえるかたちではなく、清浄な環境に身を置くことで心を<癒す>という救いではないか。四国八十八カ所巡りに人々が引きつけられる心情は、お伊勢参りに人々が引きつけられる心情と類似したものがあるのではないか。(ただ、同じ<癒し>系ではあっても、巡礼の方がはるかに人々の心を<救う>面は強いと思うが)
密教の世界も、神道の世界も、「どうにもならぬほどに具体的」な世界を生きなければならない人々が、時に具体を離れ、はるかな抽象の世界に身を置くことで心を<癒す>という方法で、人々を救ってきたのではないだろうか。
だからこそ、これらは「直接的」な「平明」な宗教とは別の形で、人々の心に深く結びついているのだろうと、私は今、思っている。
8月24日(火) 「空海」 (3)
空海の「大日如来」や親鸞の「阿弥陀如来」は、一神教的ではないかという私の質問に対して、敬愛する友人の橋本さんが、次のように答えてくれた。
<一神教とは唯一の絶対神しか認めないという排他的宗教です。これはすべてを包容する空海の思想の対極にあるものです。空海は太陽神である大日如来を最高の仏様だとは考えましたが、他仏や神々を否定してはいません。何を最高神と考えるかということは、裏返せば、多くの神々を前提にしていることで、一神教ではありません>
<空海のすばらしいことは、即身成仏です。森羅万象すべてがそのまま仏になることが出来るという宗教が、一神教であるわけはありません。もっとも哲学的は「すべてのものは一つである」という汎神論的な解釈がなりたちます。しかしこれを一神教とよぶことは出来ないと思います>
目が覚めるような思いがした。
この説明を読んで、今までずっと自分が一神教というものを本当は理解していなかったことに気づいた。大日如来(阿弥陀如来も)は、一神教の神とは対極にあるものだった。
その時、ずっと気になっていた文章の一節を思い出した。山崎正和の「劇的なる精神」の中の一節である。ファイルから探し出せたので、引用する。
「エジプト人の抽象性が彼らを不定形の世界の曖昧さから救ったように、少なくとも一面では、日本人は自然によって想像の無限地獄から救われてきたに違いない。西洋世界の神というものが想像力の極頂の産物であったとするならば、私たちの自然は想像力の克己的な遮断の産物であったといえはすまいか。思えば日本人は、想像力の過剰の恐ろしさを、いうならば神を産み出すことの恐ろしさを、本能的に知っていた唯一の国民なのかもしれないのである。」
この文章は、西洋世界の神が「想像力の過剰」によって産み出されたものであって、日本人だけがその「恐ろしさ」を「本能的に」知っていたゆえに、「自然」の力を借りて、「想像力の克己的な遮断」を行ってきた・・・・ということである。
その「恐ろしい」西洋の神とは、もちろん一神教の神であろう。山崎氏は、一神教の神を産み出した「想像力」を「過剰」な「無限地獄」だと言っているわけだ。
橋本さんと山崎氏の説明を重ね合わせて、私がたどり着いた結論はこうである。
空海の発掘した(久米寺で見つけた「大日経」による)「大日如来」は、日本の山と森という「自然」としっかり結びついていた空海の体質によって、彼の思想の中心に置かれることになったに違いない。そのため、彼の構築した「密教」の世界は、自然そのものと言ってもいい日本の神道と習合していった。そして、「自然」の力を借りて「想像力の克己的な遮断」がされていったがために、人々の間に広まり、四国八十八寺の巡礼といったかたちなどで今でも親しく信仰されている。また、大日如来は、奈良の大仏という形で具象化されて生き続け、弘法大師その人は、如来さんと重なる形で巡礼の人々の間に「同行二人」という言葉を生み出したりもしたのである。
「空海の風景」上巻に、空海が大日経とであうくだりが解説されている。
「大日経にあって毘る遮那仏(思想上の存在。簡単に言えば宇宙の原理そのもの)は華厳のそれと本質はおなじながらさらにより一層宇宙に偏在しきってゆく雄こんな機能として登場している。というだけでなく、人間に対し単に宇宙の塵であることから脱して法によって即身成仏する可能性もひらかれると説く。同時に、人間が大日如来の応身としての諸仏、諸菩薩と交感するとき、かれらのもつ力を借用しうるとまで力強く説いているのである。空海がもとめていたのは、特にこの後者ー即身成仏の可能性と、諸仏、諸菩薩と交感してそこから利益を引き出すという法ーであった」
この大日経と出会って、空海の思想ははっきりと方向づけられる。
そして、大日経をよむだけではどうしても不明な点、仏と交感してそこから利益を引き出す方法である「真言」と「所作」については、サンスクリット語で書かれていて、所作の実際の動きは文章からだけではわからないと悟る。
そのために、彼は唐に行くことを決意する。
栄達のためでも、長安の文明へのあこがれでもなく、ただ大日経の不明な点を明かしたいというだけで唐へ行こうというような人物は空海以外にいなかった、と司馬さんは強調している。
かくして唐にわたった空海は、密教の奥義を、わずか数ヶ月で、余命わずかな恵果からすべて学ぶことになった。
8月23日(月) 「空海」 (2)
空海のことを勉強してきて、少しずつこの人物の大きさが分かってきた。
一つは、彼が大陸の「文明」である仏教を日本の民族的な思想、文化(生活形態)と結びつけ、神仏習合の基礎的なものを確立した最大の功労者だろうということである。
神道というのは、教祖によって成立したものではなく、日本列島という自然環境の中で自然発生的に成立した「民族宗教」である。それは、やがて神社によって祭礼儀式が組織的に行われる「神社神道」として成立していくが、最初は家の前に神様を祭るとか、大木に注連縄をつけてその生命力を崇めるとかいう民間個々による「民俗神道」であって、具体的な自然と密着している文化ということだけであった。長い間、そこから普遍的要素が抽出され、思想が意識化され(つまり「文明化」され)ていくということはなかった。
仏教が渡来して、そういう神道の中に「意識化」が始まった。
仏教の「普遍的」要素をもっともよく理解し、それを鎮護国家の思想的土台として日本に導入したのは聖徳太子であるが、そのころはまだ、神仏が習合するという形にまではならなかった。
「魂」の存在を信じ、あくまで具体の世界に生き、現世利益的な日本人の性情と、農耕生活を通して染みついている素朴な自然崇拝の「神道文化」に、仏教の普遍的要素を結びつけたのは、桓武天皇によって唐への留学を許可された最澄と空海であった。
最澄は法華経を中心とする論理性の高い哲学的な仏教思想を持ち帰る。いわば「大学」のもとのような天台宗を開く。根拠地は比叡山。
しかし、どちらかというと日本人の性情、神道の文化に、「好み」として合致したのは空海の持ち帰った密教の方だった。
密教の護摩の儀式(病気や災害をのがれる「息災」、現世利益の「増益」、敵を呪い滅ぼす「調伏」)は、当時の貴族好みだったらしい。空海は「宇宙の原理」のようなところから発想する珍しい人物だったようで、国家や民族といった単位を超えた発想で仏教の布教を目指したようだが、したたかな男でもあって、鎮護国家的な次元ですでに密教の一部(雑密という)が貴族の間にブームとなっていることを利用し、当時の最高権力者、嵯峨天皇と親しくなって、のし上がっていく。彼は自分の仏教を唯一の「真言」であるとして「真言宗」を開く。根拠地として、比叡山に対抗する地で山頂に平面がある高野山を選び、その森の中に「宗教都市」(司馬遼太郎の言葉。「都市」は「文明」と読みかえることができる)のごとき壮麗な寺院を建設する。
彼の、具体的な悩みを「護摩」という呪術的な儀式をもちいて<一挙に抽象化する>という手法は、当時の日本人の「悪霊」信仰(神道の信仰)に合致した手法だったのではないか。やがて、神仏習合ということが意識的に起こってくる(私はそれは「神道の文明化」と考えている)。その中で「真言宗」とむすびついた「両部神道」が、真言宗の一宗派を離れて、一般的な本地垂迹神道の呼び名として使われるようになるのである。(「日本がわかる思想入門」<長尾剛>参照)
私は、空海はこのように「神道」と「仏教」を結びつける(日本文化と世界文明を結びつける)土台を作ったように考える。
そしてもう一つ、仏教の中に一神教的な要素を導入した最初の人物ではないかと思う。
荒野の宗教である一神教については、橋本HPが詳細な分析を行って、
<現代における宗教の可能性は、肯定神学といっていい<緑の神学>に立ち戻ることによってはじまるのではないだろうか>
という久保田展弘さんの「荒野の宗教、緑の宗教」の主張を紹介している。
私もそれには共鳴するが、一方で、一神教的なものは人類にとって強烈な力を持ち続けるものであって、そう簡単には改良されることはないと考えている。
それは<緑の宗教>であるはずの日本の中にも大きく存在している。
そのことを、次回、考えてみたい。
8月21日(土)
「ゴシップ的日本語論」の驚くべき記述
これは驚くべき記述だった。あんまり衝撃的だったので、「空海」のことを書くのをお休みにして、その記述を紹介したい。
その記述とは、丸谷才一著「ゴシップ的日本語論」の冒頭の一部。2000年に刊行されたハーバート・P・ビックス「ヒロヒトと近代日本の形成」と、2002年に刊行された鳥居民の昭和二十年」という二つの本が指摘している、昭和天皇の言語能力に関する記述の紹介である。(わざわざ刊行年を書いたのは、両書が当然、昭和天皇没後かなりたってから出たものであることを示すため)
まず、大正8年3月に「時事新聞」に載ったという記事「過保護で閉鎖的な御学問所といふ社会のせいで、皇太子はほとんど人前で話すことができず」が紹介される。(こんな記事が出せたということも私には驚きだったが)5月8日におこなわれた1300人を招いての大祝賀宴で、皇太子は挨拶せず、参会者の祝辞に答えもしなかったという。
このことを立腹した前学習院院長の三浦が、東宮大夫に向かって「殿下がお話できないのは君の責任だ」と詰め寄ったという。山県有朋が皇太子に拝謁した時の印象を語った言葉「あたかも石地蔵の如き御態度」というのもすごい。山県の質問に皇太子は何も答えることができなかったらしい。
こういう皇太子が育った背景には、明治天皇型の威厳ある神々しい帝王を空想的に思い描いて、臣下に向かって威圧的に語る、寡黙な君主にしたてあげようとした宮内省の姿勢があったと丸谷は書く。
そんな皇太子が昭和天皇になった。丸谷は、鳥居民の本を要約するようなかたちで、次々と天皇の<悲惨な>状態を記述する。
「その結果、昭和天皇は、何を語っても言葉が足りないし、使ふ用語は適切を欠き、語尾がはっきりしなくて、論旨の方向が不明なことを述べる方になった」
「文明国ならば、たいていの国の元首は(社交することによって情報を得たりすることを)やっている。ところが昭和天皇の場合は、少なくとも戦前はそういう習慣はまったくなかった。・・・愉快な話をするとか、冗談を言うとか、一対一で食事をするなどということは全くなかったらしい。他人との親密なコミュニケーションという経験は一度もなかった。」
「昭和天皇は、この孤立した生き方のせいで、そしてコミュニケーションの不足によりいよいよひどくなる言語能力の低さのせいで、情報が手にはいらなかった。ご自分の意見を首相とか参謀総長とか軍令部総長とかに伝えることができない。そしてさらに、政府と軍との意見が分かれたときに、口を出すことを回避する、そういう方になった」
「従って、日本の敗因の・・・敗因の中には戦争を起こしたことも含まれるとわたしは解釈しますけれども・・・重大な一つとして、昭和天皇の言語能力の低さがあげられる、ということになる」
「昭和天皇が皇太子であった時代の教育がいかに貧弱なものであり、欠陥の多いものであったかということから思い出されるのは、昭和20年8月15日の玉音放送ですね。あのい声の出し方が変だったでしょう。」
「戦後すぐのころ日本中を巡幸なすった。その時に、何を言われても天皇は「ア、ソウ」としか答えなかった。なかでも有名になったのは、九州にいらしたときに、「あれが阿蘇山でございます」と県知事が言ったとき、「ア、ソウ」と言ったという話」
つまり、一口で言えば「昭和天皇はバカだった」ということなのだ。
これまで、天皇制についての非難ならいくらでもあった。そうとうひどい書き方もされていた。しかし、昭和天皇個人の「人格」について、これほどはっきりと「言語能力が低かった(これを一般にはバカという)」と、淡々とした姿勢で、数々の事例をあげ、直接的な表現を避けずに、書いたものはなかったのではないだろうか。
私がこの本のことを知ったのはNHKのブックレビューという番組で、作家の清水義範が推薦していたからであるが、彼ほどの読書家が、昭和天皇のこういう記述を初めて読んで驚いたと言っていた。丸谷才一が本文中に書いていたが、この鳥居民の本を書評で取り上げたのは自分一人だけだったという。ビックスの本については多く取り上げられはしたが、昭和天皇の少年時代における言語教育の不備、欠陥について指摘しているということを紹介した書評は一つもなかった、という。
要するに、2000年になって、ようやくこの事実は記述されたわけだが、マスコミはビクビクしていて取り上げなかったわけだ。丸谷氏才一のこの「ゴシップ的日本語論」によって、この事実が、はじめて一般に知られることになるのではないかと思う。
8月20日(金) 空海 (1)
今読んでいる司馬遼太郎「空海の風景」がとてつもなく面白い。
なぜなら、このところ自分がこの雑記帳を使って考え、書いているようなことが、どうも、かつて空海という化け物のような天才宗教家によって実現されていたのではないかと思うようになったからだ。
それは日本「文化」の中に、大陸の「文明」を結びつけるという壮大な作業である。
日本の「自然」の中に、「文明」の普遍が導入されるということである。
まだ「空海の風景」は下巻の最初までしか読んでいないのだが、そんな予感を持った直接のきっかけは、司馬さんが下巻最初の方に何気なく書いている二カ所の記述が、私の中でつながっていったことによる。
一つは、インドの宗教の現状を説明するところ。
「インドにあってはのちに仏教が衰え、ヒンズー教という、普遍性をうしなった民族宗教が主力を占めるが、・・・・」という記述。
もう一つは、空海が長安で密教を受け継いでいる最後の僧である恵果から、わずか7ヶ月の間に密教の奥義すべてを学びつくし、渡唐後最初にやってきた(遣唐使ではない)日本国使者、高階真人遠成に頼んで、次の遣唐使を待たず、わずか2年で帰国しようとするところ。当時、遣唐使不要論がつよくなっている理由についての説明。
「累次の遣唐使がもたらす文物や、遣唐使の随員の帰朝によって、それまで中国文明からみれば未開であった日本に知識階級が成立し、かれらの一部のあいだで、おそらく未開時代には存在しなかったであろう偏狭な愛国精神が芽ばえはじめており・・・」
ヒンズー教という、普遍に結びつかない民族「文化」が根強く残り続けるインド。
それに対して、偏狭な愛国精神とのせめぎ合いを経て、民族「文化」である神道が、普遍性を持つ仏教と結びついて「文明化」していく日本。
日本の、そのような歩みを実現させた最も重要な人物が空海だったのではないか。
そんなことを、この二カ所の記述から考えたのだ。
「空海の風景」の後半は、帰国後の空海の「哲学宗教文学教育、医療施薬から土木灌漑建築まで、八面六臂の活躍を続ける」(下巻の能書き)姿が描かれるようだ。
楽しみで、ぞくぞくする。
8月19日(木) 自然ー樹木ー森ー宇宙
(追加4ー最終回)
単純に考えると、多民族が「共生」するとは、それぞれの持つ文化の共通部分において理解し合うということであろう。特殊部分については本質的に理解不能であるから(変な言い方になるが)無視しあうことになる。
言い方を変えると、それぞれの特殊部分を無視しあっても耐えられるほど強固な共通要素を持つ「文化」同士のみが「共生」できる、ということである。全く共通要素がない「文化」が、互いに無視しあっているだけの状態を「共生」とはいわないだろう。
従って、「共生」するためには、それぞれの「文化」間の共通要素、普遍要素を拡大する必要が起こる。しかし、「文化」の中の共通要素を拡大するということは、それぞれの「文化」が少なからず「場」(具体)を離れ、抽象化されるということにつながる。それが「文明化」されるということであるが、そのために固有の「文化」が破壊あるいは変質されることは免れないのである。
そのように考えていくと、「文化」の固有性を守るためには、「文明」化を最低限に抑えることしかないように見える。「文化」と「文明」の本質を考えると、「共生」の最大の問題点とは、世界の「文明」化をどの程度におさえるか、ということに帰着するようだ。
しかし、もう一つの方向を、私は「夢想」してしまう。
それこそ、この論考が想定した「自然(具体)とつながる抽象」という方向である。
単純化すれば、文化とは「具体」であり、文明とは「抽象」である。
これまでの世界の歴史は、個々の文化の固有性を軽視し、共通する部分のみを拡大する(表面的には武力で強制的に押しつけるという形をとった)「文明化」をたどってきた。そうして成立した「文明」は、必然的に「自然から乖離した抽象」(具体的には森を破壊)となり、固有の文化は消滅、変質の道をたどった。
しかし、「文明化」(抽象化)のもう一つの道を、私は想定したいのだ。
それは「ゆるぎなき具体(自然)とつながる抽象」、「場(具体)とつながることを維持しつつなお達成しうる抽象」、という形での「文明化」である。
いわば「宗教を科学にする」という類のこの道は、不可能のように見えるかもしれない。しかし、考えてみればこのことは、真に「生」の本質を探究していた芸術家や思想家には少なからず模索されていたことだった。
芸術作品においては、例えば小栗康平の作品などにそういう「抽象」は実現されていると見えるし、生き方としても、宮沢賢治が「世界中がすべて幸せにならない限り個人の幸せはない」という表現で、個人(具体)と世界(抽象)を結びつけようとしていた。
空海が目指し、「護摩」という形で求め続けたのも、「具体」(自己)を「抽象」(宇宙)に結びつける「梵我一如」という境地だった。
「試み」は存在し続けていたのである。
様々な文化の固有性を守り、破壊、消滅、変質させないで「文明」につなげるという真の意味の「共生」状態が実現されるためには、「自然(具体)と結びつく抽象」の「試み」ー芸術や「生」の思想がめざしてきた「試み」ーを民族のレベルで永遠に続けるしかないのではないか・・・
私の「夢想」は、この辺で終わりとする。
(終わり)
8月18日(水) 自然ー樹木ー森ー宇宙(追加3)
「大地の子守歌」の主人公が「りん」であるのは、ひょっとすると深沢七郎の小説「楢山節考」の「おりん」ばあさんを意識してつけられたのではないかと、ふと思った。
「強さ」というものを「自然」(ゆるぎなき具体)とのつながりというところから描き出す点において、二つの作品は共通した視点をもっている。しかし、深沢七郎の創り出した「おりん」は、「りん」よりもはるかに「自然」に近く、いわば「自然」そのものとして存在している。彼女には「近代的自我」などというものはかけらもない。しかし「自然」とつながる「自己」は持っている。それは、「自然」の流れとして死ぬことを全く当然のこととして自らの意志でその流れに従おうとする強固な「自己」である。彼女が比類なく「強い」のはそういう「自己」があるからだ。「おりん」の自己は、社会を改造しようとか、新しいシステムを創造しようとかすることの全くないがために、近代社会においては否定されるが、「自然」と乖離した都市生活者が身につける抽象的な「自己」ではない、強固な具体性を持つ「自己」のように私には思える。
比べてみれば、「りん」(大地の子守歌)の「自己」は、そうとう「近代的自我」に近い。彼女の「自己」は、完全に肉体を離れた「意志」といえる。増村保三は、その「自己」の背後に、海とのつながり、大地とのつながりをことさら描こうとしている。そこには、図式化された観念性を感じるが、強い「自己」の背後に「自然」を想定する視点は貴重だと思った。
さて、「ゆるぎなき具体」につながる「抽象」をテーマとしたこのエッセイ(追加版)も、そろそろ最後にしたい。結末は、すこし大風呂敷を広げることになるが、それを「文明と文化」につなげ、「共生」論の展望に言及してみたいと思う。
そもそも文化とは何か。
文化とは、「土地を耕す」という意味が語源であるように「ゆるぎなき具体」である大地(あるいは海、森)とつながって実現された生活形態のことである。
従ってそれは、「場」(自然)とつながって生まれたものであるがゆえに、論理的に言って、その「場」に生きていない人間には理解できないはずのものであろう。ただ、そういう文化の中に、他の「場」に生きている人間にも共通する、理解されうる部分がいくらか含まれていることがある。そういう理解されうる共通部分が抽象され、個々の「具体」が止揚され、統合され、「文明」が生まれたといえる。
文明化というのは「都市化」ということである。
それぞれの「場」を離れて集まった人間が、持ち寄ったそれぞれの具体的な「文化」を抽象し、共通の要素を止揚、統合して生み出した大きな単位が「文明」である。
「文明」は、従って、文化の上位概念になるが、具体的な「自然」(大地)からはやや遠ざかることになる。「場」と結びついている「文化」の特殊性、個別性を越えた、抽象的な「普遍性」こそが文明の要素だからだ。
そのような「文化」「文明」の本質を考えたとき、現代の世界が目指している異文化の「共生」ということは、いかにすれば可能だろうか。
8月17日(火) 自然ー樹木ー森ー宇宙(追加2)
「自然」の代表的なイメージは、森、大地、海、であろう。
日本においては、風土として森のイメージが強いが、それ以外の二要素である「海」と「大地」(日本では単に土地という意味。本来は中国などの広大な地のイメージが強い)と人間を結びつけて描かれた、なかなか見応えのある日本映画が「大地の子守唄」(増村保三監督、原田美枝子主演)であった。
今日、部屋の整理をしていて、自分が書いた昭和51年の日付のあるこの映画の評論文を発見したのだ。当時はもちろん、「ゆるぎなき具体」とつながる日本人の「生」、などということを考えていたわけではない。しかし読み返してみて、当時すでに、この映画に描かれた主人公の強さの要因を、「ゆるぎなき具体」である「自然」(海と大地)との結びつき、というようにとらえていたことを知った。
懐かしいので、拙い文章だが、ここに記録しておこう。
「大地の子守唄」
大地の子守唄という題名は何とも素晴らしい。大地の精のごとく、また雑草のごとくに、踏みつけられても生きるエネルギーを失わない主人公「りん」の姿は、情緒過多の日本映画の中で特異なものではないだろうか。
主人公「りん」は、肉体によって(その苦痛や快楽によって)動かされることが全くない。山で一人で暮らしていた彼女は、巧妙な男の誘いで売春婦として島に売られるのだが、そのきっかけは、決して男の言う<赤いベベ>や<白いママ>ではなかった。<海>であった。初めて海を見、彼女は異常なほどのはしゃぎようをみせる。最大の自然<海>に、彼女はまず動かされたのである。
<人間>が彼女を動かすことは、決してできない。足の悪い少女の優しげな忠告も、女郎家での地獄のようなリンチも、決して彼女を動かすことはできない。彼女を動かしたのは、舟に乗ることであった。男勝りの力で「おちょろ舟」を出すことに命を懸ける「りん」の姿は、大自然の中でしか生きられない彼女の<大地の精>としての宿命を象徴している。やがて初潮を迎え、女郎として客をとらされることが否めなくなると、それまでどんな目にあわされても拒否しつづけていた彼女が、一転して態度を変え、他人の客まで奪い取るほどの働きをし始める。そして失明。それにも屈しない「りん」の力強い姿は、しかし、すでに絶望的な状況での哀しい姿でもあった。
<自然>が彼女を救ったのか。一人の牧師が「りん」をさらうようにして島から助け出す。牧師は父親のような存在であった。脱出の舟の中で、牧師に肉体を投げ出す「りん」の姿は、大地に、自分を包み込んだ大きな<自然>の中に、身を横たえたということになるのだろう。
盲目となってさえ、自分の肉体に屈することがなかった「りん」が、一度だけそれに屈する印象的な場面がある。初潮の時である。「どうしたらいいんじゃ・・・どうしたらいいんじゃ」と、今はもう女でなく<大地>と化したような「おばば」に救いを求める「りん」の姿は、あまりにも哀しすぎる。女になることの哀しさを全身で表現するこのシーンは、肉体を持った弱い女としての「りん」の唯一の実感のこもる箇所であった。それは、意志のかたまりのような「りん」に今も違和感を抱き続けている筆者が親しめた、唯一の箇所である。(了)
書き写しながら、これを書いたのはまだ独身のころなので、ラストは、今ならたぶん違った表現になるだろうと思った。
8月16日(月) 自然ー樹木ー森ー宇宙(追加1)
「自然ー樹木ー森ー宇宙」の世界で生きていた「人間」を見事に描いた作品として、黒沢明の「デルス・ウザーラ」を思い出した。
デルス・ウザーラは実在の人間である。原作の「ウスリー紀行」は小説ではない。黒沢はこの紀行文に登場するデルス・ウザーラという人間に感動し、ソ連の全面的協力を得て、それを映画化した。
黒沢の理想が強く込められすぎた描き方になっていたとは感じるが、そこに描かれた人間は、近代によって失われた最も大切なものをすべて持っている人間だった。
森林測量の旅の中で出会った森の住人デルスは、たき火に「こら、やかましい」と呼びかけるような奇妙な人間である。彼は、太陽を「一番偉い人」と語り、動物も自然物もすべて「人」として接している。森の小屋を立ち去るとき必ず食べ物を置いていこうとするのは、「誰か(人間だけではない)が来たとき食べ物があれば死なない」からだと語る。
デルスはまさに「ゆるぎなき具体」として「自然」と接し、その中で「生」のすべてを学んで生きているような人間だった。
彼はその学び得たものを使って、近代人であるカピターンの命を何度も助ける。
デルスの「人間性」に心から敬服したカピターンは、目が衰えた彼の「生」を存続させようと、彼を近代の世界(つまり都会)に連れてくる。しかし、彼には森の中での生活しかできない。テントを張って寝起きしたいというがかなえられない。いろりの火を一日中眺める毎日が始まり、日に日にデルスは元気をなくしていく。公園の樹木を切りに行って警察につかまったりし、ついに、カピターンは彼を森にかえすことにする。
その時、カピターンは彼に最新式の銃を与える。それが、彼を死に追いやることになる。
デルス・ウザーラは、銃を奪うことを目的にした盗賊に襲われ、殺されるのである。
しかし、黒沢の視点は、デルスの悲劇の最大のポイントを「銃」(もちろんこれも「近代」の象徴であるが)に置こうとしてはいないのだ。
それは、この映画が、カピターンがデルスを埋めた森を訪れる場面から始まることではっきり示されている。デルスが死んで1年後、デルスを埋めた森を訪れたカピターンは、その場所の樹木は切られ、整地され、むき出しになっていることを知る。
カピターンは長くデルスを埋めた場所を見つめ、一言「デルス」とつぶやく。
デルスの本当の悲劇は、その墓の場所が整地されていくということ、死後も森には帰ることが許されない、ということに示されているのだ。
森に帰したはずのデルスの墓が、「近代」によって奪われていく。
今あらためて、この作品にこめられた黒沢明の鋭い主張をかみしめている。
8月15日(日) 自然ー樹木ー森ー宇宙(6)
「自然ー樹木ー森ー宇宙」を題材とした日本人の「生」の本質を描き終えた小栗康平の、次の作品は、ファンタジーになるという。
何という歩みだろうか!
