雑記帳


日本人の倫理観 ー神道思想、再構築の試みー

1、<祓い・禊ぎ>の国家神道

梅原猛は山折哲雄との対談の中で、次のように語っている。
「日本には、私たちの父や母の時代までは、日本の習俗と仏教や儒教が結びついたある種の倫理観が残っていたのだけれども、それがやがて国家主義に集約されて、しかもそれさえも昭和20年に、戦争で負けて、否定されてしまった。となると、一体どのような倫理観が残っているのか。問題はそこだと思う」(宗教の自殺)
私は、アメリカナイズされ絶望的とも見える現代の日本の状況の中でも、民族文化の基層として縄文時代から連綿と続いている日本人の「感覚」「発想」「趣向」の中に、新しい「倫理観」を再構築できる要素があるのではないかと思っている。 そしてそれは、梅原猛や山折哲雄や中沢新一によって教えられた、神道の再発見というべきものであり、現在、憲法や教育基本法の改定によって為政者たちが行おうとしているナショナリズム高揚による倫理観の確立とはまったく異なる宗教心の涵養という形になると考えている。

 明治に制定された神仏分離によってめざされた「国家神道」なるものは、日本古来の信仰とは全く異なったものであった。いわば「天皇教」とでもいえる神道の一神教化は邪道であり、明治神宮と靖国神社と橿原神宮ほど本来の神道とかけ離れたものはない。敗戦までの80年間は日本宗教の歴史上異常な時期であったことは、狂信右翼以外には認識されていることであろう(ただ、左翼の神道観も神道=国家神道であることが多いが・・)
しかし「古事記」「日本書紀」が成立した8世紀初めころの神道をも、律令体制の成立に伴う歪められた「国家神道」であるという梅原猛の見方は、一般的ではないだろう。

 彼は、8世紀頃の神道を次のように解説している。
「『古事記』『日本書紀』では、そのよってたつ宗教思想は<祓い・禊ぎ>の神道である。<祓い・禊ぎ>の神道の思想的エッセンスはいわゆる中臣祓いの祝詞といわれる延喜式の祝詞に示されるが、そのような思想に基づいて『古事記』『日本書紀』という神代の巻が作られているといわねばならない。ところがこの<祓い・禊ぎ>の神道は、『古事記』『日本書紀』が作られる少し前に作られたと思われる律令と深い思想的つながりを持つということが分かった。祓いとは、「お払い箱」という言葉があるように罪を犯した人間の職を解き追放することであり、禊ぎとは、身を削ぐ、つまり罪を犯した人間から罰金を徴収することである。国家に有害な重い罪人を祓い、つまり流罪にして、軽い罪人に禊ぎをする、つまり罰金を科すというのは、まさに律令の精神をそのまま表現したものなのである。このような祓い、禊ぎの習慣は、記紀においては神代を除けば天武天皇の時から現れる。この祓い、禊ぎの神道は、道教の影響を受けて律令の精神をイデオロギー化するために作られたものであり、それ以前にはなかったものと考えねばならない」(宗教の自殺)

2、人種が違う、縄文人と弥生人

「森の思想が人類を救う」(梅原猛)によると、最近の自然人類学の研究によって、縄文人と弥生人は人種が違うことが判明しているという。縄文人は古モンゴロイド、弥生人は新モンゴロイド。だいたい近畿地方は弥生人、新モンゴロイドのタイプが多い。それに対して、東北を中心として日本の北辺の地域、北陸、山陰、近畿地方では熊野、四国の太平洋側、九州の南部、沖縄にかけて、縄文人、古モンゴロイドのタイプの人が多い。
 日本列島の中央を占領した弥生人によって、縄文人系の人たちは周辺の地へ追いやられた。邪馬台国の成立によってそれらの地も徐々に日本国の中に組み込まれていくのだが、もっとも辺境の地に住み着いたアイヌと沖縄の人たちの中に非邪馬台国(非弥生)の文化が残ったという。彼は日本の宗教について次のようにいう。
「日本の宗教も二重構造になっている。すなわち縄文時代の狩猟採集文化の宗教のうえに、農耕文化、渡来人の宗教がかさなっているのです。だからわれわれが、日本人の基層の宗教を知ろうと思えば、縄文時代の宗教を研究しなければならないのです。・・・縄文時代の人間の形質と文化を最も多く受け継いでいるのは、アイヌの人たちであり沖縄の人たちである。アイヌの人たちはつい最近まで狩猟採集の生活をしていました。沖縄でも狩猟(漁猟)が盛んです。だから、アイヌや沖縄の文化、宗教を研究することは、日本の基層の文化、宗教、すなわち縄文時代の文化、宗教を知るうえで非常に重要になってくる。彼らの宗教のなかには日本の宗教の原型(つまりそれが神道)が残されているからです」

3、<共生>と<循環>の思想

 日本土着の思想とはどのようなものだったか。梅原猛の説明を引用する。
「弥生時代が始まるまでは、日本列島はほとんど森に覆われていた。山だけでなく平地も全部、森に覆われていた。われわれは弥生時代になって森を伐り始めた。そしてそこを田畑にした。森を伐って耕地面積を広げていった。これを日本人は2300年もの間つづけてきたわけですが、伐ってはならないところがあった。それは神社の森です。聖なる場所には森がなくてはならない。それは縄文時代からの日本人の信仰のゆえである。縄文土器のあの紋様は、木の精への信仰をあらわしているのです」(森の思想が人類を救う)

「アイヌのイオマンテの神事は熊送りの神事である。イというのは第三人称の目的格「それを」という意味で、ここでは熊の魂を指す。オマンテは「送る」という意味。従って、イオマンテは「それを送る」つまり魂を送るという儀式である。アイヌでは熊は本来人間と同じものと考えられているが、その熊が人間の世界に客人としてみやげを持ってやってくるとされる。客人とはアイヌ語で「マラプト」。これは古代日本語の「まろうど」の起源と考えられる。日本語の「みやげ(土産)」もアイヌ語の「ミアンゲ」から来ている。ミアンゲとは、文字どおり身をあげることであり、熊はおいしい肉やあたたかい毛皮を土産としてこの世にやってきたというのである。それで人間はそのお客さんの意思を重んじて喜んでその身をいただき、その代わり手篤く熊をもてなして、丁寧にその魂をあの世に送ろうというわけである。・・・イオマンテは熊の葬式であるが、アイヌ社会では人間の葬式も丁重に行われる。それは、単にあの世へ送り届けるための儀式ではなく、あの世からまた霊が帰ってくることを願う儀式でもある」(宗教の自殺)

 このイオマンテの儀式から、アイヌの人々が持ち続けている(そしてそれは縄文時代に培われた日本人の土着の思想である)二つの重要な思想を読みとることができる。
(1)、熊をはじめとする自然の生物はもともと人間と変わらない存在であるという思想。アイヌ社会では、熊ばかりでなく、鮭、しまふくろう、犬、樹木まで同様にあの世へ送られる。 <共生の思想>
(2)、全ての生きとし生けるものは、生と死の間、この世とあの世の間を永遠に循環するものであるという思想。<循環の思想>
 神社の森を残して樹木を尊び、あらゆるものに魂を見いだし、それら生命の循環を信じるこの共生と循環の思想が、弥生文化にも溶け込んで、弥生人が作り上げた「神道」の中にも生き続けている。それは、6年に一度取り替える諏訪神社の御柱の儀式や、20年ごとに建物全部を壊してまた建て替えるという伊勢神宮の遷宮などの中に、命が6年、あるいは20年後に滅び、また新しくなるということを暗示した形で残っているのである。この共生と循環の思想から我々は多くのことを再認識しなければならないと思う。

4、「魂」の信仰

 日本人が「魂」を信じている民族であることは、その言語にはっきりと表れている。ヤマト言葉の「ヒト」自体が、語源的には「霊(ヒ)のとどまる(ト)ところ」という意味である(岩波国語辞典によると「ヒ」は「日」と同根で、原始的な霊格の一。活力のもととなる不思議な力。太陽神の信仰によって成立した観念。とある)。また「カラダ」というヤマト言葉は「肉体(カラ)+魂(タマ)」から成立したものである(益田勝実)。
 そういう魂の不滅、循環という信仰は、先祖から続く生命の流れの中で個体が存在するという認識である。地球上の<生命>というものが<大きな存在>であって、その<流れ>の中に個体の生があることは、知性というものを持った生命体の一つであるヒトにも、発生の当初は、素朴に、自然に、実感されていた。アニミズムといわれる(私に言わせれば)最も高度な信仰形態がそれである。日本人も、その実感にもとづく自己認識を「魂」という言葉で表していた。典型的な言葉としてナショナリズムの高揚に使われた「大和魂」という言葉がある。忌まわしい記憶のこもる言葉ではあるが、これは自分の中に流れている<生命の流れ>を<日本民族>という範囲に限定するという形で実感し自覚するということで使われた言葉だった。

5、「ケガレ」思想の発生

「魂」を信じる日本人の「共生」と「循環」の思想が、原初的な神道思想といえるものであった。ところがそこに、いつのころか<ケガレ>思想が発生する。<ケガレ>とは、梅原猛が「『古事記』『日本書紀』では、そのよってたつ宗教思想は<祓い・禊ぎ>の神道である」(宗教の自殺)と語っている<祓い・禊ぎ>の対象物にあたるモノであるが、それが現代に続く神道思想の中心に据えられることになったのである。

 井沢元彦はその著「穢れと茶碗」の中でで、日本人が「割り箸」というものを使い(割り箸を使うのは世界中で日本だけだという)、「自分の茶碗」で食べていること、悪い人間を「汚い奴」、相手を許す美徳として「水に流す」という言葉を日常的に使っていることを例にあげて、それらが「穢れ」を忌み嫌う日本民族の強い感覚によると指摘している。「穢れ」の思想は、記紀の神話で描かれる以前から、日本人の心に宿っていたものであったというが、その理由として、井沢元彦は次のような仮説を述べる。
「なぜそうした思想が生まれたのかというと、ひとつ想像できることは、日本という国は非常に水が清らかな国だということです。今でこそ、そうでもありませんが、これだけ同じ国の中に清らかな清流があって、しかもすくって飲めるという国はおそらく世界中を見まわしてもないと思います。」
 ここから日本人の清潔志向、「禊ぎ」の思想、つまり<ケガレ>を忌み嫌うという性質が特に強まった。おそらく、古代においては世界中がそうだったと思われるが、日本が離れ小島であったので、そうした古代の習慣が、特に日本に強く残り、現代にまで続いているのではないか・・・井沢氏はそう考えるのである。

 そのような日本人にとっては、ケガレの極致ともいえるものが「死」であった。
 このことは、「古事記」に描かれているイザナギ、イザナミの有名な黄泉の国脱出神話を想起すればあきらかであろう。清潔さを強く求め、その反動としてケガレを忌み嫌うようになった日本人は、死(黄泉の国)というものを特に<ケガレ>たものと考えたようだ。梅原猛は、古神道における「あの世」「黄泉の国」のイメージは、とにかく、現世と全く逆ということなのだと語る。
 この世の夜はあの世の昼である。だから死者をあの世の昼に送るため、お通夜という夜の行事が起こったという(お通夜は、神道思想が仏教行事の中に吸収されたもの。お盆の行事も同じ)。この世の右はあの世の左である。だから死者の葬送には着物を左前に着せる。この世で壊れたものはあの世で壊れていないものである。だから霊柩車が出るときに故人の使っていた茶碗を割る。この世で割るとあの世では割れていない茶碗になるのだ。(この最後の事例について、井沢元彦はケガレを忌み嫌うから割るというように解釈していた。私は梅原説の方が整合性があると思う。香典はピン札を避けるというのもこれで解釈できるように思う。この世の古いお札はあの世の新しいお札なのだ)
 つまり、この世が清らかな世界であるから、あの世はケガレた世界なのだ。

6、「安楽」への全体主義

 ケガレの思想は、日本人の倫理観に様々な影響を与えてきた。
 死につながるケガレた仕事を忌み嫌うという所から、そういう仕事をする人間を差別するという現象がおきる。江戸時代に政策的に作られた最下層階級である「非人」への恐るべき差別も、そういうケガレの思想が原動力になっているのである。
近代になって日本が「高度技術社会」となったとき、一つの論文が出現した。それは作者の名前を一躍有名にした「『安楽』への全体主義」という論文である。「抑制のかけらもない現在の<高度技術社会>を支えている精神的基礎は何であろうか」で始まるその論文は、技術の開発をその底に隠されている被害を顧みることなく受け入れていく生活態度の基底に、「見落としてはならない一つの共通動機」が働いているとして次のように述べている。
「それは、私たちに少しでも不愉快な感情を起こさせたり苦痛の感覚を与えたりするものはすべて一掃してしまいたいとする絶えざる心の動きである。苦痛を避けて不愉快を回避しようとする自然な態度のことをさして言っているのではない。むしろ逆に、不快を避ける行動を必要としないですむように、反応としての不快を呼び起こす元の物(刺激)そのものを除去してしまいたいという動機のことを言っているのである。
苦痛や不愉快を避ける自然な態度は、その場合その場合の具体的な不快に対応した一人一人の判断と工夫と動作を引き起こす。・・・すなわちそこには、事態との相互的交渉を意味する経験が存在する。それに対して、不快の源そのものの一斉全面除去を願う心の動きは、一つ一つの相貌と程度を異にする個別的な苦痛や不愉快に対してその場合その場合に応じてしっかりと対決しようとするのではなくて、逆にその対面の機会そのものをなくしてしまおうとするものである。・・・そこには、不愉快な事態との相互交渉がないばかりか、そういう事態と関係のある物や自然現象を根こそぎ消滅させたいという欲求がある。恐るべき身勝手な野蛮と言わねばならない。」
 これを読んだとき、まっさきに浮かんだのは抗菌グッズという製品であった。この製品の流行はあきらかに<反応としての不快を呼び起こす元の物(刺激)そのものを除去してしまいたいという動機>から生まれている。そしてその背後に、日本人のケガレ思想がはっきり浮かんでくる。ケガレの思想は、交渉を忌避して、ただ「祓い・清め」ることだけを求めるものだ。神社神道が死を門前払いするという態度の中に、この<不愉快な事態と関係のある物や自然現象を根こそぎ消滅させたい>という、恐るべき身勝手なケガレ思想の特徴を見ることは、はたして行き過ぎだろうか。

7、「ケガレ思想」と「清潔感覚」

 不愉快を避ける2種類の態度のうち、対象物の存在自体を前提としておこなわれる態度から生まれるものを、藤田省三は精緻に分析している。
「どういう避け方が当面の苦痛や不愉快に対して最も望ましいかは、当面の不快がどういう性質のものであるかについての、その人その人の判断と、その人自身が自分の望ましい生き方について抱いている期待と、その上に立った工夫(作戦)の力と行動の能力とによって初めて決まってくるものである。そこには、個別具体的な状況における個別具体的な生き物の識別力と生活原則と知恵と行動が具体的な個別性をもって寄り集まっている。すなわちそこには、事態との相互的交渉を意味する経験が存在する」

「相互的交渉」のためには、<識別力>と<生活原則>と<知恵>と<行動>という4つの要素が必要であるという分析だ。それらは総合して<経験>と呼ばれる。なるほど、この4要素こそは、社会生活を営む人間であるためには原理ともいえるものだろう。しかしすべての「不愉快な対象物」に対して、この態度をとり続けるのは大変なことだ。そこでもう一つの「不愉快な対象物との交渉の機会そのものをなくしてしまおう」という態度をとることになるのも自然であろう。しかし、自己の交渉能力の限界まで努力した結果であればそれもやむを得ないだろうが、現代の日本ではそれが実に安易な形で選択されているように思える。その具体的現象が「引きこもり」とか「ピーターパンシンドローム」「パラサイトシングル」、さらには「抗菌グッズ」「セックスレス」「バーチャル恋人」などと言われるものになるのではないだろうか。それらの根底には「不愉快な対象物との交渉自体を避け」「安楽の中に浸りたい」という欲求に耐えられない安易で怠惰な精神が存在していると思う。

 日本人が陥っている「『安楽』への全体主義」の背後には「ケガレ思想」が存在する。しかし、「ケガレ思想」と清潔志向の「感覚」とは明確に区別しておく必要がある。「ケガレ思想」と言えるものは、神社神道の成立段階くらいで形作られたもので、それ以前の段階では「思想(理性によって構築されたもの)」ではなく「感覚」だったはずだ。その原始的な「感覚」の段階では、「ケガレ」という概念はなかった。縄文時代、森の中には不快な生物もたくさんいたはずだが、日本人はそれらすべてと「共生」しようという発想の生活態度をとっていた。その態度は、神社が死を拒否するようないわゆる「ケガレ思想」の態度とはあきらかに異なっていた。つまり、清潔志向の「感覚」が「ケガレ」という概念になって共同体の秩序維持に使われるようになったのは、おそらく「祓い・清め・禊ぎ」という概念が成立した律令体制以後のことだろうということなのだ。
 日本の清らかな水に恵まれた自然環境の中から生まれた清潔志向という「感覚」は、縄文時代の単純な共同体の中では「感覚」のままで生かされていたはずだ。それが、国家の成立とともに社会秩序維持のために使われだして、ことさら「ケガレ」が意識されるようになり、その結果「ケガレ」が「思想」となったのではないだろうか。「怨霊」という「思想」も、おそらくそのような過程で成立したのであろう。原始感覚としての清潔志向が、階層社会成立の中で「ケガレ思想」となり、さらにそれが近代文明化の中で極端な形で発揮されるようになったのが「高度技術社会」たる現代だった、ということである。

