気に入っている文章


10月14日(金) 朝の読書で本当の学力を

朝日新聞への投稿が久しぶりに掲載された。
尊敬している橋本さんや志談塾のN先生から同感だという言葉をいただいた。いつもけなすカミサンも今回はいい文章だと誉めてくれた。うれしかった。
原文をコピーする。新聞では言葉が少し変えられていた。

<朝の読書で本当の学力を>

先日この欄で、東京都で学力低下を理由に朝の読書を中止する小中学校が出ているという記述があった。筆者は日本の子どもたちに必要な力は想像力であって、それを伸ばそうとしない風潮を批判されていた。共感した。
私は、学力の本質は「学ぼうとする力」だと思っている。その学力は、様々なことを不思議に感じ、疑問を持ち、想像することで生み出される。しかし現代の教育がそういう学力観で行われているとは思えない。かつて、教育標語で優秀作となった国立大学生の言葉「不思議や疑問はたくさんあった。でもしだいに感じなくなった。だって覚えるだけでいい点取れたから」に衝撃を受けたことを思い出す。教師の一人として、覚える訓練、問題を解く訓練ばかりしてきたことを反省し、以来、私も朝の読書を推進してきた。疑問を持つ力、想像する力が喚起され、真の意味の学力が育成される場として、朝の読書はとても有効だと確信したからだ。
浅薄な学力観で目先のテストの点数を上げようとする風潮があるとしたら、それこそ心配である。

10月12日(水)  杉村太蔵氏へのエール

自民党で当選した新人議員の杉村太蔵氏が「変身記者会見」した直後に、次のような文章を書いて投稿してみた。ネタとしては面白いと思ったのだが、担当者には気に入ってもらえなかったようで、没になった。
考えてみれば、あの軽薄な杉村太蔵を名作「スミス都へ行く」の高潔な主人公と同列に論ずるなんてバカげているのだが、決して皮肉で書いたつもりはない。万が一の期待をこめて、本心から杉村氏にエールを送ってみたのだ。
日の目を見なかった文章だが、自分としては愛着のある文章なので、ここに掲載しておこう。

<現代の「スミス」たれ杉村議員>

先日、自民党が立候補者を一般募集し当選した新人議員、杉村太蔵氏の記者会見があった。思いがけない当選によって狂喜し、カメラの前で見せた軽率な言動をわびるものであったが、その時ふと、昔観て感動したアメリカ映画の名作「スミス都へ行く」を思い出した。
映画の主人公「スミス」は、欠員議員の穴埋めに急遽かり出された無名の一市民(だからスミス)であった。彼も当初、杉村氏のように議員の自覚がなく、都見物に走り回ったり新聞記者の前で鳥の物まねを披露したりして、顰蹙をかう。しかし子供たちのために造ろうとしたキャンプ場が政界のバックに君臨する黒幕的人物の利権にからむ場所であったところから、組織の不正を暴くことになり、ラストは議会でたった一人の闘いを展開する。
杉村議員は今後、国会議員の自覚をもってフリーターの人々を考えた活動をしたいと述べた。それは子どもたちを考えて活動しようとした「スミス」とよく似た発想だ。杉村議員には是非、組織の言いなりに動く単なる数の一人でなく、無名市民の代表として、良心にそった活動をする現代の「スミス」議員になられることを、強く期待したい。 (終わり)

このところ朝日新聞での没が続いていたが、先日電話があって、ようやく一つ学力について書いたものが採用されるようだ。
近々掲載されると思うので、是非読んでみて下さい。


10月11日(月)  
良寛の自戒の言葉

良寛さんの「こころよからぬものは」という言葉と出会った。
天真爛漫なイメージの良寛さんに、こんなに繊細な人間関係の機微を書いているものがあるのは意外だった。

こころよかなぬものは

ことばの多き 口のはやき さしで口
手がら話 へらず口
唐ことばを好みてつかふ
おのが意地をはりとほす
もの知り顔のはなし
この事すまぬうちにかの事いふ
くれてのち其のこと人にかたる
返すといひて返さぬ
にくき心をもちて人を叱る
悟りくさき話 ふしぎばなし
神仏のことかろがろしくさたする
親切げにものいふ
人にものくれぬさきにその事いふ
おれがかうしたかうしたといふ
この人にいふべきをあの人にいふ
鼻であしらふ にげごとをいふ
はなしの腰をおる おどけのかうじたる
おのが得手にかけていふ
ぐちたはごと
あらかじめものの吉凶をいふ
つげごとの多き 口上のながき
ひとつひとつ数へたててものいふ
みだりに約束する
しもべを使ふに言葉のあらき
客の前に人を叱る いらぬ世話やく
口を耳につけてささやく
をろかなる人をあなどる
かたことを好みてつかふ


10月3日(月)  「風雲児たち」続編

歴史ギャグコミック「風雲児たち」の続編7冊が届いた。
学校出入りの書店員が届けてくれたのだが、その人が、
「私もこの本が大好きで、こんなにすぐれた歴史マンガはないと思っておりまして、この作品をご存じだということでとてもうれしかったので、一言お知らせしたいと思っておりました。実は、このシリーズ、手塚治虫の賞を受け、様々な人が絶賛しているのですが、売れていないんです。完結した30巻もですが、現在出ている続編も、危ないんです。ひょっとしたら打ち切りになるかもしれない。作者のみなもと太郎さんは、本当はもっとじっくり書きたかったようなんですが、売れなかったもので、かなりはしょった形で30巻でひとまず完結させたようです。潮出版からリイド社に変わって続編を出していますが、いつまで続くかというところで・・・」

何ということだ!こんな素晴らしいコミックが消えてしまうかもしれないなんて。

今、続編の1巻を読んでいるが、期待以上に濃密な内容だ。
シーボルトの娘で女医第一号になるイネの話から始まる。「産褥」なんていう出産を「穢れ」とするようなおぞましい日本の風習分析から、水戸学、それに関する「廃仏毀釈」、薩摩のお由羅騒動、阿部正弘のすごさ、ペリー来航、桂小五郎と、幕末をとらえる重要事項がおさえられていく。
いやあ、読み応え満点!
これを現在の勤務校図書館に、是非購入させる取り組みを始めようと思っている。

9月13日(火)  円空仏
名古屋市博物館で、「円空さん」を見た。
梅原猛さんの影響を受けて「円空は縄文の遺民」という観点で作品を鑑賞した。様々な種類の円空仏を一度に見ることができて、堪能した。

円空仏は笑顔がいい。実に人間味が溢れていて、神々しい仏様という感じがしない。煩悩を払拭した人間が、親しく微笑みかけてくれているといったような親近感がある。拝む対象ではなく、親しむ対象である。今回の展示会が「円空展」といった名称でなく「円空さん」となっていたのは実に適切だった。

円空仏は、彫刻としてみたらへたくそだ。梅原さんは円空を木地師の一人と見ているが、円空仏はとても「仏師」の作品とは思えない。お寺が本尊として製作をたのめるような仏像ではない。

ふと、円空仏は、素人が作った「民芸品」みたいなものかな・・・と考えた。
柳宗悦さんが発見した「民芸」は、実用のために作られた生活のための物の中に表れた美だが、円空仏だって、円空が自分の修行という<実用>のために作ったものにすぎない。だから、その膨大な乱作の中にごくわずか美が表れた、と考えれば共通するものがあるのではないか。
(別の言い方をするなら、円空はこれらの仏像を<目的>として彫ったのではなく、修行という<手段>の一つとして、写経と同じような位置づけで彫ったものといえるだろう)

円空仏はとても楽しく鑑賞できた。
今回の「円空さん」は、充実した特別展だった。
しかし、「民芸品」のようなこの仏像は、今回見て、これで充分だと思った。
私はどちらかと言うと、仏師の技がさえる、洗練された、神々しい仏像の方が好きだ。


9月1日(木)  明るい深刻小説『明日の記憶』

小説「明日の記憶」(荻原浩)を読了した。
素晴らしい小説だった。ゆっくりじっくりと読み味わい、主人公の世界を自分に重ねて、恐怖に震えながら深く体験した。若年性アルツハイマーにかかった人物の内面を克明にたどる深刻な内容であるが、周囲の登場人物が魅力的で、終わりに近づくにつれ作品世界がとても豊饒になり、リアルな前半から次第にファンタジーの雰囲気を漂わせて、ラストシーンは比類なく素晴らしかった。

主人公は50歳の広告代理店営業部長。
物忘れ、頭痛、不眠・・・打ち合わせの時間を忘れ、取引先や部下の顔と名前が一致しなくなり、道が分からなくなる過程が、実にリアルに描かれていく。「若年性アルツハイマー」と診断されて「頭の上に、空が落ちてきた」とショックを受けるが、それからの展開に大きな特徴があった。それは、暗く絶望に打ちひしがれるような描写がないということである。

アルツハイマーは、平均7年後には死に至る不治の病である。その告知はいわば<ゆるやかに自覚しつづけながらの死>という最高に残酷な死の宣告なのだが、この小説には、不思議なほど絶望感・悲壮感、のたうちまわる生への執着心、嘆きなどの暗い描写がない。もちろん恐怖心は随所に描かれるが、それをはねのけながら、主人公は、ひたすら病気の進行との戦いに終始するのだ。

症状の防止に役立つ可能性のある魚(含まれているDHAやEPAを摂取するため)と緑黄色野菜類ばかりを食べ、発芽玄米茶を飲む。クライアントとの約束日を忘れたことをきっかけに、すべて書き留めるべくメモ用紙をあらゆるポケットに入れ始める。誰かと会うときにはその人に関する項目を読み返し、名前を確認し、描いた似顔絵で特徴を把握し直す。そして、自分の忘却を相手に気づかれないように、「この間の話、考えていただけました?」のように話しかけられた時に使うフレーズ「どの話でしたっけ?」などを考え出す。
つまり、考え得るあらゆる手段を講じて病気でないようにふるまい続けるのである。そしてそれは、決して見栄や実益のためではなく、自己の人間としての存在を維持するためというかたちで描かれている。

主人公は、娘の結婚式までは退職せずに病気を隠し続けようとし、発覚してからは、自分から適切な施設を探して一人で入所見学のために訪問する。症状の進行はすすみ、挿入されている日記には漢字が少なくなって誤字も混じる。そして、哀しくも美しい、ラストシーンを迎える・・・・・この小説は、よくある<死を見つめて生きる>、というものではなく、ひたすら<生を見つめて生き>続ける主人公が明るく描かれているのだ。

ひたすら<生>を見つめ、最後まであきらめずに続けられる主人公の壮絶な病魔との格闘に、私は心からの声援を送ってしまった。

*「明日の記憶」は第18回山本周五郎賞受賞。本屋大賞第2位。堤幸彦監督で映画化され主演は渡辺謙。樋口加奈子共演。

<補足>
私は「明日の記憶」に、悲壮感のない悲惨な内容という点で、最近見た映画「誰も知らない」と類似する創作の姿勢を感じた。日記に混じっていく誤字やひらがなの手法は「アルジャーノンに花束を」のパクリだと思った。アルツハイマーの随伴症状である人格障害(人格が崩壊し暴力的になる)の面は描かれないことへの批判は当然なされるだろう。例えば次のような合評の記録があったので紹介する。(「明日の記憶」に関するHPでの合評から引用)

(大森)若年性アルツハイマーって、ほんとはもっと大変でしょ。この小説は、その症状の一部、「忘れる」って恐怖だけをとりだして、ほんとに物忘れ小説にしちゃってる。病気を都合良く道具に使ってる気がするんですよ。他のイヤな面はあんまり書いてなくて。(豊崎)主人公は暴力振るうとかまでいかないもんね。症状の説明としては出て来るけど。(大森)そう、ずっといい人のままでしょ。後半、主人公がやはりアルツハイマーの進行した老陶芸家と酒を飲む場面とか、寓話的な意味ですごくいいシーンなんだけど、そういうファンタジーの面と、アルツハイマーの生々しさと、両方のいいとこ取りになってる。うまい分だけ、ちょっと嫌味。一人称主人公が書く日記が引用されるのもどうかと思うし(豊崎) まあね。でも付けたくなる気持ちもわからんではない。日記が、『アルジャーノンに花束を』なんですよね。主人公の語りがどんどん退化していっちゃう感じが。あ、そこが女子の心を捉えたのかも。あと、主人公が『博士の愛した数式』のようにメモだらけになっていくじゃない? メモつながりで大賞? とか思いましたよ一瞬(笑)。まあ若年性アルツハイマーって病気の症状を、いいとこ取りするのはたしかにどうかと思いますけど、こういう本が読まれることで多少の理解は深まるんじゃないかって気もしないではない、ひとごとではないよ、みたいな。
(大森) 『博士の愛した数式』の場合は、前向性健忘を完全にファンタジーとして書いてる。博士の純粋無垢さを引き出すものとして機能させて、現実とリンクしないひとつの居心地のいい世界をつくっているんですけど、現実を描いてるはずの『明日の記憶』で、病気を部分的にファンタジーとして扱ってるのがちょっとひっかかる。器用すぎるのかな。
(引用終わり)

しかし、アルツハイマーあるいは痴呆症にかかって人格障害をきたす人物を、近親者を視点人物にして描いた作品なら(「恍惚の人」以来)いくらでもあったのだ。この小説の特徴は、視点人物がアルツハイマーにかかった主人公自身であって、その内面が実にリアルに描かれている点にあるのだ。人格障害の面を描くためには、視点人物を外部に設定しなければならない。それをせずに、主人公の内面を描き、しかも書き尽くされた感のある暗黒面を強調するのでなく、病魔と闘う人間の尊厳を見つめようとする筆者の姿勢が「寓話的」「ファンタジー」の色合いを持つのは当たり前だろう。「病気を部分的にファンタジーとして扱っているのがちょっとひっかかる」という感想は、作品の特質を読みとっていない的はずれなものだと私は思った。



8月20日(土)  水村美苗「続・明暗」読了

今日から3泊4日のツアーで北海道へ行きます。
登別温泉から美瑛・富良野、旭山動物園などを見学して最後は札幌。
娘とカミサンと三人です。

この夏は本当によく出歩いた。
立山、黒部のツアーに参加し、白馬にも登った。和歌山へ行って紀三井寺も見学した。出張だったが沼津でも1泊した。
そして旅行の合間に、夏目漱石の「明暗」と水村美苗の「続・明暗」を読了した。

非常に面白かった。
<自分>のない男、津田という主人公の内面がとてもよく描かれていた。
津田が結婚前につき合っていて突然去っていった清子という謎めいた女性が登場したところで漱石の筆は終わったのだが、その後の展開を、水村美苗の筆は、なかなかうまく描いていた。ただ、私はずっと、この清子という女性が漱石の<則天去私>を体現した女性として描かれていく予定だったのではないかと思っていたが、水村の筆では、そこまでの大きさには描かれていなかった。清子は、津田という人格を鮮明にするために設定された女性の域を超えず、一応、突然津田から去った理由の一端は明らかにされるが、謎めいたままで温泉場から去っていく。
「続・明暗」は津田が清子に会うために行った温泉場のみが舞台で、最後は津田の妻、お延や、個性的な友人小林、津田の妹お秀などが集まってきて緊迫した場面を構成していた。「明暗」は、未完の部分だけでも「我が輩は猫である」よりも長い、漱石最大の長編であるが、描かれている日数はほんの数日であって、それはドストエフスキーの「罪と罰」や「カラマゾフの兄弟」のように短い期間であった。

<則天去私>という言葉に、漱石はどのようなものを考えていたか。
水村美苗の作品を参考にしても、私にはまだ、はっきりしたことはわからない。

しかし、なんだかヒントになるのではないか、と思われる文章を見つけた。
それは「身体から革命を起こす」(新潮社)という、ナンバ歩きで有名になった武道家、甲野善紀について書いた田中聡の著作の中の一節である。

「個というものを前提にして、そのうえに関係性があるとする考え方をこえることが、21世紀的なテーマだとも思うんです。関係性ということは、さんざん言われてきてることですけど、みんな個を前提にした上での関係性です。関係性ということによって、個というのを越えられると思っているけど、それは根本的に間違っていると思うんです。それでは、技の世界は何一つ展開していかない。まず個があって、個と個が関係しあっているという発想では、期待をあおることはできるけれど、実体的には何も生み出しませんね。
 自我という発想の向こうには、みんな同じ人間という観念があるでしょう。でも実際は、それぞれに違う。男女でも違うし、時間、空間の配置でも違っているはずです。
 関係性を個に先立つものとして置くとき、個としてとらえられるものは、千変万化してやまない生きている身体です。独立した個我という観念を捨てたとき、はじめてそれぞれに無限の個性が見えてくるということです。それは永続する個性ではなく、たえず生成され転変し続ける個性です。永続するものは観念だけなのですから」

これを参考にしながら、じっくりと時間をかけて考えていきたいと思っている。


8月10日(水)  梅原猛に学ぶ  (13)

    恐ろしい現代の「文明」観 <その2>

私はこれまでずっと、文化と文明をはっきり区別して、その概念をもとに世界や社会の現象を理解しようと努めてきた。

以前まとめた「伝統の考察」では、
<文明とは、合理性に基づき、普遍性を追求する人類の価値。そのめざすところは、第一に「便利さ」ということ。文化とは、合理性には関わらず、独自性を追求する民族の価値。めざすところは、それぞれの「美」。>と定義してみた。
その時、友人の橋本裕氏は、「文化は精神的内面的、文明はより外面的物質的。文明はシステムとしての普遍性を帯びていて、それだけよけいに他の文明に対する影響力を持っている。文化と文明は相互に対立し、相互に補い合って発展する」とコメントしてくれ、さらに、「文明はハード、文化はソフト」とも補足してくれた。
ハンチントンは、文化の集合した上位概念を文明ととらえているようである。
文化を持った部族の集落が統合化され「都市」を形成した段階で「文明」化したととらえるのが、ほぼ西欧世界の主流としての「文明観」であろう。梅原氏も「文明の発生を、都市及びその都市の支配する国家と文字の成立」ととらえて記述していた。
様々なとらえ方がされるが、それらを統合した概念としては、次のようになるのではないだろうか。

「民族の独自性をもった生活形態の中にあるソフト・精神性を文化と呼ぶ。その中から、合理性と普遍性をもったハード・物質性が抽出され、総合されたものを文明と呼ぶ」

そのようにとらえた場合、文明とは少なくとも地理上の特殊性によって成立する概念ではないのである。地理上の特殊性によって成立するのは「文化圏」というものである。従って、四大文明を、メソポタミア文明、インダス文明、エジプト文明、中国文明、と、地域の名称をつけたのは、<メソポタミア地方に生まれた最初の文明>ということであって、例えば<メソポタミア地方の特色を持つ文明>ということではないのだ。しかし、一般には地理上の特殊性も含めて(いわば「文化圏」を分かりやすくしたものとして)この名称が使われるようになっているようである。

文明は、あくまで普遍性・合理性を主要素とする概念である。
従って、それは本来、衝突するようなものではない。「文化圏」なら衝突する。ハンチントンは、世界を、ヨーロッパ、中国、日本、イスラム、ヒンドゥ、スラブ(東方正教会)、ラテンアメリカ、アフリカの8つの「文明圏」に分けて、それらが衝突するという発想から未来を予想しているが、これは、そういう名称の誤用をふまえたとらえ方である。これらは「文化圏」ととらえ、その衝突の結果抽出され、総合化された普遍性・合理性・物質性を「文明」ととらえるべきなのである。

このような、「文化」としてとらえなければならないものを「文明」としてとらえた結果、どうようなことが起こるだろうか。
端的に言うと、私は、普遍性の中に特殊性が溶解させられて、民族の<独自なもの>が徐々に認識されないようになるのではないか、と思っている。

ハンチントンに代表される一般の認識とは逆行するのだが、私は、文明を文化の下位概念としてとらえるべきではないかと考えているのだ。
私の考えでは、文化が最大の価値なのである。
人類が発生し、それぞれの風土に培われた個性的な存在単位として民族が成立し、その生活形態が生まれた段階で、この地球上でのヒトという動物のあり方が定まった。それは、風土という<自然>とつながったあり方であって、文化という<独自的な価値>なのである。
しかし、人類の脳の発展によって、多くの民族のあり方が抽象され、集落が統合して都市が生まれた時から、<独自的な価値=文化>の上に<普遍的な価値=文明>が求められるようになった。それは確かに発展といえるものであった。多くの民族がコミュニケーションをもてるようになり、人々の生存期間は長くなり、自然の法則が発見され、物質が加工されて、生活は便利になった。そうした人類の文明化によって、文化が洗練され、より深いものになった面もある。
しかし、多くの場合、文明は、民族の<独自的な価値>である文化を消滅させる方向に進んできた。
文化と文化が衝突して文明化されていく過程で、世界の文明化に対抗して個々の文化が棲み分け的に生き残ろうとする動きもあった。文明の側も、多くの異質を包含するかたちで、変化しながら発展した。
そのような、文明と文化が相互に影響を与えあうような人類史の進展は、しかし、少なくとも、文明に対して文化が「存在するもの」と認識されて生じた現象であった。

ところが、最近の傾向として、文化を文明と同一視する流れが出てきたというのだ。
「文化圏」であるべきものを「文明圏」といい、それまでは使わなかった「日本文明」などという名称が使われだした。文化と文明を区別しないで使うようになった、ということは、文化を文明としてとらえようとすること、つまり<独自性を見ずに普遍性のみを見ようとする>ことに他ならない。

たかが用語の問題といわれるかもしれないが、私はそこに、現象を常に<普遍性の側からのみ見ようとする>危険な面を感じる。文明化は確かに必要である。そこには「便利さ」だけではなく、例えば「人権思想」といった普遍性も含まれて(人身御供や纏足のような文化を消滅させていったように)普遍性を重視しなければならない側面もある。しかし、私に言わせるなら、文明化というのは人類が地球上に共存するために<やむを得ず>生み出したものであって、それはあくまでも文化の下に位置づけるべきものなのである。

ハンチントンは、近未来の世界に普遍的な<文明>が出現することはないと主張した。普遍的な文明が出現することはない?・・・これは、普遍性を第一の要素とする概念である文明という用語を文化と同一化して用いたための危険な思想といえると思う。
<文化圏>同士は対立するだろうが、長い将来においては<文明>というかたちで融合、総合化されるとするのが人類史の正しいとらえ方ではないか。ヨーロッパ各国の<文化>がユーロという<通貨=文明>で融合化・総合化されつつある現実を観察すれば、そのことは明らかだろう。

風土性に根付いた民族の文化こそ第一に大切にされるべきものである。
その異質性こそ第一に尊重されるべきものである。
その中に、どうしても人類の共存を妨げるものがあったとすれば、それは<やむを得ず>文明化によって排除されなければならないと考えるべきなのである。(終わり)


8月3日(水)  梅原猛に学ぶ  (12)

    恐ろしい現代の「文明」観 <その1>

梅原猛がハンチントンの文明の対立史観を批判して、
「これは私は第三次世界大戦をあおる危険な思想だと思う」
と書いている。(「思うままに」所収『ルクソール事件』)
これはハッとさせられる言葉だった。

ハンチントンの「文明」概念については、前々から疑問をもっていたが、地球上の現在の状態をとらえる視点としてこういうものもあるかという程度の認識だった。しかし、梅原さんのこの言葉と出会って、現状を分析する「視点」の持ち方自体が、人類を間違った方向に動かしていくこともあるかもしれないと思うようになった。
梅原さんの批判は、次のようなものである。

「私は、イスラエルの神秘主義はエジプト起源のものであり、人間を死すべきものとしてとらえるギリシャの人生観は、メソポタミアにおいて初めて都市文明をつくったシュメール人の王、ギルガメシュ叙事詩の思想を受け継いだものではないかと思う。そしてこの文明は東アジア文明と違って、もっぱら小麦農業と牧畜を経済的基盤としている。しかるに、西欧はギリシャとイスラエルを自らの文明の父母と認めても、メソポタミアやエジプトを自らの文明の祖父母とはみなさない。もしも、彼らがそれらの文明を自己の祖父母文明と認めたとすれば、彼らのアジア諸国に対する見方も変わってくるのではないかと思う。
・・・アメリカではハンチントンの文明の対立史観が話題になっている。それによると、資本主義と社会主義というイデオロギーの対立による歴史の時代は終わって、文明の対立の時代が始まるという。その文明の対立の一方の極はもちろん西欧文明であるが、他はアラブ文明と極東文明であるという。これは私は第三次世界大戦をあおる危険な思想だと思う。このような思想が西欧人を支配すればするほどますますイスラム原理主義運動は先鋭になるに違いない。」

梅原さんは、西欧はギリシャ文明及びイスラエル文明を自己の父文明、母文明として尊重しているが、最初の人類文明はどう考えてもメソポタミア地方とエジプト地方に作られたといわねばならないのに、それらを祖父母文明として尊重しない、と言う。
そして、これは梅原さんがはっきり言っているわけではないが、私はこの書き方の中に、西欧のそういう「文明」観がハンチントンのような対立の図式として「文明」をとらえる見方を生み出した、というような発想を感じた。

私はそこから、梅原さんとは違う次元で、ハンチントンが代表する西欧「文明」観の問題点を考えるようになった。
その際、重要な視点となったのは、知り合いの地歴・公民科(昔の社会科)の高校教員2人から教えてもらった次のことである。

「20年ほど前から、文化と文明という言葉を区別せずに使うようになっている」

これは信頼する2人ともがはっきり認めたことであった。
それを聞いて以後、私は以前何度も考えた「文明」「文化」について、再度考えるようになった。そして次第に、これは単なる用語の問題にとどまらない、現代の非常に大きな、危険な傾向ではないのか、と考え始めたのである。
(続く)


7月27日(水)  梅原猛に学ぶ  (11)

     「デカンショ」体験の重要性

梅原猛は、旧制高校を「戦前の教育において存在したよきもののいくつか」の内の一つにあげている。

「旧制高校生は弊衣破帽で、朴歯の下駄を履いて、デカンショを歌っている姿で表されるが、デカンショというのはデカルトとカントとショーペンハウエルで、歌は、このように哲学を論じて半年暮らし、あとの半年は寝て暮らすという意味だとまことしやかに語られたのである。私はこういう旧制高校生のモットーにきわめて忠実で、哲学書を読み耽り、ついに哲学を一生の仕事としてしまったわけであるが、このようなモットーに表れているのは、実利を否定し、真理を追求し、教養を尊重する精神なのである。
当時、旧制高校生の必読書は西田幾多郎の『善の研究』や阿部次郎の『三太郎の日記』、それに夏目漱石や芥川龍之介などの日本の小説、及びゲーテやロマン・ロランなどの外国の小説であった。そしてモーツアルトやベートーベンの音楽を語り、ピカソやシャガールなどの絵も論じられないようでは旧制高校では尊敬されなかったのである。高等学校の寮歌には、このように栄耀栄華を蔑視し、ひたすら夢と理想を追い求める旧制高校の生徒の心情がよく表れている。・・・
かつての日本の指導者は、ひとときにせよそのように教養とか真理とか理想とかいう言葉を何よりも大切にし、あるいは大切であるように見せかけねばならない時を過ごしたのである。戦後の教育には、幻想にせよこのような時が失われてしまった。青年は、受験戦争によってたくましく養成された実利精神を否定される時期をまったくもたない。こういう教育からの脱落者が恐るべき犯罪を起こし、そしてその成功者もまた金銭や地位の誘惑にまことにもろいことは幾多の事件によって明らかになった。
旧制高校の消失は教養の喪失をもたらした。もちろん旧制高校の教育を復興することは大変難しいことであるが、あの西洋においても東洋においても長いすぐれた伝統をもつ教養というものをどういう形で青年の身につけさせるか、大変重要な問題であるように思われる」

梅原さんのこの文章はとてもよくわかる。
「デカルト・カント・ショーペンハウエル」に明け暮れ、「教養、真理、理想とかいう言葉を何よりも大切にし」「実利精神を否定される時期をもつ」ということがどれほど大切なことか。
そう思うのは、梅原さんのような高いレベルでのことではもちろんないけれども、私も、まったくそういう形而上学ばかりで過ごした一時期の体験があったからだ。
レベルは低かったが、その時はインド哲学に耽溺し、中村元とドストエフスキーとヘルマン・ヘッセと親鸞と埴谷雄高と安部公房と深沢七郎とニーチェばかり読んでいた。抽象的な世界にしか興味がなかった。哲学と宗教と文学がすべてだった・・・
その後、実利的な現実社会に出て、具体的な判断を迫られた時、私の発想の基盤となって働いたものはその時期に培ったものだった。それが、いわば私の「教養」ともいえるものになっていたことを、今更ながら感じる。偉そうに受け取られるかもしれないが、その時期には、死ぬか生きるかみたいな真剣さで、存在の根源に迫り、人間世界の真実を見極め、正しい生き方を体得しようと、本気で毎日考えていたのだ。

指導者になるような優秀な人であればもちろんだが、そうでない人にも、ある程度そういう時期を体験することは、絶対に必要ではないか、と思う。
実利的な現実世界に完全に埋没して、抽象的、本質的にものごとを考える習慣を持たない人をよく見かける。いくら珍しい体験をしていても、多くの情報をもたらしてくれても、事務的な仕事の能力が高くても、そういう人の話は深みがなくて、つまらない。
哲学と宗教に真剣に対峙した体験を持っていない「頭のいい」人というのが、私の一番苦手な人である。




コンクリートより照葉樹を

NHKで放映された「日本一多く木を植えた男」は貴重な番組だった。植物生態学者、宮脇昭氏は番組の中で、阪神大震災の時、火災や崖崩れを防いでいた土地本来の木である照葉樹(タブノキ、シイ、カシ、クスノキなど)の姿を紹介していた。それらが、水資源のためばかりでなく自然災害防止のためにもどれほど都市に必要であるかがよく分かった。
アレックス・カーの本によると、日本で年間に使われるコンクリートの量は、アメリカの2倍だという。道路建設やダム、護岸工事などに大量のコンクリートが投入されていることは、少し周辺を見まわせば明らかだが、それにしても多すぎる。震災対策が話題になり続けている昨今、高齢の現在も植樹の実践を続け、セメントなどの<死んだ材料>より照葉樹の必要性を訴えている宮脇昭氏のこの番組を、是非、再放送していただきたいと思う。


7月9日(土)  梅原猛に学ぶ  (4)

        「相撲」を見直す


梅原猛は、相撲の起源を縄文時代だと考えている。
柳田国男の「大人(おおひと)」という文章によると、里人が日本の平地を占領したときに山に逃れた大人は、ときどき里へやってきて二つのことを要求した。一つは餅をくれということ、一つは相撲をとろうということである。
梅原猛は、この「大人」を縄文人だと解釈している。そうすると里人とは、日本に侵入してきた弥生人である。その大人が餅をくれというのは、縄文時代の主食である木の実より弥生人の作る米が憧れの的であったからである。そして、弥生人と交流するために、縄文人の大切な儀式であった相撲をとろうとしたのではないか。

「私は前々から、縄文文化をもっとも忠実に守ってきたのがアイヌの人たちであると考えてきた。アイヌの人たちには、もめ事があった場合、それを解決する方法が二つあった。
一つは、その集落を代表する雄弁な人が互いに集まり、徹底的に議論をすることである。この議論は荘重な古代アイヌ語で行われるわけであるが、二つの集落の人たちが議論を交わし合い、論争に負けたら、負けた方の集落が勝った方の集落の言うことを聞くということになる。これは甚だ平和的な解決方法であるが、もう一つの解決法は、それぞれの集落を代表する強い男が相撲を取り、負けた方の集落が勝った方の集落の言うことを聞くことであった。・・・相撲で勝敗を決定することによって無用な争いを避けたのであろう。・・・「スモウ」という言葉は、バチェラーのアイヌ語辞典を見ると「神の死骸」という訳があてられている。おそらく負けた相撲取りはその場で殺されただろう(「日本書紀」には、初めて相撲をとって負けた当麻蹴速が殺されたという記述がある)が、より残虐な戦争の被害を避ける知恵であった。そう考えると、相撲は日本の国技であるということは甚だ深くかつ微妙な意味をもっていることがわかる」

確か立川昭二という人の本(からだ言葉)だったと思うが、最近は子供が相撲をとらなくなってきて、肉体をとおした他者とのコミュニケーションの機会が薄れてきているのではないか、それが他者感覚の希薄さにもつながるのではないか、というような指摘があった。それを読んだとき、相撲のような遊びがなくなることで、子供たちの中に他者との感覚が失われてきていて、そのため、いざ他者と接触する場合、例えばケンカなどの時も相手を殺すほどの過剰さになってしまうのではないか・・・というようなことを考えたことがあった。(争いを避けるために発生した日本の伝統古典文化といえる相撲の世界で、若乃花と貴乃花の花田家兄弟争いなどが起こっているというのは、何とも皮肉!)

梅原猛の記述を読んで、縄文文化の中で発生し、弥生文化の中に溶け込み、大和朝廷の中で「国技」となった日本の「相撲」というものを、見直した次第である。


7月8日(金)  梅原猛に学ぶ  (3)

        公明党の評価

組合の教育研究会に参加して、教育基本法改正の問題点を学習した。
千葉大学教授の三宅晶子という人が、「現行の教育基本法と与党教育基本法改正に関する検討会、中間報告」というものを紹介してくれた。
そこに盛り込まれている改正案には、様々な箇所にそうとう露骨な「国家主義」的な表現が多かった。
しかし、彼女は、「今まで指摘したことをすべて忘れても、この第十条の改正案だけは頭に入れていておいてください」と言って、恐るべきその文言を紹介してくれた。

現行「教育基本法」第10条(教育行政)
@ 教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。

「改正」案は、この箇所を、

「教育行政は、不当な支配に服することなく、国・地方公共団体の相互の役割分担と連携協力の下に行われること」と指摘している。

三宅氏のコメントは次のとおり。
「『教育は、不当な支配に服することなく』を『教育行政は、不当な支配に服することなく』に変更。教育への国家・行政権力の介入を禁じた現行教育基本法第10条1項全面的な否定。国家・行政の教育介入をフリーハンドにする一方で、『不当支配』を教職員組合や市民運動等、教育行政を批判するものに向けられる」

「教育は」という主語を「教育行政は」と変えるという、何ともエゲツナイ、「意図」丸出しの改正案であって・・・まさかこんな馬鹿げたことが通っていくとは思えないのだが・・・しかし、考えてみると「教育基本法」の「改正」は、政府が案として提出して国会で採決されれば過半数の賛成で通るのだ。
これは、憲法改正よりもはるかに簡単に行われ得る。

現在、この教育基本法改正案の提出が見送られているのは、池田大作の反対、それに伴う公明党の反対によるようだ。
そのことを、梅原猛は、2000年の時点で、次のように「評価」していた。

「私は、公明党については、ちょうどドイツにキリスト教民主同盟という政党があるように、たとえ日蓮信仰一辺倒であったとしても、日本に仏教にもとづく政党があるということは有意義なことであると思っている。・・・・しかし、聖教新聞などに連日のように載る、池田大作氏がどこどこの名誉博士になったなどという記事には正直に言ってうんざりしている。・・・ともあれ今度の池田氏の一喝はよかった。
『私は教育基本法の見直しについては、拙速は慎むべきだと思っております」「まして<教育勅語>の徳目の復権など、それらが戦前の天皇制、家父長制のもとでどのような役割を演じてきたかを考えるなら、時代錯誤以外の何ものでもないでしょう」
・・・この池田氏の一喝は、三党連立の政府のなかにあって公明党の生きるべき道を示唆したともいえる」

何度読み返しても、現行「教育基本法」の内容は素晴らしいと、私は思う。「改正」なんて全く必要ない。
しかし、「改正」に向けての動きがあり、外野席からいくら反対運動をしても、この法案改正は自民党がやろうと思えば簡単にできるのだ。それを現実的に止めているのが政府内における公明党の反対であるらしい。
この一点において、梅原氏の言うとおり、公明党も評価されなければならないだろう。


7月6日(水)  梅原猛に学ぶ  (2)

        円空は縄文の遺民

一昨年だったか、梅原猛が江南に講演に来るというので、楽しみにしていたことがある。
ところが、その日に台風が直撃して、外出できる状態ではなく、断念した。
講演が行われたのかどうか知らないが、その時の演題が「円空」だった。

私は円空について何も知らなかった。その後、志談塾で博識のYさんが「梅原猛が円空を木地師だとしたのは卓見だ」と語ったのを聴いた。木地師というのが木材から盆や椀などの日用器物を作る人だということもそれまで知らなかったので、まだ、円空についても漠然と荒削りの仏像を大量生産した変な人だというくらいの認識だった。

先日、梅原猛「宗教と道徳」を読んで、そこに語られていた円空についての紹介にとても魅了された。まず、彼は、円空ゆかりの岐阜県丹生村「千光寺」を紹介し、そのにある円空の代表作といわれる「両面宿ナ(漢字が出ない!)像」について次のように書く。

「私は、飛騨地方を強く縄文文化が残った土地ではないかと思う。飛騨全体が山の中にあり、この地に伝わる木工といい漆芸といい、すべて縄文時代からの芸なのである。下呂の名物は栃の実せんべいであるが、トチはクリとともに縄文時代の人々にとって米や麦にあたる主食であった。縄文の文化を守る「両面宿ナ(漢字が出ない!)」は激しく大和朝廷に抵抗したのであろうが、ついに権力にかなわず、滅ぼされたとみるべきであろう。「両面宿ナ像」は、数ある円空の作品の中でもとりわけすぐれた仏像である。円空は、飛騨の文化を守ろうとして滅ぼされていった両面宿ナに深い愛情をもって、この像を刻んだのであろう」

五来重という人は、そんな円空を木地師だったと断定し、その故郷を郡上郡美並村や武儀郡洞戸村などではないかと推定している。梅原氏はその説に対し、

「故郷の地はとにかく、円空が木地師であるという指摘はまことに興味深い。私は、人里離れて山間に居住し、もっぱら木工業に携わった木地師は縄文の遺民であり、奈良時代に日本一の名匠とたたえられた飛騨匠とその先祖を同じくするものであると考える。」

と書く。さらに、円空が愛知県西春日井郡師勝町にある「高田寺(こうでんじ)」の「金剛界、胎蔵界の両部の密教の秘法を授けられた」ことを紹介している。高田寺は、720年に行基によって建てられた寺である。その本尊は薬師如来像。

「この仏像は行基作と伝えられる数ある仏像のなかでもとりわけ傑作なのである。特にその衣文(えもん)の流れの表現がすばらしい。私は、かつてこの仏像について次のように記した。
『そういう宇宙の霊気のさまざまの流れを、作者はこの薬師如来像の衣文に表現しようとしたのである。それはまさに伝統的な日本の霊気の表現であるにちがいない。縄文の土器にもそういう霊気の表現がある。これがこの薬師像をつくるにいたって、露骨にそこに出現したわけである。私もこの薬師如来像を見たときには、強い霊気にうたれて感動に体が震えた』
高田寺で、円空はこの行基仏をみたはずであり、それによって彼はこのような仏像をつくろうとする気を起こしたのではないか。これは今までだれにも指摘されていないことである。円空仏愛好者は、円空仏ばかりではなく、是非高田寺の薬師如来像をも見てほしいと思う」
              