小栗康平という映画芸術家は、次なる段階として「現実との乖離」の中に楽しむことを特徴とし、日常性との接点を微妙に保ち続けるさじ加減にその成否がかかっているファンタジーの世界に挑もうとしているのだ。
言うまでもなく、そのような世界の創造の先駆者として、宮沢賢治が思い浮かぶ。
科学者として「現実」(ゆるぎなき具体)を把握し、それを土台としてファンタジーを構築した、おそらく日本で初めての作家が、宮沢賢治だった。
私が教えを受けたある大学教授が、彼の「銀河鉄道の夜」を「宗教を科学にしようとした作品」と表現していた。抽象とイメージの世界である「宗教」を、具体と論理の世界である「科学」にできるのだろうか、と私は当時、漠然と思っていた。しかし、その不可能とも思える試みを、宮沢賢治はあくまでも追究しようとしていた、と今は思う。「ゆるぎなき具体」とむすびつく「抽象」の中で、彼は生きたいと願っていたのだ。「雨ニモマケズ」に描かれた「ソウイウ人」は、まさにその理想像だった。
養老孟司が「脳化社会」と名付ける都市化が日本中を覆いつくし、「地球村」などという抽象概念(ネット社会で用いられている用語)が「現実」化し、「生」の実感を持たない若者が「どうして人を殺してはいけないの」と問いかける・・・それが現代社会である。
そこには「現実」(ゆるぎなき具体)と結びつかない「抽象」がはびこり、ニセ宗教の「神」や、概念としての「伝統」「文化」「愛国心」が跋扈して、ひたすら「本当の自己」を探し求める人々を絡め取っていく。
村上春樹のような安楽な抽象世界に、人々は身をゆだねようとする。
樹木、森を土台にして「現実」を再構築し、「自然」を「ゆるぎなき具体」として体感し、そこに生活の基盤をおき、「宇宙」につながる「自己」を確立する・・・それが、私の目標である。
(終わり)
8月14日(土) 自然ー樹木ー森ー宇宙(5)
「眠る男」ほど直接的に、日本という世界、日本人の「生」を、「自然ー樹木ー森ー宇宙」という抽象化によって描いた作品はないのではないか。
この作品にはストーリーのようなものが特にない。眠り続ける男を中心に、日本人、韓国、インドネシアの人が生活する村里の日常が断片的に描かれ、その周辺の自然が、巨大な月に象徴される宇宙につなげられ、描かれる。音楽は限りなく少なく、静止画像のように動かない画面も多く、流れる時間は緩やかである。この作品に、村上春樹の作品のような安楽性を感じる人はまずいないだろう(しかし、美しく静かな画面の中に漂う質の違う安楽性はあるかもしれない)。しかし、その抽象性は、観客をシラケさせるたぐいのもの(日常から乖離した観念)では、決してない。
抽象化が現実とつながり(観念にならず)「宇宙」にまで広がるためには、「自然」の体感が必要なのではないか。そして日本の場合、その「自然」とは「樹木、森」なのではないか。「樹木、森」を通して、日常の現実が「宇宙」につながるのではないか。
ここで、ふと気づいた。
私がこの文章で使った「現実とつながる抽象」という言葉の中の「現実」という用語に、私は一般の概念とは違うものをこめていたようなのだ。思いこみで、自分のとらえているイメージを前提にして使っていたようだ。
私のいう「現実」とは、「ゆるぎなき具体」とでもいうようなものである。
いわゆる仮想現実、バーチャル現実、などといわれるようなものは、もちろんこの「現実」ではない。しかし「マトリックス」の世界とまではいかなくても、コンクリートと鉄によって構築され、電波と記号によって営まれる都市生活の日常というのは、はたして「ゆるぎなき具体」なのだろうか。都市生活の中に自己の感覚を失っている人が多くいて、いわゆる「近代的自我」とか「アイデンティティ」などという言葉が最大の問題になるということ自体、我々多くの、特に都市生活者の日常生活が「ゆるぎなき具体」に基づいていないということの現れなのではないだろうか。電波と記号でなりたっているそのような「現実」というのは、本当は、「自然」や「宇宙」にはまったく結びつかない「抽象」的な世界なのではないだろうか。
そのようなとらえ方で、私は「現実」という言葉を使っていた。
従って、「現実」つまり「ゆるぎなき具体」は、当然「自然」に結びついていく。
しかし、「自然」という言葉にも、例えば浅田彰が「子供たちにとってメディアは自然そのもの」と語るように、本来の大地、樹木、水、海のイメージがこめられない場合もある。
それほど、電波と記号の世界によるわれわれの「現実」は、具体的な「自然」から遠ざけられているのである。
私は、「ゆるぎなき具体」の中で(つまり私の云う「現実」の中で)生きている者には、しっかりした「自己」があると思っている。そしてそれは、「近代的自我」などとは違う種類のものであるように感じている。そのような「自己」は、「自然」と結びつき、「宇宙」ともつながって存在する「個」であるように思う。
「眠る男」は、そのような日本人の「生」のあり方を感じさせてくれる作品だった。
8月13日(金) 自然ー樹木ー森ー宇宙(4)
日本という風土においては、人間の「生」の本質を描く「現実と結びつく抽象」が実現されるためには、「自然ー樹木ー森ー宇宙」という<題材>が必須ではないだろうか。「樹木、森」を間に挟んだ「自然」と「宇宙」が題材となった時、日常性の描写の中に「生」の本質が浮かび上がってくるのではないか。日本という風土においては、そのような描き方が最も重要な方法ではないか・・・最近観た小栗康平監督の映画「眠る男」によって、そんなことを考えた。
小栗康平は『泥の河』(81年)『伽耶子のために』(84年)『死の棘』(90年)の3作品がいずれも高く評価されて(それぞれ賞を受けている)世界中から注目されている映画作家である。私は、かねがね彼の作品の見事な「抽象性」には敬服していた。この3作品は、廓船の子供たち、在日朝鮮人、精神を病んだ夫婦、という題材を、単なるリアリズムではない抽象化の美的手法を用いて描いて、戦後日本人の本質に迫る作品であった。時代と人間を描くためのその「抽象化」は、日常性の描写につながり、しかもその抽象性に、村上春樹の世界のような「安楽」さはかけらもなかった。作品は、小栗康平の天才性によって、十分に評価される高さに達していたと思う。しかし、3作品の世界には「樹木、森」の描写は欠けていた。小栗康平の着実な歩みは、「眠る男」に至って初めて、「樹木と森」が題材とされ、それを媒介として、「自然と宇宙」が日常世界に結びつけられたのである。
「眠る男」は、群馬県が人口200万人を記念して製作した珍しい映画である。配役は<眠る男>に韓国映画界を代表する安聖基(アン・ソンギ)、<南の女>ティアにインドネシアのトップ女優クリスティン・ハキム、<眠る男>の同級生・上村に役所広司。
物語の概要と感想の代表例を、あるHPの文章を借りて紹介しよう。
<舞台は山間の小さな町「一筋町」。そこに住むある農家の一室には、山で遭難して意識不明となり眠りつづけている男・拓次がいた。年老いた父母が彼の面倒を見ている。町には、駅の自転車預かり所で食堂を営む韓国人オモニ、少年リュウ、高校生の蘭、障害をもっているが豊かな感受性をもつワタルたちが暮らしている。「眠る男」拓次の同級生上村は小さな電気屋を経営している。町外れのバイパスには、「南の女」ティアが働くスナック「メナム」がある。ティアは数年前に、故郷の島の洪水で息子を亡くしていた。以来、彼女は心の奥底で「生と死」について考えつづける。ひとりの眠りつづける男の周辺で、さまざまな人生が営まれている。ここでは、生と死、人と自然が、一つのものとして見つめられる。全ての「いのち」が限りなくやさしい。季節は移り変わり、雨や風が訪れて緑が濃くなるころ、「眠る男」は息をひきとる。朝もやの中に浮かび上がる蜃気楼に拓次の影を見つけ、上村は静かに問いかける。
「拓次。人間って、大きいんかい、小さいんかい…」>
<深く美しい映像表現が特徴である。景色の美しい山間の町。季節が月の満ち欠けと共に静かにうつりゆく。人々がゆったりした時間の流れの中で暮らしているさまが伝わってくる、なつかしい感覚を呼び起こさせる映画である。街道沿いに並ぶこぢんまりとした商店街の夕暮や、たんぼの中に点在する農家の風景が郷愁を誘う。河原に沸く温泉「月の湯」には、土地の人が赤ちゃんからお年寄りまで入りにくる。湯の暖かさまでもが伝わってくる感じがする。「眠る男」の父や母をはじめ、町に住むまわりの人々の「人と自然」「生と死」「いのち」について語られる言葉がしみじみと心に残る。なんでも自分の思い通りになるものではなく、自然によって人間が生かされていることを考えさせられる。>
<「眠る男」が僕の中に想起させたテーマ「日常性」。冬にはじまり、春がきて、夏がきて、何も特別なことが起こるわけでもない。「眠る男」の死でさえも、それはごく自然な出来事であったのではないでしょうか。至極淡々と(いや着々というべきか)、流れゆく時間というものの存在を、どう受けとめるべきかと考えてしまいました。時間というものはやはりそのもの自体が自然という存在の一部であると考えるべきか、またはその逆、はたまたそのどちらでもあるとすべきでしょうか。「日常性」という言葉は、ごくあたり前の出来事の連続をさしていいますが、「ごくあたり前」というのは実は謎に、神秘に、美しさにみちていることをさすのではないでしょうか。
「眠る男」に出てくる群馬の山あいの自然や、小さな街なみ、「月の湯」、水車小屋、数えあげればきりがありません。どのシーンにもハッとさせられる「力」がそこにはありました。と同時に、自らの「日常」にも同様の「力」があってもおかしくない、いやあるはずだと思いました。ものの見方とはこれほどにも対称に影響力があるのだと、ここに小栗監督のすばらしい「目」に敬意の念を抱かざるを得ません。>
<この映画では、人間⇔自然、生⇔死の間は、分断されているのではなく、つながっている、または、橋渡しをするものが、自然に存在しているのだなあ、と感じた。今、自分は”人間”であり、”生”として存在している。そんな私が、例えば、妙に自然環境保護を訴えてみたり、必要以上に死に対して恐れを抱いている。対と考えてしまうのも”人間に対して自然、死に対して生”と構えすぎているのかもしれない。自分が”人間として”、”生きている”ことがさぞかし尊重されねばならないもののように、、、。例えば、南の女の人が1人で山のなかにいるとき、また魂が抜けていったとき魂呼びをしてみるなど、このなかの彼等はとても肩の力を抜いて、自然、死に接していた。命はめぐるもの、と自然に、流れに乗ることのできる登場人物たちに、ああ、今私はこんなことを忘れていたのかと、そのような自分を情けないと思う一方で、こんな風でいいのだ、となんだかほっとさせられた。>
8月11日(水) 自然ー樹木ー森ー宇宙(3)
私が今漠然と考えている「自然ー樹木ー森ー宇宙」というのは、「現実とつながる抽象」ということでもある。このことを考えるようになったのは、世の中に多くみかける「現実と乖離した抽象」の「安楽性」ということを感じ始めたからだ。
「現実と乖離した抽象」とは「観念」のことである。
普通、明瞭な「観念」であれば、我々はそれを「現実」と区別し、距離をおいてとらえ、子供でない限りその中にのめり込むようなことはしない。しかし時には、幾分か現実の「味付け」があり、特にその加減が見事で、現実との乖離性を忘れてしまうような「観念」がある。そんなとき、それが本当は「現実とつながらない抽象」であったとしても、いかにも「現実とつながる」かのようであるがために、時として、我々はその世界をこの上なく「安楽」なものと感じ、「心地よく」その世界に浸ってしまうことがあるのだ。
そういう抽象化の中に潜む「安楽性」を知悉し、最もよくそれを利用して、結果として抽象化によって現実の背後の本質を描くのではなく、単に読者を楽しませることだけになってしまっている作家として、私は村上春樹をあげたい。私も彼の小説を何冊か読んでその「心地よさ」に酔わされた体験があるからだ。しかし今思うと、その「心地よさ」は、彼の文章のうまさと、物語に仕組まれた「安楽度」の高い「抽象の質」によるものであった。
村上春樹の代表作「ねじまき鳥クロニクル」に関して、ニューヨークタイムズの批評に次のような指摘があった。
<[村上氏は]間違いなく、普通の探偵小説の形式を逆手にとることを意図しており、そうすることによって、この世界は謎の多い場所であり、現実と幻想の境界線は乗り越えられるものであり、また理解不可能な世界においては理性と論理は無用の長物であるということを暗示しようとしている。この点において、村上氏は明らかに成功しているといえるが、これは読者にとっては大きな犠牲の上の勝利なのである。私達のうちの大部分にとっては、芸術とは単に世界の混沌を映す鏡以上の何かであるべきなのだ。>
この世界が「理解不能」の「謎の多い」、「現実と幻想の境界線」が乗り越えられるような「混沌」としたものであることを、上質の「抽象化」によって描き出してくれたところで、それが我々の「生」に寄与するものは「安楽」だけではないだろうか。
「観念」ではない「現実につながる抽象」こそが、物事の「本質」に至る道であろう。
私が「自然ー樹木ー森ー宇宙」という言葉に象徴させたそのような「抽象」を見事に実現している映画芸術家として、次に、小栗康平をとりあげてみたい。
8月10日(火) 自然ー樹木ー森ー宇宙(2)
熊野の作家ということで最も注目される中上健次について、もうひとこと書いておこう。
彼の「自然観」が作品に反映した結果、非常に危険な世界を描くことになった例として、私は映画のシナリオ「火祭り」を思い出す。これは一家皆殺しの事件をモデルにして、その行為を熊野那智大社の「火祭り」につなげて(「火祭り」は「血祭り」となる)描こうとした作品であった。映像化された作品を見ると、神道の「神」を思わせる鳥居や大木のイメージが豊かに表現され、主人公は雨の中、濡れた大木に抱きついて(自然との交接のイメージ)人間を越えた存在となる。彼は、那智の火祭りの場面で人間の営みを怒る神の代弁者となり、神秘的な雰囲気を漂わせながら、最後、家族を皆殺しにして自殺する。
確かに物語としての面白さはあって、映画評論家からは「視点の斬新さ」ということで取り上げられていたようだ。しかし今思うに、こういう物語は、熊野の「自然ー樹木ー森ー宇宙」を本当には体感していないものが観念として作り出した世界だろう。バイクを飛ばしロックで踊る若者たちの姿に対比される古代の神のイメージは、むしろ近代的、都会的な感覚から観念的に発想された世界ではないか。真に熊野の「自然ー樹木ー森ー宇宙」の中で生きた人間なら、森林の「神」をあのような残虐な「血祭り」の神として発想することはないように思えるのだ。
中上健次は若い頃とても魅了された作家だが今は遠い存在になっている。
8月9日(月) 自然ー樹木ー森ー宇宙(1)
昔の新聞の切り抜きを読み返すと興味深い文章によく出会う。たぶん20年以上前だろうと思う朝日新聞「窓」の切り抜きに、自然と作家の関係を書いたものがあった。それによると、三島由紀夫は植物知らずで「彼が松を知らなかった話は時々ひきあいに出される」そうである。中野好夫と彼の故郷の四国を旅した時「少年時代のなつかしい自然に接しても、彼は感傷のかけらも見せなかった。ただ人間と歴史への関心ばかり」だったという。
全く逆のタイプの作家として、その記事の筆者は大江健三郎をあげている。彼は樹木への関心が深く、外国へ行くときにはその国の植物図鑑を必ず買い求めるほどだそうだ。確かに、彼の文学は、彼の故郷の森と切り離して語ることはできない。青少年向きに初めて書いたエッセイの題名も確か「『自分の木』の下で」だった。
最近「自然ー樹木ー森ー宇宙」といった世界につながらない作品や人物には興味が失せている。政治の世界を論ずる時も、それが現象の瑣末な事象への批評に終始するものであると、関心が薄れてしまう。さらに最近は、作品や人物を評価する時、その題材の背景に「自然ー樹木ー森ー宇宙」があるかどうかをまず考えるようになった。
その観点から思いつく事柄、二つ。
山田洋次の映画「学校V」。登校拒否の主人公が屋久島の縄文杉を見に一人旅に出るという設定で、引きこもりの少年などと出会う物語だけれど、考えてみると、縄文杉との出会い自体が主人公の心にどれだけの影響があったのか。あの作品においては、縄文杉は単なる舞台設定だけでしかなかったのではないか。
中上健次は熊野を舞台に描いているが、「熊野の自然」が土台になっている作家だったかと疑問を持つようになった。広辞苑には「作家。熊野の土着思想を原点にして近代の差別感と戦う」と書かれていたがひょっとすると政治的な世界、人間社会における「路地」のような場として、中央に対して周縁の典型として、熊野という土地を設定しただけではないのだろうか。若い頃彼の小説は好きだったが、今思うと「人間」は描かれているが、その背後に「自然ー樹木ー森ー宇宙」はあまり感じたことがなかったのだ。
(このテーマで、思いつくまましばらく書いてみます)
8月4日(水) 南方熊楠(その4)
これを智と称することかと思う
南方熊楠は「南方曼陀羅」と称するものを書いている。
番組はそれを紹介して「神社と鎮守の森は、自然と人間社会が交わる重要な点であり、その破壊は人間の暮らし、そして国土の破壊につながるというエコロジーの考えを示すもの」と語っていた。日本という国土に根ざした深い思想だと思う。
そして、この「曼陀羅」という用語、「森は生命の宇宙」という発想、化け物的な記憶力、真言宗の青年僧侶、土宜法竜との交流・・・などを知るにつれ、私の中で南方熊楠は、あの宇宙的ともいえる巨大な仏教者、空海を連想させることになった。言うまでもなく熊楠の生まれ育った熊野には、空海の建てた高野山が連なっている。
知り合いの生物の先生に聞いてみたが、熊楠に空海との関連はないという。
しかし「熊楠は幼少期から培われた真言密教への信仰を生涯いだき続けた」と書いている文章もあり、私には両者の「宇宙的発想」には共通点を感じてならないのだ。
昭和16年12月29日、75歳で南方熊楠は永眠した。
番組が最後に流した熊楠の言葉は、素晴らしいものであった。
「宇宙万物は無尽なり。ただし人すでに心あり。心ある以上は心の能うだけの楽しみを宇宙より取る。宇宙の幾分を化しておのれの楽しみとす。これを智と称することかと思う」
(終わり)
8月3日(火) 南方熊楠(その3) 南方二書
今年4月に、神社合祀例の廃止を訴えた「南方二書」といわれる文書(原稿)が発見されたという。長さ8メートルにも及ぶ2通の意見書である。赤い字で「急ぎ」と書かれている。
この文章を、柳田国男が製本し、各界の名士に送ったことが、帝国議会を動かすことになったと番組では解説していた。
(脇道にそれるが、柳田国男に対する私のこれまでの認識からすると、この番組の柳田の描き方はそうとう好意的なように思えてしまう。柳田は中央官庁に属していて、いわば神社合祀を推進していった側の人物であるはずだ。そういう立場に居ながら熊楠に同調するということは、官僚の中でも反対派に属する人物だったということだろうか・・・ふと、毛沢東時代の周恩来を連想してしまった。彼は多くの人に尊敬されているが、立場としては毛沢東路線の補佐役であった。あの歴史的愚挙である文化大革命の推進者の一人でもあった。しかし、紅衛兵が胡宮を破壊しようとした時は軍隊を率いて阻止したと読んだことがある。体制の側にいてその国策を推進しながらもできる範囲で民衆への手助けもしたというような、周恩来的な生き方をした人だったかもしれない)
和歌山県選出の帝国議会議員、中村敬次郎が立ち上がる。
神社合祀令廃止を中村が議会に提案することになった。すぐさま熊楠は樹木が伐採された里山の実態をカメラに納める行脚にでた。そして提出した写真に言葉を添える。
「合祀のために社蹟荒涼たること、まるで神をさらし者にせしごとし。諸神社みなこの通りなり」
明治45年3月12日の帝国議会。
中村議員が配布した熊楠の写真によって、議員たちは初めて鎮守の森の惨状を知る。
そして中村は「南方二書」を読み上げる。今から100年も前に「エコロギー」という言葉を使って森の「共生関係」を説き、その自然環境こそが「愛国心」につながると訴えた素晴らしい文章である。
「千数百年来、斧を入れざりし森は、相互の関係はなはだ密接錯雑いたし、近ごろエコロギーと申し、この相互の関係を研究する特殊専門の学問さえ出で来たりおることに御座候」
「神の森の伐採は、一時の金銭を与えるも、益鳥を絶ち、害虫を増やし、やがては大水によって国に永久の物質的な損害を与えるものである」
「愛国心は愛郷心に基づき、愛郷心は、鬱蒼たる樹木により天然の景色を保ち人々の暮らしに慰安を与える神社に大きくよっている。これをなくせば、愛国心、愛郷心も廃れる。神社を合併するをもって、わが帝国の盛衰衰亡に関することなりと信ずる」
この熊楠の言葉によって、議会は満場一致で神社合祀例の廃止を決議した。
テレビではこの時を「近代化に突き進んできた大日本帝国が、初めて環境保護のために国策を変更した瞬間」と解説していた。(続く)
8月2日(月) 南方熊楠(その2) 大樹保存の戦い
南方熊楠への攻撃は、南方家の所有になる大山神社の廃止という形で起こってきた。その時、熊楠はこう書いている。
「県知事以下が官憲の強さを示さんとて、特に小生に侮辱を加えるものにこれあり。」
熊楠の怒りは頂点に達し、大山神社廃止を掲げる林業講習会の終業式が地元の田辺中学で行われた時、講堂に乱入し、持参した神社の森の植物を壇上に投げつけるという行動にでた。すぐさま逮捕された熊楠は家宅侵入罪で18日間の拘留となる。
地元の人々は、なじみの芸者も含めて(このあたりが熊楠の面白いところ)「世界の大学者、南方先生を救え」と警察に抗議行動をとったという。そんな中、自分の著作である「石神問答」を差し入れた内閣書記官がいた。柳田国男である。この時から、柳田は熊楠の力強い後援者となったようだ。
次の熊楠の行動は、一千年の樹齢を誇る「阿田和の大楠」が売却されるという一住民からの新聞投書を目にした時に始まった。
三重県御浜町の大楠はテレビにしっかり画像が写ったが、実に見事な大木であった。それが当時の金800万円で切り倒されるというのだ。
阻止する方法として、熊楠は留置所での出会いから文通を始めていた柳田国男の力添えを頼む。
柳田への請願の手紙につけられた熊楠の歌。
「音に聞く熊野くすひの大神も柳の蔭を頼むばかりぞ」
柳田国男はそれに応える。その時の柳田の手紙にはこう書かれていたという。
「願わくは、これからの生涯を捧げて、先生の好感化力の一伝道機たらん」
そして、柳田の力によって、阿田和の大楠の伐採は中止されたのである。
次の行動は「継桜王子神社」の廃止が決定した明治44年。
神社の森に生えている、那智の滝の方にむかって枝が出ているということで「一方杉」と名付けられた樹齢800年の杉が次々と切り倒され始めたのだ。
熊楠は「一方杉」保存のため、村人たちと調査して報告書を出す運動を展開する。そして
和歌山県知事に提出した嘆願書に次の言葉を添える。
「かかる老樹、保存してこそ価値あり。これを切り崩し、何ほどに儲けかあらん」
しかし嘆願は聞き入れられず、「一方杉」40本は、神社参道入り口の9本を残して伐採されてしまう。その惨状を見て、熊楠は嘆く。
「濫伐し終わり、その人々去るあとは戦争後のごとく、村に木もなく、ただ荒れ果つるのみにこれあり」
熊楠はこの敗北を機に、神社合祀廃止を全国に訴えることを決意する。(続く)
8月1日(日) 南方熊楠(その1) 神狩り
NHKの「その時歴史が動いた」で南方熊楠が取り上げられていた。
熊野古道が世界遺産に指定されたことを記念した企画らしいが、素晴らしい内容だった。
日本で初めてエコロジーという言葉を使い、大日本帝国の国策であった「神社合祀令」に真っ向から反対して森林保護活動を展開した熊楠の偉大な行動を再認識できた。
前々から関心を持っていた南方熊楠であるが、この番組をみて、彼こそ、森によって素晴らしい「共生」の思想を体得できていた日本という「国」を守った第一人者であることを確信した。
以下、熊楠の残した言葉を中心に、番組の内容を紹介したい。
南方熊楠は20歳から15年間にわたり海外で植物学の研究生活を送り、ロンドンの「ネイチャー」に論文を発表して「日本に南方あり」と言われるほどの大学者であった。日本に帰ってからは熊野の森で粘菌の研究に取り組み、植物学者の視点で生物の共生関係を見つめ「森は命の宇宙」という認識を深めていく。
明治39年、明治政府は国家神道による日本の統一をめざし、一町村に一社という「神社合祀令」を定めた。それにより小さな神社は取り壊され、あわせてその神社の神木を中心とする鎮守の森が伐採され始める。そこには木材の利権にからむ神官や業者も存在した。何と3年間に5万もの神社が廃止され、その周辺の村々では、鉄砲水が増えてくる(里山の保水力が減少したため)とか、害虫が増える(害虫を食べていた森の鳥が減少したため)の異変が起こる。それに伴い、人々の心も荒廃していく。
それを見て、熊楠は立ち上がる。 彼は鎮守の森の伐採を「神狩り」と呼んで、まず、新聞への投書という形での活動を開始したのだ。
「歴史も由緒も景勝も問わず、いわんや植物のことなど問うはずもなく、おのおの得たり賢しと神狩りを始む」
「神社合祀は希世の愚挙なり」
「欧米では大金を出して公園を作っている。神社という自然の公園を売却するごとき馬鹿者は世界になし」
しかし、県や市町村は神社合祀を国利、国益と呼んで、つぶした神社の数を競うありさまであった。(それほど日本には小さな社が多かったのだ!私の団地の周辺にも、少し歩くとお宮さんがいくつか残っている)
やがて、那智の滝の水源にもなる原生林が伐採される事になる。
「濫伐にて滝の水も減じ、景勝も大いに損ずること現前にあり」
熊楠は、その利権にからんでいた神官、業者の賄賂スキャンダルを新聞で暴き立てることによって、地元の人々を訴訟に導いていく。
裁判の結果は勝利。那智の原生林は守られたのである。
しかし、そのことによって、攻撃は直接、熊楠の方に向いていくことになる。(続く)
7月29日(木) フェアトレード
フェアトレードという言葉を知らなかった。
先日のNHK「週間こどもニュース」で特集していたものである。
「公正な外国との取引」ということで、30年くらい前からヨーロッパ、アメリカで始まり日本でも広がっている、いわば「買い物でできる国際協力」ということらしい。
我々はものを買うとき、その物の質と値段にまず関心を向け、それが誰によって作られたものかについてはほとんど関心を向けない。「フェアトレード」は、まずその商品を作っている国の人々に関心を持って、その人たちが生活できることを大前提で設定された値段でそれを購入するという、商取引というより「活動」という方が適するもののようだ。
従って、商品は一般のものより高い。
需要と供給の市場原理にあえて反する形で値段が設定されている。
この運動などによって、6年前まではインドの貧しい子供たちが学校にも行かずに作っていたサッカーボールを、大人の仕事にすることができたらしい。
番組の中で、「寄付などは上の位置にいて行うような感じだけれど、フェアトレードは同じ位置から行える感じがする」という子供の発言がよかった。
これからフェアトレード商品には注意を向けていこうと思う。
7月28日(水) 中島らも
作家、中島らもが死んだ。
酔って階段から落ちて頭を打ったからだという。
天才奇人らしい死に方だ。
彼の「ガダラの豚」の面白さの質は、ちょっと類がないものだった。
「明るい悩み相談」のフザケタ真面目さも、類がない。
この作家を教えてくれたのは、数年前に転勤してきた国語の先生だった。
その時、今まで「ガダラの豚」を紹介して面白くないと言った人はいなかった、とその人は言った。半信半疑で読んでみて、そのとんでもない面白さに驚嘆した。
手品のカラクリをあばく出だしから、ああこれは呪術の種明かしをしていくミステリーだなと思っていたら・・・とんでもない展開になる。
時間に余裕ができたらもう一度楽しみたい小説である。
7月27日(火) 面白い歴史推理もの
ダン・ブラウンの小説「ダビンチコード」を読んで、私にとって一番興味深かったのは、キリスト教を公認したローマ皇帝コンスタンチヌス帝に関わる記述だった。書き写すのは大変なので、友人のtenseiさんのHPからそのくだりをコピーさせてもらって紹介しよう。(tenseiさん勝手に使わせてもらいますね。ごめん)
「新約聖書を編纂するにあたって、80を越える福音書が検討されたのだが、採用されたのは、わずか4つの各伝だけだった」
「どの福音書を入れるかは誰が選んだんですか?」
「そう! キリスト教の根本的な皮肉はそれだよ。今日の形に聖書をまとめたのは、異教徒のローマ皇帝だった、コンスタンティヌス帝だ」
「コンスタンティヌスはキリスト教徒だったと思いますけど」
「とんでもない。コンスタンティヌスは生涯を通じて異教徒で、抗う気力のなかった死の床で洗礼を受けさせられたにすぎない」
「なぜ異教徒の皇帝がキリスト教を公認したのかしら」
「コンスタンティヌスはやり手の実業家だったのだよ。キリスト教がのぼり調子だと見るや、単に勝ち馬に賭けたわけだ。コンスタンティヌスが太陽崇拝の異教徒をキリスト教に改宗させた鮮やかな手並みに、今も歴史学者たちは舌を巻いている。異教の象徴や暦や儀式を、キリスト教の発展途上の伝統と融合させ、双方が受け入れやすい、いわば混血の宗教を創り出した」
「ニケーア公会議でキリスト教のさまざまな点が議論され、評決が行われた。復活祭の日付、司教の役割、秘蹟の授与、そして言うまでもなくイエスを神とするかどうかについて」
「イエスを神とするかどうかですって? どういうことかしら?」
「その時点まで、信者たちはイエスを人間の預言者だと、影響力に富んだ偉大な人物だが、あくまでも人間とみなしていたのだよ」
「神の子ではないということ?」
「そうだ。『神の子』というイエスの地位は、公会議で正式に提案され、
投票で決まったものだ」
「ちょっと待って。投票の結果、イエスが神になったの?」
「かなりの接戦だったがね」
「すべては権力の問題だ。メシアたるキリストの存在は、教会とローマ帝国が存続していくために不可欠だった。初期の教会は、従来の信者からイエスをまさしく奪い、人間としての教えを乗っ取り、神性という不可侵の覆いで包み隠し、それによって勢力を拡大した、と多くの学者が主張している。・・・・。たしかにイエスは、並はずれた力を備えた偉人だった。コンスタンティヌスの腹黒い政略のせいで、イエスの生涯の偉大さが損なわれるわけではない。誰もイエスを詐欺師呼ばわりしていないし、イエスが地上を歩き、幾多の民をよりよき生に導いたことを否定してもいない。われわれはただ、イエスの大いなる影響力をコンスタンティヌスが巧みに利用したと言っているだけだ。キリスト教の今日の姿は、そういった作為の結果なのだよ」 (引用終わり)
コンスタンチヌス帝についてはいろいろ謎があるらしいので、こういう解釈がでてくるのも不自然ではないのだろう。近年死海文書が出てきて、聖書以前のキリスト教の様子が少し明らかになってきたので、これはかなり史実に近いように思う。さらに考えてみれば、日本の神話である「古事記」「日本書紀」だって、天武天皇が天皇中心の歴史を構築するためにそれまで伝わっていた各地の神話伝説を取捨選択し、うまくまとめ、権力者に都合のいいように神を作り上げたわけだから、聖書だって同じだと考えるのはむしろ自然なことではないか。
この小説は、西洋世界に絶大な権威をもっているイエス像をくつがえすという謎解きのおもしろさがウリである。イエス像がくつがえると、ローマ教会の権威も堕ちる。ふと、そんな「権威」をめぐる攻防戦のオハナシとして思い出したのは、白土三平の書いた大長編漫画「カムイ伝」だ。あの中に、徳川幕府体制の根幹である「士農工商」の身分制度を根底からくつがえす、家康の出生の謎が描かれていた。その謎をめぐって忍者が暗闘するというわけだ。ちょっと似ているような印象をもった。
神話の解釈ということで、いちばん面白いと思ったのは「死都日本」という小説。
この中に、日本神話を「地震」現象の擬人化のように解釈する架空の学説が出てくるが、これがとてつもなく面白い。世界の神話にも共通点を具体的に指摘して、古代人が味わった「地震」の驚異が神話を構築していったと説くのだ。
あの架空の学説は「邪馬台国はどこですか」と同じくらい納得できた推理だった。
こういった歴史推理ものは、本当に面白い。
7月26日(月) 女性学
昨日、志談塾に参加。聖霊高校で行われた「女性学」の報告を聴いた。
女性学というのは要するにジェンダーに関する授業ということだ。聖霊高校の女生徒たちが最も関心をもっている「美容整形」に関することに話題が集中した。アメリカ、韓国では全く当たり前のように行われている美容整形。日本でも女性のプチ整形が大流行している。その原因について、日本がまだ男性優位の社会だからではないかという意見が多かったので、私は異を唱えた。
物質的に豊かとなり、男女の社会的格差が縮まり、以前より平等に女性が競争できるようになったからこそ、誰もが整形をしてでも「美」を求めるようになったのではないか。それまではごく一部の美しく生まれついた女性だけが「美」を武器として男優位の社会の中で男を利用して生きていこうとしていた。そんな社会では、玉の輿に乗ることや、妾、ホステスなどが美女の最高の豊かな生き方だった。しかし現在は、完全ではないがそんな社会ではなくなってきている。どんな女性でも社会的に活動できる機会が多くなり、男と対等に競争できるようになりつつあり、金銭的に男に依存して生きていく必要はなくなってきている。そのような社会になってきたからこそ、それまでは「美」を諦め、「分」をわきまえて生きようとしていた一般的な女性たちも、できるだけ多くの男に関心をもたれ、友達を増やし、豊かな恋愛をし、中にはそこで手に入れた「美」を武器に社会的地位を高めようとして、美容整形に向かうようになったのではないか。
美容整形の流行を、私はむしろ女性(優位)社会に向かう傾向としてとらえている。
(現在は男性の方にも美容整形が広まっているという。小泉純一郎の支持層に女性が多いのも、ルックスが関係していることは間違いない。自民党の選挙ポスターは小泉氏と安部氏というルックスのいい男によって作られていた)
7月25日(日) 寺脇研の講演
昨日、犬山市民総合大学で文化庁、文化部長の寺脇研氏の講演を聴いた。
今全国的に注目されている犬山教育の構想をこの人から学んだと、石田市長が持ち上げているレギュラー講師である。
しかし、講演内容は凡庸で、概念的な理想論といえるものだった。
彼は中学時代に俳優のピーターと同級生だったという。そのことが文芸春秋に載ったという話から初めて、ピーターが当時から「自分は俳優になる」と宣言して、それを数年で実現したということを紹介した。そこから、「○○になりたい」という願望ではなく「○○になる」という意志、ビジョンを持つことによって実現のための戦略、努力が始まる、という教育論が展開された。そこで強調されたのが「思考停止」ということ。素晴らしい願望でも、それを実現する具体的な戦略、構想を思考できなかった例としてイラクで拉致された今井さんの例を挙げたり、中村哲さんの言葉を紹介したりした。
中盤では職業観の変化の話。その中で、村上龍の「13歳のハローワーク」を高く評価していたのはよかった。特にこの本を「あらゆる職業を関連したものとしてとらえている」点で評価したことは印象に残った。
後半は彼が今取り組んでいる韓国との交流の話。「文化は教育にまさる」といって、例によって「冬のソナタ」の話になった。あのドラマの流行現象は歴史に残るとまでいい、韓国に対する日本人の見方が変わってきたと分析する。だが、概して現象的なレベルでのありきたりな分析という感じだった。
講演が終わって、司会者が質問があればというので、挙手して、教育基本法改正の動きについて、愛国心などを入れるべきだということについては自分は危険だと考えるとはっきり表明した上で、見解を質問した。予想通り、寺脇氏自身の考えは述べず、「色々な意見を出し合って話し合うことは必要だと思います」なんていうつまらない返答だった。
この人物の話は、もう聴く価値はあまりないように思った。
7月22日(木) 板取で遊ぶ
カミサンと二人で板取へ遊びに行った。
温泉に入り、川遊びをし、少し先の川浦(かおれ)渓谷まで行った。
素晴らしい渓谷である。
こんな切り立った岸壁の間を細く流れている渓谷はあまりないと思う。
いい景色に堪能した。
近くに清水がわき出ていて、ポリ容器10個くらいに入れている人がいた。
聞くと、同じ可児市の人で、月に一回水をくみに来るのだという。
確かに美味しい水である。
ここは穴場だと、その人は言う。近くにもう一カ所あるが、そこは有料になったそうだ。
これからは、ポリ容器を積んで、渓谷遊びをしようと思った。
7月21日(水) 久しぶりの雑念
やっとHPが修復できた。
消去してしまったと思っていた過去のメールも発掘できた。
橋本さんの尽力による。
深謝。
最近気がついた単純な真理。
イエスだって、釈迦だって、つまりは「性善説」なんだということ。
現象だけをみれば人間は「性悪」に見えたりするが、本質を見据えれば「性善」であることに、偉大な先覚者たちは気づいていた。
孟子も、晩年になってやっと「性善」の確信ができたようだ。
そして「性善」とは、高等動物である人間には、純粋な自然状態においては「共食い」はない(下等生物にはある)ということだ。
環境さえととのえれば、人間の「性善」は発揮できるはずだ。
しかし、それにしては、「性善」が封殺された現象が何と多く存在することか。
ひょっとすると、これが、ドストエフスキーの最大の課題だったのではないか。
彼は「神の存在は信じる。しかし神がどうしてこのような悲惨な世界をつくるのかがわからない」
といった意味の言葉を書いていた。
「性善」であることは間違いないのだが・・・・。
7月2日(金) 「善悪」について
食物の量が制限されない限り、生物に「共食い」はない。カマキリのオスが交尾後メスに食べられるのは生殖の一つのカタチであって「共食い」ではない。
そう考えると、「悪」とは「共食い」することだということが分かる。
実に単純なことである。生物の「自然」に反する行為が「悪」なのだ。
生物はそれぞれ自分たちの種の「いのち」を育むために生きている。そのために別の種の「いのち」を食べる。これは「悪」ではない。食物連鎖の一部分を担当する自然な状態なのである。
ここで、人類という種が他の生物と異なる「優れた」点を一つだけ挙げることができることに気づいた。人類だけが、他の「いのち」を食べることで自身が生きていることに気づいて、「感謝」することが出来る生物なのだ。
これが「善」の本質ではないだろうか。
私は、人類というのは本能が壊れた異常な「生物」だと思っているが、この「感謝」の念を持つことが出来る唯一の生物だという点では、自然界の中で突出した存在であると考えていいように思い出した。
人類とは「感謝」できる唯一の「生物」。
当たり前だと笑われるかもしれないが、これは、私にとって貴重な発見だった。
この観点を土台にして、これから「倫理」ということを考えていきたいと思う。
6月29日(火) 懐かしいビデオの数々
30年近くかけて収集してきたビデオ録画作品をDVDに焼き付ける作業を続けている。
はじめてテレビ放映された「七人の侍」を、勤務していた名古屋のS高校に泊り込んで学校にあったオープンリールのビデオテープに録画したのが皮切りだった。そのころはまだカセットのビデオデッキがなかった頃で、30年ほど前である。その少し後に2時間もののカセットデッキが発売された。ものすごく高かったが、NHKで正月に放映されると予告された日本映画の名作中の名作「浮雲」「夫婦善哉」「晩春」の三本を何としても録画したかったので購入した。以来、テレビで放映された名作映画、ドラマ、をとりまくって今日にいたる。
レンタルビデオなんてものが現われて、テレビからの録画は主に特集番組に変わった。テープの保管場所に困ってそうとう処分してしまったが、厳選した作品は現在も残してある。
DVDに焼き付けるのは、その中からさらに厳選した作品である。
現在、行なっているのは次の作品群。
「或る小倉日記伝」
「キング牧師を生んだ男」
「笑いの大学」
「シャツの店」
「教員室」
「瀬戸内寂聴が語る源氏物語」
「切腹」
「キュリー夫人」
「宗教対談。司馬遼太郎と山折哲雄」
「女系家族」
「総長賭博」
「チャタレイ裁判」
「男子の本懐」
「私は貝になりたい」
その他、歴史の特集もの、知ってるつもり、NHKスペシャルなど多数。
中には(私にとって)とても貴重なものもある。
焼き付けながら見直すことが多く、楽しい作業である。
6月23日(水) 孟子(2) 「大丈夫」と「独善」
孟子が残した数々の言葉の中で、好きな言葉の一つが「大丈夫」という言葉である。
成人の男子を「丈夫」というのに対して、より気力が充実し、義の自覚をもち続ける男の中の男を「大丈夫」と言った。日本語の「だいじょうぶ」という言葉は、この孟子のことばから発して、最初は「大丈夫でいられるか」と言っていたのが詰まって「大丈夫か」となったものらしい。
孟子の文章は、歯切れのいい、たたみかけるような文章で、読んでいると気持ちが大きくなってくる。特にこの「大丈夫」について書かれている「勝文公」下篇の一節は、読む人を「大丈夫」にいざなうような力強さがある。
「天下の広居に居り、天下の正位に立ち、天下の大道を行なう。志を得れば民と之に由り、志を得ざれば、独り其の道を行なう。富貴も淫する能わず、貧賎も移す能わず、威武も屈する能わず、之を之れ、大丈夫と謂う」