8、「怨霊信仰」の発生

 藤田省三は、日本古代には<不快の源そのものの一斉除去>という発想はなかっただろうということを、次のような書き方で暗示している。
「必要物の獲得とか課題の達成とかのためには、もともと避けることのできない道筋があって、その道筋を歩む過程は、多少なりとも不快なことや苦しいことや痛いことなどの試練を含んでいるものである。そしてそれら一定の不快・苦痛の試練をくぐり抜けた時、すなわちその試練に耐え克服して道筋を歩みきった時、その時に獲得された物は、単なる物それ自体だけではなく、成就の「喜び」を伴った物なのである。そうして物はその時十分な意味で私たちに関係する物として自覚される。すなわち相互的な交渉の相手として、経験を生む物となる。「大物主の神」とも呼ばれ、「物語り」とも称せられてきた、そういう「物」は、明らかにただの単一な物それ自体ではなくて、さまざまな相貌と幾つもの質を持って私たちに精神に動きを与える物なのであった」
 記紀神話の神である「大物主の神」の「物」とは、<相互的な交渉の相手>となって<経験を生む物>である。それは「物語り」を生んできた「物」でもある。古代において、日本人は不快な対象物とも相互的に交渉し、経験し、物語りを生んできた。そのような原始日本人が、「ケガレ」と概念化されるようなものを当初から持っていたとは思えない。
 ケガレという概念は、支配層が敵を<悪>とみなす中で成立したものである(悪い奴は「汚い奴」)。「祓い・清め・禊ぎ」は、明らかに<不快の源そのものの一斉除去>の発想から起こった概念としての「ケガレ」思想である。しかしそこには同時に、<不快の源>が<とりついている物>であって、呪法によって<祓い清められる>ものという発想も見える。共同体の意識が強まるにつれ、悪の概念の中に<恥>という概念が混入するが、その中に「旅の恥をかき棄てる」という表現があって、ケガレの付着性ということをうかがわせる。さらに戦後になって、西洋文化の影響で<罪>という概念が広がり、ケガレは罪にもなったが、そこにもやはり付着性の発想は混入したのである。よく使われる「罪をなすりつける」という表現がそのことを如実に示している。
 後年このような経過をたどって進化する「ケガレ」思想は、古代においては、付着する<悪い霊>としてとらえられ<もののけ>として恐れられた。「怨霊信仰」は、貴族たちによってケガレ除去の代償のようなかたちで発生したのではないかと思う。悪である<ケガレ本体>を取り除くために様々な呪法が発達したが、そんなことで除去できない<悪人><敵>は、自分たちの住む世界から追放しなければならない。「祓い」は流刑のことであると梅原氏は言っているが、島流しというのは、ケガレた悪人を自分たちの住む世界から追放するという発想である。平安時代には面白いことに死刑がなかった。それは「死」こそがケガレの極致であって、殺すことはケガレのとりついたもの自体を<死というケガレ自体>にしてしまうという発想だったと思われる。ケガレを嫌う平安貴族たちは殺すことを避け、除去できないケガレものは追放した。しかし、ケガレ(悪い霊)自体は移動するだけで消滅はしないので、不当に追放された霊はやがて復帰して災いをもたらすことになる。いわゆる「祟り」が起こるのだ。そこで災いをなす悪い霊を「神社」に封じ込めることになった。(神社は神のよりしろ「ヤシロ」が建物化して出来たものだと思う。神は崇高ではあるが恐ろしい存在でもあるので立派な建造物にしてそこに「封じ込め」た)
 それが「怨霊信仰」となったのであろう。
 神社仏閣に詳しいエッセイストの加門七海は「うわさの神仏」<集英社文庫>で、隠岐には4つも神社があり、それがいずれも延喜式で<名神大>と記された伊勢神宮クラスの格の高い神社であることは謎であると書いている。しかも祀られている神が記紀神話に全く出てこない神で、土着の神でもないという。神社の神主に尋ねてもわからなかったらしい。しかし、隠岐が後鳥羽上皇など政治犯の流刑地であるということから考えれば、答えは自ずから出るだろう。それらの神社は、流刑者の御霊を祀り、封じ込めておくものだったと思われる。
 かくして、日本においては「不快の源」がさまざまに概念化され、命名され、信仰の対象ともなったのだ。

9、「ハレ」と「ケ」と「ケガレ」

 実は、「不快の源=ケガレ=悪=悪霊・怨霊」となる以前、「ケガレ」は別の意味で使われた言葉だったようだ。駒沢大学名誉教授の民俗学者、桜井徳太郎氏によると、「ケガレ」は「穢れ」と表記されるような災いのもとしての積極的なものではなく、日常性と密に接した言葉(概念)であった。彼は、一般に「ハレ」(非日常)と「ケ」(日常)としてとらえられている概念の中の「ケ」に注目する。そして、「ケ」に関する民俗語彙が全て食事、しかも米に関わっていることから、ケとは本来は稲を成長させる霊力、エネルギーのことだったのではないかと推論するのである。例としてあげられている「ケシネ(米のこと)」「ケシネビツ(米櫃のこと)」「ケ付け(田植えのこと)」などは聞いたことがないが、「朝餉」「夕餉」の「ゲ」はなじみのある言葉で、確かに食事、米に関わっているようだ。その「ケ」が、「ケガレ」につながってくるという。
 「ケ」というエネルギー(気に該当するもの)が人体に宿っていて、人の生を成り立たせている。ところが、日々の生活が続くと「ケ」のエネルギーはどんどん消費されていってしまう。そして最終的には、枯れ果ててしまう。それが「ケ枯れ(気離れ)」という概念で、「ケガレ」はそこから成立した言葉だというのである。
 ケガレの状態は死につながるので、ケを補給しなければならない。そこで、「ハレ」であるマツリが必要となる。そのハレの時間で人はエネルギーを補給するのである。エネルギーが補給されると、また人はケの時間に戻っていく。このように、日本人は「ケ→ケガレ→ハレ→ケ→ケガレ→ハレ…」という風に、絶えず循環する時間の中で生きている。おそらく古代の日本においては、その循環が自然のリズムと合致するかたちで(生産形態のリズムに重なる形で)行われていたに違いない。しかし、律令体制の確立とともに、ケガレの概念が政治的なものとなった。
 日本人の信仰である「神道」が変質していくのは、そのころからである。

10、神道思想の再構築

 日本の神道といわれるものが、普遍的なアニミズムをもとにした「魂」の存在を信じる「共生」と「循環」の信仰であることを記した。
 律令体制が確立する天武・持統の時代に、梅原氏の言う中臣神道という形での「国家神道」が成立し始める。天皇を神として、その祖神をアマテラスに設定した「記紀」が描かれ、その太陽神を祀った神宮として、奈良から東の方角にあった伊勢が決められた。縄文時代からの素朴な里山に天皇ゆかりの神社が造られたのである。それは「ケガレ」である敵(地元の神)の祟りを恐れて祀ったものではないので、日本列島最大の勢力を征服したために造った出雲大社の壮麗さに比べると、実に簡素なものとなった。しかも、その伊勢神宮だけが20年ごとに本殿をすべて新しい樹木で建て直すという儀式を、これも持統天皇の時代に作りあげた。私はこれは、万世一系天皇制の連綿を象徴するために「循環」の信仰を利用した「中臣神道」の作為だと思っている。伊勢神宮以外にそんなことをする神社はないのである。
 「中臣神道」は日本人の自然信仰を「天皇教」に変質させた。それでも江戸時代までは、「記紀」に描かれた縄文時代の勢力者たち(天孫降臨<天皇家>でない一族)の姿が、様々な「神」として生かされていた。縄文時代からの里山の祠に「記紀」の神が入り込んで祭神となったわけだ。また、神宮寺という形での仏教との習合も進み、十一世紀には、神道の素朴な「共生」の<感覚>が、渡来した仏教を日本的ともいえるものに変えて行くことになった。「山川草木悉皆成仏」と唱えた「天台本覚論」は、すべての生きとし生けるものはすべて仏性をもっていて成仏できるという、まさに「共生」の<思想>であった。本来人間についてのみ思索された仏教が、神道思想によって自然物すべてに拡大されているのである。日本は律令国家として統一されていったが、多彩な多神教の国として存在することになっていたのだ。
 しかし、「天皇教」として政治的利用をめざした明治政府によって、神道は、かつてないほどに歪曲・変質させられたのだ。富国強兵のために行われた「神社合祀」と「廃仏毀釈」ほど露骨なものはなかった。「神殺し」と叫んで反対運動を展開した南方熊楠によってかろうじて里山の森は守られたが、人間の英雄を祀る(菅原道真を祀ったことから始まったと思うが人間を祀ること自体神道の変質である)という「国家神道」の極致である靖国神社と明治神宮の創設がおこなわれた。さらに昭和の時代になって軍国主義のために、神武天皇を祀った橿原神宮が創建されるにいたって、日本古来の信仰は完全に踏みにじられたのである。

 ヨーロッパの文化人類学者や宗教学者は宗教進化論を唱え、アニミズムは原始的な超自然観で一神教は進化した宗教であると考える。私も長い間、アニミズムは思想以前のものであって、理性を身につけた文明人にとっては古代精神の一段階でしかないと思っていた。しかし、多少なりとも哲学、宗教を学び、体験を重ねて思考した現在は、若い頃とは全く逆に、アニミズムこそが人類のこれから目差すべき最高の思想、信仰であると思うようになった。
 一神教が世界的な宗教となって以後も、実はアニミズムの痕跡は人々の精神のヒダに潜んでいるのだ。一掃されたかに見えるキリスト教世界においても、ハロウインの祭はアニミズムにつながる自然崇拝の痕跡として残っている(ケビン・ショート)。ロシア紀行文学「ウスリー紀行」の中で描かれたデルス・ウザーラは、自然物すべてを人間と同様に見る、まさにアニミズムを体現したような人物だった。絵本「葉っぱのフロディ」は生命哲学といえるものであるが、そこにもアニミズム的感覚が漂っている。9.11テロの現場で朗読され世界中に広がっている「千の風になって」に至っては、<大きな生命>の一部として存在している「魂」の「循環」思想が、そのままはっきりと描かれていた。英語で書かれたこの詩に、多くのキリスト教徒たちが感動しているのである。
 
 アニミズムを土台とする「魂」「共生」「循環」の思想とは、本源的な「平等世界観」と言ってもいいだろう。血肉化していた日本人のアニミズム「感覚」が、仏教という「哲学」と習合し、世界でまれな形で「思想」となり得たのが、日本の「神道」であった。
 この「神道」を「国家神道」と厳しく区別し、見直すことが、現代人の見失いつつある「倫理観」構築の最大の方策ではないだろうか。素晴らしい<土壌>が存在することを忘れてはならないのである。


1、保科正之との出会い
  みなもと太郎「風雲児たち」(潮出版)。高遠での再認識。会津の旅。
  司馬遼太郎「街道をゆく33 奥州白河・会津のみち」。ビデオ版。
  中村彰彦「保科正之」(中公新書)。
  別冊歴史読本「名君保科正之と会津松平一族」(新人物往来社)
  郷土史家編「保科正之」

2、保科正之の出生
  大奥の奥女中の一人であった神尾静が二大将軍徳川秀忠のお手つきとなって正之を生む。  秀忠の正室お江与(織田信長の姪、秀忠より6歳上)は嫉妬深く、側室を認めないので、秘   かに育てられる。武田見性院に庇護され、高遠藩主保科正光の養子となる。

3、保科正之の業績  武断政治から文治政治へ
  <江戸、将軍補佐(大老?)として>
  「末期養子の禁」の緩和。 玉川上水開削。「明暦の大火」時における被災者救済。 江戸城  天守閣の不再建。殉死の禁止。大名証人制度(人質)の廃止。
  <会津藩主として>
  「検見法」から「定免法」へ。「社倉制」(米を備蓄し凶作の時民衆に貸し出す救済制度)。「定  平法」(米の変動をおさえる)。「間引きの禁」。「旅人煩い候節の取り扱ひお定め」(救急医   療制度)。「九十歳以上貴賤男女を問わず孝養扶持一人分宛を給すべし」(年金制度)

*「八代将軍吉宗が生涯尊敬しつづけ政治の手本として影響を受けた人物こそ吉宗の代より百年も前の保科正之であることを知る人はあまりにも少ない。吉宗の事業のほとんどは保科正之が行っていたことをより大規模にして再現したに過ぎない。消防思想はもちろん粗衣粗食のすすめから目安箱の設置にいたるまで、すでに保科正之が実行していたものである・・・政治形態やしくみその他と別の次元で政治を行っているのはやはり人間の心であるということを思い知らされる。幕府に新風をそそぎこんだ正之ちゃんは巨大な革命児であったのかもしれない」(「風雲児たち」のコメント)

4、保科正之の思想  朱子学
朱子学・・・宋時代の朱子によって大成された<儒教のニューウェイブ>。
       「理気二元論」「性即理(人の性質は初めから理に従うように出来ている)」 日本で    は藤原セイカ、林羅山によって徳川体制の思想基盤となる。「上下定分の理(人間社会の   上下関係は天地の関係と同じ)」

 *、 保科正之は政治哲学としての朱子学を学ぶと同時に、その中から本来の儒家思想「仁」   もしっかり学んでいた節がある。例・・・「社倉制」は朱子学に関連して学んだ中国の救済制   度「社倉法」にヒントを得たもの。殉死の禁止は朱子学の<殉死は異民族の悪い風習>「   殉葬論」から発想。
 
 *、会津家訓は徳川家に対する絶対忠誠の教え。ただ、司馬遼太郎は第六の「家中は風儀    を励むべし」に注目している(文化の振興)。

5、なぜ保科正之は「歴史の闇に埋もれ」たのか。
  *、「保科正之の事績が明治以降はほとんど闇に埋もれてしまった理由の第一は、明治政     府が会津藩を賊徒として討伐することによって成立した政権だったからにほかならない」(    中村彰彦「保科正之」)明治以後の「順逆史観」の影響。
  *、唯物史観によって「個人」の業績は比較的軽視されてきたか。
   家永三郎「日本の歴史10巻」(ホルプ出版)・・・名前すらも記述なし。
   井上光貞・児玉幸多「日本の歴史」(中央公論社)・・・事績の記述は文献を併記するかた    ちで割と多く記述されている。

6、歴史人物の評価について(問題提起)
  *、「最大多数の人々の生命活動を促進するために何らかの働きをした人物は評価で       きる」(北さんの評価基準)
  *、江戸時代という歴史上の一時期における「風雲児(革新者)」の一人として、保科正之は    高く評価できる。しかし、幕末という時代の変化に対応する学識を持てなかった松平容保    は評価できない。
  *、「あの時代においては仕方のない行動だった」というとらえ方が、同情史観(北さんの造    語)を生み、戦争責任の曖昧化を生む土壌になっているのではないか。

 <参考> 「風雲児たち」(第1部、30巻)で特に取りあげられている人物
   保科正之 高山彦九郎 杉田玄白 林子平 田沼意次 平賀源内 大黒屋光太夫
   最上徳内 シーボルト 渡辺崋山 大塩平八郎 オランダおイネ ジョン万次郎
   間宮林蔵 高野長英  島津斉彬 勝海舟 佐久間象山 吉田松陰 坂本龍馬


8月29日(日) 

この夏の旅行、読書、映画・テレビ鑑賞、その他。

8月14日まで、学校図書館研究会全国大会の出張で郡山に2泊、会津まで足を伸ばして1泊、東京で1泊してきた。

研究会では、メディア・リテラシーに関してかなりたくさん発言した。ありきたりの報告、提案に物足りないものを感じたので、同意されないことは承知で次のような発言をした。
「優良図書を推薦するのはもちろん大切だが、学校図書館として<読ませるべきでない図書>を発信することも必要ではないか。例えば、みうらじゅんが中高生向けに書いた「正しい保健体育」(よりみちパンセシリーズの中の一冊)は、この研究会のパンフにも推薦本で載っているし販売コーナーにも展示されているが、ラストの<研究課題>などとても生徒にあたえられるものではない。ひどいものだ。中身を読まずに推薦本に入れているのではないか。私はこの本は、学校図書館に置くべき本ではないと思います」
(具体的な記述内容は研究会の場でとても紹介できなかった。しかしここにはあえて書いておこう。巻末につけられた生徒への<課題>として「フェラチオを体験した大人の人に、その時右手はどこにおいたかをたずねてみよう」とある。筆者は一体どういう神経の持ち主なのだろうか)
当然のことながら反論があった。ある女子校の司書からは、「正しい保健体育」の内容は知っているがあえて図書館に置いているという。
また、作家の北村薫、阿刀田高の話を聞いた後、両者にミステリーに関することや、小説における<倫理観>の位置づけなどの質問もできた。大変充実した日々を過ごした。

会津では、鶴が城、武家屋敷などを見学した。
保科正之が行く前に蒲生氏郷というキリシタン大名が統治していて南蛮文化を広め、楽市楽座を行って商業を活発化し、利休切腹後に(秀吉の部下なのに)利休の子どもをかくまって千家の基礎を築いたりしているということを知った。実に面白い人物である。彼の築いた土壌に、保科正之が「会津」を構築し、その精神が幕末松平容保の悲劇につながるという流れが少し分かった。(帰宅してから昔作られた「白虎隊」というテレビドラマのビデオを借りて観た。前半の京都における時代背景の描写が秀逸で、会津が朝敵になっていく過程がとてもよく分かった。後半の白虎隊を中心にした会津壊滅の過程は、お涙頂戴の陳腐な描き方で見られたものではなかった。)

東京では、前々から一度見てみたかった明治神宮を訪れた。
全国から十数万本もの献木がされて人工の森が作られたという国家神道の象徴みたいな神社は、すごいものだった。巨大な菊の紋がついた大鳥居と荘厳な神殿をみていると、天皇制の凄さが実感できた。

8月末には、ある事情でで石川県の富来(とぎ)に行った。
富来というところは能登金剛の中にあり、「岸壁の母」で有名だったところである。近くには、砂浜を延々と車で走れる知里が浜、ヤセの断崖(松本清張の小説「ゼロの焦点」で有名)、巌門、北前船の史料館、千枚田などがあり、能登半島を少し走ると時国家、見付け島(軍艦島)、能登大橋など見所がいっぱいあった。
1泊は七尾城趾のすぐ下にある旅館に泊まった。七尾というのは和倉温泉(日本一の高級旅館「加賀屋」で有名)のすぐ南。さすがに海のものは新鮮で美味しかった。
今回は暑くて、金沢市内は兼六園以外歩けなかったが、これからは金沢に行くことが多くなりそうなので、季節がよくなったら市内観光もしようと思っている。

旅行の合間に鑑賞した映画、テレビ、読んだ小説類は、以下のもの。

NHK特集の「硫黄島、玉砕戦」。凄い内容だった。硫黄島の名前だけは知っていたが、こんなに凄惨な戦闘が行われていたとは知らなかった。網の目のように張り巡らした地下壕にこもって島を死守させられている日本兵たちに、アメリカ軍はついに海水とガソリンを流し込んで火をつけるという攻撃をしたということだ。顔の皮膚が焼けて垂れ下がる兵士たちがそれでも壕を出ないで戦い続けるという地獄図を想像して身震いしてしまった。(帰宅して、昔作られたジョン・ウエイン主演のアメリカ映画「硫黄島の砂」を借りてきて見た。あの凄惨な戦いをアメリカ側がどう描いていたのか興味があったからだが、予想通り日本兵は地中からゲリラ的に攻撃する場面や、手榴弾を投げ込まれる場面にごく一部登場するだけで、ラストは何人もでアメリカ海兵隊の星条旗をあげている銅像(海兵隊の栄誉を表す象徴的な有名な銅像)そのままの場面が描かれていた。アカデミー賞の候補にもなった作品と言うが、凡作だった)

映画「ミュンヘン」は、オリンピック村でパレスチナのテロ集団に虐殺されたイスラエル選手11人の復讐のため、モサドが組織した秘密暗殺集団のリーダーの苦悩を描いたサスペンスだった。ユダヤ人であるスピルバーグ監督としては、イスラエルの復讐行為を非難することは出来ないが、実行する生身の人間には<はたしてこれは正しいことなのか>という疑問もわき起こるはずだ、という観点で作られた映画である。ということで延々と苦悩の描写が続くのだが、ラストは妻とセックスしながらオリンピック村での虐殺の光景を想像するという展開で、そこにはやはりイスラエルよりの立場を強調する配慮が考えられているように思った。