縄文時代を愛好している私は、行基、円空、飛騨の匠に「縄文の遺民」を見る梅原猛の指摘をとても興味深く読んだ。師勝町は現在の勤務校からすぐ近くである。是非「高田寺」を探して、薬師如来像を見学したいと思っている。


7月4日(月)  梅原猛に学ぶ  (1) 

梅原猛は中曽根内閣の時「靖国懇談会」の委員だった。
彼は、公式参拝承認の方針を出す思惑で作られたこの懇談会の中で、公式参拝に反対した。
その理由として次のように書いている。

「日本の神道は縄文時代以来の山川草木に神を認めるアニミズムに起源をもっているが、『古事記』『日本書紀』が作られた時代に国家主義的に変化した。しかし靖国神道はその記紀神道をすら大きく逸脱している。
日本の神道は、自らの政治権力によって犠牲になった人々を自らの祖先神より手厚く葬るところにその特徴がある。記紀においてもっとも重要な神社は、皇室の祖先神を祀る伊勢神宮と、皇室によって滅ぼされた前時代の権力者を祀る出雲大社であるが、出雲大社が伊勢神宮より巨大であることは、敵の霊を見方の霊より手厚く祀ることが日本神道の本質であることを意味する。しかるに靖国神道は自国の人々の霊のみを祀り、自国の侵略の犠牲になった人々の霊をまったく祀らない。
もう一つは外向的理由である。人が生きていくには隣の人に気をつかわねばならないように、日本が生きていくためには隣国の人の心のことを考えねばならない。東条英機をも祀っている靖国神社に首相が公式参拝すれば、戦争で甚大な被害を被った隣国の人々の心を逆なでする。
この二つの理由が私の反対の理由であった」

梅原猛は海部内閣の時、海部首相に長い手紙を書き、こんこんと公式参拝しないようにいさめた。そのためか海部首相は参拝の計画を中止した。
その後、海部首相は韓国で歓待されて、帰国後「先生のおかげで日韓外交はうまくいったと深く感謝された。」という。

そんな梅原猛が、小泉首相の態度の関して次のように嘆く。

「小泉首相は懇談会も作らずに自分の考えで断じて公式参拝をするという。そしてその理由を首相は『国のために死んだ人の霊に参って何が悪いか』と語る。一国の首相としては驚くほど単細胞的な言葉である」
                    (梅原猛「宗教と道徳 思うままに」より)



6月29日(水)  「螢の光」の恐るべき歌詞

職場で「九段の母」の話をしたら、同僚の一人が「小学唱歌」の歌詞には同じようなものがあるということで、岩波文庫「小学唱歌」から「螢の光」を見せてくれた。


螢の光 窓の雪
書(ふみ)読む月日 かさねつつ
いつしか年も すぎのとを
あけてぞけさは わかれゆく

とまるもゆくも かぎりとて
かたみに思う ちよろづの
こころのはしを ひとことに
さきくとばかり うたふなり

つくしのきわみ みちのおく
海山(うみやま)とおく へだつとも
そのまごころは へだてなく
ひとつにつくせ くにのため

千島(ちしま)の奥も 沖縄も
やしまのうちの まもりなり
いたらんくにに いさお しく
つとめよ わがせ つつがなく

この歌も、三番、四番、になると、愛国心鼓舞の「防衛歌」みたいになっている。
あの「螢の光」がこんな歌詞だったのかと、これも驚いた。


6月28日(火)  「九段の母」の恐るべき歌詞 

志談塾で靖国問題を話し合った。
レポーターが高橋哲哉「靖国問題」をもとに、石橋湛山の靖国神社廃止論を紹介してくれた。湛山の主張は、終戦直後(昭和20年10月)の国民感情を無視した、あまりにも先に進みすぎた主張のように思った。
湛山の論法は、「万代に拭う能わざる汚辱の戦争」で死んだ人たちを祀ることは「ただ汚辱と怨恨との記念として永く陰惨の跡を留むるのではないか」として、靖国神社を廃止すべきだというものである。戦争に負けて多くの日本人が死んだことを「懺悔」(「一億総懺悔」は天皇に懺悔するということであった)することはあっても、大東亜戦争自体を「万代に拭う能わざる汚辱の戦争」ととらえることは、当時の日本人には受け入れられない主張であったろう。

話し合いの中で、靖国神社を「一種の新興宗教」だとしてとらえるべきだという主張があった。全く同感である。靖国神社は、どう考えても日本の「伝統」的な神道の流れからはみ出している。近代軍国主義体制がつくり出した「天皇教」ともいうべき一神教の「新興宗教」施設である。

「靖国新興宗教」の洗脳の恐ろしさをもっとも感じたのは、レポートで紹介された、流行歌「九段の母」の歌詞であった。

二、空をつくよな 大鳥居
  こんな立派な おやしろに
  神とまつられ もったいなさよ
  母は泣けます うれしさに

三、両手あわせて ひざまずき
  おがむはずみの おねんぶつ
  はっと気づいて うろたえました
  せがれゆるせよ 田舎もの

この三番の歌詞には仰天した。こんな恐ろしい歌詞の流行歌が流行っていたということに、本当に衝撃を受けた。
庶民の素朴な念仏信仰の精神を「田舎者」と卑下させるような「洗脳」が、流行歌によって行われていたのである。

6月26日(日)  憲法第九条第二項擁護論 

みなさんのご意見をお聞かせ下さいませんか。

日本国憲法(第9条)
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
<2> 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない。

「九条の会」のHPを見て、どうしてこの憲法第九条第二項に関するはっきりした擁護論を展開しないのか、疑問を持ち続けています。
憲法第九条を守る、ということは、九条第二項を守るということではないでしょうか。なぜなら、改憲を主張する最大の人物、中曽根康弘ですら、九条第一項はそのまま残せばいいと主張しているからです。古くは三島由紀夫が、九条の第一項はそのままでいい、第二項にはっきり自衛軍の保持を書くべきだと30年くらい前から言っていました。
九条の理念はそのままに、現実的な軍隊の保持は明記すべきだ、ということを、改憲派の本流は言っているわけです。だから<九条の理念を世界に向けて発信する>なんて言っても、そんなことは改憲側でも表向きは同じ主張なのであって、「理念」については対立する所はないのです。
表向き対立していないところを「いや、そんなこと言っているが本音は戦争のできる国にしたいのだ」なんて言って批判しても説得力はありません。対立するところは、具体的に、<軍事力、及び交戦権を放棄するかどうか>というところなのです。

私の感触では、警察がなくてもいいなんて考える人がいないように、最低限の自衛のための軍事力すら必要ないと考える人は、純粋な宗教者とか、純粋な旧社会党(=非武装中立論)支持者を除けば、たぶんいないと思います。理屈の通らない暴虐な犯罪者が存在するのと同じように、理屈の通らない暴虐な国家が地球上に皆無となることはない。となれば、そういう国際社会の中でもなお<具体的な軍事力及び交戦権をすべて放棄する>と宣言する憲法第九条第二項を守ろうとする論拠はどういうことになるのでしょうか。

遠い将来において九条の理念を実現するために、先駆的に日本は第二項を守っていくのだ、という論法はよく聞きます。日本国憲法の理念は国際連盟の理念でもあるから、その理念のもとに具体的な国際紛争の解決は、各国の軍事力ではなく、国際連盟が所持する軍事力(国連軍)を背景になされるような体制が理想という考え方です。
この考え方は「理想」レベルでの第二項擁護論として、私も同意します。しかし、「国連軍」なるものができて、国連加盟の各国がその軍事力をすべて「国連」所属のものにできるとは思えない「現実」があります。
その「現実」レベルでの擁護論が、今、必要だと思っています。
いろいろ考えた結果、現在の段階での、私の九条第二項擁護論を、以下にまとめてみました。

1、理想レベルでの擁護論。

国がなかった大昔、部族のそれぞれが持つ武力によって「治安」のための争いが起こっていた。その後、国という統治機関が部族を支配して、もっていた武力はすべて国が吸収し、国の大きな軍事力で「治安」が行われるようになった(ローマがヨーロッパを支配した時、ガリア地方部族の武力はローマ軍に属する形となった)。
現在は、国という単位が保持する軍事力によって地球上の「治安」のための争いが起こっている。
SF小説のようだが、未来において地球外生物によって地球が支配されれば、かつて部族の武力が取りあげられたように、各国は非武装状態にされる。地球上の「治安」は、地球を支配した大きな軍事力によって維持されることになる。
大きな人類史の視点で見ると、現代は、国という単位を越えた「大きな軍事力」が地球全域の「治安」を守るという方向にさしかかっている。そしてその「大きな軍事力」は、地球を「支配」した組織の持つものでなく、「地球連邦」とでも呼ばれるような世界の国の共同体制のもとで作られる段階(国連軍の創設)にさしかかっている。
従って、さらに次の段階は、すべての国が、国家主権を保持するために軍事力を持つ、という発想を超えて、軍事力を放棄し、地球連邦が組織する「大きな軍事力」のみが地球の「治安」を守るという世界の出現である。
日本国憲法九条第二項は、現在はまだ<現実的でない>そういう<理想的>世界を先取りする内容である。
従って、これは保持されるべきである。

2、現実レベルでの擁護論。

地球上の各国が国家主権を維持するために軍事力を持つ、というレベルの現段階においては、最低限の防衛軍事力は必要である。
自衛隊の存在は、第九条第二項の第一文「前項の目的を達するため」という文言によって認められる。(「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使」を「放棄する」という表現は、自衛のための武力保持までは放棄していないという読み方ができる、という立場に立つ)
従って、第二項第一文を保持する。
次に、第二項第二文「国の交戦権は、これを認めない」を保持することによって、武力行使を禁じる。
「交戦権」を「認めない」という文言を残す理由は、日本という国にはまだしっかりした「シビリアンコントロール」が存在しないからである。
自衛のための軍事力を保持することの危険性は、その軍事力が「自衛のため」という名目で一人歩きし始めることである(かつて、日本の「関東軍」が「自衛のため」に中国戦線を拡大していった)。<自衛のための交戦権を認める>ことは、「シビリアンコントロール」が確立していない日本においては、非常に危険である。この文言を残すことの重要性は、現実のレベルにおいては「シビリアンコントロール」を機能させるため、と考えよう。現在、自衛隊は海外に派兵されたが、この条項がなかったならば、もっと早くに活動内容が拡大されていただろう。自衛隊の動きをなんとか最低限にくい止めるために、常に「憲法違反である」という<歯止め>が必要なのである。
以上の理由によって、憲法九条第二項は保持されるべきである。


6月11日(土)  縄文の感性が生み出した浄土真宗

辻邦生「背教者ユリアヌス」を読んで、最も感銘したのは
「言葉のひだにしみこみ、思想の割れ目に流れ込み、習俗の深みに重くよどんでいる」
という表現だった。
ローマ皇帝ユリアヌスは、ローマ人にとってはそれが「ギリシャ古代の神への信仰」であると考え、公認され権勢を誇っていたキリスト教徒たちと戦う生涯をおくった。

私は、ユリアヌスの発想に共鳴し、日本人の、秩序、自由、倫理について「言葉のひだにしみこみ、思想の割れ目に流れ込み、習俗の深みに重くよどんでいる」ものを土台として思索していきたいと思った。前々から考えていたことであるが、普遍的で、どの民族にもあてはまるような、秩序の理論、自由の思想、倫理観、というものはないのではないか・・・そう、最近は特に強く考えるようになった。

日本には、どんなに先進的な思想・流行が入ってきても、どんなに英語が蔓延し、どんなにアメリカンライフスタイルが押しつけられようとも、日本人の原質ともいうべきものが核として存在し続け、消滅することはない。それらは「言葉のひだにしみこみ、思想の割れ目に流れ込み、習俗の深みに重くよどんでいる」。だから、そういう核となっているものを土台として、秩序、自由、倫理、について考えていくしかないし、行くべきだと思うのだ。そして、その核となる原質とは、一万年以上前から日本列島の風土の中で形成された縄文時代の「森の文化」とも言えるもので、その中で熟成した「死生観」にあると思うのだ。

先日読んだ竹内久美子(動物行動学者)の「パラサイト日本人論」に、以上のような私の考えを裏付けるような事例があった。とても面白かったので、紹介しよう。

梅原猛は、「日本の仏教は浄土真宗をもって一つの完成をみる」と指摘している。
仏教は、浄土真宗という実に「日本的」とも言える死生観に至って、最も多数の信者を獲得し、日本仏教として確立したというのである。
それは、<輪廻思想からの脱退>とも言える、以下のような経過をたどった。

<仏教本来が教える涅槃は極めて特殊な境地である。人間は人間を含めた苦の世界を輪廻しているが、涅槃は悟りによりそれを断ち切った者のみが到達できる。だから大多数の人間は、苦の世界を永遠にさまよい、輪廻しなければならないことになる。
「往生要集」を著し、浄土思想を広めた源信は、この死生観を少し変えた。
人間も含めた生きとし生ける者は、人間、天、地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、の六つの世界を輪廻する(六道輪廻)。六道はすべて苦の世界であるが、ただ、人間界から浄土へは道が開けており、念仏、修行、寄進によって脱出できる、という。
これに対し法然は、この世と浄土とから成る世界観を呈示した。
しかも、この世から浄土へは、誰でも、ただ念仏を唱えるだけで往生することが可能だというのである。(この時点で、輪廻の思想はどっかへ行ってしまって、本来の仏教とは変質した浄土思想が呈示された、ということになるのだろう)
さらに親鸞が、この死生観をさらに日本人の<あの世>観に近づけた。
親鸞によれば、あの世(浄土)へ行った人間(衆生)は、しばらく滞在した後に、またこの世へと戻ってくる。衆生を救済するために、戻って来なければならないのである。行きの過程を<往相回向>、帰りを<還相回向>という。あの世は最終目的地ではなく、人間(衆生)は常にこうしてこの世とあの世とを行ったり来たりしているわけなのだ。
(輪廻とは普通、苦の世界を循環することで浄土とは関係しない。だからこれは、輪廻とは関係ない信仰形態で、日本古来の「魂」の信仰に類似している)
この二種類の回向という考え方は「教行信証」の教の巻の冒頭に示されているから、彼の思想の中心をなすものである。そして梅原氏が浄土真宗をもって日本仏教が完成したとみなしておられるのは、まさにこの点においてである。このあの世観が、原日本人とでも言うべき、アイヌや沖縄の人々のあの世観と、なぜか不思議によく一致してしまうからである。・・・・<ここでイオマンテの儀式を説明し>・・・このように、クマの魂もこの世とあの世とを行ったり来たりしているわけである。沖縄のあの世観もアイヌとほぼ同じだが、魂の帰る場所がアイヌの場合は山の上であるのに対して、こちらは海の彼方だそうだ。
こうして見てみると、なるほど仏教の日本化は、言うなれば原日本化、つまりは縄文への回帰の過程であったと言えるわけである。・・・仏教は日本において、どうやら日本人の心にフィットするよう、少しずつ少しずつ縄文好みに変えられてきたようだ。その集大成が浄土真宗で、とすればかの宗教が縄文の色濃い北陸でよく受け入れられたのは、あまりにも当然と言えるかもしれない。>

「言葉のひだにしみこみ、思想の割れ目に流れ込み、習俗の深みに重くよどんでいる」日本人の縄文時代の感性が、仏教という普遍思想をも変えてしまっていたのである。
親鸞は、世界の哲学者から注目される日本で最も独創的な思想を確立したが、それはまさに、竹内久美子が書いているように、「自己と対話し、呼び覚まされた、はるかな縄文の記憶のようなもの」が土台となって成立したものだったと思われるのだ。


新しい学校では「総合」の時間が、昔の「必修クラブ」と全く同じ形式で行われているようだ。各教科から選ばれる担当者はその時間何をやってもいいらしい。趣味の講座という形だ。出席はとるが評価はしない。人数は20人くらいか。見た目は楽しそうな時間だが、実際は担当者の力量だけで引っ張って行かなくてはならない大変な時間だ。やる気のない生徒が集まって、担当者の<趣味>に食いついてこないと、単なる<おもり>の時間になる。大変だったと語る人もいた。
私も担当者になったので、映画の楽しみ方を教えてやろうかな、なんて思っている。視聴覚室に入れて、過去の名画のさわりの部分を見せながら解説するのだ。実は昔勤めていた学校の必修クラブでやったことがあるのだ。その時のプリントがしっかり残っているし、ビデオもおおかたはDVDに焼き直して持っている。
私の得意分野といえば、そんなことになる。はたして生徒が食いついてくれるか。

3月31日(木)  寺社巡りの旅

サンサン切符で、名鉄、近鉄、南海電車をふんだんに使い、3日間、たっぷりと寺社巡りの旅を楽しんできた。
初日は雨なので、大阪の母の所へ行き、途中で買い込んだ食材で夕食を(もちろんカミサンが)作り、テレビドラマの「交渉人」を見て大笑いして(このドラマは前半がシリアスなサスペンスで、後半あっと驚く主犯が登場して不自然きわまる展開をするためにあきれかえるというより大爆笑のコメディーになってしまう実に楽しいドラマだった)過ごした。
2日目は高野山へ。
ケーブルを降りて、奥の院まで約7キロウオーキングし、ゆったりとお寺巡りをした。門の彫り物などに興味のあるカミさんのおかげで、昨年秋に来た時は気がつかなかった建物のすばらしい面にいくつか気づかされた。奥の院の無数と言っていいお墓の中に、神社の鳥居をかたどって作られたものが多数あることに、神仏混淆の元祖ともいえる空海さんの思想が反映しているような大きな精神を感じたりした。高野山大学の学生らしい若い坊さんの親和的な対応が心にしみたり、「金剛三昧院」の静かなたたずまいと宝塔、神木にあらためて感嘆させられたり、再訪してよかったと思える1日を過ごした。
3日目は、計画していた松阪行きをやめて、まず近鉄で高明寺というお寺(真言宗系の尼寺ということで菅原道真の作った十一面観音像がある)を見た。カミサンの感想としては、同じ真言宗といっても高野山の寺院は全体的に男っぽい感じがするのに対し、この寺は屋根の飾りに花が彫られていたりして女性らしい優美さが感じられるという。なるほどと思った。
隣に立派な天満宮があって、もとはその境内にこの寺もあったが、神仏分離令のために新たに場所を移して建てたという。あの明治の悪法の痕跡がいたるところにあって、本当に腹が立ってくる。
次に富田林市で降りて駅前の古い町並みを歩いた。素晴らしい家並みで、戦国時代に浄土真宗系の寺内町として栄えたという。外敵から街を守るために道路がわざと曲げられ、曲がり角はわざと少しずらして見通しを悪くするように設計されている。
最後に、前々から一度は行ってみたかった橿原神宮を訪れた。この神社は国家神道の典型的な<国策神社>とも言えるものだ。神武天皇を祀っているというが、建てられたのは明治23年である。立派な神殿は荘厳ではあるが、ただそれだけ。周囲に山はなく、自然の生命力を謳歌するような歴史はなく、平地に人工的に作られた典型的な国家の神社である。
神社が大好きな私は、神社を評価する私なりの基準をはっきり持っている。山の木々や動物を祀り、おおらかに生命力を賛美するような古代(国家成立以前)の神道の名残が(国家が成立し、神殿が造られた後も)色濃く表れている神社がよい神社である(例えば諏訪神社や住吉神社)。そういう歴史がなく、国家(天皇)による統治目的が全面に出ている神社は評価できない。
橿原神宮前から、うまく急行列車を乗り継いで、17時半に名古屋についた。そこから乗る名鉄でもサンサン切符は使えるわけで、これだけ乗りまくって5000円というのはほんとうに安い。実に中身の濃い旅行であった。

3月28日(月) サンサン切符の旅

今日から、大阪、高野山、松阪の小旅行をすることになった。
28日から30日の3日間、休暇がとれることになったからだ。
まず、不本意な人事異動で28日(月)に予定されていた前任校の職員会議に出なくてよくなった。そこでその日、同僚と中山道34キロのウオーキングを計画したのだが、それが雨の予報であえなくつぶれた。
そうなった時、前々から一度使ってみたかった「サンサン切符」の旅が急浮上したのだ。
名鉄、近鉄、南海、3つの鉄道が3日間乗り放題5000円という、ものすごく値打ちな「サンサン切符」が3月末で終了する。この機会に、これを使わない手はない。
最初は一人で行こうと思ったが、大阪の母の様子を見がてら、夫婦二人で行くことになった。そこで3つの鉄道をしっかり利用した観光地として、カミサンが行きたいと言っていた高野山と松阪を選んだ。
今日(28日)は雨だが、29、30日と晴れるようなので、見学を兼ねたウオーキングをするつもりである。

3月25日(金)  川島神社

歩くことが、本当に好きになった。
昨日、突然甚目寺まで出張することになって、往復80キロの距離を運転していたが、途中で歩きたくなった。木曽川の堤防を走っているとき、ふと見ると、何ともかっこよく灯籠が並んでいる神社があったので、車を止めて周辺を歩いてみた。
神社は「川島神社」という郷社で、鳥居や灯籠、小さな太鼓橋、社殿の他に、よくまあ細々と作った物だと思われるほど多く石造りの付属物が配置されている。まるでミニチュアの模型みたいな感じで、何ともほほえましいような神社だった。

夜、雨が降ったために、楽しみにしていた今日の34キロウオーキングが延期になった。
名鉄御嵩駅から恵那まで中仙道を歩くというコースを、同僚から誘われて、一度やってみようと思っていたのだ。
田舎道の傍らにある、小さな神社やお寺と出会うのが楽しみである。
3月24日(木)  内々神社

こんなに近くに、こんなに由緒ある、日本の神道の伝統を保持して、何よりも神殿と彫り物、庭園の美しい神社があったなんて!
その神社の名前は「内々神社」。場所は、岐阜県(多治見市)と愛知県(春日井市)の県境、内津峠の愛知県より、国道19号線沿い。

まず、この神社は日本の最も素晴らしい伝統である「神仏混淆」を見事に体現している珍しいほどの神社だ。
塀一枚を隔ててまさにぴったりと横に建っているのが「妙見寺」というお寺。天台宗系で、妙見さんという名称で親しまれているという。この寺の住職が内々神社の別当も兼ね、明治元年の神仏分離令の時もうまく対処して、この寺と神社は見事に混淆の歴史を重ねてきたという。神殿正面の額に描かれた文字の最後に、何と「僧正○○」という記名がある。神殿の額に僧侶の署名があるというのは実に珍しいことだと、この地方第一の郷土史家が説明してくれた。
第2に、神殿の周囲に描かれている彫り物の見事さといったらない。
正面には上り龍と下り龍が、巨大な一木から掘りだされている。全部で10年はかかったという素晴らしい彫り物が散りばめられているのだ。
第3に、神殿の裏手に回って驚くのが、美しい庭園だ。これは明らかに禅宗の庭そのもので、横の妙見寺の庭ではないかと思われる。庭の周囲は歩けるようになっていて、様々な角度から鑑賞できるようになっている。
そのほかにも、この地が芭蕉の門人である横井也有が「鶉衣」の中に「うつつ草」として描いている地であること、彼の句碑を中心にした文学の森という場所が作られていることなどを付け加えて、この神社は「一見の価値」は間違いなくある貴重な歴史史跡であると思われる。


<参考資料>
内々(うつつ)神社
 旧県社であり、起源が古く、しかも日本武尊の伝説と深い関係があります。主祭神は尾張氏の祖建稲種命(たけいなだねのみこと)であり、これに日本武尊、宮簀姫命(みやずひめのみこと)を配しています。
 昔から武将の尊崇が厚く、豊臣秀吉の朝鮮役にも戦勝を祈願して、この社頭から軍船用の帆柱を伐り出したといわれています。また、篠木荘33ヶ村の総鎮守でもありました。神社と密接な関係にある妙見寺は、室町時代初期に天台宗密蔵院開山慈妙上人によって開創されました。
 権現造りの社殿は、江戸末期・名工立川一族により造られ、廻遊式林泉型の庭園は、夢窓国師作といわれています。

内々神社庭園/内津町    
(県指定文化財 名勝 昭42.8.28指定)

南北朝時代の名僧夢窓国師(1275〜1351)の作庭と伝えられる名園で、京都西芳寺などにある他の国師作の庭園と同じく廻遊式林泉型になっています。社殿背後にあり、少しの平地と急斜面を利用して南北に造られ、神社裏山の自然の岩を巧みに取り入れています。三大巨石や中央に高くそびえる天狗岩が影向石(神仏が来臨して一時姿を現す石)をなし、その下に丸池が掘られて、出島、中島が設けられた様は、計算されつくした美の世界です。

交通手段
JR中央線高蔵寺駅から名鉄バス内々神社行内々神社下車
住所
〒480-0301 春日井市内津町

3月21日(月)  朝日新聞、投稿文

久しぶりに朝日新聞「声」の欄に投稿してみた。
後半の「ペイネ 愛の世界旅行」を紹介した部分がお気に召したと見えて、担当者から確認の電話が入り、今日、掲載されていた。
ここにコピーしたのは、投稿した原文。
掲載文は、2、3文末表現が変えられているだけで、ほぼこのとおりだった。ただ一カ所、「大河ドラマの脚本などは、体制擁護の姿勢が強すぎる面も感じる。」はカットされていた。

NHKは教育テレビのみに

NHKの受信料支払い拒否・保留が70万件に達する可能性があるという。いっそNHKは受信料を(もっと安くして)教育テレビ系の番組にのみ使うという形にするのはどうだろうか。視聴率の稼げる総合テレビ系の番組にはスポンサーを付けるのだ。
視聴率競争の中では存続できなくても、残さなければならないような番組はある。NHK教育テレビにそれは多いと考えて、私はずっと受信料を払い続けてきた。しかし、総合テレビ系には民間に移しても充分維持でき、もっと個性的な内容になる可能性のある番組も多いように思う。大河ドラマの脚本などは、体制擁護の姿勢が強すぎる面も感じる。
1974年に作られたイタリア名作アニメ「ペイネ 愛の世界旅行」の中に、ペイネが訪れた東京で、顔面がテレビになっている日本人の大群が登場する場面があった。何とその日本人たちの顔面テレビに映っていた文字がNHKだったのだ。NHKによって日本人の感性が画一化され、没個性化されていることをみごとに指摘した場面だったが、ヨーロッパ人からそのように見られていたNHKは、もう変わるべき時代になっていると思う。
(2005年、3月16日投稿)

3月3日(木)  ドロシー・ロー・ホルトの詩

皇太子浩宮さんが、2月23日の誕生日にスエーデンの教科書に引用されている「こども」という詩を紹介していた。(その日は私の誕生日でもあって、彼はちょうど10年遅く生まれている)
とてもいい詩で、何とか全文読みたいと思っていた。ネット検索してみたら、紹介してくれているHPがあって、読むことができた。
コピーさせてもらいます。

     こども     ドロシー・ロー・ホルト

    批判ばかりされた 子どもは
    非難することを おぼえる

    殴られて大きくなった 子どもは
    力にたよることを おぼえる

    笑いものにされた 子どもは
    ものを言わずにいることを おぼえる

    皮肉にさらされた 子どもは
    鈍い良心の もちぬしとなる

    しかし

    激励をうけた 子どもは
    自信を おぼえる

    寛容にであった 子どもは
    忍耐を おぼえる

    賞賛をうけた 子どもは
    評価することを おぼえる

    フェアプレーを経験した 子どもは
    公正を おぼえる

    友情を知る 子どもは
    親切を おぼえる

    安心を経験した 子どもは
    信頼を おぼえる

    可愛がられ 抱きしめられた 子どもは
    世界中の愛情を 感じとることを おぼえる

2月23日(水)  台湾旅行雑感(2)

台北2日目は、ツアーに組み込まれている市内観光に参加した。
行程には入っているのだが、参加は自由で、仲間の半数は参加しなかった。一応名所には案内してくれるらしいが、途中、土産物店、漢方薬店、足裏マッサージ、お茶の店などにも立ち寄ることが組み込まれていて、割高の買い物をさせられるらしい。しかし私は初めての台湾旅行なので参加することにした。

最初に行ったのは「孔子廟」。とても立派な建物で、龍の彫り物があちこちにあった。その横に「保安宮」という道教のお寺も見学。中国らしいきらびやかな装飾の建物だった。
忠烈祠という、日本の靖国神社みたいな国民党兵士の死者を祀ったところでは、衛兵の交代儀式がとても面白かった。見事な動きで、1時間ごとに15分くらいかけて、門に立っている二人の兵士が交代するのである。交代が終わると、まるで人形のように微動だにしない(雑誌などにはまばたきもしないなんて書いてあるが、それはオーバーで、私はまばたきする所をしっかり見た)。横に観光客が立って写真を撮ったりできる。陸海空軍のエリートでなかなかのイケ面兵士が、誇りを持って任務についているという感じだ。しかし、イギリスやデンマークなどで伝統的に行われている同じ儀式よりも、おそらく、より観光客を意識した「見せ物」になっているに違いない(娘によるとデンマークではあまり近寄ることはできなかったそうだ)。とにかく、下手な大道芸よりよっぽど見応えのあるパフォーマンスだった。
故宮博物院は改装工事中で、10分の1ほどのものしか見られなかったが、神業のような工芸品の宝物を幾つか見た。信じられないような工芸品で、ほんとうはいけないはずだけれどみんな写真に撮っていたので、私も撮影した。注意はされなかった。カメラを出したとたんに注意されたのは、そのあと連れて行かれたブランドものの免税店だった。値段などを記録されるとまずいということだろうか。
もう一つの博物館「歴史博物館」も見学した。ここもなかなか見応えがあった。撮影はもちろんダメだった。

市内観光には「お茶の勉強」というのが組み込まれていて、日本のNHK番組「ためしてガッテン」にも出演したという高名な(?)お茶の先生の講釈を聞いた。たっぷりとお茶を飲ませてくれて、自分のところのお茶が本物で、他の店の安いお茶はニセモノだということを、様々な角度から実験を交えて語っていく。そして、最後には自分の店のお茶を買わせようとする。その見事な話しぶりは、まるで催眠商法のようであった。わたしもふと1万2千円のお茶を、早い者10名だけはたくさんのサービス品をつけるという話に酔って、買おうかなと思ってしまったほどだった。(理性的な私はすぐに冷静に判断して買わなかったけれど)
また、漢方薬の薬店にも連れて行かれた。そこでは<本物の>足裏マッサージができるというふれ込みで、成り行きで仲間全員が体験してみることになった。30分700元(2400円)は高いと思ったが、直前にバスの中でガイドさんが「台湾には資格のないマッサージがたくさんいて、安くやっているが、以前そんなマッサージにかかって体をこわした人がいます。この薬店のマッサージは全員資格を持っている人なので安心です」なんて話していたので、やってもらう気になったのだ。

2月22日(火)  台湾旅行雑感(1)

職場の同僚11名で3泊4日の台湾旅行をした。
18日(金)の午後職場を出て、5時に開港2日目の中部国際空港から飛び立った。約3時間で台北空港着。機内で腕時計を1時間遅らせる。到着したのが台湾時間で19時半。
台湾は雨だった。何と4日間、見事に雨が続いた。天候では最悪の旅行だった。
だが、楽しかった。中身は充実していた。初めての海外旅行だったので、私にとっては貴重な体験の4日間だった。

台湾の人々の生活ぶりについて、知ったことを書いておこう。
まず、バイクが多いこと。雨だったが、合羽を着てバイクで通勤する人々が蟻の群のように道路を占拠する。その光景は珍しかった。二人乗りも許可されている。前後に子供を乗せて走るバイクも見た。
そのためもあろうか、台北市内の空気はとても汚いという。ガイドさんは、頭全体を覆うヘルメットは安全のためというよりも汚い空気から頭部を守るためでもある、なんて説明をしていた。
台湾の人々はほとんど共稼ぎなので、朝昼の食事は外食だという。家ではあまり食事をしない。だから食事をする店がやたら多いようだ。とにかくよく食べている。そして美味しい。値段も、ものによって日本と変わらないものもあったが、まあまあ安い。私が一人で入った店の海鮮ラーメンは、具がたくさん入っていて80元(約280円)だった。日本でなら500円はする内容だった。麺類などが特に安いような気がした。
台湾では食堂でも水は出ない。ホテルについても生水は絶対飲んではいけないという。コンビニでペットボトルの水を買い込んで、いつもそれを飲んだ。台湾のお茶には砂糖がはいっているので(紅茶の感覚)水がいいのだ。
衣類や電化製品などの値段は日本より高いかもしれない。しかし交通機関の料金は安い。地下鉄に30分以上乗って移動しても25元(85円)だった。タクシーを何回も使ったがいちばん遠いところまででも150元(510円)ですんだ。ただ、運転の荒いことには閉口した。クラクションを鳴らし続けて、雨の中でもかなりのスピードで走る。ヒヤヒヤして疲れた。

台湾滞在3日目には、臆病な私もかなり慣れてきて、午後は一人でホテルの周辺を歩き回った。小雨が降っていたが、西門という駅近くの通りは、東京の渋谷、新宿あたりの<不夜城>という感じでにぎやかなことこの上ない。看板が乱立し、ネオンが煌々と輝き、ロックミュージックがガンガン鳴り響く中を、アベックが肩を抱いて歩いている。それはまさに東京と同じなのだが・・・・私がとても印象的だったのは、そのあふれかえる若者たちの服装、髪型などがとてもオトナシイのだ!地味なのだ!東京では当たり前のようみ見かけるケバイ化粧や過剰なファッション、茶髪金髪、いかにもアブナイ風体の狂ってるとしか思えないような若者の姿は、全くないのだ。どんどん大胆になってきて、大通りから離れたごみごみした狭い通りにも入り込んだ。そこには、入れ墨を彫る店が並んでいて、ちょっと怖そうな(それでも日本ではどこにでもいる普通のピアスをした男)兄ちゃんがたくさんいた。しかし、総じて危険な感触はなかった。
東京の盛り場のケバイ光景の異常さ、不健康さがつくづく異常に思えた。台北の夜の健康的なにぎやかさに、私はいちばん好感を持った。      (続く)

2月14日(月)  中沢新一「対称性人類学」(2)


中沢新一の言葉の中の、有益な表現を記録しておこう。
「新人」である我々がネアンデルタール人と異なる本質的な点を、考古学の調査をふまえて、彼は次のように書いている。
「対称性人類学」は、ここを基点として構築されている。

<ネアンデルタール人(新人が現れる以前の20万年以上、地球上で繁栄していたヒト)と新人(ヨーロッパとオーストラリア大陸で今から4万年前から活動を始めた新しいタイプのヒト)との間には、おたがいの「心」の構造についていくつもの重要な違いが存在していたようです。
まず、ネアンデルタール人の場合は「子供時代」がとても短かったという特徴をあげることができます。発掘された子供のネアンデルタール人の骨を注意深く調べた結果、わずか3歳なのに脳のサイズは新人の成人並の大きさを持ち、臼歯の発達もとても3歳の幼児とは思えない立派さなのです。<朝日選書「ネアンデルタール人とは誰か」参照>私たち現生人類の最大の特徴は、子供時代がほかの動物たちに比べてひじょうに長いという点にあります。ネアンデルタール人よりも妊娠期間が短く(ネアンデルタール人の場合は1年近く母親のお腹の中にいたらしい)、未熟なままに生まれてきた現世人類の子供は、そのまま長い期間にわたって母親やそのかわりをする人との、きわまえて密着度の高い状態を経験することになります。フロイトの考えでは、この未熟状態の長く続くあいだに、私たちに特有の「無意識」の構造が発達することになります。
さらにもうひとつ重要な違いがあります。頭蓋骨の構造の研究から、ネアンデルタール人は現生人類のような言語を話すことはできなかったのではないか、という考えが有力になってきました。・・・ネアンデルタール人は舌の大きさと形で口内の大きさを変える「一室性の音声系」のせいで、ゆっくりと、しかも限られた音声しか発声できないという制約の体系性をそなえた言語をしゃべっていたことは確実です。しかしその言語は、現生人類が発達させていった言語とは、根本的な違いをもっていたように思われます。
言語の本質を発声器官の構造だけから理解することはできません。それには大脳の組織とそこに生まれる「心」とが決定的な働きをしています。・・・ネアンデルタール人のしゃべっていた言語には「無意識」がなかったーこれはちょっと極端な物言いに聞こえるかもしれませんが、無意識というものの本質を探っていくと、どうしてもそれを現生人類の脳組織におこった革命的な変化と、それによってひきおこされた新しい構造をした「心」の発生に、結びつけて考えざるを得なくなるのです。私たちがいま使っている言語は、深く無意識系の活動に根ざしています。基本的な文法の構造から比喩を使った高度な詩的表現にいたるまで、無意識系の活動なしには、私たちの言語というものは考えられません。そしておそらく、現生人類が彼らの言語を使いだしたときから、その本質は変わっていないのだと思います。>(続く)

2月12日(土)  中沢新一「対称性人類学」

中沢新一の「対称性人類学」という本は、私が若い頃親しんだウパニシャッド哲学、アートマン即ブラフマンの世界を、「対称性」という新しい言葉で表現したものだった。書いてあることは私がこれまで自明のこととして、前提として考えてきたことで、それがこんなに現代的な言葉で整理された本が出るとは思わなかった。
この考え方は、インド哲学、日本の古神道、空海の密教につながり、「道徳」ではない「倫理」構築の土台となるものだと思う。私の追求している「倫理観のリニューアル」に直接的に結びつくものであるが、表現が衒学的なために、今一つなじめない。ところどころに有益な表現があるので、随時それを記録しておきたいと思っている段階である。
以下の文章は、橋本大也 という中沢新一愛読者のHPからのものである。
「対称性」という言葉の説明がうまくされているので、資料として引用させていただきます。

(資料、橋本大也 )

コンピュータは0と1で考えると言うが、根源にあるのは2つの項目を操作する「二項操作」「二項論理」である。コンピュータを生み出した人類の思考も、同じ論理にもとづいているという考え方がある。例えば人類学者のレヴィストロースは、神話の研究の中で、世界中の神話の物語には共通する構造があることを発見した。良いことや悪いこと、悲しみや喜びの感情など、ふたつの対立する事柄を補い合うような隠れた数学的構造が、神話のストーリーを形作っているという説である。この構造は、神話だけでなく人間の文化に広くみつかり、隠れた構造に本質を求める構造主義哲学の端緒となった。

二項の関係は、対称か非対称である。数学や科学は非対称の世界である。あるものが存在すると言うことは、それは別のものではないということを意味する。現代人はアイデンティティを大切にする。アイデンティティもまた、自分が他のものではないという非対称の性質を帯びる。何かを所有すれば、それは他者のものではないことになる。動物と人間、人と神、男と女は違う。あるものはあるものを支配する。動かす。操作する。現代の世界は非対称の論理にあふれている。

神話の世界は、同じ二項操作を用いながら、逆の世界をつくりあげている。人間と動物の区別がなく、人と神が同じで、生と死の世界にも境界がない。単一の価値尺度はなく、すべては多元的、重層的な意味を持つ。それゆえ、神話は近代小説と比較すると、あまりに物語が突飛で、論理的矛盾を内に孕んでみえる。神話は科学とは異なる、対称性の論理で記述されてきたからだ。