「富貴」も心をとろかすことはできない、「貧賎」に陥っても心を変えさせることはできない、「威武」もその志を屈従させることはできない。・・・孟子の文章の魅力は、こういう見事なリズムにある。読んでいると、何だか大空に向かって胸を張りたくなるような気持ちになる。幕末の「志士」たちは、おそらくこういう言葉によって気力を充実させられたのであろう。
(前記の)鈴木氏の本で教えられたのは、この一節中の「志を得ざれば、独り其の道を行なう」というくだりが、「尽心」上篇にある「窮すればすなわち独り其の身を善くし」と同じ内容の言葉であり、ここから出た「独善」という言葉が、中国社会の知識人に愛用されたということであった。この生き方は、孔子の有名な「自ら省みて直くんば、千万人と雖も吾往かん」から受けつがれたもので、この文脈から見ると「独善」はいい言葉だったのである。それが日本に入ると、集団主義の風土の中で悪い意味に用いられるようになった。これは、言葉の本来の意味が日本人の感性によって歪められて使われるようになった例の一つである。
しかし考えてみると、「大丈夫」という言葉も気宇壮大な本来の意味が歪められて、ただ「安全である」というようなチッポケナ意味に変えられて用いられているわけである。いかにも日本的と言える。
6月21日(月) 孟子(1)
吉田松陰について調べてみて、孟子の偉大さを改めて知った。
松陰は松下村塾で孟子を講義し、その教えを受けた若い志士たちが明治維新を成し遂げたと言っていい。その大きな水脈が影響していたのか、近代教育の用語には孟子の残した言葉が圧倒的に多い。
そもそも「教育」という言葉自体が孟子から出ている。孟子の「君子に三楽あり」の章の第三の楽に「天下の英才を得て、これを教育する」とある。ここから「教育」が出て、さらには奨学金制度に使われる「育英」という言葉も誕生した。
「学校」も孟子である。「ショウ、序、学、校、を設為して、以って之を教う」とあり、孟子は「学」(官吏養成所)と「校」(子弟を教える場所)を別の施設としていたが、日本ではこれを合体して「学校」を生み出した。
「学問」もそうである。「学問の道は他無し。其の放心を求むのみ」
その他、「良心」「人倫」「智慧」「交際」「行事」「先覚者」「私淑」「利口」「会計」など、
昨日読んだ「中国の人と思想ー孟子」(鈴木修次)には、一々出典個所を明記して羅列してあった。中には「自暴自棄」などという言葉まである。
このことについて、鈴木修次氏は、こう書いている。
「(なぜこんなに孟子の言葉が多いのか)それはおそらく、維新の志士が『孟子』を好んだり、明治初期の教育指導者の愛読書が『孟子』であったということに、ひとつの原因が求められるのであろう。幕末から明治にかけては『孟子』は人々の必読書であった。名士政府の行政も、『孟子』から少なからざる知恵を得たものなのである」
6月20日(日) 「何も無い」ということ。
昨日、橋本さんと宇宙の話をしていて、自分が「無」という状態を本当はイメージできないことに気が付いた。
今まで頭でわかっていたつもりだったが、私には「何かが在る」というイメージの土台の中でしか「何も無い」という状態は想像できないのだ。だから、ビッグ・バンという、今では誰も疑うことがないという<宇宙の成立時点>が、どうもまだイメージできない。
最初、宇宙は「点」だった、と橋本さんは言う。しかし「点」というのも、私には、鉛筆の芯の先で紙につけたシルシとしての「点」しかイメージできない。しかし、本来「点」というのは目に見えるものではない。「線」だってそうなのだが・・・私は、目に見えるものに転換してしかイメージできない。
しかし、おそらくほとんどの人が私と同じような質の想像力しかもっていないのだろう。だから仏教も偶像崇拝となって初めて広まった。本来「空」なんてものは、存在を土台とした想像力では太刀打ちできないものだろう。
宇宙の原初形態としての「点」。時間も空間もそこから始まるという「点」。
それが大爆発して、現在もその破片が飛びつづけているのでその角度や速度を測定したり、爆発時の音がまだ漂っていて高感度のアンテナでは感知できるので・・・それらから、原初形態は「点」だったと解明されたという、いわゆるビッグ・バン説。
しかしまあ、何も無い「点」が爆発して現在我々が体験するあらゆる「存在」が生まれて、四方八方に飛び散ったなんてトテツモナイ想像を、よくまあできたものだと感嘆する。
具体的な事象をつなげた結果としても、宇宙の始まりが、それ以外「何も無い」「点」であったということを<想像>できた人というのは、釈迦に匹敵するほどのモノスゴイ人だと思う。そういう、とてつもない想像力を持った天才たちが、様々な分野でこの世界の謎を少しずつ解明してきてくれたのだろう。
私には、いまだに(頭ではわかるが)、「時間も空間も何も無い」という状態をイメージすることができない。
6月19日(土) 教育実習生の研究授業
昨日、教育実習生の研究授業があった。
私が担当する実習生は、予定していた内容を実にうまくこなしたが、指名した生徒があまりにも早く答えることが続いために時間配分の予定が大幅に狂い、10分近く早く終わってしまった。最後は見ていられなかったので助け舟を出した。研究授業としては失敗かもしれないが、真面目さがとてもよく出ていたミスで、私は満足だった。
もうついぞ板書計画を立てたこともなく、時間配分など考えもせず、行き当たりばったりで授業をしているので、丁寧に計画をたて、きれいに板書して教える姿を見ると、こちらの気持ちが引き締まる。こちらが教えられた感じがした実習の指導だった。。
6時間目は日本史の実習生の研究授業を見た。大化の改新のところであった。
実習生は他校の出身者で、色の白い綺麗な女子大学生である。ほとんど1時間中板書し続けるという講義形式の授業だったが、生徒は驚くほど真面目に聴いていて、その姿は本校の生徒とは思えないほどだった。とても整理された授業展開で、わかり易く、これは見学者から高い評価をうけるだろうなと思った。
そこで私は、あえて注文したいことを強く出して批評することにした。
こんなことを言った。
「入鹿を殺害する場面で、手紙を読み上げる手がブルブルふるえたとか、物語のようにドラマチックに場面を話していて面白かったけれど、その記述の出典を言わなかったですね。日本書紀あたりでしょうが、歴史の授業では必ず出典を言うべきだと思いますよ」
「中大兄皇子は、皇極天皇の前で事件を起こしたので天皇になれなかったという説明をされたけれど、中大兄は天皇になるより皇子となっていた方が実質的に動けたからあえて天皇にならなかったという面が多かったのではないでしょうか」
「ここではじめて『大化』という元号が使われ、それが元号の最初だという説明をするなら、私だったら現在の『元号法制化』のことを少し話したいと思いました。歴史をまなぶことは事実をただ知ることではなく、その事実を現在につなげることが必要だと思いますから、元号のことなどはそういう説明ができる事項だと思います。私だったら、そういう話も少しはします」
参考になったかどうか。
6月18日(金) 『夏の庭』
東京在住のネット友人であるペコちゃんから、時々若者向けの本の推薦がある。とてもありがたい。今回は『夏の庭』湯本香樹実著(新潮文庫)を推薦して戴いた。(掲示板に書き込みがあります。参照して下さい)
取り急ぎ、以下のような返信を出した。
「夏の庭」読みましたよ。いい小説ですね。
実は、この小説は数年前に愛知県の高校入試の国語の問題になっていて、私はその時初めて知ったのです。そこでとられていたのが、主人公が(死ぬ姿を見ようと思って接している)おじいさんの家の庭でホースで水をまいている場面でした。
ホースの水によって虹が現われる。その時、主人公は、おそらくまだもっとたくさんの美しいものが世の中には存在しているのだろう。でも自分たちには見えないのだろう。この虹のようにいつか何かをきっかけに現われるだろうか(というような表現だったと曖昧な記憶をたどっています)と考えます。・・・実に素晴らしい場面でした。
その場面は「図書館探訪」にも紹介したことがあります。
いい小説の推薦、ありがとうございます。
また、お願いしますね。
<ペコちゃんは子どもを育て上げてから、大学へ入って勉強したり、何でも見てやろうの精神で、以前、私が推薦する大阪の遊郭跡散策(女性はちょっと行ける場所ではない)にまで付き合ってくれたりもした、とても素敵な女性です。>
6月17日(木) ミステリーが好きな新任校長
今年赴任した新しい校長さんは今までに接したことがないほど気さくな人だ。
英米のミステリーが好きなのだ。先日もダン・ブラウンの新作「ダビンチ・コード」の話を嬉々としてしてくれた。翻訳が出る前に原書で読んだらしいが、キリストの聖杯にまつわる話らしくて、ダビンチの「最後の晩餐」に描かれた人物の中に女が1人いるとか・・・ほんとに楽しそうに話していた。
私が、ダン・ブラウンの小説はハリウッド映画のようだという話をして、聖杯なんていうとインディー・ジョーンズの第3作を連想するというと、何と校長さんもインディー・ジョーンズを観ているのだ。ああいうハリウッドの娯楽映画を観ている校長さんは初めてだ。
私が日本のミステリーで最高傑作だと思っている谷崎潤一郎の「途上」を紹介すると、早速読んで「面白かった」と言ってくれた。
大学ではシェイクスピアを専攻していたらしい。今度はその話を聴いてみたい。
6月15日(火) 忙しいから「読書」
自分自身でいうことではないが、現在八面六臂の大活躍という感じがする。
統一テストのための考査問題を2つ作り上げ、毎日教育実習生の指導をし、学校図書館教育研究会地区事務局として1週間後の総会の準備を進め、総会後の研究発表者としてレジュメの作成をしている。その間に週1回の「図書館探訪」は絶対出すと自分にノルマを課し、補習を行い、考査明けすぐに2学年で行われる「総合」の「読書」時間のために「探索ノート」や鑑賞文を整備する。
毎日、しなければならない仕事の項目を書いたメモ用紙を何回も見ている。
でも、このクソ忙しい毎日の事務仕事を口実に読書しないなんていう「怠けた」態度だけはとりたくない。
司馬遼太郎の「空海の風景」を何が何でも毎日読んでいる。
こういう形而下の雑務に追いまくられている時こそ、精神が日常性の中に埋没しないために、形而上想念の時間を持つことは大切だと思うからである。
6月7日(月) 「幼さ」による犯罪
インターネットを使う小学6年生の少女が同級生の少女を刺殺した。
面会した加害者少女の弁護士が発した最初の言葉は、6年生とは思えない4年生くらいの幼さを感じた、というものだった。
私はそれを聞いて、ああまた、これまでの犯罪でよく指摘されていた加害者と同じ「印象」が語られているな、と思った。以前日本中を震撼させた長崎における12歳の少年による殺人事件の時も、その成績優秀な少年の「精神的な幼さ」が特徴としてあがっていたのである。
私は、この「幼稚さ」というものが、これらの犯罪のキーワードになると思った。
以前引用したことがあるが、港湾労働者で哲学者のエリック・ホッファーが、「現代という時代の気質」の中の「未成年の時代」において、次のように語っている。
<・・・社会全体が少年のような考え方や行動をしはじめることもあるのだ。とくに20世紀にはほとんど全世界的な規模で少年化の現象がみられる。共産主義、ファシズム・人種的偏見、その他世界の低開発地域で現在勃発している大衆運動の少年的性格は誰にでもすぐわかるだろう。新興国あるいは復興国の指導者はほとんどすべてがその性格にきわだって少年的な要素をもっている。・・・重要な点は、少年化は必然的にある程度の原始化という結果をもたらす、ということである。われわれは20世紀の重大なパラドックスに直面している、すなわち技術の進歩が部族主義への回帰、カリスマ的指導者、呪術師、軽信、部族間の戦争をともなってきたというパラドックスに。これまでは機械を非難するのが一般的傾向だった。機械が人間を野蛮にし、非人間化する効果、つまりいかにそれがわれわれをロボットや奴隷にし、われわれの個性を圧殺し、生を矮小にするか、などについてはかなりの文献がある。・・・・いや、こうした社会の原始性を生み出すのは機械それ自体ではなく、ドラスティックな変化なのである。土地から切り離された無数の人間の急速な都会化は、現代の中心的な経験であり、新しいアイデンティティを求めて根をうしなったこれらの人々の要求が現代の気質を生み、形成したのである。・・・新しいアイデンティティの探求に刺激されて人々がたえざる行動や精力的活動に没入することによって永遠に進行中の状態にとどまるときも、原始化がともなう。成熟するには閑暇が必要なのだ。急いでいる人々は成長することも衰微することもできない、彼らは永遠の幼年期の状態にとどめられているのである>
指摘されているような現代日本社会の「少年化」「原始化」ということが、このような恐ろしい犯罪を犯す少年少女の<個別的要因>の背後に、間違いなく存在していると思う。
急激な社会の変化についていくために、子ども達はメールやインターネットに習熟していく。(テレビの報道番組で紹介されていたが)現在、6歳から12歳までで、インターネットを使用している子供達は、何と62%に及ぶという。子供達は、そのような電脳社会の急速な「変化」の中で、流され、追い立てられ、自然に成熟していくために必要な「閑暇」を奪われている。それは、マクルーハンが言った「思春期が奪われる」という状態と言ってもいいかもしれないが、とにかく「少年化」「幼稚化」が蔓延しているのだ。
「急いでいる人々は成長することも衰微することもできない、彼らは永遠の幼年期の状態にとどめられている」
というホッファーの言葉は恐ろしい。
6月6日(日) 息子の結婚式(2)
橋本さん書き込みありがとうございました。
息子の結婚式は無事終わりました。
とってもいい結婚式でした。予想していたよりもはるかに愉快な、気持ちのいい宴でした。
覚王山にあるルプラ王山という教職員の会館で行いました。
27年前に私たちが結婚した会館です。
当時は王山会館という名で、かなり粗末な建物でしたが、今はホテル並の美しい建物に変わっていました。
親族紹介と最後のお礼の言葉が、新郎の父親としての役割です。
ラストの言葉は誰でも言うありきたりの形式的な謝礼だけではつまらないので、謝礼を述べた後で、27年前に自分もここで結婚し、翌年伸介が生まれた時、1週間考えて命名した名前の由来を話しました。
「介」という字は、「人」が両手を横に延ばしている絵から出来た文字で、人と手をつなぐという意味があります。だから「仲介」とか「介入」とか、人と人とをつないでいくという意味で用いられます。私はこの字が大好きだったので、何とかこれを息子の名前にしたいと思いました。そこで「介」の上につく漢字を探し、最終的に、伸びて欲しいという気持ちで「伸」を選びました。つまり「伸介」は「人と手をつないで伸びていってほしい」という気持ちをこめた名前なのです・・・
伸介の友人たちも、職場の上司さんたちも、相手側の兄弟親族の方も、本当に気さくな純朴な感じの善意あふれる人たちでした。
いい人たちに囲まれて、いいパートナーを手に入れて、伸介は本当に幸せだと思いました。
6月5日(土) 息子の結婚式
今日、息子が結婚する。
26歳である。
自分のやりたい事をかなりやってきた息子である。今までは自分だけの楽しみを求めていればよかったが、これからは妻子に対する責任をもたなければならない。
私自身を振り返ってみて、結婚して子どもができてから本当の「人間」としての学習が始まったような気がする。
反抗する子ども達によって、私自身が学んだことは、本当に多かった。
これから息子がどのように「成長」していくのか。
見守りたい。
6月4日(金) 憲法と教育基本法 (5)
小森陽一氏は講演の最後に、教育基本法改悪阻止、憲法改悪阻止のためのアッと驚くような運動を近々提議する、と言っていた。
私は、憲法については変えたほうがいい個所が何箇所かあると思っている。明治の民権運動家たちがやったようにこちら側からも憲法私案を作るほうがいいと思っている。しかし、現在の状況からするとそういう形で「改正論議」の土俵に乗ることは、向こう側に都合のいい案を「数の論理」で成立させてしまうことになるだろう。信じられないような杜撰な内容の年金法案が押し切られていく今の国会を見れば、それは明らかである。だから、現在の状況下では、とても土俵に乗ることはできない。
第9条2項の非武装規定がどんなに非現実的であったとしても、それによって<歯止め>はかかっていたのだ。国家権力の暴走を食い止めるという憲法の趣旨から言えば、実情と乖離したカラ規定としても、今はまだそれを守っていくしか方法はないだろう。
教育基本法は、憲法の「国家権力暴走禁止」という本質的性格を、教育に関する規定として最も純粋に体現した法律である。何度読んでも、変える必要のある文言はない。
これは、何としても守りたいと思う。
小森陽一氏の提議する運動に注目したい。(終)
6月3日(木) 憲法と教育基本法 (4)
「新・教育基本法私案」第一条(教育の目的)の文言は、あまりにも見え見えで、まさかこれだけ「右翼的」な目的がかかげられるとは思えない。
しかし、現行の素晴らしい表現(中曽根康弘はアメリカからもらった「蒸留水」のような理念なんていう実にうまい言い方をしていたのをどこかで読んだが)を、遠山敦子文部科学大臣の意図を最大限汲み取って改変するとなると、こういう表現になるのかもしれない。
しかしこの「私案」には、単純に理念の問題ではなく、政治的利害が入り込んでいるとしか思えないような個所がある。これは知人のK教授が指摘したことだが、第七条(政治教育)が、こうなっているのだ。
第七条(政治教育)
(1) 良識ある国民たるに必要な政治教養は、教育上これを尊重することとする。
(2) 国及び地方公共団体の設置する学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対す るための政治教育その他政治的活動をしてはならない。
(1)の文言は、現行の教育基本法と全く同じである。問題は(2)。現行の文言はこうなっている。
(2) 法律に定める学校は、特定の政党を支持し・・・<以下上記と同文>
つまり、主語だけが変えられているのだ。現行の基本法では私学も含めたすべての学校が該当する「法律に定め」られた学校において、「特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育」は禁止されているのだが、「私案」では、それが公立学校だけに限定されることになる。私学ははずされるのだ。
即座に連想されるのは、非常に大きな宗教的組織を背景にした政党の存在であろう。
私学はそういう政党を支持する教育をどんどんすすめることが出来ることになるわけである。
6月2日(水) 憲法と教育基本法 (3)
教育基本法の改正案について小森陽一氏は具体的な紹介をしなかったが、すでに2001年2月19日に、PHP総合研究所は、新・教育基本法私案 (新・教育基本法検討プロジェクト、主 査/加藤 寛、メンバー 石井威望/渡部昇一/屋内太郎/和田秀樹/八木秀次/江口克彦 事務局長/秋山憲雄 )を発表している。
その「私案」は中教審の中間報告で示された「国を愛する心」や「公共心」を理念に盛り込めという方向にそって作られたもののようだ。これだけはっきりとした文言になるとは思えないが、名だたる知識人たちが集まって作り上げているものだから、たたき台として参考にされるのは間違いないと思うので、紹介してみよう。
第一条(教育の目的)
日本の教育の目的は、人間が潜在的に有する道徳的・知的能力を発揮させ、わが国の 歴史・伝統・文化を正しく伝えることによって立派な日本人をつくることにある。
第二条(教育目的の実現)
(1) 教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場において実現されなければならない。 とりわけ、基礎的なしつけ・人間としての教育の実践は主として家庭に委ねられる。
(2) 教育の目的を達成するためには、学問に対する興味を養い、実生活における自立の 精神を伸ばし、互いの敬愛と協力によって、文化の継承と創造に貢献するように努めな ければならない
(今日は時間不足で、ここまで)
6月1日(火) 憲法と教育基本法 (2)
日本国憲法については、本則全99条中に、改訂あるいは補足した方がいいような個所は多少ある。例えば、首相公選するためには、第67条の「内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決でこれを指名する」という文言は変えなければならない。
しかし教育基本法を読み返すと、これは実に見事な規定となっていて、何ら変更する必要があるとは思えない。
愛国心とか日本の伝統、文化とかを盛り込みたいということがしきりに言われるが、「平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成」という表現が、第1条の「教育の目的」に掲げられているのだ。愛国者でなければ「平和的な国家及び社会の形成者」になれるわけがないということを考えれば、この規定は、支配者に都合のいい「愛国心」の概念が入り込まない実に見事な表現なのである。
伝統や文化という言葉、概念(実はこの言葉が私は大好きなのだが)は、梅原猛が指摘しているように、かつて「教育勅語」というものによって日本の伝統、文化が破壊された経過があるので(このすぐれた分析は支配層には絶対受け入れられないだろうが、実は国家権力こそが、日本の真の文化である神道も仏教も歪めて、伝統を破壊してきたというのが真実なのだ)入れるべきではないように思う。
つまり、愛国心とか日本の伝統、文化、という表現を盛り込みたがっている連中には、はっきりと別の、イヤラシイ意図があるのだ。
とても率直で、その点では爽快感すら覚える民主党の西村慎吾は、「教育基本法改正促進委員会」の設立総会で、はっきりとこう発言している。
「お国のために命を投げ出す日本人を生み出す。お国のために命をささげた人があって、今ここに祖国があるということを子どもたちに教える。これに尽きる」「お国のために命を投げ出す機構、つまり国民の軍隊が明確に意識されなければならない、この中で国民教育が復活していく」
これだけはっきり言ってくれていると分かり易い。
5月31日(月) 憲法と教育基本法 (1)
「教育基本法の改悪をとめよう!5・30あいち大集会」に参加した。
東大教授の小森陽一が講演した。この人の話をじかに聴くのは初めてだったが、今まで聴いた共産系インテリ運動家の話の中で、もっとも過激だったように思う。
彼は前半で、「憲法というものは、国家権力に対して、これをしてはいけない、ということが決められているもの」ということを強調していた。これは、かつて橋本さんがHPで繰り返し書いていたことで、実は私もそれを読むまでは(恥ずかしながら)認識していなかったことだ。しかし小森さんがくどいほどそれを強調したのは、おそらく大部分の人が認識していないという意識があったからだろう。
国家権力は暴走しかねない。それをくいとめるのが憲法である。特に39条までは、国家権力が<何をしてはいけないか>が具体的に規定してある。このことを本当にしっかり認識することから、憲法問題を考えなければならない。
自民党は、そういう憲法の<歯止め>を取り除きたいのだ。はっきりと、アメリカのシリについて戦争が出来る国にしたいのだ。これは日本の宗主国アメリカからの「要請」でもある。今まではそれをはっきりと言わなかったが、文芸春秋でアーミテージが9条は邪魔だという趣旨のことを書いている。しかし、憲法を変えるためには国民投票にかける必要がある。そこで教育基本法の「改正」によって、国民を洗脳しておかなくてはならない。
現在、そういう状況にある。
教育基本法をもう一度読み返してみた。
わずか10条、全文を読むのに2分ほどしかかからない。しかし、これは確かに憲法が国家権力の暴走を規制する規定であることと見事に呼応して、教育行政に対しての規定になっている。第3条には「すべての国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を<与えられなければならない>・・・」第10条には「教育は、不当な支配に屈することなく、国民全体に対して直接に責任を負って行われるべきものである」とある。これは教育行政機関に対する規定である。
そういう教育基本法をどう「改正」するのか。 (続く)
5月30日(日) 共産主義的発想
S塾で、日本共産党の問題点が話し合われた。
県立大教授のKさんが提出した日本共産党の問題点は、共産党のエリート主義、「えらそうな」「無知蒙昧な人民を教え導く」ような姿勢だった。
ブルジョア民主主義が発達している国において、すでに共産主義的な形での社会改造は不可能だという。共産党のエリート主義は、人民が無知で圧政に苦しんでいるという昔のイメージそのままで人々をとらえているという。共産党のそういう「えらそうな」(この言葉が大好きだとK氏は言っていた)態度が間違っているという。
そこから、K氏は、日本共産党の「民主集中制」とか「秘密主義」のいわば愚民政策を批判する。
そこで、質問してみた。
「私はほとんど同感です。私も人々は愚かでないと思いますから首相公選すべきだと思っていますが、共産党は反対のようです。Kさん、その点は?」
すると、Kさんはこんな言い方をしたのだ。
「うーん・・・独裁者をえらんでしまうこがあるからなあ・・・」
私は思わず言ってしまった。
「人々は愚かではないと信じる最後のシステムとしては首相公選になるんじゃないですか?それをダメというのは、共産党の愚民政策を批判する論理と矛盾するのではないですか?」
「あ、・・・・そうか・・・」
Kさんはそれ以上何も言わなかった。他の人たちからも発言はなかった。
私は、少々失望した。
結局Kさんも人々は愚かだと思うエリートの一員なのだ。東大出の大学教授なんだから、やっぱり人々をバカにしていないと言っても、自分と同等だとは思っていないのだろう。自分がエリートだからこそ、自分を「えらそうに」導くような態度の共産党に我慢がならないのだ。
私はどうも感覚的に違うなあ・・・・と、S塾に集まっている知識人たちと少し違和感を覚えた勉強会だった。
5月29日(土) 眼科検診
毎年この時期に行われる眼科検診は、私の勤務する学校の一大イベントになっている。「御殿医様」と呼ばれているトッテモエライ地元眼科の校医さんが生徒を診察にくるのである。
校医さんは、少しでも生徒の態度が悪かったり、服装が不潔だったり、職員の応対がまずかったりすると機嫌を害して、突然中断して帰ってしまったり(もちろん後で大変な苦労をして再検診を頼まなければならない)、ものすごい注意指導を行って養護教諭を苦しめるらしいのだ。昨年まで勤務していた養護教諭に一度我慢ができずに反抗した時の体験を聴いたが、それは想像を絶する内容だった。
とにかく、その医者が来校する時は、職員の配置や仕事分担の専用プリントが用意され、分刻みの対応が計画されるという、全く異常といえる状態になる。診察場所の視聴覚室周辺はピカピカに磨き上げられ、受診者として選び抜かれた「いい生徒」たちに何回もみだしなみ指導をし、授業開始のチャイムを止め、校内放送も禁止するといった、いわば「厳戒態勢」がとられるのである。時には、検診中に一般生徒がうるさくしないように授業内容を一部変更したりもする。今年はちょうどLTの時間だったので、診察場所近くの3年生を静かにすることは難しいと判断して急遽、全員を体育館へカンズメにする(ビデをを見せる)なんて事もした。たかが(といっては失礼だが)眼科の検診のために、なんでこんなに大層な対応をしなければならないのかと、管理職も含めて全員がぶつぶつ言いながら、仕方なしに動く。直接担当する保健部の苦労は並大抵ではない。
何度も校医を変更してもらうように請願したらしが、医者は地元の名士で医師会のえらい様で、無理だという。
しかし、10年見てきて、このイベントは職員が仲良くなる一つのきっかけという役割を果たしているのではないかと思うようになった。
つまり、バカバカしいという感情で、管理職も含めた全職員の気持ちが一体となることができる貴重なイベントなのだ。眼科検診と言うだけで、みんなの顔がほころぶ。検診日が近づくと苦笑いしながらの打ち合わせが始まる。無事検診が終わると職員朝礼でもクスクス笑いが起こるようなお礼の報告がされる。
和気藹々と眼科医の悪口をいい、バカバカしさという感情で職員の気持ちが一丸となる・・・・考えてみれば、これほど素晴らしい「組織活性化」のイベントはないのではないか。
そう考えて、これも私の「喜びノート」に記録することにした。
5月28日(金) 「喜びノート」
今年初めてのホタルを見た。5匹。例年より早く発見した。
これからまた、毎日、夜の<ホタル狩り>がはじまりそうだ。
カミサンの周辺に<うつ>の人が多く出ている。創価学会に入っている友人までがどうもそうらしいという。
創価学会員なら法華経を読んでいるだろうし、「南妙法蓮華経」という題目を唱えることによって、いつも精神を高揚させ、元気をみなぎらせているはずだ。あの題目が人間を元気にする最高のリズムであることは多くの人(美輪明宏など)が指摘している。それによって日蓮宗の不屈さも保たれているといえるほど効果のあるものらしいのに、それを行っている人でも<うつ>になるのか、と少し不思議な気がした。
更年期障害ということかもしれない。ホルモンのバランス異常で、精神の訓練ではどうしようもないかもしれない。
しかし、五木寛之が紹介していた「喜びノート」というのは、<うつ>治療の最高の方法だと確信している。
それは、彼自身の<うつ>克服体験を書いたものであるが、毎日必ず一つ、嬉しかったことを見つけ出してノートに書くという方法である。どんな些細なことでもいい、とにかく嬉しかったこと、楽しかったこと、を探し出して書き留めるということらしい。
それを数ヶ月やりつづけたら、<うつ>が治ったという。
これは、素晴らしい方法だと思った。
ラッセルの幸福論の趣旨「幸福の秘訣は目を外界に注ぐこと」に通じると思う。
カミサンには、その創価学会員の友人に、五木寛之の本をプレゼントしたらと言った。
五木寛之は「他力」の信者で浄土真宗系だから、日蓮宗の信者にはダメかもしれないが・・・
昨日の私の「喜びノート」は、ホタルを発見したことである。
5月24日(月) 木曽川学
一昨日は「木曽川学」2回目に参加できなかった。出発が遅れたのと、交通渋滞に遭ったために開始時間に間に合わなかったのだ。
途中であきらめて、鵜沼手前の「木曽川ロマンチック街道」というところで休憩した。うぐいすが鳴き、川と山の景色が素晴らしいのでお気に入りの場所なのだ。講義を聴くのではなく、その日は実地観察と洒落込んだ。
司馬遼太郎の「世に棲む日日」の中で、吉田松陰が最初の弟子である金子重之助から「どのような方法を用いれば、学を為せるのでしょうか」と質問されて、
「地を離れて人なく、人を離れて事なし。故に人事を論ぜんと欲せば、先ず地理を観よ」
と答えるくだりが印象に残っている。
松陰は人文地理的発想が得意で、人は地理的環境に制約されている。まず地理的環境をくわしくみれば、そこに住む人間集団の大体がわかる。その人間集団ー社会の解明をはなれて、事柄というものは出てこない。ゆえに、社会と社会現象を見ようとすればまず地理からはじめねばならない、という。
そこで、まず「木曽川学」。
これから特に、人文地理的発想でものごとを観ていくことを重視しようと思う。
濃尾平野は私が生まれ育った所ではないけれども、生涯この地で生きることになるので、私の子供達や教えている生徒達のためにも、木曽川流域の地理的環境については学習していきたい。
5月22日(土) 天国のような学校?
昨日愛知県図書館で開催された「学校図書館研究会高校部会総会」の仕事は、参加する予定の尾西北地区図書館関係職員40名に対する膨大な資料の配布と受け付けだった。
以前私の勤務する学校にいて今K校の図書主任をしているSさんがたまたま早く来ていたので、泣きついて受け付け業務を手伝ってもらった。助かった。彼がいなかったら1人でテンテコマイだった。
青森県から来た講演者の話はスゴイものだった。
青森県では、高校の「図書委員」の「研究会」というものを組織して、もう10数年来活動しているというのだ。
何?!学校の「図書委員」を全県からあつめて交流させる?
作家の講演を聴いたり分科会で討論したり「図書館だより」のコンテストをしたり・・・?そんなことは、発想したこともなかった。
Sさんに手伝ってもらって、欠席した8校分の(1人では運びきれない)資料を車で持ち帰った。車内でSさんからいろいろな話を聞いた。
Sさんが勤務するK校は私が14年間いた学校だが、現在は全く別の学校のように様変わりしているようだ。校長が変わって若手の教員を集め、年配の組合員を追い出したところで、すごい管理体制を敷いて、いい生徒を集めたらしい。
現在生徒は格段によくなって、授業は天国のように楽だという。
生徒はどのクラスでもチャイムが鳴れば着席していて、授業の最初に起立、礼して「お願いします」と言い、終わりには「ありがとうございました」と言うらしい。
評定のいい生徒もどんどん入っているので、今までのような易しい数学の考査問題では100点もかなり出るという。
私がいたころには信じられないことだ。
どんどん従順ないい生徒が集まっていて、どんなに管理を厳しくしても素直に従うようである。遅刻も特別指導も少ないらしい。
ああ、そんな生徒を教えてみたいなあ。
今日は各務ヶ原まで、「木曽川学」2回目の講義を聴きに行く。
5月21日(金) 雑用の日日
今調べたいこと。
欧州連合のど真ん中にポツンと孤立して存在しているスイスのこと。
教育基本法の改正問題について、「親米保守派」と「反米保守派」に主張の違いがあるのかどうか。
雑用が一挙に入ってきて、なかなか調べる時間がない。
今日も出張で、愛知県図書館に行く。
暇を見つけて本を捜してみよう。
5月20日(木) パス
昨日出張で甚目寺まで行って、帰宅して寝てしまった。
朝も寝坊。
毎日、出来るだけまとまったことを書こうと思うのだが、体力とキャパシティの限界で、今朝は書けない。
今日、帰宅してから書けるかな・・・
5月19日(水) ヨーロッパ諸国のナショナリズム
先日のNHK「視点論点」にサーラ・スベン(ドイツ日本研究所、人文科学研究部長)という人が登場して、EUとアジアについての話をしていた。以前、私が橋本さんの掲示板に書いたことのある「ナショナリズム」にも言及した内容で、共感できる指摘だった。
彼はこういう表現で語っていた。
「ヨーロッパの経験から東アジアの地域統合の将来を考える時、一番支障を与えるのは、東アジア各国における国家観ではないかという気がします。欧州において国家という概念が戦後ますます相対的になっているのに対して、東アジアにおいて国家というものはいまだに絶対的な存在であるように思います。ヨーロッパでナショナリズム、とりわけ国への忠誠心の強化をねらうナショナリズムに対する疑問が強くなりつつあるのに対して東アジア諸国において近年逆に国への忠誠心、いわゆる愛国心を強化する動きが強まっています。日本でも 教育基本法の改正と憲法改正問題をめぐる論争において 愛国心の人工的な育成を目的とする論者がたくさんいるようです。ヨーロッパでは第二次世界大戦以来、歴史の教訓として、国、ナショナリズム、愛国主義などという思想に対して強い警戒心が浮上し、もはや健康的なナショナリズムというものはあり得ないというのが欧州における一般的な考え方です。このようなナショナリズムに対する疑問こそが現在のヨーロッパのアイデンティティの中核にあると言えます。もちろんサッカーなどの試合に対して国旗を振る人も多いのですが、政治とつながりかねないようなナショナリズム、国家への忠誠心を強化する動きは欧州において疑問視されています。ここに欧州の地域統合が成立した大きな要因があります。」
私が、以前書いた文章を以下にコピー。
<欧州連合についての漠然とした想い>
欧州連合の動きを見ていると、ヨーロッパ各国というのは、ローマ時代以来様々な民族交流を経て国という単位を構築してきた歴史があり、その間に練り上げられ形成された「国家意識」というものは、どうも日本や中国、それから歴史のないアメリカなどとは質の違うものかもしれない、という漠然とした思いがしています。
10カ国があらたに加盟して25ヶ国となった欧州連合。共通の通貨を作り、国境をなくし、やがては憲法をつくって(EUスタンダードというのはそのことか?)、大統領まで選ぼうとしているらしいけれど・・・そうしてヨーロッパが一つの「国」というような形になった時、それぞれの国のアイデンティティとはどのような折り合いがつけられるのでしょうか?
日本人や中国人、アメリカ人のもつナショナリズムとは異質なナショナリズムが、ヨーロッパの国々にはあるのだろうか。
ピーター・フランクルが日本へ来た時、日本には「日本史」と「世界史」の二つの教科があることに驚いた、と書いていたのが忘れられないのです。ヨーロッパの人々にとっては、自国の歴史というのは世界史の中でのみとらえられるものなのでしょう。
EUについて詳しい人、教えてくれませんか。 (コピー終わり)
今度の志談塾では、教育基本法改訂の問題が出されるようだ。
愛国心教育をねらう教育基本法問題を論じる時、こういう欧州諸国のナショナリズムについての考え方と対比することは重要な観点ではないかと思っているので、大いに質問し、学びたいと思っている。
この観点で、具体的な事例など、ご存知の方は教えて下さい。
5月18日(火) クタクタ
図書館研究会地区事務局の仕事について、昨年の担当者から電話で話を聞いた。
地区の研究会は3回やらなければならないという。
今年の1回目の場所抑えと講師依頼を早急にしなければならない。
犬山で行うことを決めた。
すぐ動かなければならない。
今年は教育実習生の指導を引き受けた。
昨日はその打ち合わせがあった。
実習生は4年前の教え子なので、仕方なく引き受けたのだ。
家に帰って、クタクタ。
もう、自分の能力の限界を感じる。
5月17日(月) 図書館研究会の仕事
金曜日に図書館の仕事で愛知県図書館へ出張。今年は私の学校が「図書館研究会」の地区事務局になったというので、校長も一緒だった。
大変な仕事のようだ。
地区の研究会を2回開催しなければならない。40校の図書館関係職員を集めて、講演か鑑賞会か研究発表を計画しなければならない。
まず6月中に1回やらなければならないということを、初めて知った。
そういえば、毎年行事があったが、今年はそれを主催しなければならないのだ。
昨年の事務局であるG校の教員とまだ引継ぎをしていない。
おそらく今年度の計画はしていないと思われるので、場所抑えと内容の決定を早急にしなければならない。
校長が「講師は私が探します」と言った。
それから、10月に行われる愛知県の小中高全部が集まる「学校図書館研究会」を、今年は高校部会が担当するらしいので、受け付けと講師の接待を、私の地区から18名選んで担当しなければならない。
これは大きな大会なので、準備に何度も会合が開かれる。
まず18名に依頼をしなければならない。
地区の研究大会でいきなり切り出して、引き受けてくれるはずもないので、根回しが大変。
校長さんが3年前に係りで動いていた人の名簿の中から2人ほど知っている人がいるというので、まずその人たちに依頼をお願いした。
大きな仕事がどうもその二つらしい。
とにかく、水曜日にG校に出かけて、事務引継ぎをして来なければ、具体的なことがわからない。
先のことを考えると不安になってくるが・・・まず当面やらなければならないことを、ひとつずつ片付けていこう。ちくしょう!やってやるぞ!
5月16日(日) 更新工事中です。
掲示板のリンクがうまく行きません。
メニュー画面で出てくる掲示板に、自分で書き込んでも掲示されない状態です。
でも、こちらが新しい掲示板になるので、前の掲示板に直接リンクされている人は、新しくリンクし直してください。
よろしくお願いします。
4月8日(木) 吉田松陰と語学
佐久間象山(余談・・・サクマショウザンと打ち込んだら象山と出たが、ゾウザンだと造山と出た。私のパソコンではサクマショウザンと読ませたいらしい)を師と仰いで象山塾へ入った吉田松陰は、語学(オランダ語)が不得意だった。
<象山塾は語学塾でもある。せっかく通学しているのに、ことばをおぼえねばならぬと自分を叱りつけてはいるのだが、どうも気が乗らない。・・・頭では重要であると思いながら、気持ちのなかでは、魚河岸の隠語や符牒をおぼえているようで無意味のようにおもわれ、自分が志向している方角に対して直線的にはむすびつかないように思える>
「世に棲む日日」のこの個所を読んで、バケモノみたいな印象の吉田松陰が身近な人間になった。
当時は、外国の進んだ思想、技術を吸収するためには、まず、オランダ語を習得しなければならなかった。語学は学問の土台である。しかし語学が苦手な者だっている。そして、苦手であってもちゃんとシゴトをやり遂げた人間もいる。
吉田松陰は、その典型例として私の頭にインプットされた。
<これ(注・・・オランダ語)をおぼえねば、西洋兵術に達することができないのかと、ときに絶望的な思いになる。これが、松陰の終生の強迫観念になった。のち松陰はオランダ語勉強を自責しつつ放棄し、ようやくこの観念から強引に自分を解放した>
吉田松陰、素晴らしい!