小説「一応の推定」は、松本清張賞を全員一致で取っただけあって、地味な内容だが読ませる作品だった。保険の調査員が事故死か自殺かを調査していくという物語で、丁寧な書き方。宮部みゆきの「火車」を読んだときと同じように、先が読みたくてやめられなくなった。

よりみちパンセの一冊「日本という国」(小熊英二・理論社)は、中高生向きだったが、福沢諭吉の姿勢などが実に分かり易く書かれていた。

荻原浩の短編集「押入のちよ」は、ホラーミステリーだが、達者な書き方で、感心した。短いものはどうしても物足りなさを感じることが多いのだが、この短編集は、ほとんどの作品が満足させてくれる出来だった。

ドイツ映画「ヒトラーの12日間」。演じた俳優がとてもよくヒトラーに似ていた。側近たちが見限っていく中で、最後まで狂ったように忠誠をつくしたのがゲッペルス夫妻だったことを知った。なかなか面白かった。


7月23日(日) 近況 

数日前から体調を崩しています。
便が堅くなった関係で<例の病>が悪化し、どうも動脈に通じる傷口が開いたらしくて、排便時に大量の出血がつづいています。医者から便を柔らかくする飲み薬と傷口につける薬をもらっていますが、まだ出血が止まりません。出血で毎回便器が真っ赤になります。貧血になるのではないかと心配です。
(いきなりこんな話題で申し訳ありません)

そんなこんなで、雑記帳も更新せずにいましたが、友人の橋本さんがセブ留学するということで、唯一の読者だろうと思われる彼に、近況報告する形で、久しぶりに書きます。

私の夏の旅行計画。
8月上旬に1泊で昇仙峡へ行きます。帰りに近くの友達夫婦のところでも1泊させてもらう予定。その後すぐ、郡山で開催される「全国学校図書館研究会」に行きます。2泊です。ついでに会津を見学しようと思っています。権力を善用した数少ない人物の一人として最近発見した保科正之の史跡を訪ねたい。
8月下旬には、娘が来年結婚するので、婚約者の実家に挨拶にいきます。石川県です。金沢あたりで1泊、輪島か能登半島のもうちょっと先あたりでもう1泊する予定です。娘は金沢で新居を持つ予定で、カミサンは遠いのでちょっと悲しんでいますが、私は日本海の魚介類が食べられるということで別に不満はありません。

ブックオフで「嫌韓流」を買って(もう続編が出ているようですね。恐ろしいことです)読んでみました。西尾幹二なんかの主張だから内容は予想できて、読む気はなかったのですが、一度は実物を読んでおこうという気になったのです。凄い内容でした。知らないことがいっぱい書いてありました。たぶん、日本の右翼が唱えていることで一般の人は知らないようなことがあるように、韓国の右翼が唱えている極端な韓国至上主義(小中華思想)もあるのでしょうが、それらをことさらとりあげて、剣道も柔道も合気道も寿司も韓国が起源だなどという(「ウリナラ起源」というらしい)妄想を一般化して、それで韓国を非難していました。一部の現象を全体化するというのは悪意をもとにした批判の定番ですが、この本にはそういう悪意が満ちていると思いました。

図書館に予約していた「チームバチスタの栄光」が借りられたので、読み始めています。なかなか面白そうで、楽しみです。
もう一冊読みたい本は、岡潔の「日本という水槽の水の入れ替え」というエッセイ集。安藤忠雄が朝日新聞で推薦していた本で、学校の図書館に入ったので読もうと思ったところに「チームバチスタ」が回ってきたので、そちらを優先して、岡潔は校長に回しました。校長も体育教員ですがなかなかの読書家で、前からその本が入荷したら教えてくれと言われていたのです。
藤原正彦の極端な表現に少し辟易していたところなので、彼の源流ともいえる岡潔のホンモノの<愛国心>を、一度じっくり学んでみようと思っています。

夏の補習がはじまって、センター試験の現代文の過去問題を解いていますが、選択肢のなかの実に微妙な紛らわしい表現の差異を見分けて正解の文章をみつける訓練というのは、あんまり本質的な勉強だとは思えません。センター試験解法のテクニックを教える参考書では、冒頭はっきり、これは「お勉強」で勉強ではありませんと断り書きがされています。問題文自体はなかなかおもしろいものが多いので読むのは楽しいのですが、選択肢を見分けるのは(私自身まちがうことが多いこともあって)嫌いです。下らないなあと思いながら、でも受験生のために、テクニックの参考書も一度は読んでおこうと思っています。

やっと好きな本や映画が見られる夏休みにはいりました。
実りある毎日を過ごしたいと思います。


6月5日(月) 朝日新聞投稿文 

「経済」の本義、首相は自覚を

靖国神社参拝の再考を求めた経済同友会の提言に小泉首相が「商売と政治は別」と答えたので、同友会の北城代表幹事が「経済も含めて国の政策は決めるべき」と言ったそうだ(天声人語)。このやりとりを読んで、私は改めて「経済」というものを考えた。
 「経済」の基本概念は、経済という言葉自体が如実に示している。それは「経世済民」ということで、世を治め民を救うという意味である。為政者が通貨を管理し、市場に介入するのはそのためで、「経済」は本来「政治」と一体であるものだ。
 経済同友会の提言は、明らかにそういう「経済」の観点からなされたものだと思う。それに対し小泉首相は「商売」という言葉を使って反論した。中国との関係を「経済」という言葉を使わず「商売」と表現して提言を退けたところを見ると、首相は意識的に「経済」の思想を無視したと考えられる。北城幹事が「商売」という言葉を「経済」と言い換えて再反論したことには、深い意味があった。
 小泉首相には「経世済民」の観点にたって、是非、経済同友会の提言を受け入れてほしいと思う。      (引用終わり)

最近朝日新聞は掲載するということを毎回電話で知らせてくるようになった。
今回も4日ほど前の昼間に電話があって、カミサンが留守だと告げると夜9時に再度かけ直して来た。何か訂正でもあるのかと思っていたら「少し短くなるかもしれませんが、載せる方向でおります」とだけだった。
掲載謝礼の図書券3000円は、いつも読み終わった「文芸春秋」を回してくれる義理の父へ贈呈することにしている。

5月15日(月) 「罪と罰」

図書館報に読書案内の文章を載せることになった。
昔、ドストエフスキーを読みなおしていたころにまとめた文章を、少しだけ書き直して載せることにした。前の学校でも使った文章だが、自分では気に入っている文章なので、是非生徒に読んでもらいたいと思っている。

まず「罪と罰」を読んでみませんか。
               ー生徒諸君へのドストエフスキー案内ー
                          
 もし君たちが神とか愛とか自由とか云った人生の根源的な問題を本気で考えようと思うなら、ドストエフスキーの諸作品、特に『死の家の記録』以後の大作群を読むことをすすめます。私は若い頃その中の幾つかの作品と出会い、その後、成立年代順に読み返したことがあるのですが、読めば読むほど中に秘められている無限な思想の可能性を発見して驚嘆するばかりでした。1850年、29歳のドストエフスキーは、残虐なニコライ一世の謀略(いわゆるペトラシェーフスキイ事件)によって4年間のシベリア流刑を科されます。奇跡的に処刑を免れて生還し、その体験を基にして『死の家の記録』を起稿するのですが、その時から、彼はそれまでのヒューマニズムあふれるロシア文壇の一流作家という位置を離れ、世界的次元における天才作家としての偉大な歩みを始めます。「地下生活者の手記」「罪と罰」「白痴」「賭博者」「永遠の夫」「悪霊」「未成年」「カラマゾフの兄弟」と60歳で死亡するまでに書かれた諸作品の中で、まず最初に一冊読む本をあげるとすれば、やはり「罪と罰」あたりでしょうか。
 一般に長編だと言われる『罪と罰』は、しかし主人公ラスコーリニコフのわずか一週間の精神の遍歴を描いた、質的には中編小説的内容の作品です。彼は貧しい、元大学生。人間はすべて凡人と非凡人という二種類に分かれ、後者には既成道徳を踏み越えて新しい法律を創造する力が与えられていると考える彼は、自分が「一介の虫けらか、それとも権利を与えられる者か」を確かめるため「一個の害虫にすぎない」金貸しの老婆を殺害し、同時にその場に偶然居合わせた「つつましいかわいそうな女」リザベータをも殺してしまいます。腕利きの予審判事ポルフィーリイの執拗な追求に対して、彼の壮絶な戦いが始まります。ポルフィーリイはかつてラスコーリニコフが発表した論文を読んで、その超人思想に目をつけており、事件後の彼の行動と心の動きから事件の真犯人だと確信しているのですが、物的証拠がありません。そこで(まさに刑事コロンボのように)彼を心理的に追いつめて行こうとします。ラスコーリニコフもポルフィーリイの策略を見抜き(わざと本当のことを言うというような)その心理の裏をかくような対抗をします。
 二人の対決の(刑事コロンボなど比ではない)息もつかせぬ面白さと迫力、追いつめられたラスコーリニコフが神のごとき売笑婦ソーニャにすべてを告白するに至る心理的必然性を踏まえた展開 、加えて物語に深みと広がりを与えている周辺人物、ラズーミヒン、マルメラードフ、ルージン、スビドロガイロフ等の絡み合いなど、読者は小説を読む醍醐味を満喫させられながら、そのうち、ふと人間存在の深く矛盾に満ちた真相に思い至らされていることに気づくはずです(特に「なぜ人を殺しては行けないのか?」と本気で考えている人はこの作品の熟読をすすめます)。その時のために、是非『罪と罰』で描き出された諸問題を、ドストエフスキーはその後の諸作でふくらまし、深めていることを知っておいて下さい。神のごとき人物ムイシュキンを創出しようとした『白痴』から、革命と人間の悪魔性を描いた『悪霊』、ロスチャイルドとなることを理想とする青年を描いた『未成年』、そしてドストエフスキーの思想と芸術の総集編ともいえる『カラマゾフの兄弟』まで、その恐るべき思想実験の歩みを覚えておいて下さい。人類にとって「愛」ははたして可能なのか。もし神がこの世を創ったのであれば、どうして人類はかくも矛盾に満ちた存在であるのか。それがドストエフスキーの生涯をかけて追究したテーマであるように思います。
 最後に「矛盾に満ちた」愛についての記述をあげておきましょう。あなたはこれをどう読まれるでしょうか。
「私は人類を愛するけれども、自分で自分に驚くようなことがある。ほかでもない、一般人類を愛することが深ければ深いほど、個々の人間を、一人一人別なものとしてそれぞれに愛することが少のうなる。・・・だれかちょっとでも自分のそばへ寄って来ると、すぐその個性が自分の自尊心や自由を圧迫する。それゆえ、私はわずか一昼夜のうちに、すぐれた人格者すら憎みおおせることができる。ある者は食事が長いからというて、またある者は鼻風邪をひいて、ひっきりなしに鼻をかむからというて憎らしくなる。つまり、私は人がちょっとでも自分に接触すると、たちまちその人の敵となるのだ。その代わり個々の人間に対する憎悪が深くなるにつれて、人類全体に対する愛はいよいよ熱烈になってくる」                  (「カラマゾフの兄弟」より)


5月14日(日) 「風雲児たち」の紹介文 

みなもと太郎著「風雲児たち」は、幕末を描くために関ヶ原の戦いから描き出された長編歴史コミックです。ギャグが満載されていますが並のマンガではありません。新しい時代を切りひらく先駆けとして生きた人々、例えば田沼意次、平賀源内、杉田玄白、大黒屋光太夫、林子平、シーボルト、大塩平八郎、渡辺崋山、高野長英などのエピソードが、時代を動かす行動かどうかという視点で峻別され、描かれています(有名な八代将軍徳川吉宗など全く登場しません)。すでに20巻が完結し、現在「幕末編」として吉田松陰、村田蔵六、坂本龍馬などが活躍していますが、有識者たちの絶賛に反して売れ行きは不調とのことです。ある書店員は刊行が続くか微妙な状況だと嘆いていました。これからの日本人のあり方を考える上でも十分参考となるこの大傑作を、どうかみなさんも支援して下さい。 (組合の機関誌に投稿)


5月11日(木)  保科正之

連休中、長野で温泉に行くのに高遠を通ったところ、町のあちこちに「保科正之を大河ドラマに」という旗やポスターがひらめいていた。
「風雲児たち」で知っていたあの会津藩創立者の保科正之が高遠出身者であることは知らなかった。
「風雲児たち」を読み返してみた。本当にすごい名君である。徳川時代初期に、力による秩序維持の発想を変え、平和な状態を磐石化するために民を大切にして体制を整える大きな働きをした保科正之は<時代を動かす>風雲児の一人として位置づけられる。
著者のみなもと太郎が、1巻ほとんどを使って保科正之を描き、名君と言われた8代将軍吉宗を全く描かなかった理由もわかった。

5月8日(月)  連休終了

連休は毎年恒例の、長野の友達夫婦宅へ泊まって山菜取りと温泉巡りで過ごした。
コゴミ、タラノメ、コシアブラ、モモラ、フキが採れた。毎日山菜の料理で堪能し、1キロ近く太って帰ってきた。
最終日は娘の婚約者が泊まりに来て、息子夫婦も呼んで、庭でバーベキューをした。
近所に大型のレンタルショップができ、DVDを100円で1週間貸してくれるので、大量に借りて見た。題名は仰々しい「大日本帝国」(笠原和夫脚本)がなかなかしっかりした作品だった。昔、田原総一郎が反戦映画だと評していたのできちんと見てみようと思ったのだが、確かに一般庶民の感覚やシンガポール住民の気持ちがうまく描かれている力作だった。
「蝉しぐれ」は純愛時代劇。殺陣が意外に面白かった。
「キング・アーサー」は、円卓の騎士たちによるプライベートライアンみたいな救出劇。アーサー王のローマ帝国に対する姿勢がよく描かれている。
「パッション」は血まみれのイエスが延々と描かれる拷問映画。
「アビエーター」はハワード・ヒューズの伝記映画。ヒューズがこんな人物だとは知らなかったので、とても面白く見た。

4月24日(月)  映画「スリープ・マーダー」

「スリープ・マーダー」というカナダで作られた法廷映画を見た。
職場の同僚に貸してもらったのだが、こんな映画があったことを全く知らなかった。ネットで検索しても書いていない。テレビの映画専用チャンネルで放映されたものだという。
素晴らしい出来の映画だった。演技者もよかったが、何よりも実話にもとづくとされる脚本が見事だ。
母と兄を惨殺した男を弁護するため、弁護士が辺境の地に向かう。
容疑者(インディアン?)は母も兄も愛していたと語り、自分には全く覚えがないと言う。
しかし状況から犯人は彼しかいない。彼は現地人の部族の一員で、殺したのはモンスターだと口走る。
弁護士、検事、精神鑑定の医師などが絡み合い、法廷闘争が始まる。
やがて犯行は容疑者によるものであることがわかるが、それは病気による行為だった。
辺境の地の習俗のなかで生きていた素朴な男が、文明化による「テレビ漬け」によって睡眠障害に陥り、眠ったままで殺人を犯してしまったのだ。
知能が高く、性格は純朴で優しい容疑者は、テレビで急速に文明社会のことを学ぶが、伝統的習俗の生活から抜けきれず、文明社会に溶け込むこともできないで、脳に障害をおこしてしまったのだ。
その彼に影響を与えた映画が「フランケンシュタイン」。
それはまさに文明化の象徴で、作品に出てくるつぎはぎだらけのモンスターこそ、近代文明によって脳がつぎはぎだらけになってしまっているような現代人を想起させる。
「テレビ漬け」による性格障害に類似する現象は、現在いたるところに見かけられる。
「スリープ・マーダー」は、テレビを主体とする現代文明への鋭い警告がこめられた映画だった。

4月23日(日) 映画「ベニスの商人」

アル・パチーノ主演の映画「ベニスの商人」をやっと見ることができた。
ユダヤ系資本で成立しているハリウッドでは今まで映画化されることがなかった作品だけに、アメリカも変わったのかと少し驚いて、是非見たかった映画なのだ。
冒頭、1500年代のベニスではユダヤ人が迫害されて、ユダヤ人の住居としてゲットーが作られ、ユダヤ人は赤い帽子を被らなければならなかったなどの説明がある。その中で、高利貸しのユダヤ人シャイロックが、おなじく金貸しだが利息はとらないキリスト教徒のアントニーに唾を吐きかけられる場面が描かれている。
ユダヤ人側に立った新しいつくりかたを予想したが、意外にもシャイロックの悪魔的な憎悪の印象が強く残った。シャイロックに肩入れした作り方をめざすなら、性悪女のポーシャとハンサムなだけのバカ貴族バッサーニオの滑稽さがもっと強調されてもよかったのではないか、という印象。
HPで検索してみたら、この映画を批評した投稿文の中に、対比して新釈演劇が紹介されていて、それが実に面白そうであった。こんな演劇があったとは驚きだ。引用させていただきます。

<比較的脚本忠実でありながら,うまく映画にマッピングし直すことができた作品として評価できるでしょう.
アル・パチーノの演技が突出しており,アイアンズ,ファインズ等は,吹けば飛ぶような印象のなさ.対照的なのは,ポーシャを演じたコリンズで,手前勝手な性悪女を見事に演じていました.
ただ,新釈「ヴェニスの商人」を期待して全く別の結末を期待した向きには残念なつくりで,シャイロックが不当で不公正・悪辣極まりない悪女ポーシャに代表されるキリスト教徒に迫害を受ける「悲劇の主人公」としてしか描かれていないのが食い切れないところでしょうか?
実際,シャイロックはまるでステレオタイプのユダヤ人(狡賢く悪辣な癖に間抜けだという)の範囲にとどまっており,昔,新釈舞台劇でみた,糾弾者として勝利するシャイロックとは異なっていました.
 そこでは,シャイロックは非常に知性的かつ論理的に描かれていました.(キリスト教への皮肉を込めて)羊を法廷に出すことを要求し,血を一滴も流さずに1ポンドの肉を取り出して見せるように逆襲します.それができるならその通りにして見せると反論して,血と肉が不可分であることを論理的に反駁するのです.また,証文には血を流してはならないとの記述もないことを改めて述べ,差別主義者アントニーオと似非紳士バッサーニオ,狡猾女ポーシャを屈伏させるのです.この劇では,最終的にはシャッロックは,法廷の不公正とキリスト教会を打ちのめしたところで巻幕く間に下がり,3バカトリオ(アントニーオ,バッサニーオ,ポーシャ)が名誉を失墜して凋落しいく様が語られて幕が下りるのですが…(全く別の舞台劇です.念のため…)
 まあ,ここまで極端な解釈はキリスト教社会では困難でしょうが,従来にないシャイロックを主人公に据えたこのは評価に値します.エンディングの物言わぬパチーノの無言の演技はさらに素晴らしい.
 食い切れないけれど,十分に鑑賞の価値がある作品ではと思います.>

4月21日(金) 風雲児たち

組合の情報誌に「私の1冊」という文章(380字ほど)を書くように言われた。
「風雲児たち」を書いてやろうと思う。
新しく刊行された新装版は読みやすくなっている。この素晴らしいコミックを大いに宣伝したいと思っている。

