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春祭り 1
子守りさんのトラウマ
2004/4/25

子守りさんのお祭りは、毎年3月28日。

春休み真っ只中、子供たちにとっては休日開催。
しかし、大人には、(今年はたまたま、日曜に重なったけれど、)平日開催の場合が多くて、縁遠くなる。

うちの子は、クラブだ、なんだで、今年の子守りさんには行かなかった。
上の息子は、小学校のころ1度行ったきりだと言ってた。
驚いた。

私の子供のころ、子守りさんのお祭りの人出はそりゃもうたいしたもん。
中学生以下の子供にとって、春休み真っ只中、の子守りさんのお祭りは、年間通じて、一番のイベント、近隣の小中学生は全員お祭りに出かけた(はず)。

私が子供のころなんて、この町には通常、混雑とか、行列とか、そういう人口密度の高い状況は、一年を通じて発生しなかった。
唯一、子守りさんの時だけ、広見の駅から、子守り神社まで行列が発生。
神社の境内に人があふれ、迷子が出る。

ここいらで、迷子といえば、山菜取りで迷うとか、自転車で遠くに出かけた子供が、、帰れなくなるとか、そういうたぐい。
人ごみのなかで、こどもを見失うのは、この日だけ。(さすがに最近は、ヨシズヤやユニーでは、迷子の一人や二人、出てる、と思う、  日曜くらいは。)

私の頭の中には、子守りさま基準というのがある。
人ごみを、子守りさんくらいとか、子守りさんほどではないとかで、判断する。
そうすると、うちの近所の人なら、大変よく混雑の具合がわかる。
もちろん、子守りさんぐらい混んどった、というのはそうとうなもの。
(大人になって、東京の、なんでもない平日の雑踏に、子守りさんの何十倍の人を見てから、子守り基準は、県外で適用しないことにしたけど。)

で、その、子守りさまに何があるかというと、境内で神事みたいなもんは、見たことない。
伝統あるお神輿が出るので、それを見物というわけでもない。

子守りさんの売りは、境内を埋めつくす縁日の屋台。
ヒヨコに金魚すくい、綿菓子、銀玉鉄砲、ニッキのパイプなんてもんから、輪投げ、射的、スマートボール(温泉場にあるアレ)、パチンコ、さらに、刀片手の軟膏売り。
ろくろく首の見世物小屋なんて、本物は、ここでしか見たことがない。

中学生のころ、日本の大道芸という小沢昭二製作のレコードが出た。
そのころには、ほぼ姿を消しかけていた大道芸の、生の口上なんかを記録したレコード。
そこに子守り神社のなんかの口上が載った。

よく言えば、古き良き時代の文化、風俗が残る数少ない場所とかいえるんだろうけど、実際子供を送り出す親にしてみりゃ、胡散臭い物売り大集合なわけで、出かける子に、無駄遣いするな、変なもの買ってくるなと、しっかり言っとかなければいけない。
うちを出る前から、思いつく限りの買っちゃいけないものを並べ立てる、もうすでに、買って来ちゃったぐらいきつい口調で注意するから、小さい子なら、うちを出るとき、もう半泣き。

買ってきては、絶対いけない筆頭と言ったら、ヒヨコじゃないだろうか。
子供のころ、一番ほしくて、親になって一番買ってきて欲しくないもの。
無駄遣いの筆頭、厄介の代名詞。

一度、何羽か買って、全部猫に食われて全滅させたことがある。

息子が小さいとき、せがまれたおばあちゃんが買ってきたこともある。
すぐ死ぬわ、の言葉どおり、猫に喰われないでも、1週間でほぼ全滅。
でも、一羽だけは生き残った。

とさかまで生え、縁日で売ってるやつだから、当然雄鶏で、コケコッコーが始まってしまった。
で、3ヵ月飼って、親戚に引き取ってもらった。
かれがどうなったかは言いたくない。

私は一度大散財をやらかしたことがある。
持ってたお金全部、菓子やらおもちゃに使い切った。
親の財布からくすねたわけではなかったと思うけど、子守りさんで使ってしまっていいお金でもなかった。
叱られたかどうかは覚えてないけど、お金全部を使い切って、われに返って後悔した、あの惨めで、悲しい気持ちは今も憶えている。

それ以外にも、おばさんから、小さいいとこのために、おもちゃを買ってきてといわれ、おもちゃの屋台に出かけ、店に着く前は、うまく値切ってなんて思ってたのが、あとひとつ、の掛け声にまんまと引っかかって、あっさりお買い上げ何てこともあった。

子供のころのお祭りの様子は、今も憶えている。

境内へ続く参道には、屋台と一緒に、小さな軍帽、白い着物、そして松葉杖をついた傷痍軍人が募金を募っていた。
大人たちから、アレは偽者、いんちき、お金をあげてはいけないといわれていた。
近寄っちゃだめぐらいの言い方をされていたので、昭和33年、もはや戦後ではないと言われた年の生まれの私は、ショーイ-グンジンの意味がわからず、何であんな格好なのかも知らなかった。(高校生ぐらいで、第二次大戦と参道の傷痍軍人の関係がわかったころには、もうそういう格好の人はいなかった。)

混み合った参道を抜けると、境内は、立ち並ぶ屋台で迷路のよう。
人ごみにのなかで、小さい子供なんか溺れている。
あっちへ行きたいとか、この屋台をじっくりなんてできないで、後から来る人に押され、前について流されていくと、境内の一番奥、中心近くに見世物小屋がある。

私は、鉄腕アトムや鉄人28号で育った科学の子。
ロクロッ首や大イタチが、ほんとにいるとは信じてない。
でも、あの中にいったい何があるのか、だみ声の客引きの口上は魅力的だった。

一度だけ入ったことがある。
親戚の大人の誰かに連れらて。
胡散臭いことはみんな承知はしてるけど、それでも一度くらいは覗いてみたいと、大人だって思うのだろう。
地元で、見世物小屋に入ったことのある人はそういないと思う、笑われるもんな。

結構なかは混み合っていた。
で、中に何がいたのか、

それは、秘密。

恥を忍び、大枚叩いて入った中のことは、やっぱりただでは教えられない。
ある意味凄かった。

想像は超えたな。

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