現代の英語コンプレックスに苦しむ私のような人間に、これほど力強い言葉はなかった。
ところで、日曜日の朝日新聞に、刈谷剛彦という人の「英語を子どもに教えるな」(市川力・中公新書ラクレ)という本の紹介があった。私が昔から思っていることが書いてあるようだった。(でも、同じ事を私が言っても、自分が英語をが出来ないからといってそれを正当化するなと言われそうで、言えない)
紹介文にはこうある。
<文部科学省は「英語が使える日本人」の育成をめざし、小学校への英語教育導入の検討を始めた。だが、本書を読むと、それがどんなに危険な政策か、にもかかわらず、英語熱に浮かれた社会の心理がいかなるものかが見えてくる。著者は、アメリカで長年にわたり日本人の子どもを塾で教えてきた経験を持つ。英語に取り囲まれた、一見恵まれた環境のなかでも、子どもをバイリンガルに育てるには、親にも子にも相当の覚悟がいる。少数の例外を除いて、多くの場合は、発音だけはネイティブ並でも、話の中身や考える力は、日本語も英語も中途半端な「セミリンガル」になってしまう。話を組み立てる語彙や思考力が育たないからだ。
日本人の英語によるコミュニケーションの難点は、日本語での論理的な思考力の欠如にあるとの診断も合点がいく。大人たちの英語コンプレックスの裏返しで性急な判断を下す前に、一読すべき一冊である。>
今の日本の英語熱に浮かされた教育体制は、結局「少数の例外」を育てるためにしかならないだろう。そのために「話の中身や考える力は、日本語も英語も中途半端」な日本人を無数に排出することになる。
実際、私が今までに会った「英語のよくできる」人たちにも、考える力とか感性においてはたいした事のない人がたくさんいた。
吉田松陰が、もし語学コンプレックスに負けてオランダ語ばかりやっていたら、明治維新はなかったかもしれない!・・・ああ、何という壮大な仮説だろう。
4月6日(火) 吉田松陰の恋
「世に棲む日日」で、吉田松陰が刑死した。
そこまで読んで、この人物に対して、正直なところ「気持ちが悪い」という感想を持った。
長州という徳川幕府に対する怨念の塊のような藩が密かに作り上げた「純粋培養」の「人造人間」。彼は、「私」というものを完全になくす武士道教育の極致のようなものを肉体的苦痛の恐怖とともに叩き込まれた。ふつうなら潰れてしまいそうなそういう幼少期を通過して成人したこの純粋性のバケモノは、実行動においては全く実効性など考えないような幼稚な面を見せる。
友人との旅行の約束を守るためだけの脱藩。
世界を見たいという情熱にかられた密出国の企て。
獄卒の巧みな誘導にのり、反幕の密議をやすやすと語ってしまっての刑死。
この人物によって明治維新が始まったと言っていいほどの大物なのだが、司馬遼太郎の小説を読む限りでは、「偉い」という印象はなく、「気持ち悪い」という印象が強いのだ。
こんなバケモノのような男には恋愛はないだろう・・・と思い込んでいたが、試しに「吉田松陰の恋」と書き込んで検索してみたら、何と、次のような松陰唯一の恋のエピソードが見つかった。
ヤツも、一応ニンゲンだったか、と思った。
以下、引用させてもらう。
(吉田松陰は)1854年、日本の将来を憂え、来日したアメリカ船に乗り込み、海外雄飛を依頼するも拒否され、囚われの身となります。そして故郷の獄「野山獄」に入れられるのです。高須久子との出会いはそのときのものです。
彼は獄の中で学校を開き、多くの囚人たちや獄卒、はては獄の責任者の侍なども弟子とします。
一時出獄が許されて杉家お預けの身のとき、敷地内に「松下村塾」という学校を開き、萩藩の若者達の多くが学びにきます。わずか1年半ほどの松下村塾ですが、そこからは高杉晋作、久坂玄随、木戸孝允、山県有朋、伊藤博文‥‥と明治維新で活躍するそうそうたるメンバーが巣立ちます。
その後わずか29歳にして吉田松陰は幕府の安政の大獄で処刑されるわけですが、もし松陰なければ明治維新はなかったと言えるくらいその育てた人材の豊富さは目を見張るものがあります。
「維新前夜、一瞬の光芒のごとく時代を駆け抜けた吉田松陰」とよく言われますが、その松陰の唯一の恋人が高須久子だったのです。
秘められた史料、高須久子投獄の真相とは?
この高須久子さんについては長い間詳細がわからなかったようなのです。さきの古川さんの小説でも入獄原因は「姦淫のためでございます」と言わせたりしています。
ところが戦後も昭和60年代になって、当時の裁判資料など新しい史料があきらかになってきました。NHKブックス619「松陰と女囚と明治維新」(田中彰)でそのあたりの詳細が述べられています。またさきのNHK「そのとき歴史は動いた」でも報道されました。
実は高須久子さんは、300石の高須(高洲)家のあととり娘でした。養子に迎えた夫が早くなくなり、寂しさを紛らすために三味線などに興味を覚え、町の三味線弾きなどを度々呼んで家で演奏させていたというのです。
ところがこれが今で言う「被差別部落民」だったわけで、身分制度が明文化されていた封建時代のこと、「武士が被差別部落民と交際するとはけしからん」ということで、元夫の実家などから訴えられて、獄に入れられる身になったというのです。
その裁判史料では、高須久子さんは町の三味線弾きなどについて「すべて平人同様の取り扱い」をしたとたびたび述べておられます。彼女の中に封建時代でも「人はみな人」という平等思想の萌芽のようなものがあったことは疑いはありません。今で言えば人間の平等感、ヒューマニズムに満ちた人であったようです。
松陰の思想に高須久子の影響が!
その高須久子さんの存在が封建時代を打ち破る英雄、吉田松陰にどんな影響を与えたのでしょうか?田中彰氏は書の後書きの中で次のように述べておられます。
「国禁を犯して下田渡海を試み、「自由」を求めて海外へ雄飛しようとした松陰。
封建社会の呪縛がいかに人間の「平等」を奪っているかを痛感する女囚久子。
野山獄で相見えた二人は、獄中と言う閉ざされた世界にあればあるほど、彼らは人間の「自由」と「平等」とをいっそう実感し、共鳴しあう存在であったのではないか。」
たしかにふたりとも、時代より早く生まれすぎたと言えるかもしれません。でもこういう人たちの尊い犠牲の上に、私たちの今生きている時代があると思えば、「高須久子さん、吉田松陰さん、ありがとう」とすなおに言えそうですね。
吉田松陰が幕府の命で再び江戸へ(処刑のため)呼び戻される直前に、その吉田松蔭と高須久子が交わした歌を紹介しておきます。
手のとわぬ 雲に樗(おうち)の 咲く日かな 久子
箱根山越すとき汗のい出やせん 君を思ひて ふき清めてん 松蔭
一声を いかで忘れん 郭公(ほととぎす) 松蔭
(引用終わり)
3月29日(月)
「世に棲む日日」に描かれた吉田松陰
司馬遼太郎の「世に棲む日日」を読み進んでいる。
今、吉田松陰が下田でアメリカ船に乗り込もうとして失敗し、自首して、江戸伝馬町の獄に入れられ、その後、長州萩城下の野山にある獄に移されたところ。
伊豆下田でのあきれ返るほど無計画な密出国のエピソードは、去年、娘の下宿に泊まって下田に遊びに行ってきたこともあって、とても面白く読んだ。
ここまで読んだ中で、司馬遼太郎が描いた吉田松陰の生き方、思想、性格、感性の質について、私にとって興味深かった個所をいくつか引用してみる。
<松陰にはときに少年にすらある処世の知恵とか処世の損得感覚というものがまるで欠けていた。ふしぎな性格というより、そういうことを人間思うべきでないという断乎とした精神が、幼少のころから恐怖をもって作られてきている。叔父であり、師匠でもある玉木文之進が、文之進の講義中松陰が無意識に顔の痒みをかいたというので死ぬほどになぐった。痒みをかくというのは私情の満足であり、諸悪のもとである、と叔父はいったが、松陰は肉体の恐怖をもってそれを知らされている。いかなる場合でもおのれ一個のことを考えないということが、ほとんど習慣のようになっていた>
<松陰は、狂がすきであった。人間の価値の基準を、狂であるか狂でないか、そういうところに置くくせが松陰にはあった>
<かれは攘夷家であった。しかしながら他の攘夷家のように、日本国土に宗教的神聖さがあるとし、かれら墨夷の靴によってその神聖国土が汚されるといったふうの情念のようなものはあまりもっていなかった。かれの攘夷は、奇妙なほどに男性的であった。
おおかたの攘夷は、日本人の対外感情の通性がそうであるように、女性的であった。松陰は、ちがっている。海をこえてやってきた豪傑どもと、日本武士が武士の誇りのもとに立ち上がり、刃をかざして大決闘を演ずるというふうの攘夷であった。このため敵を豪傑として尊敬するところが松陰にはある>
<松陰は少年のころから、論語がもっているあの老人くささ、分別くささがどうもおのれの肌にそぐわないと思ってきた。・・・孔子などよりも、その百年後の後継者と自称する孟子のほうがはるかに好きであった。乱世のなかを孤客としてゆく孟子の劇的な行動性、雄弁、論理性、そして「千万人トイヘドモワレユカン」というあの気概を松陰は愛した。「孟子」は革命の書になりうる。しかし「論語」は、読みようによっては世渡りの安全をねがう書に堕しがちではないか>
<(学問の方法を訊ねられて)「地を離れて人なく、人を離れて事なし。故に人事を論ぜんと欲せば、先ず地理を観よ」
人は地理的環境に制約されている。まず地理的環境をくわしくみれば、そこに住む人間集団の大体がわかる。その人間集団、社会の解明をはなれて、事柄というものは出てこない。ゆえに、社会と社会現象を見ようとすればまず地理からはじめねばならない>
<「人生において大事をなさんとする者は、和気がなければなりませぬ。温然たること、婦人、好女のごとし」
松陰の好きな言葉である。婦人、好女のようにおだやかな人柄をもつことにおいてはじめて気魄を養うことができる。
言葉つき丁寧にして声低からざれば、大気魄は出ずるものにあらず。
と、松陰は言った。>
<(伝馬町の牢内で)この連中を前に、この種の硬質な内容のはなしを一時間にわたって説き、しかも咳ひとつさえさせずに傾聴させたというから、松陰のその才能は、まず「はなし」にあるらしい。さらには囚人をして講説にひき入れしめたこの若者の人柄そのものの魅力もあったであろう>
3月27日(土) 吉田松陰の脱藩
司馬遼太郎の長編小説「世に棲む日日」の書き出しは
「長州の人間のことを書きたいと思う」
となっている。
常に作者が文中に登場して講釈をしていくという、人物エッセイのような、伝記のような小説で、主人公は吉田松陰。後、高杉晋作が登場してくるらしい。
長州藩という、関が原で敗れて250年間、徳川幕府打倒の精神を持ちつづけていた藩が組織を上げて作り上げた「純粋培養」のような人物が吉田松陰。
そして、彼の精神を受け継いで、実際の行動で長州藩を動かしたのが高杉晋作。
明治維新の原動力となった彼らを生んだ長州という藩の特徴を書いているところに、興味深い記述があった。
<もともと日本人の倫理は忠孝をやかましくいうが、横の関係である友情や友誼についてはさほどに言わない。この倫理が日本人のなかに鮮明になってきたのは、むしろ明治後、西洋からそういう思想が輸入されてからだといってもいい。幕末、そういうものが自然の倫理として濃厚だったのは長州藩においてであり、タテの関係の倫理を尊ぶ他藩では濃厚にはみられない。>
江戸時代の武士道は「忠義」を基本とするもので、具体的には藩主に対して「忠義」を尽すことであった。ところが、長州という藩だけは、どうもそれだけには凝り固まっていない<空気>が、自然と漂っていたらしい。(それは儒教の徳目のなかの「信」を重視する<空気>と考えてもいいのではないかと思う)
そして、どうもそういう<空気>のようなものがあって、吉田松陰という稀有な人物の「人格」が形成され、それが彼を脱藩という驚くべき行動に出させたのであるらしい。
他藩の友人と奥羽への旅をする約束をしていて、藩からその許可も得ていたのだが、過書手形が出るまで延期せよという命令が出た。それに従っていたのでは友との約束を守れない。だから脱藩する。そういうモノスゴイ論理で、彼は本当に脱藩してしまうのである。
司馬遼太郎はこの論理を読者に説明するために、藩の<空気>や、松陰の常軌を逸したような苛酷な躾の体験などを書き込んでいる。そして、吉田松陰とういう男のこの行動については、次のようにまとめているのである。
<・・・人間の本義とはなにか、一諾をまもるということだ。自分は他藩の者に承諾をした、約束をした。もしそれをやぶれば長州武士は惰弱であるというそしりをまねくであろう。もし長州武士の声価をおとすようなことがあれば、国家(藩と家)に対する罪はこれほど大きいことはない。
「しかし脱藩することによって」
「そう、吉田家はつぶれる。寅次郎は禄をはなれて流浪する。しかしながら、孔子も申されたではないか、小ヲ忍ンデ大ヲ謀ル、と。大いなる義の前には、一身の安全などはけしつぶのようなものだ」
大いなる義とは、仲間との約束をまもるということであろう。たかが知れた約束ではないかとあるいはひとはいうであろう。しかし松陰というこの純粋思考の徒にすれば、その程度の約束すら守れず、その程度の義さえおこなえない人間になにができるか、と、深刻に考えている。松陰はつねにこうであった。・・・>
ふと、いつだったか小泉首相が国会で「大きな目的を達成するためにはこの程度の約束を破ることは大したことではない」とか言って、国民への公約を破ったことがあったことを思い出した。吉田松陰の考え方とは全く逆だ。
小泉氏はたぶん吉田松陰を尊敬しているに違いないと思うのだが・・・
3月26日(金) 中国特需
「中国特需」ということがよく言われている。
かつての「朝鮮特需」のように、隣国への輸出が契機となって日本の低迷している景気が回復するかもしれない。
「朝鮮特需」は朝鮮戦争という隣国の悲劇に便乗して一方的に日本が莫大な利益を得たものだったが、「中国特需」は高度成長を続ける中国市場の活性化に便乗しての市場原理に基づくもので、悪いことではない。
中国との関係をもっと密にして、相互の利益を図るという「商い」の原則を踏み外さずに、平和な「共生経済外交」を進めてもらいたいものだ。
「中国特需」については、これからいろいろな問題点なども勉強していきたいと思うが、今日は、検索で見つけた毎日新聞の解説文を転載させてもらうことにする。
2004年2月28日《毎日新聞》電子版
ますます巨大化する中国市場は、様々な面から日本経済に大きなインパクトを与えている。
また、03年9月の日本大手企業の中間決算を調べれば、業績が良い業種の多くも実際、中国の経済拡張と大きく関わっていることがわかる。鉄鋼、工作機械、建設機械、石化製品、海運などの業種では、いずれも急速な経済成長を遂げる中国の旺盛な需要に支えられ、増収増益の結果となっている。
鉄鋼業界は中国需要で「復権」している。9月中間決算では新日鉄、JFE、神戸製鋼所、住友金属など大手4社の経常利益は前年同期の3倍に拡大し、収益は急速に回復している。特に、輸出比率が高く、中国需要の恩恵を最も受けた新日鉄とJFE2社の増益が目立ち、連結経常利益はそれぞれ前年同期の5.4倍、3.5倍となった。
海運業界は中国から欧米向けの輸送など中国関連業務の好調によって、日本郵船、商船三井、川崎汽船など大手各社は軒並み増収増益となっている。3社の売上高はそれぞれ11%増、9%増、17%増、純利益はそれぞれ2.7倍、3.7倍、3.2倍と拡大し、いずれも過去最高を更新した。
デジタルカメラ業界では、中国向けの輸出急増も一因となり、業種全体は増収増益となり、絶好調が続いている。
産業・建設機械業界も中国の高度成長から大きく恩恵を受けている。最大手のコマツは中国向け輸出の好調が追い風となり、9月連結中間決算で売上高9.5%増、純利益は4倍に拡大している。油圧ショベル大手の日立建機は9月中間期では中国向け油圧ショベルの好調で、単独売上高は前年同期比27%増、経常利益は同2.4倍に拡大した。通期の連結売上高は前期比18%増、純利益は同2.5倍に膨らむ見通しである。
工作機械メ−カ−も中国での受注急増で業績を回復している。02年、中国の工作機械の消費規模は57億ドルにのぼり、世界全体(311億ドル)の18%を占め、日米独を上回り世界最大となったが、国内需要の55%が輸入に依存する。中国の工作機械の需要は08年まで年平均15%増で伸び続けるとみられる。旺盛な中国需要に牽引され、03年1〜11月日本の工作機械の輸出は前年同期比26.5%増え、そのうち中国向け輸出は69.6%増を記録した。輸出の急増で、牧野フライス製作所など大手工作機械メ−カ−の業績は回復し、04年3月期に黒字転換を実現する見通しである。
要するに、これまで「脅威」と捉えられてきた中国の経済成長は、いま業績回復の「救い」となり、多くの日本企業は旺盛な中国需要で潤っている。長期の景気低迷が続いてきた業種(例えば鉄鋼、海運、建設機械など)は、中国特需で急速に復活している。そのため、「中国脅威論」は後退し、「中国活用論」が広がっている。われわれは日本企業のこうした変化を見落としてはいけない。
3月20日(土) 人間の本性
私の「蛇にピアス」論に対して掲示板に書き込んでくれた橋本さんの文章の中に、
<私はマゾやサドといった心理傾向は、人間の本性ではなく、社会的人間関係のなかで形成されていったものだと考えています。>
という表現がありました。
私は、マゾやサドと命名されるような極端な性嗜好が「人間の本性ではない」ことには同意しますが、人間というものを動物の本能が壊れた<特殊な動物>と考える「唯幻論」の立場からすると、マゾ的、サド的な異常なことをするということ自体が「人間的」なのだと言えると思っています。
人間以外の動物には、性的な興奮を得るためにSM的な行為をするなんて必要はないでしょう。生殖本能に従って性的な興奮は得られる。知性が高くなるに従って(例えばチンパンジーなどの中には自傷行為をしたり、ノイローゼになったりすることがあるように)生殖本能を超える「幻想性」が生まれてくるのです。
だから、むしろSM的な世界を持っているということこそ「人間的」だと考えることができます。それこそ、唯一「人間」という動物にしか持てない「能力」だからです。
そこから「人間」を描こうとする河野多恵子のような純文学作家もいます。
ところで私が、そういったSM的な世界で、もっとも<哀しい>人間性の真実が描かれていたと思ったのは、映画「愛の嵐」でした。
もとナチスの高官だった男と、その男に収容所でいたぶられていたユダヤ人の美しい女性が、戦後偶然に再会し、すでに人妻となっているその女性の方から、自らすすんでその男とのかつてのような「愛」の関係を求めてくる。
そこには、ナチスというものを人間性の中のサディズムが生み出したものととらえる視点があり、映画は、そのサディズム集団の中で醸成されたSM的な「愛」の形を、これ以上はないほどの<哀しさ>で描いていました。
そういうスゴイ世界を描いたのが、何と女性監督なのです。
あの世界に漂うSMの感触は、女性監督でしか描き得ない貴重なものだと思っています。
「蛇にピアス」の文体に漂っているマゾヒズムの感触は、間違いなく、作者の体質が生み出したものだと思います。
過激なアイテム自体は男性ポルノ作家でも書けるでしょうが、あの感触は出せない。
マゾ的な体質を持つ女性作家でなければ描けないものだと思います。
それは、やはり一つの貴重な才能というべきでしょう。
3月19日(金) 「蛇にピアス」(4)
アマが失踪し、凄惨な死体で発見される過程で、この小説は「私」とシバとの純愛を描く様相を呈してくる。
酒におぼれ、食事を絶ち、ガリガリにやせて、生きる意欲をなくした「私」に、シバは結婚を申し込み、自暴自棄となって舌のピアスを急激に拡張する「私」を叱り、抱きしめ、自分の店に泊まらせて、食事をとらせようとし、眠らせようとする。
シバの態度が急速に優しく変わっていくのだ。
<シバさんは、気まぐれに何度か私を抱こうとしたけど、首を締めても苦しい顔をしなくなった私を、シバさんは抱けなかった。・・・抱けない女なんて囲って、シバさんは一体どうするつもりなんだろう。>
<サドの体質>を急速になくしていくシバ。
そんなシバに接して、「私」の中にも変化が起こる。
アマの死体のペニスに挿入されていたお香は、シバの愛用しているものであった。それによって「私」は、「最悪の結末」を半ば予感しながら、それを回避すべく、淡々とシバのお香を捨て去る。
そして、アマのくれた二本の歯を砕いて飲み干し、アマの愛の証は私になったと感じ、その後で、背中の龍と麒麟の刺青に瞳を入れてくれとシバに頼むのである。
<刺青を入れたあの時、あの時私は一体何のために刺青を入れたのだろう。今、私はこの刺青には意味があると自負できる。私自身が、命を持つために、私の龍と麒麟に目をいれるんだ。そう、龍と麒麟と一緒に、私は命を持つ。>
以前の「私」は、刺青の龍と麒麟を「所有」するために目を入れないでとシバに頼んだ。その時の「私」は、自分自身の「命」を「所有」してはいなかった。だから、「命のない」(つまり、目を入れない)龍と麒麟を「所有」しようと願ったのだ。
しかし今回、「私」は「私自身が、命を持つために」目を入れてくれと頼む。
それによって龍と麒麟が「命」を持ち、飛び去ったとしても、「龍と麒麟と一緒に、私は命を持つ」と信じるからだ。
ここには、力強い「生」への回帰が描かれている。
ラストは「最悪の結末」を予感させながら、<サドの体質>を克服したシバの「健康的」な夢の話を聞く「私」の、明るい、シバへの信頼の言葉で終わる。
<私はクスクスと笑ってシバさんの顔を盗み見た。シバさんは、もう私を犯せないかもしれないけど、きっと私の事を大事にしてくれる。大丈夫、アマを殺したのはシバさんじゃない。アマを犯したのはシバさんじゃない。シバさんは、犯人じゃない。シバさんは、きっと大丈夫。私には、そんな根拠のない自信が芽生えていた。>
実にはかなく「根拠のない」、「生」への「希望」。
<哀しい>トーンが漂う、見事なラストだと思った。 (終わり)
3月18日(木) 「蛇にピアス」(3)
「私」はシバの店に通い、4回の施術を受けて背中の刺青を完成させる。
しかし、その麒麟と龍の刺青には、わざと瞳を入れていない。「画竜点睛」の故事を考え、瞳を入れると飛んでいってしまうように感じた「私」が頼んだのだ。それに関して、次のような「私」の「所有」についての感覚が書かれている。
<所有、というのはいい言葉だ。欲の多い私はすぐに物を所有したがる。でも所有というのは悲しい。手に入れるという事は、自分の物であるという事が当たり前になるという事。手に入れる前の興奮や欲求はもうそこにはない。欲しくて欲しくて仕方なかった服やバッグも、買ってしまえば自分の物で、すぐにコレクションの一つに成り下がり、ニ、三度使って終わり、なんて事も珍しくない。結婚なんてのも、一人の人間を所有するという事になるのだろうか。事実、結婚をしなくても長い事付き合っていると男は横暴になる。釣った魚に餌はやらない、って事だろうか。でも餌がなくなったら魚には死ぬか逃げるかのニ択しかない。所有ってのは、案外厄介なものだ。でもやっぱり人は人間も物も所有したがる。全ての人間は皆MとSの要素を兼ね備えているんだろう。私の背中を舞う龍と麒麟は、もう私から離れる事はない。お互い決して裏切られる事はないし、裏切る事も出来ないという関係。鏡に映して彼らの目のない顔を見ていると、安心する。こいつらは、目がないから飛んでいく事すら出来ない。>
ここには「所有」ということが出来ない「私」の悲しい感覚がつづられている。
「私」は人一倍「所有欲」はあっても、「所有」ということが出来ない体質なのだ。「私」は自分の肉体をすら「所有」できない。「所有」できないがために、他者に「所有」されたがる。それが「私」の<マゾの体質>ということの本質である。
そんな「私」にとって、背中に彫った刺青の龍と麒麟を「所有」することは、自らの肉体を「所有」することを意味していたのだ。だから「一つだけ」の願いとして瞳を入れないことをシバに頼む。それは、肉体を通して「自分」というものをつかみたい衝動の芽生えといっていいものであった。
このエピソードが、ラストに見事に生かされていく。
暴力団の男を殺したアマが、警察に追われ、失踪する。
アマがいなくなって、「私」は「ただ一つ分かるのは、私はこの生活の中でずっとアマと一緒にいて、次第にアマを大事に思うようになってきたってこと」と、アマを愛し始めていることに気付く。それは、アマという「人間」を「所有」したいという思いとなり、アマの名前や、仕事先や、家族のことを何も知らなかったことの後悔を惹き起こす。
「私」にそんな変化が起こって来た時、サディストのシバにも変化が起こる。
<「お前、俺と結婚しない?」
シバさんはセックスした後、寝台に寝そべる私の隣りに座り、タバコに火を点けて言った。
「話がしたいって、その事だったの?」
「まあ、ね。アマは、お前の手に負えるような相手じゃないし、お前は、アマの手に負えるような相手じゃない。とにかく、バランスが悪いんだよ、お前らは」
「だから俺と結婚しろって?」
「いや、別に。まあ、それとは関係なしに。何となく結婚、してえと思ってさ」>
アマを愛し始めたことによって、「私」は、スプリットタンという肉体のアマではなく、社会的な存在としてのアマという「人間」を求め始める。
同時に、「私」を愛し始めたことによって、シバは「モノ」として「私」の肉体を所有するのでなく、結婚というかたちで、「人間」としての「私」を求め始めているのである。
(続く)
3月17日(水) 「蛇にピアス」(2)
「蛇にピアス」を読んですぐ連想したのは谷崎潤一郎の作品であった。
谷崎は、この作品と同じようなマゾの純愛を、男の側から描いたような作家であったと思う。しかしもちろん、両者の作品世界は質的に全く違っている。谷崎の場合は女性の「美」に殉じるという意味のマゾであり、それは視点を変えれば「美」の魔力といっていいものであった。理性を超えた「美」の悪魔性を、谷崎ほど深く描いた作家は他にいなかったと思う。
金原ひとみの場合は<マゾの体質>自体が生み出す純愛を女の側から描いていると私は思った。アマとの関係は、恋の純粋な出発点である<身体感応>としてのスプリット・タンへの魅了によって始まる。それは純粋に、痛みを甘受して自分の舌もスプリット・タンにすることに魅せられるというマゾヒスティックな衝動によっている。同時に、麒麟と龍の刺青を背中に入れたいという衝動によって、それをしてくれるサディズム嗜好のシバにも惹かれていく。
シバとの最初のセックス場面の異常さといったらない。しかし、ここに描かれたSMセックス場面の見事さは比類がない。金原ひとみ自身の<マゾ体質>が遺憾なく発揮されていると思った。(以下に引用するマゾ感覚の描写は、とても男には書けないものだろう)
<・・・シバさんの細い指が私の肉に食い込んでいく。立ったまま、私を見下ろしているシバさんの右腕に血管が浮き出ているのが見えた。私の体は酸素を欲しがり、所々短く痙攣した。喉が音をたて、私の顔は歪み出す。
「いいね。お前の苦しそうな顔。すげえ勃つよ」
シバさんは無造作に手を放し、パンツとトランクスを脱いだ。寝台に上がり、まだ意識が朦朧としている私の肩の上に膝をつき、チンコを差し出す。シバさんの両脚には龍が一匹ずつ泳いでいた。私は無意識のうちにチンコを手にとってくわえていた。すっぱい匂いが口の中に広がった。春夏秋冬の中で夏のセックスが一番好きなのは、この汗とアンモニアの混ざった匂いが好きだから、というのもある。シバさんは私を無表情のまま見下ろし、私の髪を鷲づかみにして引っ張った。顎をガクガクと前後運動させていると、濡れてくるのが分かった。どこを触られた訳でもないのに濡れるなんて、便利なもんだ。・・・Sの人の相手をする時、いつもこの瞬間私は身を固くする。何をするか、分からないからだ。浣腸だったらいい、おもちゃもいいし、スパンキングも、アナルもいい。でも、出来るだけ血は見たくない。昔、膣にファイブミニの瓶を入れられ、危うくトンカチで割られそうになった事があった。後、針とか刺す人も苦手。手首から手の平がじっとりしていて、肩から二の腕にかけては鳥肌が立っていた。シバさんは、物を使う気はないらしく、私はホットした。シバさんは指を二本入れ、何度かピストンさせるとすぐに引き抜き、汚い物を触ったように私の太股に濡れた指をなすりつけた。シバさんの表情を見て、また濡れてくるのが分かった。
「入れて」
そう言うとシバさんは太股でぬぐった指を私の口に押し込み、口の中をまさぐった。
「まずいか?」
シバさんの言葉に頷くと口から指を引き抜き、そのままマンコに入れ、また口の中に戻し、口の中をまさぐった。・・・>
ここに描かれているものは、明らかに<マゾの体質>を持っている女性の感性である。
それは「美」への惑溺というような世界ではない。そういう体質の中で生きるしかないような女性の世界なのであるが、そこに漂う<哀しみ>の感覚は貴重である。
宮本輝は、芥川賞の選評で「作品全体がある哀しみを抽象化している」と記していた。
明らかにそういう<哀しみ>は漂っている。そして私は、その<哀しみ>の源泉となるものとして作者自身と、彼女が創造した主人公「私」の<マゾの体質>があるということを指摘することに躊躇しない。<マゾの体質>などと表現すれば、それはもう病的な特殊性としてしかとらえられないようにみえるが、私はそうは思わないからである。
この小説は、病的な特殊性を描いただけのものではない。<マゾの体質>を持つ「私」と<サドの体質>を持つシバが、純愛の世界に踏み出すことによって、(わずかではあっても)そのマゾやサドの体質と格闘し始めていく姿が描かれているのである。
この作品が抽象化した<哀しみ>は、そのような「生」の動きの中に漂っているものである。私は、この作品が単なるSM風俗を描いたポルノ小説を超えるものとなっているのは、そのためだろうと思っている。 (続く)
3月15日(月) 「蛇にピアス」(1)
金原ひとみの芥川賞受賞作「蛇にピアス」はとても面白かった。
舌の中央にピアスをはめ、その穴をどんどん大きくして最後には先端を切り離して二股の蛇のような舌「スプリット・タン」にする「私」と、そういう舌を持つ恋人アマと、彼の仲間で「私」の背中に刺青をする彫り師シバ、3人の関係を描いた、哀しく暗い青春小説である。
アマは赤い髪で刺青をし、ピアスをはめ、「スプリット・タン」を完成させている異様な風貌の男。普段はおとなしいが、「私」に絡んできた男を死ぬまで殴り、その男の口の中から歯を2本引き抜いて「私」に「愛の証」だとしてくれるような凶暴な面も持つ。
シバは淫靡な芸術家といった感じで、サディズムの嗜好を持っている変態的な男。アマを介して知り合った「私」はアマに内緒で、すぐにシバとSM的な性交をする。彼は首を締められて苦しんだり泣いたりする「私」の表情を見ないと勃起しないという異常な男だが、「私」は求められるままそのサディスティックなセックスを受け入れる。「このままじゃ、いつか殺される」と思いながら、しかし、それに対して別に恐怖心も嫌悪感も書かれていない。暴力も死も身体改造の苦痛も変態的セックスも特別恐れるようなものでなく、ただ<そこにある>もののように書かれているのだ。
まさに「良識あると自認する人々(物書きの天敵ですな)の眉をひそめさせるアイテムに満ちたエピソード」(山田詠美の選評から)の連続といった小説である。
私が常々考えている人間関係の問題にからまる一番印象的な場面は、「私」が同棲しているアマが帰ってこなかった時、警察に捜索願を出そうとしてふと、「私、アマの名前知らないじゃん」と気づく場面である。
「私」は、アマの「スプリット・タン」に魅せられて同棲し、毎日のようにセックスして過ごしていたのに、彼の名前も、働いている場所も、家族構成も、何も知らないのだ。それでいて、失踪したアマのことを心配し、食事もとらず、眠らず、やがてアマが凄惨な死体で発見されると、葬式の後で警察に怒鳴り散らして泣きわめく。 しかも、アマからもらった殴り殺した男の2本の歯をトンカチで砕いてビールで飲み干し「アマの愛の証は私の身体に溶け込み、私になった」などと感じる。
ここに描かれているのは、社会性のカケラもない女の純愛である。
山田詠美は、それを「古風でピュアな」と表現していたが、私は「古風」というよりも、はっきりマゾヒスティックと言った方がピッタリだと思う。
そう、この小説の主人公の「私」は、実に正統派のマゾヒストなのだ。
この「マゾ」という言葉を使った評言を、今月号の芥川賞2作品への識者の評言特集のなかに全く見かけなかったのは実に不思議だった。
しかし、この小説は、あらゆるディテールにマゾ的な感性が描かれている。そもそも「スプリット・タン」などという異常な身体改造に魅せられること自体がマゾ的でなくてなんだろう。「スプリット・タン」の先駆者であるアマが同性愛とSMプレイの痕跡を残して殺され、その犯人がおそらくシバであることが暗示される結末からして、アマもマゾであることは明らかなのだ。
マゾ同士の純愛。そこにサドが介入した三角関係。
このオゾマシイ世界を通して、この小説は一体何を描こうとしているのだろうか。
3月11日(木) 大久保利通
武士道と陽明学を知るために、司馬遼太郎が「侍とはなにか」を考えるために書いたという『峠』を読んでいたが、主人公、河井継之助の思想と生き方がだいたい分かったので中断した。
武士道というものの長所と短所、その限界性も見えた。
「ラスト・サムライ」に感動させられている日本人のアヤウサも見えた。
やはりここは、生身の人間が持っている「弱点」を奇跡的に克服して「権力」を淡々と行使した大久保利通に学ばなければならない。
どうしても、学ぶべき最大の人物として、大久保利通に到達してしまう。
ちょっと本腰を入れて、大久保を研究してみようかな。
3月8日(月) 司馬遼太郎のとらえる武士道
司馬遼太郎の「峠」を読んでいる。
「私はこの『峠』において、侍とはなにかということを考えてみたかった。それを考えることが目的で書いた」と<あとがき>に書いている作品である。
長いので、なかなか読み終わらない。
主人公河井継之助は越後長岡藩の家老。時は幕末。スイス人と知り合って、彼は雪国である越後がスイスと似ていると感じ、漠然と越後をスイスのような中立国にしたいと思っているように書かれている。
彼は陽明学を学び、各地を遍歴し、名士と交流する。
その過程における博覧強記司馬遼太郎ならではの、歴史的背景の解説が面白い。
先日は、福沢諭吉と論争するくだりがあった。
その場面で、司馬遼太郎が河井継之助を通して描こうとしているものが、少し分かったような気がした。
福沢と河井が次のような会話をする。
「あなたは徳川家中心の立君政治論ですか。それとも京都中心の立君政治論ですか」
「そういう議論に、できるだけ興味をもたぬように自分をいましめています」
「そういう議論に」
「左様、この一天下をどうするかという議論は、他の志士にまかせたい。私には越後長岡藩の家老であることのほうが重く、それがこの河井継之助のすべてなのです。それ以外にこの地上に河井は存在せぬ」
「おどろいたな。わざと自分の窓を締め切っているのだ」
「締め切っている。.私は越後長岡藩の家老であるというだけで人の世に存在している。そう思っている」
「立場論ですな」
「人は立場で生きている.立場以外の方面に、私はこの河井継之助という自分をゆかせぬようにしている。それが私の動かぬ一点だ」
「こまるな・・・こまったお人だ。日本の世の中がひっくりかえってしまおうというこの時期に、あなたのようなことをいっては。あなたほどの世界感覚をもち、思慮と胆略をもった人が中央におどり出て日本のゆくべき方角を指ささねばどうにもならぬ」(引用了)
この後に、福沢と別れたのち継之助が自分を考えるくだりがある。
福沢のいうことはわかる。
わかるどころか、完全開国主義という点では福沢諭吉と同意見であり、先覚ということでは福沢も継之助もかわらない。
「ひとを貴賎の身分で区別する国家社会は繁栄しない」
という点でも、継之助は同意見であった。ただ福沢は思想家であり、継之助は政治家である以上、その表現は言語によってではなく実際においてやらねばならず、その点ではおそらく将来の課題になるであろうが、遅くなるにしてもそれを藩内において実施するつもりであった。
ただ継之助は、それを人民の幸福という立場から考えたわけではない。貴賎の身分制をくずすことによって下層から人材を吸い上げ藩国家の繁栄に役立たせようとするところであり、この点、福沢と似ていつつも、わずかに匂いがちがうように思える。
継之助は儒教の徒である。儒教は王をたすけて人民の幸福をはかるという政治思想であり、あくまでも人民は上から撫育すべきものという、あたまがある。
それが継之助の「人民」だが、福沢の「人民」は人民そのものの富と教養を増大し、その力を大きくすることによって結果として国家や社会が栄えるという、そういう「人民」であろう。福沢はルソーの自由の権利の思想をその原点においては読んだことがなかったに違いないが、その本質はみごとにつかみ、自分の血肉にしていた。いずれにせよ、その点が違うだけであろう。他はおなじといっていい。
であるのに継之助は福沢とおなじ結論に到達できなかった。
「同じ結論」というのは「徳川家や藩の崩壊などどうでもよいではないか」ということであった。
「・・・とにかく世の中は裸の人間一人一人の世の中に向かいつつあり、それへ向かわせなければならないのだ。そのときにあたって、徳川家がどうの藩がどうのと世迷いごとをいっているのは、どうにもおかしいよ」
ということなのである。しかしこの点になると、継之助は福沢とまったく違ってしまう。
「私は世迷いごとのほうです」と、継之助も福沢に言った。
継之助にとってもっとも大事なのはその世迷いごとであった。福沢は乾ききった理性で世の進軍をとらえているが、継之助には情緒性がつよい。情緒を、この継之助は士たる者の美しさとして見、人としてもっとも大事なものとしている。 (引用了)
この、自分を限定する河井継之助の限界性はどこからくるのだろうか、と考えて、彼の陽明学に惹かれていく気質が関係するように思った。
河井継之助は、全国の名士と対談し、外国人とも接し、見聞を広めようとするが、本は幅広く読むことなく、気に入ったものを何度も何度も徹底して読むタイプだとあった。そういう限定した世界に徹して、しかも知識を「行動」ということに結びつける体質は、まさに陽明学を受け入れるのにピッタリのものだったと思う。
司馬遼太郎は、武士というものを、その陽明学的な「限定性」「行動性」に、もう一つ重要な要素として「美意識」がプラスされた人間像だととらえていたようである。
彼は『峠』の中で、稲垣平助という人物に托して、武士の特質を次のように語らせている。
「稲垣平助にいわせると、武門とは秩序美だというのである。武士とは秩序美の体現者であり、それ以外に他の階級と区別されるものはない、というのだ。たとえば忠義も武士の専売ではなく、商家の手代にも無類の忠義者がいる。勇敢なことも武士だけのものではなく、江戸の火消しなどにもずいぶんと勇敢な者がいる。しかし、それらには秩序美がない」
そして、「手掘り日本史」という作品の中では、河井継乃助のことを解説して、
「思想を思想としてつらぬかずに、美意識に転化してしまう」と評するのである。
司馬遼太郎は『峠』によって、武士道を評価しつつ、その限界というものも、しっかり見つめているのである。
2月24日(火) 中曽根氏の評価できる動き
ローマ帝国が持っていた統治の発想とシステムを近代的に改良し、うまくそれを体制づくりに機能させたのがアメリカという国だと思う。
そのアメリカとの戦争に負けて、同盟国(属国)となることで繁栄できたのが日本だ。
しかし、アメリカの援助(360円という円安状態を長期間固定することで輸出を促進させてくれたことなど)によって、経済的に繁栄させてくれた代償として、宗主国たるアメリカの言いなりになるしかない面がある。
だから、イラクへの自衛隊の派兵もやむを得ない・・・というのが大半の感想。
一体、これから日本はどういうスタンスでアメリカに対し、また国際社会の中でどのように動いていくべきなのか・・・考えあぐねていた時、先週のサンデー・プロジェクトに中曽根氏が出演してヒントを与えてくれた。
中曽根氏は右翼の大物政治家という印象が強い。
しかし、その話には共鳴させられることが多い。
彼は、外交の最重要ポイントは中国との関係を緊密にするべきだと言った。
そのためということで、靖国問題における中国との妥協点として、戦犯の「分祀」について語った。
そもそも靖国神社には全国の「招魂社」(明治維新前後から国家のために死んだ人の霊を祀った神社)の「御魂」を移動させて祀ったのだから、「魂」の移動は何ら不自然なことではないという。そういう考えで、彼は、遺族会と靖国神社の神主を説得していったらしい。
ガリガリの「分祀」反対派は「御魂」を移すことはできないと主張していたようだが、最近はかなり柔軟になってきているという。かなり中曽根氏が動いたらしい。
遺族会の中の一人が絶対反対だったが、その人も賛成してくれそうだ、とも言った。
田原総一朗がそれを聞いて驚いて、「小泉さん!やるべきですよ」とカメラに向かって呼びかけていた。
中曽根の、この行動は評価できる。
靖国神社の「分祀」をして中国との関係を改善し、アメリカと距離をおいて、むしろアジア諸国との関係の中で生きていくこと、当面はその方向がベターではないか。
その際、アメリカに「あんまり無理を言うと国債を売るぞ!」と手持ちのカードをちらつかせて、犬のように言いなりにはならないように動くことも考えられないか。
アメリカとの関係を悪くはしないで、出来る限り「自主独立」の生き方を目指す。
当面、考えられることはそんなことしかない。
2月22日(日) 静脈産業
報道番組でコメンテーターが静脈産業という言葉を使っていた。
うまい言い方である。
生産するのが動脈産業、廃棄物を再利用するのが静脈産業。
例えば、廃棄される家庭用消火器の中の消火用粉末が肥料に再利用できるらしい。窒素やリンが含まれているから。
棄てられている牡蠣の殻や、養殖のために海中で使用した竹の棒なども再利用が考えられている。
静脈産業によって再生産されたものを中国市場に輸出するというのが、これからの日本を活性化させる一つの道として考えられる。
7%成長なんていうすごい景気回復の原因は中国への輸出の増大。
日本の素晴らしい技術力を、もっともっと静脈産業に活かしてもらいたいものだ。
2月21日(土) 山田方谷という人物
司馬遼太郎の「峠」の中に、河井継之助が一時期、備中松山藩(岡山県高梁市)の山田方谷(ほうこく)を訪ねて内弟子になる場面がある。そこを読み、その後で林田明大という陽明学の研究者の本を読んで、山田方谷という人物を知った。
林田氏は、「山田方谷は、上杉鷹山の10倍すごい日本一の藩政改革家であった」「こんなすごい人物を歴史の闇の中に埋もれさせるわけには行かない」と言いつづけているようである。方谷のことを「財政の巨人」という本に書いている。
方谷は松山藩5万石の財政再建を8年間でやってのけた人物。
新田開発、鉄山銅山の開発と専売、学問所の設立、撫育所(企業の事業部)の新設、紙幣刷新、などなどで目覚しい成果を上げた。
彼によって、乱発されていた藩札が回収され、発行された新藩札は信頼されて他藩でも通用するようになる。
農商出身の彼が板倉勝静という名君に恵まれて、権力を行使することが出来たあたり、鷹山とは違って、王安石みたいなイメージがあった。
財政再建の他、林田氏の書くところでは、高杉晋作の騎兵隊は方谷の農兵隊のコピーだとか、「大政奉還」上表の文案を起草したのは方谷だとか、記されていた。
陽明学と禅を信奉し、「維摩経」を重視しているところが非常に興味深い(特に「維摩経」というのはいい)。
司馬遼太郎も「峠」で、河井継之助が方谷のもとを去る時、土下座して礼を言うという場面を書いている。しかし、その後で「少し小さいな」とキツイ批評を言わせていたりもするのが面白い。林田氏も、晩年方谷が行った高利貸し的な手法の金集めや、大坂商人に25年間の延滞を承知させたり踏み倒しをしたりというそうとう冷酷な方谷の姿も書いている。
山田方谷、面白い人物である。
2月21日(土) 南知多「まるは食堂」
正月に買ってあった名鉄の1日乗り放題券の期限が2月一杯なので、昨日休暇を取って知多半島の内海近くにある「まるは食堂」に魚を食べに行った。
そこは安くて新鮮な魚料理を食べられる有名な食堂なので、皆さんもご存知でしょう。
リピーターの客ばかりと言ってもいいほど人気がある店だ。車で数回行っているが、何回でも行きたくなる店だ。
インターネットで検索すると、何と河和から11時20分発の1回だけ無料の送迎バスが出ているとある。予約さえすればいい。
しかも、HPのクーポン券を印刷して持っていくと、27日までは平日に限り温泉が100円で入れる(通常は500円)という。
帰りのバスはお土産を買う場所にも寄ってくれる。
そこで、カミサンと2人で、初めて名鉄を使って行くことにした。
読書しながら1時間50分ほど電車にゆられ、河和まで行った。
送迎バスが待っていてくれて、景色のいい道を選んで「まるは食堂」まで連れて行ってくれた。着いたのはちょうど12時。予約してあったので座敷にあがって、注文するとすぐ料理が来た。ハマチの刺身の新鮮なこと!でかいエビフライの美味いこと!ひらめの煮物の味のいいこと!・・・ビールを飲み、たらふく食って、2人で7000円。何と安い!