4月20日木) 不安

今日の進学補習での解説が、自分ながらうまくいったように思ってうれしかった。
アイデェンティティに関する日本人論の問題文。生徒は懸命に考えていた。
生徒がどこまで理解したかは不安だが、自分としては精一杯の分かり易い解説をめざした。
こういう調子で補習授業はやっていきたい。
問題なのは、来週から始まる「表現」の授業。
「ワークノート」というテキストを使うが、うまく活用できるのか大いに不安。
図書館の仕事が山積みで、じっくりと準備をする余裕がない。
といいつつも、今日、帰りに図書館によって「水滸伝」(北方謙三)の7、8巻を借りてきてしまった。
読み始めるとまたやめられなくなりそう・・・。

4月19日(水) 図書館オリエンテーション

1年生の図書館オリエンテーションを始めた。
6時間の授業時間をもらって、今週中にやり終える予定である。
前任校で作った「紹介文記入用紙」を使って、図書館の中にある本を探索させる。その際、私の書いた「アルジャーノンに花束を」を記入例として読み上げてみた。すると2人ほどの生徒から「アルジャーノン」を読みたいという申し出があった。書棚から出してやった。
初めて図書館に入って感動している女の子もいた。そういう生徒の姿を見ると本当にうれしくなる。

4月17日(月)  日陰ツツジ

昨日は近くの山に登った。
毎日犬の散歩を兼ねて登山している校長さんから電話があって、日陰ツツジが一面に咲いていると教えてくれたからだ。
日陰ツツジという名称をしらなかった。シャクナゲに似た薄い黄色のやさしい花だそうだ。
登山口から30分ほどで頂上につく低い山なので、お昼までに帰るつもりでカミサンと出かけた。
少し雲が多かったが、日陰ツツジと山桜が楽しめた。

4月14日(金)  読書指導開始


「3分間読書案内」プリントをLTで配布することが決まった。来週の月曜から早速発行してやろうと思う。前任校で作ったものを利用すれば材料はたっぷりある。
1年生の朝の読書は、時間保証なしではじめることになった。職員会議で、本を持ってこない生徒に対する手だてをしなければ連休すぎには崩れ始めますよとアドバイスだけはしておいた。

4月13日(木) 「3分間読書案内」

今年は図書情報部の主任になったので、前任校で6年間行った読書案内のプリントを配布することにした。全校生徒が全校生徒に本を紹介するという、おそらく他ではどこもやっていない読書指導の取り組みである。今日の職員会議にその案を出す。
プリントは週2回程度から始めようと思う。担任に配布を頼むのだが、朝のSTでは読ませる時間がないと思われるので、LTの時間に配布してもらうように依頼する。

4月12日(水) ヘレンケラーの言葉

ヘレンケラーは1歳9ヶ月の時に高熱を発して視力と聴力をなくした。人間は3歳ぐらいまでに言語を習得する(言葉とモノとが結びつく)。視力と聴力が正常であれば、母親の語りかけなどでいつの間にかそれがなされて、言葉とモノが結びついた瞬間などを記憶することはできない。ヘレンは不幸にも言語を習得する最も大切な時期に、その手段となる聴くことと視ることができなくなった。
満7歳のころに、サリバン先生によって、ヘレンは言葉とモノとが結びつく瞬間を体験する。有名なwaterという単語によってであるが、すでに少女にまで成長していた彼女にはその瞬間を克明に記録することができた。

「突然私は、何かしら忘れていたものを思い出すような、あるいはよみがえってこようとする思想のおののきといった一種の神秘な自覚を感じました。この時初めて私はwaterはいま自分の片手の上を流れているふしぎな冷たい物の名であることを知りました。この生きた一言が、私の魂をめざまし、それに光と希望と喜びを与え、私の魂を解放することになったのです。・・・こうして物にはみな名のあることがわかったのです。しかも一つ一つの名はそれぞれ新しい思想を生んでくれるのでした。私の手に触れるあらゆる物が、生命をもって躍動しているように感じはじめました。それは与えられた新しい心の目をもって、すべてを見るようになったからです。・・・・ああこれらの言葉こそじつに「花咲くアーロンの枝」のように、私のためにこの世を花園と化してくれたものであります」
(ヘレンケラー「私の生涯」岩橋武夫訳)

先日の1年生オリエンテーションで、ヘレンケラーのこの文章を紹介して次のように語りかけた。「この、世界で唯一といえる貴重な文章から教えられることは、私たちの世界は言葉で成り立っている、ということです。言葉が習得された時点で、私たちに世界が与えられたということです。君たちは今日からこういう風に考えてください、我々は自分の持っている言葉の幅だけの世界に生きている、と。言葉の幅を広げていくことは、もっと広く、もっと素晴らしい<花園>の中に生きることになるのです。そのために、読書してください」

4月11日(火) セーフティネット

民主党党首に選ばれた小沢一郎が格差社会について語っていた。
終身雇用と年功序列をセーフティネットとして使うべきという主張が面白いと思った。
具体的な内容も少し語っていたが、自己責任と機会の平等、競争原理ばかりを唱える小泉自民党の発想とひと味違うものを感じた。

4月9日(日) 「文明は共存しようという意志」 

「ふぞろいの林檎たち」第1部(ビデオ5巻)、後半はやや漫画的な場面が多くてシリアスな前半のリアリティが欠けてくるが、心にしみるセリフが散りばめられていて、胸をしめつけられながら見終わった。四流大学の3人の男子学生と、2人の看護学校生、1人の女子大生が展開する恋愛ドラマである。大学名のコンプレックスと同時に、容貌コンプレックスがしっかり描き込まれている。
描き方の最大の特徴が、コンプレックスにともなうひがみや意地や虚勢が「明るく、純粋、率直に」描かれていることだ。決して「暗く、不純、歪んだ形に」描かれていない。深刻な内容だからこそ、脚本にそういう配慮がされているのだろうが(容貌の悪い女子大生に空手をつかわせたりするのは漫画的すぎるが・・・)その明るさ、率直さ、純粋さこそが、コンプレックスを克服するための最大の武器だというメッセージが漂っていた。

岩波ブックレットの中に山田太一が書いた「ふぞろいの林檎たちへ」という1冊がある。
冒頭に引用されている言葉が、オルテガの
「文明というのはなによりも共存しようという意志だ」
である。昔読んで、たくさん傍線がひいてある本なのだが、こんなすごい言葉が冒頭にあったなんて初めて気がついた。これまで、文化を浸食する「文明化」を不快に思い続けてきたが、文明というものをこういう観点でとらえ直さなければならないと思った。

山田太一の文章は、自分は<他者にはたらきかける個人主義>をめざしたい、というような内容である。確かにそういう姿勢が「ふぞろいの林檎たち」に流れていた。
私もこれから、「共存しようという意志」として文明をとらえ、「文明化」を「共存化」と位置づけて、人間関係を構築していきたいと思った。

4月8日(土) 「朝の10分間読書」 

歓送迎会で、1年担任の一人の教員から「朝の読書」実施の提案がされる予定だと聞いた。
5分前登校をさせて1学年だけでやるという、おきまりの発想での提案のようだ。1年の学年主任が取り扱いに困っていたので、前任校での体験を話し、時間保証のない状態でやることは無理だからやめた方がいいと言った。

「朝の10分間読書」は画期的な素晴らしい読書指導法だが、成功のための絶対条件としては、10分間の時間が(1分でも欠けることなく)保証されることである。時間保証をしないで行った場合、「連絡のあるときは読書の時間を少し削って・・・」とか「5分間でもいいのでは」とかの、「10分間読書」の本質を理解していない意見が必ず出る。そして、そんな形で強行すれば、1年の最初1ヶ月くらいは持つかも知れないが、やがて実施できないクラスが出てきて崩壊する。

もし5分間でも読書できるような(読書体験がしっかりできている)生徒が多い学校なら、朝の読書時間なんて必要ないと私は思っている。読む気がないような生徒に読書の体験をさせることが「朝の10分間読書」の要諦であって、本を読んでいない生徒が<読み浸る>体験を味わえる最低限、ぎりぎりの時間が「10分間」なのだ。それが自力で読書をしてきたような優秀な教員には理解できないのである。

昨日、1年の学年会は長い時間を使っていた。「朝の読書」の提案がされたためだろうと想像している。

4月7日(金) 「ふぞろいの林檎たち」 

新しくできたレンタル店に山田太一脚本の「ふぞろいの林檎たち」があった。
山田太一のドラマは今まで1本もレンタルで出たことがないので、驚いて、すでに見た作品だけれど懐かしくて、さっそく借りて見た。
涙がこみ上げてくるほど純粋な若者たちが描かれている。
本当に「純粋」だ。自分の欲望にも劣等感にもひがみにも意地にも、純粋にぶつかって、悲しみ、怒り、苦悩する・・・こんな「純愛」の深いドラマがかつてあったのだ。
今の、キワドサを売りにしたようなトレンディドラマの薄っぺらさがはっきり分かる。
ため息をつきながら鑑賞した。

4月6日(木)  メモを武器に

歓送迎会があった。あたらしく転入された何人かの人と話ができた。
最近小さなミスを犯すことが多くなった。連絡などを忘れてしまうことだ。
とにかくメモをとって、しなければならないことを確認しよう。アルツハイマーという病魔と闘った「明日の記憶」の主人公を思いだして、メモを武器とするしかない。

4月4日(火)  「心を上品にする」

友人の橋本さんがHPに出した「共生論」が、ニューウェイブという雑誌に掲載された。
冒頭の、ヨーロッパ流の近代合理主義をめざした福沢が「私がこれまで説いてきたのは、ただ国民の心を上品にすることが目的です」と『福翁自伝』書いているというくだりが目にとまった。この「国民の心を上品にする」という表現がとてもいいと思った。

なぜなら、私は長い間「品」というものは、幼少時を物質的にも精神的にも豊かな環境で育ったものにしか身に付かないものだと考えていたからである。物質的に貧しい(つまり下層社会)環境の中から優秀な人物がでることはもちろんある。本人の努力によって成人した後に精神的に優れた世界を身につけ、物質的にも成功したという人はいくらでもいる。しかし、そういう人に、哀しいけれども「品」というものは身に付いていない、と思っていた。それが、福沢の言葉で、少し修正されたのだ。

「品」というものが、上流階級の中で形成され身につけられる<美>であることはまちがいないと思う。しかし、幼少時に身体に染みこんだ「品」とは別に、「心の品」というものもあると福沢は言っているのだ。そしてそれは「言語」によって「上品」にすることが可能だということなのだ。
私は、言語を習得した後に身体に宿るものが「心」であると考えている。従って「心」は自分の「言語」によっていくらでも変わる。それなら、「心の品」というものがあるとして、言語によってそれを「上品」にすることも十分にできるということになる。

福沢の「国民の心を上品にする」という言葉は、「品」というものを固定的にとらえすぎていた私の考え方を修正してくれた。

4月3日(月)  アメリカの歴史教科書(1)

志談塾主のNさんが、半年かけてアメリカの小学校で使われている歴史教科書を訳した。
88枚にわたる上質紙に小さな字で原文と訳文を並べた冊子が配られた。次回の会合で報告があるというので、読み始めた。
知らなかったことだけを羅列してみる。

*、陸橋でつながっていた氷河期にアジアからアラスカを渡ってやってきたアメリカインディアンの祖先は、1万2000年前に氷が溶けて、アメリカ大陸の住民となった。
*、スペインのイザベラ女王とフェルディナンド王は、アジアに行くためにコロンブスに船と船員を与えた。新大陸発見には興味はなく、ただ、肉を新鮮に保つコショウと、味をよくする香辛料がほしかったからである。
*、1942年にコロンブスはアメリカ大陸を発見。アジア(インド)だと思い込んでインディーズと名付けた。インディアンはスペイン人が来るまで馬を見たことがなかった。
*、インディアンは、スペイン人たちと戦ったが、スペイン人がもたらした天然痘によって数百万人も死んでいる。
*、スペインと長く戦っていたイギリスが、アステカとインカから奪ってきた銀と金を運んでいたスペイン船を捕獲しようとし、その時、自分たちも新世界アメリカの宝をほしいと思った。
*、アメリカにおける最初の継続したイギリスコロニー(ジェームズタウン)のリーダーの名前がジョン・スミス。(日本の太郎みたいな名前!)
*、1620年に、メイフラワー号でピルグリム・ファーザーズが到着。
*、アメリカ大陸における最大の食糧はトウモロコシ。
*、1636年、清教徒たちがアメリカで最初の単科大学ハーバードを創立。最初は牧師になるための大学だった。

4月2日(日)   「退屈力」という言葉

斉藤孝が岡田尊司(精神科医)との対談(文芸春秋4月号)で、次のように語っていた。

「岡田さんは『新たな刺激を際限なく求め続けることは、長期的に見れば、心をどんどん鈍磨させ、幸せを感じにくい心を作り出してしまう』と書いておられます。私はこの言葉に感銘を受けて<退屈力>という言葉を考えて『こどもを退屈させることが悪いことと思ってはいけない。むしろ逆である』などと雑誌のコラムに書きました。そんなことを書いたのは、自分がやりたいことを実現していく過程では、必ず退屈な時期があるからです」

これを読んだとき、バートランド・ラッセル「幸福論」の中で、とても感銘を受けた<実りある退屈>という言葉を連想した。そして斉藤氏の言う「自分がやりたいことを実現していく過程では、必ず退屈な時期がある」という言葉に違和感を持った。ラッセルの語った退屈と、どうも違うように思ったのだ。

ラッセルは次のように書いている。

「現代の都市に住む人々が悩んでいる特別な退屈は、彼らが<大地>の生から切り離されていることと密接に結びついている。それは、生活を砂漠の中の旅のように、暑苦しく、ほこりっぽく、のどのかわくものにしている。自分のライフスタイルを選べるくらい富裕な人たちの場合、特に彼らが感じている耐えがたい退屈は、逆説的に聞こえるかもしれないが、退屈への恐れに由来するものである。実りある退屈から逃げることで、もう一つの、もっと悪い種類の退屈のえじきになるわけだ。幸福な生活は、おおむね、静かな生活でなければならない。なぜなら、静けさの雰囲気の中でのみ、真の喜びが息づいていられるかれである」

斉藤孝の言う<退屈力>というのは<退屈に耐える力>であるようだ。彼は<退屈>という状態を基本的に<よくない状態>と考えている。これは岡田尊司氏が語った内容ともずれた感覚である。
自己実現を目指させる教育論者、斉藤孝としては、そう考えるのも無理はないだろう。だが、私は(とても印象的でいい言葉だと思う)<退屈力>という言葉を<退屈に耐える力>などという意味で使ってもらいたくないと思った。ラッセルの<実りある退屈>を生きる力をこそ、<退屈力>という言葉で表すべきではないか。
私はこれから、ラッセルの意味を込めてこの言葉を使おうと思っている。


4月1日(土) 「恋愛小説家」と「再生巨流」

映画「恋愛小説家」は、何といってもジャック・ニコルソンの変人ぶりが見事だった。有名な恋愛小説作家とはとても思えないような(その点、実に不自然な)主人公の恋愛に対するギコチナイ態度が、ニコルソンの名演技によって、不思議なほどリアリティが感じられるのだ。たわいない内容で、ドラマティックな展開もない作品だが、橋本さんが指摘していたニコルソンの名決めぜりふ「(君と会っていると)いい人になりたくなる」が、キラリと光っていた。

楡周平の「再生巨流」は、流通業界の新しい企画を一部長が奮闘して実現させようとする会社小説。内容紹介を、HPから引用しておく。
「舞台は物流業界。奇しくも、郵政民営化が否決されたばかりであるが、本書でも民間の物流業者が郵政民営化の波を敏感に感じながら、新規ビジネスを立ち上げようとする様が克明に描かれている。ヤマト運輸がモデルかなと感じさせるスバル運輸を中心に、文具の宅配業者として急成長を遂げているアスクルを彷彿させるプロンプトをライバル企業に据え、新規ビジネス立ち上げの難しさと面白さを鮮やかに描いている。
 まず、アイデアが秀逸。コピーカウンターにPHSを取り付け、顧客から紙の在庫管理業務をなくしてしまうという取っ掛かりのアイデアに加え、そのワン・アイデアを生かすべく、さまざまなアイデアが波状的に広がっていく。街の電気屋さんを利用した物流スキーム、価格サイトを利用した売込みなど、誰にでも考え付きそうなアイデアなのだが、これらのワン・アイデアが有機的に結びついて、非常に興味深いビジネススキームが築かれてゆく」(引用終わり)
即日配達サービスに対抗して、文具の不足状況を事前に把握して前日ぐらいに届けてしまえないかという発想から、緊急に即日配達を頼まなければならないようなものは「コピー用紙だ」と考えつくところから、主人公の組織との戦いが始まる。人間もよく描かれていて、複雑な流通業界の説明も分かり易い。ハラハラしながら面白く読めた。


3月31日(金) 「水は答えを知っている」
      批判の文章(HPから引用しました。)
        

水は答えを知っている―その結晶にこめられたメッセージ
作者: 江本勝
出版社/メーカー: サンマーク出版
発売日: 2001/11
メディア: 単行本

背景、そして、私はなぜこの本を読んだか
話の発端になるのは、この会社が出した「水からの伝言」という氷の結晶の写真集である。単に氷の結晶の美しい写真を並べた本ならば、とりたてて話題にすることはないのだが、これには、「『ありがとう』という文字をみせた水」と「『ばかやろう』という文字をみせた水」の結晶なるものの写真がのっているのだ。前者は美しい六角形の結晶で、後者は結晶になりそこなった醜いばらばらのかたまり。つまり、水は「よい言葉」に反応して美しい姿を見せるというのである。

これだけなら、ただのおとぎ話だと思えばいいのだろうが*1、おどろくべきことに、これらの結晶の写真が小学校での授業に使われているというのだ(そのような動きに IHM がどこまで関わっているのかは私は知らない)。これについては、天羽優子さん(山形大学の物理学者)によるまとめが詳しいが、簡単にいえば、子供たちに美しい結晶と汚い氷の写真を見せ、それぞれが「ありがとう」と「ばかやろう」を見せた水の結晶だと教える。そして、人体の大部分も水なのだということを強調した上で、単なる水でさえ「ばかやろう」を見るとこうなってしまうのだから、お友達に「ばかやろう」というのはやめよう、「ありがとう」と言おうね --- と道徳のお話にもっていくということのようだ(好意的な実例報告のページ)。残念ながら、いったい何校くらいの小学校でどの程度の規模の授業がおこなわれたのかというデーターはないが、私の知人の息子さんの小学校でも授業があったらしいし、同僚のお子さんの幼稚園では母の会で江本氏の著作が(もちろん好意的に)回覧されたそうだ。ネット上での報告を見ていると数を過大評価してしまう危険があるのだが、このように直接の知り合いから事例が聞けるということは、かなり浸透していることの表れだといっていいと思う。

