くわしい目次 < ぼくの町 < メルのしあわせ

メルのしあわせ

 

となりが飼ってるメルちゃんは、気が小さい臆病な犬。
付き合いの長い私にも、力の限り吼える。
周りに飼主がいないのが不安、だれか来てと訴える。
で、隣のおばさんの姿が見えると、援軍が来たって感じで、さらに調子に乗って吼える。
虎の威を借る狐状態。

うちに誰も居ない、留守のときは、ビクビクして吼える元気も無いくせに。
隣が留守で、メルしか居ないところへ、プロパンガスの交換のお兄さんが来た。
メルは、全然吼えないどころか、犬小屋からも出てこない。
メルは、うちの人、なかでも、世話してくれるおばさんが居ないとまったく元気が無い。

悪口ばかり書いたけど、メルのこと、嫌いではない。

メルは、保健所から子犬の時に貰われて来た。
そこがどんな場所かは、きっと察しがついたはず。
そのときの恐怖がトラウマになって、あんなに臆病になってしまったのだと思う。

前のメル(メルは、二代目)より覚えは悪いとおじさんが言ってたけど、頭悪くて、私たちの顔が覚えられないばっかりではないと思う。

心に大きな傷を負ったメルちゃんですが、良いうちに貰われたと思う。

ひどく叱り付けられたり、叩かれたりなんて事はされてない。
お手、おすわり等の犬としての一般教養に関しても、うるさく仕込まれなかったし。(出来るらしいのだけど、我々には、吼えるのに忙しくて披露できない)
もちろん、番犬なんて期待されてもいない。(泥棒なんか来たら、怖くて気絶するかもしれない)

ただただ、おばさんに尻尾振って、散歩に連れてって貰って、えさ貰って。
キャンキャン吼えれば、「メル、どうした。」とやさしい声をかけてもらって。

風前の灯火状態から救われ、、今は、おばさんの扶養家族の身。
大事にされてる。

どっこも、秀でたところもない、メルちゃんがなんか可愛く思えてきた。

ただ、飼主を頼って生きてる。
家の人が居なければ、意気消沈。
それがなんだか、とても愛しいと思う。
飼主にご奉仕なんて甲斐性は無いけど
頼られる幸せを感じさせてくれる。

子供にかまって貰えなくなった今日この頃。
メルみたいな犬を飼いたいなと思うことがある。

私が年食って、あんまり体が動かなくなって、厄介者、みたいに自分に自身を無くしたとき、メルみたいな犬ならきっと、それでも、私を頼ってくれそうで、老後のともに、いいなと思う。

愛することって、ただ一途に頼る事。
頼られるってことが、愛される悦び。

なんて、ちょっと哲学的になったりする。

とこりで、最近、メルちゃんは、中耳炎でご機嫌斜め。
右の耳を触ると、エライ怒る。
小さい子供たちにも容赦ないらしい。
いくらなんでも、日頃のご恩というものも考えないと。
あんまり調子にのんなよ、メル。

くわしい目次 < ぼくの町 < メルのしあわせ