帰りのバスの時間まで1時間あるので、ゆっくり温泉に入った。温泉の従業員の応対がとてもさわやかで感じがよかった。ちょうど鳶の餌づけをやっていたので見学した。帰りには、バスが寄ってくれた鮮魚の店で土産の干物とエビせんべいを買った。
魚は本当に美味しく、とても価値のある小旅行だった。
2月20日(金) 「井の中の蛙」
NHKの大河ドラマ「新撰組」に面白いセリフがあった。
ネットで検索すると、「無言さん」という人が私と同じことを思って、調べたことを書いていた。
文章を簡略にして、引用させてもらいます。
ヒュースケンが、日本が開国に向かっているという状況を受け入れようとしない近藤勇たちに対して、「井の中の蛙大海を知らず」ということわざを出す。
近藤たちはその時は特に言い返しをしないが、ヒュースケンと別れるときに、
「井の中の蛙に、先があるのをご存知ですか?」とヒュースケンに問う。
そして、次のように言う。
「井の中の蛙、大海を知らず。されど、空の高さを知る」
調べると、意味は
「世事には疎いが、本質にかかわる深い道理を透徹している」とあったが、いろんな言い方があるそうで、
されど空の深さを知る
されど天の深さを知る
されど空の高さを知る
されど空の高きを知る
されど空の青さを知る
などなど。
どこから出てきた言葉かも不明で、
一説には永六輔の言葉だったとか、ゴーマニズム宣言で出てきたとか。(引用終わり)
このセリフはなかなか面白かった。
さすが三谷幸喜!上手に言葉を組み合わせるなあ。
誰かが後でつけた言葉なのかもしれないが、マイナスの意味でしかとらえていなかった「井の中の蛙」の意味が、私の中で逆転してしまった。
言葉というのは、本当に面白いものだ。
2月17日(火) 陽明学の系譜
日本の陽明学は、武士道と結びついて、幕末の志士たちに幅広く影響を与えているようだ。
あるHPでは、次のように陽明学の系譜が記述されていた。
そこには、吉田松陰、高杉晋作、大久保利通、西郷隆盛、などの名前もある。
どれだけ深く影響されていたかは疑問だが、社会を改革しようとして実際に行動した人々の中に、驚くほど多く陽明学を学んだ人がいることは確かなようだ。
以下、コピーしておこう。
最初の日本の陽明学の開祖というのが、中江藤樹です。近江の人です。その高弟の熊沢蕃山というのがまた非常に有名な財政家です。要するに、財政・経済コンサルタントとしては当時日本では、ナンバーワンの人です。で、次に有名どころは、赤穂浪士の堀部安兵衛・弥兵衛親子の友人でありました、あるいは討ち入りを陰で応援した細井広沢という陽明学者がいます。あと赤穂浪士のメンバーに木村岡右衛門と吉田忠左衛門という、この忠左右衛門が一番年配ですから大石内蔵助の一番の片腕になりますけども、この2人が陽明学者です。幕末期にはいりますと、山田方谷よりちょっとさかのぼりますが、浦上玉堂(1745〜1820)という人がいます。岡山潘士ですが、そういう意味では山田方谷とは隣近所にいた陽明学者で、いまではミュージシャン、琴の演奏するミュージシャン・琴士として知られています。本職は琴士なんですけど、鴨方藩という支潘の大目付まで出世した人物で、あとは人生50歳を限りに脱藩しまして日本を放浪して生活をするという、琴士であり、なおかつ水墨画の画家としても知られています。川端康成がこの人の「東雲篩雪図」という水墨画をわざわざ買い求めて、それは国宝なんですが、ペンが進まないときにその水墨画の前に正座して、ずーっとその絵をながめていたという、そういういわくつきの絵なんです。川端康成記念館に玉堂68歳の時のこの作品「東雲篩雪図」は今でも保存してあるといいます。とにかく、この人はものすごく面白い陽明学者です。あと、もちろん、かの有名な大塩平八郎がおります。大阪に懐徳堂という実は、東の昌平黌と並び称される学校がありました。懐徳堂には、中井甃庵と中井竹山という人が教えていまして、陽明学をやっていました。あと、もちろん江戸の昌平黌の佐藤一斉という人がでてきますね。この人も陽明学です。当然山口県の方には、吉田松陰や高杉晋作という人がおりますし、あと漢詩人で梁川星厳という京都で主に活躍した方がおります。そのほかみなさんがお好きな西郷隆盛という方がおります。もちろん西郷の盟友でした大久保利通も陽明学ですね。昭和では安岡正篤という人がおります。変わり種とでも申しますか、実は陽明学を勉強した人、学んだ人の中には三菱財閥の岩崎弥太郎、伊藤忠商事の創始者の伊藤忠兵衛、それから藤田観光・同和鉱業のいわゆる藤田組の創始者の藤田伝三郎も陽明学を学んでいます。最近では作家の三島由紀夫も晩年約5年間ほど、やはり陽明学を学んだと言います。
2月16日(月) 離れゴゼおりん
一昨日の土曜日に、組合の支部交流会に出て、今年で退職される組合員12名を祝賀した。
毎年出ているが、人数が二桁になったのは初めてだ。
来年も同じくらいにの数の退職者がいるに違いない。
組合もどんどん数が減っていく。
組合は、おそらく10年くらいでほとんど消滅に近くなるのではないだろうか。
組合がなくなると、金の面での不正が横行することだけが、心配である。
夜、可児市の文化会館で、有馬稲子の「離れゴゼおりん」を鑑賞した(漢字が出ない!)。
カミサンが義母を連れて行く予定でチケットが買ってあったのだが、行けなくなったので、私が同行することになったのだ。
私は20年近く前に観ていて、実は恥ずかしながら、この劇で初めて日本の「国民皆兵」の虚偽を知ったのである。
今回の劇は、以前見たものと、少し演出が違っているような気がした。
そうとうにコミカルで、祭りのシーンなど、かなり派手な動きが多かった。
高齢だけれど、有馬稲子は可愛らしかった。
相手役の松山政路は、特に声が素晴らしかった。
寝不足で、途中で寝るかなと思ったが、そんなことはなかった。
見ごたえのある舞台だった。
2月15日(日) 武士道のリニューアル(8)
「忠」は、もとは真心ということであって、決して上下関係をあらわす言葉ではなかった。
しかし、この言葉は「義」と合わせて用いられ、武士道の主君に真心を尽すという意味に限定されて使われていくようになった。
江戸時代になると「忠」ははっきり上下の身分を区別する人間関係の言葉となった。その証拠に、この「忠」の思想に抵抗するようなイメージを持つ「心中」という言葉が幕府の命令で禁止されるのである(忠という字を分解して反対に並べると心中になる)。身分を越えた、あるいは道ならぬ男女の情愛を、死後の世界で成し遂げようとする「心中」は、「相対死」と表現させられた。
上下の分をわきまえ、下の者が上の者に真心を尽すことが「忠」の道(義)であり、それを表した「忠義」こそが、江戸時代の武士道の最も重要な徳目となったのである。
その中で「信」は、武士階級の徳目としては次第に薄れていったようだ(逆に商人階級の中では石田梅岩などによって重視されていく)。
武士道の最初の段階では必ずしも「忠義」が重視されたわけではなく、「信義」という、上下関係はあっても互いを尊重し信じあうような関係こそが重視されていたが、鎌倉時代から戦国時代をへて江戸時代にいたる過程で、「信義」から「忠義」へという流れがあったのだ。そのことは、近代になって最も深く武士道を考察した新渡戸稲造『武士道』に、「信」という徳目の記述がないという形で、表れている。
『武士道』で取り上げられた徳目は、「義」「勇」「仁」「礼」「誠」「名誉」 「忠義」「克己」などであった。江戸期に確立された武士道には「信」の徳目が希薄になっていたがゆえに、新渡戸稲造は「信」を論ずることができなかったのである。
2月14日(土) 小沢昭一さんが明治村村長になる!
今日は「武士道のリニューアル」をお休みして、いい話を書こう。
明治村の所長さんからメールが来たのだ。
私が昨年の2月に書いた雑記帳の文章を読んで、そこで紹介した文章が載っている本の題名を教えてほしいということだった。
それは、小沢昭一さんが明治村について書いたものだった。
その文章を再録してみよう。
小沢昭一を明治村村長(三代目)にしよう!
2月26日(水)
小沢昭一のエッセイ集を読んでいたら明治村について書いてあった。
2002年のことらしいが、明治村に来て、中にある呉服座(これはクレハザと読む)という芝居小屋で話をしたらしい。その話の内容が書いてあった。
呉服座は私の大好きな建物の一つで、頼み込んで地下の通路や舞台裏まで見学させてもらったこともある。あそこで大ファンである昭一さんの話が聴けたら最高だろうなと思いながら読んでみると、その時、実に彼らしいことをしゃべっているのだ。
彼の話に、なるほどと思った。
思っても見なかったことだった。
では、全文を引用しよう。
話芸の天才といってもいい彼の話の雰囲気も少しは感じられるかも知れないので。
「かねて私は、かつての遊郭の建物が消えていくのを、しのびないと思っているのです。急いでおことわりしておきますが、私は遊郭の復活論者ではありません。問題はあの建物です。日本各地津々浦々に存在した遊郭には、独特の立派な木造建築が並んでおりましたが、昭和33年以降、急速にその多くは改築、あるいは取り壊されてしまいました。でも、いまならまだ、あちらこちらに多少は残っていることを知っております。それを何とか『明治村』に移築、保存できないものでしょうか。ここには監獄や銭湯の建物も残されているのですから、お女郎屋があってもよろしいじゃございませんか・・・。
そこでです。『明治村』の村長は初代が徳川夢声さん、現二代目が森繁久弥さん。その三代目に私をご指名いただけないものかと考えたりするのです。いえ、私なんぞはその器でないことは十分に承知しておりますよ。しかし私としては『明治村』の村長となって・・・村長の権限がどれほどのものかわかりませんが、できれば、村長のチカラで、ぜひ遊郭建造物を一棟、誘致したいのです。
つわものどもの夢の跡。その建物を見るだけで、お父さん、お爺さんは、若き日の想い出をそっと胸に宿して、きっとお喜びになること間違いなしと思いますし、若い人のガクモンにもなると信じます。そのために、不肖ワタクシ、及ばずながら尽力したいと願っているのであります」
この素晴らしい提案!明治村(名鉄さん)には是非実現させてもらいたい。
(再録終了)
所長さんからのメールでは、何と、小沢昭一さんの希望どおり、この3月に彼が3代目の村長さんになるというのだ。
本の題名(「散りぎわの花」)を教えてあげたら喜んでいた。
彼が就任したら、きっとこの素晴らしい提案が実現するに違いない。
楽しみである。
2月13日(金) 武士道のリニューアル(7)
「滅私奉公」という言葉がある。
封建道徳の代表的な言葉として近代においては忌み嫌われた言葉である。
「七人の侍」において、この「私」と「公」の関係はどのように描かれていただろうか。
23軒の村を守るため、勘兵衛は稲を刈り取った後の田に水を引き、周囲に木材で柵を造る。
しかし、橋向こうには離れた家が3軒と水車小屋がある。勘兵衛は、やむを得ぬ判断として、離れた3軒を棄てることを決定する。
すると、戦闘訓練の場で、突然橋向こうの3軒の住人が竹やりを投げ棄てる。
「ばからしくてやっていられねえ。自分たちの家を棄てて、人の家を守ることはねえ。橋向こうは自分達で守るべえ!」と言って、共同体の一員であることから脱退しようとするのだ。
その時、勘兵衛は刀を抜いて3軒の百姓たちを隊に戻し、こう叫ぶ。
「離れ家は3軒、村は20軒。3軒のために20軒を犠牲にすることはできぬ。また、村がなくなって3軒の生きる道はない。・・・戦とはそういうものだ。人を守ってこそ己も守れる。己のことのみ考えているものは、己をも滅ぼす者だ」
共同体という「公」のために、橋向こうの3軒は「私」を棄てさせられる。
しかし、勘兵衛の言葉どおり、そこにはやむを得ない状況があり、その状況に立ち向かうためには、彼の判断はやむを得ないとしかいいようがない。
これは、はたして「滅私奉公」なのだろうか。
私は、この時発せられた勘兵衛の言葉は、実によく考えられていると思った。
「人を守ってこそ己も守れる」とは「己を守るために人を守る」ということになるし、「己のことのみ考える者は己を滅ぼす」とは「己を生かすために人のことを考えよ」ということになる。
つまり、ここには己と他が、ともに大切にされるべき関係としてとらえられているのだ。
一方が重要で一方がそうでないというような、支配、被支配の関係としてはとらえられていないのである。犠牲を強いられる人物の意識が、もしこの勘兵衛の言葉のようであれば、それはもはや「滅私奉公」とはならず、最近よく言われる「活私奉公」ということになるのではないだろうか。
そこには「一人はみんなのために、みんなは一人のために」というスローガンにこめられていた、全く対等平等の関係を目指す社会主義の精神に通じるものさえ感じられるのだ。
この関係を図式化するために、私は「信」と「忠」という言葉を導入したい。
己と他が、ともに大切にされるべき関係とは、「信」で結ばれた関係といえる。
それに対して、一方が重要で一方がそうでない関係は、「忠」によって形作られた関係だ。
「活私奉公」の社会は、「信」によってまとまっている社会といえないだろうか。
それに対して「滅私奉公」の社会は、「忠」によって秩序づけられた社会ではないか。
勘兵衛は、百姓に「忠」を強いることをしなかった。
村人はもちろん勘兵衛を頼むに足る侍だと「信」じ、防衛を依頼した。そしてそれを引き受けた時点から、勘兵衛も村人を信じ、村人の信頼に応えようという意思で命をかけるのである。
「七人の侍」の世界は、「信」によってまとめられた世界であった。
それに対し、野武士たちの世界は、「忠」を強いられた世界である。
村人の反撃に遭った野武士たちの中には、逃亡する者も出てくる。
野武士の首領は、勘兵衛のように手下を説諭し、「信」をもって組織をまとめようとはしない。強権による恐怖によって従わせているのである。
2月12日(木) 武士道のリニューアル(6)
武士道の徳目の核となるものを一つあげるとすれば、「義」ということになるだろう。
新渡戸稲造も『武士道』の中で「義」を第一にあげ、「義士」という言葉は「学問もしくは芸術の堪能を意味するいかなる名称よりも勝れるものと考えられた」と書いている。
確かに「義士」「義人」という名称は、武士あるいは武士的な人物の尊称として広く用いられてきたし、「大義」「正義」「信義」「忠義」「道義」などの言葉は、武士道から派生して日本人の正しい生き方を表す言葉となった。
そのような「義」を、日本人は孔子と孟子の哲学から学んだ。
しかし、日本独特の「世間」社会において、「義」の概念は純粋な「人生哲学」として取り入れられるよりも「世間道徳」として取り入れられた面が多かったように思う。
「世間道徳」としての「義」は、「義理」という名称で浸透していった。
武士道の「義」は、「義理」の蔓延の中で徐々に弱められていったようだ。
(ちなみに、武士道の「義」を正しく受け継ぎ、深めた人物として、中江藤樹と山岡鉄舟をあげたい)
新渡戸稲造の慧眼は、『武士道』の冒頭で、そのような「義理」を鋭く批判するのである。
「これ(注;義理)は義からの分岐と見るべき語であって、始めはその本来の原型からわずかだけ離れたに過ぎなかったが、次第に距離を生じ、ついに世俗の用語としてはその本来の意味を離れてしまった。義理という文字は<正義の道理>の意味であるが、時をふるに従い、世論が履行を期待する漠然たる義務の感を意味するようになった」
私は、この「義理」を美学的な道徳律にまで高めたのが、俗にいう任侠道だったと思う。
本来の武士道が「義」で行動するのに対して、「義理」で行動するのがヤクザの任侠道であった(ヤクザ者は、一宿一飯の<義理(恩義)>によって、その集団のために相手を殺すのである)。任侠道なるものは馬鹿げた美学であったが、江戸時代、芝居や瓦版によって、庶民はその美に酔いしれたのだ。
そんな風潮の中、奴隷の美学に成り下がった武士道も、限りなく任侠道に近づいた面があったように思う。そのような「義理」の美学を、新渡戸は、何と「愛国心」にもからめた形で、次のような書き方で批判するのだ。(この「愛国心」はまさに「忠君愛国心」と言ってもよかろう)
「私見によれば、義理は<正義の道理>として出発したのであるが、しばしば決議論(注参照)に屈服したのである。それは非難を恐れる臆病にまで堕落した。スコットが愛国心について<それは最も美しきものであると同時に、しばしば最も疑わしきものであって、他の感情の仮面である>と書いていることを、私は義理について言いうるであろう。<義(ただ)しき道理>より以上もしくは以下に持ちゆかれる時、義理は驚くべき言葉の濫用となる。それはその翼のもとにあらゆる種類の詭弁と偽善とを宿した。もし鋭敏にして正しき勇気感、敢為堅忍の精神が武士道になかったならば、義理はたやすく卑怯者の巣と化したであろう」
(注、「決議論」とは広辞苑によると「倫理上、宗教上の一般的規範と義務とが衝突する特殊な場合に適用する実践的判定法。ストア、教父、中世のスコラ学で重視され近世ではイエズス会が必携書をつくった」とある。)
ここには、「義理」という観点から日本人の精神的欠陥を見つめ、正しい武士道によってそのリニューアルを目指した新渡戸稲造の、真摯な情熱が感じられる。
2月11日(水) 武士道のリニューアル(5)
勘兵衛は「義」で行動する人物と言える。
この場合の「義」は、野武士から農民を守るという「正義」である。
七郎次は「忠」で行動する。すでに城勤めの時代から勘兵衛という人格に、利害関係でなく絶対的に心服し、従っている。
では、七郎次以外の5人はどうだろうか。考えてみれば5人も、勘兵衛という人物の人柄によって集まった侍たちなのだ。
特に、勘兵衛の右腕となる五郎兵衛(稲葉義男)は、はっきりと「わしも百姓の苦しさはわかる。しかし、わしはどちらかというとおぬしの人柄に惹かれてついて行くのだ」と言うのである。
若い勝四郎は弟子入りを望んで付き従う。拒絶されてもついていく菊千代は勝四郎の同類である。風変わりな侍、平八(千秋実)も、凄腕の剣士、久蔵(宮口精二)も、結局は勘兵衛の人柄によって仲間となったのだ。
つまり「七人の侍」は、「正義」のために立ち上がった人格者、勘兵衛のもとに、その人柄に惚れ込んだ6人が命をあずけて行動するという物語なのである。
ここには、基本的に黒澤明の持っている「人間を動かすものは、人間である」という思想があると思われる。
それは純粋で美しい面があると同時に、危険な側面を持つ倫理観でもあると思う。人間的魅力に陶酔することは、時として客観的な判断を放棄することにつながるからだ。
武士道の美学は、時にその「人間的魅力への陶酔」が「義」を圧倒する傾向となったように思う。俗に「士は己を知る者のために死す」と言われるが、死の美学と結びついたこの武士道は、やがて堕落して、形骸化していく。
江戸封建体制の中で朱子学と結び付けられた武士道は、もはや主君の人間的魅力などと関係なく、ひたすらその奴隷となることを美しいとのみ教育されるようになった。
徳川家に生涯の忠誠を貫いた大久保彦左衛門は、その著「三河物語」で、「家臣とは主君の犬である」と書いている。また、佐賀鍋島藩の山本常朝は、(決して一般的なものではない個人的な思想とはいえ有名な)「葉隠れ」の中で、「武士は主君に殺されても、それを本望と思え」といった主張をしているのである。
2月10日(火) 武士道のリニューアル(4)
「武士が感情を面に現すは男らしくないと考えられた」と新渡戸稲造は書いている。
つまり、武士であることの要件として「沈着冷静」があげられているのだ。
「七人の侍」の中には、そのことを描いた印象的な場面がある。
七人の侍が村に来て村人を指導し、周囲に柵を造り、野武士襲来への備えが完了したある日、勘兵衛の家来である七郎次(加東大介)が、静かに歩いて勘兵衛の小屋に入ってくる。
そして、ゆっくりと「西の道に怪しい男が3人」と告げる。
野武士たちが村を襲うために物見を送って来たのである。
報告を聞いて勘兵衛も、ゆっくりと対策をたてにかかる。そこへ、若い侍の勝四郎が慌てふためいた態度で、「怪しい男が・・・」と飛び込んでくる。
その態度をみて、村人たちが野武士の襲来を察知してざわめきはじめる。
ここで、七郎次がことさらゆっくり歩いて報告に来た理由が分かることになる。
さらにその時、村人の様子をみて菊千代が、大きな声で「なにい!野武士い!」と意気揚揚とやって来る。
物見の野武士3人は、それによって村に侍たちがいることに気づいてしまう。
まだ若くて侍になり切れていない勝四郎と、偽侍である菊千代。この2人と対比されて描かれた七郎次の見事な「沈着冷静」さは、まさに侍の態度といえるだろう。
侍集めの最中、偶然にも勘兵衛は、城勤め時代自分の<古女房>のような家来であった七郎次と再会したのだ。
「ありがたい」と言って、勘兵衛は七郎次と短い会話をした後で、「実は、金にも名誉にもならぬ難しい戦があるのだが、ついて来るか」と切り出す。
すると、七郎次は何も訊かず、即座に「はい」と答えるのだ。
どのような戦なのか、誰と戦うのか、ということすら訊こうとしない。
つまり、七郎次は勘兵衛という人物に絶対的な「忠」を尽す人間なのである。それほど勘兵衛が優れた人格者だということなのだが、ここには武士の主従関係の最も純粋な<理想>としての「忠」が描かれているのである。
武士道の特質として欠かせない「忠」の思想。
リニューアルに際してこれには、「義」とあわせて少し考えなければならない問題があるようだ。
2月9日(月) 武士道のリニューアル(3)
「武士の教育において守るべき第一の点は品性を建つるにあり、思慮、知識、弁論等知的才能は重んぜられなかった。美的のたしなみが武士の教育上重要なる役割を占めた」と新渡戸稲造は書いている。
この武士の条件として強調される品性ということも、「七人の侍」では、偽侍として登場する菊千代(三船敏郎)によって、逆の側から描かれる。
菊千代は無類の強さを持っている。並の武士など彼の相手ではない。しかし彼には品性がない。彼は、盗賊退治をした勘兵衛に惚れ込んで近づこうとするのだが、礼儀作法が身についていない。どういう態度で接していいかわからない。「美的なたしなみ」が教育されていない。そこで、一目で侍ではないと勘兵衛には見破られてしまう。
菊千代の品性のなさが一番はっきり露見するのは、腕試しをされる場面である。
勘兵衛は侍を集める方法として、目星をつけた侍を誘い込み、戸口で若侍の勝四郎(木村功)に木で打ち込ませ、腕を試そうとする。菊千代は山犬のように強い侍として連れてこられるのだが、酒に酔っている。しかし勘兵衛は「ひとかどの侍であれば、正気を失うほど酔いはせぬ」といって実行する。案の定、酔っていなければ無類に強い菊千代が、その時あっけなく打たれてしまう。
私は、品性の本質は<何事にも距離をおいた生活態度>だと思っている。
欲望に対して恬淡であること、「むさぼらない」ことである(がつがつ食べることを、我々は「下品な食べ方」と言う)。
そして、品性というのは生まれた時の家庭環境によって身に付くものである。これは、大きくなってから自分の意志で身につけようとしても不可能なものだと私は思っている。(もともと「品」という漢字は中国の等級を表すものであって上品というのは上位階級に属することによって身に付く、階級的な徳性といっていいものなのである)。
酒をむさぼり飲んでしまう菊千代には品性がない。百姓出身の菊千代には、腕力は身に付いても、品性は身につけようがなかったのだ。
では、階級が消滅した現代社会にあって、武士道のこの徳性は生かせるものだろうか。
階級こそなくなったが、餓死するほどの貧困もなくなっているのが現代であろう。食べることの苦しみで明け暮れる幼少時代を送るなら、品性は身につけようがないが、現代の我々には、意識の転換をするだけで「むさぼらない」「美的のたしなみ」を身につけることは十分出来るだけの物理的な環境があると言えないだろうか。
「武士道は非経済的である。それは貧困を誇る」と新渡戸稲造は書いている。
侍が百姓より貧困であったとは思えない。この言葉は、侍たる者は生活態度として努めて「貧困である」ことを「誇り」、経済的なことに距離をおいて、「美的なたしなみ」を身につけたということだろう。「貧困を誇る」とは、一時流行した「清貧の思想」と同じ発想の言葉なのだ。
私は、「むさぼらない」ことができるかどうか、それが品性を養えるかどうかの分かれ道のような気がしている。
2月5日(木) 武士道のリニューアル(2)
ノーブレス・オブリージェをはっきり理念として確立したのは山鹿素行である。
戦国時代が終わり実際の戦闘がなくなった平和な時代には、武士の基本的な役割が「武」(軍人)の方から「士」(行政官)の方へと移行していく。そんな中で、山鹿素行は武士の存在理由を本質的なところから思索したのだ。
「山鹿語類」の中に、次の記述がある。
「農・工・商にたずさわる人々は、日々の仕事に忙しく、<人の倫>など尽くし得ない。だが、その民に食わせてもらっている武士には、そうした口実は許されず、義の実現に力を尽くし、農・工・商の三民の手本となって、彼らが平和に暮らせるように、この秩序を守り抜くことこそ本分なり」
これは、まさに新渡戸稲造の言う「高き身分の者にともなう義務」という考え方である。
「七人の侍」は戦国時代の話であるが、黒沢明は、その設定の中に見事にこの精神を溶かし込んだのだ。原田勘兵衛は、頼むに足る侍を6人集め、それらを使って百姓達を訓練し、行動の手本となり、秩序を守らせて、野武士を撃退するのである。
そんな原田勘兵衛の武士道は、あくまでも実践的である。そのため、外形にとらわれるということがない。勘兵衛が最初に登場する場面は、それを象徴している。
彼は子供を人質にして立てこもった盗賊退治を引き受けるのだ。そして、旅の出家に変装し、敵を油断させるという作戦をたてる。そのため、彼は惜しげもなく髷を切り落とし頭を丸める。
(それと対照的なのが、小林正樹の映画「切腹」。そこには、武士としての体面に凝り固まった江戸時代の武士が、髷を切られたために病気と偽って登城しない姿が描かれている)
*、今日から小旅行(修学旅行ではない)しますので、3日間ほどお休みします。
2月4日(水) 武士道のリニューアル(1)
日本人の倫理観を強化する手立てとして武士道というものが使えないだろうか。
武士道をリニューアルすることで「いい社会」が構築できないだろうか。
かつてそういうことを目指した一人の天才映画作家がいた。
彼は、映画芸術家であると同時に、教育者であった。
彼の映画は、非常に倫理的であり、必ず教育的であった。
彼は「男」を描く作家であり、その「男」は、たとえ現代劇であってもきわめて武士的な男であったように思う。
その人物の名前は黒澤明。
代表作は、何と言っても「七人の侍」。
私は、黒沢明の武士道の<理想>が「七人の侍」の中に凝縮されていると思っている。
そこで、この作品を材料にして、少し「武士道」について考察してみたい。
新渡戸稲造の「武士道」は、その冒頭にノーブレス・オブリージェということをあげている。訳語としては「身分上の義務」。
私は、これこそが「武士道」の最も大切な要素であるべきだと思っている。生産活動をしない武士には、その代りに<安全保障>に身を呈する義務があった。それが「武士」というものが「階級」として固定されるそもそもの論拠だったと思う。
「七人の侍」の頭目となる原田勘兵衛は、百姓に村を守ってくれと頼まれる。最初は躊躇するが、百姓の生産物である米の飯を差し出された時、その飯の椀をささげて、
「わかった。この飯、おろそかには食わぬぞ」と言って引き受ける。
それは、白い米の飯の椀が画面の中央に写し出される感動的な場面である。そこには、生産物を提供されて安全保障の役割を担うという武士の原型が提示されているように思う。
(ちなみに「七人の侍」を西部劇にしたハリウッド製の「荒野の七人」では、農民は米ではなくわずかな金を提供する。しかしそれは農民にとっての全財産にあたると聴いて、勘兵衛にあたるユル・ブリンナーが、「全財産で頼まれたのは初めてだ」と言って引き受ける。)
2月3日(火) 「笑いの大学」
三谷幸喜の「笑いの大学」が映画化されるとのことである。
役所広司とSMAPの稲垣吾郎の2人が演じるという。
何と愚かな!
西村雅彦と近藤芳正の、あの傑作劇を映画にするなんて!
あの舞台の素晴らしさを越えるものが出来るはずがない!
それも稲垣吾郎なんて、それも稲垣吾郎なんて、とんでもないキャスティング!