私はいわゆる「ニセ科学」の類にはどちらかというと寛容な方なのだが、「水からの伝言」が小学校での授業に用いられているということを知って、つよい衝撃を受けた。このような動きは、教育への大きな脅威であり、決して認められないことだと考えている。科学者、教育者として、というより、一人の人間として、そのようなまちがった教育が広がっていくことを食い止めるために、何かをしなくてはならないという思いを抱いている。

3月30日(木) 新学期開始

昨日まで、何と3日間を使って校内人事の企画委員会があった。今年は図書情報部主任になったので、3日間、ほとんど缶詰であった。
やっとこさ、希望と承諾の原則を貫いて、分掌、担任の配置が決まった。

「水は答えを知っている」という<とんでも本>に類するものが、小学校の道徳の授業で活用されているという。HPに、実にしっかりした批判の文章があったので、娘に読ませた。

3月29日(水) 迷惑の感覚

「人に迷惑をかけてはいけない」という教育が正しいことは間違いないが、その教育が「人に迷惑をかけなければ何をしてもいい」という発想を生むことが最大の問題だ。
人間存在を深く考察していけば、人は他者(人だけではない)に迷惑をかけないでは生きていられないものだということが分かってくる。早い話、我々が他の生物を食してしか生きられないということは他の生物に多大な迷惑をかけているということだ。このこと、つまり「人は他に迷惑をかけてしか生きられない」ということをしっかり実感させた上で、「迷惑をかけることはいけない」ということを教えなければならない。これは大変むつかしいことだ。

3月28日(火) 愛すること

幼児期に子どもを愛さなくてはならないということは誰でも言う。しかし、愛することはそう簡単ではない。猫可愛がりは、決して愛しているのではなく、ただ「愛したい」という自分の欲望を満たしているだけだ。愛しているつもりで支配しようとしていたりすることがよくある。
愛しているとは、相手が愛されていると感じること、だと思う。子どもが愛されているという実感を身につけないような「愛し方」は、決して愛していることではない、と考えるのがいい。


3月26日(日)
 プリンターの設置


昨日、友人の橋本さんがパソコンのメンテナンスに来てくれた。
おかげで、パソコン内の整理が少しできて、これから雑記帳の更新を毎日しようという気になった。
しかし、新しく購入したプリンターのスキャナン機能について、うまくいかなくて、娘にやつあたりしたりして、どうも気分の悪い1日になってしまった。
夕方、なんとかスキャナーも扱えるようになったが、HPにまとまった文章を書く余裕はなくなってしまった。
それで、今日は(そしてこれからも)、まとまった文章が書けない時は、記録しておきたい文章をスキャンして(資料として)掲載することですますことにした。

   つかずはなれずの人間関係は生活の智慧(資料)

 昔は親子にもきらんとした距離がありました。躾の行き届いた良識ある家庭では親は子どもを「さん」づけで呼んでいたし、子供も類に対して敬語で喋っていました。試しに昔の日本映を見てごらんなさい。それはけっしてよそよそしいものではなく、じつに穏やかなちのです。だからこそ、今みたいに、嫁にいった娘が実家の母親に頼りきりなんてことなかったし、マザコンの息子か犯罪や問題を起こすこともなかったのです。
 「腹八分目」という言葉があるけれど、そういうわけで私は人とのかかわりあいは、腹八分でもじゆうぷんすぎるくらいだと思っています。できるならば、人のつきあいは、つかずはなれずの腹六分か七分ぐらいにとどめておきたい。それこそが人間関係を円滑に保つうえでの生活の智慧だと思います。
 色の話に戻るならば、紫と並んで好き々色に玉虫色があります。私の舞台の背景や小道具にも玉虫色をたくさん使います。見る人によって、青にでも赤にでも、紫にさえなりうる玉虫色。この、世にも美しい色の持つ心地よい曖昧さ、柔軟さこそが実はロ本人の心の原点なのではないでしょうか。
(美輪明宏「天声美語」)


3月24日(金)   

ワンセグサービスで教育環境は絶望的

土曜夜の「ブロード・キャスター」で、ワンセグサービスのことが特集されていた。携帯電話が普及して以後、教育環境としては絶望的な状況にあると思っていたが、これで最終段階に入ったと感じた。
朝日新聞「声」欄に投稿してみたら、翌日、担当者から電話で連絡があった。2、3学校現場の状況を質問され、24日に掲載すると告げられた。
私が送った文章は以下のものである。新聞では表題が「ケータイ漬け使用の制限を」と変えられていた。

危惧される「ケータイ漬け」

携帯電話でテレビが見られる地上デジタル放送「ワンセグ」が、4月1日から順次全
国で行われる。対応するケータイの発売も始まり、非常に売れているという。
ケータイは今や電話であるばかりでなく、メール通信機でありメモ帳であり、ゲーム
機でありカメラでもある。一台でコミュニケーションに関するあらゆる手段が可能な
ので、連絡と情報収集の面での便利さは計り知れない。しかしその便利さのために、
読書や思考の時間、口頭で対話する機会、異質な他者と交流する姿勢が、少なくなっ
てきているように思う。教育現場で感じることは、人の話を聞こうとせずひたすら
ケータイに見入る若者には、ものごとを深く継続して考えようとせず、自分勝手で、
理性よりも感情で行動する者が多いということだ。
ケータイにテレビ機能が加われば、日本人の「ケータイ漬け」状態はますます加速
し、確実に思考力、忍耐力を低下させていくだろう。教育の観点から、若年層にだけ
はケータイ使用を制限することが必要と思う。


2月17日(金)   

皇帝ユリアヌスの夢(3)

   輝かしい贈り名「背教者」

辻邦生の小説「背教者ユリアヌス」の内容は、ほとんど史実に忠実なものであることが、塩野七生の今回の「ローマ人の物語」で判明した。
しかし「背教者ユリアヌス」は史実に忠実であることに価値があるわけでない。辻邦生がユリアヌスの内面を深く想像し書き込んだところに価値があるのだ。
私は以前、辻邦生が想像したユリアヌスの内面を<秩序構築の夢>と読みとって書いたことがある。しかし、その時の<秩序>は、ローマ皇帝としての<国家の秩序>という次元のみに読みとっていた面があった。おそらく、実際のユリアヌスが現実的に考えていたのはローマ帝国の<国家の秩序>であったことにまちがいないであろうが、ユリアヌス後の大きな世界史の流れからとらえ直した時、塩野七生の語る次の言葉は、もう一段高い次元での<秩序>を考えさせてくれるものであった。塩野七生は私より高い次元でユリアヌスを評価していたのである。

「この古代にあってキリスト教だけが、異なる考えを持つ人々への布教を重要視してきた宗教なのである。・・・宗教が現世をも支配することに反対の声をあげたユリアヌスは、古代ではおそらく唯一人、一神教のもたらす弊害に気付いた人ではなかったか、と思う。・・・彼にだけ、他の人には見えないことも見えた。この意味では、ユリアヌスに投げつけられ、今日でもこの通称でつづいている背教者という蔑称は、実に深い意味のこもった通称とさえ思えてくる。もしかしたら、31歳で死んだこの反逆者に与えられた、最も輝かしい贈り名であるかもしれない。」 (終了)

予告。
<一神教のもたらす弊害>それは現代においてますます深刻な状況を呈している。いうまでもなく、イスラム教の出現によって生じた、キリスト教とイスラム教の対立である。
最も<宗教が現世を支配すること>著しいイスラム教社会について、次から少しずつ、読み知ったことを書き留めていこうと思う。


2月16日(木)   

皇帝ユリアヌスの夢(2)

   専業祭司階級形成の失敗

ユリアヌスが犯した最大の誤りは、ギリシャ・ローマ宗教が劣勢に陥った要因が専業化された祭司階級を持っていないことだと考え、対抗策として、各都市ごとに専業の神祇官を任命し、その下に専業職の祭司をおいたことである。そしてユリアヌスは、プラトンの弟子を自称する哲学者らしく、その特権を与えた専業職の神祇官・司祭に、一般市民とはちがう厳しい日常を要求した。
神祇官・司祭は、劇場へ行くことが禁止され、戦車競争・剣闘士の試合を観戦することも、そういう仕事の人々とつき合うことも禁止された。

塩野七生は「ユリアヌスには、ローマ文明がわかっていたのかと疑ってしまう」として、このことを次のように書いている。

「人間を導くのが神ではなく、人間を助けるのが神々の役割である多神教では、神の教えなるものつまり教理が初めから存在しない。それゆえに、教理を解釈する必要もないから、その解釈を調整し統一し、それを信者に伝える人の存在も必要ではない。ローマには建国の初めから専業の祭司階級が存在しなかったが、それは、多神教徒であるローマ人の精神に忠実であったまでなのだ。そしてこれこそが、ローマ人の文明の神髄なのである。キリスト教に対抗するためとはいえ、専業の祭司階級というローマ伝来の精神に反したことを強行しても、根づくはずはなかったのであった」

そして、ユリアヌスの専業祭司階級の形成案が失敗に終わった具体的で現実的な要因として次の二つをあげる。
第一、ユリアヌスはキリスト教会の聖職者私産非課税処置を廃止すると同時に、ギリシャ・ローマの神々を祭る専業の神祇官・祭司への課税も行った。
第二、神祇官・祭司たちに厳しい日常生活を強いた結果、もともとからして現世的なローマ人は、これでは人間の生活ではないと考えた。

塩野七生はユリアヌスについて、若い頃は「アナクロニズムの代表」のように見ていたという。しかし、この巻を書いている時点ではそのようには見ていないとして、
「もしも彼の治世が19ヶ月ではなくて19年であったとしたら、その後のローマ帝国はどうなっていただろう」と考えるようになったという。

「四世紀のローマ帝国はキリスト教一色ではなかった。・・・キリスト教と異教のどちらに転んでもいいような状態にあったのだ。・・・ユリアヌスはこのような時代に一石を投じたのである。もしも彼の治世が19年であったとしたら、・・・流れを変えるまでになっていたかもしれない。キリスト教徒であることが現世でも利益になるとは、ローマ人も考えなくなったかもしれない。そして宗教は、現世の利益とは無関係の、個々人の魂を救済するためにのみ存在するもの、にもどっていたのではないだろうか。」


2月12日(日)   

皇帝ユリアヌスの夢(1)

   キリスト教勝利の背景

塩野七生「ローマ人の物語14」は<キリストの勝利>と題して、皇帝コンスタンティウスと皇帝ユリアヌス、そして司教アンブロシウスをとりあげている。この巻は、辻邦生の「背教者ユリアヌス」を感動しながら精読した私にとって、待ちに待った巻である。

まず、皇帝コンスタンティヌスがキリスト教を公認した「ミラノ勅令」を確認しておこう。
「・・・それは、キリスト教徒にも他のいかなる宗教を奉ずる人にも、各人が良しとする神を信仰する権利を完全に認めることである。その神が、何であろうと、統治者である皇帝とその臣下である国民に平和と繁栄をもたらすならば、認められるべきなのだ。・・・」
この勅令で注意すべき事は、<他の諸々の宗教同様に>キリスト教も公認された、ということである。決して、他の宗教が排斥されたわけではない、ということだ。

しかし、コンスタンティヌスは、この勅令の実施にあたって、キリスト教側に特権を与えてしまった。それは「経済的」な特権である。
キリスト教がローマ伝来の宗教と違っていた一つの大きな事が「専業の聖職者階級」を持っていることであった。市民の兼業ではなく「専業」なのだから、その経済的基盤を保証してやる必要が出てきた。コンスタンティヌスはそれをおこなったのだ。
教会の活動を支える農耕地、原材料を加工する手工業、製品を売る商店まで、キリスト教会に寄贈された。そして、教会の聖職者たちの公務免除が法制化された。さらに「専業の聖職者」を認めた以上、収入はないはずなのだからということで、聖職者への課税が免除されることになった。
ここまでやって、コンスタンティウスは、息子のコンスタンティヌスにバトンタッチした。
彼は、キリスト教会に限定されていた免税枠をさらに広げた。司教、司祭、助祭あたりに限定されていたものを、教会関係の使用人、教会所有の工場や商店に働く人々まで、徴税者名簿からはずされるに至ったのである。
ローマの人々が雪崩を打ったようにキリスト教に改宗した背景には、こういう経済的な優遇があったのだ。

「背教徒」とキリスト教側から呼ばれることになる次の皇帝ユリアヌスは、「ミラノ勅令」の精神<他の諸々の宗教同様>に戻すべく、具体的に、これらのキリスト教会への「特権」をすべて廃止したのである、
(このローマ時代に始まったと思われる宗教団体に対する免税という「経済的特権」は、現在も宗教法人に対する免税ということで生きている。構造改革において徴税方法こそが最大の要点であるはずだが、この宗教法人税に対する見直しは、話題にならない)


2月10日(金)
   

   3種類のイスラム教徒

中沢新一や井筒俊彦を読んで、イスラムのことを学ぼうとしています。
パレスチナでハマスが政権を取ったようですが、恐ろしい武力闘争集団のイメージが流れているハマスが、腐敗したアッバス政権が見捨てている貧困層に対して地道な支援活動をしていたことも報道されています。
イスラムは本来、キリスト教のように排他的ではなく、他教徒に寛容なことは、ムハンマドがユダヤ教もキリスト教も否定せずに、同じ神を信仰する集団としてイスラムを設立したことからも、以後の商業活動を見ても、明らかだと思います。
どうしてそういうイスラムが、過激な行動に出るようになったのか。
どう考えてもそれはキリスト教徒と、そのもとで発展した西欧文明、経済思想の押しつけに原因があると思います。

現在、パレスチナには3種類のイスラム教徒がいるのではないでしょうか。
素朴に西欧化を拒否し、アッラーを信仰し、コーランの教えにすべて従って生きているイスラム教徒(大多数)。
西欧文明との交流の中で、かなり西欧化し、富を蓄積し権力を掌握して、同時に腐敗も起こしている、アラファト、アッバス政権下の西欧化した権力集団としてのイスラム教徒。
西欧化を純粋、過剰に拒否し、過激になり、ジハードに徹するようになっているイスラム教原理主義者。
境界は不鮮明な面があるけれど。
ハマスはどれに属するのでしょうか。


2月6日(月)
   

   個体意識と「霊魂」

江原敬介という霊能者がもてはやされている。
スピリチュアルカウンセラーとかいう肩書きで(清新なイメージを加え)売り出したタレントである。私の尊敬していた美輪明宏が絶賛して「一心同体」なんて言葉まで使っていた。それを聞いて、彼も個体にとりついている「霊」などというものを信じて、そんなレベルで人間の存在を考察していたのかと、かなり失望した。

私は「魂(たましい)」というものは存在することを確信している。
肉体が消滅してしまえば何もなくなるなどという浅薄な「物質論者」ではない。
地球上の「生命」というものがひとつの大きな「存在」としてあることは、知性というものを持った生命体の一つであるヒトにも、発生の当初は、素朴に、自然に実感されていた。
アニミズムといわれる(私に言わせれば)最も高度な信仰形態が、人類発生当初には、どの民族にもあったのだ。それは<大きな生命>の一部として生きている実感がすべてという幸福な時代であった。

やがて「神」が出現し、それが偶像化され、増殖し、ヒトが神のような存在にまで発展して、文明社会からアニミズムという信仰が失われていった。
それが「魂」の喪失ということである。
大きな生命(自然)との一体感こそが、魂といわれるものなのだ。
そういう魂なるものに、個体や民族や、国家共同体などの「区別」はあるはずがない。地球上に存在する「生命」は一つの大きな「全体」なのであるから、個は「全体」とのみつながっていて、中間などは存在しないものである。

しかし、人類という奇形的な動物は、知能を発達させ<大きな生命>との分離を進めるうちに、まず「部族」、やがて「民族」、さらには「国家共同体の一員」というように、どんどん個の意識を持ち始めるようになった。
「部族」単位で生きていたうちは、個の意識はほとんどない。それは「民族」単位となって芽生え、「国家共同体」が成立して成熟していった。私の考えでは、そうした進化の過程で、アニミズム的な<大きな生命>への所属実感が次第に希薄となり、一方で枠づけされ、区切られて意識されていったのではないかと思う。

「部族」の段階ではまだ<おおきな生命>が他部族と区別されるような枠づけはなかった。しかし「民族」となると、かなり他民族とは違う枠づけがされるようになった(特にユダヤ人は強烈な選民意識のもとにヤハウェの神としてそれを意識した)と思う。
やがて「国家共同体」ともなると、成員はそれぞれかなり強い個の意識を持ち始め、個体としての肉体の単位で、それが所有する<独立した一部分>の<生命>を実感し始める。そこに、個体にとりついた<大きな生命>の一部としての「霊」が成立したのだ。

個体意識が確立するにつれ、「霊魂」という名称で、<大きな生命>が分割されたのである。
そして分割されたそれが、独立した肉体にとりついているモノのように意識されたのである。

<大きな生命>は、仏教では「無我」「空」という言葉で表されるものである。
<大きな生命>の世界を、涅槃ととらえてもよかろう。
キリスト教でもイスラーム教でも、<大きな生命>はヤハウェの神(アッラー)である。
ヒンズー教的な空海の思想では、それは「大日如来」として語られた。

個体にとりつく「霊」などというものはない。
個体は<大きな生命>に所属しているだけだ。
それが実感できない者が、肉体だけの存在だとする物質主義者になったり、とりついている「霊魂」によって生のあり方が変わると信じる狂信者になったりする。

いずれも、近代が生み出した「自我意識」の強すぎる人間が陥る、不自然で歪んだ、根元的な病状と言えると思う。


2月4日(土)   

イスラームから考える「文明」 (7)
     ー中沢新一「緑の資本論」を読むー

   「鏡」として尊重したいイスラーム

「緑の資本論」は、次のような言葉で終わっている。

<イスラームとは、その存在自体が、一つの「経済学批判」なのだ。原理としてのイスラームは、巨大な一冊の生きた「緑の資本論」である。資本主義にとっての「他者」は、この地球上にたしかに実在する。イスラームはわれわれの世界にとって、なくてはならない鏡なのだ>

「イスラームのために」という副題をつけて書かれた「緑の資本論」は、中沢新一のイスラームに対する深い、親和的な想いに貫かれた文章であった。
現在、アメリカを中心とする資本主義、自由主義が、アラブ世界と鋭く対立しているが、その根元的なところに、三位一体を掲げるキリスト教の世界観と、唯一神を厳格に人間と区別するイスラームの世界観の対立があるということを、この本は教えてくれた。それは、利子・利潤を当然のこととし、バーチャルの世界に突き進む資本主義と、それらを拒否するスーク(イスラームの伝統経済の場所)的商業主義の対立となって、具体的な形であらわれている。

強引にイスラエルを作って以後、アラブ世界に資本主義、自由主義を押しつけようとしてきたアメリカが、ほとんど無視してきたことが、このイスラーム世界に生きる人々の心性ではないだろうか。
私自身、資本主義、自由主義にどっぷり浸って生きてきたので、イスラームのことはほとんど知らなかった。アメリカ型資本主義、自由主義、そして民主主義は当然のことと感じてきた。しかし<資本主義にとっての「他者」は、この地球上にたしかに実在する>のだ。そしてそれは、決して「悪」ではない。