科学や近代型宗教のなかった時代に世界を説明しようとしたのが神話であるならば、神話は最古の哲学であり、科学である。そこには人間のもうひとつの「野生の思考」を見出せると著者は考えた。著者はここに「対称性人類学」という名前を与え、二項操作の仕組みを見直すことで、古典的な構造主義を超えて、新しい世界観を開拓できるとした。

この本は、宗教学者、中沢新一が大学における講義をベースに出版した名著カイエソバージュシリーズの最終巻である。神話の構造、贈与と交換の経済、神という概念の成り立ち、権力と国家といった既刊で扱ってきたテーマを遂にひとつに統合し、思想や宗教が人類の未来にとってどのような意味を持ち得るかを考察した集大成である。

南米アマゾン流域のグアラニ族には<一>を悪とする哲学があるという。滅びうるすべてのものが<一>なのだという。私たち現代人はすべてに一方的にひとつの意味を与えようとする。三大宗教も唯一神の教えをもち、文化人は真・善・美のような一元的価値観を、社会にはりめぐらせることを良いことを考える。だが、この考え方の基底となる「Aは非Aではない」という当たり前の思想が、グアラニ族にとっては諸悪の根源である。それゆえ王も政府も国家も生まれることはなかった。彼らは野生の思考の実践者たちである。

近年の認知心理学や脳科学の進歩によって、無意識が意識を強く支配していることがわかっている。無意識にはまだ野生の思考である対称の論理が根強くいきづいている。それは、意識回路の壊れた分裂病患者の行動や思考を研究することでも実証される。生後間もない赤ん坊を観察しても分かる。夢もまた同じ。私たちは、無意識のレベルでは自己と他を区別していない。Aは非Aでもあり、部分は全体であり、過去は現在であり未来でもあると考えることができる。

贈与と交換に関する分析もある。現代の経済原理は等価の交換である。同じ価値のあるものを貨幣を使って交換しようとする。この交換は、持てるものと富むものを分けてしまう非対称の論理の典型であるとする。貨幣が仲立ちをすることで、人と人との絆も分離され、ものの価値は一元的な価値に還元される。こうして非対称の論理が加速することで、人類の世界は「進歩」をしてきたと同時に大きな矛盾を抱えつつある。これに対して「未開の」部族でみられるポトラッチのような、持てるものすべてを使い果たす贈与交換は、一元的価値を解体する行為である。またその行為自体からも多元的で流動的な意味が生まれる。現代の下部構造としての経済を超越した新しい経済の可能性を著者はここに模索する。

9.11事件が中沢新一にとっても対称性人類学を考える大きなきっかけであったらしい。近代宗教でありながら内に対称性の論理を秘めた仏教に関する考察や、近代に登場した「幸福」概念の批判などにも紙幅をとっている。背後には一元的価値観がもたらした政治、経済、社会の問題を危機意識として始まった研究ではあるようだ。だが、宗教学者、思想家らしく、それらの問題に対する直接的なコメントをするのではなく、敢えて、広い学問領域から、対称性、非対称性の持つ事例を集め、ひとつの哲学として結実させつつある。

中沢の本はほぼすべて読んでいるが、表現が文学的でそれが読者を限定している気もする。この本も、対称性の持つ豊かさと未来性を謳いあげた詩のようにも読める本である。精霊の王という傑作を出版した直後に、この本を続けて世に出せる思想家としての力量と意欲が、彼の活動において頂点に達しつつある気がする。次に何を語るのか目の離せない私の憧れの人。

(引用、終)

                                                       


2月5日(土)  美輪明宏の言葉  (4)

日本でもテロ対策特別措置法が成立し、自衛隊の海外派遣が行われることになりました。日本は広島と長崎への原爆投下という悲惨な体験をした国です。なのに実にあっさりとこの法案は可決されました。私には、日本という国がまた戦争をしたがっているように見えてしかたがありません。この国には学習能力というものがないのです。
事実、国会議事堂の奥で安穏としていられるヤツらは、ヒロイズムに酔っぱらいたくてしかたがないのでしょう。アメリカもそうです。テロ以来、国歌を鳴らし、国民の感情をあおり立てています。第二次世界大戦時の日本もそうでした。なんの根拠もないのに「神風が吹く!」なんて言って、飛行機に乗せて、あたら若い命をムダに突撃させて散らしてしまったのですから。
戦争のような悲惨な出来事が起こると、人はすぐに感情的になってしまいます。しかしそうなってしまっては、いつまでたっても報復合戦は終わらないし、アフガン難民のような不幸な人たちを生み続けることになります。もう終わらせなければいけないのです。その方法はたったひとつあります。それができるのは理知だけです。
理知があれば、何がよくて何が悪いのかがわかります。情緒過多症にならなくてすむのです。今現在、日本がテロや報復の標的にならずにすんでいるのは、ボランティアでアフガンの人たちの命を支えているわずかの日本人医師や井戸掘りの人たちがいてくれているからでしょう。たった数人の知性と勇気ある行動のおかげで日本は助かっているのです。理想論かもしれないけれど、本当の知性と教養があれば、話し合いで争いのもとを解決できているはずなのです。しかし人は武力や権威で終止符をうとうとします。それが間違いです。
知性とは、冷静な判断と互いを理解する思いやりのことです。争いは知性で終わらせなければ、根を絶つことにはなりません。今回のことは、いい勉強になったはずです。皮肉にも戦争は、人間にとって冷静沈着な理知がいかに大事かを教えてくれる、最大の勉強材料なのです。 (愛の話、幸福の話)

感想。
<今現在、日本がテロや報復の標的にならずにすんでいるのは、ボランティアでアフガンの人たちの命を支えているわずかの日本人医師や井戸掘りの人たちがいてくれているからでしょう。たった数人の知性と勇気ある行動のおかげで日本は助かっているのです>という箇所で、ギクリとしました。考えてみれば、本当にそうかもしれない。これ以上「戦争をしたがっている」ように世界に見せつけていけば、「数人の知性と勇気ある行動」の力も、テロを防止することはできなくなるのではないだろうか。

2月4日(金)  美輪明宏の言葉  (3)


毎年行っている「美輪明宏音楽会<愛>」で、日本の叙情歌『朧月夜』のリクエストを多くもらいます。

菜の花畠に 入り日薄れ
見わたす山の端 霞ふかし
春風そよふく 空を見れば
夕月かかりて におい淡し

夕暮れにそまる春の空。かすんだ、懐かしい日本の原風景が目に浮かびます。まるで淡い日本画を見ているよう。実は景色だけを歌っている歌は、世界中を探しても非常に珍しいのです。この歌はメロディもさることながら、歌詞の美しさでも、世界の名歌のひとつに入る歌です。
曖昧といえば曖昧。口ではなんとも言えないほどに微妙。こうしたものは、日本文化にはたくさんあります。音楽でいえば、ほかにも「赤とんぼ」「宵待草」。初山滋や高畠華宵など、叙情画家の描く世界は、それはそれはロマンティック。俳句や詩もそうです。選び抜かれたごく少ない言葉を使って表現され、あとは読んだ人の印象や想像に任せます。余白を残し、はっきりくっきりと描ききらない、玉虫いろの世界。こうしたものを美しいと感じる感性が、日本人のDNAにはもともと備わっているのです。
確固たる美意識のもとに、日本人は独自の文化を作ってきました。楊貴妃が着ていた着物が十二単になり、元禄袖になったように、輸入物のムダを削り、取捨選択し、日本の風土に合わせてアレンジされ、育っていった日本文化は、日本人にとって心地よいものなのです。
生活とともに育つ文化というものは、本来、心をなごませるもの。日本人は自分たちが心地よい文化を生み出す天才だったのに、今は取捨選択することすら忘れてしまいました。よそから来たものを全部うのみにして、そのまま取り入れているだけです。結果として、日本人の細胞が生理的に受け付けないものばかりで世の中がつくられています。
コンクリートやガラスだらけの街、ペンキをベタッと塗っただけの無味乾燥なインテリア、けたたましい音楽。まるで国産の体にいいキノコがあるのに、わざわざ外国産の毒キノコばかり食べているようなものです。精神がおかしくならないわけがありません。現代人は文化というビタミン不足ですが、特に日本文化という種類のビタミンがいちばん必要なのだということを忘れないでください。    (愛の話、幸福の話)

1月26日(木) 「坂の上の雲」映像化の問題 (3)

(2)、司馬遼太郎の欠落した視点として、報告者は「日清戦争勝利には、日露戦争のような問題意識を持っていない」ことを指摘する。
司馬さんは「(日露戦争)勝利を絶対化し、日本軍の神秘的強さを信仰するようになり、その部分において民族的に痴呆化した」と書き、日露戦争を<明るい明治、暗い昭和>の分岐点としてとらえる見方が強いようである。
しかし報告者は、宮地正人という人の「日本的国民国家の確立と日清戦争」という論文を使って、日清戦争こそが日本のナショナリズムのあり方を決定的に規定することになったとして、その特質を次の3点指摘する。
@アジアの中で唯一強国となりえた日本と日本人への優秀性への確信と、天皇を中心として国家がまとまることへの信頼感。
Aヨーロッパ文明に対する劣等感・恐怖感と敵愾心。
B朝鮮人・中国人への差別感・蔑視感。
そして、ここで芽生えた日本的ナショナリズムの「朝鮮・中国蔑視」観が、対外膨張を合理化する論理と政策を<国民的>に支え、そうした論理がやがては太平洋戦争の「大東亜共栄圏」思想に受け継がれていった、と記す。

報告者の指摘は以上の2点だった。
しかし、橋本さんと話をしていて、伊藤博文の重要性に気づかされた。
「坂の上の雲」を私は最後まで読んでいない。だから、伊藤博文のことを司馬さんがどれくらい書いているのかわからないが、もし伊藤博文のことを書いていないとすると、「坂の上の雲」は、日露戦争を描く作品としては大きな欠陥になるのではないか、と思った。

橋本さんの「何でも研究室」の「吉田松陰とその弟子たち」の中から、伊藤博文と日露戦争のところを引用させてもらう。

<日露戦争のときも伊藤はこれに及び腰だった。それも当然なことで、日露両国の国力を比較すれば、ロシアの方が日本の10倍もあった。たとえば当時の国家収入は日本が2億5千万円、ロシアが20億円である。常備兵力は日本が20万人、ロシアが300万人である。この国力差は後に日本がアメリカと戦争したときの状況と似ている。
 ところが、政府や国民の中に主戦論が台頭し、もはや開戦しかない状況になった。1905年(明治34年)2月戦端が開かれると、伊藤はさっそく日本銀行副総裁高橋是清をイギリスとアメリカに派遣して、軍備調達に走らせている。
 高橋は苦労したあげく、最終的に7億円あまりの軍備を調達した。人々は新聞に報道される華々しい戦禍に目を奪われるが、実はこれだけの戦費が調達できたことが、日露戦争の大きな勝因であったことはあまり知られていない。
 伊藤は同時に、腹心の貴族院議員金子堅太郎をアメリカに派遣し、米国大統領ルーズベルトに停戦後の講和斡旋を依頼させている。戦争が長引けば、国力の差で日本は不利になる。戦況を見てロシアと講和し、戦争を終わらせる腹づもりだった。>

1月25日(火)  「坂の上の雲」映像化の問題 (2)

3、「坂の上の雲」は小説である。明治という時代の中の人間を描くことを目的としたものであって、厳密な歴史の事実を描いたものではない。しかし、この作品は「新自由主義史観」などに歪曲されたり、利用されたりしてきた。今回NHKによってドラマ化されることによって、一般大衆の日露戦争のイメージを大きく決める可能性がある。映像化を決定した海老沢前会長は「国家や民族のあり方が問われる時代に、単なるドラマを超えた映像作品を目指す」と述べている(朝日03.1.10)。

4、司馬遼太郎は決して保守反動の右翼思想家ではない。しかし「坂の上の雲」で展開される明治という時代を見る司馬氏の見方には、右派に利用される要素が多くあった。

(1)、「19世紀からこの時代にかけて、世界の国家や地域は、他国の植民地になるか、それがいやならば産業を興して軍事力をもち、帝国主義国の仲間入りするのか、その二通りの道しかなかった(中略)日本は維新によって自立の道を選んでしまった以上、すでにそのときから他国(朝鮮)の迷惑の上においておのれの国の自立をたもたねばならなかった。日本は、その歴史的段階として朝鮮を固執しなければならない。もしこれをすてれば、朝鮮どころか日本そのものもロシアに併呑されてしまうおそれがある。この時代の国家自立の本質とは、こういうものであった」とする司馬観。
これに対して報告者は、中江兆民、石橋湛山のとなえた「小国主義(小日本主義)」(注、2)も選択肢の一つだったと主張し
「つまり<食うか食われるか>の二者択一だけでなく、他の道が客観的に存在したのです。ただ、それを実現させる主体と条件が<未成熟>だけなのでした」
と書き、司馬遼太郎には、この「小国主義(小日本主義)」を視座として、明治維新以降の日本近代史をとらえ直せばどうなるかという問題意識がまったく欠落していた、と批判します。

<注、1>
私も、この有名な「小国主義」は重要な視座だと思います。
石川啄木が次のように書いていることを発見しました。
「歴史を読むと、如何なる戦争にも因あり果あり、恰も古来我が地球の上に戦はれた戦争が、一つとして遂に避くべからざる時勢の、必然でなかったものがないやうにも見えるが、さう見えるのは、今日我々の為に残されてゐる記録が、既に確定して了った唯 一のプロセスのみを語って、其の当時の時勢が其のプロセスを採りつヽある際に、更に幾多の他の方向に進むべき機会に遭遇してゐた事に就いては、何も語ってゐないからで ある。」                
                (石川啄木が、知人に宛てた1911年の未完の文章)
<注、2>
『そもそも大日本主義とはいわゆる大英主義と相同じく、領土拡大と保護政策とをもって、国利民福を増進せしめんと欲するに対し、小日本主義とはいわゆる小英主義にして、領土の拡張に反対し、主として内治の改善、個人の利益と活動力との増進によって、国民利益を増進せんとするものなり。・・・前者は軍力と征服とを先にして商工業を後ちにするに反し、後者は商工業の発展を先にして、誠に必要やむべからざる場合のほかは極力軍力に訴うることを避く。・・・』」
                     (田中 彰氏著「小国主義」より引用)

1月24日(月)  「坂の上の雲」映像化の問題 (1)

司馬遼太郎の「坂の上の雲」が、NHKでドラマ化されるという。
私が参加している志談塾という学習会で、そのことに関し「司馬遼太郎、その<光>と<陰>」というテーマでの報告があった。
報告を聞いて、問題点がよくわかった。以下、羅列してみよう。

1、司馬遼太郎は自分の歴史観を「司馬史観」と呼ばれることを喜んでいなかった。自身でその呼び方をしたことはない。
2、司馬遼太郎は、「坂の上の雲」が映像化されることを拒んでいた。
「この作品はなるべく映画とかテレビとか、そういう視覚的なものに翻訳されたくない作品でもあります。うかつに翻訳すると、ミリタリズム(軍国主義)を鼓吹しているように誤解される恐れがありますからね。私自身が誤解されるのはいいですが、その誤解が弊害をもたらすかもしれないと考え、非常に用心しながら書いたものです」と書いている。現在著作権継承者である司馬夫人、福田みどりさんは数年悩んだ末に許可を決めた。
彼女は、「私の死後に勝手に映像化されるより、ちゃんとした作品を今作ってもらうことにした。司馬さんが描いたよき人、よき日本人の話をドラマ化することで、このいやな国になってしまった日本が、もう一度よき日本になってもらいたい」と語っている。
           (時間切れ、今日はここまで)

1月23日(日)  美輪明宏の言葉  (2)

美輪明宏は、過激な言葉で現代日本の状況を斬る。
「物事はひとつの原因でひとつの結果が表れるわけではない」として、少年犯罪多発の原因を13にわたって(彼は「まだこれ以外にもいくつもあるが、長くなりすぎるため、ここらあたりでやめておく」と書いている)羅列している。
その中には、憂国家が一般的に指摘するものももちろん含まれているが、特徴的なのは「美意識」欠如の環境という観点である。そのあたりに、ジャーナリストや政治学者、経済学者、社会学者などとはひと味違う彼の深さがあるように思う。
13の指摘を紹介しよう。

第1は、片寄った食事によるカルシウムやビタミン不足による栄養失調からくる神経症。
第2は、新建材などから発生する毒ガスや材質による生理的障害。
第3は、遊び心や人間的情緒やロマンティシズムや抒情味や自然をいっさい無視したガラスと鉄とコンクリートの打ちっ放しのような、住宅や会社、店舗などの直線的で無機質で機能本位のインテリアやデザインの住環境。
第4は、パソコン、テレビ、ゲーム、ゲームセンター、テレビのコマーシャル、ディスコサウンドをはじめとした、ブティックや遊び場における電気まみれのメカニック音のロックやラップなどの、とげとげしくタケダケシイ、難聴になるほどの大音響の騒音や爆発音や叫び声、どなり声による、イライラが溜まり続けている状態。
第5は、拝金主義者たちがつくりだす、残酷モノの映画やテレビ・ゲームや出版物による、犯罪に対する感覚麻痺と、バーチャル・リアリティによる仮想世界と現実世界の区別の判断が欠如してしまう心理状態。
第6は、親の無神経な言葉や態度による絶望感や憎悪や劣等感や虚脱感。親の夫婦喧嘩をはじめとした生き方に対する軽蔑や恐怖感。
第7は、学校教師のプロ失格の接し方。高圧的に押さえつけようとするか、恐れるか、必要以上にやさしくしたり、ゴマをすったり、知識だけを義務的に伝えるだけの冷淡なサラリーマン・ロボットであったりで、親にも教師にも成熟した大人が未熟な子供に対する大きく暖かく包み込む愛が欠如している状態。
第8は、ゆがんだ社会構造の仕組み。一生楽ができるように高い収入を得るのは、一流のの政・官・財界人になること。そのためには一流の学校に行くこと。そのためには他人を蹴落としてもよいからガリ勉をすること。そのためには、社会に出たとき何の役にも立たない問題でもかまわないから、必要以上にどんどん試験問題をむずかしくしておくこと。そのためには、子供がノイローゼになろうがそんなことはかまわないという状態。
第9は、親や教師のおろかな言葉。「勉強しなさい。勉強しないといい学校にはいれませんよ。いいところに就職できませんよ。いい給料がもらえませんよ。いい暮らしができませんよ。お金に困りますよ。お金、金金金」と、最後の結論はすべて動機と価値観が金になっている。「勉強しないと立派な人間になれませんよ。勉強して立派な人間になってください。人様から尊敬される、強くやさしく明るく正しく清らかで、思いやりのある人間におなりなさい」とは、今ではまったく大人が子供に言わなくなったということ。
第10は、昔から子供は兵隊ゴッコやチャンバラゴッコやプロレスゴッコが好きなのはあたりまえ。しかし商人たちは商業道徳、商人道というものをわきまえていて、刀も竹でつくった竹光やせいぜいジュラムミンくらいで、ピストルや機関銃もほとんどひと目でオモチャとわかるものだった。子供は無茶するものときまっているので、大人たちは命にかかわるようなものは売らなかった。でも今は、なんでもよいからもうかればよいと、バタフライ・ナイフや殺傷力のあるピストルや洋弓をどんどん売っている。そのために人が何人死のうがかまわないというようなこと。
第11は、エセ・ヒューマニストたち(弁護士や司法関係者も含めて)の犯罪者に対する過保護を、少年は少年法で死刑にもならず、軽い刑ですむということをよく知っていて、それを逆手にとって利用することをちゃんと考えていること。
第12は、50年も100年も昔の法律を錦の御旗にして、ありがたがっている時代遅れの法律家やエセ・インテリたち。急速な変化をとげる社会に臨機応変に対応してゆく法律でなければ、人々を守る人々のための法律ではないことを無視しつづけている政治家や司法行政の怠慢。
第13は、エセ・インテリどもがウエットなものはだめ、乾いた感じがよい。むだを省いた簡潔さ、硬質、無機質なものなどと、人間が生きていくうえでもっとも必要なもの、つまりロマンティシズムで上質なセンチメンタル、抒情性、優雅さ、やさしさ、あまさ、ユーモア、必要むだの遊び心、はじらいなどなどを、まるで罪悪呼ばわりをして世界中から追い払ってしまった結果であるということ。音楽も演劇も映画も美術も文学も建築も商品もすべてが、うるおいのない、ガサツでとげとげしく、やかましく冷たい一流ぶったニセモノ文化になってしまったこと。
                                   (以上、引用終わり)

現代の日本は、子供を犠牲にして経済復興をめざしている。
私は、第10の指摘にとても共感したが、美輪さんとは少しちがう種類のオモチャを連想した。大人たちは子供に、バカになるオモチャを積極的に与え続けていると思う。私のいうオモチャとは、<携帯電話>である。
それは、実はもう<電話>なんかではない。<遊具>である。<携帯遊具>だ。一日中どこにいても検索したり、仲間にメールしたり、カメラがわりにして撮影したり、ゲームして遊んだりできる・・・そういう遊具を持たされた子供がモノを考えるようになるはずがない。何かあったら、すぐケイタイを使って人に聞いたり検索したりすればいいのだ。子供をどんどんバカにすることで、IT産業は儲けている。
いろいろ理屈をつけて正当化しているが、携帯電話なんかを子供に持たせることがどれほど害になっているか・・・分かっていても、ほとんどの大人が使っているのだから、強く否定することができないのだ。

1月20日(木)  美輪明宏の言葉  (1)

美輪明宏の言葉は素晴らしい。
彼は、<美意識>の改良による世直しを目指している。
しばらく、彼のさまざまな言葉を紹介してみたい。

自分のベッドで寝転がっているのと同じ格好で街へ出ていく。部屋にいるのと同じ感覚で道に座り、電車でものを食べる。現代はすべてがラフな寝室文化になっています。なぜだかわかりますか。それは世の中に存在するファッションや建築が、本当の「美」を考えて作られていないからです。ボロ布で作ったような安っぽい服、コンクリートだらけの灰色の街。美からはほど遠いものに囲まれているから、人の心も荒れ、生活も言葉も態度も荒れてくるのです。だらしない、怠け者ばかりの世の中にしたのは、それらを作り出したデザイナーたち。美を作り出すのが商売なのに、醜ばかりを作り出している。この世の諸悪の根源は、デザイナーたちにあると私は思っています。
今、世の中を支配しているのは数字です。質が悪かろうが、ただ売れればよいという考え方が蔓延。すべてが機能性、利便性、経済効率本位です。あらゆるものの装飾はカットされ、面倒な手間のかかることをさけ、シンプルさばかりが追求されています。また、猛毒のような音楽や粗悪な娯楽ばかりが作られ、人々はただ漫然とバカになる毒を取り入れています。礼儀は忘れられ、識字率は低下し、金儲けとセックスへの欲望だけが渦巻いている。このままでは、日本は世界中で最も軽蔑される国になるでしょう。
          (愛の話、幸福の話)

今ミュージカルが不作というのは、アメリカでもメロディ・ラインを書ける人がいなくなったからです。「マイフェアレディ」でも「ウエストサイド・ストーリー」でも「サウンドオブ・ミュージック」でも、全部美しいメロディのテーマソングがいくつかあるでしょう。映画でも、「風とともに去りぬ」や「カサブランカ」の主題歌が鳴ると、「ああ、あの映画」と思い出すことができる。音楽で映画が表現できるくらいに美しいメロディがあった。ところがいまは、メロディラインを書ける作曲家がいなくなったから、ミュージカルの傑作もできなくなった。
これは黒人文化のせいです。彼らの音楽はリズムとハーモニーだけだから。ラップなんていったらメロディは何もないでしょう。不信心者のお経みたいに。だから、美しさがなくなった。そして世界的なヒット曲が出ないわけなのです。 (人生ノート)


とにかく今の日本人は空間作りが下手。軍国主義で文化を壊して、終戦後、経済効率だけで考えるようになってしまった。磯崎新も安藤忠雄も丹下健三も、作っているのは、ただの無機質な箱。フジテレビで不祥事が続いているのも、丹下氏デザインの、廊下から何から灰色で統一した不吉で空疎な建物の影響です。精神的におかしくなるのです。ちょうど、昔ドイツのバウハウスで実験的に造ったアパートで、次々と奇怪な事件が起きたのと同じ理由です。
劇場だってそう。たとえば、シアターコクーンやアートスフィアやセゾン劇場など。あそこは、経済効率を考えているのか、床がフローリングになっています。それが舞台で演じる役者にとって、観客たちにとってどういう意味をもつかわかりますか?考えてもみてください。遅れて入ってきた人のハイヒールの音や、ハンドバックやプログラムを落としたときのことを。フローリングだと、ほんのわずかな物音も響いて、それまでの観客たちの集中力が散漫になってしまう。もう芝居は台無し。なぜ、昔の劇場が床に絨毯を敷いていたか。それは防音のためなんです。きっと今の日本には、作り手に芝居を本当にわかる、好きな人がいないんですね。           (天声美語)


1月19日(水)  歪んだ<かっこよさ>の刷り込み

しょせん原作はマンガだ、荒唐無稽な娯楽ドラマだ、笑って楽しめばいい、目くじら立てて批判するほどのものでもない・・・
そう言って無視していてもいいのだが、無視している内に、じわじわと若者たちの感性が汚染されていくように思えてならない。
「ごくせん」というヤクザの娘が教員になって落ちこぼれの生徒たちに<仲間の大切さ>を教えるという人気ドラマの新作が出た。
ヤンクミとあだ名される主人公の女教師が、さいごにはものすごい腕力を発揮して生徒を救うというワンパターンの学園ドラマ。
中途半端な設定でなく、徹底的なマンガ的荒唐無稽さで勝負しているところは認めるけれど、イケ面のかっこいい若者が徹底的にワルぶってやりたい放題をやっている教室風景などをそうとうリアルに、あれだけ克明に描かれたのでは、(つい日々接している教室の様子を重ねてしまって)アホな高校生たちがマネする危惧を抱いてしまう。
ああいうマンガ性を徹底させた物語に目くじら立てる人間は、たぶんヤボだとして批判されるだろう。でも、レベルの低い高校生たちが笑って楽しみながら、ああいう態度、ああいう言葉遣いがカッコイイのだと、いつの間にか刷り込まれていくことだけは、確かだと思う。

1月7日(金)  「戦争論」(小林よしのり)批判
                < 「台湾論」小林よしのり、最終回 >

小林よしのり「台湾論」(2000年11月刊行)紹介の最後に、1998年7月に刊行された「戦争論」について触れておきたい。
これは「台湾論」に比べてそうとう質の低い作品だと感じた。
まず用語の概念規定が杜撰で、それによって論理の流れが歪められ、小林氏の感情を肯定するような独善的結論にいたっている。

まず最初に<戦争>という用語の概念規定がされる。

「平和の反対は・・・戦争?違う。「平和」という<状態>の反対は「混乱」という<状態>。「戦争」という<手段>の反対は「話し合い」という<手段>。戦争は外交の延長であり、話し合いで双方がどうしても折り合いがつかぬ場合にやむなく用いる手段である。
・・・そう平和とは<秩序>のことに他ならない」

これによって、以下、「戦争」というものはあくまで、「平和」という<秩序>を実現するための<手段>として論じられることになる。
しかし、トルストイも「戦争と平和」と書いているように、平和の対立概念はやはり戦争であろう。戦争は<状態>ととらえるべきであろう。戦争を単なる<手段>としてとらえるならば、それはパワーバランスで動いていく国家戦略衝突の結果として必然的に肯定される方向で論理が流れていく。案の定、その後には多くの事例をあげて大東亜戦争肯定の主張が展開されていく。
しかし、西欧列強によるアジア植民地化に対抗するものだったとする彼の大東亜戦争肯定論には、日本国内における財閥による富の収奪、その結果としての国内市場枯渇によって、軍部と結託して大陸に市場を拡大していかなければならなかった経済的な内部状況が全く顧みられていない。私に言わせればそれこそが侵略戦争の真の原因だったのだが、大陸とインドネシアで行われた戦争をまるで国家間の陣取り合戦のようにのみとらえて、その衝突の結果としての<手段>だったとする戦争観は、あまりにも杜撰だといえるだろう。

次に小林氏は「公」という概念を繰り返し持ち出す。
そしてそれは「個」とならべて論じられ、「国」にむすびつけられていく。

「子供の<個>は家族や地域、学校などの<公>の中で作られる。個と公は対立関係ではなく個が公から独立して作られもしない。個は公という制約の中で育まれる。もし制約のない無限自由の中に個を浮遊させたら他者の手応えがないので自分の個の性質を規定できず・・・(ここで酒鬼薔薇聖斗などの少年犯罪の例が出される)戦後、日本が国家を否定し公の基準を見つけられぬままにあらゆる共同体を否定して個人主義に向かっていった帰結が、大人から子供までの徹底した公共性の喪失だ。・・・みんな公の関係性から離れた<ほんとうの自分>があるはずだと思いこんで<ほんとうの自分探し>にふけっている。そんなものどこにもありゃせんのに」

個が公から独立して作られないという指摘は正しい。しかし個が正しく育成されなかった原因を「日本が国家を否定し公の基準をみつけられぬままにあらゆる共同体を否定して個人主義に向かっていった」からとするのは不正確である。私の認識では、社畜といわれるように父親を会社人間にして、会社という「公」を優先させて家族という(個を育成する)共同体の原点を破壊するように進んだことこそが、根本原因だったと思う。しかしそういう社会システムを構築した国家の責任は問わず、小林氏は「公とは国だ」言い切る。

そしてラストは自由について次のように語るのだ。。

「現に今、日本人は国を忌避してエゴだけの個となり、そこに被ってくる高度資本主義の波が<消費者であることだけで個である>と若者を勘違いさせて育てている。倫理も道徳もエゴと<消費者の個>の前に崩壊していくしかない日本・・・宗教なき個は危うい。ちゃんと個人を考えるなら<国>を考えるべきなのだ。公なき個ではヨーロッパの個人主義にすら近づけないのだから・・・
<制限と束縛>のない自由など実はない!すでにそんな空をつかむ自由に堪えきれぬ人々がこんなに出てきているではないか!個は制限と束縛の中で完成される。自分を一番自由にしてくれる束縛は何か?それを大事に思う心を育てよう」

<制限と束縛>がなければほんとうの自由はない、だから<制限と束縛>を与えるべきだ、というよく言われる論法である。しかし、すこしでも自由ということを本気で考えた者ならば、こんなことは当たり前のことである(ギリシャの哲人も「自制ができないうちは自由とは言えない」という言葉を残している)。ただ、小林氏の認識は「公」に属するために必要な<制限と束縛>を単純に<外部から与える圧力>という程度にとらえているように見える。とても、戦前「滅私奉公」と使われて自由を圧殺した<公>の概念を熟考したうえでのものとは思えない。彼は感情的に現状を憤慨する。そして<公><制限と束縛>の中身を深く考えることなしに、それを<国>にストレートにつなげるのである。

戦争を<手段>ととらえて大東亜戦争を肯定し、
<国>や<公>とは何かについてのしっかりした概念規定がされず、
漠然とした<国>のイメージを<公>に直結させた上で、<個>を確立し<自由>を得るために<公><制限と束縛>が必要と主張する・・・・
そういう小林氏の論法には、とてもついていけなかった。

10月25日(月) 倫理観のリニューアル(20)

     注連縄で<封じ込められた>御霊

神道において出産、死、血を<三穢>とし、ケガレを不浄として捉え始めるのは、記紀神話が書かれた律令体制成立時代以後ではないだろうか。それ以後、神社には<排除の論理>が働き、清浄のケと不浄のケガレの相対化、上下の関係が現れたのではないか。
そのことを傍証するものとして、注連縄というものの機能を考えてみたい。

注連縄とは、「縄張り」の語源となるものでもあって、一般に清浄・神聖な場所を区画するため引き渡されるものとされている。また、大木や巨岩にも注連縄がはられるということから考えて、注連縄には「生命力」を讃えるという意味合いも込められていたと思われる。注連縄自体も生命力の象徴である蛇の交尾の姿であるという研究もある。

だが「古事記」を創出した弥生人系の貴族たちは、どうも注連縄をはる場所を、生命力を謳歌する場所、神聖で清浄な<よい>場所、というように発想していたとは思えないふしがあるのだ。それは、「古事記」で描かれた注連縄の登場する場面を再読して気づいたことであった。
「古事記」によると、注連縄は次のような物語の末に登場する。
太陽神である天照大神が須佐之男命の乱暴を畏れ天石屋戸に隠れた時、その天石屋戸のまえで天宇受売命らの神々が賑やかな宴を催した。これを怪しんだ天照大神が覗いたところ、傍に隠れていた天手力男神がその手をとり天石屋戸から引き出だした。そして布刀玉命が尻久米縄(しりくめなわ)をその後ろへ張り渡し「ここより内に戻れませぬぞ」と告げた。この尻久米縄が、注連縄なのだ。

この記述を忠実に読めば、<よいもの>である太陽神「天照大神」が外に出たあとの世界を注連縄で封じているということになる。つまり、発生の原初においては、注連縄によって結界とされる天石屋戸の内側の世界は、必ずしも<いい世界>ではないのである。むしろ<よいものが行ってはいけない所>だったのだ。
そこに、災いを起こす<悪霊>を封じ込める場という発想が生まれる土壌があったのではないだろうか。

注連縄が張られる社の建つ領域は、確かに生命力を謳歌する場、神聖で清浄な<よい>場としても発想されていたと思う。
しかし、(梅原猛の考証によって、聖徳太子を祀った法隆寺がそうであるとされたように)寺が怨霊を封じ込める場ともなったことと連動してか、神社もやがて、もう一方の、<災いをなすものを封じ込める>面としての発想が強くなっていったと思われる。「古事記」が成立した時代においては、その記述からして、すでにそのような発想で注連縄をとらえる傾向が強くなっていたわけだ。やがて、菅原道真の怨霊事件(それは集団催眠のような心理現象にちがいないが)が起こり、道真の御霊を封じ込めた天満宮が造られて以後、神社の、そのような機能は、むしろ主流を占めるようになったのではないだろうか。つまり、注連縄を張られた神社というものは、神聖なる場所であると同時に、災いを封じ込める場所ともなったのだ。祀る、というのは、同時に<封じ込める>ということでもあった。

(神社仏閣に詳しいエッセイストの加門七海は「うわさの神仏」<集英社文庫>で、隠岐には4つも神社があり、それがいずれも延喜式で<名神大>と記された伊勢神宮クラスの格の高い神社であることは謎であると書いている。しかも祀られている神が記紀神話に全く出てこない神で、土着の神でもないという。神社の神主に尋ねてもわからなかったらしい。しかし、隠岐が後鳥羽上皇など政治犯の流刑地であるということから考えれば、答えは自ずから出るだろう。それらの神社は、流刑者の御霊を祀り、封じ込めておくものだったと思われる)

10月24日(日) 倫理観のリニューアル(19)

         「ケ」と「ケガレ」の分断

浄土真宗本願寺派、兵庫教区の「青年僧侶の会」というHPがある。
その中に、京都女子大学助教授、和田俊昭という人の「神と仏・ケガレの思想」という研修会講演の要約があり、それが、私の今取り組んでいるテーマに、とても参考となる内容だった。
少し長くなるが、引用したい。

<ケガレと申しますと神道的な観念、不浄ということと容易に結びつけるのですが、最近その考え方が変節してきて、ケガレ=不浄という観念がケガレの根本的なものでないということが理解されてきました。 伝統的な社会の中での日本人の生活態度の特徴として、ハレとケの局面を現実に区別して、その循環の上に生活を成り立たせていったということが挙げられます。ハレとは非日常、日常的でない普段と違う特別な、改まったことを指し、ケとは日常のことを指します。宗教学的に申すとハレとは聖なる局面、ケとは俗なる局面です。日本人の生活、人生の中でのハレの局面、それを通過儀礼とも申します。日本人の一生の通過儀礼、それは大きく代表的なものを見ますと、出産、子育て、成人、結婚、厄年、年祝い、死という七つの儀 礼があげられます。>

<ケとは基本的には最近の研究によって「気」ということが解ってきました。ケとは稲を育てる植物エネルギーのことですが、 日常を支えるェネルギーをケ(気)というわけです。ところで日常が長く続くとケが鞘耗し枯れてくる、これをケガレつまり気枯れというわけです。エネルギーが枯れた状態、今日的にはストレスがたまりきった状態です。こうなると社会日常生活に支障が出てくる、 だからそれを払い飛ばさなければならない。それが八レの局面だったのです。ハレとはケガレを「祓え」だっ たわけです。>

<ハレの場には必ず酒が出てくる。これはどういうことかといえば、酒の力を借りて日常、秩序を 解体し、一旦無秩序に戻すということなのです。ケとは日常ですから必ずその社会での身分秩序がついてく る。それによって陥ったケガレを払うには、秩序を取り払うということが必要なわけです。その無秩序のと ころからあらためて日常に向かう活力が湧いてくるわけです。ハレとはケ(日常・秩序)の死と同時に再生の場でもあるわけです。>

<ところが、神道ではこの循環が分断されてしまっているのですね。神道では出産、死、血を三穢としてケガレを不浄として捉えるのですが、ここでは排除の論理が働いているわけです。 即ち、ケを清浄、神とし、それと遠く離れたもの相容れられない不浄としてケガレを隔離していくわけです。ここでは清浄のケと不浄のケガレの相対化、上下の関係があるのみで循環がないわけです。そして実は この排除の論理は神を成立させるものでもあったのです。排除は同時に祭り上げを生み出すものでもあるからです。ともあれこの構図は京の都の姿によく現れています。洛内は生の国、清浄の場として、洛外は死の国、不浄悪所として、そこには非人達が住み着くという構図ですね。ここではケとケガレが分断されている。>

<しかし現実にはケは日常の連続に置いてケガレ状態になる。これは清浄の象徴である天皇であっても同様だったんですね。ケガレは再生の準備状態、予兆でもあるので、これを癒し循環させていく必要があるのです。 この役割を担ったのが実は仏教、とりわ観音信仰だったのです。悪所とされたところ、実はその多くに観音が祀られているのです。精神病といった病人がここにこもることによって癒され生まれ変わっていく。だから、そこに非人達が集まってきたわけなのです。そしで悪所とされたところは、都の住人にとっても擬似再生の場だったのです。>

<今日的には神とは、上の存在として認識されていますが、本源的には畏むべき人に崇りをなすものだったのです。ところが時代を経るにしたがって、神も苦しんでいると認識されるようになったのですね。 それを鎮めさらにお陰を引き出すものへと再生させる。それが仏教だとして人々に認識されていったのです。 同様の働きに、死者の先祖への再生があげられます。亡くなってすぐは荒御霊としてケガレ状態で人に仇なすものが、長年、念仏、経の功徳を差し向けることでケを充実させちれる。それによって、やがて子孫にお陰を授ける先祖(仏)ヘと再生させられていく。こう認知され、仏教が日本社会に定着していったわけです。 この認知は現在でも続いているのですが、いわば、日本では仏教を呪術的に用いてきた強い歴史側面があるということです。>