あの演劇のビデオは、これまで何人の人にあげただろうか・・・水曜日にはtenseiさんに、卒業式のBGMをコピーしてもらうお礼として送る予定だ。
2月2日(月) 武士道と社会主義運動
「武士道」について、考えつづけている。
サムライ精神のリニューアルを目指した文章をまとめてみたいなあと思い出している。
その際、土台として使いたいものは黒澤明の「七人の侍」。
ここには、武士道の<理想>が見事に描かれていると思うからだ。
その対極にある作品が、小林正樹の「切腹」。
この2作品を使えば、ちょっとしたものは書けそうな気がする。
昨日読んだ「日本がわかる思想入門」(長尾剛)という本は、武士道を、鎌倉武士、戦国武士、江戸武士に分け、その変遷をおさえていて、とても参考になった。
中に、たった一文だが、とても興味深い記述があった。
「近代日本にあって、もっとも武士道が生きていた場所は、おそらく社会主義運動の中であったろう」というものだ。
具体的な説明は全くないのだが、この一文は、とても面白い。
サムライ精神のリニューアルに際し、重要な視点になると思っている。
1月31日(土) 牛や鳥たちに、感謝。
鳥インフルエンザによって、大量の鶏処分が報道されている。
それに関して、指揮者の岩城宏之が「人類をおびやかしそうなウイルスを体内に持っているらしいからと、何百万、何千万と処分される動物たちのことを思うと、たまらなくつらい。こんな人類に天罰はくだらないのだろうか」と書いていた。(朝日新聞)
韓国の鶏、中国でハクビシン、アメリカの牛、日本では鯉・・・確かに現在、百万単位の動物が殺されている。
人間の食料として生かされていた動物たちだから、ウイルスに感染した以上どうしようもないのだろうが・・・
しかし、どうしようもないということで、この人類の残虐な行為を、単に吉野家の牛丼が食べられなくなるとか、焼き鳥はどうなるのかとかのレベルだけでとらえていていいのだろうかと思う。
そのことを、昨日は授業で語った。生徒は静かに聴いていた。
確かにどうしようもないのだろうが、これを、食べ物に対する感謝の念を新たに持つ機会にだけはしたいと思う。
そういう視点を認識させてくれたということで、岩城宏之氏には感謝する。
1月20日(火) 「サムライ」
時々、「サムライ」ということが取り上げられる。
映画「ラスト・サムライ」や、大河ドラマ「新撰組」などの影響か。
陸上自衛隊のイラク派遣という時勢とリンクする風潮か。
この機会に、本当の「サムライ」とはどういうものかを考えていきたいと思う。
歴史上、「サムライ」といえる人物を探したい。
近藤勇なんて、本物の「サムライ」とは思えない。
今思いつくのは、高杉晋作。
戦いにおいて「引き際」を身につけていた人物。
戦いにおいて、一番難しいのが「引き際」。
自分を完全にコントロールできる人間にしか、それはできない。
やみくもに突っ込んで、華々しく死ぬなんて、自分に「陶酔」さえすれば案外簡単だと思う。
「陶酔」せずに、どれだけ冷静に、感情を押さえて判断し、行動できるか。
そんなところに「サムライ」の本質があるように思う。
1月18日(日)
自然科学の知識による善政
最近、政治的に尊敬できる行為をした人物の中に、科学的知識を身につけている人が多いということを感じている。
最初にそれを感じたのは、十字軍の指揮官となった神聖ローマ皇帝フリードリッヒ2世とイスラム側のアル・カーミルである。
あの人類の愚かさの典型例とも言える残虐な戦いの中で10年ほどではあったが和平を実現した2人は、共に自然科学の知識を持っていた。その知識による交流がなかったら対話自体が実現しなかっただろう。特に攻撃側のフリードリッヒに「あるがままに見る」という科学精神があったことが大きかったと思う。
次に、橋本さんに教えてもらって知った、後藤新平。
「科学的な政治家」と称される彼は、台湾総督、満鉄総裁、東京市長として、その業績は素晴らしい。星新一が評伝で「生命に関する科学の知識を持ち、それにもとづく判断を行政の上に活用し、見事な業績をあげた人」と紹介している。
そして、昨日聴いた童門冬ニさんの講演で再認識した徳川吉宗。
享保の改革として伝えられる善政のもとには、自然科学系の学問が好きだった吉宗の発想が大きく影響していると思われる。新田開発、目安箱、小石川養生所、町火消しの設置、飛鳥山や墨田川堤などへの桜植樹、そして、海外に目を向けて外国の知識を吸収しようとする姿勢。
「物の学習」から「倫理観」が形成されるという観点から、少し注目したい事例である。
1月16日(金) 近藤勇のどこが「サムライ」なんだ?
NHKの「その時歴史が動いた」に黒鉄ヒロシが出ていて、近藤勇のことを話していた。
彼は新撰組については詳しくて、実によく理解しているので、その話し方が何とも面白かった。
NHKの大河ドラマで取り上げているわけだから、近藤勇をそんなにケナす訳にはいかない。しかし、近藤勇なんかの生き方は、どう考えても評価できるものではない。そこで、ビミョウな言い方になる。
近藤勇は、最初、攘夷のために、手段として武士になろうとしていた。
しかし、百姓の出身の悲しさで、どうしても武士になることが優先されていって、目的であったはずの攘夷は忘れられていく。攘夷を目的として行動した隊員を粛清するようになる。
近藤勇は、徳川時代例外中の例外として、上級武士である旗本にまでなる。
しかし、武士としての最高の地位にたどり着いた時に、大政奉還。幕府が消滅する。
その後は、悲劇的な、悪あがきのような最期。
新政府軍に投降し、近藤だということを隠そうとするが、発覚して、旗本武士なのに切腹ではなく斬首となる。
首はさらされて、「浮浪者」と書かれたという。
時代に逆行して、幕府に使い捨てされたような、バカ人間が近藤勇なのだが、今はブームなので、番組の題名も「最期のサムライ」だって。
何が「サムライ」なものか!武士になりたいという私利私欲のために、純粋に攘夷を唱えて新撰組を離れた若者を粛清までしているのに。
そんな行為のどこが「誠」か!
近藤勇なんか、決して本当の「サムライ」なんかじゃない。
でも、黒鉄ヒロシは、「時代に逆行しても、一途に行動したことを<義>ととらえたい、という気持ちもある。・・・近藤勇たちを最期のサムライと思うことが、私たちの精神の健康にはいいのではないか」
と、かなり無理した表現で、ブームに水をささないように配慮し(しかしよく聴けばそうとう辛らつでもある)解説をしていた。
無理しなくてもいいのに、と思った。
1月13日(火) 新撰組に熱狂する若者
今、マンガの影響だろうが、新撰組の剣士たちに憧れる若者が多いという。
テレビの特集でも、よく取り上げられていた。
私の教えた生徒の中にも、熱狂的な新撰組フアンの女生徒がいた。
からかって「新撰組なんて体制側の人殺し集団じゃないか」なんて言うと、ムキになって言い返してきたものだ。
テレビで若者達が新撰組の好きな理由を答えていた。
「かっこいい」「自分の信念を貫いて生きている」「まっすぐ」「純粋」「自分の生き方を自分で決めている」・・・などの答えが多かった。
若いときは、特に女性は、顔がよくて喧嘩が強くてカッコいい若い男に惹かれる。土方歳三とか沖田総司とかはそういう条件が満たされているようだ。
近藤勇には、「誠」という一途さのイメージが張り付いている。
若い時は、<純粋さ>とか<ひたむきさ>が、その行動のよしあしよりも優先されて評価される。新撰組は、そういう条件がそろっている。
坂本竜馬にもそういう条件はあるのだが、こっちはかなりインテリ好みの人物だ。歴史の流れの中で果たした役割からすれば、新撰組の連中なんかとは比べ物にならないほど重要な人物で、まさに<カッコいい>のだが、そういう<カッコよさ>は歴史の勉強をしっかりすることによって理解されていく類のものだろう。
新撰組への熱狂は、プチナショナリズムにつながる危険性をもつ。
<純粋>であれば許される、という<思考停止>状態の危険性。
三谷幸喜さんは、そのあたりをわきまえてドラマ作りをしているのだろうか。
彼なら、大丈夫だろうと思うが・・・
少し、大河ドラマを見つめていくことにしよう。
1月12日(月) カッコいい佐久間象山
NHKの大河ドラマは見ないことにしていたが、昨日から始まった「新撰組」は三谷幸喜の脚本なので、最初だけのつもりで見てみた。
史実をたどるようなドラマではないので設定はムチャクチャだ。
若き日の出来事という設定で、近藤勇(香取慎吾)と土方歳三(山本耕史)が蕎麦屋で桂小五郎(石黒賢)ともめる。そこに坂本竜馬(江口洋介)が現われて仲裁し、彼の口利きで、4人は竜馬の砲術の先生である佐久間象山(石坂浩二)の家来になりすまして、一緒に黒船を見学に行く・・・なんていうとんでもない展開。
スターの顔見世みたいに無理やり5人を引き合わせるわけである。
下らなさそうだ、と思ったが、それが意外に面白かったのだ。
なぜなら、さすが三谷だけあって、セリフの中に人物の特質がきちんとこめられていて、その人物の歴史上の位置付けはしっかり押さえられていたからである。
竜馬が近藤たちに「お前達、武士になりたいのだろう。そう顔に書いてある」という。
そして、近藤たちに「あなたは武士だろう」と言われると、「土佐の郷士だ。人間扱いされていない」と答える。
身分社会の中で束縛されていて上昇志向を持つ2種類の人間。
剣の腕だけをたよりに武士になることだけを目指す百姓あがりの近藤勇と土方歳三。武士ではあっても最下級で人間扱いされていないと自覚する坂本竜馬。
それらの若者たちを眺めながら、桂小五郎に語りかける佐久間象山の言葉がいい。
「これから日本は2つに分かれる。やみくもに異国の文物を取り入れようとする者、日本という殻の中に閉じこもろうとする者・・・」(この時、竜馬と近藤たちの顔がアップになる)そして続ける。「・・・しかし、今日本が進む道は第三の道だ。すみやかに開国してどんよくに知識を吸収し、異国と互角に戦えるだけの力を蓄え、その上であらためてやつらに喧嘩を売る。それが、本当の攘夷だ」
石坂浩二の佐久間象山が、実にカッコよかった。
1月10日(土) 「日本州にも大統領選挙権を」
養老孟司は、ベストセラーになっている著書「まともな人」の中で、「日本州にも大統領選挙権を」と題して日本をアメリカの州にするのがいいとはっきり書いている。
日本はアメリカの属国ではないかという憤懣の中で、「どうせならアメリカの一部になれ」というヤケッパチのような意見は以前からあったが、養老氏はそれを現実的としているのである。
かなりふざけた書き方で、次のような調子である。
「・・・日常生活に大きな影響を持っているのはアメリカではないか。そこの大統領を選ぶのに、私になんの権利も認められていないのは、民主主義に反しないか。」
「自然科学の研究をしてみればわかるが、業績とみなされるような立派な論文は、いまではアメリカの雑誌に投稿されたものである。・・・それならべつに言葉だって、さして変わるわけではない。こういう話(エッセーのこと)を英語で書くのも、どうせ若い頃は英語で懸命に論文を書いたのだから今でも不可能ではない。読者層も桁が増える。上手に書けば、市場が大きいのでいまより儲かる可能性が高い」
「まず手始めに、円をドルにしてしまう。そういう意見もある。これもいい意見である。為替の計算がじつに簡単になる。デノミにもなる。日銀もいらないだろう。天下の秀才は連邦銀行に就職すればいい。まじめな日本人なのだから、出世するに違いない」
「愛国心が大切だという人たちは、よくアメリカを見てみろという。それならはじめからアメリカになったほうが簡単である。愛国心の教育もしてくれる。星条旗と日の丸はあまり似ていないが、それなら日章旗を日本州の旗にすればいい」
「日本はアメリカの一部になっているほうが、考えることが少なくて済む。小泉首相もむずかしい顔をして<アメリカを支持します>などと見得を切る必要もない。大統領に任せてありますといえばいい。そもそも首相を選ぶ必要がないではないか。どうせ誰を選んでも変わりはない。それが日本人の本音だとすれば、ブッシュだっていいわけである。なにか悪いことがあるか。どうも思いつかない」
「どうせアメリカと意見が同じになるのだから、外務省はいらないといった人もある。これももっともな意見であろう。戦後半世紀以上、あなた任せでやってきた国だ、いまさら自主性をといっても、それは無理というもの。いまではそれが識者の意見であろう。それならいちばん無理がないのは、日米合体である」
私は彼の愛読者で、これまでかなり彼の本は読んできたが、このごろは鼻についてきている。
ブツ切れの短文でたたみかけるようにつなぐ独特の文体。傍観者然とした極論。世の中のことすべてを馬鹿にしたようなシニカルな視点・・・それが、最近はいささか調子に乗りすぎていると思われるほどひどくなっている。
しかし、養老孟司の本は売れに売れているのだ。
ベストセラーの第1位は「バカの壁」だが、それ以外にも彼の本は、いろいろな調査で3冊ぐらいがベスト10に入っている。
この「まともな人」は2番目によく売れている本であるらしい。
こういうシニカルな極論を、世間が受け入れだしているということ・・・私には、そのことが一番大きい問題のように思える。
1月9日(金) 松井秀喜の信仰(?)
松井秀喜の信仰に関して興味があるが、資料がない。
お祖母さんが新興宗教の教祖さんだという話を聴いた。
彼があれだけしっかりした姿勢を身につけているのは、その影響を受けているのだろうか。
松井の突出した「優越性」の中に、信仰というバックボーンがあることは十分考えられる。
そうでなければ「中学2年の時から一度も人の悪口を言っていない」なんてことを、はっきりと表明することはできないかもしれない。
「絶対」を持ったとき、人間は強くなれる。
宮沢賢治や美輪明宏には法華経がある。
石原慎太郎も法華経。
松井秀喜の信仰について、誰か詳しい人は教えてほしい。
1月8日(木) 「竜馬がゆく」
年末に放映していた長時間ドラマの「竜馬がゆく」を飛ばし見した。
最後の方の、薩摩と長州を連合させるところと、暗殺されるところが面白かった。
司馬遼太郎の原作だから、竜馬がそうとう美化されているわけだけれど、憎みあっている薩長を結びつけるために「交易」という方法を使うところは、とてもよく分かるように描かれていた。
竜馬が作った「カンパニー」である「亀山社中」を媒介にして、薩摩にも長州にも利益になる商取引を承諾させる。その上で、西郷隆盛と桂小五郎を対面させる。
やっと京都で2人は対面するが、10日間、2人とも連合の話は一切せずにただ食べてばかりいたというのが面白い。
桂小五郎は、朝敵となって孤立している長州からそれを言い出すわけにいかない、と意地をはっているのだ。そこで、竜馬は西郷を説き、西郷の方から口火を切らせる。
かなりドラマチックな展開になっていて、真相はだいぶ違うだろうなとは思ったが、そのあたりの描写はなかなか面白かった。
しかし、それ以上に面白かったのは、このドラマでは竜馬を暗殺したのは新撰組ではなく、黒幕は、岩倉、西郷、大久保の3人だと、暗に描いていた所だ。
武力で一挙に幕府をつぶしてしまおうと動き出す薩長を押さえようと、竜馬は「舟中八策」を出す。それは、徳川慶喜に大政奉還をせまる内容で、竜馬は無血革命を目指したのだ。
薩摩が動こうとする直前に、慶喜は大政奉還をしてしまう。
悔しがる西郷隆盛。
その時点で、彼の行動は薩摩の目指す方向とはっきりズレはじめる。竜馬を暗殺に行く刺客の描写が、西郷の表情や、岩倉、大久保の言動と重なるように描かれていく。それは、どう見ても彼らが刺客を動かしているとしか思えないような描かれようで、そこに新撰組のイメージはまったくなかった。
司馬遼太郎の原作では、こんな風に描かれていたのだろうか。
これは脚色されたのだろうか。
いずれにしても、私も竜馬は薩摩によって抹殺されたに違いないと思っているので、この描き方は面白かった。
1月7日(水) 神様の数え方
「トリビア(無駄知識)の泉」という番組が流行っている。本も出版されている。
私は毎回楽しんで観ている。
意外な事実を紹介して、ゲストが「へえーー!」という声の出るボタンを何回押したかで、その事実の<面白さ>を評価するという、なかなか面白い番組である。
まったく無駄な知識であっても、面白い、という価値をもつ知識もあると思う。
誰が着目したのか知らないが、実用主義の逆を行く、<遊び心>あふれる番組として、私は関心して見ている。
ところが、先日の番組の中で、私にとってはとても有益なトリビアがあった。
「日本の神様の数え方は、1柱、2柱、である」というトリビアである。
「へえーー」と思った。そう言われれば、そうだと思った。
番組では、神主が出てきて解説していた。
確かに、古事記などでそのように神様を数えている。
なぜ、柱なのか。
つまりは、大木信仰なのである。
日本人にとっては、木が神なのだ。
国土の67%が森である日本ならではの信仰の形態。
私も、大木が大好きで、先日も熱田神宮の素晴らしい「大楠」をみて、感動してきた。
「大楠」には注連縄がされていた。
生命力の象徴としての大木への、実に素朴な、すがすがしい信仰。
日本人の信仰が見事に表れている「事実」として、このトリビアは心に残った。
1月6日(火) 料理と倫理。そして誇り。
まさに「美味しんぼ」の世界!
<秋山仁さんは数学は調理ととてもよく似ていると書いています。魚や野菜、肉などの材料を観察し、予算を睨んで買ったり、下準備したり、包丁などの道具を順序立ててつかったり、火加減や味加減をみたり、カロリーや栄養価を考えたり、あらたなメニューを研究したり、料理には数学に必要な能力、計算力、論理力、想像力などすべてがそろっているというわけです。
そのうえ、料理には人に食べて貰ってよろこんでもらえるという大きな御利益があります。とても実用性が高い。おいしい料理が作れるということはすばらしいことでね。これは倫理的でもある。 >
(橋本さんの書き込みより)
またまた面白い材料を提供していただいた!
というのも、料理と倫理、というテーマとなると、学校の図書館から借りてきていて今手元にあり、今度の図書館探訪にも紹介文を載せている、怪物的なヒットコミック「美味しんぼ」のことが頭に浮かぶからです。
「美味しんぼ」は、ありとあらゆる「味覚」を紹介するコミックといえます。
そして、その紹介の仕方として、2人の人物の対立という設定がなされている。
山岡という主人公と、その父親で料理の天才である海原雄山が対立するというストーリー。
山岡は、美味を極めるために家族(特に母)を苦しめる父、雄山と闘って家を飛び出している。
しかし、運命の悪戯で、料理という仕事上で父親と再会し、再び対決することになる。
作品では、海原雄山は、美に対する彼なりの厳しい「論理」を持ち(それなりに「倫理」もあるようにも描かれているようだが・・・)、一貫して悪魔的な美(美味)の追及者として設定されている。
それに対して、息子である山岡は、あくまで美味よりも「倫理」を尊ぼうとする人間として設定されているように思う。その対比は、かなりはっきりしているのではなかろうか。
つまり、このコミックは、表面上、様々な「味覚」を紹介する形になっているが、底に流れているテーマは、「味と倫理」なのではないかと思うのです。決して単純な設定ではないけれど、倫理的でなければ美味もありえない、という発想が、根底にはあるのではないかと思うのです。
さらに、「誇り」との関係についてこのコミックを材料に考えてみると・・・
海原雄山には、比類ない「誇り」の意識が表現されている。「誇り」の塊みたいである。しかもそれは<劣等感の裏返しである「優越感」なんてものではなく、純粋な「優越性」にもとづく「誇り」としか考えられないような「誇り」である。
それに対して、山岡には(対比の関係だろうが)「誇り」の意識がまったく描かれていない。
コミックの話であって、そうマトモに取り上げるべきではないのかもしれないけれど、「誇り」と「倫理」に関係はない、ということなのだろうか・・・。
<自己脱却と論理に基づく「倫理」は、仏教で言えば小乗的な倫理だといえるのではないかと思っています。これにたいして、キリスト教の愛や仏教の慈愛は大乗的な倫理だと言えそうです。
倫理にも二種類のものがあるというのが、私の考えです。色即是空の倫理と空即是色の倫理。>
うーーーんーーー!
この書き込みについては、じっくり考えていきたいと思います。
橋本さんの書き込みで、思考の幅が広がっていきます。
ありがたいと思います。
1月5日(月) 「自己脱却」と「誇り」
橋本さんの書き込みに触発されて・・・
<ラッセルも言っていますが、人間は心を外に開くことでしあわせになれます。心を外に開くということは、自己脱却の第一歩ではないでしょうか。職人や科学者は常に対象に向かい合い、自己を収斂して、「ものの論理」を追求しています。そうした姿勢は自己脱却の理想の姿だとも思います。
そもそも「論理」というのはそうした自己脱却性の最たるもので、「倫理」の根底にあるものだと思います。
自己脱却ととても似ているのが、自己忘却です。新興宗教やファシズムはこの例でしょうね。
自己脱却と自己忘却の違いは何か、私はそれはそこに厳しい「論理」が存在するかどうかだと考えます。>(橋本さんの書き込みから抜粋・・・打ち込み時の誤字は訂正しました)
非常に示唆的な内容でした。「自己脱却」「論理」それが「倫理」につながる・・・実に明快に「倫理」の道筋が表現されていると思います。
いつもながら、橋本さんの慧眼には脱帽です。ありがとうございました。
(私が整理したいと思っている)残る問題は「誇り」との関係です。
以前の論争で、橋本さんは「誇りと自慢とどこが違うかわからない」と書いていました。
確かに、誇りは自慢と重なると思います。
しかし、彼の力を見抜いていた大リーグの監督が「誇り高い男」と評した松井秀喜からは、自慢という感じがありません。(テレビで見る限り、私には感じられなかった)
ただ、自分のできることを懸命にしている、というひたむきさが感じられるのと、ファンである子ども達への優しさが感じられるだけでした。
そこで、ふと、ひょっとしたら、本当の「誇り」というのは、当人が意識するようなものではなく、<他者がその人物をそう見るという形でのみ存在するもの>ではないだろうか・・・と思いました。
アメリカ映画などでよく見かける「誇り高い男」は、あまりにも「当人が意識している」「自己主張の塊」のようなイメージが強い。
そういう「誇り」も、確かに「誇り」の一面だろうが、もっと質の高い「誇り」というのは、そういう「当人の意識」を超えたところにあるものではないだろうか・・・・。
こんなテーマに関心がある方・・・・サジェスチョン下さい。
1月4日(日) 豊川稲荷へ行くぞ
今日は、1日乗り放題の名鉄切符(2000円)を使って、豊川稲荷まで行きます。
あそこは、神社じゃなくてお寺なんだって。
1度も行った事が無いので、行ってみようということになりました。
可児から特急に乗っても1時間50分かかるので、もう出かけなければ・・・。
前後のカミサンの実家にもよってお年始挨拶。
名古屋で夕食を食べて帰ってきます。
1月3日(土) 人の悪口を言わない松井秀喜
元旦は、録画してあった番組ばかり見ていた。
年末にアンコール放送していたNHKスペシャルの中で、松井秀喜の大リーグでの様子を伊集院静がルポした番組がよかった。
特に野球が好きではない私だが、松井秀喜という人間については興味が湧いた。
まず感心したことは、松井が「自分は中学2年の時から人の悪口は一度も言っていません」と言い切っていることだ。
巷に流れている「悪口を言わない」という松井の風評を伊集院が率直に「ほんとうですか」と確認して、彼ははっきりとそう答えていた。
疑い深い私は、本当だろうか・・・と半信半疑だった。
しかしその後、彼の様々なエピソードを知ったあとでは、この人間ならそれは嘘ではなさそうだ、と思うようになった。
アメリカで、松井の熱狂的なファンには、繊細で内向的な子どもが多いという。
インタビューに答えられないような弱々しい子どもが、松井のロゴ入りTシャツを2枚も重ねて着ていた。松井のどこが好きかというと、彼がいつも笑っているところ、という。笑顔でない松井をみたことがない、という。
彼はプロになった時、自分の目標として「子ども達に夢を与える」ことだと話している。
いじめられている子どもに呼びかけた彼の文章が紹介されたが、素晴らしいものだった。最後にどうにもならなかったら手紙をくれと結んでいる。そして、実際に送られてきた手紙に返事を出しているという。
臓器移植する子どもにポンと大金を出したり(松井は言わないが、担当医師から伊集院が聞いたという)、何人もの孤児の里親になったりもしているらしい。
まったく偉ぶる所がなく、自分は不器用なので人一倍練習しています、と答える。
監督は、松井を「誇り高き男」と表現して、不振が続いた時も彼を起用しつづけた。
打てない時も、守備やその他で、目立たずにチームに貢献していたという。
松井は礼儀正しく、インタビューにきちんと答える。
私もよくテレビで松井を見たが、長く不振が続いた時期も、毎回欠かさずインタビューに答えていたことには感心した。しかも、そのころも彼の表情には暗さがなく(もちろん明るさもなかったが)、淡々と自分の心境を語っていた。
あれだけヒットが出ない時期に、あれだけ冷静に質問に答えられるというのは、よほど自分の感情をコントロールできる卓越した強さを持っているに違いない、と思う。
番組を見終わって、彼の「人の悪口を言わない」は、本当だと思った。
なぜなら、彼には言う必要がないと思うからだ。
彼は、はっきりと並みの人間より「優越」している。(もちろん野球選手としての体力、反射神経などが優越していることは当然だが、その上で彼が持っている最大の優越性は、完璧といえるほどのセルフ・コントロールの力だと思う)
だから、彼には、コンプレックスの裏返しのような「優越感」はないのだ。
そのため、淡々としていられるのではないか。
彼は、自分にできることを、全力でやっているに過ぎないようだ。
私は、そういう松井秀喜の姿勢に、真に「優越」した人間だけが身につけることのできる「倫理観」のようなものを感じた。
この人間は、これからも注目していきたい、と思っている。
1月2日(金) 腹6分の友達関係
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお付き合いください。
昨年は、美輪明宏から多くのことを学んだ。
志談塾のメンバーであるKさん(女性)に言わせると、彼こそ男の中の男だという。
同性愛者である美輪をそんな風に評するのは面白いと思ったが、私も同感だ。
本当に、彼ほど男らしい日本男児はいないと思う。
彼の言葉で、今年は肝に銘じて実行して行こうと思ったのは「友達関係は腹6分で」ということである。
「腹8分」ではなく「腹6分」という所がポイントだと思う。
対となるような言葉は「親しき中にも礼儀あれ」。
親しい間柄でも、敬語を使い、礼を失うな、という。
今年はまず、このことを守っていこうと思っている。
12月30日(火) 来年のテーマ
年末年始は、テレビの録画で忙しい。
1年間放映された番組の中の、いいものだけを再放送することが多いからだ。
今日なんか、NHKでは「みんなのリクエスト」でそれが一挙に行われる。
昼からHDDが動きっぱなしになる。
「伊藤家の食卓」のスペシャル版もある。
今 tenseiさんがハマッテいる「映像の世紀」の再放送も、以前みたものが多いが、今日の分だけはもう一度録画しようかとも思う。
これから、政治や経済のコメント番組も多数でる。
昨年は、安藤忠雄と奥田ヒロシの対談が一番よかったことをはっきり覚えている。この対談だけが元気の出る番組だったからだ。
日本の未来への明るい展望がいろいろ話された。
他は、政治や経済の暗い予想、非建設的な批判のオンパレードだった。
おそらく今年もそういう傾向になるだろう。
私が今、政治経済の分野で関心をもっていることを列挙してみよう。
今後どれだけ情報公開が進むか。(これが良い社会になるかどうかの最も重要な要素と思っている)
橋本さんが今日HPに載せていた、経団連の奥田ヒロシの動向。(これが日本経済をかなり大きく動かすのではないか)
田中康夫と小沢一朗の動向。(田中が小沢をあれだけ高く評価して民主党を支持することがまだよく分からない)
6月にイラクの暫定政府組織ができるということ。(どうしても派遣しなければならない自衛隊なら、せめて6月以降にするべきなのに・・・)
裁判員制度の実施。(是非、選ばれてみたい)
日本が今後もアメリカ国債を買い続けるのか、それは少しでも売ることは本当にできないのか.(円高にされたら日本はガタガタになる)
来年のテーマとしては、これまでの継続になるが、「倫理観」と「誇り」について考えて行きたいと思う。
人間の生活において、「倫理観」と「誇り」が一番大切な要素だと思うからだ。
まず、「優越感」と「誇り」を、区別しなければならない。
真の「誇り」は、優越の意識はあっても、劣等感の裏返しのような「優越感」であってはならない。
(この区別のできないことが「誇り」を歪める最大の要素だと思う)
「優越感」によって行われる他者への優しさは本物ではない。
真に自分に「誇り」を持っている人間だけが、他者に優しくなれる、と思う。
だから、本当の「倫理観」は、「誇り」によって生み出されるのではないか・・・
そんなことを、考えたいと思っている。
12月29日(月) 「葉桜の季節に君を想うということ」
年末に発表される色々なミステリー本ベストテンの中で、私が最も信頼して参考にしているのが「このミステリーがすごい」である。
今年も発表があった。
年間の国内ミステリー作品第1位は、歌野晶午「葉桜の季節に君を想うということ」であった。
この作品は、NHK衛星放送のブックレビューでも話題になっていた。
その時、特に「最後まで読んでこの作品の大仕掛けに納得する」という評言で、何かとんでもない作品構造上のトリックがあることをみんなが匂わしていたので、気になって仕方がなかった作品であった。
犬山図書館ではやっぱり貸し出し中だった。予約しようと思って可児の図書館へ行ったら、何と書架にあるではないか!すんなり借りることができた。
読み始めて、やめられなくなった。
覚せい剤がらみで抗争するヤクザ組織や、保険金殺人まで匂うマルチ商法事務所を内偵をする、素人探偵の物語。
セックス描写から始まり、自殺しようとする女性との出会い、凄惨な殺人描写、健康器具を売りつけるエゲツナイ組織への潜入サスペンス、名古屋に移住した女性を探して、金山、名古屋駅、清州などをさまよう描写など、主人公の活躍に引き付けられて、ラストまできて・・・あっ!と思う。
最初の方を読み返してみたりして・・・そうか!そうだったか!・・・なるほど・・・こういうことだったのか・・・
いやあ、どんなトリックがあるのかと身構えて読んでいたのだけれど・・・作者に完全にしてやられてしまった・・・と納得した。
そこで、長い題名の意味も、はっきりわかった。
作者に対する、実に心地よい「敗北感」。
お見事でした!
恐れ入りました。
12月27日(日) 「赤い橋の下のぬるい水」
深夜に今村昌平監督の「赤い橋の下のぬるい水」を放映していた。
2001年に公開されて、みんなびっくりしたという映画らしかったが、観そこなっていたので録画して観た。
大笑いの映画だった。
セックスシーンでこんなに笑えた映画は今までになかった。
<この映画は、職もなく、金もなく、そして妻からも愛想を尽かされてしまう、なんの魅力もない男が、能登半島のある漁港の町で、「水」が身体に貯まってしまうという特異体質の女に出会うことによってより人間らしく、より魅力的な人間へと変貌していく映画>(あるHPの紹介文)
ま、これをバカバカしいと感じる人にはとても見られない映画である。
役所広司と絡み合う場面での清水美砂の潮吹きがものすごいのだ。
二人とも全身ずぶぬれになる。
2回目からはビニールシートを敷いて、モップで溜まった「水」を川に流す。
ラストは、吹き上がった「水」が空中で霧となり、虹まで出る。
流れた清水美砂の水が川にそそぐと、魚が狂喜して飛び跳ねる。
この水は、羊水のイメージと観た。
羊水の中に入ることは、男としては最高の幸せであろう。
羊水は生命を育む水。この羊水が、「赤い橋」の下の海に近い川に流れ込む。その川の水は、淡水と海水が交じり合う「汽水」という水。「赤い橋」というのも象徴的で、これらは、海(自然)と結びつく女体内の、生命を育む水のイメージとして見事につながっていく。
<「水」「命の水」「若返りの水」「愛の泉」と遠回しに言い方は、色々あれども結局、潮吹き女の物語。それだけ見ればピンク映画やらAVの題材にでもなりそうなものだが、そこは世界的巨匠・今村昌平。そんなエロティシズムを笑いに昇華させ、大人のファンタジーとして成立させてしまっている。今村昌平監督のゆとりがなせる業であり、熟練の演出がなせる業>(同上)
評価はまっぷたつに別れる映画だろうが、私は、リアリズムに徹して「性」を描きつづけてきた肉体派ともいえる今村昌平が80歳を越えて、仙境に入ったという感じの、素晴らしく面白い映画だと思った。
12月27日(土) 「天皇教」強化政策
橋本さんが、明治初期の廃仏毀釈について、実に有益な書き込みをしてくれた。
私は、廃仏毀釈というのは国家神道(いわゆる「天皇教」)強化の初期段階のものだと思っていたが、どうも違っていたらしい。
<明治政府は、神仏分離が廃仏毀釈でないことをしばしば力説し、次第にこの運動は下火になりました。明治政府がこの段階で、国家神道にこりかたまっていなかったことは、明治七年にキリスト教の布教をゆるしていることからも明らかです。>
<吉田松陰や木戸、伊藤、西郷、大久保、坂本龍馬、いずれもその思想には神道への傾斜はみとめられません。当時の代表的な知識人でオピニオンリーダーだった福沢諭吉も西洋的な啓蒙主義の近代主義者でした。その後、日清、日露戦争を経て、次第に国粋的な国家神道への傾斜が支配的になっていったのではないかと思っています。>
なるほど。
それに付け加えることとして・・・
明治27年の日清戦争、37年の日露戦争、このあたりから国粋的な国家神道への傾斜は始まっていくようだが、決定的な事件は43年の大逆事件ではないだろうか。
山県有朋は、この事件の被告である森近運平が、国定教科書に南北朝併立を記述した文部省の喜田貞吉の史観(科学的史観)にかぶれて大逆事件などを犯したと激怒し、喜田を休職にし、教科書は「南北朝時代」を「吉野朝時代」と改訂する。
このあたりから、万世一系の「天皇教」教育が強まっていったのではないか。
日露戦争後には、全国の学校に飾られていた御真影を守るために「宿直制度」が広まっていったようだ。
それは、明治39年に発表された夏目漱石の「坊ちゃん」に、四国の中学に赴任した主人公の坊ちゃんが宿直をサボって教頭らに注意されるような内容が書き込まれていることで推定できる。
これは暗に、地方にまで広がって強化されて行きつつある「天皇教」教育への批判がこめられていると読むことができる。
国定教科書の改訂以後、おそらくは、この「御真影」を介する万世一系の「天皇」崇拝教育が徹底されていったと思われる。
現在の私の知識では、そういう理解である。
12月24日(水)
廃仏毀釈への抵抗「大浜騒動」
昨日、知識道楽サロンともいうべき「志談塾」があった。
今回の参加は20名。女性が4名。相変わらず私が最年少。
朝日新聞の記者であるT氏が、明治4年に起こった廃仏毀釈に対抗する抵抗運動である「大浜騒動」(碧南市大浜で起こった死者2名を出した騒動)について語ってくれた。
そんな騒動があったなんて全然知らなかった。
ことは明治元年の「神仏判然令」から始まるようだ。
王政復古ということで、それまで仲良く習合していた神仏が区別されるようになった。
それを受けて、碧南市のほぼ全域、安城や西尾などの21カ村1万石を領有する菊間藩の少参事、服部純という人物が、明治4年に過激な行動を始める。
2月15日に、僧侶を集め、廃合寺(寺を合併したり取り壊したりする)、天拝日拝(神道の行事)、民衆教化をとりおこなうなど11か条の下問を行った。
いわゆる廃仏毀釈である。
それに対抗して、三河護法会の僧侶30余名が血誓し、農民2000名から3000名が集まる。3月8日に、役人の一人が殺される。
12月27日に判決が出て、主犯の石川台嶺という人物が処刑され、30余名が投獄されて事件は終結した、というもの。
この報告に関連して、面白い話題がいくつか出された。
まず、三河という土地柄の面白さ。
Tさんが取材活動で体験した三河人気質というのは、平素はとても穏やかで仲がいいのだが、ただ一時期、選挙の時は、どうしてこれほどと思うほどに激しく対立する、という。
平素の状態との落差があまりにも大きいという。
どうしてなのだろうか。
考えてみれば、三河武士というのはかなり独特なものがあったようだ。尾張地方とはちがう気質がある。そこから家康が出ている。近代にはトヨタが出る。何か土壌としての気質が関係しているのではないだろうか・・・。
これは、少し研究してみたいと思った。(三河人気質について何かお気づきの人、教えてください)
それから、天皇家の葬式について。
天皇家なんて、当然神道の形式で葬式もやっていただろうと思いきや、実は、神式になったのは明治3年だというのだ。
それまでは、天皇家だって仏式でやっていたなんて、面白い!