イスラームの生き方を<鏡>として、我々の世界を見直す必要がある。
受け入れられないものはもちろんある。男女平等の観念をもたないこと。酒を飲まないこと。豚肉を食べないこと。映画や絵画などの<偶像>をすべて禁止することなどは、とても受け入れられはしない。
しかし人類の「文明化の行き過ぎ」に対して、生の原点のレベルから「待った!」をかけているかのような<純粋性>を、もっと尊重することは必要だ。
アメリカはあまりにも傲慢である。不遜である。
そのアメリカに追随することで繁栄を求めている日本は、明らかに進むべき道を誤っていると言えるだろう。 (終わり)


2月2日(木)   

イスラームから考える「文明」 (6)
     ー中沢新一「緑の資本論」を読むー

   クリスマスとラマダーン

この後、中沢新一「緑の資本論」は、マルクスの「資本論」を引用して、「マルクスの聖霊」という章を書く。
「資本論」を読んでいない私には、そこで展開された精緻な論考を批判する力がない。
私は、中沢が引用によって証明し、導き出した結論
<マルクスが剰余価値の形成を、「三位一体」の構造とパラレルとして、思考しようとしていたことはたしかである>
を信用する。そして、

<資本主義の普遍性と今日言われていることは、キリスト教のおこなった(イスラームの観点からすると)一神教の純正のドグマからの逸脱から発生した経済的現実なのである。
・・・キリスト教は「三位一体」の構造として自らをつくりあげることによって、一神教のドグマに、「父」が「子」に遺伝情報を正確に伝達するメカニズムと、「聖霊」のおこなう愛と意志にみたされた増殖のメカニズムを組み込むことになった。前者は貨幣の本質に、後者は商品と資本の本質につながり、それらがボロメオの輪のように結合して、キリスト教的西欧は、社会の富を商品の集積として生み出す資本主義を発達させたのである>

という記述を、資本主義に対する新しい視点として理解したい。

「緑の資本論」はその後、必然的にバーチャル化していく資本主義の様相を述べ、イスラームをそれと対峙させて、次のように書くのである。

<イスラームの論理は、世界がバーチャル化していくことを許さない。風のそよぎも光の瞬きも、そのままにしてアッラーであり、心に浮かぶとりとめもないイメージも、アッラーの意志のあらわれなのである。イスラームは資本主義を嫌悪し、自分たちの世界にそれが侵入してくることを、重大な悪ととらえるだろう。原理におけるイスラームは、利潤が生み出す豊かな社会を拒否してでも、世界が意味にみたされてあることのほうを、選びたいと考えるのである。その世界はなにからなにまでが直接的で、資本主義の目からすれば、遅れた貧しい社会と映るかも知れないが、人間が意味に生きる生き物であるかぎりにおいては、はるかに豊かな世界であると言えるのではないか>

これに続いて、このキリスト教とイスラームの世界観の違いが、クリスマスとラマダーンを対比することによって描かれる。確かに、クリスマスはあらゆる意味で「増殖」をお祝いする祭りであり、同じ時期のラマダーンは欲望をおさえて断食する行事である。そこには見事なまでに対照的な世界観があらわれている。


1月31日(火)
   

イスラームから考える「文明」 (5)
     ー中沢新一「緑の資本論」を読むー

   「聖霊」と経済行為

資本主義の発達の基底には、無限の欲望を促す貨幣の働きがある。
しかし、イスラーム経済という異質の文明が実在する以上、この「貨幣の働き」という言葉は、以下のように補正しなければならない、と中沢は書く。
 <「神が子を産出する世界」に特有の貨幣論にもとづいた貨幣の働き>
そして、この「特有の貨幣論」を生んだ「三位一体」という思考の中で、もっとも大きな、複雑な問題をもちこんだものとして、「聖霊」というものを指摘する。

「さて、イエスは<霊>に導かれて荒れ野に行かれた。(マタイ四・一)
「さて、イエスは<霊>に満ちて、ヨルダン川からお帰りになった。(ルカ四・一)

このように新約聖書に頻繁に登場する「聖霊」とは、何か。

人の気息を通じて生命活動に出入りしている非物質的な作用。
宗教儀礼や祭礼において人々の上に降りてきて、深い共感や共鳴や一体感や愛の感情の爆発をもたらし、その場をコミュニオンと化す不思議な力。
すぐれた霊的な指導者が説教や洗礼を与えているとき、その人のまわりを包んでいるカリスマ的な力。

中沢はこのような説明をした後で、四世紀ごろに「聖霊」を神と同一とすることに反対した「プネウマトコイ=聖霊に逆らって戦う人々」を紹介する。
彼によると、その人々の反対の根拠は、「聖霊」の働きをシャーマニックな多神教の祭礼で人々の上に降りてくる霊の働きときわめてよく似た霊動的現象を一神教の内部に持ち込むと神の単一性が壊れかねないと怖れたからだという。
そして、「聖霊」の特徴を、
「なにしろ、霊は躍動し、拡大し、伝染していくものである」とするのである。

<父>から、産出によって流出してくるのが<子>である。
それに対して、「聖霊」のあらわれは発出という仕方による。
発出は産出と違って、同じものを伝えない。・・・それは、増えたり減ったりする意志や愛の仕方によって存在している。
産出は、生殖や相続の過程に。発出は、愛や意志の行為にあらわれる。

そしてこの発出する「聖霊」をも、「三位一体」の思考は、神と同一のものとした。
その結果、「聖霊」は、贈与として、賜物として実現することになる。

「贈与を動かしていくのは、他者に対する愛の心である。もっと言えば熱望や欲望なのだが、あらゆる愛とあらゆる欲望が両義的であるように、贈与もまた両義的である。そうなると、贈与も一瞬にして報酬めあての<聖物売買的>行為に堕落していく危険性を、つねに抱えているのではないか。不確定で、だがそれゆえに豊かな増殖性をひめた<聖霊>は、不当な利潤をもとめていく経済行為に瞬時にしてすりかわっていく可能性を、抱えていないだろうか」


1月30日(月)   

イスラームから考える「文明」 (4)
     ー中沢新一「緑の資本論」を読むー

   「三位一体」と貨幣

ローマ皇帝コンスタンティヌス帝が、衰退しているローマ帝国の統治を維持していくために採用したアタナシウス派の「三位一体」は、唯一の神(ヤハウェ)の内部に、父と子と聖霊の三位を、純粋な<関係性>のみで(量的な概念はなく)一体として認めている。
(現在、カトリックもプロテスタントも「三位一体」を認め、キリスト教内部では、ただ一派「エホバの証人」のみがこれを認めていない。私は「エホバの証人」の人とよく話をするのだが、彼らは非常に純粋な原理主義者で、いろいろな点でイスラム教との類似を感じている)
ユダヤ教もイスラム教も、もちろん認めない。
イスラームがキリスト教を批判する最大の論点がこの「三位一体」である。

キリスト教正統派の考え方は複雑だ。
要約するのが困難なので、中沢新一の説明をそのまま引用する。
「(正統派の考えでは)神と子は<本質の一致>の関係にあるというのだ。神にある本質はすべてキリストにもある。しかし神とキリストは同一ではなく、厳然とした違いが維持されている。<父>は自分の遺伝子を完全に伝えるようにして<子>を産出する。遺伝子情報は完全に同質だが、<子>は<父>によって産出されるものとして、両者が同じものとなってしまうことはありえない。神は<父>としてたとえ<子>をなしても、その本質は単一性を保っている。しかしこの単一性によって一つに統一されている」

この思考が、実は「とてつもないこと」を発生させたと、中沢は言うのだ。

「・・・神は実無限である。キリストは地上にあってこの神と同質である。ということは、人間の知性がとらえる現実の世界のうちに無限がある、あるいは、有限の世界に無限が繰り込まれているという事態がおこることになる。イスラームではこういうことは絶対におきない。実無限である神の領域と、人間の領域との間には厳然たる深淵が横たわっているからだ。ところがイエスに神性を認めるキリスト教徒にあっては、現実世界に実無限が繰り込まれているというとてつもないことが発生する」

そして、このことが、貨幣の構造と「鏡に映った反転像のように」よく似ているという。

「(アリストテレスが語っているように)貨幣はすべてを均質化することによって、無限の概念を経済に導入する。さまざまな商品の質的差異は、貨幣という均質な流動性の中に流し込まれて、消失していくが、そのかわりに数え上げることのできる量に変化したおかげで、いつまでも数え上げることのできる数、つまり数学的無限に向かって、貨幣の増大をおこなっていこうという欲望が発生する。・・・貨幣は現実の中に無限を引き込む働きをする。もちろんこれは数学的無限として神の実無限とは区別されなければならないが、この両者(数学的無限と実無限)の間にはよく見れば飛び越えることのできない深淵があるのに、うっかりすると同じに見えるのである。そして、人間はほとんどの場合、ついうっかりとこの両者を混同する。・・・・そこでは、資本主義の驚異的な拡大と精神分裂病的文明とが、あやしいつながりを保ちながら発達をとげてきた。「子を産出する神」、貨幣、無限の数学、資本主義、精神分裂的文明。これらの間には明らかに通底するものがある」


1月29日(日)   

イスラームから考える「文明」 (3)
     ー中沢新一「緑の資本論」を読むー

   13世紀キリスト教の変質

ムハンマドは商人の出身であったので、貨幣の魔力を知り抜いていた。
そこでその魔力をくい止める方法として「利子の禁止」を打ち出した。

「イスラームは、いかなる妥協も許さず利子を厳禁している。これは配分の場における危険な利潤とそれによってもたらされる悪しき結果、経済一般の均衡の混乱を除去する。そして貨幣からもっぱら富を増大させる手段としての役割を剥奪し、貨幣本来の役割、すなわち物に対する一般的代用性と、物の価値算定の基準となり、その流通を円滑化する役割を回復させるのである」(イスラーム経済論)

イスラームは「無利子銀行」などを作ってこのことを厳格にまもった。
ユダヤ教は、この規定を同じユダヤ民族にだけは適用して、異教徒、異民族からはむしろ積極的に取り立てることを推奨した(なるほど、それでベニスの商人が出てきたのだ)。
では、キリスト教徒は?
初期において、教会はもちろん利子を否定し、高利貸しを憎んでいた。
しかし、13世紀、トマス・アクナスの時代あたりから、キリスト教の教義自体の中に、徐々に<利子を生み出す資本主義>を容認し始める傾向が現れた、と中沢は書く。
スコラ経済学者たちの論調は、利子一般を否定するのではなく利子の範囲についての公正さを考えるものに変化する。
と同時に、この時代に煉獄の概念が作られたことも大きかったようだ(ル・ゴッフの説)。
天国と地獄の中間に、生前の罪を浄化して天国へいく資格を得る煉獄と呼ばれる緩衝地帯が設定されたことにより、高利貸したちの罪悪感が軽減されることになる。
「公正の理論」と「煉獄の思想」が、一神教の世界に決定的な変化を生み出したのである。

「キリスト教世界では、生産力の増大と商業活動の活発化が本格化し始める13世紀以降、利子・利潤の獲得に対する抑制を、教会が急速に弱め始め、そこから本格的な資本主義の形成への道が開かれたのである」

ここまでは、従来説かれていたことらしい。
しかしこの後中沢は、異端的な宗教学者らしく、キリスト教神学と経済学とを結ぶもっと本質的な「見失われた環」を見いだそうとし始める。
それが、何と、一神教世界においてキリスト教のみが採用した「三位一体」の構造に関係すると言うのだ。


1月28日(土)
   

イスラームから考える「文明」 (2)
     ー中沢新一「緑の資本論」を読むー

   増殖する貨幣の害


モーセがシナイ山からなかなか戻らないとき、ユダヤの民は不安にかられ、黄金の子牛像を作り出した。そのエピソードから、中沢新一はケインズの『雇用・利子および貨幣の一般理論』を想起する。

「ケインズは未来への確実な保証を与えてくれる<モーセ的存在>がいなくなってしまったときには、さまざまな価値物を流動体に戻して貯めておこうとするものだが、その流動体の中から利子(増殖分)をそなえたより大きな価値の出現が期待できれば、もっと不安は解消されていくだろうというのだ」

虐殺のエピソードにこめられているのは、ユダヤ教発生の時点における偶像崇拝と(貨幣経済にまつわる)利潤の否定ということであった。「偶像の神々は想像界によって育まれ、魔術的思考を温床として、いずれはそこに増殖する貨幣をめぐる資本主義の思考を成長させていくだろう」と中沢は書く。

「原理における一神教では・・・<記号>は象徴界と現実界の直接的なちょうつがいであるわけだから、現実から遊離して勝手に<記号>が自己増殖したり、あるいは現実の美しさを嫉妬してわざと自己萎縮したりすることは許されないことであるし、また快感原則に支配されやすい想像界の介入によって、象徴界のロゴスの働きが歪められたり、疎外されたりすることも許されない。・・・このように思考する一神教は、想像界の働きに対しては、おおむね警戒的である」

貨幣とは、一神教的に理解された<記号>でなければならない。それは、象徴界と現実界を直接性において結ぶちょうつがいでなければならないから、たえず現物との対応関係が失われないように注意されていなければならない。
貨幣は端的に言って、物の代用でなければならない・・・もし、そのようなちょうつがいの働きを逸脱した場合、どのような事態が生ずるか。
ウハンマド・バーキル・サドル(イスラム圏最高の知性の一人)は「イスラーム経済論」の中で、次のように書く。これはまさに、ホリエモン逮捕という形で顕在化した現代日本の、狂っているとしか言いようのないマネー・ゲーム資本主義構造にそのままあてはまるようだ。

「この後に認められるのはただ、経済的強者のみが貨幣の提供するこの機会をわがものとし、全力をつくして蓄財のための販売に走り、社会の内部に流通する貨幣を自分の宝倉にためこむために、生産、販売を継続する。彼らは徐々に流通する貨幣を吸収し、生産と消費の媒介としての交換のもつ役割を麻痺させる。そして多くの大衆を悲惨と貧困の渕に転落させてしまうのである。その結果生産活動が麻痺すると同時に、人々の経済的水準の低下と購買力の欠如が原因で、消費も停滞する。消費者の購買能力の欠如、低下は生産から利潤を奪い、停滞を経済生活の全部門に行きわたらせるのである。」


1月26日(木)   

イスラームから考える「文明」 (1)
     ー中沢新一「緑の資本論」を読むー

   モーセの予見

「一神教は自己増殖をおこなうものに対して、つねづね警戒をおこたらない。・・・このことは特にユダヤ教とイスラームで著しい。彼らは言葉であろうが、イメージであろうが、貨幣に関することであろうが、そこに自己増殖の能力が発揮される現象のおこるとき、神経を張りつめてそれを警戒するのである」

中沢新一「緑の資本論」は、このような書き出しで、実に刺激的に、それでいて現代資本主義世界の問題を本質的なところから解明しようとしている。ずっと関心を持っていたイスラームというとてつもなく異質な「文明」の一端を理解し、そこから資本主義の問題を照射するために、この本は大いに役だった。

 中沢は、まず唯一神への信仰が発達するさいに、彼ら(ユダヤ教徒)の社会が農耕民の世界に囲まれていたことから「自己増殖するものへの警戒心」を育てたと書く。
 農耕民の神々は「魔術性」を第一の特徴としていた。魔術とは一言で言うと(無から有を生み)増殖させていく技術である。農耕民はこの魔術的思考のもとに生活していた。
 そこにモーセが唯一絶対の神ヤハウェを持ち込んだ。
 その時モーセが行った三千人虐殺のエピソードは、後の資本主義を予見する象徴的なものであった。神の言葉を刻んだ石板を抱えてシナイ山を降りてきたモーセは、ユダヤの民が黄金でつくった子牛の像のための祭を行っているのを見る。黄金の子牛像は、ユダヤの民が身につけていた金をはずして火に投じると出てきたものだという。それを聞いたモーセは、ここまでつき従ってきた民を、ヤハウェにつく者とそうでない者に二分し、そうでない者三千人を虐殺した。

 このエピソードの中に、中沢は二つの重要な問題を読みとる。
 一つは、映像論的な問題。モーセはイメージとしての神を否定する(偶像崇拝の否定)。黄金の子牛像を崇めるユダヤの民たちは「生成変化をとげ、自己増殖していく強度の(身につけた金が子牛像になる)放つ物質性の魅惑にひかれ、それを像や映像にしてみつめたり、愛したり、あこがれたり、あがめたりしているだけで、不安を解消できる」と、モーセは嘆いたのだ。
二つ目は、貨幣論的な本質にかかわる問題。
 「ここには(モーセの伝承に仮託して自分の抱く一神教的思想を表現しようとした聖書作家たちによって)、予期できない不確定な未来を前にした民が、所持する富を流動体に溶かし込み、子牛の像として増殖した価値を目の前にして、不安をうち消そうとしている様子が、意識的に描かれている。耳輪から金属の流動体へ、さらにそこから出現する価値の利潤としての子牛の像へ。モーセは人々の宗教行為の中に潜んでいる<貨幣論>的な臭いに敏感に反応し、これを拒絶している」     (続く)


1月25日(水)
   無魂洋才

魂を霊と同一視して(霊なんてものは存在しないが、よく霊魂などという)、個体専有の心と同じような何らかのモノのようにとらえる傾向があるが、私は魂というのはそういうものだと思わない。

個体専有のものは<心>(漢語では精神)だけである。
魂は、大きく存在する生命体に属している個という実感が、心に反映したものと言ってよい。したがって、魂という言葉を、大和魂とか、カーボーイ魂とか、あるいは刀を武士の魂と呼ぶというように、民族とか国家とか地域とか階級的身分意識とかに用いるべきではない。そういう限定された使われ方は、個体としての自己が確立していない人間が、所属する共同体や所有するモノに頼ってアイデンティティを求めようとするもの、あるいは、支配者が集団をまとめるために利用しようとしたものである。
本来の魂は、もっと大きな、地球上生命の一員であるという実感から宿るものだ。

明治初期によく使われた「和魂洋才」という言葉があるが、魂は本来、和も洋も含みこんだ大きな生命の一部ということなのだから、和魂などというものはないのである。そもそも和魂などというナショナリズムの言葉など、自然のままに魂を持って生きていた日本人には必要もなかった。文明である仏教が伝来して「神道」が意識され始めたのと同じように、西洋技術が乱入してきて、「和魂」とか「大和魂」が意識され始めたのだ。

近代西洋化の激流のなかでも<本来の魂>は維持し続けていたと思われる明治・大正期の日本人も、昭和になると徐々にナショナリズムに毒され、戦後はまさに「魂を抜かれた」ように物質文明化の氾濫に身を任せるようになった。
「和魂洋才」などということはもともとなかったが、現在はまさに「無魂洋才」とでもいえるような世の中になりつつあるように思う。


1月24日(火)
   

人の心は金で買えるが
人の魂は金で買えない

ホリエモンが逮捕された。
彼が言っていた「人の心も金で買える」という言葉が、この時とばかり取りあげられ非難されているが、この言葉はごく当たり前のことを言っているにすぎない。