10月23日(土) 倫理観のリニューアル(18)

           「ハレ」と「ケ」と「ケガレ」

私は、ケガレというものを災いを起こす怨霊に結びつけて解釈した。
だが、ケガレの概念がそのような災いに結びつけられるのは、平安律令体制が確立した以後のことであろうと思っている。なぜなら、梅原猛のいうように「祓い」「禊ぎ」が律令体制によって成立した概念であるならば、それらが取り除こうとしているモノであるケガレの概念も、同じ時代に成立したはずだからである。

では、それ以前のケガレの概念は、どういうものだったか。
非常に興味深い学説があった。それは、桜井徳太郎の学説(波平恵美子という学者が発見した概念を論争という形で深めたらしい)である。そこで提示されていたケガレの概念は、「穢れ」と表記されるような災いのもとしての積極的なものではなく、日常性と密に接した概念であった。

駒沢大学名誉教授の民俗学者・桜井徳太郎は、一般に「ハレ」(非日常)と「ケ」(日常)としてとらえられている概念の中の「ケ」に注目する。
そして、「ケ」に関する民俗語彙が全て食事、しかも米に関わっていることから、ケとは本来は稲を成長させる霊力、エネルギーのことだったのではないかと推論するのである。例としてあげられている「ケシネ(米のこと)」「ケシネビツ(米櫃のこと)」「ケ付け(田植えのこと)」などは聞いたことがないが、「朝餉」「夕餉」の「ゲ」はなじみのある言葉で、確かに食事、米に関わっているようだ。
その「ケ」が、「ケガレ」につながってくるというのだ。

「ケ」というエネルギー(気に該当するもの)が人体に宿っていて、人の生を成り立たせている。ところが、日々の生活が続くと「ケ」のエネルギーはどんどん消費されていってしまう。そして最終的には、枯れ果ててしまう。それが「ケ枯れ(気離れ)」という概念で、「ケガレ」はそこから成立した言葉だというのである。
ケガレの状態は死につながるので、ケを補給しなければならない。そこで、「ハレ」であるマツリが必要となる。そのハレの時間で人はエネルギーを補給するのである。エネルギーが補給されると、また人はケの時間に戻っていく。
このように、日本人は「ケ→ケガレ→ハレ→ケ→ケガレ→ハレ→ケ→ケガレ→ハレ…」という風に、絶えず循環する時間の中で生きている。

ケガレという言葉の起源が生命力の減退を意味する「気枯れ」であって、ケという日常性の概念がケガレに結びつくというのは意外だった。しかし、以前から私は、祭というものを、エネルギーの補充、日常的時間の節目と考えていたので、ケ→ケガレ→ハレ→ケという循環する時間の概念はとても納得できるものであった。

ケガレ状態を回復させるために、ハレはくっきりとケと区別され、しかもケと密接な関係をもっていなければならない。おそらく古代の日本においては、その循環が自然のリズムと合致するかたちで(生産形態のリズムに重なる形で)行われていたに違いない。しかし、律令体制の確立とともに、ケガレの概念が政治的なものとなり、神道に変化が現れてくる。
そのあたりから、日本人の倫理に関わる観念の担い手は、仏教になっていくのである。

10月21日(木) 柳田国男と宮沢賢治

「遠野物語」第71話に「隠し念仏」のことが書かれている。

「この話をしたる老女は熱心なる念仏者なれど、世の常の念仏者とは様かはり、一種邪宗らしき信仰あり。信者に道を伝ふることはあれども、互いに厳重なる秘密を守り、その作法に就きては親にも子にもいささかなりとも知らしめず。又寺とも僧とも少しも関係はなくて、在家の者のみの集まりなり。その人の数も多からず。羽石たにえと云ふ婦人などは同じ仲間なり。阿弥陀仏の斎日には、夜中人の静まるを待ちて会合し、隠れたる室にて祈祷す。魔法まじなひを善くする故に、郷党に対して一種の権威あり」

柳田は「隠し念仏」を「一種邪宗らしき信仰」と呼び「魔法まじなひを善くする」と書く。「遠野物語」は佐々木喜善という人からの聞き書きであるが、まえがきにその特質がはっきり出ていると五木は指摘する。「一字一句をも加減せず感じたるままを書きたり」とあるのだ。この「感じたるまま」は「聞きたるまま」ではないかと批判されているようだが、柳田は、まさに「感じたるまま」、自分の主観をはっきりもって、しかし「一字一句をも加減せず」、客観的に書いたのである。その結果が、「邪宗」「魔法まじない」という表現になったのだろう。

宮沢賢治は、激しく「隠し念仏」を揶揄する。浄土真宗信徒の家に生まれて、熱心な信者である父を対立して法華経信仰に向かった彼は、むしろ「隠し念仏」を憎悪していたようである。

秘事念仏の大元締が 今日は息子と妻を使って 北上ぎしへ陸稲まき 
なまぬるい南の風は 川を遡ってやってくる
秘事念仏のかみさんは 乾いた牛の糞を捧げ もう導師とも恩人とも 
じぶんの夫をおがむばかり (「春と修羅」第三集)

10月20日(水)  東北地方の「隠し念仏」

      (「倫理観のリニューアル」、充電中)

九州の「隠れ念仏」に対して、東北地方には「隠し念仏」という講(組織)がある。
信者たちは自分たちの信仰を「御内法」と呼ぶ。真宗教義の本当のすがたを伝えているのは自分たちだという気持ちからのようだ。
彼らが九州の「隠れ」と異なるのは、宗教統制を行う幕藩権力と戦うと同時に、真宗寺院も権力の末端組織に組み込まれているとして、そこからも自分たちを「隠し」、本当の信仰を貫こうとしてきたことである。門屋光昭(盛岡大学教授)の研究では、「隠し念仏」は真宗系の念仏と民間信仰が混じり合い、そこに真言密教的な要素も入り込んで特異な形をとったものという。五木寛之は「外部から東北地方に伝播してきた真宗の教義や儀式が、地元の生活習慣や伝統的な慣習や、修験道などとうまく習合していった。そして、時をへてその土地に受け入れられ、受容されて、独自なものとなっていった。つまり土着したのだ」と説明する。そして、そいういう「土着」性に注目して、それを否定する近代の意識を批判している。「あらゆる文化は、混合し、共存していくものではないか。あまり厳格に原理主義というものを押しつけると、土着しないのではないか」という。

五木は、「隠し念仏」を揶揄したり、批判したりした人として、柳田国男と宮沢賢治を取りあげている。彼は、柳田国男の「遠野物語」で有名になった遠野地方は、岩手の中でも確実に「隠し念仏」が広く浸透していた地方だという。また、宮沢賢治が生まれた花巻というところも「隠し念仏」の一つの大きな勢力を持つ場所だった。
                           (時間切れ)

10月19日(火)  間引きを拒否した真宗門徒

      (「倫理観のリニューアル」、充電中)

「隠れ念仏」信徒のところで、彼らが間引きをせず、極貧の中で子供を育てていたという記述があった。薩摩では「門割制度」という、五軒単位の「門」というグループを作って連帯責任を持たせる独自の農村制度を持っていた(戦前の隣組みたいなものか)。江戸末期には、何と、年貢増収を図ろうとして口減らしのために、門の五軒の夫婦に子供は男の子だけ3人という割り当てをしたという。農村の自然発生的な間引きではなく、藩命による間引きが行われた。
哀しく、恐ろしい、間引きのわらべ歌が残っている。

なんとこの子が 女の子なら
こもにつつんで 三とこ締めて
締めた上をは 文殊と書いて
池に棄つれば 文殊の池に
道に棄つれば 文殊の道に
やぶに棄つれば 文殊のやぶに
人が通れば 踏み踏み通る
親が通れば 泣く泣く通る

しかし「隠れ念仏」信徒たちは、間引きをせず、必死で子供を育てた。。
それは、母親たちの命をかけた「子育て一揆」とも言えるようなものだったという。

真宗門徒が間引きをしなかったのはなぜか。
五木寛之は、蓮如の影響ではないかと書いている。蓮如は、生涯に妻を5人持ち、亡くなるまでに子供を27人つくっている。そして「晩年にいたるまで、子供が生まれたときには躍り上がって喜び、子供を亡くした時には身体を地面に投げ出すようにして悲しんだ」。そういう伝承のために、蓮如さんは、子供が多いのを喜ばれた人だ、と真宗門徒にはイメージされた。それが影響しているのではないかという。

とにかく、真宗門徒は子供を殺さなかったようだ。その結果、真宗門徒の多い地方には大家族が多くなった。富山、石川、福井という「真宗王国」といわれる地域では、兄弟姉妹が十人近くいるということも珍しくないらしい。
そこで、五木は、かつてブラジルに旅行したとき、日系移民に富山、石川、福井出身の真宗門徒が多かった理由を想像している。富山、石川、福井では、全国の農村で大正時代までかなり行われていた間引きが、不思議に少なかった。その結果「貧乏人の子だくさん」となった。そういう人たちが、新天地を求めてブラジルに移住したのではないかという。

10月18日(月)  隠れ念仏

(「倫理観のリニューアル」、充電中)

五木寛之の「日本人のこころ」(講談社、5巻)が面白くて、昨日2巻まで読んでしまった。あまり知られていないスポットにライトを当てるような形で、日本の大衆のあいだに流れていた「本当の和魂」を探し求める、といった内容のエッセイである。

第2巻でとりあげられているのは九州の「隠れ念仏」と東北の「隠し念仏」である。
「隠れキリシタン」のことは広く知られている。しかし、九州南部の鹿児島、宮崎の一部で、300年あまりものあいだ浄土真宗が禁制になっていたこと、そこで隠れて念仏を唱える門徒たちが壮絶な迫害に合いながら本願寺への寄進さえも続けていたということは、あまり知られていない。私も知らなかった。
薩摩藩の島津氏と人吉藩の相良氏が、加賀の一向一揆などの情報によって浄土真宗を恐れたのが原因らしい。禁制とした真宗を隠れて信仰する門徒たちには拷問がなされたようで、鹿児島の西本願寺別院の庭には「涙石」という遺物がある。信者の疑いがある者にはその石を抱かせて自白を強要したという。
真宗禁制は人吉藩でも厳しく行われ、伝助という殉教者の首塚などが残っている。門徒たちは表向きは神道の信者を装いながら洞穴の中に集まって念仏をとなえ、年貢を納めながら一方で本願寺への志納金を出していた。志納金は「勧進」と呼ばれて、実は人吉藩の北にある五木地方に伝わる有名な「五木の子守歌」の中に、そのことが歌われている。

おどま勧進かんじん あん衆たちゃよかし
よか衆よか帯 よか着物

「隠れ念仏」が発覚し迫害を受けた信者たちがとる道は3つあった。加賀で行われたような「一揆」。信仰を捨てる「転向」。それともう一つは土地を捨てて流浪の民となる「逃散」である。親鸞はこの「逃散」を薦めているというが、流民になることがどれほど過酷なことかを考えると、それはほぼ一揆に相当するほどの行為なのだ。

10月17日(日) 錦秋

(「倫理観のリニューアル」、充電中のため再び中断。)

紅葉の美しい季節になってきた。
ネット友人であるぺこちゃんに教えてもらった「奈良通信」HPを見ると、10月30日から始まる第56回「 正倉院展」の案内があった。

<本年の正倉院展は、紫地鳳形錦御軾(むらさきじおおとりがたにしきのおんしょく)、
通天牙笏(つうてんげしゃく)、樺纏尺八(かばまきのしゃくはち)など聖武天皇・
光明皇后御遺愛の品々をはじめ、東大寺ゆかりの儀式具・装束(しょうぞく)・
仏具・献物箱(けんもつばこ)、天平時代の装身具・佩飾品(はいしょくひん)・
文書等が出陳されます>

そんなおり、先日、NHK「視点・論点」で、染織家の吉岡幸雄という人が「錦秋」という題の話をしていた。紅葉の季節を「錦秋」と名付けた日本人の美意識の話だった。
それを聴いて、絹が、世界と日本の文化に計り知れないほど大きな影響を与えていたことを、あらためて思い知らされた。

中国で、3000年ほど昔に、桑の葉を食べた蚕が作る繭から絹(シルク)が発明された。そして、絹によって織られた織物が「錦」と名付けられた。
その織物がどれほど世界の人々を魅了したかは、2000年前に世界の文化交流の中心となった「シルクロード」で明らかだ。錦は、その美しさによって高価な商品となり、金に匹敵する重要な物となった。当時、錦は同じ重さの金と交換されたそうだ(だから、織物は糸によって作られるから「糸編」の字になるはずなのに、錦だけは「金編」なのである)。

1800年ほど前に日本に伝わった錦は、その美しさが様々な自然の美しい光景を表現する言葉として使われるようになった。

  嵐吹く 三室の山の もみじ葉は 龍田の川の 錦なりけり (後拾遺集)

  霜のたて 露のぬきこそ よわからし 山の錦の 織ればかつ散る (古今集)

絹のことを、市立岡谷蚕糸博物館名誉館長 嶋崎昭典氏は、HPで「究極の繊維−繭糸−」と書いている。 財団法人大日本蚕糸会会頭の吉國隆氏は、絹が世界中の文化に貢献した理由について「細い長繊維としてさまざまな織組織や織技術が可能であり、また、いろいろの染め方が可能なため、極めて多様な染織技術の発達を生み、人々の生活に大きな恩恵となる技術文明をもたらした」と述べている。

吉岡氏は、今回正倉院で公開される「錦」についても言及していた。それは画像でも紹介されたが、実に美しい紋様で、宝物として保存されていた理由が納得できる。「高価で希少なものであることから、支配階級の専有物として高貴性を帯び、公式儀式や行事での使用を通じて、社会体制、政治思想との密接な関係付けのもとに紋様、色などの様式化が進んだ」と吉岡隆氏は書いていた。錦は、天皇家を象徴するものにもなったのである。
周知のように、明治維新の時は「錦の御旗」が官軍の印だった。

10月15日(金)   「ラーメン発見伝」の台詞

テレビで「ラーメン発見伝」というドラマが放映されていた。
コミックが原作で、あきらかに「美味しんぼ」の亜流といった内容だった。主人公(国分太一)は商事会社のグウタラサラリーマンだがラーメンにかけてはプロ顔負けのマニア。それに対して凄腕のラーメンプロ(鹿賀丈史)が「プロとマニアの違いを教えてやる」という形で、ラーメン対決をするという設定。
大した作品とは思わなかったが、中にちょっと気の利いた台詞が入っていて、それだけが収穫だった。

一つは、「みんなはラーメンを食べているのではなく情報を食べている」という台詞。
テレビで紹介されたとか、行列のできるラーメン店とか、様々な情報によって人は<うまいと思わされている>という指摘。外に行列を作るために、わざと少し狭い店を作るというのも面白い心理作戦だと思った。「人は外の行列で待たされる方が苦痛ではない」なんて台詞もあった。

もう一つは、「四番バッターばかりの野球チームのような味」という台詞。
主役ばかりでは全体がダメになってしまう。麺とスープと具のすべてがあまりにもよすぎて、特にチャーシューなどが「単品でも最高のもの」であるがゆえに、ラーメンとしては他の味を殺してしまう、という指摘。

なかなか洒落た、教訓をうまく溶かし込んだ台詞だった。

10月12日(火) 倫理観のリニューアル(17)

        怨霊信仰の発生

「祓い・清め・禊ぎ」は、明らかに<不快の源そのものの一斉除去>の発想から起こったものである。だが、そこには同時に、<不快の源>が<とりついている物>であって、呪法によって<祓い清められる>ものという発想も見える。「不快の源=ケガレ=悪」を取り除くことによって、本体自体は清らかな、善なる状態に回復するという発想である。後年成立する、「悪」と対になって使われる「罪」という概念の中にも、その発想の痕跡は見える。「罪をなすりつける」という表現である。
つまり、ケガレは除去できるということだ。これは井沢元彦の、ケガレたものはそれ自体を棄てるしかないというケガレ観と相違することになる。彼のケガレ観では、「禊ぎ」して身を清くすることや「罪をなすりつける」という表現が矛盾してくる。この点は明らかに井沢説を修正しなければならない。しかし、取り除くことができるからといってケガレはヨゴレのような物理的なものではなく、精神的なものであることは、井沢氏のいうとおりである。

ケガレという概念は、まず支配層が敵を<悪>とみなす中で成立した(悪い奴は「汚い奴」)。やがて共同体の意識が強まるにつれ、その悪の概念の中に<恥>という概念が混入した。日本では長い間、悪いことは恥をかくことであった。ルース・ベネディクトは戦前の日本を「恥の文化」と呼んだ。それは正しい指摘だったが、その<恥>という概念の中にも付着性という発想はあった。「旅の恥をかき棄てる」という言葉がその痕跡である。そして、戦後になって西洋文化の影響で<罪>という概念が広がり、ケガレは罪にもなったが、そこにもやはり付着性の発想は混入したのである(罪をなすりつける)。

そのような人間に付着しているケガレは、魂を信じる日本人には<悪い霊>としてとらえられ、<もののけ>として恐れられることになる。<悪霊><怨霊>と呼ばれるものは、ケガレの概念から生まれたものだろう。

怨霊信仰は、貴族たちによってケガレ除去の代償のようなかたちで発生したのではないかと思う。悪である<ケガレ本体>を取り除くために様々な呪法が発達したが、そんなことで除去できない<悪人><敵>は、自分たちの住む世界から追放しなければならない。「祓い」は流刑のことであると梅原氏は言っているが、島流しというのは、ケガレた悪人を自分たちの住む世界から追放するという発想である。平安時代には、面白いことに死刑がなかった。それは「死」こそがケガレの極致であって、殺すことはケガレのとりついたもの自体を<死というケガレ自体>にしてしまうという発想だったと思われる。ケガレを嫌う平安貴族たちは殺すことを避け、除去できないケガレものは追放した。しかし、ケガレ(悪い霊)自体は移動するだけで消滅はしないので、不当に追放された霊はやがて復帰して災いをもたらすことになる。いわゆる「祟り」が起こるのだ。
それが怨霊信仰となったのであろう。

かくして、日本においては「不快の源」がさまざまに概念化され、命名され、信仰の対象ともなったのだ。
「不快の源=ケガレ=悪=恥=罪=悪霊・怨霊」なのである。

10月9日(土) 「いま、会いにゆきます」

「倫理観のリニューアル」充電中のためちょっと中断。

息抜きに読み始めた市川拓司「いま、会いにゆきます」が面白くて、最後まで読んでしまった。
370ページの本だが、会話が多く、余白がたっぷりとってあるので実質の文字数は半分ほどになるかもしれない。文体は軽快で、表現のセンスがよく、ユーモアがあって、とても読みやすい小説だ。

結末は書けない。1年前に29歳で病死した妻の幽霊が帰ってくるというファンタジー・ラブ・ストーリーである。面白いのは、幽霊の妻が記憶喪失していて、夫である主人公(29歳。妻とは高校の同級生)と6歳の息子が、妻に自分が幽霊であることを気づかせないようにしながら、暮らしはじめるという設定である。生きている人間が、幽霊を手なずけようとするなんていうのは、ちょっと珍しい展開だ。

幽霊の妻は、自分が結婚していて子供もいることを知る。頭を打って記憶を失い、一週間ほど寝たきりだったということになっているが、自分が住んでいた家があんまり汚かったり、夫や息子の態度が何となく変だということで、いろいろな疑問を持ち始め、結婚にいたるまでのなれそめを尋ねる。夫は語って聞かせる。その過程で、幽霊妻は自分が夫である主人公を愛していたことを知り、同時に現在の夫をも、もう一度愛しはじめる。夫の方も、高校時代から好きで6年間かかってやっと結ばれた相手と、もう一度初めてのような恋をすることになる。
手を握る時のときめき、初めてのようなキス、そしてまるで処女のような反応をする幽霊妻とのセックス・・・6週間かけて、主人公と幽霊妻は、もう一度最初から、ゆっくりと順序を踏んで、結ばれていく。

結末は、お見事!としかいいようがない。
幽霊妻の記憶喪失の謎も完全に解け・・・十分納得し、すがすがしい気持ちで本を閉じる事ができた。パチ、パチ、パチ、パチ、パチ!(拍手)<こういうノリの文体なのだ>
小説を読む楽しみを満喫できる、お薦めの作品である。

10月4日(月) 倫理観のリニューアル(16)

       作られた「ケガレ思想」

日本人の倫理観を考える際に、その根底にある「感情(感覚)」をしっかり掘り起こさなければならないという発想で、この論考は出発している。「ケガレ」も、それを思想、概念としてとらえなおしてみると、どうも律令時代に形成された「祓い・清め・禊ぎ」の「思想」によって、それまで漠然と存在していた清潔志向の原始感覚が強調されていったらしいと思われてくる。

そのようなことを考えていて藤田省三を読み直してみると、彼はそれに関わることを2種類の「物」という角度から述べていることに気づいた。

「必要物の獲得とか課題の達成とかのためには、もともと避けることのできない道筋があって、その道筋を歩む過程は、多少なりとも不快なことや苦しいことや痛いことなどの試練を含んでいるものである。そしてそれら一定の不快・苦痛の試練をくぐり抜けた時、すなわちその試練に耐え克服して道筋を歩みきった時、その時に獲得された物は、単なる物それ自体だけではなく、成就の「喜び」を伴った物なのである。そうして物はその時十分な意味で私たちに関係する物として自覚される。すなわち相互的な交渉の相手として、経験を生む物となる。「大物主の神」とも呼ばれ、「物語り」とも称せられてきた、そういう「物」は、明らかにただの単一な物それ自体ではなくて、さまざまな相貌と幾つもの質を持って私たちに精神に動きを与える物なのであった」

記紀神話の神である「大物主の神」の「物」とは、<相互的な交渉の相手>となって<経験を生む物>である。それは「物語り」を生んできた「物」である。古代において、日本人は決して不快な対象物を一掃しようとしてきたわけではないのだ。不快な対象物とも相互的に交渉し、経験し、物語りを生んできた。そのような原始日本人が、「ケガレ」と概念化されるようなものを当初から持っていたとは思えない。

清らかな水にあふれた風土の中で生まれた(と思われる)清潔志向は確かにあっただろう。しかしそれは「ケガレ思想」ではなかったはずだ。やがて律令体制の中で、その素朴な感情が整理され、強調され「祓い、清め、禊ぎ」の思想となって、「ケガレ」という概念が形成されていったのではないか。それが長い年月の中で「感情」のレベルにまでなっていった時、日本人に「使い捨て」の慣習が生まれてくる。

ケガレ思想によって、日本国の支配者層は「都」まで使い捨てしてきた、と述べるのは井沢元彦である。自分専用の茶碗を使用することや、人に割り箸を出すことなどの慣習の背後にケガレ思想があることは確かだろう。それは多分に「作られた」ものであることが想像されるが、しかし、その慣習が感覚となって、藤田省三のいうもう一つの「物」、つまり「ただ一つの効用のためにだけ使われる物」を生み出す原動力になったことは否定できないことである。

だが、原始日本人の感覚レベルには、相互的交渉を絶滅させようという<不快の源そのものの一斉全面除去>を願うようなものはなかったはずだ。だからこそ、「ケガレ思想」が芽生え、「祓い・清め・禊ぎ」が「悪」に対抗する手段だとされた同じ時代に、「怨霊思想」なるものが生まれたのではないだろうかと・・・私は推理するのである。

10月1日(土) 倫理観のリニューアル(15)

          「ケガレ思想」と清潔「感覚」

不愉快を避ける2種類の態度のうち、対象物の存在自体を前提としておこなわれる態度から生まれるものを、藤田省三は精緻に分析している。それは言われてみれば単純なことなのであるが、意識化することによって多くのことを学ぶことができる内容だと私は思った。

「どういう避け方が当面の苦痛や不愉快に対して最も望ましいかは、当面の不快がどういう性質のものであるかについての、その人その人の判断と、その人自身が自分の望ましい生き方について抱いている期待と、その上に立った工夫(作戦)の力と行動の能力とによって初めて決まってくるものである。そこには、個別具体的な状況における個別具体的な生き物の識別力と生活原則と知恵と行動が具体的な個別性をもって寄り集まっている。すなわちそこには、事態との相互的交渉を意味する経験が存在する」

「相互的交渉」のためには、<識別力>と<生活原則>と<知恵>と<行動>という4つの要素が必要であるという分析だ。それらは総合して<経験>と呼ばれる。なるほど、この4要素こそは、社会生活を営む人間であるためには原理ともいえるものだろう。しかしすべての「不愉快な対象物」に対して、この態度をとり続けるのは大変なことだ。そこでもう一つの「不愉快な対象物との交渉の機会そのものをなくしてしまおう」という態度をとることになるのも自然であろう。しかし、自己の交渉能力の限界まで努力した結果であればそれもやむを得ないだろうが、現代の日本ではそれが実に安易な形で選択されているように思える。その具体的現象が「引きこもり」とか「ピーターパンシンドローム」「パラサイトシングル」、さらには「抗菌グッズ」「セックスレス」「バーチャル恋人」などと言われるものになるのではないだろうか。それらの根底には「不愉快な対象物との交渉自体を避け」「安楽の中に浸りたい」という欲求に耐えられない安易で怠惰な精神が存在していると思う。

前回、私は「『安楽』への全体主義」の背後に「ケガレ思想」の存在を指摘した。今回、藤田省三氏の精緻な分析に接して、私も、彼に倣って概念の修正をすべきだと気づいた。それは「ケガレ思想」と、清潔志向の「感覚」とは別物だということだ。
考えてみれば、「ケガレ思想」と言えるものは、神社神道の成立段階くらいで形作られたものだろう。それ以前の段階では「思想(理性によって構築されたもの)」ではなく「感覚」なのだ。その原始的な「感覚」の段階では、「ケガレ」という概念はなかったのではないだろうか。なぜなら、縄文時代、森の中には不快な生物もたくさんいたはずだ。しかし、日本人はむしろそれらすべてと「共生」しようという発想の生活態度をとっていたわけであって(西欧人の方が不要な「森」自体を積極的に消滅させて文明化していった)、その態度は、神社が死を拒否するようないわゆる「ケガレ思想」の態度とはあきらかに矛盾するからだ。
つまり、清潔志向の「感覚」が「ケガレ」という概念になって共同体の秩序維持に使われるようになったのは、おそらく「祓い・清め・禊ぎ」という概念が成立した律令体制以後のことだろうということなのだ。
日本の清らかな水に恵まれた自然環境の中から生まれた清潔志向という「感覚」は、縄文時代の単純な共同体の中では生かされていたはずだ。それが、国家が成立とともに社会秩序維持のために使われだして、ことさら「ケガレ」が意識されるようになり、その結果、「ケガレ」が「思想」となったのではないだろうか。「怨霊」という「思想」も、おそらくそのような過程で成立したのであろう。
とすれば、原始感覚としての清潔志向を、直接、現代の「安楽主義」の原因に結びつけるべきではないのだ。清潔志向が階層社会の構造の中で「ケガレ思想」となり、それが文明化の中で極端な形で発揮されるようになったのが「高度技術社会」たる現代だった、ということではないのだろうか。

9月29日(水) 倫理観のリニューアル(14)

             「安楽」への全体主義

日本人の清潔志向を全面に持ち出したことで商行為が成功した事例として、私はブック・オフがあると思っている。これまで古本屋というのは女性には嫌われていた。その原因は、人の手垢がついている古本が物理的によごれているからということだったと思うが、それに加えて、女性には特に人が使ったものにはその人の「霊的な何か」がついているという感覚もあったのではないだろうか(そういう感覚を職場の女性から直接きいたことがある)。ブック・オフのポリシーは、徹底的に清潔さを追求するとことを介して、そういう無意識層の「ケガレ」感覚まで払拭しようとする戦略だったのではないか。きれいな本しか置かないという徹底したやり方で、ブック・オフは(「ケガレ」感覚の薄れてきた現代の)女性客も獲得した。書籍業界の流通機構の変化も影響しているだろうが、急成長し全国に店舗を広げているブック・オフは、古本屋のイメージを確実に変えたのだ。

そのようなケガレの思想は、日本人の倫理観に様々な影響を与えてきた。
死につながるケガレた仕事を忌み嫌うという所から、そういう仕事をする人間を差別するという現象がおきる。江戸時代に政策的に作られた最下層階級である「非人」への恐るべき差別も、そういうケガレの思想が原動力になっているのである。

近代になって日本が「高度技術社会」となったとき、一つの論文が出現した。それは作者の名前を一躍有名にした「『安楽』への全体主義」という論文である。「抑制のかけらもない現在の<高度技術社会>を支えている精神的基礎は何であろうか」で始まるその論文は、技術の開発をその底に隠されている被害を顧みることなく受け入れていく生活態度の基底に、「見落としてはならない一つの共通動機」が働いているとして次のように述べている。

「それは、私たちに少しでも不愉快な感情を起こさせたり苦痛の感覚を与えたりするものはすべて一掃してしまいたいとする絶えざる心の動きである。苦痛を避けて不愉快を回避しようとする自然な態度のことをさして言っているのではない。むしろ逆に、不快を避ける行動を必要としないですむように、反応としての不快を呼び起こす元の物(刺激)そのものを除去してしまいたいという動機のことを言っているのである。
苦痛や不愉快を避ける自然な態度は、その場合その場合の具体的な不快に対応した一人一人の判断と工夫と動作を引き起こす。・・・すなわちそこには、事態との相互的交渉を意味する経験が存在する。
それに対して、不快の源そのものの一斉全面除去を願う心の動きは、一つ一つの相貌と程度を異にする個別的な苦痛や不愉快に対してその場合その場合に応じてしっかりと対決しようとするのではなくて、逆にその対面の機会そのものをなくしてしまおうとするものである。・・・そこには、不愉快な事態との相互交渉がないばかりか、そういう事態と関係のある物や自然現象を根こそぎ消滅させたいという欲求がある。恐るべき身勝手な野蛮と言わねばならない。」

これを読んだとき、まっさきに浮かんだのは抗菌グッズという製品であった。この製品の流行はあきらかに<反応としての不快を呼び起こす元の物(刺激)そのものを除去してしまいたいという動機>から生まれている。そしてその背後に、日本人のケガレ思想がはっきり浮かんでくる。ケガレの思想は、交渉を忌避して、ただ「祓い・清め」ることだけを求めるものだ。神社神道が死を門前払いするという態度の中に、この、<不愉快な事態と関係のある物や自然現象を根こそぎ消滅させたい>という、恐るべき身勝手なケガレ思想の特徴を見ることは、はたして行き過ぎということになるのだろうか。

9月25日(土) 倫理観のリニューアル(13)

            梅原猛の「黄泉の国」観

神様のいる神社にお金を捧げる時なぜ私たちは「投げ」たりするのか。失礼なことではないか。なぜ清水の湧いているところにコインを投げるのか。人にお金を渡すときなぜ裸銭では失礼なのか。なぜ結婚式などのご祝儀のお金はピン札でなければならないのか。逆になぜ香典にはピン札はよくないというのか・・・
新谷尚紀「なぜ日本人は賽銭を投げるのか」(文春新書)は、こういう疑問から出発して、日本人の民俗信仰として貨幣がとりあげられたなかなか面白い本であった。そこで解明されたことは、日本人は貨幣にケガレが吸着されるという感覚を(無意識の領域で)持っていることであり、神社がそのケガレを吸引浄化してくれるということであった。

考えてみれば、日本人がいくら現世利益の民族だとしても、わずかな金で「願い」を買おうというような感覚で賽銭を投げるとするのは、あまりにも近代的な解釈だろう。だとすれば、貨幣がケガレを吸着するものだととらえる仮説も面白い。(私はこれまで、神道という宗教には「救済」がないことが最大の欠陥だと思っていたが、神社が貨幣によってケガレを「吸引」しているならば、それも「救済」の一種ととらえられないことはない。それなら神社神道も棄てたものではないかもしれない・・・)
ともかく、いろいろな民俗行為の背景に、どうもケガレを忌み嫌う日本人の独自な感覚が存在していることは確かなようだ。

ケガレの極致ともいえるものが「死」である。
清らかな自然の水に恵まれたためか、清潔さを強く求め、その反動としてケガレを忌み嫌うようになった日本人は、死というものをどのように扱ったか。その答えとして、梅原猛の「あの世」観は、とても納得がいく。
彼の説は実に単純なのだ。私は初めてそれを知った時、あまりに単純すぎて何だかあっけないような感じを受けた。しかし、真理はえてして単純なものだろう。
梅原猛は、古神道における「あの世」「黄泉の国」のイメージは、とにかく、現世と全く逆ということなのだと語る。
この世の夜はあの世の昼である。だから死者をあの世の昼に送るため、お通夜という夜の行事が起こったという。この世の右はあの世の左である。だから死者の葬送には着物を左前に着せる。この世で壊れたものはあの世で壊れていないものである。だから霊柩車が出るときに故人の使っていた茶碗を割る。この世で割るとあの世では割れていない茶碗になるのだ。(この最後の事例について、井沢元彦はケガレを忌み嫌うから割るというように解釈していた。私は梅原説の方が整合性があると思う。梅原氏は事例としてあげていなかったが、香典はピン札を避けるというのもこれで解釈できるように思う。この世の古いお札はあの世の新しいお札なのだ)

つまり、この世が清らかな世界であるから、あの世はケガレた世界なのだ。
黄泉の国のケガレたイメージは、古事記の有名なイザナミの描写にも残っている。死の世界はいまわしい世界だった。
そういうケガレた、いまわしい死後の世界のイメージを逆転させたのが、仏教の浄土観だったのではないだろうか。

9月24日(金) 倫理観のリニューアル(12)

       神社はケガレの「吸引浄化装置?