豊川稲荷は、お寺なんだって。稲荷というのだから神社だと思っていたら・・・。
大浜騒動も、頑強に抵抗したのは浄土真宗の信徒たち。
一向宗の昔から、真宗信徒の頑強さは飛びぬけている。
なぜか。
汎神論である仏教の中で、唯一、阿弥陀仏という仏にすべてお任せするという奇妙な宗派である真宗は、いわば、一神教に類似するからである。
一神教というのは、とにかく強い。イスラムのあの強さも一神教の強さである。
こういうとらえ方は誤りかと、塾生の中にいる真宗の坊さんに確認したら、誤りではないということだった。
2次会は、年末らしく、オモチが出た。
20人分の大量のオモチを準備するのは大変だっただろう。
いろいろな味付けで、美味しかった。
例によって女性の塾生さん2人と、映画や世界史の話をして過ごした。
とても有意義なひと時だった。
12月20日(土) ラスト・サムライ
映画「ラスト・サムライ」を観た。
2時間、綺麗な画面に釘付けになった。見ごたえはあった。
非常に丁寧に、好意的に日本を描いた映画である。
真田宏之が、サムライ残党のボス渡辺謙の腹心となっていたのは、いいキャスティングだった。
真田は組織のボスは似合わない。あくまでも剣の達人のイメージ。それがよく生かされていた。
トム・クルーズも、実によく練習したようで、チャンバラがさまになっていた。
小雪は綺麗。渡辺謙もよかった。
もう一人、話題の人物、福本清三。トム・クルーズの監視役の寡黙なサムライ。
いやあ、この人物が素晴らしい存在感だった!
ひとことだけセリフがあったようだが、何も言わなかったほうがよかった。
立っている姿だけでサマになっていた。
この「斬られ役」役者が一番カッコよかったかもしれない。
1877年と年代が出たから、まさに西南の役のイメージ。
「ダンス・ウイズ・ウルブス」と同じような設定で、滅亡する側に身を置いた白人のカッコいい活躍の物語。
主人公は南北戦争における心の傷を持っている人物という設定も似ている。
日本人の描き方が、この上なく美しい。
アメリカという国は、自分が圧倒的に優位に立って支配できた時、その支配された側をこの上なく美化して「寛大に」描く傾向がある。
敵の勇気をほめたたえるわけだが、それは、あくまでこっちが完全支配できた場合である。
アメリカは、戦後、日本人の「魂」を引っこ抜くことに成功し、今や完全な属国として思うように操れる優位性を持っているがゆえに、こんなにも、かつて存在し、今はカケラもないような「武士道」を美化して、日本人の生活ぶりを美しく描くことができたんじゃないか・・・なんて、ふと思ってしまう。
サムライたちは、最後に機関銃が持ち出されて全滅する。
社会科の先生に聞いたら、本当は日本で機関銃が使用されたのは日露戦争の時で、1900年ごろだという話。
ま、時代考証はしてはいけない作品である。
以下は、福本清三のHPから。
知る人ぞ知る、斬られ役俳優、福本清三(60)がトム・クルーズ(41)主演の「ラスト サムライ」で世界デビューを果たす。時代劇の斬られ役ひと筋四十数年、その回数は2万回を超えるが、「自分でも夢やったんかと思うほど、すごい経験だった」と世界デビューの喜びを語った。渡辺謙(44)がアカデミー賞助演男優賞の呼び声が高いが、こちらのサムライも見逃せない。〔写真、トム・クルーズ演じる米軍人=左=に影のように付き従う福本〕
12月19日(金)
魂の美を求める冷徹な現実主義者(3)
美輪明宏は、決して観念論を説かない。
彼は、ある意味でマキャべりストである。
美容整形も「心の美のレベルで人間関係を手に入れる」ことを「目的」として、そのための「手段」として、まず外見で引き付けるために使えばいいじゃないか、と考える。
冷徹な現実主義といっていいだろう。
しかし、手段としてのその現実主義は決して「功利主義」にはならない。なぜなら、彼にとって「心の美」という目的は、非常にしっかりしたものだからだ。
彼は、普通の人よりよほど、外見より「生きる姿勢」を重視する人間である。
次に紹介するのは、星の数ほどある容貌コンプレックスへの回答として、私が読んだ中で、最高の文章として心にとめたものである。
(質問)「女性は美しく生まれただけで、得することがたくさんあります。ひがんでいるわけではありませんが、顔がきれい、というだけで、みなに親切にされたり、やさしくされたり、ほめられたり、といいことばかり。私だって美しく生まれたかったと思います。人前では明るく陽気に振舞ってはいても、一人になると心が暗く沈み込み、やり切れない気持ちです。なんとか美しくなれる方法はないものでしょうか」<高2>
(答え)「美しいということと魅力的であるということは違います。私の友達で女として最悪の条件をもっている人がいます。胸はペチャンコだし、器量は悪いし、女というよりも男にちかい感じだし・・・。でも、彼女は結婚の対象として男にものすごくモテるのね。なぜかなと思うと、彼女、ものすごく頭がよくて、努力家で、なんといっても、とにかくやさしいのね。
例えば、他人に「ブス」って言われると「そうなのよね、ブスなのよね、ごめんなさい迷惑かけて」とスラッと言ってしまう。そうなると言ったほうが悪くなって二度と言わなくなるんですよ。ムキニなってやり返したりは一切しない。相手が言った悪口を全部飲み込んで肯定しちゃう。一生懸命努力して、ニコニコと全部肯定している姿をみると、いくら悪口の得意な人でも「悪いこと言ったな」と思って、言わなくなってくるの。
それから、もう一つは聞き上手なのね。どんなことでもまじめに親身になって聞いてあげたりする。決してイヤナ顔一つしない。そうなると、人間として信用されて彼女の周りはいつも賑やかなのね。孤独じゃないの。
だいたい、器量がいいからということでチヤホヤする男というのは浅はかで、どうでもいいような男が多いのよ。反対に内容を認めて寄ってくる男に本物が多いの。だからモテればいいわけじゃない。
それにブスだとか何とか言われているのは若いうちだけ。だいたい四十、五十すぎるとブスも美人も同じ系列になっちゃう。いくら美人でもババアになればモテなくなるの。そうなったとき、かつて美しくてチヤホヤされ、甘い汁を吸ってきた人は落差が大きいからみじめになるのね。・・・
つまり美人になるか麗人になるかですね。美人とは造形的にみかけの美しい人。麗人というのは麗しい人。一緒にいると楽しくて安らぎがあり、気持ちの和んでくる人ね。だから美人でなくても麗人にはなれる。
だからといって居直っていると、ますますブスになるから、精一杯美しくなる努力は怠らないようにすべきです。」
実例を挙げて、「心の美」で勝負する「麗人」となることを奨める展開に、何と説得力があることか。しかも、最後に「だからといって居直っていると、ますますブスになるから、精一杯美しくなる努力は怠らないようにすべきです」と結ばれる。
まさに美輪明宏ならではの素晴らしい回答である。
(終わり)
12月17日(水)
魂の美を求める冷徹な現実主義者(2)
美輪明宏の倫理観は、美意識から生まれている。
「いまの日本にもっとも必要なのは上品な文化です。エレガントで優しい文化です。それらに囲まれているからこそ、人は自分にも他人にも優しくなれるし、寛容になれるのです。そして、必要な時には厳しくもなれるのです。そのことを若い人に教えられる人間がいないのです。
保育園から小学校の低学年くらいまでに、修身教育を復活させるべきだと私は思います。儒教の教えを復活させるのではありません。美しくて心が洗われる文化を教え、上質な人として生きるための情操教育、礼儀や言葉遣い、立ち居振舞いを教えるのです。
学校では、美しい文化の数々と、「人として、優しくて清らかで、強くて正しくて、厳しくも温かい人とは、どんな人なのだ」ということを教えられ、家に帰れば、ホットできる環境が待っているなんて、とても素敵なことでしょう?温かく、優しく、上品な家具、証明などのインテリア、家づくり、街づくり、服装、音楽、文学、言葉遣い、美しく優しい物腰の家族。子どもたちは、そういう環境だからこそ、まっすぐ育つのです。・・・個人個人が、インテリアや着るもの、見るもの、聴くものにちょっとした審美眼を働かせていくのです。美しく暮らす個人が増えれば、それが美しい社会になり、都市になり、国家になるのです。一人一人の美意識が、この国を救うのです。」
ここには、美しい「形」として現われた「心の美しさ」が理想社会を作ると語られている。そして、これだけを読むと彼は崇高な理想主義者に見える。
しかし、その理想社会を作るために、美輪は、甘っちょろい質問に対して、この上なく厳しく、非常に現実的な言葉を投げかけるのだ。
例えば、私が最も驚いた、ある女性への返答を紹介しよう。
(質問)「美輪さんにうかがいたいのです。美しくない人は、どう世間と折り合いをつけて、自分を納得させて生きていけばいいのでしょう。整形手術までしてまで得る幸福に意味はあるのですか?」
(答え)「意味はあるのですか?」ですって?大ありですよ。いろんなところで何度もいってるし、本にも書いているけれど、私は整形大賛成です。もう諸手をあげて大賛成。ただし、ひとつだけ条件がありますよ。よほど経験豊富で腕のいい、しっかりしたところにお世話になること。・・・失敗したら、やり直しなんてきかないんだから。それから、やりすぎもよくない。せっかく1回目はうまくいって、とても美人になったのに、それで病みつきになって整形を繰り返すうちに、不気味としかいいようのない顔に変わっちゃった人もいる。
私は持論として「見えるものを見ないで、見えないものを見るようにしなさい。それは心。心の美しさです」と、よくいいます。それはもちろん真理です。真理ではあるけれど、例えばデパートでもお店でも、ショーウインドウやディスプレイが美しくなかったら、どのお店には入りたくないでしょう。まずお客さんに入ってもらわなかったら、どんなに素晴らしい商品を置いていても見てもらえない。つまり、内容を見てもらうために、導入部として、外見の美しさが必要なのです。会ってすぐに、相手の心の美しさを見極められるような神通力を持った人は、そうそういませんからね。もし私が醜く生まれていたなら、間違いなく、すぐに整形していたでしょうね。
だいたいね、整形とは「形を整える」と書くでしょう。でも、世の中に生まれたまんまの「自然な」姿で社会生活を送っている人など一人もいませんよ。ヒゲをそる、髪を切る、髪を整髪料で固める、お化粧をする、下着で身体のラインを整える、背広着てネクタイ締めて革靴はいて・・・みんな形を整えているんですよ。つまり「整形」です。
心の美しさだって、生まれつきのものじゃない。生きていくうちに、いろんな経験を重ねて、そこから学んで、磨いて、獲得していくものでしょう。後天的ということね。なのに、外見の美しさは生まれつきじゃなくちゃダメ、なんておかしいですよ。外も中も美しかったらそれがいちばんでしょ・・・外見に引かれて入ってきた人を、文化的な豊かさとか、人間的な温かさや大きさで、とりこにするのです。」
美輪明宏という人間は、「心の美」を主体とする理想社会をめざしている。
そして、そういう社会を作るための<手段>は選ばない。
個々人が「心の美」を持てるように、インテリには下らないと思われるような「悩み」に丁寧に答える。
理想を堅持する、具体的で冷徹な「現実主義者」なのである。
12月15日(月)
魂の美を求める冷徹な現実主義者(1)
変な表題にしたが、美輪明宏のことである。
美輪明宏という人物のユニークさは傑出している。
このところ3冊ほど彼の本を読んで、その特徴を簡潔に表現するならこうだろうかなと思った。
私には、芸術論、文化論で、彼の言葉にほとんど異論がなかった。
いやむしろ、先日「図書館探訪」という毎週発行しているプリントで、次のような彼の言葉を引用したほど共鳴するものが多かった。
「日本人は、匂い、色、音に対して特別な感性をもっています。昔から香をたき、声明を聞き、お題目を唱え、高次元の世界へ向かって文化を築いていったのです。
世界広しといえども、自然の音を愛でることができるのは日本人だけ。フランスにも、イギリスにも、自然の音を愛でる文化はありません。「古池や蛙飛びこむ水のをと」「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」「秋深き隣りは何をする人ぞ」・・・こうした一句のなかに感じる音は、何も俳句の世界だけではなく、日本人の日常の生活のなかでも生かされていました。虫の音、小川のせせらぎ、小鳥のさえずり・・・そうしたものを聞いて季節を知り、人生を感じて生活してきたのです。
この素晴らしい文化が次第に失われ、代わってアメリカの文化に洗脳されてきています。
ガンガンと耳をつんざくばかりのロックが流れ、映画といえば暴力的なものばかり、家庭の中にあっても母親の子守唄は消え、テレビの音ばかり。家からも木の素材が消え、コンクリートに囲まれた生活。緑が失われ、アスファルトによって固められた道からは、虫がはいでてくる余地もない・・・。
人間は、肉体というハードを養うために、十分な栄養を摂取しようと心がけます。
しかし精神はどうでしょう。精神の栄養とは、いったい何なのでしょうか。
実は、精神の栄養とは文化なのです。
日本人が営々と築き上げてきた文化が失われつつある今、私たちの精神は栄養失調に陥っています。アメリカナイズされた文化によって栄養を補給しようとしても、それは日本人の精神には害毒にしかならないのです。それは化学肥料や化学農薬で汚染され、食品添加物が加わった食べ物と同じことです。
この害毒が、現代のさまざまな問題を生み出しています。
しかし、日本人はもともと素晴らしい文化への独特の感性をもった国民です。
日本人の感性が要求している文化と触れ合うことが、今、一番大切なことではないでしょうか。」
(続く)
12月14日(日) 「東京物語」心にしみるセリフ
昨日、紀子のラストのセリフを紹介したが、「東京物語」には他にもたくさんの心にしみるセリフがある。それらは、小津安二郎の伝説化されているカメラワーク(ローアングルで、カメラの移動は全くない)と計算し尽くされた構図の中で不自然なほど訥々と語られることによって、この上ない滋味を醸し出している。
周吉(笠智衆)が東京の友人2人と飲み屋で泥酔する。子どもに対する不満を吐露する友人(東野英治郎)の話の中に戦死した子どものことが出てくる。周吉の次男も戦死していている。それらが酔っ払いの愚痴話の中でほどよくはさまれるが、その時、東野英治郎が吐き捨てるようにいう。
「戦争はもうこりごりじゃ」
夜明け前にトミが死ぬ。明け方、周吉は海辺で遠くを眺めている。そこへ臨終に間に合わなかった三男、敬三がやっと帰ってきたことを紀子が告げに来る。周吉は、ぽつんとつぶやく。
「きれいな夜明けじゃった。今日も暑うなるぞ・・・」
葬式の場面。木魚が響く中で、敬三だけが縁側に出ている。紀子に対して訥々と、
「木魚の音はいかんですわ。なんや知らん、母さんがポコポコ小そうなっていきよる。・・・僕、孝行せなんだからなあ。・・・今死なれたらかなわんですわ。・・・さればとて墓に布団も着せられずや・・・」
ラスト、紀子も東京へ帰り、ひとり部屋にたたずむ周吉。そこへ近所のおばさんがやってきて「おさびしいことで」と声をかける。周吉は、穏やかに、にこやかに言う。
「気のきかん奴でしたが、こんなことなら生きとるうちにもっと優しうしといてやればよかったと思いますよ。・・・一人になると、急に日が長うなりますわい」
小津安二郎は、「東京物語」について「親と子の成長を通じて、日本の家族制度がどう崩壊するかを描いてみたかった」と語っている(キネマ旬報)。ここに描かれているのは確かに家族制度の崩壊である。しかし、その原因ははたして「親と子の成長」だけだろうか。葬式が終わればさっさと形見をもらって帰っていく余りに情愛の薄い姉や兄の態度に憤慨する末娘京子(香川京子)に対して、紀子は、大人になればそれぞれの生活があるからしかたないのよ、と語る。「お義姉さんもそうなるの?」と聞く京子に対して、紀子は「たぶん私も」と答える。そういう家族崩壊の原因として、小津が都市化を計算に入れていたことは、この映画の題名が「東京」の「物語」となっていることでも明らかである。しかし、さらに考えてみると、そういう図式的な「近代化」の問題を、小津は注意深く前面に出そうとしていないのだ。彼が描こうとしている最大のものは、そういう環境の変化に抗しながら人間の情愛を失うまいとする美しい人間の心であろう。しかし、環境の変化と人間の「成長」によって、その抵抗も永くは続かない。そこに悲しみが漂う。その悲しみを小津は紀子(原節子)の「ほほえみ」の中に描いた。そして、その悲しみを包み込む大きな慈愛を、周吉(笠智衆)の「ほほえみ」の中に描いたのである。
橋本さんが指摘してくれた、
<紀子(原節子)の告白に、罪の意識の響きは感じられますが、こうした近代的自意識の面をあまり強調するのはどうでしょうか。それはやや本筋からの逸脱のように思われるのです。私には淋しい未亡人の心理以上のものが、この映画の根底にゆたかに描かれているように感じられます。>
には、とても啓発されました。
「東京物語」は、本当に深い映画だと思います。
トミが死んだ直後、夜明けを眺めていた周吉(笠智衆)のセリフ、
「きれいな夜明けじゃった。今日も暑うなるぞ・・・」
これが、フランスではとても評判になったということです。
このセリフにこめられている周吉の「悲しみ」が、ようやく分かったような気がしました。
12月13日(土) 「東京物語」ラストのセリフ
「東京物語」を見直して、描かれている人間像の深さに驚嘆した。
今まで小津安二郎の映像スタイル(画面構図)に多く目を奪われていたが、今回は深い人間心理が表現されている人物像、特に原節子演ずる紀子像の見事さに圧倒された。
周吉(笠智衆)トミ(東山千栄子)老夫婦が尾道から東京の子ども達に会いにくる。
表向きは歓待されるが、長男も長女も忙しくてもてなす余裕がない。そこで老夫婦の戦死した次男、昌ニの未亡人、紀子(原節子)が、会社に休暇をとって東京を案内することになる。彼女は、狭い一人暮らしのアパートに義父母を立ち寄らせる。アパートの部屋には8年前に戦死した昌ニの写真が飾ってある。周吉とトミは、しみじみとそれを見つめる。隣りからお酒を借り、カツ丼を取って、もてなす彼女は、本当に優しい、素晴らしい義理の娘として描かれる。
その後、老夫婦は、長女に半ばやっかいもの扱いされて、熱海の安い旅館に追いやられる。その旅館は安いだけあって若者の団体客が多く、夜どうしマージャンの騒音で寝られない。すぐに帰宅すると、長女は露骨に困った顔をする。
そこで、周吉は友人を訪ね、トミは紀子のアパートにとめてもらうことにする。
その晩、トミは紀子に再婚をすすめる。
あたし勝手にこうしていますの、気楽ですの、という紀子に、今はそうでもだんだん年をとってくるとやっぱり一人じゃ寂しいよ、というトミに向かって、明るく、
「いいんです、あたし、年取らないことに決めてますから」という名セリフを吐く。
トミは「いい人ねえ、あんた・・・」とつぶやく。
その時、紀子の表情をしっかりとカメラがとらえたのだ。
私はドキッとした。
それは不気味なほど暗く、悲しげで、やがて布団に入るとかすかに眼に涙まで浮かぶのだ。その時、私は実に不思議だった。
実はこの場面が、ラストの紀子の告白の伏線になっていたのだ・・・。
尾道へ帰ったとたんに、トミが危篤状態になる。
長男、長女、紀子がかけつける。大阪にいる三男は、トミの臨終に間に合わず遅れてやってくる。
トミの葬式が終わると、血のつながった子ども達3人はそそくさと帰っていく。
周吉がぽつんと「そうかい、もうみんな帰るかい」とつぶやく。
紀子だけしばらく残って周吉の世話をする。
周吉は紀子に礼をいい、トミがアパートに泊まったときが一番嬉しかったといっていたと告げる。
「妙なもんだ、自分が育てた子どもより、言わば他人のあんたの方が、よっぽどあたしたちによくしてくれた。いやあ、ありがとう」
そして彼も、昌ニのことを忘れて再婚することをすすめる。
その時、とても重要な紀子の告白が始まったのだ。
それは、周吉とトミの自分に対する評価である「いい人」を、はっきり否定するものだった。(今まで何回か見ていても、私はこのセリフを忘れてしまっていたらしい。つまり私は、ほとんどこの映画を見ていなかったに等しいのだ・・・)
正確にセリフを引用してみよう。
「私、そんなおっしゃるほどのいい人間じゃありません・・・私、ずるいんです。お父様やお母様が思ってらっしゃるほど、そういつも昌ニさんのことばかり考えているわけじゃありません・・・」
「ええんじゃよ、忘れてくれても」
「・・・このごろ思い出さない日さえあるんです。忘れている日が多いんです。・・・私、いつまでもこのままじゃいられないような気もするんです。このまま、こうして一人でいたら一体どうなるんだろうなんて、夜中にふと考えたりすることがあるんです。一日一日が何事もなく過ぎていくのが、とっても寂しいんです。どこか心の隅で、何かを待っているんです。・・・ずるいんです・・・ずるいんです」
つまり、自分が義父母につくすのは、一日一日が何事もなく過ぎていくのが寂しくて、何かを待っていたからだ、というのだ。だから、自分はずるいのだ、と告白したのだ。
周吉は、にこやかに言う。
「やっぱり、あんたはいい人だよ。正直で・・・」
「とんでもない」
紀子は泣き出す。
胸が締め付けられるような場面だった。
このセリフで、あの紀子の暗い表情の意味が解明されたのだ。
(その他にも、例えばトミ危篤の電話を受けた紀子が、デスクでしばらくみせた不思議な表情の意味も)
それは、決して仏様のような人間ではなかった紀子像だった。
しかし、この正直な告白によって、人間の真実としての、寂しい未亡人の深い心理が描かれたのだ。
この「正直さ」こそが、本当に倫理的な紀子の美しさ、と言えるのである。
12月12日(金) 若い夫婦の幼児虐待
少し前の毎日新聞の投書に、パチンコ店の託児所で働いた人の話が紹介されていた。
その人は、幼児を連れてパチンコをしに来る母親のひどい態度に愕然としたという。12時間幼児をあずけっぱなしの親、離乳期なのにコンビニエンスストアの弁当を赤ちゃんに与えるよう頼む親、泣いている赤ちゃんをさもうっとうしそうに突き放して預ける親、がいるという。
充分想像できる光景である。
若い夫婦による子ども虐待の事件がよく報道される。
それらは結局、自分が遊ぶために子どもが邪魔で、うっとうしいという連中だ。
快楽を求めて避妊具なしでセックスし、子どもができると女のほうが一時的な母性愛、一時的な責任感に目覚めてか、親としての自覚もなしに生んでしまう。
生まれてから、子育てがどれほど大変なことかに直面して狼狽するが、もう手遅れ。
もともと「耐性」に欠けて、感情のコントロールができていない2人だから、育児に自分たちの「快楽追及」の時間が取られることに我慢なんかできない。
そこで、泣き止まない幼児にムカツき、殴ったり蹴ったりし始める。
多くはまず男の方が虐待をはじめるのだろう。女のほうは、おそらくその「イケメン」の男に狂って一緒になったような低能女だろうから、身を呈して子どもを守ることもしないのだろう。中には自分も遊びたいから、パチンコ託児所にあずけるような「放置」という準虐待を始める女もいるだろう。
幼児虐待、殺害の加害者として男が表に出る場合が多い。
しかし、そういう事件を生む張本人は女だと思う。
若い夫婦や、同棲男女の場合、男はほぼ間違いなく「イケメン」である。
イケメンの男に狂って常軌を逸する若い女がいるから、男が図に乗って、親の資格も無いのに子どもを作ったりするのだ。
男に殴られても好きだから一緒にいたい、なんていう女は昔だっていただろうが、自分が生んだ子どもを虐待されても男をかばうとか、男と一緒になって子どもを死なせるとかする女は、聞いたことがない。
馬鹿なイケメン男を図に乗らせる馬鹿な女が多くなっているのだ。
12月7日(日) 緯度と時間感覚
本田宗一郎が、晩年のエッセイ「私の手が語る」の中で、緯度のちがいについてちょっと面白いことを書いていた。
オーストラリアにいる次女が「北向きのとても日当たりのいい家を求めました」と言ったことがきっかけで、オーストラリアにでかけてみた。ゴルフをして、日当たりのいいほうをつい南だと思って、ちぐはぐなことをした。南北の方角をまちがえ、道にまよった。つまり、南半球では日本と逆の方向に太陽を見なければならないことを体験したという。
そして<先般の太平洋戦争で南半球のほうへ出かけていった日本軍も、きっと私のようなちくはくなことをやったのではないか>と思う。
そこから、緯度の違いを「歴史的な事件」の大きな要素のひとつとして考えるようになったという。
<不慣れな土地で、磁石や時計なども不備であったり、こわれやすかったりした時代のことである。激しい攻防戦が行われた南方の戦線で、緯度の違いによる犠牲者が出たかもしれない>
<北緯50度から60度ちかいところへかかると、緯度の差がぐんと影響を強めてくる。ナポレオンがロシアに遠征して、無残な結果で引き揚げてきた原因は、冬将軍に敗れたのだというのが定説となっているが、果たしてそれだけだろうか。たしかに、結果だけからみれば酷寒にうちひしがれて敗れたのであるが、私は、それ以前に緯度の違いにだまされた時間管理の問題があるように思われてならない。パリとモスクワの緯度の違いは6、7度にすぎないが、夜明けや日没の感覚も大きくちがっていたのではないだろうか。時間の管理が生命である軍隊の指揮にとってはずいぶんやりにくかったことだろう。>
<うんと緯度のちがいのあるところへ行った場合は、日本のシベリア出兵や、太平洋戦争にしてもみじめなことになっている。これにひきかえ、アレキサンダーの遠征や、蒙古軍の動きなどは、水平移動というか、あまり緯度の違わない地域を攻めて、ある程度成功しているように思える。第二次大戦後、ソ連はアフリカなどへ出兵するにあたってキューバ兵を送ったりしているようだが、そのへんのことが考慮されているのかもしれない>
実感としてつかめないが、時間の感覚がちがってくるということで、ひょっとしたらそういうこともあるかもしれないと思った。
12月6日(土) 本田宗一郎の倫理観
本田宗一郎さんが大好きだ。
彼の書いた文章は目に付けば読むことにしている。体系的な理論書などは書いていない(と思う)ので、語録やエッセイが多い。
本当に飾らない文章である。あっさりとして、言い回しにクセが無く、率直、素直、という言葉がぴったりの文章であるが、書かれている内容は、何でもないようなことのなかにしっかりした<倫理観>が漂っている。
最近読んだ彼の晩年のエッセイ「私の手が語る」の中に、こんなくだりがある。
<芸者を呼んで、彼女らが踊りや歌で座敷をつとめているのに、ほどよく注目してやれない人も私の友ではない。・・・人に歌を所望しておいて、その人が歌っている間、ろくに聞きもせずおしゃべりをする者がいる。これもよくない。相手の気持ちをおもんぱかる心があればできない行為だ>
こんなたわいないことは、インテリなら書かないだろう。そもそも、こういう感性を持ち合わさない人が目につく。
だが、私はこういう感性が、本当の身についた<倫理観>のひとつと言えるものだと思う。
昔、親しく交流させてもらった高校映画連盟理事長Kさんの出版記念会に出席した時、その人を慕って「寅さんの会」なるものを作って集まったというおばちゃん連中の態度には唖然とした。最初のスピーチの時はまだよかったが、その後の自由な質問の時間になると、いろいろな質問にKさんが答えているのに、後ろのほうでペチャクチャ自分たちのおしゃべりを始めたのだ。やがてそのおしゃべりは会場全体を包み込むくらいになって、Kさん周辺のごく一部の人しか彼の答えを聞こうとしない雰囲気になった。司会者も遠慮しておしゃべりを注意しない。私はハラワタが煮え繰り返るような怒りを感じたが、当のKさんは騒音の中で平気に話を続けたのだ。堅苦しい雰囲気が大嫌いなKさんだったから、シーンとして聴いてもらわなくてもいいという気持ちはあっただろうが、あの状態はひどかった。実に無礼なおばちゃん連中で、今思い出しても腹が立ってくる。あんな連中が「寅さん」を愛するなんて、ちゃんちゃらおかしい!