養老孟司が<心は脳の機能>と言っていたが、私はもう少し具体的に<心は言語を習得して後に個体に宿る脳の機能>ととらえている。
したがって心は、修得される言語によっても違ってくるし、脳の欲望を満たせる最大のモノである<金>によっても変化する。

変化しないもの、金で買えないものは<魂>である。
魂は脳の機能ではなく、個体の実感といえるようなものだと思う。
親から子へとつながっている大きな生命の流れの一現象が個体(我)であり、それは大きな生命の中に<関係>として存在している。そのことを個体が<実感>としてとらえた時が「悟り」であり、魂の宿った瞬間といえるのだ。

これは、金でどうこうできるようなものではない。
そして、魂が宿っている人の<心>は不動となる。「不動心」とは、魂の宿った心のことを言うのだ。

心と魂を同一視するような浅はかな見方があるそうだ。
柳田邦男氏の「今こそ魂というものを見直さないと、本当の意味での人間の豊かさというものが再建できないんじゃないか」という言葉を重く受け止めたい。
今、この魂の次元から、夏目漱石の「こころ」(今授業でやっている)をとらえ直している。


1月21日(土)
   

「風雲児たち」幕末編第8巻

みなもと太郎「風雲児たち」幕末編の第8巻が出た。
村田蔵六とおイネのエピソードが続き、江川太郎左衛門が死に、吉田松陰が萩の野山獄で囚人たちと学習を始め、福沢諭吉が登場する。

特に、松蔭の始めた「野山獄学校」のくだりは感動する。
10歳で藩主の前で軍学講義をした天才、吉田寅次郎(松蔭)の名前は獄中にも知れ渡っていた。
自分は自由の身になれば、敵状視察のために何度でも米国密航を企てよう・・・しかしここではみんなで学問をし合おうではないか。人と人との出会いほど尊いものはない。私には知らないことがたくさんある。みなさんは一人残らず私の師匠だ・・・
そう言って、囚人それぞれが平等に教師となって得意分野を教え合う獄中の「学校」を始めたのだ。ある者は書道を、ある者は俳句を、ある者は薬草の知識を、そしてある遊芸をたしなむ女(紅一点の女囚、高須久子)は地方の珍しい話しなどを、順番に講義し始めるのだ。皮切りに松蔭が論語を講義する。
その日から野山獄は一変し、囚人たちの顔は明るくなる。
牢獄という最悪の環境の中で、夢も希望もなくしていた囚人たちを立ち直らせていく。
それは、松蔭の姿勢によるところが大きかったようだ。
中心となる松蔭が最も真剣に学び、囚人たちそれぞれを尊敬したのだ。
囚人たちに一切の分け隔てなく接し、教師を平等に毎日回り持ちにし、話のあと必ず相手を誉めたたえる・・・そのようなやり方によって、囚人たちは個性を発揮しだし、自信を持ち始めた。
牢内は一変し、囚人たちの変わり様に牢役人は筆、書物などの差し入れも許し、ついに生徒となって共に学ぶようになっていく。


1月15日(日)   

「心の教育」と「魂の教育」

今の職場には一人「魂」の話ができる人がいる。その人に、私の教育論の原点となる「魂の教育論」を読んでもらったら、とても誉めてもらえた。
昔の自分の文章を読み返していたら、柳田邦男と河合隼雄の対談の一部を引用した箇所があった。魂という言葉が正当に使われる時代になってきていることをあらためて感じたので、引用しておく。

柳田「・・・私、このごろ<たましい>という言葉にものすごく魅力を感じているんです。我々は戦後の科学主義とか物質的豊かさが進んでくる中で<たましい>というものを忘れていた。戦前、精神主義がイデオロギー的に日本の国を支配して、そして精神というもののうさんくささにあまりにも警戒心が強くなったために、戦後は科学主義がのさばって<たましい>とか心というものを怪しげな目で見るようになってしまった。だけど、今こそ<たましい>というものを見直さないと、ほんとうの意味での人間の豊かさというものが再建できないんじゃないかということをこのごろ痛切に思っていましてね」
河合「<たましい>というのは危険な言葉ですから、私はだいぶ長いあいだ言わずに黙っていたんです。たとえば、心理学会で<たましい>なんて言うと除名ですよね(笑)。しかし、だんだんそういうことを言えるようになってきました。脳は死んでも<たましい>はあるというようなことが徐々に理解されてきて、そういうものがあるんだったら、その根本に名前をつけていいじゃないかという格好で言ってきたんです。・・・・ただ怖いのは、<たましい>の話を現実の戦争に勝つか負けるかとか、金が儲かるか儲からないかという次元にもっていく人がいることです。・・・大和魂で戦争に勝つとか、ものすごくばかげたことをやるわけです。」 (引用終わり)

私の「魂の教育論」は、ある同人誌に出したものだが、その時、近代主義者である同人に何となくうさんくさそうな目で見られたことを思い出す。その文章は、「三つ子の魂百まで」という言葉の引用から書き始め、「個々の生命体は個体として出現するが、それは大きな有機体(生命体)の一つの現象であって、生命の流れ自体は、親から子へとつながっている。・・・その流れの実感をもとにして、個々の存在を表現しようとした時に使われた用語が<魂>に他ならなかった」と魂をとらえたものであった。

最近、「心の教育」と「魂の教育」の違いを考えて、次のような表現を手に入れた。これは、「心の教育」と同時に「魂の教育」の重要性を理解してもらえる、なかなか具体的ないい表現ではないかと自賛している。

「心の教育」は、人に迷惑をかけてはいけない、ということを教える教育。
「魂の教育」は、人間とは人に迷惑をかけないで生きていくことはできないような存在なのだ、ということを教える教育。

三歳までに「魂の教育」がなされて始めて、その後の「心の教育」が生きてくるように思う。


1月14日(土)
  

「女王の教室」の教訓せりふ  (6)ラスト

(教育委員の指示で、マヤは担任をはずされ、学校に来なくなる。生徒たちはマヤを呼び戻すために、わざと危ない行為をする。救いに現れたマヤはケガをする。生徒たちはマヤにあやまり、学校にいてほしいと、自分たちの不安を告げる)

「いい加減、目覚めなさい。
人生に不安があるのは当たり前です。大事なのは、そのせいで自信を失ったり、根も葉もないうわさに乗ったり、人を傷つけたりしないことです。例えば、人間は死んだらどうなるかなんて誰にも分からない。言うとおりにすれば天国にいけるとか、逆らえば地獄に堕ちるとか言う人がいますが、あんなものはデタラメです。誰も行ったことがないのにどうしてわかるんですか?分からないものを分かったような顔をして無理に納得する必要なんてないんです。それより、今をもっと見つめなさい。
イメージできる?
私たちの周りには、美しいものがいっぱい溢れているの。夜空には無数の星が輝いているし、すぐそばには小さな蝶が懸命に飛んでいるかもしれない。町に出れば、初めて耳にするような音楽が流れていたり、素敵な人に出会えるかもしれない。普段何気なく見ている景色の中には、時の移り変わりで、ハッと驚くようなことがいっぱいあるんです。そういう大切なものを、しっかり目を開いて見なさい、耳をすまして聴きなさい、全身で感じなさい。それが、生きているということです・・・・今はまだ、具体的な目標がないのなら、とにかく勉強しなさい、12歳の今しかできないことを一生懸命やりなさい。そして、中学に行きなさい・・・・中学に行っても、高校に行っても、今しかできないことはいっぱいあるんです。それをちゃんとやらずに、将来のことばかり気にするのはやめなさい。そんなことばかりしていると、いつまでたっても、何にも気づいたりしません」


1月13日(金)  

「女王の教室」の教訓せりふ  (5)

「その子は、頭もよくて運動もできて、身体も大きかったから、クラス中に恐れられていたの。事実その子のターゲットになった子は次々にいじめられて、自殺未遂する子までいた。でもその子は反省もせず、こう言ったの。『なぜ、人を殺してはいけないんですか?』って。そう質問すれば、大人がちゃんと答えられないと知っていたのね、彼は。だから私は、彼に教えたの。他人の痛みを知れと、みんな自分と同じ生身の人間なんだと、どんな人にも、あなたの知らない素晴らしい人生があるんだと。
一人一人の人間が持つ家族や、愛や、夢や、希望や、思い出や、友情を奪う権利は誰にもありません。残される遺族に、苦しみや、痛みや、悲しみを与える権利も、誰にもありません。だから、人を殺しちゃいけないんです。あなた達も、過ちを犯すかもしれないから、肝に銘じておくことね。犯罪を犯した人間は、必ず捕まります。逃げることが出来ても、一生その呵責に苦しみます。周囲の人間からは、見放されます。死ぬまで孤独です。もういいことは一つもありません。二度と幸せにはなれません・・・」

1月12日(木)
  

「女王の教室」の教訓せりふ  (4)
「いい加減、目覚めなさい。まだそんなことも分からないの?
勉強は、しなきゃいけないものではありません。したいと思うものです。
これからあなたたちは、知らないものや理解できないものにたくさん出会います。美しいなとか、楽しいなとか、不思議だなと思うものにもたくさん出会います。その時、もっともっとそのことを知りたい、勉強したいと自然と思うから人間なんです。好奇心や探求心のない人間は、人間じゃありません。猿以下です。自分たちの生きているこの世界のことを知ろうとしなくて、何ができると言うんですか。いくら勉強したって、生きている限り、分からないことはいっぱいあります。世の中には、何でも知ったような顔をした大人がいっぱいいますが、あんなものは嘘っぱちです。好奇心を失った瞬間、人間は死んだも同然です。勉強は、受験のためにするのではありません。立派な大人になるためにするのです」
「先生はなんでそんなに私たちに厳しいんですか。何で私たちをいじめるようなことばかりするんですか?」
「イメージできる?私があなたたちにした以上のことは、世の中にいくらでもあるの。人間が生きている限り、いじめは永遠に存在するの。なぜなら、人間は弱い者をいじめるのに喜びを見いだす動物だからです。悪い者や強い者に立ち向かう人間なんてドラマやマンガの中だけの話であって、現実にはほとんどいないの。大事なのは将来自分たちがそういういじめにあったときに、耐える力や、解決する方法を身につけることなんです。この中にはもうその方法を知っている人がいるかもしれないわね、もしかしたら・・・」
「どんなときも味方でいてくれる友達をみつけることですか」
「そういう考え方もあるわね」
「先生!先生は、どうしてこの学校に来る前に、教職員再教育センターなんかにいたんですか。なんか、前の学校で受け持った生徒をボコボコにしたって、聞いたんですけれど・・・」
「本当よ」
「なぜ、そんなことしたんですか?」
「その子が私にこう言ったからよ。なぜ、人を殺してはいけないんですかって・・・」


1月11日(水)  

「女王の教室」の教訓せりふ  (3)

(すべてをテストの成績で決めていくマヤのクラス運営に反抗する生徒たちに、マヤは「勉強」についての質問を始める。)
「・・・要するにあなたたちは、勉強したくないだけなのよ」
「私たちは別にそんなこと言っていません。テストの成績だけで何でも決めるのはおかしいと言っているだけで・・・」
「それでは聞くけど、あなたたちは一体何のために勉強しているの?」
「将来、いい大学に入りたいし」
「いい大学に入って、どうするの?」
「・・・それは、だから、いい会社に入って・・・」
「いい会社に入って、どうするの?」
「一生懸命、働きます」
「一生懸命働いて、どうするの?社長にでもなるつもり?」
「・・別に、そんなことは・・・」
「じゃ、そこそこ出世して、定年になったらたくさん退職金をもらって、豊かな老後でも過ごす?そんな甘い考えでいいのかしら。いやな上司がいて、いじめられたらどうするの?会社にリストラされたらどうするの?そもそも、あなたたちの考えるいい会社って、一体どんな会社?今は、どんなに有名な会社だって、裏でどんなに汚いことをやっているか分からないんだし、いつつぶれてもおかしくない時代なのよ。そんなことになったらどうするの?自殺でもするつもり?」
「私は、別にいい会社に入ることだけが幸せになることではないと思います。○○さんみたいに漫画家になるとか、○○くんみたいにJリーガーめざすとか・・・」
「まだそんな甘っちょろいことを言っているのね。漫画家になっても売れなかったらどうするの?アシスタントになって、一生安いギャラでこき使われるの?サッカー選手だって、プロになれるのはほんの一握りだし、ケガをしたらお終いじゃない。その後の人生のことは考えているのかしら、ちゃんと」
「そんなことばっかり言っていたら何にもできないんじゃないんですか?・・・やっぱ人生は楽しまなきゃあ・・・」
「しょせんあなたたちにできるのはその程度のことよね。将来のことを考えると不安だし、自分では何も決められないから、今よければいいじゃないと、開き直るしかないのよね」

(その後、生徒たちは反撃を計画する。教育委員がマヤの授業視察に来たとき、生徒たちはかつて自分たちがされた同じ質問を、わざとマヤにぶつける。)
「先生、一体勉強は何のためにするのですか?」
「いい加減、目覚めなさい。まだそんなことも分からないの?・・・(以下、次回)」


1月10日(火)
  

「女王の教室」の教訓せりふ  (2)

(進路を決める三者懇談で、母親が私立中学を受験するように勧めるのに対して反抗し、公立でいいと自分の意志を告げる生徒に対して)

「○○さん、お母様の言うとおりにしなさい」
「どうしてですか?」
「決まっているでしょう。あなたがまだ未成年だからよ。忘れないでね。あなたが普段使っている電話代だって、電気代だって、食費だって学費だって、ただじゃないの。あなたはご両親に養われているのよ。いろいろなことから守ってもらっているの。もしあなたがご両親の考えを押し切って、自分のやりたいことをやる気なら、家を出て自立するか、ご両親を説得して自分の考えを理解してもらうしかないの。両方ともできないでしょう?今のあなたには・・・あなたはまだ、お母様にえらそうなことを言う資格なんてないのよ」

(そして次の日の教室。マヤの指導に反抗し、三者懇談で親の言うとおりにはならないようにしようと申し合わせていたクラスの生徒たちに対して)
「残念だったわねえ、みんな。親御さんたちは、あなたたちの指導について、すべて私にまかせてくれたわよ。・・・いい加減に、目覚めなさい。あなたたちの夢や希望を理解して好きなようにさせてくれる親なんて、この世にいないんだから。親なんてしょせん、いつまでも子どもを自分のいいなりにさせたいだけなの。そのためにオモチャを買い与えたり、きれいな衣装を着せたりして、あなたたちのご機嫌をとっているだけ。それが、あなたたちの成長を一番妨げているとも知らずにね。・・・ま、しょうがないわね。人生の中で子育てほど楽しいことはないんだから。できれば、いつまでも手がかかっていてほしいの、いつまでも甘えていてほしいの、あなたたちに。よく言うでしょ、できの悪い子ほどかわいいって。親がそんなていたらくだから、20や30にもなって、親離れもせず仕事もしない、フリーターとかニートとかいうやからが現れるの。この中にもたくさんいるんじゃない、将来そんなふうになる人が・・・」


1月9日(月)
  

「女王の教室」の教訓せりふ  (1)

高視聴率を取り、賛否両論がネットで飛び交い、年末には全作品を一挙に再放映するほど評判になった昨年の連続ドラマ「女王の教室」の決めぜりふは「いい加減、目覚めなさい」と「イメージできる?」である。
このせりふで始まる主人公の鬼教師マヤの<教訓>の要諦は、次の2カ所に集約されているように思う。

(窃盗の犯人にされてクラスから孤立し、泣きながらマヤに抗議する生徒に対して)
「いい加減、目覚めなさい。悔しかったら、自分の力で何とかするのね。誰にも頼らず、自分だけの力で」

(窃盗の真犯人であることをネタにしてマヤからクラスの動きをスパイすることを強要された生徒が、マヤに抗議した時)
「・・・じゃあ何で断らなかったの。12歳の子どもだって、自分の意志で断ることは出来たはずよ。自分の罪を認めて、みんなに謝ることもね。全くあなた達は、何か気にくわないことがあると、親が悪い、教師が悪い、友達が悪いと、人のせいにして・・・いい加減目覚めなさい。そんなことばかりしていると、自分では何も考えられない思考停止人間になるだけよ。イメージできる?何かつらいことがあったとき、あなた達に出来ることは目をつぶることぐらいじゃない。でも目を閉じても、問題は消えてなくならないわよ。目を開けたとき、自体はもっと悪くなっているだけ。普段は個人の自由だなんていって権利を主張するくせに、いざとなったら人権侵害だと大人に守ってもらおうとして。要するにいつまでたっても子どもでいたいだけなのよ。悔しかったら、自分の人生ぐらい、自分で責任もちなさい」

ドラマは、この「いい加減、目覚めなさい」「イメージできる?」に始まる<教訓>を言わせるために、極端な状況を設定した、実に面白いものであった。そこに描かれているのは、「金八先生」に対抗するような<壁になる教師像>と言ってもいい。私はこのドラマの背景に、昨年流行した「自己責任」の観念が、歪んだ形も含んでうまく過剰に利用されていることを感じて、危険な面も見ているが(12月27日の雑記帳に書いた)、過剰性はドラマの要素でもあるわけだからそれはそれとして、語られる教訓せりふのまっとうさ、素晴らしさには、正直、感心した。
そこで、これから数回、感心したマヤの<教訓せりふ>を記録しておこうと思う。


1月8日(日)  

人類が他の動物より優れている唯一の点

私は深沢七郎や岸田秀やホイットマンの影響で、人類という動物を一般の動物よりも優秀な動物だとは少しも思っていなくて、むしろ異常な動物のように感じている(これ、冗談ではない)。なぜ異常かというと、人類という動物は知能の発達により<幻想性>にとらわれて、その結果<自然>と乖離した存在になってしまっているからである。

文化の発生ということは、<自然>な状態と乖離していくことでもある(自然な土地を耕すことがカルチャーの語源)。従って人類が文化を持つということは、<自然>の一部分であるにもかかわらず、愚かにも<自然>と同化して生きられなくなったということなのだ。そういう見方をすると、<自然>のままで生存している一般の動物のほうが、正常であり、見方によれば<優秀>といえるのである。

だから、人類の<幻想性>が、科学を生み、芸術を育てたことが人類の<優秀さ>ではない。それは、人類という動物の、他の動物と異なる単なる<特徴>にすぎない。それは、本能の範囲におさまるべき<欲望>を本能の範囲以上に肥大させたものともいえ、他の生物の生命を不必要に奪い取る働きをすることにもなった<特徴>としての能力なのだ。
そんな能力が<優秀>であるとはとても思えない。

しかし最近は人類という動物を一部<見直す>ようになった(偉そうな書き方!テメエは何様だと言われそう・・・)。
人類の持つ<幻想性>が欲望を肥大化させ、本能以上の<所有>を求めるという異常な面を有する反面、学習と訓練次第では<自主的に欲望の制御ができる>という面があるということに気づいたからである。
考えてみれば一般の動物は、自己の本能的な欲望を、やむを得ない外的な条件によってしか制御出来ない。しかし人類という<異常な>動物だけは、学習と訓練によって、自分の意志で生物の本能ともいえる欲望を制御できるようになる<可能性>を有しているのだ。
この<自主的に欲望の制御ができる>という一点でのみ、一般の動物よりも優れた面をもつ動物だと思うようになったのだ。