次に貨幣について。
新谷尚紀は「なぜ日本人は賽銭を投げるのか」の中で、埼玉県比企郡大野という村の送神祭を紹介している。それは毎年4月8日に行われる祭りである。災厄や疫病(つまり穢れ)を除くために村人が竹と紙で神輿を作り、その中に米の粉を水で練り固めたものを納める。その行列がくると、村人は米や貨幣(50円玉、百円玉)を包んだおひねりを投げ込む。神輿は村境で崖から放り投げられる。すると「厄よけ」がすんだ(禊ぎができた)として、崖下の人たちが金や神輿の材料を拾い集める。
ここに象徴されていることは、災厄や疫病などの穢れを磁石のように貨幣が吸い付け(米は生命力を与えるものとして扱われるようだ)それを放り投げることで「禊ぎ」ができるということである。さらに、そうして一端清められたものは「縁起物」としてむしろ喜んで用いられるということである。

「このように、汚いものが逆に縁起物になるという現象が民俗のなかには非常に多いということに注意する必要がある。昭和30年代までは、農耕馬の糞を踏むと馬にあやかって足が速くなるとされていた。・・・葬式で野辺送りの棺をかついだ人たちは履いた草履を脱ぎ捨ててくるが、それを他の人が拾って履くと足が丈夫になるといったりしていた。
ここで注意すべき点が二つ出てくる。一つはこのようなケガレの逆転現象である。もう一つは、ケガレはそれが祓へ清められるときに貨幣に託されている、貨幣に依り付けられているという事実である。一般的には貨幣とはものを買うための経済的な道具であるが、埼玉県大野の送神祭でも神輿にお金を供えて村境に放り捨てて村の災厄や疫病、つまりケガレを祓へ捨てていることがわかる。神社で賽銭を投げるのも、きれいな清水の湧く泉にお金を投げ込むのも、厄年の人が厄払いのためにお金を撒くのも、ケガレを放ち捨てて祓へ清めているのだということになる。つまり、貨幣はケガレの吸引装置である、磁石のようにケガレを吸い付ける道具である、ということになる」

そしてここから、新谷氏は神社というものを「人々のゴミ捨て場」と解釈するのだ。

「つまり神社は人々のゴミ捨て場であるということになってしまう。人々はケガレを祓へ清めるために、神社の賽銭箱や清水の湧く泉に貨幣を投げ込んでいるわけである。神社は私たちが崇敬し祈願をこめる場所であり、ありがたい神さまの鎮座している場所であるのに、私たちの行っていることから解読すればこのように私たちのケガレを祓へ清める場所である、ということになる。つまり、神社はケガレの吸引浄化装置である、ということになるのである」(新谷尚紀「なぜ日本人は賽銭を投げるのか」)

9月23日(木) 倫理観のリニューアル(11)

              「穢れ」の思想

我々はすべて死を見つめられるわけではない。しかし、概念として死が共有されるために、葬儀という行事が発明された。葬儀というものに参加することによって、死が間接的に見つめられるようになっている。
だが、本当の倫理観を身につけるためには、生きているものが死ぬという瞬間を見つめることが必要なのではないかと思う。死体なら見つめる機会はないことはないが、死の瞬間を見つめる機会はそうざらにはない。

子供には親しい者の臨終の場に、どんなことがあっても連れて行くべきである。葬儀も大切だが、臨終の場こそ、最高の「生」の学習ができる絶好の機会である。私の長男が失業中に、彼が近所からもらってきて15年間飼っていた犬が死んだ。心臓を患って部屋の中で1週間ほど生きていたが、最後に妻に抱かれ、長男を見つめながら息を引き取ったそうだ。長男は泣き、動物専門のお寺まで一緒に行って葬った。偶然彼が家にいて、愛犬の死の瞬間に立ち会うことができたことを、私は本当によかったと思っている。死の瞬間をみつめた彼は、計り知れないほど大きなことを魂に刻みつけたに違いない。

死について考えていて、これまで思いこんでいた神社に対する認識を少し修正させられたことがあった。これも新谷尚紀「なぜ日本人は賽銭を投げるのか」(文春新書)からである。それを取りあげて考えてみたいと思うが、そのためには、穢れ、貨幣、について言及しておかなくてはならない。

まず、穢れ、について。
井沢元彦は「穢れと茶碗」(NON BOOK)で、日本人が「割り箸」というものを使い(割り箸を使うのは世界中で日本だけだという)、「自分の茶碗」で食べていること、悪い人間を「汚い奴」、責任転嫁を「罪をなすりつける」、相手を許す美徳として「水に流す」という言葉を日常的に使っていることを例にあげて、それらが「穢れ」を忌み嫌う日本民族の強い感覚によると指摘している。
「穢れ」の思想は、記紀の神話で描かれる以前から、日本人の心に宿っていたものであったというが、その理由として、井沢元彦は次のような仮説を述べる。

「なぜそうした思想が生まれたのかというと、これは私もわからないのですが、ひとつ想像できることは、日本という国は非常に水が清らかな国だということです。かつては、長良川であるとか龍田川であるとか、そうした清流が各地にたくさんありました。しかも水質が硬水ではなくて軟水なのです。つまり、生水をそのまま飲める国であるということです。今でこそ、そうでもありませんが、これだけ同じ国の中に清らかな清流があって、しかもすくって飲めるという国はおそらく世界中を見まわしてもないと思います。
というのも、日本の真ん中に、ちょうど背骨のように中央アルプス、北アルプス、南アルプスといったような山塊があり、そこに日本海側から吹き込んでくる風で雪が積もり、その雪が溶けて伏流水となり、森林や土の中を通って下へ出てくる。つまり天然の濾過器に恵まれた国でもあるからです」

ここから日本人の清潔志向、「禊ぎ」の思想、つまり「穢れ」を忌み嫌うという性質が特に強まった。おそらく、古代においては世界中がそうだったと思われるが、日本が離れ小島であったので、そうした古代の習慣が、特に日本に強く残り、現代にまで続いているのではないか・・・井沢氏はそう考えるのである。

9月22日(水) 倫理観のリニューアル(10)

            「死」を経験する、ということ

経験するということは、つまりは見つめるということである。
生物は死を体験できない。しかし見つめるという経験はできる。死の学習は、死をしっかり見つめることによってしかできない。
考えてみれば、見つめるということは大きな能力なのである。人類は唯一、その能力を獲得した動物だとも言えるかもしれない。

死を見つめるところから人間の「生」が始まることを、もっとも深く映像で描いた作品として、ショトジット・ライ監督のインド映画「大地のうた」を思い出す。仏教を生んだ国の宗教・文化的土壌があってこそ生まれ得たといえる素晴らしい映画であるが、その中でもっとも印象的だったのが、ハリハール一家に同居している老婆の描写だった。ハリハールの2人の子供ドガとオプは、森の中で老婆が座ったまま死んでいく様子をみつめる。品田雄吉は「この枯れ木のような老婆の存在は、リアリズムを超えた生と死の詩を感じさせる。ドガとオプは、この老婆によって初めて死というものを知るのだ」と解説しているが、(あらためて見直してみて)それは人間の死を描いた実に優れた場面だった。特に老婆を<見つめる>オプの目が印象的であった。

もう一つ、私に死をみつめることがどんなに重要なことかを教えてくれた映画があった。黒沢明監督の「赤ひげ」である。多くのエピソードをつないでいくようなこの映画の中に、加山雄三演ずる若い医者に対し、三船敏郎演ずる赤ひげが、臨終の患者の最期を見つめさせる場面があった。長崎仕込みの最新医学を身につけたエリートの若者は、知識はあっても本当の人間の死の場面を見つめたことがなかったのである。赤ひげの指示で患者と二人きりになった若者は、死に向かう人間の様子を見つめることに耐えられず、うろうろと動き回る。

倫理観リニューアルとして最も重要なことは、死の経験、ということではないだろうか。

9月21日(火) 倫理観のリニューアル(9)

            」は概念

死ということについて、新谷尚紀という民俗学者が貴重な視点を提供してくれた。
「なぜ日本人は賽銭を投げるのか」(文春新書)に、次のように書かれていたのだ。

「私たちはふつう死は事実であると考えている。しかし、霊長類の研究者から教えられるのは、死は概念である、ということである。伊谷純一郎『老いの人類史、老いの発見』や水原洋城『猿学漫才』によると、ニホンザルは死を理解していないらしい。死んだ小猿を手放さない母親ザルの行動も、その観察によると死を理解できずにどうしたらよいかわからずにとっている行動だという。
経験から学習が生まれ、学習は理解をうむ。理解するということは概念化されるということである。概念化されたものは他者と共有される。人類が死を概念として共有したからこそ、死をめぐる儀礼や観念が生成され伝承されてきたのである。そして、霊長類の研究や人類学、考古学の研究からは、人類も死を理解するまでには長い進化の過程があったことを教えられる。<花を供えた人>ともよばれるネアンデルタール人が死を理解した最初の人類であったとする仮説は現在では疑問も多いとされるが、私たち人類にとって死の認識というのは所与の物ではなく、歴史的に獲得してきたものだったことは確かである。死の発見は人類にとってコロンブスのアメリカ大陸発見よりも、アインシュタインの相対性理論の発見よりも偉大な歴史的事実だったのである。
死の認識は生の認識でもあったはずである。それは、生きていること、生命の不思議、この世とあの世への疑問、つまり霊魂観念や他界観念の生成であったはずである。そして、それこそが宗教の誕生だったのである。神観念の誕生である。死の概念化は宗教の創造を意味したのである」

倫理観の根本となるものは死の理解ということであろう。
「なぜ人を殺してはいけないのか」という問の発生とか、不気味なゲーム感覚の殺人が横行し始めた頃から、現代の若い世代に死というものの理解がなくなって来つつあることを感じていたが、この説明によって再認識ができた。

しかしそこに行く前に、私がこの記述で考え込まされたことは、ニホンザルの事例であった。「経験から学習が生まれ、学習は理解をうむ」ならば、子供の死を理解できないニホンザルは、子供の死を「経験」していないということなのか?それとも、「学習」する能力がないということなのか?ということである。
考えた末、現在の私の結論は次のようになった。

1、ニホンザルは、他の動物よりも子供を「個」として認識する能力が発達しているからこそ、死んだ子を抱き続けるのではないか。
2、しかしニホンザルには、人類のように子供の死を「経験」できていないのではないか。
3、「経験」するということは、「見つめる」ということではないか。
4、「見つめる」ことができないものには「学習」ができないのではないか。

ニホンザルには、他の動物より子供を「個」として認識する能力はあっても、まだ子供の死を「見つめる」だけの能力がないと、私は考える。従って、その死を見つめて、死を「学習」する力がないのである。

9月19日(日) 倫理観のリニューアル(8)

            「成熟」という視点

山折哲雄は、倫理や道徳を見失っている現代日本の状況にあって、伝統的な日本人の観念の中から掬いあげることのできるものとして「成熟」という考え方を取りあげる。
それは「共生」や「魂の循環」と並べられる日本の特徴的ともいえる考え方だと述べて、次のように語る。

「これは、人間というのは年月をかけて、じっくりと内面から成熟することが大切なのだという考え方です。人間は長い年月をかけて次第にできあがるのだというのが成熟の考え方ですが、こういう人生観というのが、日本人はもともと好きだったような気がします。これは、自然の樹木を見てもよくわかることです。苗木から大木になるまで、相当の年月がかかります。ここから、人間と自然との関係を、成熟という観点でつなげることもできます。こんなふうに考えると、日本の伝統的な社会で育まれた人間観や倫理観にも非常にいいものがあるということができます。
今日この日本人の成熟観念をもう一つその底の方で支えているものが、例えばヨーロッパ近代から学んだ個人主義ではないかと思うのです。なぜなら個人個人が自己修業を重ねて人生の成熟段階に到達するという人生観が、それによってしだいに鍛え上げられていったからです。そういう考え方を強化する上で、ヨーロッパから導入された個人主義の思想は大きな影響をもったのではないでしょうか。日本人はヨーロッパから、平等とか博愛とか自由なども学びましたけれども、これらは仏教にもないわけではない。仏教にないのは、個人主義だけだった。個人主義は、日本人が西欧の思想の中から受け取った最大の贈り物ではないかと思います。
この西欧からいただいた個人主義と、儒教からもらった修養、それに仏教から受容した無常観を統合してみますと、何とはなしに日本的風土における<成熟した人間>が見えてくる。そういう人間のあり方に高い価値を置いた日本人の倫理観みたいなものを、私は私なりに感ずることができるし、納得できるのです。日本の社会においては<未熟な人間>に対しては、かなりきついところがありますよね」(宗教の自殺)

これも希望を与えられる観点だと思う。
私はこの指摘を読んだとき、職人をイメージした。かつて「倫理という力」(前田英樹 講談社現代新書)という素晴らしい本に描かれていた、<物作り>の修養を経て身に付くような倫理観とは、成熟にもとづくものではないかと理解した。しかし、現代社会はそのような倫理観を身につける環境から、どんどん遠ざかっているように思う。

エリック・フォッファーの「早すぎる変化は人間を幼稚化する」という言葉を思い出すのである。
近代の日本は「外発的開化」によって急激に西欧化した。明治以来、その急激な変化の中で、それまでゆっくりと<成熟>することをめざすあり方を続けていた日本人の「生」が変化したように思う。そのため、徐々に「幼稚化」が進んだのではないか。日清、日露の戦争に勝利したとして西欧列強に並んだとする自己陶酔が起こる。その後、どんどん軍隊が「幼稚化」し、誇大妄想のような神国日本の幻想を作り上げていく。あきれかえるような杜撰な作戦によって悲惨な敗戦を体験することになった背景には、<成熟>という価値を忘れて近代化を目指しすぎた、日本人全体の異常な<性急さ>があったように思う。

敗戦によって、次には経済復興という<性急さ>が課せられることになった。
戦後の日本人が、働き蜂、エコノミック・アニマル、と言われながら急ぎに急いで経済復興をはたしたツケは、さらなる「幼稚化」だったように思う。

9月18日(土) 倫理観のリニューアル(7)

          霊魂は遺伝子?

柳田国男は戦争直後に「先祖の話」を書いて、「日本人は戦争に負けていろんなものを失ったが、先祖崇拝の気持ちまで失ったら、もう日本人は日本人でなくなってしまう」と警告を発した。ラフカディオ・ハーンもスペンサーの哲学を引用して、魂の多面性(いろいろな霊が魂に乗り移ること)を取りあげながら、先祖崇拝を高く評価した。
霊魂の循環という思想に基づいて日本人が持ち続けている先祖崇拝が、貴重な伝統文化であることはまちがいない。

「霊的な存在としての先祖の話にもどりますが、私は子供の頃に何か悪いことをするとよく父や母から<ご先祖様に申し訳ない>といわれて育ちました。どこにいても、何をしていても、一人でいても、必ずご先祖様は見ているのだ、だから身を慎まなければいけないという教育ですが、昔はそういう教育が一般に広くおこなわれていたように思います。それが日本人の倫理観、道徳観を形成していたといっても過言ではない。キリスト教にとっての神と同じような役割を、日本人にとっての<先祖>がもっていたわけです。その意味では先祖崇拝はもっと高く評価していい信仰だとおもいますね」(宗教の自殺)

魂の不滅、循環という信仰は、先祖から続く生命の流れの中で個体が存在するという認識である。考えてみれば日本人は「魂」という言葉を、大きな<生命の流れ>の中に自己が属していることを実感してそこから自己を捉えた時に使っていた。典型的な言葉としてナショナリズムの高揚に使われた「大和魂」という言葉がある。忌まわしい記憶のこもる言葉ではあるが、これは自分の中に流れている<日本民族の><生命の流れ>を実感し自覚する(あるいは自覚させる)ということで使われた言葉だった。

「魂」とは、<生命の流れ>を実感することから我々が自覚できる「何か」である。
そしてその「何か」は、我々の「心」の土台となっているものである。私は、それは「何か」であってかまわない、それ以上、魂の実体を考察する必要はないと考える。
しかし、近代生物学の進歩によって遺伝子が解明されていくと、その「何か」を遺伝子に結びつけてしまうような論調が出てきた。尊敬する梅原猛氏の最近の論調の中で唯一共鳴できないのが、彼の「霊魂=遺伝子」とする説明である。形質が遺伝するという現象を物質である遺伝子に還元することはいいのだが、霊魂という信仰の対象までそれで解明しようとするのは唯物論の行き過ぎだろう。
霊魂=遺伝子という考え方をとってしまうと、リチャード・ドーキンス「利己的な遺伝子」論のような、利他的な行為を遺伝子の生存欲という利己的な行為に還元してしまう学説などによって、この考察の目的である「倫理観を日本古来の信仰を見直すことによって再構築する」こと自体がナンセンスに思えてしまう。しかし、霊魂と遺伝子は次元の違うものである。我々の存在が、単に利己的な遺伝子という乗り物に乗っているものであるというとらえ方はあまりにも極端であろう。(ただ、仏教の「因縁」という「関係性」で存在をとらえる哲学にもつながるものとして、生物学に構造主義を取り入れた「構造主義生物学」の考え方を用いるなら、科学的なものを使った霊魂の説明としてかなり納得できるものが出来上がるような気がする。それは、形質の要素としての遺伝子の「関係性」の中に、物質レベルを超えた何かが生まれるというような観点であるが・・・しかし「構造主義生物学」自体が、生物学の中では主流ではない)
しかし、「利己的な遺伝子」論は、科学的な解明というある種<魔力的>ともいえる力によって、人々の倫理観に影響を与えたに違いないと思う。巷にあふれる<現状肯定の安楽主義><努力を忌避する宿命観><何でもありのウルトラエゴイズム>の根底に、この「科学的宿命論」ともいえる学説の影が感じられるのである。

9月17日(金) 倫理観のリニューアル(6)

     日本独自の「浄土観

「共生」の思想は「皆死」の思想に裏付けられて究極の「平等」観となっていた。そこに仏教が渡来して、天台本覚論のような日本的な仏教が出現する。
一方、魂の循環を信ずる古代の日本人の思想に、仏教の浄土観が習合して、これまた独自な浄土観が出現した。

「日本人の深層部分には霊魂感覚が確かにある。『万葉集』など見ても、死んだ人の魂は山へ昇ったり、大海原に漂っていったりして、また帰ってくるのです。そういう霊魂観があり、その魂はやがて神になる。ここではあの世とこの世とが地続きになっています。地続きになる媒介物が山であり海であるわけです。そういう自然が宇宙的空間の中心軸となって存在する。その中で生者と死者の循環という構造ができあがっていた。そこに仏教が入ってきます。仏教にもいろいろな思想があるわけですけれども、その中で一番日本人の心に深くしみ込んだのは、浄土観です。インドの仏教徒が考えた浄土は、西方十万億土の彼方にある非常に抽象的、形而上的な浄土だったわけですが、それを日本人は、われわれのすぐ近くにある山の中に浄土があるのだと、読み替えてしまった。外来の仏教思想、浄土観とそれ以前の霊魂観とが合体してそういう精神的な化学反応が生じたのです。そこでは、死んだ人の魂は山に昇って神になる、そしてその山が同時に浄土でもあるから、その山頂の浄土で死者の魂が仏にもなる、そういうわけで、魂、神、仏は一つのものになってしまう。このように、古来からの霊魂観とインド産の浄土観が、自然を媒介にして重層化していく。簡単にいえば、これが日本人の基本的な宗教観だったのではないかと考えています。今後のわれわれの課題は、その霊魂観を蘇らせて、生きている者と死んでいる者との連帯を新たに構想していくということかもしれない。そのことでわれわれと自然や宇宙とのあいだに生き生きした血を通わせることもできるはずです。そういう風土に根ざした宗教観というものは、五十年や百年の近代化ぐらいでは、なかなか消えてなくなるものではない。心の深層に生き続けていくものだと思います。こういう感覚や思想を何とか言葉にして世界に発信していくことが、これからのわれわれの仕事ではないかと思っています」(山折哲雄 宗教の自殺)

この言葉にはとても力づけられた。
(私も「五十年や百年の近代化ぐらいでは、なかなか消えてなくなるものではない」ことを信じて、そのリニューアルをめざす考察を続けたい)
まずそこで取りあげられていたのは、先祖崇拝ということであった。

9月16日(木) 倫理観のリニューアル(5)

「最近、<共生>ということばがよく使われます。人間と自然の共生とか、人間と人間との共生とか、いろんなふうに<共生>という言葉が使われていますけれども、私は、これだけでは少し物足りないのではないかと思います。<共生>をいうなら<共死>がなければいけない。共生思想には、同時に共に死んでいくという共死の思想が含まれていないといけないのではないか。それがたとえば本来の仏教という宗教の世界観ではなかったのか。とくに仏教といわなくとも、日本人の世界観だったのではないか。共生の思想には、人間も動植物も地球も宇宙も平等なのだという考え方があるけれども、それは同時に、この世にあるすべてのものは、みないつかは死ぬのだということにおいても平等なのだということでなければいけない。これが、東洋的無常観の基本的なものの考え方だったと思います」

「共生だけでは、私は人生観としても宗教観としてもきわめて不完全なものだと思う。なぜならそこには生きることに執着するある種のエゴイズムの匂いを感ずるからだ。共生という思想は共死の思想に裏付けられてこそ、はじめて本物になるのではないだろうか。この場合、共死は無常観とも深く関わっているはずである。それだけではない。空や無の感覚ともつながっているだろう。そしてそこにおいてはじめて、日本人の本来の宗教観は完結した像を結ぶのではないか。」 (ともに山折哲雄「宗教の自殺」より)

究極の「平等」は死である。どのように強大な権力者でも死だけは免れない。だから多くの権力者は最後には「不老不死」を求める。(秦の始皇帝などその典型である。彼が死後まで世界を支配し続けようとして作った兵馬俑や地下宮殿の壮大な創造物は、死の平等という真理に逆らう人間の愚かさの極致として見つめられなければならない)そのような意味で、つまり「この世にあるすべてのものは、みないつかは死ぬのだ」という意味でいおうとするのなら「共死」という用語はやや不適格だと思う。最初、私は山折氏の言おうとすることを理解して「共死」を読んだが、この用語だけ見ると「集団死」のような印象をうけかねない。これは「皆死」とすべきであろう。
「皆死」という理解でなら、私は山折氏の指摘に共鳴する。この観点が戦後の日本に欠けていたことは、例えば深沢七郎の小説「楢山節考」が与えた衝撃を思い出せばいい。「楢山節考」は「人間、死ぬのが当たり前」という、それこそ実に当たり前なことが民話形式で描かれた小説だったが、それは「生きるのが当たり前」とされていた戦後日本の民主主義社会にとっては衝撃だったのだ。深沢七郎は「皆死」の真理を最も深く見つめたところから作品を書いた小説家だった。ただ、深沢は「共生」に関しては全く関心を示さなかった。ひたすら「皆死」の側面からだけ人間社会を描き続けた。そこに深沢の限界があったと言えないことはないが、これほど徹底して「皆死」の側面を追究した作家は、異色中の異色と言っていいだろう。

「皆死」に裏付けられた「共生」によって初めて生物の本当の「平等」観が手に入る。深沢七郎の「楢山節考」によって再発見されたような、みんな平等に死んでいくという日本人古来の「平等」世界観が、渡来した仏教を日本的ともいえるものに変えて行った力であったと思う。それを最もはっきり示しているのは、十一世紀に出現した「天台本覚論」であろう。天台宗を開いた最澄は「山川草木悉皆成仏」と言ったのだ。これは、すべての生きとし生けるものはすべて仏性をもっていて成仏できるという、まさに「共生」の思想そのものであった。本来人間についてのみ思索された仏教が、ここでは自然物すべてに拡大されているのである。

9月15日(水) 倫理観のリニューアル(4)

       日本土着の思想

古神道にみえる日本土着の思想とはどのようなものだったか。梅原猛の説明を引用する。

「弥生時代が始まるまでは、日本列島はほとんど森に覆われていた。山だけでなく平地も全部、森に覆われていた。われわれは弥生時代になって森を伐り始めた。そしてそこを田畑にした。森を伐って耕地面積を広げていった。これを日本人は2300年もの間つづけてきたわけですが、伐ってはならないところがあった。それは神社の森です。聖なる場所には森がなくてはならない。それは縄文時代からの日本人の信仰のゆえである。縄文土器のあの紋様は何であったか。それは木の精への信仰をあらわしているのです」(森の思想が人類を救う)

「アイヌのイオマンテの神事は熊送りの神事である。イというのは第三人称の目的格「それを」という意味で、ここでは熊の魂を指す。オマンテは「送る」という意味。従って、イオマンテは「それを送る」つまり魂を送るという儀式である。アイヌでは熊は本来人間と同じものと考えられているが、その熊が人間の世界に客人としてみやげを持ってやってくるとされる。客人とはアイヌ語で「マラプト」。これは古代日本語の「まろうど」の起源と考えられる。日本語の「みやげ(土産)」もアイヌ語の「ミアンゲ」から来ている。ミアンゲとは、文字どおり身をあげることであり、熊はおいしい肉やあたたかい毛皮を土産としてこの世にやってきたというのである。それで人間はそのお客さんの意思を重んじて喜んでその身をいただき、その代わり手篤く熊をもてなして、丁寧にその魂をあの世に送ろうというわけである。・・・イオマンテは熊の葬式であるが、アイヌ社会では人間の葬式も丁重に行われる。それは、単にあの世へ送り届けるための儀式ではなく、あの世からまた霊が帰ってくることを願う儀式でもある」(宗教の自殺)

このイオマンテの儀式から、アイヌの人々が持ち続けている(そしてそれは縄文時代に培われた日本人の土着の思想である)二つの重要な思想を読みとることができる。

(1)、熊をはじめとする自然の生物はもともと人間と変わらない存在であるという思想。アイヌ社会では、熊ばかりでなく、鮭、しまふくろう、犬、樹木まで同様にあの世へ送られる。 <共生の思想>
(2)、全ての生きとし生けるものは、生と死の間、この世とあの世の間を永遠に循環するものであるという思想。 <循環の思想>

神社の森を残して樹木を尊び、あらゆるものに魂を見いだし、それら生命の循環を信じるこの共生と循環の思想が、弥生文化にも溶け込んで、弥生人が作り上げた「神道」の中にも生き続けている。それは、6年に一度取り替える諏訪神社の御柱の儀式。あるいは、20年ごとに木で作られた建物全部を壊してまた建て替えるという伊勢神宮の遷宮。これらは、命が6年、あるいは20年後に滅び、また新しくなるということを暗示したものである。(梅原氏は、北陸で発見された縄文時代の遺跡といわれるウッド・サークルも同じだという。直径1メートルもある栗の木を切って10本並べ、円形のサークルが作られていたが、その栗の木は無数に建て替えられた跡があるという)

この共生と循環の思想から我々は多くのことを再認識しなければならないと思う。
しかし、ここで梅原猛の思索を補完するかたちで、山折哲雄が注目に値する観点を提出するのだ。それは「共生」にプラスする形で「共死」という観点を持たなくては不十分な認識になるという指摘である。

9月14日(火) 倫理観のリニューアル(3)

         人種が違う、縄文人と弥生人

梅原猛の著「森の思想が人類を救う」(小学館)によると、最近の自然人類学の研究によって、縄文人と弥生人は人種が違うということが判明しているとある。
縄文人は古モンゴロイド、弥生人は新モンゴロイド。だいたい近畿地方は弥生人、新モンゴロイドのタイプが多い。それに対して、東北を中心として日本の北辺の地域、北陸、山陰、近畿地方では熊野、四国の太平洋側、九州の南部、沖縄にかけて、縄文人、古モンゴロイドのタイプの人が多い。
新モンゴロイド(弥生人)のタイプはだいたい韓国や中国の人に近い。
古モンゴロイド(縄文人)のタイプの中で、もっとも縄文人の形質を多く残しているのが、アイヌと沖縄の人たち。
そういうことが明らかにされているという。

「極端にいってしまえば、日本人というのは、アイヌ・沖縄型の人と、韓国・中国型の人の二つに分けられる。だいたい近畿の人は、韓国・中国型です。だから関西弁はアクセントがちょっとちがいますね。私は、これは中国のアクセントの影響ではないかとひそかに思っているのです。これは金田一春彦さんの説ですが、日本列島では、東と西ではアクセントがよく似ている、ところが、まんなかの近畿地方だけがちがう、という。これはやはり文化の違いであり、人種の違いではないかと考えられるのです。・・・縄文時代には狩猟採集文化をかなり高い文化に発展させた縄文人、つまり古モンゴロイドの土着民が日本列島にはいた。そこへ今から2300年ほど前から、稲作農耕文化をもった新モンゴロイドのタイプの人たちが大陸からやってきて、九州、近畿地方を占領し、日本の国を作った。これは間違いのないことです。このことは『古事記』『日本書紀』の記事にもあらわれている」

そして、食生活の中にあらわれている、鍋料理、汁料理、生の魚を刺身で食べる風習などが狩猟採集文化が日本文化の根底にあることを示している、と語る。
これは、とても納得のいく説明だった。日本列島の中央を占領した弥生人によって、縄文人系の人たちは周辺の地へ追いやられた。邪馬台国の成立によってそれらの地も徐々に日本国の中に組み込まれていくのだが、もっとも辺境の地に住み着いたアイヌと沖縄の人たちの中に、もっとも非邪馬台国(非弥生)の文化が残ったということだ。
<松本清張の「砂の器」は、東北弁が唯一出雲の端っこにあるということで事件が解明されていくという小説だった。これも、周辺に追いやられた縄文人の文化の名残りといえるものだろう>
そして日本の宗教について、彼は次のようにいう。

「日本の宗教も二重構造になっている。すなわち縄文時代の狩猟採集文化の宗教のうえに、農耕文化、渡来人の宗教がかさなっているのです。だからわれわれが、日本人の基層の宗教を知ろうと思えば、縄文時代の宗教を研究しなければならないのです。・・・縄文時代の人間の形質と文化を最も多く受け継いでいるのはだれか。それはアイヌの人たちであり沖縄の人たちである。アイヌの人たちはつい最近まで狩猟採集の生活をしていました。沖縄でも狩猟(漁猟)が盛んです。だから、アイヌや沖縄の文化、宗教を研究することは、日本の基層の文化、宗教、すなわち縄文時代の文化、宗教を知るうえで非常に重要になってくる。彼らの宗教のなかには日本の宗教の原型(つまりそれが神道)が残されているからです」

9月13日(月) 倫理観のリニューアル(2)

      <祓い・禊ぎ>の国家神道

梅原猛は山折哲雄との対談「宗教の自殺」の中で、次のように語る。

「日本には、私たちの父や母の時代までは、日本の習俗と仏教や儒教が結びついたある種の倫理観が残っていたのだけれども、それがやがて国家主義に集約されて、しかもそれさえも昭和20年に、戦争で負けて、否定されてしまった。となると、一体どのような倫理観が残っているのか。問題はそこだと思う」

私は、アメリカナイズされた絶望的とも見える現代の日本の状況の中でも、民族文化の基層として縄文時代から連綿と続いている日本人の「感覚」「発想」「趣向」の中に、ひょっとすると新しい「倫理観」を再構築できる要素があるのではないかと模索しているのだ。
それは、梅原猛によって教えられた、神道の再発見というべきものであり、現在、憲法や教育基本法の改定によって為政者たちが行おうとしているナショナリズムの高揚による倫理観の確立とはまったく異なる「宗教心」の涵養という形になると思われるものなのだ。

明治に制定された「神仏分離」によってめざされた<国家神道>なるものが、本来の神道でないことは自明のとおりである。いわば天皇教化とでもいえる神道の一神教化は邪道中の邪道であり、明治神宮と靖国神社ほど本来の神道とかけ離れたものはない。敗戦までの80年間は日本宗教の歴史上全く異常きわまりない時期であって、その間の<国家神道>はとても神道などといえるものでないことは、一部の狂信右翼以外は誰でも認識していることであろう(いや、あんがい左翼の神道観というのも神道=国家神道であることが多いかもしれないが・・・)。
しかし「古事記」「日本書紀」が成立した8世紀初めころの神道をも、律令体制の成立に伴う歪められた<国家神道>であるという梅原猛の見方は、一般的ではないだろう。
彼は、8世紀頃の神道を次のように解説している。

「『古事記』『日本書紀』では、そのよってたつ宗教思想は<祓い・禊ぎ>の神道である。<祓い・禊ぎ>の神道の思想的エッセンスはいわゆる中臣祓いの祝詞といわれる延喜式の祝詞に示されるが、そのような思想に基づいて『古事記』『日本書紀』という神代の巻が作られているといわねばならない。ところがこの<祓い・禊ぎ>の神道は、『古事記』『日本書紀』が作られる少し前に作られたと思われる律令と深い思想的つながりを持つということが分かった。祓いとは、「お払い箱」という言葉があるように罪を犯した人間の職を解き追放することであり、禊ぎとは、身を削ぐ、つまり罪を犯した人間から罰金を徴収することである。国家に有害な重い罪人を祓い、つまり流罪にして、軽い罪人に禊ぎをする、つまり罰金を科すというのは、まさに律令の精神をそのまま表現したものなのである。このような祓い、禊ぎの習慣は、記紀においては神代を除けば天武天皇の時から現れる。この祓い、禊ぎの神道は、道教の影響を受けて律令の精神をイデオロギー化するために作られたものであり、それ以前にはなかったものと考えねばならない」(宗教の自殺)

梅原猛が戦争体験によって長く持っていた神道アレルギーをまぬがれることができたのはアイヌや沖縄の宗教(そこに本来の神道が残っていた)を知ってからだという。では、そこにはどのような信仰が残っていたのだろうか。

9月12日(日) 倫理観のリニューアル(1)

         梅原猛の倫理学

「花を道徳にたとえるならば、根は宗教に相当する。宗教という根をもつ道徳は枯れることがないが、宗教という根を失ったときには道徳はそれ自身としてもう力のないものになってしまう」(ブルトマン)
梅原猛が大学院の学生の頃聞いた、危機神学ブルトマンの講演の一節だという。彼が西洋哲学から仏教思想、日本の神道へと思索を深めているのは、おそらくこの発想が基盤になっていたのだろう。最近の彼の、日本人の道徳意識、倫理観に対する宗教思想を背景とした数々の発言は傾聴に値する。

梅原猛は日本の思想家の中で、西田幾多郎と和辻哲郎を高く評価している。西田は仏教、和辻は儒教を背景に「倫理」をいわばリニューアルしようとした人物である。
もっとも西田幾多郎は「倫理」自体を追及する方向には行かなかった。私は彼の「善の研究」をその題名に惹かれて読んだが、内容は純粋経験、場の理論という、禅の思想に影響された形而上学であって倫理学ではなかった。倫理学をはっきりめざしたのは和辻哲郎の方であった。

和辻哲郎の「人間の学としての倫理学」の中に、「存在」という漢語を説明して彼の発想を説明した、次のような箇所がある。
「存」という語は「存じております」などと使うように、そのことを知っている、そのことが私の心の中にある、という意味である。「存」とは単純に何かがあることを示すものではなく<何かがあることを人が自覚する>という意味の文字である。さらに「存命」「生存」などの使い方でわかるように<ずっとあり続ける>という時間の意味も含まれる。
「在」という語は「在宅」などと使うように、どこかの場所にあるという空間の意味が込められている。その場所とは社会のどこかである。つまり「在」とは<人が社会という場所に関係している>という意味の文字である。
従って「存在」とは<自覚的に世の中にあること、自分は社会の一員として生きているという自覚を持ち続ける>という意味なのだという。

みごとな説明で、和辻哲郎の発想がはっきりわかる。しかし周知のように、和辻哲郎の倫理学は<個人を含む空間としての社会>を重視するあまり、それが突き詰められたとき<個人を含む国家>の重視になってゆき、結果的に、天皇制国家崇拝の姿勢を持つことになった。

梅原猛は、そういう西田、和辻の限界をふまえた上で、西洋思想、仏教、儒教を視野に入れ、むしろ日本の原始的な神道の思想を土台に据えることで、新しい倫理学の構築をめざしているように見える。彼のことばに注目しながら、しばらく、日本人の倫理観をリニューアルする方策を模索したいと思う。

9月7日(火)  素晴らしい神仏習合

神仏習合という形態こそがもっとも日本的なものであり、誇るべきものであるということが分かってきた。
司馬遼太郎は「日本人と日本文化」(ドナルド・キーンとの対談、中公新書)の中で、「あの神仏混淆というのは、朝鮮人も中国人も笑いますね。あれだけはわからないという。だけど、ぼくはあれがいちばん自然じゃないかとつい思ってしまうくらい、われわれの生活に入っています。明治のときに神仏分離したやつはだれかとつい思ってしまうくらいです」と語っている。
「日本人のモラル」と題された章の中で、彼は次のように結論している。

「私の結論から言いますと、日本人というのはやっぱり神道ですね。非常に古い形の神道、神道ということばもなかったころの神道というものが、いまだにわれわれの中にあるのじゃないか。神道を思想化したり、いろいろ体系化した人があって、たとえば平田篤胤とか、明治以後の国家神道とかあるけれど、そういうのはむしろ神道の邪道であった。もともと神道というのは、要するにお座敷ならお座敷を清らかにしておくというだけです。べつに教義もなければ何もない。そして神さまなら神さまがそこにいるとしたら、その神さまのいるはずの場所に玉砂利を敷いて清めておく。清めるというのは、衛生的にしておくのかなにかよくわからないのですけれど、神道でいう清めておくということだけであって、その上に仏教や儒教が乗っかっても平気というところがあるのです。前に私がお皿という比喩で言いたかったのもこのことなのですが、一つの神道的な空間というものが日本人にあって、その上に仏教がやってきたり、儒教がやってきたりするけれども、神道的な空間だけは揺るがないという感じじゃないでしょうか・・・死後の世界は汚れている、黄泉の国であるという神道意識というのは、どちらかというと、それさえもつくられた神道であって、原初的神道というのは、それさえも考えてなくて、一言でいうと『痴呆的な空白』とうものが神道であった」

10月26日(日)   1人で過ごす日曜日

今日は1日、1人である。
カミサンは朝、友達と1泊旅行に出かけた。
息子は昨日から彼女のところへ行っている。
私には出かけるあてはない。

今日は何をするか。
キウイの棚を直して、栗の木を剪定し、よしずを仕舞う。図書館へリクエストした本を借りに行く。あとは・・・録画してたまっている映画と演劇を観る。「寒い国から帰ったスパイ」「秋刀魚の味」「夫婦善哉」「死刑台のメロディー」「天井桟敷の人々」・・・何を観ようか。
ただ、仕事に関わることもしなければならない。生徒向けのいい文章を集めておかないと、これから連続する「総合的な学習の時間」の「鑑賞文」が不足するのだ。
しかし、昨日読んでいた本田宗一郎のエッセイ集に一ついいものを見つけた。校長が寄贈してくれた河合隼雄の本の中にも採れそうな個所があったので、すこし安心している。

いい天気だ。
陽射しもおだやか。
読書は庭にでてやろうかな。
少し淋しい感じもするが・・・充実した1日にしよう。

10月25日(土)    「バランス」の重要性

NHK「その時歴史は動いた」の「秦の始皇帝」では、秦の滅亡の要因となったこととして焚書坑儒が重視されていた。
最近の映画「HERO」で描かれていたように、始皇帝には統治者として優れた面が多くある。その中で最も大きなものとして、生まれや身分にとらわれない人材の登用ということがあるようだ。秦が史上初めて中国を統一できたのも、そういう優れた人材の登用が大きな力となっていた。
始皇帝は3つのグループの意見を聞くことで政治を行っていたという。
「法吏」(実務的な政策集団.。官僚)
「方士」(不老不死の思想をもつ集団。薬学、医学を司る)
「儒生」(伝統的な思想を尊ぶ集団)
である。
前213年まで、始皇帝はこれら3つの集団の意見を聴いて政策を決定してきた。しかしその年(始皇帝47歳)、「法吏」が始皇帝の法に基づく中央集権の体制をほめたたえた時、「儒生」の1人が、過去の歴史に学ばない体制は長続きしないという旨の発言をした。
「法吏」は怒って始皇帝に「儒生」の粛清を訴えた。その時、始皇帝は「よし」と言ったという。
不老不死の夢に取り付かれていた始皇帝に、もうまともな判断力はなくなっていたのかもしれない。「儒生」そして不老不死の薬を見つけられない「方士」も、粛清されることになる。460人が穴埋めにされたという。
この時から、政治判断のバランスが崩れだした。
大学教授のコメントによると、それまでは合理的、実務的なことだけで政策立案していた「法吏」のやり方を、伝統的な思考をする「儒生」がブレーキをかけて修正し、バランスを保っていた面があったのだ。
バランスを崩した秦は15年で崩壊した。

このことと関連して・・・
実は昨日、以前朝日新聞に投稿して没になった文章が、毎日新聞では取り上げられていたことを知った。
HPに何度も出したもので、私の考え方の基本となるものだと自信を持っていたのだが、仲間からは何の反応もなく無視されていたので不安になっていたところだった。
読んでみると、毎日新聞は私の主張を、特に「均衡」という面を重視して書き直してくれていた。
以下、毎日が修正して掲載してくれた文章を再録します。

「自由」と「平等」の均衡崩すな

「機会の平等」という言葉には疑問があり、警戒すべきだと思う。
「平等」は「自由」と対になる概念だ。「自由」なだけの自然状態にあっては、弱者は強者と同等に存在することはできない。動物の世界では弱肉強食は自然なのだが、人類だけが、弱者も強者と同等に生きるべきだという「平等」概念を持ち始めた。
その結果、「自由」と「平等」という二つの概念が均衡を保つようになって、人類は繁栄することができた。そういう「平等」という概念を弱めて、「自由」だけを強調したがっている強者たちが「機会の平等」ということを言い出したのだと思う。「機会の平等」な状態とは「自由な状態」を言い換えたに過ぎないのではないか。そんな概念がまかり通れば、本来の「自由」と「平等」の均衡は崩れ、人類は滅亡に向かうだろう。


10月23日(木)   出張で「万葉の旅」をした


今年は愛知県の読書感想文コンクールの審査員の当番が回ってきて、昨日、名鉄「桜」駅からすぐの名古屋市立桜台高校へ出張した。
とても収穫があった。
感想文の審査のことではない。
桜台高校のすぐ近くが万葉集に歌われている「桜田」だったのだ。
何と、高校から歩いて5分ほどのところに、高市黒人の歌った有名な歌、
桜田へ たづ鳴きわたる 年魚市潟 潮干にけらし たづ鳴き渡る
の歌碑があった。
そこは高台。万葉の時代にはすぐ近くまで海だったわけだ。
しかもそこには樹齢千年という天然記念物指定の巨大な楠があったのだ。
根の回りが13メートル、樹自体の回りが10、8メートルもある。
苔むした見事な古木なのだ。
一緒に審査をした先生2人を誘って、2回も見にいった。
2人とも感激し、ひどく感謝された。
全く思わぬ収穫で、一足先に出張で「万葉の旅」をしたようなものだった。

審査は予想通りかなりきつかった。
愛知県の全高校から集められた感想文を約60編読んで、10段階の評定を出さなければならない。
10時開始で第1次審査(1人34編を読む)が終わったのが12時半だった。
私の班2人は共に初めての体験なので少しゆっくり読んでいて、30分ほど昼食時間に食い込んでしまったのだ。
1時から第2次審査。約5分の1にしぼられた30編を再度読んで評定をつける。
結局4時半までしっかりかかった。
私達の班が担当した作品の中には、ほとんど全く同じ文章の漱石の「こころ」を取り上げた感想文が3つもあった。別の学校の最優秀作品のはずなのにこんなこともあるのかと驚いた。おそらく過去の感想文入賞作を書き写したのだろう。
さすがに県コンクール応募作品だけあって、素晴らしい文章もあった。
第1次審査で私がダントツだと判断して唯一9の評定をつけた作品が、第2次審査でも高く評価されて、県知事賞になった。
私が2番目に優れていると判断した作品が、これも第2位の賞をとった。
その他もおおむね自分の評価が反映された結果になったので嬉しかった。
ただ最後の討論の時、県知事賞になった作品があまりに高校生離れした見事な表現が多かったので、ひょっとして盗作の可能性はないか心配だと発言しておいた。
収穫のあった出張だったが、かなり疲れた。


10月19日(日)   画像診断支援システム

今日の朝日新聞トップに出ていた「画像診断支援システム」開発の記事は、私にとってマイナスイメージが強くなりすぎていた文明社会のイメージを久しぶりにプラスにしてくれた明るい記事だった。
文明の力とはこうでなくっちゃと思う。
CT(コンピュータ断層撮影)などで人体を撮影した時、1回で数百から1千枚以上の画像データが集まる。しかし医師の目による読み取り能力には限界があるため、現在はその画像データのごく一部しか活用されていないという。つまり、撮影目的の臓器のデータしか活用されずに、他の臓器の膨大なデータは棄てられるわけだ。
8大学がチームを組んで開発しようとするのは、その棄てられる膨大なデータを活かして、1度の撮影で主要臓器のがんの有無、心臓の血管の詰まり具合、骨や関節の異常をコンピュータで読み取り、医師の診断を助けるデータを提供することだという。
この開発が進み、CTが安価にできるようになれば、がんなどの早期発見に絶大な力を発揮することになるのではないか。
素晴らしい、と思うと同時に、どうしてそんな単純なしかし画期的な診断方法が今まで開発されず、膨大なデータが棄てられていたのか、と疑問に思う。
つまりは金と人材の問題になるのだろう。
文部科学省は7億円余りの研究費を出すというが、イラクに劣化ウラン弾をぶち込んで放射能汚染をばら撒いたアメリカの戦争のために復興支援金として総額50億ドル(約5500億円)規模の拠出(04〜07年)なんかするよりも、政府はこういう分野にもっとお金を回してもらいたいものだ。

10月16日(木)    重要なのは、ナンバー2的な実務家

 現実の人間社会を眺めると、実務家という存在が堅固な秩序を構築するためには絶対に必要だとわかる。しかし、幻想の中で生きざるを得ない人間には、どうしてもカリスマのような象徴的「中心物」が必要になる。そういう求心性のあるトップと、実務的なナンバー2がうまくコンビを組むと物事はうまくいく。
 例えば、私の尊敬する本田宗一郎には、経営の実務を担当する藤沢武夫が絶対に必要だった。いくら宗一郎が天才であっても、藤沢がいなければ大会社「ホンダ」はあり得なかった。営業の実務すべてを彼に任せた宗一郎は、おかげで技術の開発だけに専念できて、生涯社印も実印も見たことがないなんて信じられないようなことが出来たのだ(本田宗一郎著「私の手が語る」で宗一郎が<ほんとうの話だ>と強調していた)。
 毛沢東も、実務家である周恩来がいなければあれだけ権力を維持はできなかった。秀吉には補佐役として(小説で)有名になった秀長がいた。信長にそういう人物がいなかったことは最大の欠陥だったと思う。家康には、関が原の戦いのとき手紙を書きまくったような周旋家の面があったし、システムとして実務関係の仕事を整備する能力に長けていた。どうも彼自身がナンバー2的な体質を持っていたのではなかろうかと思う。彼が天下を取れたのはそのためであると思うが、権力を後世まで維持するためにはカリスマも必要だということで、最後は自分を権現様という神様にして死んでいった。それによって260年間の平和が実現された。みごとな統治者だと思う。
 橋本さんが評価する伊藤博文は、こういう観点でとらえると、まさにナンバー2の実力で天下を取った典型的な人物のように見えてくる。西郷は自分自身がカリスマ性をもっている人物だったので、天皇なんか無視して自分が先頭にたってドンドンやっていく。大久保は地味に厳格に、マシンのように権力を使い、堅実に秩序を構築するため天皇を利用する。伊藤博文はその路線で、天皇を神とする天皇教のもとで憲法を制定する。彼は民主主義に必要な「絶対」として天皇を利用し、カリスマにすることで、ナンバー2としての能力を発揮したわけだ。
 周旋家として評価された伊藤博文の実務能力が、明治維新のほんとうの土台を作ったと言えるかも知れない。


10月11日(土)    石川忠司という文芸評論家、知ってますか?