だから、あの世界の本田宗一郎さんが、こういうことを書いているのに感動するのだ。
12月3日(水) フリードリッヒ2世とアルカーミル
あんまりよかったので、NHK「文明の道」の<十字軍>を見直した。
現在のイラク戦争にもつながっていくイスラエル問題の元、エルサレムという聖地をめぐってのイスラム教徒とキリスト教徒の残虐の極致のような殺し合いの時代。神聖ローマ皇帝フリードリッヒ2世とイスラム王朝君主アルカーミルという、素晴らしい2つの知性が出会った。
それは、イデオロギーの違いを科学的な見識が克服したとも言えるような劇的な出会い。2人によって、10年ほどではあったがイスラム教とキリスト教が平和共存した。
フリードリッヒ2世は、シチリアのイスラム文化の中で自然科学への関心を深め、イスラム教徒の好む鷹狩に関する本を執筆している。
鷹と獲物になる鳥との生態を精緻に観察したその本で、繰り返し語られている言葉が「あるがままに見よ」という言葉だという。
イスラム文化に深く親しんでいた彼が、運命の悪戯でローマ皇帝になってしまう。
イスラム王朝の君主、アルカーミルは、フリードリッヒ2世の動向をさぐるべく、使節を送り、書簡による交流を求めた。アルカーミルもまた、自然科学、幾何学などを好む人物だった。2人は対立している宗教の話題を避け、科学の話題で友情を深めていくことになった。
ローマ教皇の命令によって、フリードリッヒ2世も、最初は十字軍を率いて武力によって聖地エルサレムを奪還しようとする。しかし、チフスが流行し、彼も感染して十字軍は闘わずして帰還する。激怒したローマ教皇は彼を破門してしまう。
その時、フリードリッヒは考えられないような行動に出た。
武力を使わずに、エルサレムを奪還する交渉に出向いたのだ。
破門されたものが聖地を奪還するということは、ローマ教皇の権威に対抗することを意味している。
交渉の相手は、あのアルカーミル。
おそらくフリードリッヒ2世は、それまでの交流でアルカーミルなら平和交渉の可能性があると判断したのだろう。(このあたりのドラマは、何となく江戸城無血開城を実現した勝海舟と西郷隆盛の会見に類似しているように思った。)
フリードリッヒ2世は、アルカーミルに「エルサレムを引き渡してほしい」と申し出る。
もちろん、アルカーミルは拒否する。
しかし、それから5ヶ月にわたって、フリードリッヒ2世は粘り強く交渉にあたったのだ。その結果、2人の間に平和条約が締結された。
残されている条約の規定を見ると、それは、両者が知恵の限りを尽くして作り上げたとしか思えない、実に見事な内容であった。
第1条で「イスラム王朝の君主アルカーミルは、フリードリッヒ2世がエルサレムを統治することを認める」と規定する。その代わり、第2条で「皇帝は神殿(イスラム教の神殿)の丘を侵してはならない。神殿の丘はイスラムの法に基づき、イスラム教徒が管理する」と規定したのである。
そして、第4条で「神殿の丘は、権威を尊重するならば、キリスト教徒も立ち入ることができる」と定め、その代わり第8条で、「キリスト教徒がこの条約に反する行動をとる場合、皇帝はイスラム王朝の君主を守る」という驚くべき内容の規定を設けたのだ。
イスラム教とキリスト教は平和共存することになった。
ローマ教皇はフリードリッヒ2世に軍を差向け、教皇軍と皇帝軍の戦いが続いた。
それは教会の権威に逆らった皇帝に対する制裁ということのようだが、応戦するフリードリッヒ2世の中には、アルカーミルとの約束を守る意識はあったに違いない。
後年発見されたフリードリッヒ2世の遺体はイスラムの衣服を身に着けていた。
そして、そこには、アルカーミルに対する次の言葉が書かれていた。
「友よ、寛大なる者よ、誠実なる者よ、知恵に富める者よ、勝利者よ」
フリードリッヒ2世とアルカーミル。
2つの知性は自然科学によって交流し、宗教の違いを超えて友情を育んだといえるのではなかろうか。
こんな素晴らしい友情のドラマはめったにない。
11月30日(日) 「在るものを愛すること」
前田秀樹「倫理という力」(講談社現代新書)の最終章は素晴らしかった。
「在るものを愛すること」という見出し。
これはアランが書いた新聞コラムの中の一編の題名から採られている。
<真の宗教的感情は、在るものを愛することにある。私はそのことを信じて疑わない。ただ在るものなど愛されるに価しないのではないか、あなたがたはそう言うかも知れない。だが、全然そうではないのだ。世界を判断せず、愛さなくてはならぬ。在るものの前に身を屈めなくてはならぬ>
<在るものの前に身を屈めることは、池で溺れるみたいに自分の理性を殺すことではない。人は理性による思考をどんなに尊重してもよい。正義の実現に奔走してもよい。むしろ力の限りにそうすべきである。だが、次のことはよくよく考えるがよい。どんな理性も存在を授けることはできぬ。・・・出産する女性は、発明するアルキメデスとはまったく別のものである。>
前田氏は、このようなアランの考えはスピノザを継いでいる、という。
スピノザは、知性でも意思でも感情でもない存在である神を「実体」と呼んだ。神は、必然性をもって運行する唯一の「実体」だと考えるしかない、というのである。そして、緑の森は、この「実体」の「属性」が持つ「様態」であり、様態は属性を表現し、属性は実体を表現する(「エチカ」の定理)。
おや?神抜きで、と言っていたのに「神」が出てきたではないか、と思う人は、「神」についてあまり考えたことがない人ではないかと思う。
スピノザは、<哀訴と愚痴が信仰として大手を振るう><気まぐれな庭師のように想像された>「神」に明確に抵抗したのである。真の宗教的感情は「在るものを愛する」ことにある。「実体」の「表現」に黙って自分の眼と耳を開くことである。開いていることに耐えることである。<耐えられない者が、またあの想像を始める>
前田氏が言葉を尽くして説明するところを、つなぎ合わせて短くまとめてみたが、このあたりの説明は理性ですべて判断しようとする人にはなかなか理解されないのではないかと思ってしまう。
例えば次のような一節は、体験がない人には何物をも与えないだろう。
<私たちは、生きて効率よく振る舞い、あらゆるものを自分の生活上の都合に合わせて知覚している。ここでは、自分が主人であり、より強力な主人であるための工夫は何でも取り入れる。そうやって、私たちの科学はここまできた。だが、私たちの眼と耳とは、同時にいつでもそれとは反対の方向に自分を開く可能性をもっているのだろう。真夏の海水浴場でふと聞こえるあの静寂は、実は静寂ではない。静寂を聞くとは、おかしなことではないか。聞こえているのは、宇宙の声である。私たちのすべての行動と無関係であり、しかも私たちのすべてを含んで流れている「在るもの」の声である。
そんな声を、私たちはしばしば聞き、聞いたとたんに捨てていく。行動の邪魔になるものを何でも捨てていくのは、生き物の常だ。けれども、一体どうしたわけか、そういうものを懸命に拾い集める人間たちがいる。・・・彼らは、今日では芸術家と呼ばれているが・・・最も根底的な芸術は、常に倫理的なものである。なぜなら、そこには「在るもの」の前に身を屈める最も熟慮された、厳格なやり方があるから。>
そして、前田氏は、この「在るものを愛する」ことができた最も倫理的な人間像を映像化したものとして、小津安二郎の「東京物語」を挙げるのである。
小津映画を愛し「東京物語」を何度も観ている私だが、この分析には唸ってしまった。
<小津の映画を形式美のお遊びのように言うのは、愚かなことである。むしろ彼の映画は、倫理への欲求に満ちていると言ったほうがよい。ただし、この倫理は、行動よりは観想に向かう。生活するよりは「在るもの」に向かう。・・・行動や生活や政治のなかに探し回る倫理よりも、もっとはるかに根源的な倫理がある。宇宙に置かれる生の態度とでも言えるものがある。それは「在るもの」への黙した信仰と常にひとつになったものだ。>
<「東京物語」のなかで、老夫婦の子ども達がみな口を揃えて言うセリフは、「いま忙しいんだけどなあ」である。忙しいから・・・老夫婦は、子ども達の家をたらい回しにされ、熱海に追いやられる。
都会で人並みの生活を送っていくことは、まったく忙しい。ここで倫理的であるとは、まずはこの忙しさに抵抗することなのである。私たちは、そのことになかなか気付かない。忙しいから、人のことどころではないと言う。倫理的たろうとするのは、暇な奴だけに可能な贅沢だと思う。原節子が演じる紀子は、暇な人間では全然ない。彼女は、老夫婦の戦死した次男の嫁であるが、義父母に対して、この上なくやさしく接する。忙しい会社を休んで、義父母を東京見物に連れて行く。一部屋だけの自分のアパートで彼らを心からもてなし、乏しい収入から義母に小遣いまであげる。たいそう恥ずかしそうに。・・・
忙しいと言うことは、所詮身勝手な愚痴に過ぎない。紀子にとって、義父母がいること、彼らが上京して来ることは、自然の「必然性」の領域に属する。だからこそ、紀子は義父母を愛するのである。「在るものを愛する」ことが、彼女にはできる。日々の暮らしのなかで、よく生きるとは何よりもこれだということを「東京物語」は教えている。それは、つべこべと説教することによってではない。この映画のキャメラ自身が、「在るものを愛する」独特のやり方を持つことによってである。たとえば、スリッパのショットはそこから生まれる。並んだスリッパのように横たわる老夫婦のショットが生まれる。紀子は、この映画のキャメラが彼らを愛するやり方で、彼らを愛することのできるただひとりの人間にほかならない。
だから、紀子の偉大さは、「東京物語」の偉大さとぴったりと一致して切り離すことができない。小津は、そういう稀有の人物を、稀有の映画と共に創造した。>
小津映画が倫理的であるということは前から感じていた。
日本人の特質として彼の映画を貫いているものは「遠慮」だと映画評論家の佐藤忠男は言っていたが、そういう美意識に溶け込んでいる倫理観を私も感じながら彼の映画を楽しんできた。しかし、「在るものを愛する」というふうにとらえる見方は初めてだった。
我々の「生」を「倫理」と結びつけるために展開してきた前田氏の驚くべき努力は、ラスト、実に美しい表現で締めくくられる。
こんな難解なテーマを、神抜きで、よく描ききったなあと感心しながら読み終えた。
<要するに、私たちの生の目的は、自然という「ひとつの生」が創り出す目的と同じ方向を向いている。私たちの理性は、この目的が何なのかを問うことはできる。が、明確な答えを引き出すことはできない。「在ることを愛すること」だけが、ついにその答えになる。答えて、その目的に応じる行為となる。それなら、この答えがうまく出るような生への問い方を、私たちは絶えず工夫しているほうがよい。それが、他のどの動物でもない、人間として生きるということではないのか。この工夫に優る倫理の技術は、おそらくないだろう。この技術を教える以上の倫理の教育は、おそらくあり得ないだろう。
私の偏愛するあのトンカツ屋のおやじは、生きる目的などについてはまるで考えていない。だが、日々よく生きようとはしている。よく生きるとは、決して忙しがらず、よいトンカツを揚げることであり、あかの他人の客に喜んでもらうことである。毎日白木のカウンターを磨き上げながら、生への問い方を工夫しているとも言える。それ以上の何が人間にわかろう。彼もまた、在るものを愛しているのである。>
11月29日(土) 「ものの役に立つこと」
前田秀樹「倫理という力」(講談社現代新書)を読んだ。
少し注目している評論家石川忠司が、「ベルグソンの流れをくむフランス思想家が、倫理道徳の絶対的必要性を、神抜きで、論理的に主張した驚くべき仕事」と評した本である。
神抜きで、論理的に、というところで興味がわき、読んでみた。
確かに「神」を持ち込んだ倫理観ではなかった。一味違う内容で、倫理というものを考える際の根底となる発想を教えられた。
しかしそれは特に目新しいことではない。
考えてみれば、私のような人間でもこの年になって少しずつ身についてきている(と自分では思っている)、実に当たり前の発想といってもいいものだった。
その発想を、前田氏が簡潔に表現した言葉2つから紹介してみよう。
今日はまず「ものの役に立つこと」という言葉から。
「ものの役に立つ」が「倫理」と結びつくことを、前田氏は次のように説明する。
<知性は生物上の個体が有用に行動するためのひとつの能力にほかならない。個体のこの能力が最初に育てる知恵は、道具を使用する「物の学習」から来ている。物の性質に入り込み、その性質と共生して進む知恵こそが、知性から育つ最初の知恵である。「人と人との間」に適用される知恵が、これとはまったく別ものであるはずがない。道具を使用して行動する知恵が、自分の外でぶつかる抵抗物は、単なる物体ではないだろう。釘を打つべき板一枚からして、すでにそれは変化する微妙な性質である。このような性質の無限の連続変化は、知性が立ち向かう世界の全体をいっぱいに満たしている。「他人」もまた、そこに現れるひとつの抵抗物、おそらくは最も複雑な抵抗物なのではないか>
<・・・役立たずとは、物の性質が分からない、性質の差異が一向見分けられない、ということと同じ意味である。反対に、ものの役に立つとは、物の性質がわかり、さまざまな性質の差異を見分け、要するに「物の学習」に長じていることと同じ意味のように思われる。だが、それだけではない。この学習に長じる者は、「人と人との間」を生きる知恵にすぐれる者である。なぜなら、この学習にとって、物と人とは同じように外に在る外部の抵抗物であるから>
そして、本居宣長を引用するのである。
<儒学者流の道徳の不要を唱えた本居宣長は・・・善悪是非を賢げに論じて道徳を説く輩に、ものの役に立つ人間は1人もいないと考えた。人間には道徳などいらない、ものの役に立つだけで充分である。その知恵を深くする努力があるだけで充分である。なぜなら、その行為のなかには「事の心」「物の心」を知る能力のすべてが備わっているからだ。宣長はこう言っている。
「目に見るにつけ、耳にきくにつけ、身にふるるにつけて、其のよろづの事を、心にあじはへて、そのよろづの事を、わが心にわきまへしる、是事の心をしる也、物の心をしる也、物の哀れをしる也」
このことに付け加えるべき道徳はない。>
さらに前田氏は、この「物の学習」の「ひとつの」最高峰の実例として、宮大工西岡常一が法隆寺について語っていることを紹介する。
私は偶然にも、先週の連休に友達3人と法隆寺を訪ねて、ボランティアのガイドさんからこれ以上はないほどの丁寧な説明を受けていたので、この西岡常一の話はとくに感銘が深かった。
<・・・西岡が感嘆するのは、こうした樹木の性質を、あるいはそこに生じる性質の無数の差異を、飛鳥時代の工人たちが知り抜いていたことである。たとえば、一本の柱が千三百年間まっすぐ立つためには、その柱と他のあらゆる木材との性質の差異が見分けられなければならない。木を組むとは、こうした差異のねじれや抑揚を堂塔という目的のために厳密に関係付けることである。・・・飛鳥時代の工人にはそれができていた。しかし、鎌倉期の建築となれば「木に学ぶ」この知恵はもう消えていると、西岡常一は言う。>」
<「わたしどもは木のクセのことを木の心やと言うとります。風をよけて、こっちへねじろうとしているのが、神経はないけど、心があるということですな」
西岡常一の言うこの「心」は、宣長の言う「物の心」とほとんど寸分変わりない。これは時代遅れの比喩などではない。科学が跡づける明確な事実である。宮大工の棟梁には多くの大工を指揮して「木のクセを組む」という実際上の仕事があり、クセが見分けられなければ、彼の仕事はあからさまに失敗する。けれども「木のクセを組む」仕事は、多くの大工なしには決して行えない。一人の宮大工は何者でもない。そこで、木のクセと同じだけ多様な大工のクセ(腕自慢の大工ほどクセが強い)が、木のクセを組むことになる。棟梁は言う。「木のクセを見抜いてうまく組まなくてはなりませんが、木のクセをうまく組むためには人の心を組まなあきません」。「木の心」と「人の心」とじは、同じ抵抗物だと言うのである>
この本は、最初に、お客を満足させる美味しいトンカツ屋のおやじを登場させている。
理屈をこねたりせず、ただひたすら美味いトンカツを揚げて、その技術で弟子を感化するおやじ。
そのトンカツ屋のおやじの生き方ががいかに倫理的であるかが、こういう説明で徐々に解明されていくのである。
それは、簡単に言えば、物作りの実体験、<物の学習>こそが倫理に結びつくという主張。
最終章では、その論理が美しく終結していく。
明日はその展開を紹介したい。
11月28日(金) 絶望的な「家の中主義」の蔓延
ケータイというものを持つ若者の教育に絶望している。
感性の核が確立しているハイレベルな若者は別だが、大部分のまだ未確立の若者がケータイを持ち出した時点で、私はもう、ケータイを取り上げること以外どんなことをしてもその若者の感性をマトモにすることは出来ないと思っている。
(その感性とは広く、美意識、羞恥心、倫理観、論理力、忍耐力、対話力、情操、節操、遠慮、気配り、などという言葉で表されるものをさす。)
なぜなら、ケータイとはもう電話などではなく「携帯遊具」だからである。
メールが打てる、写真撮影が出来る、ゲームができる、こんな便利な「遊具」が携帯できて四六時中それで遊べるわけだから、どうして、自然を観たり、異質な他者と接したり、自分に合わない雰囲気に耐えたり、自分の好きなこと以外の話を聴いたり、退屈さに耐えて本を読んだりする気持ちになるだろうか。
最近出た面白い本「ケータイを持ったサル」によれば、ケータイでどこであれ声高にしゃべる者、靴をスリッパばきする者、車内で化粧する女性、ジベタリアンの若者などは、「家の中主義」という家の外に出ることを拒絶している者であるという。
彼らには、外界と接して自分の世界を広げ、異質な他者と共存して美しい社会を作ろうという発想自体がない。自分の家の中のような感覚で、あらゆる場所で安楽に過ごすことに何の疑問もないのだ。
「公共の場」と「私的な場」の区別をさせること。
ケータイを取り上げること。
外部の強力な力でそれを行わない限り、絶望的である。
11月17日(月) 続、紅葉は終わっていた。
愛知県と岐阜県の境あたりに稲武というところがある。
茶臼山の近くである。
そのあたりの紅葉はひょっとしてまだ残っているかと思って出かけた。
一箇所、かろうじて鑑賞できる紅葉山の公園らしきものがあったが、ほとんどの木が時期を過ぎていた。このあたりも11月の初めに来なければだめだということが分かった。
稲武に、産みたてのたまご食べ放題の喫茶店がある。
養鶏場と関係しているのだろう、新鮮なたまごを販売もしている。
女性ばかりで経営していて応対の感じもいい。
コレステロールが心配だが、卵を2つ食べ、おむそばという焼きそばのオムレツを注文した。なかなか美味しかった。
喫茶店の店主に聞いて、近くにある達原(たっぱら)渓谷というところを見学した。
香嵐渓よりもいいかもしれない渓谷だが、紅葉は終わっていた。道が狭いのも欠点。
家に帰ったら、彼女の所へ行って遅くなるはずの息子が帰ってきていた。
外食したいというので、前から一度行きたかった丸忠のディナー・バイキングに行くことにした。
6時半についたら超満員。1時間半ぐらい待たされた。
息子の車にはDVDで映画が鑑賞できるようになっているので、待っている間、「阿弥陀堂だより」を見ていた。
期待して入ったディナーバイキングは、完全に期待はずれ。
特にランチのメニューと比べて内容いいとは思えず、時間が90分になっただけのようなものだった。がっくり。ランチバイキングがなかなかよかったので期待しつづけていたので、かなり虚しい気分だった。
9時半に帰宅。録画しておいた男子バレーをみた。
11月10日(月) 紅葉は終わっていた
戸隠の奥裾花渓谷というところへ行った。
岩山がなかなか見ごたえのある渓谷で、紅葉の時は素晴らしいということだったが、すでに紅葉の時期が終わっていた。残念。
戸隠の美味しいそばを食べ、塩尻駅のそばにあるおにぎりが美味しいという評判の居酒屋で夕食を食べた。
居酒屋なのに常連客らしいおばさん連中がおにぎりを注文している。
なるほどおいしかった。
19号線で往復した道中の山の景色が素晴らしかった。
雨上がりで山上が煙っていて、水彩画の世界である。
長野の山並みはいつ見てもいい。
山を見ているだけで気持ちが豊かになる。
帰宅したら息子の彼女が遊びに来ていた。
一緒に投票へ行こうと言ったが、映画「GO」を見ていて、行きたがらない。
しかたなしに夫婦だけで投票を済ませてきた。
彼女も一緒に夕食を食べた。
7時40分ころ、息子が時間を見て、突然、投票に行くと言い出した。
棄権するかと思っていたが、自分で気づいて行ったので、よかった。
「選挙権を行使させた時点で子育ては終わり」と常々言っているので、その自分の子が棄権することはたまらない気分だったのだ。
政治意識の低い息子だったが、今回の態度には少しだけホットすることができた。
11月6日(木) 「図書館報」に書いた文章
今年の読書週間行事は、先生方に読書体験についてのアンケート調査を行い、その結果をB紙に書いて展示しようということになった。本校では今までそういう企画をしたことがなかったので、図書委員たちはやる気になった。すぐに仕事の手順が決まって、副委員長がアンケート用紙を作成した。質問項目はなかなか面白いものだった。
「先生が生まれて初めて読んだ本、またはそれに近い本は何ですか?」
「愛読書は何ですか。そして一押し本は?」
「興味を持って読んでみたいと思っている本は?」
「先生が、これはちょっと・・・と嫌悪感を抱く本はありませんか?」
「好きなマンガはありますか?あったらタイトルを」
「本を読むにあたって生徒たちに一言お願いします」
など。
すぐに図書委員会で担当者が決定し、用紙の配布が始まった。クラス担任や部活顧問を中心に、特に1年生がたくさんの先生方を担当した。中間考査1週間前までに集め終えなければ仕事が遅れる。図書委員は担当した先生方を探して職員室や準備室を回り歩くことになった。「愛読書というのは書きにくいなあ」「生まれて初めて読んだ本を挙げるのも難しい」など、いろいろな意見をもらったが、先生方、事務、用務員さん、講師の先生にも協力していただいた。中間考査が終了した翌日から、いよいよB紙へのまとめ作業が開始された。
ところが途中で問題が発生したのである。
本校の今年の中学生体験入学が読書週間の始まる直前の土曜日に設定されていたのだ。体験入学では中学生に部活動の様子を見せなければならない。ボランティアで集まっている図書委員のほとんどは、部活動でも中心的なメンバーだったのだ。当然、彼女(今年は全員女子)たちは部活動の方に縛られることになった。しかも、今年は体験入学の中学生に校内を説明する案内役が全校に募集された。その案内役にも、多くの図書委員が申し出ていたのである。
読書週間展示の作業はストップすることになった。
体験入学が済むまでは図書委員が動ける状態ではなかった。やむを得ず展示開始日を1日遅らせることになった。体験入学が終わった翌週の月曜日(この日から読書週間)に、図書委総出で展示作業を行った。その日、図書委員たちは本当によく働いた。6時すぎまでかかったが、ほぼ1日で展示は完成したのである。
なかなか見ごたえのある展示内容となった。
見学者は多くなかったが、教室が近い3年生の中にはわざわざ見に来る生徒もいた。先生方にはかなり見に来ていただいた。このアンケート結果は、来年の新入生に配る「犬山高校読書案内」にも掲載させていただこうと思っている。
11月3日(月) 高沢観音
昨日行った寺は「高沢観音」。関市にある。
国の重要文化財である多宝塔があった。
山上の寺で、「みたらしの霊水」という美味しい湧き水が飲めた。
自由に鐘を撞くことが出来るお堂があった。
山の上なので景色が素晴らしく、桧の巨木もあって、山と古木が大好きな私にあっている寺だった。
モミジは一部紅葉していたが、まだ2,3週間早い感じだった。真っ赤に色づいていたのはやはりウルシの葉っぱ。
家から1時間もかからないくらいの近さで、こんな鄙びた観音寺があったなんて素敵な発見だった。
モミジの頃にはもう一度出かけたい。
11月2日(日) 石原慎太郎に幻滅
昨日は近くに住んでいる社会科の先生が家に遊びにきたので、3時間半、楽しく世界史の話をして過ごした。
その中でも出したのだが、先ごろの石原慎太郎の、日韓併合は向こうが望んでおこなわれたこと、という発言には幻滅してしまった。
私は石原慎太郎を政治家として半分は評価しているのだ。
その石原慎太郎ともあろう者が、どうしてこんな<当たり前>のことをあえて発言して、朝鮮の人たちを刺激するのか。
今まで世界史の中でで行われた侵略、併合で、相手国の一部から要請されないで行われたケースというのを探すほうが難しいほどなのは、慎太郎ほどの博学な人物なら知らないはずはないだろうに。
古くはローマ時代、カエサルのガリア侵攻だって、ガリアのいくつかの部族から、ゲルマンの脅威から自分達を守ってほしいと要請された形で行われているし(ガリア戦記に書いてある)、近くはソ連のアフガン侵攻だって、はっきりとアフガンから要請されたためだったじゃないか。
朝鮮半島の一部から日本へ要請があったなんてことは当たり前の事実で、今までの侵略、併合はほとんどすべて、相手国の一部勢力からの要請を<名目に>行われているのだ。
それをとりあげて併合の正当化に使うなんていうのは、歴史の捉え方の基礎が全く学習できていない小学生レベルの認識だと言わざるを得ない。
石原慎太郎という人物が、そんなにバカだとは思えないのだが・・・
しかし、あの発言の仕方を見ると、ほんとにそんな認識で言っているように聞こえる。
ほんとに幻滅した。
10月30日(木) 漏電が見つかった
パソコンのコードをいじっていたら「漏電」のブレーカーが作動して家中の電気が消えた。
それが2度続いた。
「漏電」用のブレーカーが作動するなんてことは今までになかったので恐怖にかられて中電に問い合わせたりして、ほぼ原因はパソコンをつないでいる延長コードだということがわかった。
さっそくエイデンでパソコン用のコードを買ってきた。
安物の延長コードなど使うと、恐ろしいことが起こる。
10月28日(火) 読書週間の展示
今日から読書週間。
私の高校では、先生方の読書体験をアンケート調査して展示することを計画した。
図書委員が手分けして、ほとんどの先生方の調査用紙は集まっている。
しかし、展示の準備は進んでいない。図書委員が集まらないのだ。
ボランティアで多数集まった図書委員なのに、先週はほとんど放課後顔を見せない。
なぜか?
原因ははっきりしていた。
先週の土曜日に中学生の体験入学というのがあって、その日に向けて部活動の生徒が必死に集められた。また、今年は案内ボランティアというものを設置して中学生を部活場所や体験授業の教室に案内する役割の生徒を集めたのだ。
図書委員はほとんどが部活に積極的な生徒たちで、しかも案内ボランティアにも応募していたのだ。
彼女たちはそちらで中心的に活動していた。
図書委員は、とにかく本校で最も活動的で真面目で誠実な生徒たちなのである。
だから、部活やクラス活動や生徒会や今回のようなイベントのボランティアなどがあると、「取り合い」になってしまうわけだ。
仕方がないので、本校の読書週間展示は1日遅らせて、今日の放課後、図書委員に集まってもらって展示作業をしようと思っている。
10月27日(月) 今日も1人
「たそがれ清兵衛」の原作はとても短い。
しかも、映画とは全く異なる内容であった。
ある藩の勢力争いに清兵衛が巻き込まれるというところは同じ。
反体制派の専横を食い止めるため、家老たちはその頭目の不正を暴き立て、その場で上意討ちする計画をたてる。しかしその男には藩内で随一といわれる剣の使い手がそばについている。そこでその使い手と互角に闘えて上意討ちを実行できる人物を物色して勘定組の清兵衛が発掘される。ところが清兵衛はその役目を断る。なぜならば、清兵衛には労咳の女房がいて、その排尿の世話をするためにたそがれ時には家に帰らなければならないからだと言うのだ。
お家の大事より女房の尿の世話を優先してひたすら断る清兵衛の姿が面白い。
しかし何としても清兵衛の力が要るので、家老たちは清兵衛にいったん家に帰らせ、不正を暴き立てる会議が終わる時間には城にもどれと言いつける。清兵衛はしぶしぶ承知する。
さて会議の日。
会議が終わりかけても清兵衛は現れない。予定時間を1時間もすぎてしまう。
家老たちははらはらしながら、仕方ないので切り札となる最後の話を始める。そこでかろうじて清兵衛が登城し、席を蹴って帰ろうとする相手をあっさりと上意討ちしてしまう。
その後日、問題の使い手との決闘がさっと描かれるが、それで終わりだ。
映画では清兵衛の妻は死んでいて、子育てするために家に帰るという形に変えられているし、幼馴染の女性があらわれてしっとりした恋の物語が展開する。
山田洋次は、腕は立つが藩の仕事よりも家族を優先する変な武士という清兵衛の人物像を原作からもらって、全く別の物語を作り上げたわけだ。
いうのなら、どうして「七人の侍」が再認識されないのかと思った。日本人の倫理観を武士道の美学を継承して再構全体が強く訴えている<最後の武士>の「かっこよさ」とは、勝元の(そして笑ってしまうが、アメリカ人のネイサンにも伝染している)天皇への忠義を貫くという姿なのだ。<BR>
しかし、黒沢明の描く武士、武士道の世界は、そういうものでは全くなかった。<BR>
「忠義」心などはまったくなく、組織に属することを嫌い、自分の強さだけを頼りに個として生きている素浪人が用心棒、椿三十郎の主人公であった。七人の侍の主人公勘兵衛にしても、かつては殿様に仕えた忠義者であったかもしれないが、登場した時はそういう世界から脱している個としての武士であった。彼らの「かっこよさ」は忠義によって行動するところにはなく、弱い者を助け、悪を憎むというところから出ている。そして、そこで描かれている最大の徳目といえるものは、虐げられている者、弱き者、を仲間とする、信頼関係、つまり「信」なのである。 (つづく)<BR>
<BR>
</P>
<P><B><FONT size="+2">9月3日(金)</FONT> <FONT size="+2">日本人の倫理観 (1)</FONT></B></P>
<P>司馬遼太郎とドナルド・キーンの対談をまとめた「日本人と日本文化」(中公新書)を再読してみると、全8章のうち2章が正・続の「日本人のモラル」という小見出しだった。<BR>
2人はそこで、日本人の倫理観についてなかなか鋭い指摘をしている。<BR>
日本にどうして犯罪が少ないかについて、2人は次のような見解を述べていた。<BR>
<BR>
(司馬)「カッコいいということは鎌倉の武士からすでにあった。戦場に出て敵にうしろを見せたらカッコ悪い、だから逃げるなとか、それは要するにモラルではなくて、美意識でしょう。美意識という言葉はあたるかどうか知りませんけれど、ことばがないので、美意識といいます。その美意識みたいなものだけで社会がずっと保っていた国というのは、日本だけしかないんじゃないか。いまでも犯罪率が比較的少なくて、ひじょうに後進国的ですよ。犯罪が少ないというのは、犯罪はカッコ悪いからです」<BR>
<BR>
(キーン)「外国の場合は、犯人はまず否定する。自白しないですね。しまいに自白するにしても、くやしそうにムッとした顔をして、申し訳ないとは絶対に言わないでしょう。日本では、どんなに凶悪な殺人、強盗、誘拐をやったような人非人みたいな存在でも、新聞によると、まったく儒教的なことばで自分の犯罪を認めて、悪かったというようなことを言うらしい。それは神にたいする罪悪感じゃない。社会にたいする罪悪感ですね」<BR>
(司馬)「社会というより世間ですね」<BR>
(キーン)「そう、世間です。世間の哲学はどういう哲学かというと、儒学でしょう。私だって、日本人がみんなまじめに孔子さまか孟子さまを勉強して、そのためにみんな儒者になったとは思ってないのですが、しかし、たとえば歌舞伎を見ながら、なんとなくその思想を吸い込んだ、ということはあったと思うのです。たとえば近松の人形浄瑠璃を見て、主として心中物のことですけれども、なんとなく自分の思想として吸収したのではないでしょうか」<BR>
(司馬)「そういう世間の基準みたいなものがあって、それに対して恥ずかしいと、その基準というのは儒学的なものだと、これはわかりました」<BR>
(キーン)「義理人情ということばがありますけれど、これは仏教のことばでもないし、神道のことばでもない。べつに美学的なことばでもないですが、言ってみれば儒学的なことばでしょう。そしてもし近松の悲劇が義理人情の悲劇だとすれば、その芝居を見た人たちは、なんとなくそういう倫理的な思想を自分のものとして信じたんじゃないかとぼくは思います」<BR>
<BR>
日本の犯罪の少なさの原因を、日本人の美意識と芝居などで刷り込まれた儒学的な世間の基準というところに見ている2人の意見は面白い。<BR>
私もこの2つの要素は間違いなくあると思う。しかし、戦後アメリカに支配されて以後の日本にこれらが徐々になくなってきていることをひしひしと感じるのだ。「犯罪がカッコ悪い」という感覚が、ハリウッド映画や暴力礼賛コミックによるカッコいい犯罪者たちの活躍によって、特に若い世代には薄れているように感じてならない。日本人の美意識自体がアメリカによって変えられているように思う。<BR>
「世間」というよく指摘されるものも、日本人のモラルを支える力を失っているように思う。「世間」に対する過剰な意識は、日本人の自立性を損わせている要素として否定的に論じられることが多かったが、「恥じらい」の感覚を持たせてそれが犯罪行為を抑止していた面は確かにあった。この日本人の「世間」意識が薄れていったのも、アメリカのライフスタイルの影響である。「アメリカの悪い面だけを選びに選んで真似ている」(私が好んで使っていることば)日本人は、「世間」意識をなくすことで必ずしも自立してきたわけではなく、ただ「恥じらい」の感覚だけを失ってきているように思う。<BR>
<BR>
ドナルド・キーン氏の指摘している、歌舞伎などによって「何となくその思想を吸い込んだ」ということばも重要だと思った。<BR>
私は、メディアリテラシーの最も重要な面は、そういう「感性」が、とくに娯楽作品によって人々に刷り込まれることだと思っている。江戸時代には歌舞伎や読本であったものが、今は映画やドラマやコミックとなって、学校教育でのすり込みなどほとんど効果がないほど大きな影響を与え続けているのである。<BR>
<BR>
<BR>
<B><FONT size="+2">9月1日(水)</FONT> </B><B><FONT size="+2">純粋を善とする日本人</FONT></B><BR>
<BR>
<B><FONT size="+2">「蛇にピアス」評価の背景<BR>
</FONT></B></P>
<P>SM変態性欲者の三角関係を直接的な描写で綴った金原ひとみの芥川賞受賞小説「蛇にピアス」が評価される背景に、純愛を善とするような日本人の倫理観があるのではないか、と思う。<BR>
この小説を女子高校生などがかなり読んでいる理由は、単にグロテスクでポルノチックなおぞましい変態性欲世界を覗いてみたいという興味だけでなく、その中にうまくはめこまれた純愛のドラマに素直に感動しているという面があるからのように思う。<BR>
そのことを少し考えてみたい。<BR>
<BR>
私もこの小説については、以前、次のような観点で、その内容の一部分を評価した文章を書いた。<BR>
≪この小説は、病的な特殊性を描いただけのものではない。<マゾの体質>を持つ「私」と<サドの体質>を持つシバが、純愛の世界に踏み出すことによって、(わずかではあっても)そのマゾやサドの体質と格闘し始めていく姿が描かれているのである。この作品が抽象化した<哀しみ>は、そのような「生」の動きの中に漂っているものである。私は、この作品が単なるSM風俗を描いたポルノ小説を超えるものとなっているのは、そのためだろうと思っている。≫<BR>
<BR>
この小説には確かに純愛が描かれている。それは哀しく、美しい描き方だ。<BR>
しかしラストは、その純愛が、明らかに殺人者であるサド体質の恋人をひたすら信じてついていこうとするようなかたちで描かれていくのだ。そして読者は、その哀しく、美しい描き方によって感動し、主人公を許してしまう。<BR>
<BR>
日本人の民族的体質ともいえる「清らかさ」志向が、ここにも色濃く漂っているといえるのではないか。原始的な神道思想というのは、要するに汚れを清めるということだけである。清らかなものが善いもので、汚れたものが悪いものだといいうことである。だから、祓い清めれば、悪も善となる。汚職した政治家が「みそぎ」をすれば許されるという感覚は、原始神道から続いている日本人の体質である。「悪い奴」は単に「汚い奴」なのだ。<BR>
<BR>
この清らかさは「真心」ということにもなる。そして「真心」こそが至上のものであったことは、例えば吉田松陰の同士を批判した有名な言葉「その分かれる所は僕は忠義をする積もり、諸友は功業をなす積もり」にもうかがえるように、自己の主観的「誠意」だけを最大の問題とする武士道の伝統の中に受け継がれていく。そしてそれは、近代になっても、例えば226事件を起こした青年将校たちの「純粋」さ(真心)が語り継がれるように、日本人の「倫理観」の背景に漂い続けてきたのである。(三島由紀夫は、無私無欲な者がかくも反乱を起こす国は、日本をおいて他にない、と言っている)<BR>
<BR>
つまり、清らかさ、真心、純粋さ、が善なのである。<BR>
だから、どんなに汚れた、おぞましい行為であっても、その人物の心が清らかで真心からでたものでありさえすれば(純粋でありさえすれば)、それは善い行為というように「感じ」られるのだ。<BR>
<BR>
優れた芸術作品というものは「真善美」の要素がそろっているものであるはずだ。<BR>
「蛇にピアス」というおぞましい純愛小説には、確かに人間の「真」と「美」は描かれていた。だが、普通のとらえ方ではとても「善」の要素が含まれているとは思えない。しかし、「純粋さ」が善であるとする日本人の感覚からすれば、そこには「善」の要素も入ってしまうのである。あまりにも異常なアイテムについていけない「健康的」な人には読了できない作品ではあっても(事実私の周辺の年輩教員には読めない人が多かった)、もし読み通すことさえできれば、マゾヒスト主人公の異常な体質と行動の中に、「純粋」という「善」なる要素が浮かび上がってくる仕組みとなっているのだ。そして、そうなればそれまでの目をそむけたくなるようなSM変態性欲のグロテスクな描写は浄化され、それらが美しい純愛のイメージを強化するものとのみとらえられるようになる。<BR>
<BR>
「蛇にピアス」が評価され、広く読者にも受け入れられた背景には、そのような理由があるように思う。<BR>
<BR>
</P>
<P><B><FONT size="+2">8月27日(金)</FONT> <FONT size="+2">「空海」 (4)</FONT></B><BR>
<BR>
<B><FONT size="+2"> <救済>の宗教と<癒し>の宗教</FONT></B></P>
<P>「空海の風景」上巻に、筆者が四国八十八カ所の内の二十三番札所を訪れる場面がある。その時、彼は次のような感想を持つ。<BR>
<BR>
「日和佐に入ると、医王山薬師寺はちょうど縁日であった。石段を厄年の男女が織るように上下しており、登る者は一段のぼるごとに一枚ずつ一円アルミ硬貨をおとしてゆく。歳の数だけ落とすのだというが、異様な光景であった。・・・空海という、日本史上もっとも形而上的な思考を持ち、それを一分のくるいもなく論理化する構成力に長けた観念主義者が、そのどういう部分でこのようなひとびとの俗願とむすびついているのであろう。しかも空海没後千二百年を経てなおこれらの人の群を石段の上へひきあげつづけているのは空海の何がそうさせるのか・・・」<BR>
<BR>
「空海の風景」は、司馬遼太郎という人物がこの素朴な疑問に答えようとした作品であった。しかし私は、作品本文を精読して空海の事績や密教についての知識は得たが、その中に答えを読みとることはできなかった。ただ最後に、異例とも言えるほど長い筆者の「あとがき」を読んで、その中にヒントがあることに気づいた。<BR>
<BR>
「空海は私には遠い存在であったし、その遠さは、彼がかつて地球上の住人だったということすら時に感じがたいほどの距離感である」<BR>
<BR>
「日本の思想史上、密教的なものをもっともきらい、純粋に非密教的な場をつくりあげた親鸞の平明さのほうがもっと好きになっていた」<BR>
<BR>
「私は空海全集を読んでいる同時期に<坂の上の雲>という作品の下調べに熱中していた。この日本の明治期の事象をあつかった作品はどうにもならぬほどに具体的世界のもので、具体的な事物や日時、具体的な状況、あるいは条件を一つでも外しては積木そのものが崩れてしまうといったような作業で、調べてゆくとおもしろくはあったが、しかし具体的事象や事実との鼻のつきあわせというのはときに索然としてきて、形而上的なもの、あるいは真実という本来大ウソであるかもしれないきわどいものへのあこがれや渇きがこうじてきて、やりきれなくなった。そのことは、空海全集を読むことで癒された。むしろ右の心理的事情があるがために、空海は私にとって、かつてなかったほどに近くなった。なんとなく空海が皮膚で感じられたような錯覚があり、この錯覚を私なりに追っかけてみたいような衝動に駆られた」<BR>
<BR>
私は、特に最後に引用した箇所の「空海全集を読むことで癒された」という表現に注目した。<BR>
ひょっとしたら空海は<癒し>系の宗教家といえるのではないかと思った。<BR>
これと対照的な形で人々を<救済>した最大の宗教家が親鸞だったのではないか。<BR>
浄土真宗は<救済>系の宗教、真言宗は<癒し>系の宗教といえるのではないか。<BR>
<BR>
<救済>系の宗教は、悩みに対して直接的な救いの手をさしのべる。阿弥陀仏というかなり具体的存在感のある仏にすべてまかせよと説く浄土(真)宗や、空という人生の実相を自力で体得せよと説く禅宗など、救済の方法は逆であっても直接的であるということでは共通している。それに対して、<癒し>系の宗教は深刻な悩みに対して直接的な形で答えるものではない。ただ、その大きな存在のそばにいる、あるいは包まれているという感覚を与えることによって、救いをもたらす。したがって、救いをもたらす存在は、とてつもなく大きく、抽象的で、遠いかなたの存在である。しかし、その宇宙的な世界に身をまかせさえすれば、その存在は一挙に身近になる。空海の世界はそのような<癒し>の世界ではないだろうか、遠大な存在である反面そこに飛び込んでくる人たちを親しく「同行二人」として包み込む世界なのではないだろうか。<BR>
<BR>
さらに、この<癒し>系の宗教は、日本の神道にもあてはまるように私は感じた。<BR>
神道には<救済>の面がいっさいない。私はかねがね神道という、一応宗教であるものの徹底した<救済のなさ>にあきれはてるような感想をもっていたが、この<癒し>系という観点でとらえると、この宗教の特質が理解できるように思うようになった。<BR>
<BR>
神道は、汚れを<清める>ということがすべてのような宗教である。考えてみれば、この<清める>ということは、様々な苦しみに直接こたえるかたちではなく、清浄な環境に身を置くことで心を<癒す>という救いではないか。四国八十八カ所巡りに人々が引きつけられる心情は、お伊勢参りに人々が引きつけられる心情と類似したものがあるのではないか。(ただ、同じ<癒し>系ではあっても、巡礼の方がはるかに人々の心を<救う>面は強いと思うが)<BR>
<BR>
密教の世界も、神道の世界も、「どうにもならぬほどに具体的」な世界を生きなければならない人々が、時に具体を離れ、はるかな抽象の世界に身を置くことで心を<癒す>という方法で、人々を救ってきたのではないだろうか。<BR>
だからこそ、これらは「直接的」な「平明」な宗教とは別の形で、人々の心に深く結びついているのだろうと、私は今、思っている。<BR>
<BR>
</P>
<P><B><FONT size="+2">8月24日(火)</FONT> <FONT size="+2">「空海」 (3)</FONT></B></P>
<P>空海の「大日如来」や親鸞の「阿弥陀如来」は、一神教的ではないかという私の質問に対して、敬愛する友人の橋本さんが、次のように答えてくれた。<BR>
<一神教とは唯一の絶対神しか認めないという排他的宗教です。これはすべてを包容する空海の思想の対極にあるものです。空海は太陽神である大日如来を最高の仏様だとは考えましたが、他仏や神々を否定してはいません。何を最高神と考えるかということは、裏返せば、多くの神々を前提にしていることで、一神教ではありません><BR>
<空海のすばらしいことは、即身成仏です。森羅万象すべてがそのまま仏になることが出来るという宗教が、一神教であるわけはありません。もっとも哲学的は「すべてのものは一つである」という汎神論的な解釈がなりたちます。しかしこれを一神教とよぶことは出来ないと思います><BR>
<BR>
目が覚めるような思いがした。<BR>
この説明を読んで、今までずっと自分が一神教というものを本当は理解していなかったことに気づいた。大日如来(阿弥陀如来も)は、一神教の神とは対極にあるものだった。<BR>
で山頂に平面がある高野山を選び、その森の中に「宗教都市」(司馬遼太郎の言葉。「都市」は「文明」と読みかえること