現実に、そういうことが出来た人もいた。
釈迦がそうだったろう。イエス、ソクラテス、孔子なども、そういう面で、人類の到達できる<可能性>の最高レベルに達した人と言えるのではないか。

人類が他の動物よりも<優秀>であると言うのは、唯一、そういう<可能性>を持った動物だからではないだろうか。


1月6日(金)  3日間の初詣旅行

3.3切符(名鉄・近鉄・南海電車が3日間乗り放題で一人5000円という超お得な切符)を使って、3日間の家族旅行をした。
今回は、大阪にいる84歳の母親も誘って、大阪の阿波座というところにあるホテル・ルートインに4人(私・妻・娘・母)で泊まった。大阪の帝塚山に実家があるのだが、冬に3人泊まるのは布団が大変だし、時にはホテル宿泊も面白いということで、安いルートインを予約したのだ。
1日目、特急券を別に買って、近鉄アーバンライナーで大阪へ。
12時ごろに着き、実家の近くにある住吉神社へ初詣(この神社は大好きで、小さい頃から何度も行ったが、今回あらためて社殿の美しさに見とれた)。母を連れて、難波で夕食後、地下鉄で阿波座へ行き、ホテルに宿泊。
ルートインはトリプルの部屋が15000円(一人5000円)、シングル(母が一人部屋を希望したので)が6300円である。ラジウム温泉の大浴場があり、バイキングの朝食がついている。こぎれいなホテルで、絶対お値打ち。
2日目は、母と別れて、奈良へ。
興福寺の仏像を見学(有名な阿修羅像の素晴らしさに感動し、800円の写真を購入してしまった。これから毎日部屋に飾って見つめようと思っている)。その後、東大寺へ行って、二月堂から景色を眺め、奈良公園で鹿と遊んで、一路、松阪へ。
松阪のルートインにはトリプルの部屋がなかったので、ツインとシングルで宿泊。夜はイチローが出演した古畑任三郎を見る。
3日目は、朝、伊勢へ。五十鈴川駅まで近鉄で行って、バスで内宮へ。2012年に式年遷宮が行われるということで、遷宮の場所(真横)も見学。伊勢の神殿は本当に質素なもので、征服者側の神様のトップである天照大神の神殿より、被征服者側の神様が祭られている出雲大社の方がはるかに大きく豪華であるという、日本神道の構造が象徴的にあらわれている、面白い神殿である。
内宮すぐ横の、おかげ横町は楽しかった。あちこちの店で試食ができるのがいい。太鼓の披露などにも出会った。
梅原猛さんも特に取りあげて書いていて、私も好きな猿田彦(「国初のみぎり天孫をこの国土 に御啓行(みちひらき)になられた」と伝えられる、征服された側の地元の神。あらゆる事をよい方へ導く神様として信仰されている)が祀られている猿田彦神社がすぐ近くにあるので、そこへも参拝。
名古屋へ向かって帰る途中、思いついて、桑名で下車。
日本一の大地主である諸戸清六の大邸宅、六華苑を見学。これは本当に凄い!洋館と和館がならんで建っていて、その広いことと内装の贅沢なこと。また、周囲に拡がる庭園の豪華なこと。花の時期に来れば、どんなに美しいかと思う。この邸宅の入場料が300円というのは、実に安い。

安上がりで、とても中身の濃い旅行だった。


12月27日(火) 

「自己責任」ブームの危険な影響

11月1日に、テレビで「火垂るの墓」(ドラマ版)が放映された。
アニメで有名な原作だが、人間が演じるドラマになったのは初めてで、しかも清太と節子が世話になる親戚の叔母さん(原作では全くの脇役)が主人公として設定されているということで、期待して見た。

見終わって、非常に危険な描き方であるという感想を持った。
子役二人のキャスティングは素晴らしく、演技も絶妙で申し分なかった。(節子が死ぬ場面では涙が出た)最大の特徴は、やはり松嶋菜々子演じる叔母さんの描き方だった。原作のこの叔母さんは、最初から清太と節子に対する思いやりなどは持たず、世話代として金目の物をもらっていたことでしぶしぶ二人を家に置く性格の悪い意地悪な(しかし「軍人さんだけ贅沢して」と当時の正直な庶民感情を吐露しているという点で私は好感をもって読んだ)女性として描かれているのだが、このドラマでは、最初は戦災孤児になりかけている清太と節子を気の毒に思って世話するのだが、自分の夫が戦死した時点から、非情・冷酷な態度に豹変する女性として描かれるのである。

それだけならいい。
どんなに優しい気持ちを持っていた人も、戦争という極限状態では自分の家族を守るためには非情・冷酷な態度になる。その時、苦悩しながらやむを得ず非情な態度をとらなければならない人物を従来のほとんどの戦争ドラマは描いてきた。時には、脇役に多いがそういう状況のなかで本当に心が歪んでしまい、利己的な態度をとる人間が描かれたこともある。それも、人間を非人間化するのが戦争というものだという冷徹な事実の提示として納得はできる。しかし、この美人女優松嶋菜々子を起用したドラマでは、彼女は、子どもたちへの非情な態度を「これが戦争なのよ」と居直りながら、しかしそっと二人の子どもたちへの思いを秘めつづけていた人物(節子の骨が入ったドロップの缶を死ぬまで大切に持っていた)として描かれていたのだ。

私は、そのそっと二人の子どもたちへの思いを秘め続けていた、とする設定に欺瞞をみた。
そう描くことで、松嶋菜々子叔母さんの態度は、戦争という極限状態において、親戚の子どもたちを見捨ててでも自分の子どもたちを守るという「責任」を貫けた人間として<かっこいい>ものになったのである。決して戦争という極限状況によって心を荒廃させられた<醜い>人間ではないのだ。叔母さんはあたかもハードボイルド小説の主人公のごときクールな<カッコヨイ>人物なのである。そして、そういう描き方によって浮かび上がるのは、戦争という状況の中では、非情さのかげに愛情をそっと秘め続けながら、非情さに徹することができることこそ「自立」した大人であるというイメージである。

私はそこに、今流行の「自己責任」イメージが歪んだ形で導入されているのを感じた。
「甘やかすべきでない」とか「自己責任感を持った人間であるべき」とか「真の自立」とか言って、どのような状況においても自分で生き抜くことが声高に主張される世の中になってきている。それは確かに正しい主張であり、依存性の強すぎた日本人が自らを反省する風潮として否定されるべきことではない。しかし、このドラマは、戦争という不条理な状況下で未熟な子どもたちに「これが戦争なのよ。自分で生きて行かなくてはしようがないの」という生き方を押しつけるという形で、いわば「自己責任」イメージを歪んだ形で利用しているのである。その結果、依存せざるをえない過酷な状況より、その状況下で生きる人間のクールさが<かっこよさ>として強調されることになった。

斬新な人物像を創出しようとするあまり、そのような<かっこよさ>がドラマの<ウリ>に使われることは許しがたい。

それがもっとはっきりした形でドラマ化されたものが、再放送される「女王の教室」である。天海有希扮する主人公の女教師は、その冷酷・非情な態度によって視聴者を驚嘆させ、話題を集めた。担任としてクラスの子どもたちを<いじめる>かに見えるその態度は、あまりに「金八先生」とは対照的で、その斬新さ、不可解さによって大ヒットした。しかし、よく見てみれば、彼女の態度は、クラスの生徒たちに「自己責任」をしつけるものとして一貫している。ラストで、生徒たち個々のことを記述したノートがあらわれて、鬼のような女教師が実は子どもたちを深く見つめていた、と描かれるのは、「火垂るの墓」とそっくりである。その時、一見鬼教師のように見えていた天海有希は、非情・冷酷さに徹し、こどもたちに甘ったるい「愛」などは教えずに「自己責任」で生きることをたたき込む、今まで描かれたことのない<かっこいい>女教師となりえたのだ。

「女王の教室」の小学生たちは、あまりにしっかりしすぎていた。鬼教師の<しつけ>に対抗する形で「自己責任」を身につけられる強さを持っていた。しかし、そんな子どもたちは一部にすぎない。そういう特殊な生徒集団の中に、現代の教育に欠けているという一面を確かに持っている「自己責任」の観点をうまく導入し、実際あり得るとは思えないほど立派な生徒の反応を描き出したのが「女王の教室」というドラマであった。「自己責任」の持つクールで<かっこいい>イメージが、そこでは実にうまく利用されていたのである。

閑話休題。
松嶋菜々子叔母さんが、戦争という極限状態によって、本当の非情・冷酷な人間に変えられてしまうという設定なら(人間性を破壊するのが戦争の本質なのだから)大いに共感できたのだ。しかし、叔母さんを非情・冷酷さにおいて<カッコよく>描いたことで、このドラマは愚作となってしまった。そして、そのような、クールで非情な<かっこいい>主人公がもてはやされる背景に、どうも、流行の「自己責任」イメージが、歪んだ形で影響を与えているのではないかと思われるのである。
「自己責任」イメージが暴走する風潮には、警戒の目を光らせていきたい。


12月1日(木)
 タイ雑感 (4)

パンフレットには2005年1月現在で1バーツ2.7円という表示があった。しかし、旅行した時は1バーツ3.3円位になっていた。バーツ高だ。タイもどんどん経済成長しているのだろう。ガイドさんに聞くと、タイの消費税は7%だという。

我々は11人のツアーだった。しかし、常に50人乗りの大型バスで移動していた。おかげで座席はゆったり。いつも2人分の座席に座り、景色の方向にそって左右の座席を移動しながらたっぷりとビデオ撮影ができた。(今回はカメラでなくビデオを持参した。後で楽しむのには写真より動く映像のほうが絶対に楽しいということが分かったからだ。したがって写真画像は1枚もない)

史跡ではトイレも有料(1回3〜5バーツ)だった。珍しいのでわざと2回ほど入ってみた。別段変わったトイレではなかった。5バーツとる(高級?)トイレでは入り口で2枚のちり紙をくれた。

バスは常に最も左側の車線を走らなければならないと決められている。1度われわれの乗っているバスが車線違反をしてパトカーにとめられた。罰金は400バーツだという。しかし、袖の下(日本語のうまいガイドがそう言った)100バーツを渡すと見逃してくれるという。今回もそうしたらしい。

私は今回の旅で、タイの古式マッサージを3回してもらった。
1回はツアー自体についている1時間の短縮マッサージ。カミサンとならんで、二人部屋でしてもらった。しかし是非、本式の2時間マッサージを体験したいと思って、ガイドさんに申し出た。ガイドさんによるとマッサージはピンキリで、200バーツくらいからもあるが危ないらしい。私は安全性を優先させ、2日目以後2泊したシャングリラホテル内のマッサージ(少々高い、といっても800バーツ、チップが100バーツ)を紹介してもらった。うすぐらい個室にタイの女性とふたりっきりになる。パジャマに着替えて、言葉が通じないのでひたすらマッサージを受ける。途中でお茶が出て、その後は後ろから身体を合わせてエビぞりの格好をしたりもする。日本だと、こんな完全な個室というのは別の目的の場所を連想してしまうが、タイではちゃんとしたマッサージ店がこういう雰囲気なのは意外だった。3回目は、バンコクの空港内で、30分600バーツの肩と背中だけの部分マッサージを体験した。肩こりの私には、全身マッサージよりこういう重点マッサージの方がいいのである。

11月29日(火) タイ雑感 (3)

タイは60%以上が平地である。ミャンマーやカンボジアの国境付近にはあるが、中央部には全く山がない。道路はまっすぐで、本当に平地ばかりだった。山が好きな私としては、こういう国にはなじめない。
タイの米作りは、雨季には水稲、乾季には陸稲だそうだ。見わたす限り平地で、灌漑用水などないようだった。雨季には自然の雨水だけで稲は育つのだろう。タイ米は6年くらい前に日本の米不足があって輸入され、その時食べてみてまずかったことを覚えているが、今回の旅行で食べたタイ米はそんなにまずいということはなかった。

二日目の観光地はバンコク市内。午前中にエメラルド寺院と王宮を見学する予定が、王宮に皇太子が来ているということで、突然、観光客が入れなくなったとガイドさんが言う。彼は最初、そういうときのためにあらかじめ予定されている別の寺院を案内すると言っていたが、午後には王宮の観光が許可されるという情報が入ったので、観光コースの順番を入れ替えて、午後王宮を見学すると言い出した。
「王宮は是非見てもらいたいところなので、そういう形にしますが、同じコースの別のツアーでは王宮を断念して代わりの寺院にしたようです。どうか、そのツアーの人々に、われわれのツアーだけ王宮を見学できたということを知られないようにお願いします。王宮は最大の見学地ですから、知られると、その人たちは怒ると思います」
と繰り返しガイドさんが言った時、我々は思わず拍手をしてしまった。

王宮の豪華さは目を見張るばかりであった。とにかく金づくしと言っていい。あっけにとられて眺めながら、これはまさに秀吉の世界だ、なんて感じた。黄金に埋め尽くされることが贅沢だという徹底した発想で作られた、キンキラキンの世界であった。
ガイドさんの配慮でこの宮殿を見られたことは幸運であった。

11月28日(月) タイ雑感 (2)

タイには車検というものがない。車は高価だが購入すれば何年でも乗れる。車庫証明などいらない。ガソリンは安い(スタンドの表示では24.7バーツぐらいだった。日本円にすると80円台か)。そこで整備されていない古い車が毎日どんどん増え続けているらしい。だからバンコクの渋滞はハンパではない。世界渋滞都市5つの内にはいるという。

渋滞時間の5時頃に市内にはいって、優先道路を横切ろうとすると大変だ。信号が赤になって10分くらいは変わらない。待って、待って、やっと青になったと思うと1分くらいで赤に変わってしまう。渋滞の長い列が少し動いただけで、また10分くらい待つことになる。これには参った。
信号の表示は横の交番にいるお巡りさんが手動でやっているのだ。会社の終了時間にはオフィスから住宅へ向かう道路が優先になり、延々と青表示を続ける。バンコク市内では、歩いて10分ほどの距離を車で行くと1時間かかるときもある。

日本の会社員が多く住んでいるという高級住宅街の家賃は月3万バーツ(9万円)。そこに住む日本人会社員は、タイ人から「社長」と呼ばれるそうだ。タイの会社社長が住むようなところだかららしい。
タイのサラリーマンの平均給与が2万バーツ(6万円)くらいだというから、どれだけ物価が安いかがわかる。逆に、高級住宅街の家賃がどれだけ高いかもわかる。彼らはそれを会社に払ってもらって優雅に暮らしている。

アユタヤあたりの田舎町には特に多かったが、犬があちこちにいるのが印象的だった。道路脇などに犬が寝ころんでいる光景がよくあった。もちろん首輪などなく、町ぐるみで放し飼いされているような感じだった。狂犬病の予防注射などしていないに違いないから、犬好きのカミサンも頭をなでようとはしなかった。


11月27日(日) タイ雑感 (1)

22日(火)から、夫婦二人で4泊4日のタイ旅行をした。
ツアーで、アユタヤに1泊、バンコクに2泊、夜中の飛行機内で1泊、朝到着なので4泊4日なのだ。
昨年、友人の橋本さん一家が利用したツアーと比較的よく似ている。値段も同じくらいだが、バンコクで連泊したホテルはシャングリラというかなりの一流ホテルだったのでその分だけは値段が高かったようだ。
以下、橋本さんの旅行記を参照しながら、体験したことと感想を書いてみよう。

朝10時半のフライトで、5時間後にバンコク到着。
アユタヤのホテルで夕食を済ませて1991年にユネスコ世界遺産に登録されたアユタヤ遺跡を見学した。夜なのでライト・アップされているというのだ。
それは幻想的な光景だった。しかし・・・翌日の再度の見学によって、この夜の体験はタイに対する最も悪い印象に一変したのだ。

<西暦1350年にシャム(現在のタイ国)、アユタヤ王朝の都として築かれたアユタヤは、チャオプラヤ(メナム)川中流の沿岸にあり、東西約7km、南北約4km、四方を川に囲まれた島状の街だ。水運を利用し、近隣だけでなく中国、ペルシャ、遠くヨーロッパとも交易を広め、最盛期には東南アジア最大の都市へと発展した。アユタヤの王は上座仏教を信奉し、都に数多くの寺院や宮殿を建立した。今日残っているそのほとんどは、都ができて150年の間に建てられたものだ。35代にわたって続いたアユタヤ王朝も1767年、ビルマ(現ミャンマー)の軍勢によって滅亡した。>(あるHPの解説を引用)
 
翌日午前、朝日に照らし出された遺跡は、悲惨のきわみだった。
建てられていたあらゆる仏像の頭部が切り取られ、塔の壁面に描かれていたと思われるすべての仏像がえぐり取られている。仏塔、建物は破壊され、バラバラにされた破片が今も散見するのだ。ビルマ軍による破壊の徹底ぶりは、あきれはててしまうほどであった。

タイ人のガイドさんに訪ねた。
「ビルマも仏教国でしょ。イスラム教のタリバンがアフガニスタンの仏像を壊すのは理解できるけれど、同じ仏教国のビルマがアユタヤの仏像をどうしてこんなに徹底的に破壊しなければならなかったのですか?」
「仏像は魔除けだから」

少し理解できた。仏像は魔除けとして宮殿の周囲に置かれているのだ。いわばセキュリティである。ビルマ軍はまずアユタヤ王朝のセキュリティを破壊しなければ侵攻できなかったわけだ。
あきれ果てるほど徹底された破壊の光景は、戦争の悲惨さの遺産として見学するべきなのである。ライト・アップというのは美しい物を夜景の中でより美しく鑑賞するための趣向であろう。このアユタヤ遺跡は決して美しい遺跡ではない。戦乱による壮大な悲惨をこそ見るべき場所なのだ。そのような場所にライト・アップとは何事であるか!

タイ国に対する悪い印象から、旅行は始まった。


10月21日(金)
 東野圭吾の最新作「容疑者xの献身」

東野圭吾の最新作「容疑者xの献身」には唸らされた。
作家生活20周年を記念する作品とのことで、作者は「自分が考え得る最高のトリック」と書いていたが、確かに見事なトリックだった。
主人公石神は、高校教師だが、実は天才的数学者という設定。住んでいるアパートの隣に越してきた女性に恋し、復縁を迫る元夫をはずみで殺してしまったその女性と娘のために、献身的にアリバイ造りを考える。数学の天才らしく、論理的に女性と娘の感情を計算にいれ、警察の追求を見越した上で、感情に動かされて供述しないような前代未聞のトリックを考え出す。
そのアリバイトリックを見破るのが、大学の同窓生で警察側のブレーンとなっている天才物理学者。彼の性格を知っていたがために、彼のトリックを見破っていく。
題名の「献身」というのが最大のヒントになるトリック。
物理学者との友情も描き込まれ、周辺人物の人間描写もしっかりしていて、実に見事な小説である。今年のベストテンには間違いなく入る傑作だと思う。