石川忠司という、実に面白い評論家を見つけた。
彼が「<政事家>大久保利通」という本を紹介する際に語った「権力」に対する概念が、私にとっては驚嘆すべきものだったので、彼の言葉を正確に引用したい。

「大久保はイメージが圧倒的に悪いんですよ。権力への志向が度外れているとか、厳格すぎて人間的な魅力が少ないとか・・・しかし人間的魅力がある政治家とは基本的にダメ人間じゃないですか。(ここで豊臣秀吉を典型的な例としてあげる)大体本来、権力というものは人間の意欲みたいなものとは対極に位置するものだと思うのですよ。一般に権力というと、例えば悪意の方向だと、他人の生殺与奪の権を握るだとか、絶対的な権力を握って世界を自分の思うままにするだとか・・・一方善意の方向だと、世界の万民を救うとか、崇高な理想を持って世界を変えよりよき社会を作るとか、すぐそういった欲望とか意欲にかかわる形でとらえられがちじゃないですか。でも、実は純粋な権力というものは、悪意とか善意とか欲望とか私情とか、そういった人間的次元を超えていて、さまざまな危機だとかトラブルだとかそういったものにみまわれている現実を、とにかく最も現実的な手段でもって確実に現実的に安定させるというそういう地味な任務を黙々と堅実にこなしていく一種のマシンのようなものだと思うんですよ。で、生身の人間なのにもかかわらず、こういったいわば非人称的な純粋権力に取り付かれてしまう奴というのが歴史上たまに出てくるのですよ。近代日本だと、その代表的な人物というのが、大久保ではないかと思うのです。」

この「権力観」に、私は目からうろこが落ちる気がした。
今まで組合的な、「権力」に対する悪意のとらえ方と、その対極として「権力の善用」という形で考えていた王安石とか上杉鷹山とかの善意のとらえ方の両方と違う次元で、「権力」を、「純粋権力」「マシン」という形でとらえるという発想が、私にはなかった。
「権力」には意欲、欲望、私情、というものが必ず結びついているように思っていた。
これは、私にとっては画期的な発見だった。

「<政事家>大久保利通」によると、大久保は絶対笑わなかった人物らしい。
西郷と話すと春風のように気分がさわやかになるが、大久保と話すと気分が落ち込んでくるということが書かれているらしい。
石川忠司氏は、そういう「人間的魅力のない」人間である大久保を、「マシン」のような官僚的な人間であるからこそ、評価しているのである。
王安石のような、虐げられている貧しい民衆に対する想いを詩に残すような人物ではなくて、「現実的な処理」を堅実に遂行した人物だから、注目するのだ。

石川忠司という評論家は、只者ではなさそうだ。
ネットで調べてみると、代表作が「現代思想バンク仕様」という本らしい。「孔子の哲学」という本も出しているようだ。
ネット上に「書評の道場」なんてものがあって、そこの二代目道場主として、投稿された書評の審査員をつとめているようだ。その「道場主挨拶」なるものが、これまた、実に面白い文章だった。
以下、引用させてもらう。


二代目道場主 石川忠司

・・・・例えば初代は、単行本一冊を書き上げる著者の忍耐や労力に素直に敬意を払い、まずは彼(彼女)に対し「お疲れ様です」というねぎらいの気持ちを持ちましょう、みたいなことを書いているのですが、自分に言わせればこれは大間違いで、そうやって現実と地続きのところで著者を思いやる必要なんか一切ありません。そんなマネをしていてはロクな書評を書けません。

もちろん実生活では、もし知り合いか誰かが大変な苦労をしたのなら、彼(彼女)を優しくねぎらってやるのは人間として至極当たり前なわけだけれど、しかし書評において事情はまったく違うのです。ここではあなたは実生活の中でのようなコミュニケーションのあり方、すなわちさまざま利害関係の直中にあって、具体的なリアクションや効果を期待した感情の持ち方(相手から好かれたいから、幸せになってほしいから愛する、相手に不幸になってほしいから憎悪するetc...)からすっかり切り離されていなくてはなりません。ある書物を読んで感動した。そして好きになった。しかしこの場合、その書物への愛はまったく抽象的な「愛」でなくてはならないのです。

抽象的な「愛」は完全に不毛なもの、非人間的なものにほかならず、相手との暖かい「交流」はもちろん、書評によって自らの表現意欲を満たすとか自己実現を果たすとか、その手の色気とも無縁でなくてはなりません。けれども、だからこそ、この「愛」は、著者にも業界にも、そして自分自身にも気がねすることなく、本当に純粋な書評=批評を実現することができるのではないですか。「愛」とは正反対の抽象的な「悪意」や「怒り」についてもまったく同じことが言えるのであって、これらの感情もやはりどんな現実的な「場所」にも通じておらず、ある作品に「怒り」を持ったからといって具体的にはまったく何にもなりません。

抽象的な「愛」は慈愛に溢れていながらベタベタせず、抽象的な「悪意」は辛辣だけれど陰険でなくさわやかである。自分たちは具体的な現実に生きていて、そこでは誰もが良くも悪くも世間的なコミュニケーション、すなわち濃厚なしがらみに巻き込まれてしまっているわけですが、そんな世知辛い場所に抽象的な「風」を吹き込んでやって、風穴をあけてやるのが「書評」の本来的な役割だと考えておいて下さい。

難しい作業なのは承知しています。でも皆で努力して、抽象的な「愛」にみちた、もしくは抽象的「悪意」に「ささくれ立った」素晴らしい世界を創っていこうではありませんか。


10月6日(月)   「サムシング・エルス」のコンサート


昨日は12時過ぎに、家の近くにある花フェスタ公園に行った。
秋のバラとコスモスが満開だった。橋本さんがHPに書いていた彼岸花もあった。
花は美しかったが葉っぱの緑がよくない。春は葉っぱの緑が美しいので花の色も鮮やかに映えるのだということに気づいた。
秋はやっぱり紅葉にかぎるのかもしれない。
2時間ほどブラブラ散歩し、芝生の所で少し眠り、少し読書し、のんびりと過ごした。
3時から、公園中央のホールで、アコースティック・ギターのグループ「サムシング・エルス」という3人組がコンサートをしていた。FM岐阜ラジオで毎日出演しているグループのようだ。ファンらしい若い女性たちが前のほうに陣取って声援を送っていた。
なかなか清潔感のある男たちで、聴きやすい曲だった。ギターの音が綺麗だった。ちょっと聴くつもりが最後まで聴いてしまった。今度アルバム「1メートル」というのを出すということで、その曲を歌っていた。1メートルというのは恋人になる前の男女の間の距離だという。
おだやかで気持ちのいい1日だった。

10月5日(日)  劣化ウラン弾で汚染されているイラク

eichanや橋本さんが批判している田原総一郎を、私はかなり評価している。
彼の番組である日曜日の「サンデー・プロジェクト」と月末金曜日の「朝まで生テレビ」は必ず録画して視聴している。
見逃していた先週のサンプロ特集は、アメリカ軍がイラクで使った劣化ウラン弾についてのすごい内容だった。
核廃棄物を利用して作られる劣化ウラン弾は安上がりだし廃棄物処理にもなるということで軍隊にとってはこれほどいい爆弾はない。汚染された核のゴミを爆弾にしてイラクに棄てているようなものなのだ。しかも戦車を貫通するくらいの威力がある。
しかし、「小さな核兵器」と呼ばれるくらいに放射能汚染物質を周辺にばら撒くものでもあるから被害は甚大なのだ。
特集の映像は、イラクの市街地などに放置されている破損戦車の放射能を測定するところから始まり、街のあちこちに散らばっている劣化ウラン弾を集めて、米軍兵にみせる場面などが映し出された。
汚染されている戦車では子供達が遊んだり、そこを売店にしていたりしている。
劣化ウラン弾を見せられた米兵はびっくりして「ここにあったのか。そんなこと知らなかった」と言う。報告されて出てきた上官も劣化ウラン弾が散らかっていることは初めて知ったらしく「危険だ、触るな」と言うだけ。そこでイラク人の通訳が怒り出し、「どうしてアメリカはこんなものをイラクで使ったのだ。アメリカはイラク人を助けるために来たのではないのか」と叫ぶと、「そんなことには答えられない。問答無用」と言う。
湾岸戦争以来、アメリカはずっと劣化ウラン弾を使いつづけ、それによってアメリカ軍兵士の中にも多くの被爆者が出ている。それにもかかわらず、ウラン弾は無害だと言い続けている。告発した3人の元兵士や学者には軍からの圧力がかかるし、アメリカのマスコミはウラン弾の恐ろしさを報道しようとしない。
アメリカ軍がカメラの前で使用をはっきり認めているのに、川口外務大臣は「はっきり言及していない」と国会で答弁する。それは、日本の自衛隊がこれからイラクへ行って被害が出たときのことを考えているに違いないとコメントされる。
(あれだけ汚染されているところに自衛隊を行かせるのか・・・本当に?)
これだけはっきりと映像で劣化ウラン弾使用の真相を報道したのはサンプロが初めてではないだろうか。
田原総一郎、なかなかやるよ。今日のサン・プロはイラク戦争の真相の第2弾として「アメリカの利権」というのをやるようだ。
サン・プロは見ごたえある。
橋本さん、eichan、ひらさん、田原のコメントは聴かなくてもいいけれど、この特集だけは見るといいと思いますよ。

10月3日(金)    盲導犬クイールの一生

「盲導犬クイールの一生」を少しずつ見ている。
パピー・ウオーカーの沢口靖子が、クイールを手離し訓練所に送る場面で、ポロポロ泣いてしまった。死んだゴローのことを思い出す。パピー・ウオーカーという仕事ほど辛い仕事はないと思う。一番可愛く、情が移ったところで離れなければならない。そして、それ以後は犬と会ってはならない。
訓練士のうじきつよしの笑顔が素晴らしい。魔術師と呼ばれるほど犬の気持ちがわかる訓練のプロ。彼は犬の気持ちだけでなく人間の気持ちも見事に把握している。沢口靖子夫婦や、盲導犬を毛嫌いしている盲人協会会長と接する時の言葉や態度には、見ていて感心することが多い。
訓練の様子がもう少し描かれていたらなあ、と思った。
一番感心のあるのが「不服従」の訓練。
盲導犬はただ命令に従うロボットになるのではない。たとえ飼い主の命令でも危険な場合は動かない。つまり盲導犬は飼い主に命令され、強制されて動くのではなく、人間といることが大好きなので一緒に動くということなのだ。
パピー・ウオーカーによってそういう人間に対する感情を育てられる。
だからパピー・ウオーカーは、本当に犬が好きで、本当に犬を愛する人でなければなれないに違いない。

10月2日(木)    東野圭吾「手紙」

今年の読書感想文の優秀作が決まった。5編選んで、今年は最高得点だった1篇を県のコンクールの応募することにした。
最初は応募できるようなレベルではないと判断していたが、応募すれば参加賞はもらうことができるわけだから、今年は推敲指導をして参加することにした。
該当作品は、東野圭吾「手紙」の感想文である。
手直しさせるために原作を読んでみた。
あの「白夜行」という緻密な構成の傑作と比較すると、あまりにシンプルな作品だなあというのが第一印象。
強盗殺人を犯してしまった兄が服役しているという設定で、直貴という主人公の苦難の日々が描かれている。兄からの手紙によってその存在が知れ、就職も恋愛も破綻していくという単純なストーリー。
犯罪を犯した者の家族の苦しみに視点をおいた作品である。
特別意外な展開があるわけではないが、後半に描かれた就職先の会社社長との会話は絶品といえるようなものだった。
感想文でその部分が引用されていたことが一番評価できるのだ。
社長は、直貴が差別されるのは当然だと語る。
係累に犯罪者がいる人物と関係を持ちたくないと考える一般人の気持ちをシビアーに代弁する。
「人をなぜ殺してはいけないか」という馬鹿げた問いかけが一時はやったが、その答えとして実にシンプルだが正鵠を射ている言葉が次々に語られるのだ。
感想文審査をきっかけに、その会話部分に出会ったのは収穫だった。
次回の「図書館探訪」にその会話を引用することに決めた。

9月30日(火)   「さとうきびの唄」

先日放映された、明石家さんま主演の「さとうきびの唄」は、なかなかどうしてしっかりしたドラマだった。
たいしたことないと思って低レベルの画質で録画したのが惜しいくらいだ。
かけおちして沖縄にやってきた写真屋夫婦の家族愛の物語。
戦前の沖縄の町のセットもいいし、CGを使った群集シーンや、飛来する戦闘機、押し寄せるアメリカ艦隊のシーンなどがなかなかうまく出来ている。
しかし一番感心したのは、さんまの明るい笑いの演技が悲惨な沖縄戦の中で漫画的にならずに描かれている点だ。
さんまの明るさと対照的に描かれる戦闘シーンの迫力はかなりのものなのだ。血みどろの死傷者のリアルさはプライベートライアンを意識したと思われるレベルにもなっている。
その何とも奇妙な感覚。
これはよくできた斬新な感覚の戦争ドラマといえる。

9月29日(月)  暇にあかしてテレビ三昧


昨日はカミサンが家にいないので、1日、過去の録画番組視聴と読書にあけくれた。
映画「クレーグの奥方」「御法度」、教養番組「かぐや姫の謎」「源義経」「サトーハチロー」「星野仙一」、小説「耶律楚材」。
昔の「歴史発見」の中の、竹取物語の作者が紀貫之ではないかとする杉本苑子の説が面白かった。佐藤愛子の「血脈」をドラマで見ていたので、「知ってるつもり」の「サトー・ハチロー」も面白かった。NHKスペシャルの「星野仙一」は、阪神優勝までの星野の行動を密着取材していて興味深い裏話などが聴けた。
「耶律楚材」は、仏法を学んだ楚材がいよいよチンギス・ハンのもとにやって来るところ。チンギス・ハンはとにかく人々を殺しまくっている、何とかしてハンの殺戮をとめなければならないという使命感で、楚材はハンを感化するために活躍するようである。この人物、なかなか面白い。
NHKが7回のドラマ「盲導犬クイールの一生」を2日ですべて再放映していたので、録画した。
選びに選ばれた犬たちのしぐさの可愛らしさといったらない。
ポピー・ワーカーの夫婦を中心に、クイールに関わる様々な人間が、実に健康的に描かれたハートフル・ドラマのようだ(まだ全部見てない)。
不要な画面を消去して何とか1枚のDVDディスクに収められないかと思っている。

9月28日(日)    現代の「間引き


「肉体不平等」という本の中で、日本の先天性奇形児の死亡率が他の先進諸国の3倍であると養老孟司が指摘してしていることが紹介されていた。
彼によると、それは生まれた時に「間引き」されているからだという。
生まれた時点で障害があると、医師が暗黙のうちに子供を死なしてくれるようだ。(もちろん直接手を下すわけではなく、生かそうと処置せずに放置して自然に死ぬようにしてくれるということ)
日本にシャム双生児がまったくいない(報道されたことがない)というのも、考えると不思議なことかもしれない。ベトちゃんドクちゃんや、頭がつながった女性が成人になるまで育てられていることなどを知ると我々は驚くが・・・日本でそういう子供が全然生まれていないはずはないだろう。
肉体の外形異常があると、日本の親は育てることを放棄する傾向が強いようだ。
それは、特に母親などが子供との一体感が強く、子供の将来を悲観してしまうからだろう。

9月26日(金)    「ら抜きの殺意」


テアトル・エコー公演の「ら抜きの殺意」という演劇が、深夜の衛星放送で放映されていたので、録画して観た。
とても面白かった。
若者言葉の乱れをこれほどセリフの中に組み込んで「笑い」として納得するような形に仕上げた脚本に感心した。日本語の特徴がいろいろ指摘されるところもあって勉強になるような部分もある。
これだけのセリフを練習した出演者たちは、とにかくすごい。
ただ、あまりに言葉の速射砲をあびて・・・少々疲れる。
保存に価する作品だったので、DVDに焼き付けるつもりだ。


テアトル・エコー公演『ら抜きの殺意』

〔作・演出〕永井 愛
〔出演〕安原義人、落合弘治、雨蘭咲木子、熊倉一雄 ほか

いつの時代だって、若者の言葉は"乱れて"いた。
いつの時代だって、それを許せないオトナがいた。
新旧世代の葛藤をコミカルに描きながら、現代日本の言語状況に迫る知的コメディ。

「見れる」「来れる」「食べれる」…現代日本語の乱れの象徴としてよく話題になる"ら抜き言葉"。
熟年紳士の海老名氏も、この"ら抜き言葉"には何かと心を痛めていた。だが、とある事情のため、彼は"ら抜き言葉"を連発する若い男の部下として働くことになってしまう。
そこには、敬語の使い方がメチャクチャな若い女の事務員もいた。コギャル語をしゃべる男、男言葉の女、意味不明なカタカナ語…事務所はまさに珍妙な言葉の展示場。いちいち正していたら、とても仕事になりはしない。
しかし、このまま黙認していると日本語が崩れていくようで、とうとう海老名氏は正しい日本語を守るべく立ち上がった。その日から、職場の空気は一変する。
特に"ら抜き言葉"と海老名氏の間には、殺意にも似たものが漂いはじめて…現代の若者の話し言葉の乱れを題材にしながら、言葉と生きる姿勢の深いかかわりに着目した傑作喜劇。

戯曲は「第1回 鶴屋南北戯曲賞」受賞。
永井愛は「平成9年度芸術選奨文部大臣新人賞」受賞。

9月25日(木)    浅田次郎「ラブ・レター」

図書館探訪17号に、浅田次郎の「ラブ・レター」の一節を載せることにした。
この小説は「鉄道員」というタイトルの短編集の中の一編だが、彼の最高傑作ではないかと思っている。とにかく、これほど涙が込み上げてくる小説はなかった。
中国人女性の偽装結婚の相手として戸籍を売った吾郎が、病死したその女性の遺体を引き取りに行く。そこで、名前も初めて知り、全く会ったこともないその女性が、吾郎に手紙を残していることを知る。
読んでみると、それがラブ・レターだった、という設定で、地方の盛り場で売春させられながら、自分と「結婚」してくれた吾郎に対する感謝と恋情を切々と綴った2通の手紙が描かれる。それが泣かせる。
偽装結婚だということを知っていながら事務的に処理をする警察への鋭い批判もこめられたこの短編は、言語による「涙腺刺激」の最も成功した作品として、私は傑作だと思っている。
B5版に、この作品の2つの手紙部分と、警察への批判を込めた部分を収めるのはなかなかたいへんだったが・・・今回のプリントはちょっと生徒も関心を持つだろうと思う。



9月22日(月)  暇にあかして投稿

昨日は1日、HDDに録画した番組を見直したり、HPに文章を書いたりして過ごした。
「その時歴史が動いた」の「日野富子」は、悪女とされる彼女を見直すような視点で構成されていて面白かった。室町時代にも金を高利で貸し付けてもうけていた土倉(どそう)という金融業者がいたらしく、富子は財政逼迫した幕府のため、そこに税金をかけたという。何だか石原慎太郎が銀行に対して行ったようなことをしたのだなあと感心した。応仁の乱で泥沼と化した都を正常化するため、都に居座る敵対勢力にそれぞれ金と名誉を与えることで事態を収拾した点は、勝ち負けをはっきりつけずに戦争を終結させる一つの方法と見ることはできるようだ。

冗長な映画「誰がために鐘はなる」を見直したり、総裁選の報道番組をみたり、小説「耶律楚材」を少し読んだりして過ごしたが、基本的に暇な1日だったので、森田実講演のことを500字でまとめてみた。
あまりいいできではなかったが、採用されれば儲けものというくらいの気持ちで投稿した。

<総裁選の日、森田講演を聴く>

 総裁選の日に、犬山市民総合大学で政治評論家森田実氏の講演を聴いた。
 論語の中庸を批評基準に置く森田氏は、現在の日本の政治を伝統的なものを軽視するアメリカ効率主義に偏りすぎていると批判していた。特に小泉首相の姿勢にはそれが顕著だという。彼を支える局長以上のエリート官僚たちは、ほぼ全員がハーバードなどアメリカの大学に留学していて、上流階級の豊かな生活を見聞し、自然と「弱肉強食」の発想を身に付けてくるらしい。現在そのような政治姿勢の中で発生した最大の問題は、失業者と犯罪の増加だと語った。
 森田氏は格言で社会情勢を批判することを続けている。それは小さい頃繰り返し教えられた格言が、自分の生きる上での指針になっていたからだという。彼が引用した格言の一つは「一隅を照らす」だった。確かにこのような格言を生み出した伝承文化の中で、日本人の高いモラルは保たれてきたのだと思った。
 その日、伝統の価値を軽視するアメリカ偏重の小泉政権が続くことになったが、自分も「一隅を照らす」精神で出来ることを地道にやっていこうという気持ちにさせられた、とても有意義な1日であった。

9月18日(木)   拉致事件が注目されるまで

先日放映された拉致事件の実話ドラマの録画を見たが、とても面白かった。
北朝鮮による日本人拉致事件を最初に記事にしたのはサンケイ新聞の阿部という記者だった。しかし彼のスクープ記事は8年間も無視される。
綿密な裏付け調査をしてサンケイ新聞が蒸発したアベックに北朝鮮が関与していることを記事にしても、他のマスコミは全く注目しなかったが、8年後に大韓航空事件が起こったとき、かつて蒸発した3組のアベック事件のことに注目した男がいた。
それが共産党の国会議員だった。
ドラマでもはっきり言っていたが、体制派のサンケイ新聞と共産党は犬猿の仲。右と左の両極といってもいい。
しかしその国会議員は8年前のサンケイ新聞のスクープに注目し、阿部と組むような形で
取材を続け、拉致事件を国会で問題にしたのだ。
その時、外務省が北朝鮮の関与を認めるような発言をする。
それは画期的だったが、その発言もマスコミはほとんど話題にしなかった。
北朝鮮が関与していることはうすうす分かっていても、それが世間の注目を得るような話題性ある記事にはならないと判断していたようだ。
共産党議員は行動に疑惑を持たれ共産党から追い出されるが、その後も拉致事件を世間に訴えることになった。
決定的に流れを変えたのは、13歳の少女が拉致されたらしいということが分かった時。
横田めぐみちゃんである。
今までは大人のアベックだったので世間の関心は少なかったが、13歳の中学生が拉致されていたということは話題性があった。
すべてのマスコミが飛びついた。
そして国も本格的に動き出す。
拉致事件が大きく世間の話題になるまでにこれだけ長い期間の地道な努力があったのだ。
ドラマでは、横田めぐみちゃんのことが出てこなかったら、これだけの動きは起こらなかっただろうとコメントする。

サンケイ新聞と共産党議員が協力したことがあったなんて。
どんなに大きな事件でも、世間が注目するためにはインパクトのある要素が必要で、拉致事件の場合は横田めぐみちゃんがそれだったなんて。
実に面白かった。

9月17日(水)  伝説が現実を動かした歴史事例

私は岸田秀の信奉者で、唯幻論を信じている。
幻想から解放されて生きていた奇跡的人物として深沢七郎を敬愛している。
先日、NHKの「その時歴史は動いた」の「ジャンヌ・ダルク」を見て、唯幻論は間違っていないという自信を深めた。

ジャンヌ・ダルクの奇跡は、伝説が現実を動かしたといえる最も極端な事例だと思う。
17歳の文盲の少女が突然現れていきなり軍の司令官に任命されるなんてことが普通はあるはずがない。
100年戦争で疲れきっていたフランス人の中に「少女が国を救う」という伝説があったから、皆がジャンヌを信じたのだ。
神がかった(私は一種の狂人だったと思う)ジャンヌは、そういう伝説に乗っかって、自分もそうだと信じ込み、火事場のバカ力を出した(火事場のバカ力は男よりも女の方が出るらしい)。たぶん偶然も作用して、奇跡的な力が発揮されたのであろう。
宗教裁判でジャンヌは突然自分の過ちをみとめてしまう。
ところが発見された資料によると、ジャンヌは、巧みにすりかえられた告白書にサインしてしまったらしい。
ジャンヌは文字が読めなかったから、中身を確認できなかった。
かわいそうなジャンヌ・・・なんて所に、私はあまり興味がなかった。
私の興味は、このジャンヌ・ダルクという歴史上に実在した少女が、フランス人の伝説による集団催眠のバカ力を掘り起こし、実際に戦闘という最も現実的な事象までも動かしてしまったという所にあるのだ。


9月12日(金)   タリバンのイメージが修正される(2)

私のタリバンのイメージは、どうもオマルが強大な権限をもたせた「勧善懲悪省」がビンラディンと結びつき、タリバンを実質支配し始めた後のものだったようだ。
内戦の泥沼状態を治めたタリバンは、当初は「民衆のため」を第一に掲げた清潔なイスラム教徒集団だった。タリバンがアフガンを支配できたのも、ひどい目に遭わされていた民衆の大多数が支持したからである。
ところが「勧善懲悪省」というナチスの親衛隊みたい連中が、宗教パトロールとかいって民衆を縛り付ける行動を始め、その中にビンラディンが作ったアルカイダのメンバーが加わり始めて、どんどん女性などへの締め付けが激しくなったようである。
タリバントップのオマルという男が頼りないやつで、ビンラディンに丸め込まれてどんどん変質していったらしい。
良識派の側近は外務大臣のムタワキル。
国際派の情報文化次官のホタキは、アメリカを視察し、視野を広げてカブール博物館で仏教美術展を開催する。
女性のアメリカ人文化人類学者ナンシー・デュプレを呼んで20分も講演させたのも彼だ。
ホタキとムタワキルが、必死に石仏の破壊をやめさせようと動くが、やがてホタキは解任されてしまう。
ムタワキルの言葉にもオマルが動かなくなる。
そして、アルカイダのメンバーも加わった石仏爆破作業が始まったのである。
恐るべし、ビンラディン。
しかし、彼を作ったのはアメリカなのだ。

9月11日(木)   タリバンのイメージが修正される

今日は時間がないので詳しく書けないが、先日のNHKスペシャルで、タリバンが石仏を爆破した背景を解明していて、非常に面白かった。
タリバンの頭であるオマルも、初めは石仏を破壊するつもりなどなく、むしろ保護するよう命令していたという。
タリバンの中にいた2人の「国際派」人物が紹介されていたが、その人物の行動を見る限り、タリバンが決して狂信的な暴力集団ではないことを感じさせられた。
2人は仏教芸術に対しても理解があり、何と、白人女性の学者を呼んで、仏像に関しての話を聴いたりしているのだ。
あのタリバンが、先進国の女性の学者の話を聴くなんて!
女性に対する虐待としか言いようのない差別扱いは、組織内の「勧善懲悪省」というところがどんどん力を持って行っていたようだ。
「勧善懲悪省」を作ったオマルに影響を与えたのが、オサマ・ビン・ラディン。
彼がやってきて、オマルがどんどん贅沢になったという。
そして、彼の作ったアルカイダが、タリバンの中で勝手に動き始め、どんどん組織をゆがめていったようだ。
国際派の2人の権限がなくなる・・・・

時間がないのでここまで。
とにかく、タリバンのイメージが修正されるこの番組は驚きだった。
もう一度しっかり録画を見直したい。



9月7日(日)   格安ツアー体験

初めて、ツアーなるもので旅行した。
長野の友達夫婦と4人で、南紀勝浦の「ホテル〇〇」温泉めぐりというツアーである。
金曜の朝8時に名古屋のバスターミナルから近畿ツーリストのバスで出発。
41号線から42号線に入って、海岸線を走り、何回か休憩をとって、3時ごろに「ホテル〇〇」に到着。
そのホテルというのは、島一つなのである。
船で玄関に行く。驚くべき広さで、そこに大小6つの温泉があるのだ。
特に、島の巨大な洞窟を利用した温泉と、合計150メートルもの長さの3つのエスカレーターに乗って行く島の頂上の露天風呂が素晴らしかった。
6つの温泉は島のあちこちにあるので、それを一つ一つ探しながら歩き回り、スタンプを押す。
全部のスタンプがそろうと景品がもらえるのだ。
2時間かけて、まず3つの温泉を廻った。
そこで夕食。
素晴らしいバイキング形式の料理だった。本場らしくマグロの美味しいこと。イカやハマチが新鮮で、テンプラは目の前で揚げてくれる。メロンが甘くて、何度も取りに行った。どの料理も味がよかった。
全品はとても食べきれないほどの夕食の後、また一つ温泉に入り、その後、オカマさんのショーを見て、多いに笑った。
ショーのあと、頂上の露天風呂で、裸で夜景を眺めた。
2日目は、朝風呂で2つ回り、これで6箇所のスタンプが完了。
朝食がまたバイキングで、これも種類が豊富。
船に乗ってバスの集合場所へ行き、そこから、那智の滝を見学。見事な滝であった。
すこし離れた山の階段を登って、青岸渡寺という西国第一札所の寺に参拝。
はるかに見える那智の滝の高さと同じ高さのところに建てられた寺だという。見晴らしが素晴らしかった。
午後、5時間ほどかけて名古屋に帰着。
このツアーは、実はカミサンが友達のカミサンと二人で、以前に参加したものなのだ。
あまりに格安で内容がよかったので、今度は4人で行こうということで、1ヶ月前から予約してあったのである。
シーズン・オフの平日で、4人一部屋だと、何と、1人1万円の値段なのだ。
これは期間限定の特別な商品で、すごい数の希望者。バス4台になっていた。
ちょっと信じられないような安い旅行だった。

9月4日(木)   桂離宮

明日からちょっと計画していることがあるので、昨日は必死になって採点をした。
録画してあった「プロジェクトX」の「桂離宮の修復」を見ながらやっていたのだが、それが面白くて、つい採点の手が止まったりした。
ブルーノ・タウトが「泣きたいほど美しい」と評した、日本の美の最高峰。
画面で見るだけでも、惚れ惚れするほど美しい建物だ。
それが、シロアリにやられ、柱はぼろぼろになり、床はきしみ、壁に亀裂が入った。
日本の最高の職人が集められ、史上空前の解体修復作業が始まった。
いやあ、プロたちの技の競演といった感じの、面白いエピソードの連続だった。
中心になる柱が使い物にならないほど腐っていた。
そこでまったく節目などが同じ木を1万本の材木から探し出してくる。
それを400年前の古い木のように加工しなければならない。その時、使ったのが、ちゃんと取ってあった解体時に出た「ほこり」。
1人のプロが、その「ほこり」を柱に刷り込むのだ。指紋が消えてしまったほど、手で刷り込む。
みごとにそっくりの柱が再製された。
壁塗りの左官は、桶に張った水の表面をコテでなでて波が立たないほどの技を習得している日本一の男。1日100本のタバコを50年吸っていたが、呼吸を整えて離宮の壁を塗るために、タバコを止める・・・
いやあ、素直に感動した。
桂離宮を見学するには、事前に申請しなくてはならない。
何とか、見学したいなあ・・・


9月1日(月)  充足感あった夏季休暇

今年の夏休みは充実していた。
予定していたことがほとんどすべてできた。
9回の補習が楽しかった。真面目な生徒と現代文の入試問題を解くのは本当に楽しい。
読書は「ガリア戦記」「もてない男」「王妃の離婚」「魂の錬金術」「一外交官の見た明治維新(途中)」「ハリガネムシ」
母と長野へ旅行。大阪へ帰省。昭和村探訪。南木曽の温泉探索。ホテル竹島での研修。
映画は「ヒーロー」「戦場のピアニスト」「ターミネータ3」「クロムエル」「第2章」
谷川俊太郎と浜畑賢吉の講演を聴けた・・・など。

しかし、一番の<充足感>は、いくつかの文章を書き上げたことだった。
まず、助成金目当ての研究論文をまとめ、それを「研修日」の研修内容として報告したこと。
これも賞金目当ての読書指導体験記を書き上げたこと。
どうも没らしいけれど、朝日新聞の「視点」に投稿したこと。
「声」にも2回投稿した。これも没の可能性が高いけれど・・・
いい文章が書けたとき、一番充足感がある。


8月31日(日)  「クロムエル」と「ハリガネムシ」

イギリス映画「クロムエル」を見て、ピューリタン革命のことを少し勉強した。
議会がチャールズ1世というイングランド国王を処刑にする。
ネーズビーの決戦でクロムエル率いる議会側の軍隊が3倍近い国王軍に勝ったからできたことだろうが、裁判の被告として国王が引き出されて、国王が反逆罪で処刑されるというのが1649年の話。日本の江戸時代の初めに、もう議会制民主主義が始まりかけていたということになるか・・・。
しかし、クロムエルが腐敗した議会を解散して護国卿なんていう独裁者になる。その後、チャールズ2世の王政復古となるが、映画ではラストに「・・・やがて王政が復活したが、それはもはや以前のような王政ではなかった」というナレーションで終わる。
クロムエルは祖国愛によって絶対王政を倒し、共和制を樹立した愛国者、という形で描かれていた。
クロムエルのリチャード・ハリス。チャールズ1世のアレック・ギネスが、共に肖像画で見る本人像によく似ているのに感心した。

9月号の文芸春秋で、芥川賞の「ハリガネムシ」を読んだ。
高校教師が書いた、何とも凄まじい背徳小説だった。
主人公の倫理の教師が、ソープランドで知り合った女サチコによって、凄まじい暴力とセックスの衝動を呼び覚まされていく。
とんでもない教師と、信じられないような白痴的な女が出会って、想像を絶する肉欲と獣性の世界が展開される。その衝動が、カマキリの内部に入り込むハリガネムシによって象徴されていた。
高樹のぶ子、石原慎太郎、河野多恵子、村上龍は積極的な評価をしていた。宮本輝は、はっきり反対票を入れたようだ。「・・・読んでいて汚らしく、不快感に包まれた。文学のテーマとしての暴力性とかそれに付随するセックスや獣性などといったものに、私はもう飽き飽きしている」と真っ向から批判していた。
黒井千次は「手放しでこの作品を推す気持ちにはなれなかった」として、次のような評言を書いていた。私はとても共感した。
「ただこの教師がいささか無抵抗に暴力にのめり込んでいく経過に疑問が残る。高校教師である以上、彼を取り巻く社会的環境や職場生活それ自体のうちに、主人公を外側から締め付ける枠があるはずだ。それを突き破って暴力に走る時に、ハリガネムシの本性が露出するのだと思われる。彼を縛る壁があまり薄手であるために、主人公の行動が恣意的なものに止まってはいないか・・・これは、小説の力学上の問題である」
とにかく、目を覆いたくなるような壮絶な描写が連続する。
あまりにドギツイので辟易するが・・・でも先が読みたくなってしまう。
人物がよく描けているのだ。サチコという女は、顔がよくイメージできないが、会話やエゲツナイ姿態の描写から、とんでもない生き方をしている白痴的娼婦の雰囲気が実によく伝わってくるのだ。
刺激的な、面白い小説である。
でも、これは絶対に学校の図書館には置けない本だ。


夜は、N高の社会科の先生と食事して談論風発。
と言っても、一方的に彼が世界史の講義をしてくれたようなものだったが・・・
彼は、歴史上の巨大な帝国の支配者を何人か取り上げて、その評価について語った。
彼の評価基準はちょっと面白かった。
他に選択肢がなかった場合、統合の過程でどれだけ殺戮したとしてもそれを評価のマイナス要素としない、というような基準だった。
その観点で、ジンギスカンの評価が高かった。
秦の始皇帝の評価は相対的に低かった。
ナポレオンは、ロベスピエールの理想をあくまでも実践し広めようとしたという。
武力を使って理念を押し付けた侵略者という私の言葉を否定しなかった。
なお、ジンギスカンの所で、彼に殺戮を諌めた耶律楚材を高く評価していたので、・・・今度、宮城谷昌光の小説を読んでみようとおもった。

8月28日(木)   今日、宅間に判決


昨日の「クローズアップ・現代」を、なんともやり切れない悲痛な思いで見た。
池田小学校事件当時教室にいた教員たちがインタビューに答えて、無差別殺人をした宅間の行為を防止できなかったことに対する悔恨の情を吐露していたのだ。
宅間の校内の動きが逐一紹介され、その時の教員の動きもはっきり示された。
それだけ見れば、もっと子供たちを守れたかもしれない、という場面はいくつもあった。
しかし・・・一体誰が、こんな前代未聞の殺人鬼の侵入を想像できただろうか。
教員たちは、あのときこうしていたら、あの子を救えたのではないか・・・と悔やみつづける。遺族たちは、あのときあの先生がこうしてくれたら自分の子は死なずにすんだかもしれないのに・・・と思いつづける。
その様子を見て、これはまさに小説「模倣犯」で宮部みゆきが描こうとしていたテーマの一つでもあると思った。
「模倣犯」では、殺された子や孫に対して、自分があの時ああしなかったらあの子は被害に遭わずに済んだのに・・・と悔やむ心理が描かれていた。
あの時、あの子を1人にしなかったなら・・・あの時、あの子をあそこに行かせなかったなら・・・
池田小事件で宅間に子供を殺された親の心理としては、自分の行為には悔恨の情が向けられない分、現場にいた教師に対して(あの時、ああしてくれたら・・・)という悔やみの気持ちが深くなる。
しかし、悪いのは宅間なのである。
最後まで謝罪の気持ちを持たず、弁護士をして「人間嫌いになり弁護士を辞めたい」という気持ちにさせるほどの非人間的な犯人が、100%原因なのだ。
学校側の教師たちの様子は、あまりにも悲惨で、残酷で、見ていられなかった。
殺したり傷つけたりした子供たちと同時に、関係する教師たちに対して「悔恨という心の傷」を深く負わせた「悪魔」には、極刑を与えたい。

8月27日(水)   「相続税100%」案、賛成!


文芸春秋で、精神科医の和田秀樹が実に面白い提案をしていた。
いくつかの例外を認めた上で、相続税を100%にすれば、日本が再生できるというのである。

「・・・親が長生きするようになった。両親とも死なないと相続が完成しないことを考えると子供が親の財産を得るのは、今や60歳前後となってしまった。・・・政府税調は最低10%、日本経団連は18%の消費税を主張している。これはどういうことかというと、子育てや住宅ローンなどで、いちばん金のかかる30代、40代は18%もの消費税をとられ、60歳くらいに親の財産が転がり込んでリッチになるというライフサイクルを意味する。しかも現役世代が払う高い消費税も、年金や保険料も、高齢者が使うのである。
 現代日本の個人金融資産は1400兆円を超える。それ以外の資産を合わせると個人資産は3000兆円にはなるだろう。その8割が50代以上のものとされるので、今後30年間で2400兆円の財産が相続されることになる。親を介護した子供や事業継承減免をしても、年に60兆円ほどの相続税をとれるはずだ。
 これによって、60歳になったときに親から入ってくる財産はあてにできないが、消費税はむしろ今より安くできるし、年金や医療にも税金をつぎ込むことができるので、これもバカ高くならなくて済む。
 若い頃の負担が高ければ、ますます少子化が進むし、子供の教育費もかけられない。高齢になってから財産をあてにするより、若い頃にしっかり金を使えるほうがまともなライフサイクルだろう。
 さらに高齢社会において相続税100%が都合がいいのは、年をとって財産が残せないのなら、高齢者が金を使ってくれる可能性が増すことだ。・・・それ以上に期待したいのは、それによってさまざまな高齢者向けの産業が生まれることだ。これは高齢者の幸せに直結するほか、いくつも副次的なメリットが生じる・・・」

 この後、和田氏は、伝統産業や農業の事業継承者には、特例で相続税を一生猶予してもいい、という考えを述べ、さらに想定される反論に対してはかなり細かく説明がされていた。それらは、おおむね納得できるものであったが・・・まあ、そもそも、親の財産を目当てに生きようとする金持ちの息子連中が大反対する案だから実現の可能性はまずないと思うので、真剣に検討する気にはまだなっていない。
しかし、基本的な発想としては、大賛成だ。
「児孫のために美田を買わず」という言葉があるではないか。
人間の生き方としては、成人するまで養育してもらったら、後は自分の力で金を稼いで、子供を成人させて、その後は稼いで貯めた金を全部使い果たして死んで行けばいいのではないだろうか。
死ぬときは財産を全額、お国に納めよう。
それが嫌なら、全額寄付しよう。
子供のためにも、それは絶対いいことだ。
「相続税100%」案には賛成したい。



8月26日(火)   保守主義の大娯楽活劇 「HIRO」

「HIRO」は、劇画そのものの大活劇だった。
ワイヤー・アクションといわれる、ビュンビュン空を飛ぶ決闘シーンが楽しい。
マンガみたいな画面作りは徹底されていて、殺す場面で血しぶきが全くないのだ!
これは見事なものだった。1箇所血が流れるところがあるが、それ以外は剣が胴体に突き刺さっていても、わざと血を出さない。
全くの非現実的な世界の中で、しばし、心地よく遊べるわけだ。
それでも迫力があるのだから感心する。
そして、特筆すべきは、画面のきれいなこと、きれいなこと!
それは、黒澤明の晩年期の映画にはっきり影響されていると分かる。
例えば、「乱」、「影武者」、「夢」。
それから、「蜘蛛の巣城」の弓矢が乱れ飛ぶシーン。
中国の風景の美しさには見とれてしまった。
お話は、かなり複雑に展開する。
しかし、後に始皇帝となる秦王が、実に洞察力のある立派な人物に描かれていたのにはびっくりした。
4人の趙の刺客が、ある計略のもとに秦王を殺そうとするのだが、最後、殺すことが出来たのに、主人公は殺すことをやめる。
その理由が、秦王を殺せば、まだまだ戦争が続き、たくさんの人が死ぬからだという。
つまり、たとえ暴君であろうと強大な力を持った支配者によって統一されるほうが、常に小国同士が戦いを続けているよりいい、ということである。
これは、保守主義である。
「長い者には巻かれ」て、しかし「長い者に意識改革を求める」という考え方だ。
この映画は、秦の始皇帝による中国統一を肯定する視点で描かれた、大娯楽活劇映画であった。


8月24日(日)    「引きこもり」は日本だけの現象!


「引きこもり」が日本全国で120万人以上いるという。
私がもっとも注目するのは、「引きこもり」が日本だけの特異な現象であるということ。
外国には、この現象がないというのだ!
これは、日本人を考える上で非常に重要な材料ではないだろうか。
まあ、すぐ思いつく要因の一つは、日本が濃密な「母性」社会であるということ。
橋本さんは岸田秀を少し馬鹿にしていたけれども、彼のマザー・コンプレックスからの脱出体験に基づく「唯幻論」は、同じような体験を持っている私には共感できるものなのである。
日本人は、幼少時に母親によって構築される<幻想の膜>が厚すぎる。
しかも、母親が子供をペットのように扱って、自立させようとしない。
徐々に<膜>を破らせようとしないのだ。
だから、大人になっても<膜>の中に閉じこもっていたい人間が多数出てきた。
まあ、それが要因の一つ。
「引きこもり」は日本だけの現象、ということは注目に値する。




8月22日(金)  ロボット美女たち

韓国には北朝鮮からユニバー・シアードの応援団として美女軍団なるものが来ている。
人間の<容貌>の、もっとも露骨な政治的利用と言えるもので、不愉快きわまる。
あのロボットのような整然とした動き、機械的な手の振り方、同じような笑顔・・・そこには人間的な<感情>というものが全く感じられない。
気持ち悪いほどの人工的な美。
その美女たちに熱狂する韓国の男たちの哀れな姿。
男というもののどうしようもない情けなさを感じる光景である。

夜、カミサンと散歩した。
火星が気持ち悪いほど大きく見える。
体調はあまりよくないが、気持ちだけは落ち込まないようにしたい。


8月21日(木)   ひょっとしたら・・・

ひょっとしたら、ひょっとするかもしれない・・・
日曜日の「サンデー・プロジェクト」は、そんなことを感じさせられた番組だった。
田中康夫が、あんなにも新民主党を支援しているなんて、知らなかった。
田中は小沢一郎を絶賛していた。
彼の政治理念に、ほぼ全面的に賛同しているのだ。
そして管直人についても、官僚体制と闘える唯一の人物のように評価していた。
その2人が合体した新民主党を、熱烈に応援していたのだ。

私は一応、小泉純一郎が総裁選にも勝ち、総選挙でも自民党がそのまま政権をとるだろうと思っている。党内の勢力関係だけでみれば、小泉はあぶないのだが、後に控えている総選挙のためには小泉しかない、という政治力学で動くのではないかと思っているからだ。
しかし自民党の権力争いは、ひょっとするともっと低次元で行われるのかもしれない・・・という気もしてきた。
本当に小泉を下ろしてしまうかも知れない。
もしそうなると、ひょっとしたら、管直人の民主党の方に国民の意識は向かうかもしれない。
一貫して自民党に投票し、徹底した現政府支持者である私の義父が、先日ポツリと「今度だけはもう自民党には入れん・・・」とつぶやいた。
年金生活者たちが自民党を見放しかけている・・・そんな感触があった。

小泉が継続して首相であれば、民主党の勝ち目はないと思う。
しかし、自民党のバカな連中がもし小泉を下ろしたりしたら・・・
田中康夫のあれだけの応援が報道されたことは、大きい。
ひょっとしたら・・・面白くなってきた。

8月17日(日)    「王妃の離婚」 (2)


「王妃の離婚」の主人公は、フランソワ・ベトーラス。
パリ大学神学部で普通は6年かかる教養部をわずか3年で終了し、18歳の若さでマギステル(教員免許)を取得、5年間カノン法を専攻し23歳で学士になったという英才である。「インテリは権威と闘う」という精神を持ち、数々の武勇伝をもつ伝説の男ということになっている。今は47歳で、カノン法の弁護士をしている。

彼は当初、暴君ルイ11世の娘であり、その醜い顔に父親の面影も残す王妃ジャンヌ・ド・フランスを嫌っていた。暴君の身代わりとなって苦しめられた民衆の恨みを受ければいいと思っていたのである。そのため、王妃からじきじきに弁護を求められても冷たく断わる。
しかし裁判を傍聴し、王妃の味方とは思えないような3人の弁護士や証人たちのあまりにひどい態度を知り、その権勢を恐れてほぼ全員がルイ12世側と言っていい状況の中たった一人で闘っている王妃の姿を見て、彼の内部に火が灯ってしまう。
「インテリは権力と闘う」という火。
もちろん、彼の変心にはその他にもいくつかの原因があるのだが、詳細は省略。

いよいよ伝説の男、フランソワが法廷に登場する。
争点は「結婚の事実」(セックス)があったのかどうか、ということ。
離婚を禁じているカトリック教会での裁判では、セックスがなかったことを証明すれば(結婚を解消するのではなく)結婚の事実がなかったということで、離婚は認められるのである。
王は、王妃の醜さゆえに抱けなかったという。
王妃は、もちろん何度かベッドを共にしたという。
バカバカしい話だが、王側は22年間1度も王妃を抱かなかったことを証明するという口実で、(離婚を受け入れないならば)王妃が処女かどうかを検査すると言い出す。
従来のやり方では検査員はすべて王側の医者なのだから、たとえ王妃が処女でなかったとしても結果はどうにでもできるのである。
明らかに王妃に裁判を断念させるためのイヤガラセであった。
それに対して、フランソワ弁護士は、公開でなら検査を受け入れましょうと言い出す。
民衆の前に王妃の股間をさらすというのだ。
ただし、ルイ12世の男根の公開検査をすることを前提にと付け加える。
まず国王のチンポコを国民の前にさらせ、というのである。
(・・・この小説はこういったちょっと下品な表現もウリの一つになっているものだから、本当は上品な私も、ついつられて下品な表現をしてしまった・・・)
とんでもない要求に、王側は検査を断念する。

公正な裁判ではないのだ。
国王の権威と権力というものが背後にある相手なのである。
しかし、中世ヨーロッパには、もう一つローマ教会という権威がある。
カノン法というのは、ローマ教会の権威を背景に、たとえ国王であっても平等に扱うことができるようになっていたのだ。
フランソワと彼を尊敬する学友、後輩たちは、公然と国王の権力に対抗し始める。
中世の権力、権威の構造は、そういうところがあるので面白い。  (続く)
                                        

8月15日(金)  「王妃の離婚」 (1)

佐藤賢一「王妃の離婚」は、意外にも私が関心を持っている<容貌>というテーマにも関連する内容の小説だった。
中世ヨーロッパにおいて教会は家庭裁判所であった。その教会で行われた空前絶後の裁判劇の物語なのだ。
フランス王ルイ12世の王妃であるジャンヌ・ド・フランスが、夫であるルイ12世から離婚させられようとしているのだが、何と、その理由としてあげられているのが、王妃ジャンヌが<醜女>だからだというのだ。
ルイ12世は、なぜ<醜女>を王妃にしたのか。
彼は、ジャンヌの父親であるルイ11世がフランス王だった時代には、フランスの一地方であるオルレアンの主であった。オルレアン地方の支配を固めるため、暴君だったルイ11世が、政略結婚として自分の娘をあてがったのだ。
だから、オルレアン公(後のルイ12世)は、どんな<醜女>であっても拒絶できなかった。
ところが、ルイ11世が死に、その息子であるシャルル8世(ジャンヌの弟)が男子を残さずに没したので、分家の当主だったオルレアン公が格上げになってフランスの王位を継ぐことになったのだ。
フランス王、ルイ12世が誕生した。
即位するやいなや、ルイは、オルレアン公時代に暴君12世から押し付けられた娘である王妃を離婚しようとしたのである。
裁判の中で、ルイ12世の気持ちを証言する証人が、次のように明白に王妃が<醜女>であることを表明する。
「・・・被告ジャンヌの異形に覚える嫌悪感は、いくら努力しても克服することができない。その敬虔な信仰や心優しき内面の美徳を認めることができても、生理的な拒否感だけは抗いがたい。それを、至らないが故の弱さなのだと仰り、ルイ12世陛下はご自分を責め、いつも悩んでおられました」
(まだ読了していないので、読了後、続きを書きます)

今私が思いつく<容貌>に関連する作品。

「シラノ・ド・ベルジュラック」(ロスタンの戯曲)
「鼻」(芥川竜之介の小説)
「マーティー」(アカデミー作品賞を取った映画)
「マスク」(マスクのような顔の青年が主人公の映画。同名のコメディーとは違う)
「エレファントマン」(ものすごく醜い男が主人公の映画)
「オペラ座の怪人」(ミュージカル)

先日書いた「ヘルタースケルター」(岡崎京子のまんが)、「グロテスク」(桐野夏生の小説)、「肉体不平等」(評論)などは、まだ読んでいません。

このHPをごらんの皆さんで、<容貌>というテーマに関連する作品を知っている方、教えていただけませんか。


8月13日(水)   「一外交官の見た明治維新」


今日、お盆の帰省をする。
朝、8時25分の近鉄に乗る。
車内で読む本は、佐藤賢一の「王妃の離婚」と、アーネスト・サトウの「一外交官の見た明治維新」(上)。
サトウの本は、上巻を半分ほど読んだ。
戦闘状態になる長州とイギリス艦との間にたって、欧州から帰国した伊藤俊輔が懸命に動く姿が印象に残った。教科書で習った様々な事件の現場の様子が生々しく描かれている。これから歴史上の有名な人物たちが登場してくるだろうと思うと、読むのが楽しみである。

8月12日(火)   「ガリア戦記」


カエサルの「ガリア戦記」を読んだ。
(ガリア地方の様々な部族との戦いの記録なので、飛ばし読みだが)
これを読むと、ガリアの部族はゲルマン人からの脅威を避けローマに守ってもらうために、進んでカエサルの支配下に入った様子がはっきりわかる。
もっとも、元老院に報告するためにカエサルが書いた文章だから、カエサルに都合のいいように書かれていると見たほうが自然だろう。それでも、カエサルは、単純にガリアの富を求めて侵略したわけではなく、ローマの安全保障のために、ローマを宗主国とした広大な諸国連合体みたいなものを構築したかったらしいことはうかがえる。

塩野七生は「ローマ人の物語」で、カエサルを単なる侵略者でないと評する根拠の一つとして、敵対した民族であるガリア、ゲルマン、ブリタニア人の性向や宗教、風俗習慣まで丁寧に記述されているといういうことをあげている。
彼女はそこにカエサルの「統治のセンス」を見、「進攻しても、殺し、奪い、風のごとく去るだけであったら、相手の生活習慣などは無関係である」として、同盟国としての統治を考えていたとする。
実は、その描写が実際どのようなものかが、私には一番興味があったのだが、それは確かに、第6巻のところに詳しく書かれていた。
塩野がが、「それはまるで戦記なのか旅行記なのかわからないくらいだ」と記しているように、確かにそれは民俗学的な見聞記のような記述だった。

8月11日(月)   火星大接近

火星が6万年に一度の大接近ということで、ものすごい大きさで見えるらしい。
そのために天体望遠鏡が飛ぶように売れている。
火星の地図とか、火星の土地の権利書なんかも売られて、買われている、なんて冗談みたいな報道もあった。
2050年ごろには、火星への移住もできるとコメントしていた人もいる。

昨日、午後10時ごろに南東の空を見上げてみたが、雲が多くてダメだった。
アメリカで昔「火星人来襲」というラジオドラマを本当だと信じ込んでパニックになったなんて話があったなあ・・・あの当時に今回の大接近があったら、どうなっていたかなあ・・・なんてことを思いながら、今日も夜空を見上げよう。(今夜もダメそうだけれど)


8月10日(日)   「輝く日の宮」の一つの読み方


鼻につく!ディレッタント(好事家)という言葉がこれほどあてはまる人物はいない。しかし・・・面白い!鼻につくけれど、読んでしまう。
丸谷才一の文章は、私にとって麻薬のような魅力がある。
彼の新作「輝く日の宮」も、やっぱりそういう魅力にあふれた本だった。

いやあ、書き出しから「趣向」の連続。女主人公の書いた短編小説が冒頭で、それは泉鏡花ばりの文体のミステリーみたいな内容。なんだこの文体は!と思いながらも読まされてしまうと・・・女子大の日本文学科の講師である主人公、杉安佐子が登場する。主人公の生きている時代の世相と家族模様、それと並行するようにして展開される細かな文学的専門知識の解説・・・「とんでも本」ぎりぎりの所みたいな珍説とも見えるが、そこは博覧強記の作者ならではの考証力で、ぐいぐい説得していく・・・

「奥の細道」と「源氏物語」に関する2つの説を披露するような小説である。
前半は、芭蕉が源義経を敬愛していてその500年忌を祀るために「奥の細道」の旅をしたという説の開陳だが、メインはもちろん「源氏物語」。
光源氏が父親である帝の妃、藤壺と関係する最初の場面がなくて2回目の関係から書かれている(2回目の逢瀬の時の会話から前にいっぺんあったことがわかる)のはどうも変だ、ということで、藤原定家の注釈書に書かれている「輝く日の宮」という巻が実在していたとする学説があるらしい。杉安佐子はその説に着目して、大胆な推理で、紫式部と道長との関係を<物語>化していく・・・まあ、そんな内容である。

この小説は、「奥の細道」や「源氏物語」に興味のない人には無縁のものだろう。
それでも、その大きな2つの話題の間にはさまれている様々な<雑知識>ともいえる小話題の中には、面白い(鼻につくが!)ものがあるのではなかろうか。
例えば、映画が大好きな私にとって大きな発見だったのが、アメリカ人との会話の中に出てくる映画「真剣勝負」についての話であった。
アメリカ人が、「あの卑怯なムサシ。すばらしい。あれは偽善的なハリウッド映画には決して出てこないヒーローですよ」なんて絶賛して、ビデオでわざわざその映画を見せる場面があるのだが、その内容が確かに(私は全く知らなかったので)無類に面白かったのだ。

それは、武蔵が鎖鎌の宍戸梅軒夫婦と決闘する映画らしい。
梅軒の女房は乳飲み子をおぶって、夫に加勢して鎖鎌で向かってくる。追い詰められた武蔵は、何と女房の方へ駆け寄って、おぶっている乳飲み子を奪い取り、霧の中に逃げるというのだ。
ここから本文を引用しよう。
「霧が晴れると赤子を抱いた武蔵が上機嫌で立っている。赤ん坊が泣く。女房が叫ぶ。乳が張って苦しく、頭がおかしくなりそうだと言って乳房を出し、乳をしぼる。地面に細くしたたる白い液・・・武蔵が腰の竹筒を投げる.。『これに乳を入れて投げ返せ。おれが飲ませる』赤ん坊が乳を飲み、泣きやむ。子供を取られた女房は戦意が萎える・・・」
闘うことを女房に止められた梅軒は、鎖鎌で女房を木に縛り付けて、刀で立ち向かい、腕を斬られてしまう。乳飲み子は女房に返す・・・という内容らしい。
この映画には驚嘆した。こんなすごい宮本武蔵の映画があったなんて!
調べてみると、内田吐夢監督の最後の映画だった。武蔵5部作はすべて見ている私なのに、この映画はその存在すら知らなかった。
乳飲み子を奪って勝とうとするなんて、確かに、なんという卑怯な武蔵だろう。

「輝く日の宮」の本筋とは関係のないこんな所に感動しているなんて、あまりいい読者ではないかもしれないが・・・しかし、稀代のディレッタント丸谷才一の本を楽しむ読み方としては、これがあんがい正しいのかも知れない。


8月9日(土)   「無法松の一生」


8月8日(金)   投稿が変な文章で掲載された!

橋本さんから教えてもらった「民主主義の前提は言語の論理性」という言葉を借用して(橋本さんありがとう。これ剽窃?一杯おごるから許して)朝日新聞に投稿したら、今日採用されていた。ところが大幅に書き換えられていて、しかも書き換えたために変な文になっているところがあった。不愉快だった。朝日新聞、しっかりしてくれ!
掲載された文章と、投稿原稿を見比べて下さい。

<投稿した文章>「映画に学ぶ民主主義の前提」
 裁判員制度という市民参加の司法制度が法制化されるという。日本人の民主主義意識向上のためにも望ましいことだと思う。それに関し、私が20年来、授業として生徒に見せ続けているアメリカ映画「12人の怒れる男」を紹介したい。
 スラム街で育った少年の殺人容疑に判決を下すため、12人の陪審員が白熱の討論をする映画である。圧倒的に不利な状況証拠によって、最初11名が有罪の挙手をするが、1人だけ「話し合いもせず決めるのはいけない」という動機で無罪の挙手をする。判決は全員一致というルール。討論が開始され、主人公の提出する疑問によって1つ1つ証言の信憑性がゆらぎ、次々とと陪審員の判断は無罪に変わっていく。
 有罪の根拠とされていた証言に対し、論理的に疑問が述べられていく過程の面白さは比類ない。そこに描かれているのは、民主主義というものが<言語の論理性>によって実現されるものであるということである。
 私は、民主主義の前提となる<言語の論理性>を、これほど見事に描いた映画を他に知らない。この映画は、これからも生徒に見せ続けていこうと思っている。

<新聞に掲載された文章>「映画から学ぶ民主主義の理」
 裁判員制度という市民参加の司法制度が検討されている。日本人の民主主義意識向上のためにも望ましいことだと思う。
 私は20年来、民主主義を考える上でいい教材だと思い生徒たちに授業で見せ続けている映画がある。それは米国映画の「12人の怒れる男」である。
 殺人容疑の少年に判決を下すため12人の陪審員が白熱の討論をする内容で、1人の陪審員が提出する疑問によって、1つ1つ証言の信憑性がゆらぎ、次々とと陪審員の判断が無罪に変わっていく。
 有罪の根拠とされていた証言に対し、論理的に疑問が述べられていく過程の面白さは比類がない。そこに描かれているのは、民主主義というものが「言語の論理性」によって実現されるものであるということだ。
 民主主義の前提となる「言語の論理性」をこれほど見事に描いた映画を他に知らない。これからもこの映画を生徒に見せ続けていこうと思っている。





8月6日(水)  「機会の平等」とは何だ!

平等に2種類あるという。
「結果の平等」と「機会の平等」。
私は、前からこの概念規定に疑問を持っている。

「結果の平等」というのは社会主義国の平等観らしい。どんな人でも富の平等な分配を受けられる、という状態。
「機会の平等」というのは、スタートラインが同じで後は能力によって富の獲得に差が出るのはしかたがないということで、どうもアメリカ式の自由社会でもてはやされる平等観のようだ。

しかし、「機会の平等」という概念はどうも変だ。
スタートラインにおいて差別をつけないというのは、つまりは<自由な状態である>ということではないのか。<自由な状態>で出発し、その後は競争によって差が出てもいいというのは、結局、自由競争ということを言い換えただけなのではないのか。
「機会の平等」というのは言葉のレトリックで、つまりは「自由」ということに過ぎないと思う。

平等というのは、どう考えても<自然な>状態ではない。
自然な状態というのは、自由に食ったり食われたりする状態。
平等というのは、人間の創造した<理想の>状態であって、強者と弱者が平等に扱われるという状態である。
だからこの言葉は本来、たとえ能力に差があったとしても富の同等な配分がされるという状態をさす言葉であるべきなのだ。

自由と平等とは両立し得ない概念である。
それを、自由主義の側が都合よく両立させ、社会主義的な平等の概念を抹殺しようとして作られたのが「機会の平等」という概念ではないのだろうか。


8月4日(月)  「容貌」が本気で考察され始めている

読みたい本が急激に増えた。
以前から自分のテーマとしてきた、人間の容貌というものの社会におけるウエイト、ということに関連する書物がいろいろ出版され出したからだ。
まず「肉体不平等」。これはまさに容貌の不平等について、正面から論じた本らしい。
次に「もてない男」男性の意識論らしい。
それから、昨日の朝日新聞で見つけた「ヘルタースケルター」。岡崎京子という人が8年も前に連載したマンガらしい。ヤミ美容整形外科医のもとで完璧な全身改造を行った美女の主人公の物語。「都市、快楽、欲望、寂しさ、不安、絶望・・・これが<今>なのだという強烈な実感に圧倒されそうになる。300ページ余りの作品の中にこれほどの要素を一見無理なく収めることが出来た作者は、やはり天才としか言いようがない」と、精神科医の香山リカが絶賛していた。
同じ新聞の書評で、これも「本年度屈指の傑作」と最大限の賛辞が与えられていたのが、桐野夏生の「グロテスク」。
ミステリーだが、ほぼ前半をしめる3人の女性の女子高校生時代の話が重いテーマの核をなしているようだ。「グロテスクはタブーに触れているのだ。平等というこの社会の基礎観念をゆるがす容貌の問題に踏み込むことによって。・・・容貌は、この社会で無いことにされた不平等が露呈する禍禍しい突出点なのだ。そこに触れたヒロインたちはしだいに狂ってゆく。そのプロセスを異常な緻密さで描き出す説得力に興奮させられる」と、中条省平という評者は書いている。

これまで、容貌のよしあしは、男性においては女性ほど深刻な面がなかった。
しかし私は、現在<女性がとらえる男性の価値に容貌がしめる割合>が、そうとう大きくなっているのではないか、と思っている。
誰もまともに取り上げないが、小泉人気の要因の一つが彼の容貌だと私は思っている。
今度の総裁選には小泉純一郎が当選するだろう。
自民党員の勢力関係では小泉派は少数だが、後にひかえる総選挙で自民党が勝つためには小泉人気を無視するわけにいかない。そこで、小泉を派閥の数だけでおろすわけには行かない状況があるのだが、そんな小泉人気の大きな要因の一つとして、彼の容貌が現代的でカッコいいことがあるのではないか。
それは、例えば森嘉郎、亀井静香などと比較すれば歴然としているだろう。
小泉は顔がいいのだ。特に女性の中には、ただカッコいいから小泉を支持しているという面も多いのではないか。
同様に、石原慎太郎もカッコいい。ベッカムはもちろんカッコいい。ブレアも、ブッシュもやはりカッコいいのだ。
彼らは、女性の支持が多いに違いないのである。

女性の意識の中に、男性の価値として「容貌」の比重が大きくなってきている。
昔の、女性の社会的地位が低かった時代であれば、男は地位が高く、金を持っていれば、モテた。
それは、女性には対等な社会的地位がなく、男性に依存していきなければならないような面が多かったからだ。そんな女性には、男性の容貌などは二の次、三の次だった。
しかし、女性も男性と同等の社会的地位が与えられてくると、特に経済的に自立し、意識面で社会的通念を脱しはじめた女性にとって、男性の肩書きや金の価値は相対的に低くなった。社会的地位に結びつく学歴も、そんなに求められなくなっているかもしれない。
そんな女性たちにとって、男性の最大の価値が<男>としての生物的な魅力、つまり「容貌」となるのは必然ではなかろうか。

豊かな社会になるということは、人為的に作り上げた価値というものをみんなが共有するということだ。衣食住についてほぼ満たされて、他者にそれを依存する必要がなくなった時、人間も<動物>の次元での価値を重視するようになる。
現代の若い女性たちが男性に求める最大の要素は、「容貌」である。
男性が女性に求めるものが「容貌」であったことは、昔からだ。
現代は、女性の意識が急激に変わり、男性の外見の美が異常にもてはやされる時代になった。もちろんそれが、女性側にも外見の美を過大に要求する状況を生んでいることは確かだが、日本女性のあのベッカム人気の異常さを見るとき、私は「容貌の社会におけるウエイト」というテーマは、<女性の男性への意識>という観点から考えるべきだと思っている。



7月31日(木)  「陶酔」「情熱」を求める体質

このところ、バートランド・ラッセルとエリック・ホッファーの著書を読み続けている。
いずれも橋本さんに推薦された本で、「法華経の新しい解釈」(庭野日敬)以来、最も<対話>できる言葉が詰まっている書物である。

私がラッセルとホッファーから学んだ最大のものは、人間の陥りやすい「情熱」「陶酔」の危険さということ、「退屈」「単調」「暇」の価値ということであった。

「どんな種類であれ、陶酔を必要とするような幸福は、いんちきで不満足なものだ」(ラッセル『幸福論』)
「偉大な本は、おしなべて退屈な部分を含んでいるし、古来、偉大な生涯は、おしなべて退屈な期間を含んでいた」(同上)
「子供が最もよく育つのは、若木の場合と同様に、いじりまわされないで同じ土壌の中に置かれているときである。多すぎる旅行やあまりにも多彩な印象は、幼い者たちにとってよくないし、大きくなるにつれて、実りある単調さに耐えることができなくしてしまう。」
(同上)
「アメリカ人の浅薄さは、彼らがすぐハッスルする結果である。ものごとを考え抜くには暇がいる。成熟するには暇が必要だ。急いでいる者は考えることも、成長することも、堕落することもできない。彼らは永久に幼稚な状態にとどまる。」(ホッファー『魂の錬金術』)

昨日、歴史について書き込みをして、最後に
「歴史は<物語>ですよ。人類にとって明るい、美しい、建設的な、新しい<物語>を作るべきです」と書いたら、橋本さんから、
「これにはがっかり。なんでこんな結論になるの?」という批判をもらった。
私がラッセルやホッファーに心酔するのも(だいたい心酔すること自体そうなんだろうけれど)、私自身が人一倍「陶酔」「情熱」を求める体質の人間だからなのだ。
そのために、歴史についても情熱的になってしまう。
橋本さんの批判はそのあたりを突いているのだ。
自戒の念をこめて、ホッファーの言葉を引用しておこう。

「実りある成果をあげたければ、熱情を薬味として限定的に使うことだ。自分の母国や人種に対するプライド、正義や自由、そして人類などへの献身を、人生の主要成分にしてはならない。せいぜい伴奏か、付属品にとどめるべきである」(ホッファー『魂の錬金術』)

過去を生かす
5月24日(土)パート2


「神はお忙しい。個人のことにかかわっている暇はない。
我々は、過去を未来に生かすように、現在を生きることだ。
勇気をもって、強くなること。
強く生きる者を、神は応援してくれる」
    (映画「ポセイドン・アドベンチャー」の異端神父の言葉・・・やや脚色)

過去の体験を生かして、生きよう。
あらゆる体験は、どんなに惨めな失敗体験であっても、必ず生かせる。
生かす努力をしない者は怠け者だ。

山菜採りに行くので、27日(火)までお休み。

「生理的嫌悪」雑感。
5月23日(金)


基本的には、生理的な感情が優先される人間は知性的ではない、と思う。
レベルの低い人間集団では、感情的な好悪でコミュニケーションが行われるので、ささいなことで対立が起こる。
レベルの低い生徒は、生理的な好悪で教員を評価する。
非常に知性的な人は、感情に左右されずに常に対象と距離をおいて接する。
しかし、そういう人は「人間的でない」とされて好感はもたれない。

恋愛は特に、生理的感情<まず好きか嫌いか>が決定的な要素となる。
相手をどんなに尊敬しても、異性として好きになれないことがある。
相手がどんなに卑劣な悪人であると分かっていても、異性として好きになってしまうこともある。
男女間の好悪は理性を超えた面がある。
しかし(恋愛関係でない)同性間では、相手を尊敬できるかどうかで、友情が維持できるかどうかが決まる。

「生理的」な「好悪」はどうしようもない・・・それでは、もうすべて終わりのような気がする。「生理的嫌悪」は、いわば、犬養毅を殺した右翼の「問答無用」と同じ。
何とか乗り越える方法はないのだろうか・・・

そんなことを考えていて、ふと、思索の面で志賀直哉の言葉が浮かんだ。
「思想はそれが感情にまで行かなければ,真の思想ではない」
確かそんな意味の言葉があった。
知性と感情の関係は、私の考えている以上に密接なのかもしれない・・・
自分の心で、もっと深く探索してみたいと思う。





「オケピ!」の笑い
5月19日(月)

大好評で上演中の三谷幸喜のミュージカル「オケピ!」のビデオをやっと観た。
3時間半、すごい迫力だった。
布施明の歌唱力が抜群。
舞台で観たらさぞかし圧倒されただろう。

しかし・・・話の内容には不満だった。
笑いの質という面で、私の好きなものではなかったからだ。
この作品では、ハープを演奏している美女に振り回されるメンバーたちの惨めな笑いが主になっている。
ウエイトがそこに置かれている。自虐的な笑いのウエイトが大きすぎる。
私の嫌いな吉本新喜劇的な、弱いもの、ドジなもの、鈍いものを笑うという要素が大きすぎたように思う。
それは、三谷のコメディーにはつきものではあるが、この作品には 特に濃厚だった。
そういう質の笑いではなくて、もっと知的な、強いものに対抗するような笑いで描いてほしかった。
ラストで、自分勝手な舞台監督からの要求をみんなで拒否して、わざとテンポの速い曲を演奏するところがある。
ああいう展開を話の中心に据えて、それに向かって弱い個性が結束していく、という風には書けなかったのだろうか。
それだったら、途中でやや自虐的なものが混じっていてもいいのだけれど。
あまり好きな作品ではなかった。

三谷の作品の中では、「笑いの大学」における笑いが権力に対抗する弱いものの、見事な笑いだった。
「12人の優しい日本人」も、口下手な、弱いおじさん、おばさんが、笑われながら、しかし、正しいと思うことを貫き通す。
三谷の作品では、この2つが最高だと信じている。




「臓器移植」の反対意見
4月30日(水)


昨日「志談塾」があった。
私が「文明、文化、伝統、因習」という用語の概念規定をし、それをつかって日本の状態について考えていることを発表した。
かなり興味を持ってもらえ、好評だった。

発表の中で脳死を認め臓器移植に賛成すると話した。
すると、女性二人から反対意見を言われた。
その意見が、私のこれまで何度も聞かされたようなものではなかったので、印象的だった。
彼女たちはそろって「他者の臓器を移植して人間を生かすこと自体に反対。臓器が治療できない人は死ぬべき運命にあるのであって、しかたがないのだ。輸血までは許せるが、臓器の移植はしてはならない。永六輔さんのいうように人工臓器ならいい」というのだ。
自分の子供でも、臓器移植してまで生かそうと思わない、というのである。





「たそがれ清兵衛」
4月25日(金)

念願の「たそがれ清兵衛」を家族で観た。
息子も呼んで、テレビの前で食事をしながら見始めた。
最初から画面の素晴らしさに惹きつけられた。
しっとりとした色調と細部にこだわった構図の美しさに、食事を忘れて見入ってしまった。
江戸末期の下級武士の貧しい日常生活が淡々と描かれる。
妻と死に別れ、2人の娘を養うために、同僚からの酒の誘いを一切ことわって「たそがれ」時には必ず家にかえる清兵衛。
真田宏之の醸しだす雰囲気が素晴らしい。
外からは惨めなひどいと見える生活を、しかし、清兵衛は「私はそんなにみじめだとは思っておりませぬ」と言う。
子供たちが成長するのを見るのが楽しいと語る。
娘に針仕事を習わせるかたわら論語の素読をさせる清兵衛に、娘は「学問をすると何になるのですか」と問う。
清兵衛は「学問は・・・針仕事のようには役に立たないかもしれないが、考える力を身に付けることができる。考える力さえあれば世の中を生きていくことができる」と答える。
何と当たり前な・・・何とまともな答えであるか!
淡々と語る清兵衛の姿に胸が熱くなった。
ぼろを着て、変なニオイを発散させて周囲の顰蹙をかっている清兵衛は、しかし、そうとうの剣の達人。
1回目の立ち回りはとてもカッコイイ。
真剣の相手に棒きれでうち勝つ。
しかし2回目の立ち回りは、今までの時代劇のカッコイイ斬り合いとはかなり違う。
狭い室内で逃げ回るようにして斬り合い、自分も相手も少しずつ斬られて血まみれになって、何とか勝つ。
本当の斬り合いだったら確かにこんなふうかもしれないと思わせられるような立ち回りだった。
幼なじみの女性(宮沢りえ)との交流もしっとりしていい。
一番効果的だったのは「・・・でがんす」という出演者たちの方言だ。
あの言葉遣いで、質朴、誠実、純粋な人柄がにじみ出ていた。
地味で、ゆっくりとした、会話の多い、大人向きの映画だ。
若者には物足らないかもしれない。
明治になった後の様子を語るラストは・・・ない方がいいのじゃないか、とカミサンが言った。どちらかというと、私もそう思った。

「真昼の決闘」
4月24日(木)

「真昼の決闘」が放映された。
この映画、何度観たかわからないほどだ。
たった1人で4人の悪漢と闘わなければならなくなった孤独な保安官を、ゲーリー・クーパーが演じていた。
民衆というものの身勝手さ、エゴイズムをこれほど見事に描いた映画はない。
安全で平和な町にした功労者を、民衆は見捨てる。
民衆は、釈放された凶悪犯が戻ってくるのを怖れるが、しかし、闘うよりはそれを受け入れようとする。
結局、保安官を助ける者はいない。
いよいよ決闘となる直前、遺書を書き、表に出ると町には誰もいない。
みんな家の中に隠れている。
カメラはたった一人の保安官を上から移し、ズームアウトして町全体を映しだす。
何という素晴らしいシーンだろう。
このシーンが、クーパーの孤独で悲しい表情と共に若い頃から私の脳裏にやきついているのだ。

「英語なんて話せなくていい」(4)
4月22日(火)

文明化というのは、民族レベルでのまとまりを超えて、人類のレベルでのまとまりを目指した<知恵>である。

まず4大文明というものが世界に生まれた。
それらは大河のもとで発生した「都市化」という、部族、民族の集落を超えた共同体の最初の形だった。
都市は文明である。
さらに、都市を統合し、部族、民族を統合した「国家」が生まれる。
国家は文明である。
部族、民族の慣習としての「掟」に代わって「法」という合理的なキマリが成立する。
法は文明である。
原始的な物々交換から、やがて「貨幣」がうまれる。
通貨は文明である。

人類史は、そのように民族の生活形態であるそれぞれの「文化」が抽象された形で「文明化」が起こった。
アレキサンダー大王やローマ人などによる武力を背景にした「文明化」もあったが、それぞれの民族文化から生み出された「文明」も多かった。科学的な思考の芽生えは、すべて文明化であった。

文化の最大の要素は「言語」であるが、今やその言語にも「文明」として民族、国家を統合するものが生まれてきた。エスペラントの試みが進展しない現在、インターネットの整備により政策的に勝ち残った英語が、いまや文明としての「世界共通語」の性格を持ち始めたのである。
世界は避けようもなく「統合化」の様相を見せている。
その中で日本はどうあるべきだろうか。

「ナショナリズム」と「パトリオティズム」という言葉がある。
前者は、自国の優位性を強く意識する愛国心。
後者は、素朴に自分の国を愛する心。優位性を特に持たない。
文明化という世界の統合化の中で、どうしても持ってしまうのが「ナショナリズム」なのである。
しかし、本当に大切なのは「パトリオティズム」ではないだろうか。

英語を世界共通語として位置づけて、あくまで「伝達」の道具として「文明の利器」と考えることは、決して日本語の価値を低めることにはならない。
日本語は「表現」を担う日本人の「文化」であり、文明としての英語と全く別次元のものととらえるべきだろう。
鈴木氏はこの区別があいまいで、そのためやや日本文化優位論的な論調になっていた。
パトリオティズムではなく、ややナショナリズムに近いような書き方であった。
文化としてのパトリオティズムをしっかり自覚することを通して、我々は世界の統合化、アメリカ主導の文明化に対峙していかなくてはならないと思うのである。(了)


「英語なんて話せなくていい」(3)
4月21日(月)

鈴木氏は「今のアメリカは非常に多くの点で、もはや日本がモデルとみなしてはいけない国になっている」と言う。
そして、ハンチントンの「文明の衝突」並みに、
「日本は・・・典型的な周辺国でした。初めは中華文明、次は西洋文明、そして最後がアメリカ文明と三つの文明を次々と学習したのです。ところがこの長年の学習のおかげで、今や日本は今度は自分が他者から学ばれ、他者から追われる立場に立つ、小さいながらも一つの中心文明となったことを、日本人が自覚する必要のある段階にきているのです」
と書き、
「日本にはアメリカとは違う地政学的な条件にもとづく固有な立場、全く異なる歴史と文化的背景に由来する独自の考え方があることを、日本人自身が自覚するためにも、英語という言語手段を通して、アメリカ以外の広い世界、多種多様な文化文明に目を向けなければならないのです」
「とかく盲目的なアメリカ礼賛につながりやすい、従来通りの姿勢での英語修得は改めるべきときが来ている」
「日本人はアメリカと直結した英語ではなく、世界に開かれた言語手段としての英語を学ぶ必要がある」
というように主張を展開するのである。

鈴木孝夫氏のこの論は、結局、「区別しよう」ということに尽きる。
英語を必要とする人と、必要としない人を区別して教育しよう。
英語を必要とする人は、英語を「民族英語」と「国際英語」に区別して、アメリカ文化としての言語ではなく全世界の共用語となりつつある「国際英語」を学習しよう。
そして、日本の固有な文化を見直し「小さいながらも一つの中心文明となったことを、日本人が自覚」し、「自虐的な自己卑下、自己否定の不毛な精神状態から一刻も早く抜け出」そう。
そういう内容なのである。

これは、よくある「日本文化見直し」論にすぎないかもしれない。
しかし鈴木孝夫氏のこの論は、実は、私が今考えている「文明、文化」論に大きなヒントを与えてくれる内容だった。
彼が「民族英語」と「国際英語」をはっきり区別しなければならない時代になった、というのは、まさに「英語」というものがイギリス、アメリカ人の「文化」ではなくなって(文化としては民族英語という別物が残って)、すべての民族が共用する便利な「文明」になったということなのである。
ただ、鈴木氏はハンチントンと同じように「文明」の概念をとらえているので、私の目指す方向と少しずれるところがあった。
私は文明を明確に「機能概念」としてとらえ直したい。
そして、氏の文明概念によってやや陥りかけていると思われる「日本文化礼賛」傾向の危険性を修正しながら、次にまとめ直してみたいと思う。


「英語なんて話せなくていい」(2)
4月16日(水)

鈴木孝夫氏の指摘で私にとって最も有益だったことは、現在世界的に広く通用している<国際英語>というものと、英米人の民族語としての<英語>とをはっきり区別して、英語教育を見直すという点であった。

「英語は世界に広く拡散することによって、英米人に固有な文化や歴史と固く結びついた民族語から、背後に英米とは異なる異質の文化や社会事情をもつ、数多くの人々の使う言語交流の手段としての性格を強めています。しかもこのような目的で英語の変種を用いる人の数の方が、本来の英語話者の数よりはるかに多くなっているのです。つまり英語は国際語へと成長する過程で、いろいろな点で脱英米化してしまったのです」

「ですから今日本で英語を修得しようとする人々にとって大事な点は、英語が国際語になったということを、民族語としての本来の英語が、そっくりそのまま世界に広まって国際語になったと単純に考えてはならないということです。それはどちらの英語を学ぶのかによって、先生はどこの国の人がよいのか、教科書の内容をどのように選ぶか、英米の事情や情報を取り入れることが主か、それとも日本からの情報発信に重点をおくのかといったこれまでには考えられなかった問題がうまれてくるからです」

「ところが現実には今日本人が英語を問題にするとき、ほとんどの人がこの重要な区別をいまだに意識せず、依然として英語は英米人(特にアメリカ人)の言語だから、先生はこれらの国の人を採用すべきで、語学研修も英米に行くのが当たり前と思っているのです。その結果として学習内容も英米に事情や英米人の一方的な物の見方を知ることに集中してしまうのです」

そして鈴木氏は、そういう「日本と全世界を結ぶ掛け橋として」の英語を本当に身につけた人材を生み出すためにも、英語教育の改革が必要と提言する。

1、英語の学習は、教育のすべての段階で、必修ではなく完全な選択制にする。そして自らの意志で履修することを選んだ者には、高い目標に向かって厳しい訓練をほどこし、本人には大変な努力を求める。
2、一般の日本人は、個人的な理由のある人は別として、英語、特に英会話などできなくても一向に問題のないことを、いろいろな手段を用いて宣伝啓蒙する。たとえ外国語の習得を志すことになっても、すべての基礎となる日本語の言語能力が充分でなければ、外国語も物にならないことを強調する。
3、英語修得を希望した者には、英語即ちアメリカ文化文明という、これまで圧倒的に強かった思考回路に陥ることがいかによくないことかを具体的に分からせる。

この英語観、英語教育の改革提言を通して、最終的に鈴木氏の言おうとしていることは何か。
次回にまとめたい。


「英語なんて話せなくていい」
4月15日(火)

義父が読み終わった「文芸春秋」を回してくれるので、私もこの雑誌をよく読むようになっている。
特集で面白いものが多い。最近は国語教師としては賛同したくなる国語教育重視の論調が目立つ。
「アメリカ不信」と銘打った最近の特集でも、慶応大学の鈴木孝夫氏が「英語なんて話せなくていい」と題した文章を書いていた。
私が常々感じていたことを実に明確に書いてくれた文章だった。
彼は、日本の英会話信仰はたちの悪い新興宗教のようだ、と言う。
「これからの日本人すべてが英語を使えるようになるかどうかが、日本という国の浮沈に関わる重大な問題だという一部識者の主張ほど馬鹿げた話はない」と言う。
彼はまず、なぜ日本人の多くが英会話を修得できないかというと、日常の場で必要になる機会がほとんどないからだ、と書く。
「フィリピンやシンガポールのように、日常の社会生活でも英語を使うことを求められることのない日本人が、多少でも実際に役立つ英語力、ことに会話力を、ただ漠然とした願望だけで身につけておこうとすることは、差し迫った必要の全くない普通の人にとっては、不可能に近いとても無理なことなのです。大体ピアノや舞踊、そして野球のことなどを考えても、ある技術を一定のレベルで常に維持しておくためには、それこそ毎日長時間の練習や研究が欠かせないのと同じで、英語の要らない日本で暮らしながら、いざというときある程度役に立つ会話力を常に保持しておくためには、日々大変な努力を続けなければなりません」
これは考えてみれば当たり前のことなのだ。
日本人は大学までものすごい時間英語を学んでいてほとんどしゃべれない、というのがバカの一つ覚えのような英語教育への批判になっているが、実はこんなことは当たり前の現象なのだ。
なぜなら、ほとんどの人には日常的に英会話が必要ないから、ということだ。
日常的に必要ないものを毎日修練して、その技術のレベルを維持していくということほど過酷で困難なことはない。
そして、無駄なことはない。
日本という国はどうも、そういう過酷で困難で無駄なことを「勉強」と称して全国民に押しつけようとしている国なのだ。
彼はこう書いている。
「英語が絶対に必要なのは日本国民全部ではないという重大な認識が欠けているために、現在のように英語が全くいらない人にまで学習を強制し、その反面本当にできる必要な人材がいつまでも育たないというとても困った状況を生んでいるのです。この無意味なバラ撒き型英語教育の制度を改めることこそ、英語のよくできる人を生み出す改革の第一歩なのです」
日本という国では日常的に英語力が全くいらない人はほとんどであるが、日常的に日本語力がいらない人は1人もいない。
その日本語の力を身につけさせるための時間をどんどん削っているのが、現在の日本の教育体制なのである。
(つづく)


「風と共に去りぬ」で美女を使うな
4月14日(月)


知人から演劇の「風と共に去りぬ」を見て来たというメールがあった。
「スカーレット・オハラ」が綺麗だった、という感想だった。
それを聞いて、人間と容貌との関係について考え続けている私は、次のようなメールを送った。

「風と共に去りぬ」は映画でも演劇でも、スカーレットが美女になっていますね。
映画なんかビビアン・リーというとんでもない美女を見つけだして主役にした。
でも、これは有名な話だけれど、原作では書き出しで、スカーレット・オハラは美人ではなかった、と書いてあるんだ
よね。
映画とか芝居では、原作のイメージを無視して主人公をすぐ美男、美女にしてしまうことが多い。
そもそも世の中、容貌によって人間が価値づけられる度合いが大きすぎると私は常々思っております。
まあ、映画や芝居では「夢」を見たいから美男、美女が出てくるのも最もだけれど・・・
ちなみに、私はスカーレットみたいな女は好きじゃない。
メラニーがいいなあ。
ちょっと弱々しい感じの女性が魅力的かな・・・なんて。
 



「スミス都へ行く」録画成功!
とても綺麗な画面での放映だった。
4月12日(土)


キャプラの映画の中で一番好きな「スミス都へ行く」が録画できた。
しかも、観てみると画面がとても綺麗なのだ。
以前放映されてビデオに録画してあるものと比べて格段に違う。
ひょっとして最近発売されだしたデジタル・リマスター版ではないかと思うほど。
とにかく、こんな綺麗な画面で観たことはない。

後半だけ、また観てしまった。
政界の巨大黒幕に刃向かったために、徹底的に叩きつぶされそうになる新米議員スミス。
議員資格を剥奪され、汚名を着せられて、泣きながら故郷へ帰ろうとする時、恋人が最後の一発勝負を持ちかける。
それは、議員資格剥奪寸前の議会に出席し、発言権をとること。
議長が最後のチャンスとしてスミスに発言権を与えるかどうか・・・それが最大の難関なのだが、それに賭けてみたのだ。
傍聴席の恋人の合図で、スミスは発言を求める。
議長がよかった。中立公平な議事運営で、スミスに最後の発言権を与えたのだ。
アメリカでは当時、発言権をとれば、権利を譲らない限り永久に発言し続けられる。
ただし、座ることも発言を中断することもできない。しゃべり続けなければならない。
スミスは「発言権は絶対に譲りません」と言って、食料を机に並べ、体力の続く限りの発言を始めるのだ。

ひねり潰されそうになっている1人の人間が闘えるたった一つの道は、発言を続けることしかない。
しかし、巨大な組織を持つ黒幕は、新聞を抑え、民衆を扇動し、スミス非難の世論を作り出す・・・
そして、理想を謳歌するキャプラならではのラスト。

どんなに年をとっても、このラストに素直に感動できる感性だけは失いたくないと思っている。


「我が家の楽園」録画成功!
4月11日(金)

昨日、衛星放送でフランク・キャプラ監督の名画「我が家の楽園」を録画できた。
早速3枚DVDに焼き付けた。
キャプラの映画はほとんど観ているがこの映画は好きな上位3本のうちの一本。
金など見向きもせず、自分の趣味の世界を楽しむ変人一家の<楽園>生活を描いて、アメリカの拝金主義を見事に批判した名作だ。
アカデミー作品賞をとっている。
とにかく面白い。笑える。
録画状態を見るために初めをちょっと見たら、やめられなくなった。
ああ、ほんとにキャプラの映画は何度観ても飽きない。
ただ、戦前の映画なので画像が悪いのが少し残念。
デジタル・リマスター版(発売されているようだ!)を買いたくなってしまうが・・・今はこれで満足しておこう。

今日は、何とキャプラ作品の中で私が一番好きな「スミス都へ行く」が放映される。
これは絶対録画する!
失敗しませんように!
衛星放送でこれから続々放映される名作映画をDVDにコピーできるのが最大の楽しみだ。

「朝の読書」の準備
4月10日(木)

tenseiさん、書きこみありがとう。
転勤して1年の担任という忙しい中で、N校の「朝の読書」のことを心配してくれるなんて感激です。涙が出てきました。
「朝の読書」を提案した5年前は、10分という時間を保障しないままで一度やってみようなんていうムチャな体制で始まり、私の担任したクラス以外は全部崩壊しました。
当然のように「朝の読書なんてムリだ、シンドイ」という悲観的なムードが広がっていた2年後、やっと時間が保障された時にtenseiさんが何度も私の属していた学年だけは「ゼロからの出発ではなくマイナスからの出発です」と言ってくれたことを思い出します。
時間保障をしないままで朝の読書をさせることがどれほどマイナスに作用するかをほとんどの職員が理解できなかった時に、tenseiさんだけは完全に理解してくれていました。

今年は学級文庫も内容をよく考えて整備しました。
読む気のない生徒用ですから、まず星新一をクラス均等に配分し、そこに宗田理、群よう子、さくらももこ、赤川次郎、阿刀田高、吉本ばなな、などの短い読みやすい作品を集めて、さらにアイドルの書いたエッセイを2冊ぐらいずつ含めました。
先生方の中には「何だチャチな本ばかりだな」と思う人もいるでしょうが、静かな状態を生み出すためには食らいつく本を与えるしかないと思っています。
しかも、事務長が図書への金をかなり回してくれるということなので、学級文庫用にさらに1冊300円くらいの本も(100円本だけでは限界だということで訴えたのです)5万円分買えるようになりました。女子用に、さくらももこをたくさん買いたいと思っています。

確かに1年生が心配です。
2年生は、昨日3クラス授業に行った感触では、そんなにひどくはない。
3年は、まあ、あきらめ。
今日は1年へのオリエンテーションがあります。熱弁を振るって明日からの読書に向かわせたいと思っています。


悪魔のように細心に、天使のように大胆に
4月8日(火)

図書部は放送の担当なので入学式には君が代を流さなければならない。
入学生の保護者や来賓の偉い人たちが来ている厳粛な式での失敗は許されない。
昨日は、朝何度も放送のテストをして、いよいよ本番だった。
緊張したが、何とか上手く出来た。
読書指導には自信があるが、この放送というのが苦手だ。
マイクなど何度テストしても気になってしかたがない。
元主任のtenseiさんはそういうことには慣れていて、直前まで忘れていてもナンノソノでホイホイやり遂げていたが、想像力の悪用習慣がついてしまっている私は、失敗するイメージがやけに浮かんできてしまう。
今日は始業式。早く行って校歌のテープをテストしなければならない。

この「小心さ」を「細心さ」にしてしてまうこと。
「細心さ」が身に付けば「大胆」になれる。
<悪魔のように細心に、天使のように大胆に>(黒沢明)が目標である。


教科書を訂正させた

東京書籍が、発行した中学公民教科書にした誤記は、傑作だった。
新潟県中里村の「雪国はつらつ条例」を「雪国はつらいよ条例」と間違えたという。
「はつらつ」を「つらいよ」と間違って誰も気がつかなかったというのは、「雪国」に対する先入観と、映画「男はつらいよ」のイメージの強さによるのだろう。
教科書の誤記は非常にまれで、発見されると新聞に載るほどのニュースなのである。
というところで、私の20年ほど前の、自慢話を一席・・・。
実は、私も国語教科書の間違いを指摘して、次の改訂版から訂正させたことがあるのだ。
それは、どこの出版社だったか忘れたが、太宰治の「津軽」が載っている国語の教科書だった。
30年ぶりに、育ての親といえる子守の「タケ」と再会する感動的な場面。
そこを読んでいて、ふと気がついた。
そのページに大きく載っている「挿し絵」の、人物の位置が間違っているのだ!
タケとの再会を描いた場面は、本文では、「私」が家の中へどんどん入っていき、奥にいたタケと出会う、というように書かれている。
それなのに「挿し絵」では、タケが玄関口まで出てきていて、そこで「私」と出会っているように描かれていたのだ。
これでは、息せき切って家の中に飛び込んでタケと出会う「私」のイメージが損なわれてしまうではないか!
そこで私は、出版社に手紙を出した。
ところが、何の返事もない。
功名心はなかったので、来年の版で訂正されていればいいや、と思っていた。
が、翌年、その教科書を見てびっくり。挿し絵は訂正されていないのだ!
なんだ!俺の指摘は無視なのか、と、頭に来た。
そこで、今度は出版社ではなく、その教科書の編修責任者である国文学者の長谷川泉氏にあてて、手紙を書いた。
たとえ「挿し絵」であろうと、あれだけ大きく描かれていれば、読解の際のイメージに影響を与えること、こちらの指摘に何の返事もなく完全に無視して訂正も行われなかった理由を聞かせて欲しいという主旨で、丁寧に、しかしそうとう激しい怒りをこめて書き送った。
すると、しばらくして長谷川泉さんから直筆の返事がきた。
読むのが一苦労のすごい達筆で、編集責任者の私の所には知らされていなかった旨を侘び、指摘は全く仰せのとおりなので、すぐ挿し絵の訂正を指示した、とのことだった。
見方によっては、これは、かなりすごいことではないだろうか。
あんなでたらめな挿し絵を載せたということは、編集者たちが本文を正確に読みとっていなかったということなのだ。
それを、現場で授業していた一教員が発見したのだ。
新聞社に投書したら、記事にしてくれるかもしれない!
だが、功名心の本当になかった私は、長谷川さんの手紙だけで満足だった。
翌年、教科書を見ると、挿し絵が変わっていた。
(その二つの挿し絵はコピーして、どこかにしまってある。長谷川泉さんの手紙もどこかにあるはずだが・・・今は紛れてしまっている)


結界        
  
図書館に行ったら、永六輔の「結界」という題名の本があった。
「結界」とは、仏教語で「一定の区域を聖域として入ることを許さないこと」。
本では、サブタイトルに「超えてはならないことがある」とあった。
いい言葉だなあと気に入った。

早速、借りて、読んでみた。
中に、こんな話があった。
泌尿器科学会で、「夫の立会い出産をやめてほしい」と、婦人科の学会に申し入れようという話がでたという。
なぜなら、立ち会った男性にインポテンツが増えているからだ、とのこと。
永さんは、そこで言う。
立会い出産はアメリカ流の考え方です。
男女が共に体験し、喜びを分かち合おうと。
民主的で、耳障りのいい言葉です。でも、男女の間にも、越えちゃいけない境界があるんです。
男は病院の廊下でうろうろしているのがいいんです、と。

テレビで、水中出産を放映したことがあり、私も見た。
子供の頭が出てきて、取り上げられるまで、羊水の流れ出るのまで
ズバリ、モロに、スベテ、見せてくれた。
見ている家族や親族が感動して泣いている。
生命の誕生の感動の瞬間ということだが、私はあまりにリアル過ぎて正直イヤだった。
よくあんな情景をテレビで映させる女性がいたものだとも思った。
気持ち悪い感じだった。
 
なぜ、インポテンツが増えるのか。
かみさんにこの話をしたら、一言、
「男の方が、ロマンチストだからじゃないの」との答えだった。
そのとおりだと思った。
男は女よりロマンチストだと思う。
男の方が幻想性が強く、妄想ともいえるような夢の世界に住む傾向が
あるが、女は、子供を産むという生体の特徴から、生の現実を体得して
いるようなところがあって、幻想性から比較的解放されているように思う。
だから男は、あまりストレートに生殖の現実を突きつけられると、たまらないのである。
性に幻想性がないと、エレクトできない。
現実より、作り出した美の世界に生きたい傾向が強い。
女の下着を盗んで楽しむ男がたくさんいるのは、きっとそのためであろう。
(男の下着を盗んで楽しむ女なんて聞いたことがない)

これからの世界には、幻想性が強く、時として誇大妄想を抱いて戦争を起こしてしまうような男性性より、幻想性が少なく、本質として
生体を育む女性性の方が、もっと重視されるようになるに違いない。


女性化する映画

現代のハリウッド映画の多くは、女性をターゲットにして制作されているようだ。
女性が映画館に行くときは、友達をつれていくか、恋人を誘うからだ。
「ハリー・ポッター」など、とても大人の男が好むような映画ではないのだが、恋人が行きたがるので男もついていく。(うちの息子がその典型)
妻と子供が行きたがるので付き合う父親も多い。

日本映画も、全体的に「女性的」になっていると思う。
いつ頃からその傾向が出てきたか・・・と考えてみて、黒沢明の映画が変質した頃からではないかと思った。
黒沢明の初期の映画は、間違いなく「男性的」な映画だった。
例えば「酔いどれ天使」「野良犬」「用心棒」「椿三十郎」「七人の侍」「天国と地獄」などには、臭ってくるような埃と汗と垢まみれの男達が格闘するような、男性的な世界が描かれていた。
そのころはまだ、そういう生き方を好む男性(女性も)が多かったから、それはヒットしていたのだ。
(私の母など、黒沢明が新しい映画を作ったといえば見に連れて行ってくれた。小さい頃、満員の映画館で「天国と地獄」を立ち見したことを覚えている)

しかし、私が生まれた1950年ごろから中間文化、大衆文化といわれる傾向が出てきて、70年の安保闘争以後、自己主張するより、多くの情報を手に入れて、スマートに、清潔に、薄く、軽く、優しく、楽しく、生きていこうという男性が多くなった。
それにともなって、映画も、男性的な時代劇はなくなり(同じ頃、アメリカでは西部劇がなくなり)、ヤクザ映画も少なくなり、アメリカでは愛国心を煽るような戦争映画が作られ続けたが、日本では戦争映画自体が作られなくなった。
スマートでカッコイイ男女が恋をする映画が主流になった。
それに、オカルトや超能力、タイムスリップ、ホラー系統の味付けがされるようになる。
特にホラーは、単にエゲツナイものではなく、女性も見られるように考えられてきたように思う。

どんどん女性化していく日本という国自体の傾向が、映画にも反映しているのだ。



自覚できていない日本の技術力

昨日の朝の報道番組で、過去においても、日本人が発明した様々な製品が日本では認められなくて海外に流出し、特許なども取られてしまった例が紹介されていた。
例えば、乾電池。
明治18年、時計職人、屋井先蔵が乾電池の原型を考案、実用化した。
世界の人々は驚嘆したが、日本では評価されなかった。そのため、特許もアメリカの企業が取得してしまう。
例えば、(その欠乏が脚気の原因となる)ビタミンB1。
明治43年、農学者、鈴木梅太郎博士が発見した。
しかし、彼の論文は日本国内では酷評された。後、全くおなじ内容の論文がイギリス人化学者によって発表され、世界に知られるようになった。
例えば、シャープペンシル。
大正4年、細工職人、早川徳治によって発明されたシャープペンシルの原型「早川式繰り出し鉛筆」は、和服には似合わないとか冬には冷たくて使えないとか言われて、国内では見向きもされなかった。
ところが、それが欧米で大ヒットすると、反響で国内でも注目されていく。
そして、極めつけが、有名な浮世絵。
1867年、パリ万博に、日本は焼き物を出品した。しかし、世界が注目したのは焼き物ではなく、その包み紙に書かれていた浮世絵だった。
浮世絵は、ゴッホ、モネを初めとする世界的な画家の画風に大きな影響を与えた。

まだまだ、日本の優秀な技術で日本人が気づいていないようなものが、あるかも知れない。


素晴らしい映画「home」

久しぶりの試写会参加だった。
今池のシネマテークで行われたのも、珍しかった。
映画「home」は評判になっているので、満員かなと思って行ったら、意外に少なかった。顔なじみの教員が何人もいた。生徒の参加は、試験中の学校が多かったらしく、少なかった。
素晴らしい映画だった。
劇映画では出せない迫力があった。
映画は、真っ黒な画面に電話での会話が流れ、その後、撮影者である「私」が、末期ガンの祖母、7年間引きこもっている兄、兄の暴力に怯えうつ病になって苦しんでいる母のいる長野県の「home」に向かうところから始まる。
母親の姿が悲惨だった。
兄は二階の部屋にこもって、夕方になると降りてきて母と接触する。
しかしその時の口調は常に威嚇的で、不機嫌で、時には母を突き飛ばしたりする。
ものすごい潔癖性らしく、台所が少しでも汚れていると怒り、自分で拭き掃除をしたりする。
母は怯えて、兄と会わないように車の中で寝たりしている。
「私」は、意を決して、兄の部屋にビデオカメラを持ちながら入り込む。
最初は暴力を振るわれるが、兄の住んでいる「世界」を尊重しながらしつこく対話を求めていく「私」に対して、少しずつ応えるようになっていく。
手持ちの家庭用ビデオで撮影したものなので、画面はぶれたり、遠くから固定されたままのものだったりする。音声も、決して聴き取りやすいものではない。
しかし、それによって、ものすごい臨場感があるのだ。

人間は、誰もが「対話」を求めているのだ、というのが第一の感想。
7年もの間引きこもっていた兄も、対話のきっかけを求めているところがあったようだ。
弟の執拗な接触によって少しずつ気持ちを語っていく過程に、おそらく、すべての引きこもっている人に当てはまる「治療方法」のカギが読みとれるに違いない。
しかし・・・私は、この兄が、知的レベルの非常に高い人だったことが、接触に成功した大きな要因だったということを感じざるを得ない。
彼は、高校受験に失敗したが中学浪人して、長野県の最高レベルの高校に進学した人である。(しかし、理数系が苦手で苦労し、大学には合格したが引きこもり始めたという)
ジャーナリストを志望していたらしく、たくさんの本や、質の高い映画のビデオなどが部屋にはあふれていたのだ。
弟は、それらを話題のとっかかりにし、対話を成功させたのだ。対話は、兄の知的教養の土壌があってこそ出来たことだったように思う。

兄の引きこもりの原因は一つにはできないが、父親が大きな原因だったことは間違いないとおもわれる。


試写会の思い出

久しぶりに高校映画連盟の試写会に行って、昔のことを懐かしく思い出した。
もう25年以上も前になるが、映画連盟に加盟している名古屋市内の高校に勤務していた関係で、映画にのめり込んでいたのだ。
同じ学校に勤務されていて、連盟の事務局長をしていた菊川さん(国語の先生)と知り合い、彼の生き方、鋭い批評眼に圧倒されて、試写会通いをしていた。
菊川さんは「寅さん友の会」のメンバーで、山田洋次とも親交があり、いくつか著作もあって、愛知県の映画界ではかなり有名な人である。
その人が司会をして、試写会の後、合評会が持たれるのだ。
当時は、高校の映画研究クラブもまだ盛んで、8ミリ映画も多数作られ、試写会に参加する生徒も多かった。合評会では、生徒が半数、教員が半数で、いつもほぼ満員になっていた。
合評会の最初には、生徒の発言が求められる。その後で、教員が発言する。
教員は、連盟の理事となっている映画通がほとんどなので、さすがに詳しく、鋭い分析が披露される。
様々な感想が出た後で、菊川さんがうまくまとめ、それから連盟としての評価を決める。特選、推薦、選定、なし、の4ランクで、挙手するのである。
推薦以上の評価が出ると、高校映画連盟の割引券が発行されて、各学校に配布されるのだ。
推薦が圧倒的に多く、よっぽどでなければ特選にはならない。特選は年に一本出るかでないかというぐらいであった。

最も印象に残っているのは、今村昇平監督の「黒い雨」を合評した時のことだ。
見終わって、あまりに素晴らしい出来映えだったので、感動のあまり、私は合評会が始まると最初に挙手して発言したのだ。
興奮して賞賛の言葉をつらね、最後にはっきりと「私としては文句無しの特選だと思います」と言い切った。
それから、他の教員が発言を始めたが、私の評価を追認するようなことばかりだった。
あの時の雰囲気は、錯覚かもしれないが、みんな私の評言に影響されていたように思えてならない。そして、結果は、久しぶりの特選となったのだ。

私は今でも、自惚れかもしれないが、あの時の特選は、私の言葉の力がかなり影響していたように思えてならないのである。
私が最初にあれほど力を込めて特選を主張しなければ、推薦で終わっていた可能性もある。
推薦と特選の境界線で迷っていた人が多かったに違いないのだ。
しかし、あの「黒い雨」が特選に値するという考えは、今も変わっていない。
あの試写会場で味わった感動は、今でも鮮やかに甦ってくるのである。



容貌についての本音

容貌に関する本音は、美しいものには惹かれ、醜いものは好きになれない、ということにつきる。
そういう私自身にとって当たり前である感覚に反する事例に接すると、どうしてもウソっぽさを感じて、白けてしまうのである。

今までで最もそれを感じたのは、大ベストセラー「五体不満足」の冒頭で、筆者が生まれたとき、両手両足のない筆者の身体をみて、母親が「可愛い!」と言ったというエピソードを読んだときである。
最初は驚いた。あまりに<感動的な>エピソードで、信じられない気持ちだったが、信じたいという気持ちも強かった。
母親の愛情の常識を越える大きさを信じたかった。
しかし、やはりどうしても信じられない気持ちが強くなったので、何人かの<母親である>女性に聞いてみた。すると、そういう心理を素直に受け入れられる女性も少ないことがわかった。
常識的な、<自然>と思われる感覚では・・・両手、両足のない自分の赤ん坊を見た時、母親であってもショックを受けるはずだ。いや、むしろ母親であればなおさら、その醜い「外形」に対するショックは大きいのではないか。
そう確信するに至った。
「五体不満足」のエピソードは、私の許容範囲を超えたウソっぽいものとなった。

同じような事例で、ドラマ化された江川晴の「小児病棟」という作品は、全く逆の、実に真実味のある内容だった。
重度障害児で、手足がなく目も癌で摘出された赤ん坊を、その父親は母親に見せないでくれと病院側に頼む。見せれば発狂すると恐れている。担当した看護婦は、最初その子を見たときは屋上へ出て吐いてしまう。「あれは人間じゃない。バケモノだ」とつぶやくが、やがて、その子に対する愛情を持ち始める、という展開。
ここには、しっかりと人間の<本音>が踏まえられていた。
そして、その<本音>を踏まえた上で、それを超えたところで<感動的な>展開となっていた。

安部公房の「砂漠の思想」の中に、「へびについて」という文章がある。
人間の、へびに対する生理的ともいえる嫌悪感について考察した文章である。
その結論を言えば、へびを嫌悪するのは、当然あるべきものの欠如感からくる違和感であるということだった。のっぺりと胴体ばかりのへびは擬人化がむつかしい。それは人間の日常感から離れているということである。だから、強く日常性というものに縛られている人間にとって、へびは不安を与え、嫌悪感を持たせるものになっている、ということだった。
そこで教えられたことは、<醜いもの>とは<我々の日常的な感覚からかけ離れたもの>だということである。
手足のない人間は、我々の日常的な感覚から離れている存在だから、我々にとって違和感があり、不安、恐怖をもたらす。醜い容貌というものも、我々の日常感覚の許容範囲を超えるような形の歪みをもっている容貌ということになる。
そこには、ある程度の客観性が存在することは確かだろうと思う。
しかし、我々の持っている主観性の領域である<日常感>というものも、検証してみなければならないだろう。

容貌の好悪を決める我々の<日常感>は、どのようにして形成されたか。
それはつまりは、我々の美意識の領域にも入っていく。
我々が対象を<美>と感じる<日常感覚>は、通信手段が発達し、<主張>よりも<情報>が重視されていく70年代くらいから、少しずつ画一化の方向に進んでいるのではないだろうかと、私は今、思っている。
一見個性化のように見えて、実は服装の<制服化>と言えないこともない、女子生徒のルーズソックスとか、若者の茶髪志向とかを見ると、<日常感覚>が画一的情報によって一つの方向に進められているのではないか、と思うのだ。
リカちゃん人形のスタイルが、美しい女性スタイルのモデルとなったりしているのは事実だろう。
週刊誌やトレンディドラマによって、そういう美意識が通念として日本人に刷り込まれて行ったのではないだろうか。



演劇「BIG BIZ」

Nさんから借りた演劇のDVD「BIG BIZ」が、とても面白かった。
後藤ひろひと作、G2演出。宮原木材危機一髪、という副題がついている。
出演者は:松尾貴史 粟根まこと 八十田勇一 松永玲子 後藤ひろひと

幽霊会社である宮原木材を、電話1本で何人もの声色を使い分け、大会社に見せかけてビッグ・ビジネスをしようとする5人の男女の物語。
ハチャメチャなコメディだが、とにかく笑える。
特に後半は、意外な展開をして、何度も爆笑できた。
主役の松尾貴史が、声を使い分けて電話に出るところが、絶品といえる芝居だった。
芝居の後のトークも、即興で見事に笑わせ、役者のすごさを感じさせられた。
最近、Nさんからビデオを借りて数本演劇を観たが、映画とは違う面白さが分かってきた。
Nさんは東京などへも見に行くというが、ハマッタ人ならもっともなことだと思う。

Nさんの好きな演劇を観て、笑いには、人生を感じさせてくれ、教訓的なものが漂う笑い(代表的なものが、チャップリン、三谷幸喜の笑い)と、そんなものはない単純に面白いという笑い(マルクス兄弟、中島らもの笑い)と、2種類あると感じた。
「BIG BIZ」は、後者の笑いである。
言葉の芸を楽しみ、腹を抱えて笑うだけのものであったが、それはそれで、実に充実した至福の時間を過ごせたという満足感が味わえた。


囁く子供

先日、犬山の図書館へ行って、コンピュータで本の検索をしていたら、耳元で囁く声が聞こえた。
見ると、幼稚園くらいの男の子が、私に寄り添うようにして画面を見ながら、
「このおうちは、ぼくの、おうちだよ」とか、なんとか言う。
画面には、家の絵が出ていたりするのだが、それを指さして、囁くような小さな声で、勝手に話しかけてくるのだ。
「な、なんなんだ、こいつは!」
と思ったが、他人なのに、まるで相手がお父さんか何かにように囁きかける態度が全く自然で、びっくりしたけれど、いつか、同じような囁き声で答えていた。
「これを、クリックすると、こうなるんだよ・・・」
男の子は、しばらく私と囁きかわしてから、ふっといなくなった。
大人の世界とは違う、ほのぼのとした子供の世界を感じた一時だった。


「日本の黒い霧」

レンタルビデオで、熊井啓監督の「日本の黒い霧」を見た。
松本サリン事件の河野さんの冤罪を描いた映画で、さすが熊井監督らしく、非常に分かりやすく、ドラマチックに、真摯な態度で描かれていた。
警察の姿勢と同時に、河野さんを犯人だと印象づけたマスコミの報道姿勢を鋭く問題にしていた。
真面目、健全を絵に描いたような高校生の男女が登場する。
彼らは、高校の放送部の生徒。
松本サリン事件において、どうしてあれほどマスコミが間違った報道をしてしまったのかを探るという設定。
彼らの質問に答える形で、取材されたある放送局の主任である中井貴一が、様々な真相を語っていく。
警察が、メンツにこだわって、カルト集団がサリンを持っていたことが分かった後も、河野さんをその一味だとしてでも逮捕したいと考えていたことがはっきり描かれていた。
ラストの、オーム信者たちによって車内からサリンがまかれ、その白い煙がゆっくりと流れて庭園を超え、河野さんの家でアイロンをかけていた奥さんを襲うシーンは、鳥肌が立つような恐ろしさを覚えた。これは、ホントにひどいなあ・・・と、思わずつぶやいた。
久しぶりに正当派の映画を見た、という感想だった。

追悼、家永三郎

家永三郎さんが亡くなった。
教員になってすぐ、私は家永教科書裁判を支援する会に入り、以後ずっと家永裁判を支援し続けてきた。
その間に、家永さんの史観が集大成されている、ほるぷ出版(つぶれてしまった!)の「日本史」10巻を精読した。
あの本によって、知らなかった日本史の様々な面を教えられた。
どれだけ多くのものを学んだか、計り知れない。

家永裁判が、一部勝訴したときに書いた新聞投稿文を再録して、ご冥福を祈りたい。

 意義ある家永裁判部分勝利

 家永三郎編「日本の歴史」全十巻(ほるぷ出版)は、私の愛読書である。江戸期までが三巻、明治以後七巻という近現代史重視のユニークな構成で記述されたエピソード豊かな内容は、類を見ないものだからだ。
 例えば、戦後十数年間よく見かけた傷痍軍人が実は朝鮮人で、平和条約発行後に外国人ということで保障を打ち切られ、病院から出された人々だったということを、大島渚監督のドキュメンタリ−「忘れられた皇軍」を紹介して説明した個所。あるいは、日本と韓国の間に時差がない(これは、ソウルオリンピックの年によく宣伝された)ことの背後に、第二次朝鮮戦争を想定した軍事計画(三矢作戦)のもと、日本、韓国、台湾をレーダーで結ぶ必要から、それまで存在していた時差三十分を、韓国中の時計をずらすことによってなくしたことを紹介した個所。それらから、事象の背後に動いていた「おおきなもの」の存在を教えられた驚きは、大きかった。
 その家永さんが三十二年間闘ってきた教科書裁判が、部分的勝利で終結した。検定で削除された家永さんの歴史記述が、一部復活することになる。私は、一部分とはいえ、それを喜ばしいことだと思っている。